論壇

日本で学ぶ留学生はどんな人たちで、何をめざして日本を選んだのか

日本語学校の現場から考える

東京富士語学院副校長 倉八 順子

1.日本語学校とはどんなところだろう

独立行政法人日本学生支援機構の2024(令和6)年度外国人留学生在籍状況調査によると、2024年度の留学生総数は336,708人で、過去最高を記録。前年比20%増である。このうち私が務めているような日本語教育機関で学ぶ留学生は、107,241人であり、これも過去最高を記録。前年比18%増である。

留学生総数を出身地域別にみると、中国からの留学生は123,485人で36.7%(前年度は41.4%)、ネパールからの留学生は64,816人で19.2%(前年度は13.6%)。中国・ネパールからの留学生を合わせると、全留学生に占める割合は55.9%(前年度は54.9%)である。

以下、ベトナム、ミャンマー、韓国、スリランカと続く。ミャンマーからの留学生数は、16,596人で4.9%(前年度は2.8%)、スリランカからの留学生は12,269人で3.6%(前年度は2.4%)。

私の勤める日本語学校(以下、東京富士語学院)は東京、向島にある。2016年10月開校、株式会社立の学校である。現在の定員は310名。向島は新しい東京のランドマークである東京スカイツリーと古き伝統文化を伝える浅草の間にある。見番通りという名前が伝えるように、向島は料亭、芸者の町でもある。 隅田川にかかる桜橋まで、5分。私はよく校外学習をする。留学生たちといっしょに学校界隈を散歩し、言問団子を楽しんだり、桜餅を楽しむ。歩いて10分の向島百花園は、特に、梅の時期が美しい。春の七草を楽しむことができる。そのそばにある『東武ミュージアム』では、今は、東武スカイツリーラインというしゃれた名前になった、東武鉄道の歴史と現在を楽しむことができる。また、最近、すぐ近くにモンゴルの元横綱鶴竜の『音羽山部屋』が部屋開きし、下町情緒に花を添えている。相撲好きの私には、このうえもない、幸運が舞い込んできたのである。

本稿では、東京富士語学院で学ぶ留学生たちは、どんな人たちか、何をめざして日本を選んだのかを、現実の留学生の言葉をとおして、お伝えできたらと思う。

東京富士語学院は開校以来、中国の留学生が80%近くであった。中国以外は、ベトナム、スリランカ、ウズベキスタン、モンゴル、タイ、ロシア……。

2025年度は、ネパールからの留学生が、大幅に増えた。現在、71名のネパール人がいて、全学生の25%、4人に1人がネパール人という状況になっている。ネパール人はダンスが好きで、本当に明るい人たちである。校長以下、全員であいさつを大切にしている当校には、9時前の開校から、4時すぎの下校まで、「おはようございます!」「ありがとうございました!」「さようなら!」というあいさつが学校中にひびきわたる。ネパール人の声は、かぎりなく、明るい。

2.日本に留学するには――手続きと求められる日本語レベル

ここで、やや複雑になるが、日本に留学する手続き、および日本語学校で達成しなければならないとされる日本語能力について説明しておきたい。これを理解することで、のちの5人の留学生の話がわかりやすくなるからである。

日本への留学は、まず、留学したいと考える学生が留学先の学校(例えば東京富士語学院)を選び、その学校(東京富士語学院)から入学許可を得る。

留学の要件としては以下の3つ、1)入学資格を満たすこと(一般的に12年以上の学校教育を修了していること)、2)経済的な能力があること、3)「留学」の在留資格を得ること、である。

「留学」の在留資格は、留学先の学校が代理申請する。具体的に言うと、東京富士語学院に留学を希望する学生は、「東京富士語学院」が、東京出入国在留管理局に「留学」の在留資格認定証明書(certificate of eligibility: COE)を申請する。COEが交付されたら、本人が母国の在外日本大使館または領事館で査証(ビザ)を申請する。

次に日本語のレベルについて説明する。日本語学校で学ぶ場合、日本語教育の参照枠 A2レベルの日本語力があるのが望ましい。日本語教育の参照枠A2レベルとは、基礎段階の学習者で、日常会話に必要な基本的なコミュニケーションができるレベルである。日本語能力を測るテストは何種類かあるが、日本語NATテスト、JLPT(日本語能力試験)などがある。日本語教育の参照枠A2レベルは、NAT N4、JLPT N4にあたる。

日本語学校で学ぶ2年間の間に、日本語教育の参照枠A2レベルから日本語教育の参照枠B2レベル(自立した言語使用者:自分の専門分野の技術的な議論も含めて、具体的な話題でも抽象的な話題でも複雑なテクストの主要な内容を理解できる。お互いに緊張しないで熟達した日本語話者とやり取りができるくらい流ちょうかつ自然なレベル)になることが求められている。日本語教育の参照枠B2レベルとは、JLPT(日本語能力試験)N2レベルである。

2025年度に東京富士語学院で、なぜ、ネパール人が増えたのか。それは、2025年度に申請したネパール人の在留資格認定書(COE)の、交付率が100%になったからである。昨年までは50%程度であった。交付率が100%になるというのは予想外のことであったので、東京富士語学院では、急に増えたネパール人への対応を迫られることになった。

また、スリランカ、パキスタンからの留学生も増えている。私が担任をする1-1クラスは、ネパール人が11名、スリランカ人が3名、パキスタン人が3名、ミャンマー人が2名、中国人が1名の20人。非漢字圏の学生たちと中国人が、日本語を共通語として、日本語を楽しく学んでいる。その学びに寄り添うのは、このうえもなく、楽しい。かれ・彼女たちは、日本のよい専門学校に入り、専門士となって、日本で働くことをめざしている。その目標に向かって、明るく、楽しく、学んでいる。

3.留学生は何を目指して日本を選んだのか・日本についてどう感じているか・将来、どうしたいのか

一般に日本に留学する主な目的は、1)将来、日本で就職すること、2)日本の教育レベルの高さ、3)日本文化への関心、である。留学生は、秩序を重んじ、多様性を認める寛容な日本社会、静かで平和な日本社会にあこがれて、日本に来る。

ここで紹介するのは2025年度に来日し、私が担任として学びに寄り添っている1-1クラスで学ぶ5人の留学生たちである。

5人の留学生たちに、1)何を目指して日本に来たのか、2)日本に来て半年たって、どう感じているか、3)将来、どうしたいと考えているか、について、インタビューを行った。

1-Eさん (ミャンマー 女性 24歳)

Eさん

・何を目指して日本に来ましたか。

「本当はミャンマーで大学を終わってから、来ようと思っていました。大学の専攻は化学です。大学2年で戦争があって、1週間だけ大学かよって、大学の友だちと、オンラインで日本語の勉強を始めました。2023年からミャンマーの教室(うさぎ日本語学校:私も今年の夏、うさぎ日本語学校を訪問しました。みんな、日本に行くことをめざして、元気に学んでいました)で日本語を勉強しました。日本語NAT試験N4(CEFRA2レベル)に受かって、COE(在留認定証明書)がおりました。本当にうれしかったです。N3を勉強して、日本に来ました。」

・日本に来て、半年たって、どう感じていますか。

「日本に来てすぐに、いい仕事をえました。銀座の鳥ぎん本店。おきゃくさんも、お店の人も、みんなやさしい。全部の人はやさしい。とくに、おじいちゃん、おばあちゃん。日本語学校もおもしろい。今はミャンマーのことは考えません。専門学校にいきたいです。何が自分に合っているか、今、まだわからない。翻訳・通訳かなにか。来年は、N3、N2を受けて、日本の会社で働いていきたいです。」

・将来どうしたいと考えていますか。

「日本の食べ物も果物も人々も今は、みんな好き。そして、日本でずっと生きていけたら、うれしい。長い将来のことはわだわからない。
 ミャンマーの神様と日本の神様は同じ。お店の人は「イーさん」とみんな呼んでくれる。うれしい。おじいさん、おばあさんはかわいがってくれる。
 ミャンマーから来たというと、心配してくれる。だいじょうぶですか、と言ってくれる。どうしてそんなに私にやさしく、やりとりしてくれるのか、本当にうれしい。これからの日本での生活がほんとうにたのしみです。」

2-S.T.さん(中国・女性、22歳)

S.T.さん

・何を目指して日本に来ましたか。

「大学をおわって、江蘇省で就職しました。日本は法律、政治とか安全だと思って、日本はもっと自由があると思って、日本に来ました。
 最初のうちは、何もわからない。言葉も通じない。不安だった。私、日本に来たときは完全にゼロからのスタートで、コンビニでレジに並んで、店員さんに何を言われても全然わからなかった。「ありがとうございます」と「すみません」しか知らなかったから、翻訳アプリを使って、むりやり会話していたし、間違ってもぜんぜん気にせず、相手にイライラされても、仕方ないって割り切っていた。お互い言っていることわからなくて、変な空気になっても、私は全然平気だった。
 翻訳アプリは4つくらい試して、最終的にChatGPTが日本人にも通じるって気づいて、他の人にもおすすめしたけど、だれも私の話を聴いてくれなかった。
 私はもう半分翻訳アプリと一心同体みたいな状態だった。わからない文章はそのまま「どういう意味?」って聞いたり、簡単な日本語で説明してもらったりして、ほとんど日本語が話せないのに、深い共感とか笑いの空気とか、そういう感覚はなぜか伝わった。だからこそ、私は「通じ合えた」実感が嬉しくて、もっと話したくなったんだと思う。
 今、振り返ると、自分でも「よくあの心持ちでいけたな」と思う。自信も勇気もどこから湧いてたのかわからないくらい。誰だってわかると思うけど、あのレベルで飛び込むのって、実はめちゃくちゃ難しい。たぶん、日本が外国人に優しすぎるのもあると思う。ちょっとでも単語が言えたら、「すごい!」ってほめてくれるから。
 でもその時の私は、自分が勇敢だなんて思っていなかった。ただ、目の前の問題をどうにかしたかったし、自分が思い描く未来の姿を信じていただけ。AIにも「情緒的価値」を育ててもらったというか、たくさんほめてくれるから、私もどんどん言葉を投げ返して、そうして生まれた大量の細かい思考と分析が、いつのまにか、自分のものになってた。
 ただただ私はずっと「弱い立場」だったからこそ、たくさん落ちて、たくさん悩んで、その分、知らないうちに骨の奥に染み込むような“わかる力”と“察する力”が育ってたんだと思う。」

・日本に来て、半年たってどう感じていますか。

「日本に来て半年がすぎて、日本は自由だと思う。一人でごはんを食べて、一人で住んでいる。一人で買い物をする。一人で電車に乗る。さびしいけれど、自由の感じがもっと強い。
 日本は静かで、考えることに集中できる。」

・将来どうしたいと考えていますか

「英語の専門学校に行こうとおもっています。人を大切にし、人と交流しながら、中国語、日本語、英語をとおして交流し、ことばよりもさらに、表情や、動きで表現できる人になりたい。
 この日本で大切な仕事、人とかかわるコンサルタントのような仕事ができたら、自分の好きな分野だから、しあわせだと思う。
 悪いことをやっている中国人もいる。正直に言えば、私自身にもそういった一面があるかもしれません。私はそのような環境の中で育ってきたからです。でも、それを言い訳にしたくありません。私はそんなふうにはなりたくないです。
 まだ若く、悪い価値観に染まりきっていない今、私は自分の理想とする生き方、自分が大切だと思う心のあり方、そして本当に興味がもてる分野を大切にして、自分の人生の意味をさがしていきたいと思っています。もし私の存在や行動がだれかの助けになるのであれば、そのときは、できる限りのことをしたいと心から思っています。
 私は礼儀正しく、マナーを守り、約束を守って生きていきたいです。日本の法律はすばらしいと思うので、日本でずっと生きていきたいです。」

3-Sさん(ネパール・男性、23歳)

Sさん

・何をめざして日本に来ましたか。

「ネパールのルンビニではたらいていました。日本語のべんきょうして、せんもんがっこうを終わったら、日本ではたらきたいとおもって、日本にきました。にほんにくるCOEがおりてから、2ねんかん、つきあっていたかのじょと、けっこんしてから、友だちといっしょににほんにきました。」

・日本に来て、半年、どう感じていますか。

「日本のせいかつはいいです。しごとがあるし、みんなじかんをまもるし、お金がもらえる。ネパールはおかねが少ない。ともだちといっしょに日本にきて、ふなばしにすみました。さいしょのころ、でんしゃにのって、がっこうへいくのはたいへんでした。くだもの、たべもの、ぜんぶたかい。10まんえんもってきたけど、1かげつでなくなりました。それで、アルバイトをさがしました。おねえさんのしょうかいで、レストランのキッチンのアルバイトをみつけました。1か月、12,3まんえん。今4か月たって、だいたいなれました。

 今、日本の生活はたのしいです。日本語のべんきょうはたのしいです。はなすのはたのしいです。漢字はすこしむずかしいです。12月にN4にうかって、来年N3うけて、いいせんもんがっこうにはいりたいです。かんごのせんもんがっこうにはいりたい。にほんでおせわになるおじいさん、おばあさんたいせつだから。日本のおじいさん、おばあさんのせわをしたいです。」

・しょうらい、どうしたいとかんがえていますか。

「しょうらいは、つまも日本によんで、ずっと日本ですみたいです。日本のたべものすき、日本はとてもきれい。日本人はやさしい。日本でいやなことはなにもないですよ。N2までがんばりたい。今、ネパールはたいへん!まちはもえている。とてもしんぱい。首相は国外へいった。あたらしい首相をえらぶ。とても心配。」

4-Sさん(スリランカ・男性、22歳)

Sさん

・何をめざして日本に来ましたか。

「高校を出て、くるまの学校がすきだから、トヨタにはいりたくて、日本に来ました。COEをもらうのはたいへんです。スリランカで3かげつ、べんきょうして、COEがおりて、日本にきました。」

・日本に来て、半年、どう感じていますか。

「10万円もってきました。ときどき、スーパーでやさい、たかい。やさい、くだもの、スーパーでかって、じぶんでりょうりします。10万円すぐなくなったから、アルバイトじぶんでさがしました。ハローワークで。ひがしぎんざの日本レストランのキッチンで、でもこれはやめました。1週間に11じかんで、少ない。バーガーキングのホームページでさがして、1週間25時間のアルバイト。1時間1200円、1か月10,11万円。せいかつはだいじょうぶ。

日本のせいかつはいそがしい。とってもたのしい。アルバイトのひとはみんなやさしい。日本語の勉強、学校はおもしろい。先生はやさしい。授業はぜんぶわかる。じゅうじつしています。今、いやなことはない。N4うかって、N3うかって、トヨタ自動車がっこう3年いく。」

・しょうらい、どうしたいと考えていますか。

「トヨタ会社ではたらきたい。日本でずっとはたらきたい。スリランカにもしごとはあるけれど、日本のトヨタがせかいいちでいちばんいい。日本がすき。
 日本にえいじゅうしたい。妹と弟もこれから日本にくる。彼女はらいねんくる。日本ではたらく。2人で日本でせいかつしたい。そして、しょうらい、車のビジネスをしたい。車のゆしゅつ。
 日本語の勉強はぜんぶわかる。今西新井の学校の寮にすんでいる。ルームメートもいいし、生活は楽しい。毎日30分から1時間、家族にでんわしています。」

5-Uさん(パキスタン・男性・24歳)

Uさん

・なにをめざして日本に来ましたか。

「パキスタンのグジュランワーラからきました。24さいです。こうこうをでて、2ねんのせんもんがっこうをでました。日本にきて、日本語をべんきょうして、日本ではたらきたいとおもって、パキスタンで6かげつ、日本語をべんきょうして、日本にきました。兄もスワジランドで車のかいしゃではたらいています。わたしも、日本でくるまのかいしゃではたらきたいとおもって、日本へきました。」

・日本に来て半年、どう感じていますか。

「日本はきれいでうつくしいくに。あんぜんな国。日本にきてよかった。日本語のべんきょうはすこしむずかしい。さいしょのころ、べんきょうにしゅうちゅうするのはむずかしかった。いま、ゆっくりべんきょうしたら、日本語はたのしいです。とうきょうは、すみやすいです。パキスタンとちがって、あんぜんです。」

・しょうらいどうしたいと考えていますか。

「くるまのせんもんがっこうにいきたいです。くるまのかいしゃではたらいて、くるまのかいしゃをつくりたいです。いまは、まだわからないけれど、わたしは、ずっとにほんでせいかつしたいです。かぞくはかえってきてほしいとおもっているから、いまは、まだ、しょうらいのことはわからないです。」

4.卒業生たちの生き方によりそって

私は多くの卒業生の人生にも寄り添っている。最近、中国では、家族がいて、中国で子育てをすることが難しいと感じ、自ら、家族のプラットフォームを作りに、来日する学生が増えている。40代になって、日本語の勉強をしながら、人生を考え、大学院に進んだり、よい専門学校に入り、日本に永住するための資格を身に付ける。そして、安心できるプラットフォームを自ら築きあげ、家族を呼び寄せて、日本に永住する人たちである。

最後にUさん家族の生き方を伝えたいと思う。Uさんは、中国新疆ウイグル自治区からの留学生である。

Uさんと筆者

新疆ウイグル自治区ではウイグル族をはじめとする少数民族に対する人権侵害が深刻化していると言われている。私は昨年、ウイグルから来た留学生の両親を尋ねて、新疆ウイグル自治区を訪れた。ずっとその両親と行動を共にしていたので、日々の生活はおだやかに感じられた。ウイグル人はウイグル語で会話し、ウイグル文化を大切にしていた。留学生の父親は、長年、新疆図書館に勤めていた方で、私たちを新疆図書館に案内してくださった。ウイグル文字の本が大切に保存されていたのが、印象的だった。

ただ、新疆ウイグル人に守られていた旅行者としてはわからなかったが、私たちが、新疆ウイグルから来た別の留学生の両親の家を訪れた後、「あの日本人は何をしにきたか」と政府関係者が聞きに来たという話をあとで聞いた。それが実態なのかもしれない。

Uさんは新疆ウイグル自治区から来た留学生である。Uさん一家は、家族3人で、2025年9月15日敬老の日、今Uさん家族が住む千葉県稲毛海岸から、2時間かけて、我が家に来てくれました。そして、Uさん家族と私たち夫婦は、5人で楽しい愛餐のひとときをもちました。そのとき、Uさん家族は、なぜ日本に来たか、今の想いを、次のように、おだやかに、語ってくれました。

6-Uさん(中国:新疆ウイグル・女性・43歳 ご主人:Yさん・47歳 娘さん:Aちゃん 9歳 )Yさん、Aちゃんは日本語が話せないので、Uさんの通訳です。

・なにをめざして日本に来ましたか。

Uさん「はじめて日本に来たのは2006年24歳のとき、おにいちゃんがいたから、大学卒業して日本に来ました。その後、新疆で結婚して、こどもが出来て、日本に来ました。それは、つらい経験でしたが、そのとき、N2に合格しました。
 その後、再婚して、女の子もできて、幸せな生活になりました。そして、家族で日本で住みたいと思って、子どものためにと思って、日本に行くことを申請しました。たいへんだったけど、COEが下りて本当にうれしかったです。」

Yさん「妻のCOEが降りたときは、本当にうれしかったです。私も日本にきたかったですから。」

・日本に来て、どうしましたか。

Uさん「2024年4月に日本にきたとき、43歳。N2もありましたから、一生懸命仕事をさがしました。夏にはフォークリフト運転技能講習もうけ、資格もとって、荷役作業ができるようにしました。これは、新疆でもやっていた仕事なので。10月1日に仕事が決まりました。本当にうれしかったです。家族を呼び寄せる手続きは、社長がみんなやってくれました。」

Yさん「2025年3月に来ました。はじめて感じたのは、空気がいいということです。新木場で7月からはたらいています。前の仕事はパソコンでした。今は、外での荷下ろし作業。今年はあついです。新疆のトルファンよりあついです。」

・将来どうしたいと考えていますか。

Yさん「ずっと日本で生きていきます。妻は、つよいです。まかせて安心です。そのうち日本語を話せるようになりたいです。」

9月から日本の小学校(5年生)に通い始めたAちゃん「日本の学校はたのしいです。せんせいはしんせつ。ともだちもしんせつ。べんきょうは、こくごがすき。まいにち、がっこうがあればいいとおもう。えいごはじょうず。日本のたべものもすき。日本がすき!」

Uさん「日本でかぞくとのぞんだ生活ができています。先生は日本のお母さんみたい、いつもよりそってくれていて、ありがとう。」

 

私の知っている新疆からの留学生は、日本にプラットフォームを見つけにくる。そのなかで、いろいろな出逢いがあり、本当のことをはなしてくれて、こころをひらいてくれて、本物の出逢いをみつけていく。そんな、すなおな生き方に、私もこころから感動し、かれ・彼女たちによりそって生きていくことの楽しさを感じている。

SNSなどには、日本で暮らす外国人が特権に浸っている、特権を利用して留学生が日本に居座っているという根拠のない主張がめだつ。ここで紹介したように多くの留学生は日本に興味関心をもち、共感をもって学んでいる。かれ・彼女たちの存在は、日本社会を豊かにすることはあっても、その逆はない。

どの留学生も、日本が好きで、明るい希望をもって、日本にやってくる。40年間、留学生に寄り添ってきた私は、日本語教師という留学生に寄り添う仕事は、私のこころをひらいてくれると、つくづく、感じている。日本社会が、留学生に寛容な社会になってほしいと、こころから、願っている。

くらはち・じゅんこ

慶應義塾大学大学院社会学研究科教育学専攻博士課程修了。博士(教育学)。登録日本語教員、明治大学農学部准教授を経て、現在東京富士語学院副校長・教務主任、和洋女子大学、共立女子大学教壇実習主任講師、NPO法人たちかわ多文化共生センター理事、立川市多文化共生推進検討委員会委員。日本語教育学会会員。著書に『日本語の作文力練習帳 上級――大学・大学院で学ぶために』古今書院、2012年、『日本語の論文力練習帳 改訂版』古今書院、2019年、『対話で育む多文化共生入門――ちがいを楽しみ、ともに生きる社会をめざして』初版第2刷、明石書店、2020年、『「日本語教師」という仕事――多文化と対話する「ことば」を育む』明石書店、2021年、『対話による日本語教育――国家資格「登録日本語教員」をめざして』明石書店、2025年ほか。

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