特集 ● 2025年11月・秋

高市・延命自民党よりも野党に課題

政権交代へ、後戻りできない「転換のための政策」による野党結集を

本誌代表編集委員・日本女子大学名誉教授 住沢 博紀

1.自由主義諸国の政府はおしなべて不安定という時代

高市早苗自民党総裁が誕生し、その後、日本の憲政史上、初めての女性首相が誕生したことは、日本及び世界のニュースとなっている。当面、世論の支持も高いようである。しかしこの問題は、上野千鶴子の「うれしくない」というSNS投稿とそれに続く賛否の意見、さらには11月2日付、朝日新聞の上野に対する質問記事に委ねる。そこでは高市首相の「初めての女性」ということに何の意味もないことが、明晰に述べられているからである。フェミニズムの立場に立たなくても、「男並みになろうとか強者になろうとしなくても、女が尊重される。そんな社会をつくる政治の誕生を期待しています」という発言に、市民の感覚からでも同意できる。そして高市女性首相が誕生しても、日本はそうした政治や社会から、世界のどこよりもまだほど遠いことも。

女性の高市総裁が誕生しようが、若い小泉総裁が誕生しようが、この3カ月の「政治空白」の本筋は、自民党が2回の国政選挙に敗れ、衆参とも少数派政権に陥ったことの後始末にある。さらに高市総裁のもとで、旧安倍派の人脈を引く自民党執行部が成立したことにより公明党が離脱し、新しい連立の組み換えが必要となった。「地域政党」日本維新の会が自民党と連立を組むことになり、これまで相対的に「安定」していた日本の連立政権も、現在の欧米諸国並みの不安定な政府となった。こうして日本も「普通の国」になった。

現在の自由主義諸国の政府は、押しなべて不安定な時代を迎えている。「歴史的勝利」を飾ったはずのスターマー・イギリス労働党、何度も新首相に組閣させることに追われているマクロン・フランス大統領、重要政策をめぐり亀裂の危機にさらされる保守・社民連立政権のメルツ独首相、いずれも右翼ポピュリスト政党による批判に直面しており、世論調査でも支持率は危険水準にある。

しかし右翼ポピュリスト政党が政権に就いた場合でも、もともと「システム反対派」の集合体であり、自らの統一した政権構想がないので、オランダのように連立が破たんするか、イタリアのメローニー首相のように、EUの政策を批判しつつ大きな枠組みは継承することになる。ハンガリーのオルバーン首相もメディア・司法に対する権威主義的介入により政権を維持するが、批判勢力と拮抗しており不安定である。これにトランプ化したアメリカ共和党を加えると、内政の行き詰まりを、関税を手段とした通商政策で、あたかも成果があるように見せかけているが、これも破綻するのは時間の問題でもある。

こうした西欧自由主義諸国の不安定化に対して、フランスの歴史人口学者、エマニュエル・トッドは『西欧の敗北――日本と世界に何が起きるのか』(文芸春秋社2024)という視点で説明し、日本ではベストセラーになっている。ロシア、中国などのBRICs諸国やサウジアラビアなどの権威主義体制が優勢な世界が生まれる時代的背景を分析し、近代自由主義世界(そのコアとなるのはアメリカ・イギリス・フランス)の普遍的とされる諸価値の限界・衰退を指し示す。

そうであればこれからの21世紀は、普遍的な価値を共有しない、多極的な世界ということになる。それが平和共存できる世界か、それとも軍事的衝突も含む紛争多き世界なのか、まだわからない。ただ多極構造の中でも、経済力、技術力、軍事力などパワーを持つグループが優位を持つことは容易に想定できる。これがトランプ、習近平、そしてプーチンが現在進めていることである。

それでは西欧諸国並みの「普通の国」、不安定な自由民主主義体制になった日本では、私たちは何ができるのだろうか。高市首相のもとでの自民・維新の会の連立政権にどう向かい合えばいいのであろうか。

2.多党化と自民党の巧妙な延命・連立戦術

新聞・テレビなどの旧メディアも、高市寄りのSNSや週刊誌も、女性首相誕生、さらにはAPECでの様々な首脳会談への論評で溢れている。安倍政権からの外交、経済政策、官僚操縦の専門家3人をブレインとして任命した高市政権の出発点の演出は手慣れたものだった。しかし同時に既視感が伴う。

過去30年、日本の失われた30年を担ったのは、3年3カ月の民主党政権の幕間劇を除いて、自民党であり自公連立政権であった。この客観的事実に立てば、誰が自民党総裁になろうが、政権からの退場を促すのがデモクラシーの常道である。しかし2009年の民主党政権の失敗もあり、自民党政権は2012年末の第二次安倍自公連立政権からさらに13年も継続することになる。

この延命政権が可能となったのは(1)小選挙区と比例代表制を並立させている選挙制度(自公の選挙協力が最適化できるシステム)、(2)分裂と再編、新党設立を繰り返す野党陣営の混乱、(3)選挙のたびに目新しい政治家、政党、政策に投票する多くの無党派層有権者の存在である。

しかし更に大事なことは、(4)政権維持に向け、自民党はその都度さまざまな連立や(野党の分裂も含め)、党内派閥を活用した疑似政権交代を演出し、同時に目新しいキャッチコピーを打ち出し、巧妙に延命政策を打ち出せてきたことにある。この点での自民党の延命能力は認めざるを得ない。そしてそれは日本の不幸であったし、これからも不幸であり続ける。

1994年、野党・社会党党首を首班とする自社村山政権、1998年、「借金王」と揶揄された小渕政権の積極的財政出動とその後の赤字財政の蓄積、「自民党をぶっ壊す」と日本のポピュリズムの道を拓いた2001年の小泉政権、2012年、アベノミクスと「異次元の金融緩和」を掲げ、円安と株価回復は実現したが、産業立国日本の衰退を止めることができなかった安倍自民党復活政権まで。

このように自民党とその指導者たちは政権の延命策には成功したが、日本の衰退と社会的な分断―正規・非正規雇用システムの継続、中央・地方の格差拡大、少子・高齢化のさらなる進展と結婚すらできない若者世代の増加、30年間成長がとまったままの小・零細企業 ―― を緩和することすらできなかった。

さらに衆議院選挙結果を見れば歴然だが、自民党は2005年の2588万票から(比例区)、民主党に敗北した2009年では1881万票に落ち込み、それ以後、大筋では1800万票前後であり敗北した時と変わらない。参議院議員選挙でも同じだから、自民党の基礎票は1800万票という事である。さらに昨年の2024年選挙では1459万票にとどまり、この7月の参議院選挙では投票率の上昇にもかかわらず1281万票にまで落ち込んだ。そして衆参少数派となった現在、高市自民党がたどり着いたのは、「地域政党」維新の会との閣外協力という変則的な連立である。

3.地域政党のリスク、自民党の右傾化のリスク、シン自民党へ

26年続いた自公連立は、日本の衰退を留めることはできなかったが、いくつかのブレを伴いつつ戦後日本の大きな枠組みは維持してきた。公明が連立を離脱した今、「地域政党」維新の会との変則連立は、多くのリスクをはらんでいる。これに議会での多数派獲得のために、参政党や保守党などの勢力と部分協力する誘惑を受け続ければ、国民政党を自認する自民党そのものが右派ポピュリスト政党に変容する可能性もある。

日本維新の会は国政政党を目指しているが、党運営は失敗の連続で、2013年衆議院選挙の1226万票をピークに、2024年選挙では511万票に、7月の参議院選挙では438万票に落ち込んだ。実質的には大阪を中心とする近畿数県の「地域政党」といってよいだろう。そしてこうした地域政党の成立が、自由主義諸国のこれまでの政党政治を不安定に追い込む一つの要因となっている。

冷戦終結後、自由主義諸国でそれまでの政党システムが最初に崩壊したのはイタリアであった。キリスト教民主党や社会党が利権まみれで不信感を持たれていたが、そうした利益配分政治に反発した北部同盟という地域政党の登場が発端となった。地域政党は地域の利益を擁護する過程で、政府批判にも政府との協力も可能であり、多党化する中ではキャスティング・ボードを握り、また地盤となる地域での選挙も安定して継続力を持つ。スコットランド国民党やスペインのカタルーニャの地域政党など、地域独立を目指す政党も、議席数は少なくても場合によっては政権にとって重要なパートナーとなる。

近年で注目すべきはドイツのAfD(ドイツのための選択肢)である。旧東ドイツのいくつかの州で、東西格差の問題や反移民運動、それにEU批判(これらはすべてドイツの政権を担当してきた既成政党への批判)などで存在感を示し、この段階では旧東ドイツの地域政党であった。しかしその後、シリア難民などの問題が全ドイツで大きな政治争点となり、またウクライナ戦争によるエネルギーの高騰など、ドイツ経済の停滞が深刻化するにつれ、AfDは「体制反対派」政党として、その支持者は全ドイツに広がった。

この地域から始まった右翼ポピュリスト政党AfDは、もう一つの問題を生み出す。それは国民政党としての保守政党の基盤を揺るがすことである。自国ファーストを掲げることは、国民の伝統を擁護する保守政党にとって当然のことであるが、経済のグローバル化やEU統合の深化によって、何が国益かは説明を要する事柄になり、反移民、主権の回復などを訴える右翼ポピュリズムのほうが、人々の耳目に入りやすい。とりわけ州選挙や自治体選挙でこうした右翼ポピュリスト政党が多数派に迫ってくると、保守政党でもその対応として、国益や移民削減などポピュリスト政党のテーマで競争するか、それとも対立のハードルを下げて協力関係を築くか、などの誘惑にかられる。

国民政党の右傾化のリスクが最も高まっているのは、議会主義の祖国、イギリス保守党である。ブレグジットを推進したファラージが党首であるポピュリスト政党、リフォームUKは、今や保守党を凌駕して保守の主流になりつつある。しかも現在の保守党執行部は、移民政策などポピュリスト政党のテーマに引き込まれその中で競争しているが勝ち目はない。これが右傾化のリスクである。

地域政党や右翼ポピュリズム政党の台頭の問題こそ、現在の自民党が置かれた状況でもある。キャスティング・ボードを握る地域政党、日本維新の会との連携、あるいはより右のポジションを主張する、保守党、参政党などへの数を確保するための接近など、縮小する自民党にはいくつもの誘惑が生まれる。自民党の右傾化のリスクである。リスクというのは、維新の会との12項目の合意文書を見ても、その内容や決定過程、党内でのこれまでの政策や議論との整合性など、いくつかの点で国民政党としての自民党の存在を脅かしているからである。

90年代の自社連立も同じようなリスクがあった。しかし当時の自民党は政治家の人材レベルでも、党組織としても、党分裂に耐えるだけの力は健在であった。今はそうではない。自民党の右傾化リスクとは、自民党が様々な利害を調整する国民政党としての立ち位置を放棄し、ポピュリスト政党に傾くことを意味する。とすれば、健全な保守主義を自認する一部の自民党の政治家が、「シン自民党」として独立するしかない。公明党が信頼して選挙区協力を継続できる自民党政治家、それに大阪で維新の会に対抗できる大阪シン自民党などが、国民政党自民党の再生に寄与できるだろう。

4.政権交代にこだわる立憲民主党の「発想の転換」が必要

90年代の政治改革の原点は、自民党長期政権の金権政治と政官民の癒着構造と決別するために、イギリスの二大政党制をモデルとした「政権交代のある民主主義」とそのための制度改革であった。2009年、鳩山民主党政権によりこの目的は実現されたかのように見えたが、反自民のさまざまな流れの大きな塊であった民主党は、小沢一郎のいう「権力の持つ求心力」ではなく、逆にその内部の雑多性が生み出す遠心力ゆえに自壊した。

その後も最大野党、民政党から立憲民主党まで、政権選択選挙として野党の「大きな塊」への結集を呼びかけてきたが、自民党がシステムとして作り上げた与党の持つ権力への求心力のほうが強く、今また、日本維新の会がそのシステムに引き寄せられている。

この自民党の権力維持システムと対をなすのが、野党の分裂やその都度のポピュリズム政党の登場であった。しかし自公連立政権が衆参両院における少数派政権に陥り、第3、第4の連立相手となる政党とも組む必要に迫られた段階で、安定していた連立相手の公明党が、高市政権誕生とともに離脱したため、まったく新しい政治状況が生まれた。このポイントは二つある。

第一のポイントは、高市自民党総裁のもとで公明党が連立離脱してからの姿を見れば、様々な野党と連立協議を強いられることである。しかも参議院でも少数政権であることを考えれば、日本維新の会、国民民主党、保守党、参政党など、様々な政党とパーシャル連立、あるいは政策協定を結ぶことになる。そこでは自民党も様々な妥協を強いられる。それが自民党の得意な、曖昧な協定規程や実行を将来に委ねる「空手形」となる可能性も高いが、自民党が避けたい政策に関しても交渉のテーブルに乗らざるを得なくなる。

第二のポイントは、立憲民主党が政権交代を掲げて野党を結集しようとすると、必ず基本政策をめぐる不一致がいずれかの政党から出される。今年の参議院選の後で、立憲民主党が国民民主党の玉木氏を担ぎ政権交代を試みた時に、安保法制を憲法違反とする立憲民主党の立党の原則と脱原発政策が、国民民主党の基本政策と相いれないとして、玉木代表が拒否する口実となった。こうした「基本政策の不一致」は、それが協力を拒否する口実であれ、あるいはそれぞれの政党の本来の基本政策と相いれないものであるにせよ、左右のポピュリスト政党がいくつか生まれ、また中道派内でも多党化が進行する現在、常に浮上する問題である。

この点では、2009年までの、野党の「大きなかたまり」を作った政治改革の流れとはもはや完全に異なっている。ここで野党第一党であり、政権交代の実現を党の存在根拠としてきた立憲民主党は、発想の転換が迫られている。政権交代はそれ自体が目的ではなく、より民意を反映し、人々の生活や日本の未来に希望を与える国にすることが政治の役割りであるとすれば、そのための基本的な政策作り、与党の一部も含め広範に一致できる政策作り、そして暫定ではなく、もはや旧来の政官民の既得権政治に戻ることができない制度設計、こうした枠組み作りが野党第1党の立憲民主党の責任となる。 

確かに少数与党であり、維新の会との不安定な連立政権に対しては、野党は様々な手法で攻勢に出ることができる。そこではまっとうな政策もある。現在、共産党も含めた6政党で合意したとされるガソリン暫定税率廃止はその一つである。

ただしリスクもある。ポピュリスト政党が台頭し、また多党化が進んだ現在のEU諸国の政治が示すように、それぞれの個別の法案により恩恵を被る人々は喜ぶかもしれないが、逆に不利益になる場合もあり、首尾一貫性や整合性に欠ける場合も生じる。こうした転換のための法案や制度作りは、持続可能性を第一に想定して行わなければならない。それが当座の目に見える利益還元主義や、市民の権利を等閑視して人々の感情的な要求に応じようとするポピュリスト政党と区別される点である。

過去30年の自民党の延命作戦は日本を不幸にしたのだから、それを絶ち切る方法を私たちは見つけなければならい。その際に、政権交代への野党の数を求める結集論は、過去の経過を見ると現実的な戦略ではない。政権交代とは、いくつかの「後戻りできない政策・制度」が実現した結果として、その実績を通して生まれてくるのではないだろうか。

5.何が「転換のための政策・制度」か――後戻りできない政策の実現

国民民主党が昨年の衆議院選で提起した「103万円の壁」は、その実質的な節税効果よりも、若者世代の政治への関心を呼びおこし大きく票を伸ばした。また消費税廃止論は、いつの世にも特定の支持者がおり、小政党にとっては魅力的なスローガンである。しかし前者は、「手取りを増やす」にはあまりにも特定のグループに限定されており、後者は、日本の税収入に占める消費税の割合からいって不可能である。責任ある野党が提案できる「転換のための政策」とは、現時点では次のいくつかの案件が想定できる。

先ず優先されるべきは、過去50年以上、日本政治の原罪ともいえる「政治とカネの問題」に決着をつける政策である。後戻りができない制度設計とは、企業・団体の政治献金禁止である。本来は、企業・団体献金の廃止とそれを補填する政党交付金導入とセットで、1994年の政治改革4法案で決められているが、企業・団体献金廃止に関しては「5年後の廃止」という付則がつけられ、それが現在まで延期されているわけである。

参議院選の前には、立憲民主党、維新の会、共産党、れいわ新撰組など野党5会派での一本化がなされ、国民民主党と公明党は、献金上限額の規制や寄付を受け取る団体を政党本部や都道府県連などへの限定案を提出したが、6月の国会では継続審議となった。そして維新の会は、高市自民党総裁との連立協議に関して、企業・団体献金の禁止が重要項目と述べつつも、いつのまにか、小選挙区の議席削減が絶対条件と問題をすり替えた。

ここで読みとれることは、自民党にとって、企業・団体献金の維持は、それこそ党存続の絶対条件であるという事である。小選挙区制において、自民党は多くの現地私設秘書を採用して、さらには地域の自治体議員と連携する体制を構築している。そのためのコストは、政党助成金の配分では全く足らない。自民党は組織構造からして金権体質となっている。野党の場合は、そうした経費も人員もかなりの部分は省略できる。しかし選挙戦に向け「政治団体」からの献金は必要としている。ここは立憲民主党や国民民主党も、どこまで身を切る覚悟があるかが問われる。現役労組の選挙ボランティアは困難でも、産別組合の退職者のボランティアなど、選択肢はあるはずである。

公明党が野党になった今、公明党・国民民主党の提言ラインで、野党が出発点として合意できれば、政治とカネの第一の難関は突破できるはずである。そこから、後戻りができない「転換のための政策・制度」が進展する。

こうした発想に立つと、いくつかの課題、政策と制度が浮かび上がる。原発か脱原発かという、不毛な対立ではなく(設定が無駄というわけではなく、結局は現状維持で終わるというリアルな体験)、あるいは安保法制が違憲か否かで対立線を引くという、これまた現状承認で終わる可能性の高い選択ではなく、与党や政府もふくめて審議の拒否が難しく、国会での採決に追い込めるような提言を試みることである。

こうした視野を持つ法案や制度作りはいくつか考えられる。

――高校授業料無償化は旧民主党が掲げ、段階的に実施されていき、現在では全国的な制度となりつつある。高齢社会と日本の衰退の中で、若者支援は不可欠、かつ優先的な課題となる。次に問われるのは大学生、大学院生への給付型奨学金の拡大、職業教育や就業支援のための実効力のあるサービス給付、貸与型奨学金の返済に悩む若者世代への負担軽減など、これらは個別ではなく、全体のパッケージの中で提言されるべきである。

――18歳に選挙権が引き下げられたが、若者世代の投票や政治への関心は依然として低い。結果として、30~50歳代のSNSインフルエンサーにより、過剰な影響を受けることになる。現在の地方選挙での25歳被選挙権を18歳まで引き下げれば(ヨーロッパ諸国では多くの事例がある)、多少とも政治に対するリアルな感覚を持つ媒介になるかもしれない。当然、その場合に、選挙活動、あるいは4年間の政治家の期間を、大学生であれば休学制度、社会人であれば休職制度など、不利益ではなくむしろキャリアにプラスとなるような制度を伴う必要がある。

――失われた30年とは経済成長が停滞したことを意味する。しかし後半15年には大企業や中堅企業は成長を回復しつつあるが、収益は社内に留保され投資に回されていない。もう一つの要因は、小企業、零細企業では成長が全く見られないことである。雇用効果も日本ではこの部分が大きい。社内留保の投資への活用、そして最低賃金の1500円への引き上げによる小・零細企業の構造転換、この二つのセットが経済成長政策の軸をなす。AIなど先端産業の育成は華々しいが、人々の生活や雇用に直結するのはこの部分の構造改革である。とりわけ小・零細企業の転換には、税制および財政的な支援が不可欠であり、なんらかの優先的な基金の設立が必要だろう。しかもこうした政策に正面きって反対できる政党はない。

――脱原発か原発継続かという選択肢は、野党を分裂させるだけで何の意味もない。原発の多くは福島原発事故以後の新しい条件を満たすことができず再稼働すらできていない。エネルギー政策の理念ではなく、地域再生と地域のエネルギー自立を結びつけるいくつかの政府プロジェクトが実現すれば、加速的に全国に広がってゆく。結果として持続可能な再生エネルギーが主流となるようなシステムを構築できる。EU諸国にはこうしたモデルが数多くある。日本でも原発をめぐるイデオロギー論争を離れれば可能である。

――石破内閣時に始められた、自民・公明・立憲民主党の「給付付き税額控除」制度は導入協議まで進んだ。高市内閣でもこの協議を進める方針ではあるらしいが、おそらく制度設計を理由に先送りされるだろう。コロナやインフレ対策などのさまざまな給付金給付のしくみ、消費税の低所得層への負担軽減など、この制度に含まれる課題は多い。これまで立憲民主党が推進役となっており、各党で制度設計には多くの隔たりがあるが、もし立憲民主党が政党を超えて一つの統合的な案にまとめることができれば、それこそ政権担当能力を証明することにつながるほどの重要課題であり、未来に向けた制度となる。

――最後に挙げるのは、もっとも費用がかからない政策ではあるが、イデオロギー対立が最も深刻なテーマ、選択的夫婦別姓問題である。推進側は経団連と連合の双方でもあるように、また国民の多くも支持してように、本来はイデオロギー問題ではなく、グローバル時代に働く女性の不利益を解消するための手法に過ぎない。しかし同姓夫婦と子供という伝統的家族像へのリスク、姓による家族の継続の根拠となる戸籍の混乱など、自民党やそれより右派である政党・団体は、日本の伝統文化・習俗の危機として原理的に反対している。

この問題こそ、日本の失われた30年の文明史的背景、つまりグローバル時代に対応した意識・制度改革を怠ってきた日本の根源的な問題である。明治の文明開化には反省点はあるにせよ、その近代化が与えた成果を否定する人は現在ではいない。また自民党がいう伝統的家族像も実はこの西欧近代の産物であった。この問題への取り組みは、日本が失われた30年を克服し、グローバル時代にひらかれた社会となるための試金石となる。

6.結論:安全保障政策での「右翼ばね」に要注意

これまでのところ、内政、外交に関して、高市政権は大枠において石破政権を含めた自民党を継承している。不安定な連立政権の元では、財政を含む大きな政策転換はそもそもできない。ただそれだけ、憲法改正を党是とする自民党の岩盤支持層、日本維新の会や参政党、保守党などの支持者に訴え、自民党に取り戻すため、ナショナリズムや「日本ファースト」を強調するなど、「右翼バネ」により存在を誇示しようとする作戦も想定できる。

総裁前の高市早苗議員の勇ましい言葉は、その支持層には心地よく響いたが、日本政治には害はなかった。しかし首相となった今、こうした領域でのいろいろな法案を通して、高市色を出すことが可能となっている。

すぐに浮かぶのは、「スパイ防止法」の制定や「国家情報局」の設置など、右の政党の支持を得ることが可能な法案である。この点では、これまで自民党政権の右傾化への歯止めとなってきた公明党の政権離脱が大きく響いている。こうした政権の「右翼バネ」に日本の将来を託すことのリスクを、野党はSNSを含めあらゆるメディアを行使して、具体的に人々の日常生活や言論活動の自由へのリスクを的確に指摘し続けなければならない。

さらに大きなリスクは、安保法制の延長上で台湾海峡危機に言及することである。そして防衛費GDP2%への増額の早期実現を、トランプ・アメリカ政府に宣言することである。この点で、私たちはウクライナ戦争とEUの対応から学ばなければならない。

2年9カ月に及ぶウクライナ戦争により、そしてまたトランプの登場により、欧州のNATO諸国は、以下の方針転換を行った。(1)通常兵器でロシアと闘えるNATOの強化、(2)そのための欧州内での軍需産業育成、(3)プーチンの核兵器使用脅威に対しては、アメリカの関与が絶対的に必要、(4)ウクライナ支援はNATO諸国の安全保障と密接に結びついているが、プーチンの核使用威嚇に対して真剣に対応して、そのレッドラインを確認しつつ支援を行う、という戦争拡大防止のためのリアルな安全保障政策の転換である。防衛費GDP比の拡大は、実際の必要から導き出される数値である。

日本の安全保障の第一の目的は、日本と日本人の安全であり、それ以外ではありえない。東アジアでは、軍事的紛争の脅威は存在しているが戦争は行われていない。韓国の国防大臣は、「在韓米軍は対北朝鮮に向けられており、中国に向けられているのではない」と発言したが、日米安保も日本の安全保障であり、台湾海峡危機に向けられているのでない。他方で、中国、ロシア、北朝鮮という核保有国に直面する日本は、日米安保による抑止力を必要としている。その上での専守防衛と日本の安全をどこまで強化できるのか、これは冷静な分析とバランスを持った政策が必要とされる課題であり、一政権のみでできることではなく、野党も含めた真摯な議論と情報開示が必要とされる。政権が「右翼バネ」に利用する課題ではないのである。

すみざわ・ひろき

1948年生まれ。京都大学法学部卒業後、フランクフルト大学で博士号取得。日本女子大学教授を経て名誉教授。本誌代表編集委員、(社)生活経済政策研究所監事。専攻は社会民主主義論、地域政党論、生活公共論。主な著作に『グローバル化と政治のイノベーション』(編著、ミネルヴァ書房、2003)、『脱成長の地域再生』(共著 NTT出版、2010年)、『組合―その力を地域社会の資源へ』(編著、イマジン出版2013年)など。

特集/2025年11月・秋    

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