特集 ● 2025年11月・秋

不公平感に揺れるドイツ社会

「改革の秋」、先延ばしに

在ベルリン 福澤 啓臣

メルツ首相は夏休み前から、秋は「改革の秋」になると何度も宣言していた。だが、9月5日に議会は再開されたのに、改革の具体的な内容についての議論は乏しい。政府の改革委員会が長期的な展望のもとに改革案を練っている段階だからだ。年金や医療制度などについて委員会が案を出してくるのは、年末か早くても来年初めと見られている。

一方議会ではより差し迫った課題が議論されている。来年早々の導入を目指す市民金制度の改正、徴兵制の復活、年金予算の調整などが中心だ。特に市民金制度は、メルツ首相が野党時代から「大改革が必要」と強く主張してきた案件であり、政府内でも最優先課題として扱われている。

それに対して、SPD(社会民主党)は税制、特に相続税の見直しを通じた再分配機能の強化を提案している。この二つのテーマが注目を集めている背景には、ドイツ社会に広がる「不公平感」がある。

メルツ首相は9月の夏休み直後の国会明けで、「福祉国家は終わった」と宣言した。世界の政治・経済、安全保障の劇的な変化により、これまでドイツの高度福祉社会を支えてきた好調な経済が陰りを見せ、もはや同じ水準の福祉を支える余力はないと説明した。それに対し、SPD共同党首で労働・社会大臣のバーベル・バースは翌日、「まったく根拠のない話だ」と反論した。

国家財政に占める社会福祉関連支出は約30%と大きいが、ドイツが特別に突出しているわけではない。OECD諸国の中では上位中間に位置している。ちなみに、社会支出のGDP比でみると、ドイツは約30%前後で、フランスが約32%、イタリアが29%、日本が23%、米国が約19%である。

1―市民金制度と不公平感

同盟党(CDU=キリスト教民主同盟とCSU=キリスト教社会同盟)は、福祉社会予算の縮小の一環として、市民金制度の改革を野党時代から強く掲げている。そして、国家予算の穴埋め―2027年には30億ユーロ(5兆円弱。1ユーロ=160円で換算)の赤字が予想されている―に必要な数兆円を浮かせられると主張していた。だが、最近は数千億円とトーンダウンしている。経済専門家の試算でも、最大で5千億円程度で、節約効果は限定的だと見られている。

最近同盟党は、この矛盾に気が付いたらしく、市民金改正による予算節約説は強く主張しなくなった。そして矛先を変えて、働く人から見れば、働かずに同程度の額が支給される受給者への不満が強く、不公平感が募る。だから、市民金の条件を厳しくし、就労者との収入差を大きくすべきだと主張している。

市民金は、失業保険受給中に就職できなかった失業者に加えて、就労能力のない人にも、最低限の生活費や住居費などを支給する制度だ。優れてドイツ的な制度なので、詳しく紹介する。

ドイツの市民金受給者は現在約550万人と多数だ。そのうち就労可能者は400万人とされている。市民金に住居費や暖房費を加えた総予算は、42.6億ユーロ(7兆円弱)に達し、連邦予算の8.5%を占める。

市民金は一人の場合、支給金額は現在563ユーロ(物価と連動している)で、家族構成によっては増額される。通学児童には学校に必要なものへの手当てがつく。住居費は適切な家賃となっていて、上限は明確に決まっていない。

単身の市民金受給者と就労者の手取り額を比べてみると、1300:1500ユーロで就労者の方が200ユーロ多い。それが四人家族になると、3200:3000ユーロで市民受給者の方が多くなる。

このように市民金受給額が、低収入者の収入額との差が小さい、あるいは逆転する事情を鑑みて、同盟党は、就労インセンティブが低いのを危惧し、以前から市民金の支給条件の厳格化を主張している。それに対して、社民党、緑の党、左翼党は「最低賃金額が低すぎるのが問題だ」、と反論し、時給15ユーロまでの引き上げを要求している。

さらに母子家庭の母親が働けない理由として、保育園(Kita)の不足が指摘されている。子供を預ける場所がないために就労を断念せざるを得ない現状があり、まずは保育施設の拡充こそが必要だという声が強い。ドイツ全体で保育園不足は慢性化しており、約40万人分もの保育枠が不足しているとされる(連邦家庭省、2024年)。

失業扶助金からハルツIVへ、さらに市民金までの経緯

市民金をめぐる議論は激しく繰り広げられているが、市民金に至る経緯がドイツの福祉制度の良心的な面を表しているので、その歴史を遡ってみよう。ドイツは東西ドイツの統一後、1600万人もの人口増加及び東独企業の大量倒産もあり、経済的に混乱が続いた。そして90年代後半には失業者が500万人以上に増えて、当時は「欧州の病人」とまで呼ばれる始末だった。そこで98年以来政権に就いたSPDのシュレーダー首相は、「アジェンダ2010」と呼ばれる抜本的な労働市場改革を断行した。具体的には、失業保険II(失業扶助金とも呼ばれた)と生活保護を強引に統合したのだ。

失業保険IIはドイツ特有の制度と言える。通常の失業保険I(失業前の給料額の60%支給)の給付期間中(半年から2年間)に就職できなかった失業者は、失業保険II(失業前の給料の53%。子供がいる場合は57%)が、引き続いて無期限に支給されるのだった。結局500万人もの失業者に、280万人の生活保護者が加わる状況に至った。

そこで、シュレーダー政権は、500万人以上の失業者のうち、失業扶助金の受給額を生活保護の水準に落とし、合わせて「ハルツIV」(改革委員会の委員長がペーター・ハルツだった)にしてしまった。この改革により、両者の数は700万人強から500万人に減った。

ハルツIVでは、失業前の給与とは全く連動しなくなり、基本支給額は一律に345ユーロとなった。そして、受給者はそれまで貯めてきた貯金など(上限は1万2千ユーロ)を使い切らない限り、公的支援を受けられなかった。ジョブ・センターの指示を拒否した場合、全面減額に至るまでの制裁が可能など、受給者には過酷な制度だった。だが、2019年に「過剰制裁は違憲」の判決が出る。

この改革でドイツの労働市場はうまく調整され、政権を引き継いだCDUのメルケル首相は、その恩恵を被ることができた。しかし、SPDは、シュレーダーの労働市場改革は、労働者階級を裏切るものだ、と支持者から大きく批判され、「裏切り者」のレッテルが烙印のように長く付き纏っていた。そして、それ以来SPDの支持率は下降線を辿っている。この烙印を解消するために、ショルツSPD政権は、2023年にハルツIVの条件を緩和し、「市民金(Bürgergeld)」と改称したのだ。

この「市民金」制度は、ハルツIVの厳しい側面を緩和し、より人間的な社会保障制度を目指したと言える。例えば、貯蓄は個人当たり4万ユーロまで認められた。そして、制裁面を緩和し、社会福祉的な側面が強化された。これらの改革によってSPDは勤労者層や市民からの信頼回復を目指したのだ。

ところが、ショルツ政権が導入した市民金制度は、導入当時から同盟党の激しい批判にさらされている。そこには、新自由主義的経済観を重んじる同盟党の「自己責任の強化」や「福祉依存を減らすべきだ」といった価値観が反映されている。

さらに数字を見ると、市民金受給者は542万人(24年12月。労働省発表)だが、就労可能な受給者は400万人である。そのうち外国籍は188万人(47%)でほぼ半数を占める。出身国別では、ウクライナ人70万人、シリア人51万人、アフガニスタン人20万人と、難民が多いことも議論の一角を形成している。もっとも、国籍を理由に支給制限を主張すれば、基本法第3条の「平等原則」に抵触するおそれがある。そのため、これを正面から取り上げることは、人種差別的だとの批判を受けるし、憲法違反の疑いを招きかねないので、AfD以外の政党は慎重に発言している。

このまま議論を続けていても埒が開かないと、10月8日から9日にかけてメルツ首相とバース労働相と三党の幹部が会合し、深夜に合意に至った。まず市民金を「基礎保障(Grundsicherung)」と改名し、様々な規制及び罰則強化を決めた。その内容は、ジョブ・センターとの面談の拒否に対し、支給金を段階的に減らし、全面停止をするなど制裁を強化する方針だ。バース労働相は、憲法裁判所判決の「最低限の生活」の枠内で制裁を厳しくする、と言っているが、このような制裁強化を憲法裁判所が認めてくれるかは、分からない。それでも同盟党の両党首は、「市民金はもう歴史になった」、と早々と宣言している。

だが、これらの改革が導入されたとしても、メルツ首相らが望む節約効果や不公平感の解消が本当に得られるかは疑問だ。とにかく、メルツ首相ら同盟党は、前々から積極的に取り組んできた手前、何らかの市民金改革をしなければ、国民の間のメルツ政権の不人気ぶり―ショルツ信号内閣よりも人気がない―を解消できないとの焦りから、このようなミニ改革の実施に踏み切った、と考えられる。

2―資産格差が引き起こす不公平感

ドイツ社会において不公平感のもう一つの源は、極めて不均衡な資産分布である。上位10%が純資産全体の約60%を保有する一方、下位の20%はまったく資産を持たず、約一割の世帯は借金を抱えている。

所得の分配を示すジニ係数では、ドイツは0.30前後とヨーロッパでは中程度の水準にある。ところが資産の分布を示す資産ジニ係数(0が完全平等で、1が完全不平等)を見ると、ドイツは0.772と高く、フランス0.703、英国0.702を上回り、米国0.830に近い。ちなみに、日本0.650と低い(これらの出典はBundesbank、FRB, UBS)。

資産の格差を示すもう一つの指標に、平均資産値と中央資産値の比較がある。前者は総資産を国民の数で割った平均値だ。富裕層が多いと、平均値を引き上げる。中央資産値は資産分布の中央値で、この数値の上半分がこれより資産を持ち、下半分が少ない。この二つの数値の差が大きいほど、資産の格差が大きい。

5カ国の平均資産と中央資産の比較

国名平均資産値中央資産値倍率
ドイツ(2023)316500 €106600 €2.97倍
フランス301503 $146017 $2.06倍
英国339700 $176370 $1.93倍
米国620654 $124041 $5.04倍
日本(2025)205221 $102198 $2.01倍

  出典:Bundesbank, FRB, UBS

米国は資産格差が5倍と突出し、その不平等ぶりは、予期した通りだが、ドイツも約3倍と英国、フランス、日本の2倍前後に比べて大きく、深刻な不平等を示している。

ドイツ(西)は第二次世界大戦の敗戦後、復興政策の成果で資産配分が比較的平等だった。1948年にエアハルト経済相が主導した「社会的市場経済」も平等化に寄与する。しかし、1970年代以降、資産格差が広がり始める。特に1990年のドイツ統一により、資産のない旧東ドイツの国民が人口の20%を占めるようになり、格差が拡大した。そこに1995年(ヘルムート・コールCDU政権下)に、「不動産の評価額が非常に低く設定されているため、他の資産と比べて、不公平が生じている」という違憲判決が下され、富裕税が廃止された。これ以降資産格差がさらに広がる。

次に決定的な拡大要因になったのが、シュレーダーSPD政権の一連の改革だ。同政権は、法人税を40%から一挙に約25%に引き下げた。さらに企業が保有する他社株式の売却益に対する課税も撤廃した。加えて個人の株式売買や貯蓄による利子への所得に対しても、45%から一律25%に引き下げた。こうしてシュレーダーSPD政権は、「資本や富裕層に優しい」課税方針に大きく舵を切った。皮肉なことに労働者の政党であるSPD(社会民主党)が新自由主義的政策路線へと転じたのだ。シュレーダーの労働市場改革「アジェンダ2010」もその一環をなしている。

ドイツの資産格差を理解する上で、旧東ドイツの国民の存在は欠かせない。社会主義体制化では、相続する財産はほとんどなかったからである。彼らから見れば、富裕層が世代を超えて資産を相続する現実は、不平等感を一層増幅するだけだ。

東独は平等な社会であった

旧東ドイツ(ドイツ民主共和国=DDR)は社会主義国家として、平等が重んじられる社会であった。1988年当時の平均賃金を見ると、生産労働者は1150東マルク(当時の購買力からみて、1東マルクは150円から200円程度に相当したと筆者は記憶している)、熟練労働者(マイスター)は約1400マルク、幹部(支配人)約1500マルクだった。トラックなどの運転手は800から1000マルク。大学の教授も約1000マルクだった。当時のジニ係数は0.19で、西ドイツの0.30に比べて非常に低かった。財産に関しては、不動産などは国家に属していたので、私有財産はなかった。企業も個人所有ではなく、人民所有だった。雇用は保障されていたので、誰にでも仕事があった。このように資本主義下にあった西側諸国に比べて、圧倒的に平等な社会であったと言える。

相続税の構造的な問題

ドイツの資産格差構造に関連して最も批判が集中しているのは、相続税制度である。ドイツでは、配偶者が亡くなった場合、相続税は50万ユーロ(8000万円)まで、親子の場合は、40万ユーロ(6400万円)まで無税になる。ただし、これを超える部分には被相続人との関係性と相続額に応じて 7 %~30 %の税率が適用される。

2600万ユーロ以上(42億円弱)の相続額では、その財産が家族経営の企業に組み込まれている場合―企業を少なくとも5年間継続経営するという縛りはあるが―85%が免税になる。とりわけ家族経営企業への優遇措置は、富裕層の資産継承を制度的に保護しているとの批判が絶えない。

具体的な数字を見てみよう。ドイツは2024年に合計8.35億ユーロ (約1300億円)の相続税を徴収した。そのうち巨額相続者は46名で、合わせて12億ユーロ(約1900億円)を相続した。本来なら、3500万ユーロ(56億円)の相続税を払うべきところを、免税措置のおかげで、結局払ったのは、合わせて180万ユーロ(3億円)にすぎない。実効税率は2%で、免除額は3.2億ユーロ(512億円)にも達した。相続税収入の大部分は、むしろ中小の相続者による。このように金持ちはますます富を増やし、貧乏人はますます貧乏になっていく、という構図が見える。

この不公平感を生み出す財産分布に対しては、同盟党は、格差是正のための税制改革を全くしようとしない。それどころか、これらの富裕層は、経済に投資する層なのだからと主張し、相変わらず優遇している。同盟党は依然として「トリクル・ダウン効果」、すなわち富裕層や企業を減税・規制緩和で優遇すれば、その利益がやがて中間層・低所得層にも「滴り落ちる」との古典的理論を信じているようだ。しかし、この効果は、すでに多くの実証研究で否定されている。それどころか、ピケッティーなどの著名な経済学者は、「富裕層への減税よりも、より公平な資産分配こそが経済成長への貢献度は高い」と論じている。

ドイツの資産分配に対する不公平感が大きいので、最近同盟党内部でも相続税見直しを容認するかのような発言が出始めている。

この背景には、メルツ政権の議会運営の脆弱さがある。与党勢力は野党に対して、僅差の十二票しかなく、SPD左派の数名が反対すれば、法案は成立しない。メルツ首相は、首相選出時の第一回投票で失敗している上に、夏休み直前に憲法裁判所の判事選任でも、身内の同盟党議員の反乱―推薦候補だったブロジウス=ゲルスドルフ教授は結局、候補を辞退し、代わって女性の法学者が選ばれた―に遭うなど、すでに二度も挫折を経験している。

現在、企業財産に関する相続税の優遇措置が憲法違反であるとの訴えが、憲法裁判所で審理中である。判決は年内に下される見通しで、内容次第では、相続税制度の改革を迫られる可能性がある。

医療保険でも強い不公平感

ドイツの医療保険は、公的保険(GKV)と私的健康保険(PKV。主に年俸73800ユーロ以上が対象)の二本立てである。この併存制度こそが日常的な不平等感の源になっている。国民の85%が加入している公的保険では、専門医やMRI検査で、数ヶ月待たされることも珍しくない。私的保険しか受け付けない診療所もある。一方私的保険の場合は、待たずに診療が受けられる。予約の電話をすると、公的か私的かと尋ねられる。公的保険だと答えると、数ヶ月先を案内されるか、「新規患者は受け付けていない」と断わられる。この二つの健康保険制度は、階級的な差別だという批判が絶えない。

医者の側から見ると、私的保険の報酬は、公的保険の2倍から3倍に達し、手続きも簡単で、治療上の制約も少ない。

保険料は公的保険の場合、収入の約17%(14.6%が健康保険、2.5%が介護保険)で、雇い主が半額を負担する。私的保険も同様だが、保険料は平均2割から3割高く、扶養家族も個別に加入しなければならない。

こうした格差を除けば、ドイツの医療制度は、世界でも高水準だ。治療費は原則、保険でカバーされ、薬の自己負担額も5ユーロから10ユーロと低い。極端な例だが、遺伝子治療薬Zolgensma(一回の投与で3億円を超える)でも、患者の負担は10ユーロに過ぎない。

現在病院経営を含む医療費の膨張が問題になっており、公的保険は26年に80億ユーロ(約1兆3000億円)もの巨額の赤字が見込まれている。今後も収支が収入を上回る傾向が予想されている。そのため政府の現在改革委員会は抜本的な改革案を検討中だ。

それでも、深まる資産格差のなかで、ドイツの福祉制度は全体として良好に機能している。

3―NRW州の地方選挙と10月3日のドイツ統一記念日

9月14日(日曜)に人口最大のノルトライン=ヴェストファーレン(NRW)州で地方選挙が行われた。メルツ政権発足後初の選挙として、連邦政府の信任を測るためにも、高い関心の的になった。

NRW州地方選挙結果(2025年)

CDUSPD緑の党左翼党AfDFDP
5年前の選挙34.324.320.03.85.15.6
今回の選挙33.322.113.55.615.53.7

  出典:NRW州選挙管理委員会

CDUは1ポイント減で勢力を維持、SPDは2ポイント減、緑の党は6ポイントの大幅減。注目のAfDは三倍増の14.5%と大躍進。左翼党も3ポイント増で、極右と極左の両極化が進んだ。特にAfDの三倍増は、予想されていたことだが、民主勢力からは、さらなる脅威と見られている。

NRW州は炭鉱と重工業が集中するルール工業地帯を抱え、労働者が多く、戦後長くSPDの牙城だった。しかし、世紀末から産業構造の変化により労働者の数が減少し、8年前から政権をCDUに取って代わられた。さらに、産業構造の変化に対応できなかった地域が多く、失業者が多い。そして旧東ドイツの州に特徴的な「取り残された感」が強く、AfDの台頭が目立つようになってきている。貧困地域ほどAfDの支持率が高いという傾向は、東西を問わず共通している。

10月3日はドイツ再統一の日で、35年になる。東西格差はいまだに残り、AfDの台頭を促している。東西ドイツの経済生産性は同じレベルに達したが、賃金は、17.4%の差がある。西ドイツの勤労者の平均月給は4810ユーロだが、東ドイツは3973ユーロだ。資産は、東の家庭は西の半分以下だ。政治の世界でも17名の閣僚のうち、東独出身者はわずか2名にとどまる。

旧東独社会を直接経験した年齢層(60歳以上)は、CDUやSPDを支持する一方、統一後に育った年齢層ではAfD支持が強い。前者はドイツの統一を肯定的な歴史と捉えているようだ。ところが、後者では、日常的に経験する不公平感や取り残された感が、政治的不満としてAfD支持に流れている。ここでも市民金の受給者が多い地域はAfD支持率が高いというパターンが見られる。 

4―次の成功モデルを模索中

メルケルCDU政権は2005年にシュレーダーSPDから政権を引き継いだ。前政権の労働市場改革の成果が出始めた時期である。2008/9年の金融危機では、史上最大規模の銀行救済政策を実施し、いち早く立ち直る。その後ドイツ経済は安定成長期に入り、いわゆる「ジャーマン・モデル」が完成する。

ロシアからの化石燃料の安定供給、中国との強固な経済関係。特に自動車産業は中国市場で利益の半分を稼ぐ時期もあった。米国への輸出も好調だった。安全保障は米国に委ねることができた。そこで節約できた財源は、社会福祉の充実に振り向けられた。

その結果、財政規律は2014年から2019年まで財政黒字を維持し、ドイツは「財政模範国」と称賛された。

しかし、この成功の陰で、構造的な問題が積み重なっていった。必要インフラへの投資が先送りされ、今やインフラの老朽化(建て替えや修理の必要な橋梁は1万箇所を超える)がドイツ経済に重くのしかかっている。デジタル化の遅れ、鉄道や教育への投資不足も深刻だ。そして、2010年代に栄えた「ジャーマン・モデル」はもはや成立しなくなった。

現在ドイツは新しい「成功モデル」を模索している。産業構造の転換、CO2削減に向けたエネルギー体制の再構築、そして社会の不公平感の是正――これらをどう調和させるかが問われている。

進行中の産業空洞化(破壊)が「創造的な破壊」に転じられるのか、それとも単なる衰退の始まりなのか。その岐路に、今ドイツは立っている。

(2025年10月15日 ベルリンにて)

 

ふくざわ・ひろおみ

1943年生まれ。1967年に渡独し、1974年にベルリン自由大学卒。1976年より同大学の日本学科で教職に就く。主に日本語を教える。教鞭をとる傍ら、ベルリン国際映画祭を手伝う。さらに国際連詩を日独両国で催す。2003年に同大学にて博士号取得。2008年に定年退職。2011年の東日本大震災後、ベルリンでNPO「絆・ベルリン」を立ち上げ、東北で復興支援活動をする。ベルリンのSayonaraNukesBerlinのメンバー。日独両国で反原発と再生エネ普及に取り組んでいる。ベルリン在住。

特集/2025年11月・秋    

第42号 記事一覧

ページの
トップへ