コラム/深層

「国家は市民を殺す」 11・22事件と大逆事件サミット

ジャーナリスト 西村 秀樹

11・22事件

11・22事件を知っていますか。韓国政府が在日コリアンを「北(=北朝鮮)のスパイ」の容疑、つまり政治犯として捕まえた冤罪事件。韓国の情報部(KCIA)が事件を発表したのが、今から半世紀前の1975年11月22日だったことから、11・22事件と呼ばれる。この日、21人を逮捕、うち在日コリアンが13人だと発表した。韓国政府は全容を詳らかにしていないが、1980年代後半まで続く一連の「北のスパイ」事件で逮捕・拘束した総数は160人と推測されており、うち9人の死刑判決が確定した。

一連の事件で死刑囚9人という多数を擁する事件というのは、オウム真理教事件の13人と幸徳秋水・大逆事件の12人(詳細は後述)くらいしかない。

韓国の情報機関(KCIAと陸軍保安司令部)が採用した取り締まり方法は至ってシンプルだった。分断国家・朝鮮が南北に分断されて30年経過(1945年日本の敗戦、1948年南北朝鮮がそれぞれ独立宣言)、韓国国内に残る北のシンパはほぼ一掃され、「北のスパイ」容疑にあたる思想犯はなかなか発見できない。一方、日本国内で暮らしてきた在日コリアンの留学生は、民団ばかりではなく朝鮮総連系の関係者と接点が何らかの形であった。韓国政府はそれを悪用した。事件が発表された1975年当時、韓国への在日コリアンの留学生は440人、韓国の情報機関は「北のスパイ」の疑いのある青年を片っ端から取り調べ、拷問し、「自供」をひきだし、裁判にかけ死刑判決を導いた。だから、彼ら彼女らは「分断の生贄」なのだ。

1975年という年はどういう年かというと、この年の4月末に、北ベトナム正規軍が南ベトナムの首都サイゴンの大統領公邸に突入し、南北ベトナムを統一した年だ。第二次世界大戦後の冷戦構造の中、分断国家(東西ドイツ、南北朝鮮、南北ベトナム)のうちベトナムが「赤化統一」された。当時の韓国大統領朴正煕にしてみれば、南北朝鮮の分断国家でも社会主義国の北朝鮮が資本主義国韓国を「赤化統一」するのではないかという怖れから、戦々恐々としていた時期だ。そうした世界情勢を踏まえ、韓国国内では「共産主義」の影響力増大を恐れて、韓国国内の思想的な締め付けを強めた時期にあたる。

今年が事件発生からちょうど50年の節目なので、友人のジャーナリストと一緒にドキュメンタリー映画『絞首台からの生還』(1時間22分)を制作、同時に同じタイトルの著作『絞首台からの生還』(三一書房)を出版した。

「国家犯罪」

単行本の原稿を出版社に送りゲラの校正を終えた時期、岡山県で「大逆事件サミット」が開催されるというので、参加した。開催地の井原市は、広島県と県境を接する岡山県の西部に位置する。大阪から山陽新幹線を西へ、岡山で伯備線に乗り換え、さらに第三セクターの井原鉄道に乗り、大阪から井原まで、およそ3時間。井原は、幸徳秋水・大逆事件で死刑執行された森近運平(もりちか・うんぺい)の出身地だ。

幸徳秋水・大逆事件では26人が天皇暗殺の容疑「大逆罪」で起訴され、判決は24人に死刑。判決日の翌日、天皇の「恩赦」で半数が無期に減刑された。残る12人は一週間後に死刑が執行された。死刑執行は1911年。その前年1910年、韓国併合が強行され、大日本帝国は朝鮮を植民地支配し、帝国主義国としての途を本格化させた時期だ。

歌人・石川啄木はこの時期、こう詠った。「地図上の朝鮮国にくろぐろと墨をぬりつつ秋風を聴く」。

岡山県井原市で開催の「大逆事件サミット」は、今回が第6回目。初回が幸徳秋水の生誕地、高知県の土佐中村(現・四万十市)。2回目が堺利彦の生誕地に近い福岡県行橋市。菅野スガが活躍した大阪市、6人の被告を出した和歌山県新宮市、神戸市、と続いた。

集会には、土佐中村、和歌山など過去の開催地のほか、仙台など遠方のほか、オーストラリ在住の日本研究者などおよそ200人が参加した。

明治初期の社会主義者、無政府主義者の多くが都市での工場労働者をオルグ対象にしているのと違って、井原市出身の森近運平(1881年生まれ)は農業改良につとめた。岡山県庁に勤務し、日露戦争へ戦時国債を買わないよう呼びかけ、罷免される。日本社会党の結成に参加、「大阪平民新聞」を創刊するなど、社会主義者として活躍した。

「国家犯罪」という言葉が「大逆事件サミット」で印象に残った。発言したのは、山泉進。山泉は初期社会主義の研究者、明治大学副学長を定年退官した。「大逆事件の真実をあきらかにする会」のリーダーの一人。

大逆事件の研究で、ほとんどの被告が天皇の暗殺計画に関与していない冤罪だということがわかっている。しかし、それは検察の誤認、不作為というだけでない。むしろ、日露戦争に邁進する明治政府に対し反対の声を上げる反戦論者、とりわけ社会主義者、無政府主義者を根絶やしにする意志、つまり「国家による犯罪」だと研究の結果、見えてきたという。

「国家は市民を殺す」

11・22事件と幸徳秋水・大逆事件を調べると、共通する要素と、同時に異なる部分に気づいた。共通点は、国家の側が自分たちは正義だと信じ、そうした「国家の正義」に抗うものたちをこの世から抹殺しようとする国家意志だった。11・22事件では「反共」(共産主義に反対する)を国是とする韓国、幸徳秋水・大逆事件では帝国主義を推進する大日本帝国。そして「国家の正義」を振りかざすとき、国家の意思を体現したのが、11・22事件では韓国の情報機関(KCIAと陸軍保安司令部)、幸徳秋水・大逆事件では平沼騏一郎に代表される検察だった。

「国家は市民を殺す」。11・22事件は、こんな非道なことが現代社会で起こりうることを示した。日本国内に蔓延する在日コリアンは自分たちへの差別、蔑みが嫌で、自らのアイデンティティの確立を求めて韓国に留学した。そうした「愛国者」の青年や実業家を、韓国政府は「北のスパイ」容疑で逮捕した。本来なら「法の支配」が完徹し証拠を吟味するはずの司法は、政府がでっち上げた罪状を鵜呑みにし、あろうことか、司法が被告たちをつぎつぎ死刑判決にした。その数、わかっているだけで9人。冤罪で済ますには余りに描かれた構図は重大だ。

では、異なる点とは何か。再審制度の有無だ。

幸徳秋水・大逆事件では死刑執行から50年後の1961年、森近運平の妹、栄子(ひでこ)と土佐清水出身の坂本清馬が請求人になって再審を申請したが、最高裁判所は請求を棄却した。

韓国では、パルパルオリンピック(1988年のソウル五輪)を前に、主にアメリカから「経済が発展したからには、人権や法の支配の貫徹した成熟した民主主義国に」と注文をつけられ、1987年「民主化宣言」が行われた。文民大統領(はじめ金泳三、金大中、盧泰愚など)が誕生、11・22事件の被告ら多くの政治犯は再審にかけられ、無罪を獲得、多額の国家賠償を獲得した。死刑囚は絞首台で首括られることはなかった。皆、生還した。

「国家犯罪」に抗う原動力は何だったのか。答えは市民が求めた民主主義だった。韓国の民主主義は、血で贖った民主主義だ。天から授かった日本の民主主義とは違う。11・22事件をはじめ韓国の政治犯の多くは再審によって無罪を勝ちとったが、その再審無罪を獲得する闘いはまだまだ続く。

11・22事件は半世紀経った今も、なお現在進行形だ。

人権の確立、民主主義の実現を求める闘いはこれからも続く。

 

西村秀樹著『絞首台からの生還〜在日韓国人政治犯の半世紀』三一書房刊。2025年11月22日発売。

小山帥人・西村秀樹共同監督作品『絞首台からの生還』(1時間22分、ドキュメンタリー作品)。2026年2月6日から、シネ・ヌーヴォ(大阪・西九条)で上映。

 

にしむら・ひでき

1951年名古屋生まれ。慶應義塾大学経済学部卒業後、毎日放送に入社し放送記者、主にニュースや報道番組を制作。近畿大学人権問題研究所客員教授、同志社大学と立命館大学で嘱託講師を勤めた。元日本ペンクラブ理事。著作に『北朝鮮抑留〜第十八富士山丸事件の真相』(岩波現代文庫、2004)、『大阪で闘った朝鮮戦争〜吹田枚方事件の青春群像』(岩波書店、2004)、『朝鮮戦争に「参戦」した日本』(三一書房、2019.6。韓国で翻訳出版、2020)、共編著作『テレビ・ドキュメンタリーの真髄』(藤原書店、2021)ほか。

 

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