論壇

皇国史観に汚染された教科書もどき

『市販版 国史教科書――中学校社会科用』(令和書籍)

元河合塾講師 川本 和彦

書評は本来、多くの人に読んでもらいたい、共感してほしいと思う本の紹介として書かれるものだろう。だが、今回は徹底糾弾するための紹介だ。二酸化炭素が発生するのでなければ、燃やしてしまいたいくらいの本である。一応「教科書」ということになってはいるが、素直に読めば歴史の教科書とは思えない。読者をある理念へ誘導するための洗脳本、自由民主党やその支持者を、さらに右方向へ牽引するためのプロパガンダである。皇国史観に汚染された教科書もどき、と呼んでもいい。

さらに問題なのは、この教科書もどきが文部科学省の検定に合格してしまったことだ。文科省の役人は、何を考えているんだか。もはや役人ではなく厄人と表記するのが相応しい。

1 露骨な皇国史観

皇国史観とは天皇、もしくは皇室中心の歴史観を指す。といっても単なる皇室年代記ではない。万世一系の天皇支配がいかに正統性を持つか、日本の歴史にかけがえのない存在であるかを強調するための歴史観である。用語として登場するのは1930年代であるが、既に明治時代の国定教科書が皇国史観をベースとする内容であった。

本書はまさにその立場で執筆されている。こういう記述がある(意図的に斜体文字を用いておく)。

『日本書紀』によると、神武天皇は橿原に都を定めるにあたり詔勅を発せられました。ここには「八紘為宇」という我が国の建国の理念が示されています。日本列島の人々が、あたかも一軒の家に住むように仲良く暮らすことを国の理想とする考えです。この建国の理念が、歴代天皇によって継承され、現在に至るのです。

大和から見れば辺境の民、いわゆる熊襲や隼人、蝦夷らを力ずくで支配しておいて、どの口が「仲良く暮らす」と言うのか。あるいは、南北朝動乱を見れば、後醍醐天皇がこの理念を継承したとは到底思えないだろう。

しかも、皇国史観は自国の民を支配することを正当化する道具として機能しただけではない。近代日本の対外侵略、植民地支配をも正当化してきたのである。本書も日帝統治下の朝鮮半島で、鉄道や郵便などのインフラが整備されたことを強調している。学校を開設してハングル文字の教育を行ったことも書かれているが、創氏改名や戸籍制度の導入には触れていない。

2 古ければ価値がある?

現在、右翼どもが自慢できるのは歴史の古さだけなのだろうか。本書から引用する。

遅くとも縄文時代までには原日本人が形成されていたと考えられています

教科書たるもの、嘘をついてはいけない。自民党広報センターに成り下がったNHKの番組でさえ、現代日本人のDNA は2割が縄文人由来、2割が弥生人由来、残りは古墳時代以降の渡来人からのものであると伝えている(2024年10月9日「フロンティアで会いましょう」)。数万年前からこの列島に現在と同じ日本人が住み続けていたというのは、あり得ない。

もう一つ引用する。

平成二十八年に沖縄県南城市のサキタリ洞で世界最古となる約二万三〇○○年前の釣針が発見されました。

だから何やねん!2万年以上前に誰かさんが釣針を作ったからといって、なぜそれが自らの誇りになるのだろうか。古代エジプトのピラミッドやスフィンクスならともかく、たかが釣針である。教科書に載せて大騒ぎするほどのことなのか? しかも琉球支配の犯罪性や沖縄戦集団自決については反省していないのに、こういう場面だけ「沖縄県」を持ち出すことに躊躇いはないようだ。

これを日本語で、「恥知らず」と申します。

古さを美化・評価する姿勢は、皇国史観の支えでもある。本書は見開き2ページを使って初代の神武から第126代の現天皇までの系図(皇位継承図)を載せている。少なくとも初代からの10人は、架空の存在である。架空といえば、日本武尊(あえて平仮名で書くが、やまとたける)まで登場する。万世一系であることをアピールしたいのだろうが、万世一系といえば私もあなたもスターリンもレディ・ガガも万世一系である。御先祖の誰かが子どもをつくる前に死んでいたら、いま存在しないのだから。

3 赤の他人を誇るな

当たり前だがこの列島には、これまで立派な人はいたしカスみたいな人もいた。本書に登場する、ユダヤ人を助けるためにビザを発給した杉原千畝などは、たしかに立派な人だったかもしれない。だが、それは先ほどの釣針と同じで、現在生きている私たちが誇ることではあるまい。親の七光りではないが、自分の親が偉いからといって、自分まで偉いように吠えたてるのは滑稽である。まして杉原さんなんて、赤の他人ではないか。

ここはリベラル陣営も反省すべき箇所である。かつて歴史教育者協議会委員長を務められた石山久男さんは、「身の危険をかえりみず積極的な反戦運動を行った人々」や「アジアの人々に対する蔑視と優越感があふれているなかでも共感をもち連帯をめざした人々などがいた」ことを教えることで、「子どもたちが未来の平和と民主的社会への展望をもつことにつながるだろう」と述べておられる(歴史学研究会編『歴史教科書をめぐる日韓対話』)。事実を知ることは必要であるが、これも「こういうご先祖がいたから自分たちも偉いのだ」という勘違いを生む恐れがあることを指摘しておく。

4 目立つ不合理な記述

天皇系図もそうだが、左とか右とかいう前に、教科書としてはあまりに不合理な記述が目立つ。

何ら根拠を示すことなしに、古代日本が東アジアへ影響を与えていたとしている。影響を一方的に与えられるだけでは、かっこ悪いと考えたのだろう。古来から日本人は一つの言語を共有して結束していた、との記述もある。少なくとも明治時代以前の日本列島は「一つの言語」とは言い難いし、数えきれない内乱を考えると「結束していた」どころではなかろう。

モンゴル襲来、いわゆる元寇の際にやってきた熱帯的気圧(温帯低気圧という説もある)を「神風」の二文字で表すのは、いささか神がかり的である。

作戦次第では太平洋戦争に勝てたという記述になると、完全に神がかりであると言わざるを得ない。

5 「搦め手から」も含めた反撃が不可欠

それでも、紙の浪費でしかない本書がなぜ出版され、検定に合格したかについては考える必要がある。

突き詰めて言えば、「個の弱さ」に帰結するのではないか。

少なからぬ日本国民は、かつては経済大国日本の一員であることを誇ることが可能であった。だが科学技術も含めて、この国は対外的に輝きを失いつつある。であれば「伝統ある日本の歴史はすごい!その日本で生まれた私もすごい!」と唱えたくなる人がいるのである。つまりは「〇〇の一員」以外の自分が無い人が、読んで溜飲を下げる代物なのだ。どういう人がどの箇所に共感するのか考えながら読むことは、対抗戦略を練るうえで極めて有効である。

さらに申せば、検定をクリアしても各地で採択されなければよいのである。であれば、中学生には量が多く記述も難しくて教材として不適切であること、高校入試にはまったく役に立たないどころかマイナスであること、そういう「搦め手」からの攻撃を併用しながら、各地で採択阻止の戦いを展開できればと思う。

かわもと・かずひこ

1964年生まれ。新聞記者、予備校講師を経てフリーランス校閲者。著書に『理解しやすい公共』(文英堂)など。

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