特集 ● 混迷の世界をどう視る
立憲民主党は政権運営の準備を急げ
自民党は目指すべき社会像を明確にできない
ジャーナリスト 尾中 香尚里
聞き手 本誌編集部
与野党伯仲……「あるべき政治」を取り戻せ
「旗印」を失いつつある自民党
立憲民主党は国会論戦で「目指す社会像」の提示を
野党第1党は第2党以下とは役割が違う
「自民党を負けさせるには立憲に投票する」空気感
SNSを過度に評価せず、既存メディアの変革も必要
――― 昨年10月27日の衆議院議員選挙では、立憲民主党が大きく議席を伸ばして野党第1党になりました。国民民主党の議席増が「103万円の壁」とともに大きな話題になりましたが、野党側から見た今後のポイントは、立憲民主党がどのように自公政権を追い詰めて政権獲得に近づくかにあると思われます。本日は、そのようなお話を伺おうと思います。
与野党伯仲……「あるべき政治」を取り戻せ
尾中 ここ何回かの選挙の中では一番いい結果だったと思います。それは政権与党の自民党が大敗したからでも、野党第1党の立憲民主党が大きく議席を伸ばしたからでもありません。自民、公明の連立与党が過半数割れを起こしたことで、与野党それぞれが互いの意見に耳を傾けて尊重し合う形でないと、物事が進まない状況ができたからです。
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そもそも政治とはそういうものです。ここ10年ほどの政治は、多数決で勝った方が「総取り」のように自らの主張を全て通し、少数派を顧みない政治がずっと続いてきました。それがあまりにも長く続いたので「政治とはそういうものである」と、政治の定義すら書き換えられるのではないかとさえ懸念していました。
政治とは合意形成です。多数派だからといって、自分たちの言うことを必ずしも100%押し通して良い、というものではありません。少数派の主張にも耳を傾け、時には妥協し合わなければならないものです。これは自民党政権だけでなく、将来、立憲民主党を主軸とする政権に交代したとしても同じことです。
政治を何かのゲームのように考え、与野党の勝敗にしか関心を持たない向きには、こういう状況は面白くないのかもしれません。でも、現在の議席配分はそれを許しません。現在の状況は、こうした「本来あるべき政治の姿」を取り戻すきっかけになり得るという点で、私は良かったと思っています。
――― そういう点からは、与野党の対立軸はどこに見えるのでしょうか。
尾中 私は2大政党制について「二つの政治勢力が、それぞれの目指す社会の姿を掲げ、有権者にどちらの社会が望ましいかを選挙で選択してもらう」ことだと定義し、そんな政治の実現を求めてきました。
小選挙区比例代表並立制を導入して以降の「平成の政治」は、どういうわけか「保守2大政党」を模索してきたため、結果として「政権交代はあっても与野党の対立軸が見えにくい」政治になってしまいました。しかし、2017年の「希望の党騒動」に伴う野党再編で、野党第1党が「新自由主義からの脱却」をうたう立憲民主党となりました。立憲が議席を伸ばし、自民党と対峙できる勢力になれば、最初に述べた「目指す社会像の対立軸と政権交代の可能性が両立する」政治に近づいていく。そんなことをイメージしていたのです。
ところが、いざ自民党と立憲民主党の力が伯仲してきたら、この対立軸の方が壊れつつあることに気づき始めました。
「旗印」を失いつつある自民党
尾中 石破茂首相の誕生で「自民党が自己責任を重んじる新自由主義的な主張から、立憲民主党的なリベラルな姿勢に傾き、与野党の対立軸が見えにくくなった」と指摘する声があります。そういう面も否定できませんが、私はそれ以上に、自民党自身が対立軸となるべき「旗印」を失っているのではないか、と考えています。
自民党は野党時代に綱領を改訂し、党として新自由主義的な方向に舵を切りました。「勝ち組」の人たちに一層の力を与える一方で、弱い人たちが国などの行政に頼ることを制限し、家族や地域や企業の中で支え合うことを求めてきました。新自由主義と国家主義がとても親和的で、安倍晋三さんと菅義偉さんの2人の首相が、それを牽引してきました。
これに対し立憲民主党は、再分配を重視した「支え合いの社会」を掲げて、自民党政治に対する明確な対抗軸になろうとしました。現在の野田佳彦代表も「分厚い中間層」を主張して、格差社会の是正を目指す姿勢が明確です。対立軸ははっきりしていたと思います。
ところが自民党は、安倍さんと菅さんが表舞台を去り、岸田文雄さん、石破さんと続く中で、この姿勢がはっきり見えなくなりました。個人としての発言を聞くと、立憲民主党的な「支え合い」に親和性が高そうで、一種の「抱きつき戦略」を描いているようにも見えますが、完全に路線転換することもできずにいます。
裏金問題で力がかなり削がれているとは言っても、安倍さんを支持してきた保守派には一定の影響力があるし、次の世代の河野太郎さんや小泉進次郎さんらは新自由主義的な感覚の持ち主です。自民党は今、どちらを向こうとしている政党なのかが分からなくなっています。
先日、立憲民主党の創設者である枝野幸男さんにインタビューする機会がありましたが「自民党はアイデンティティ・クライシスに陥っているのではないか」と言っていました。私も同感です。自民党と立憲民主党の勢力が伯仲し、2大政党に近い形になるのは望ましいですが、両党が今「何を争っているのか」が分からないのは困りものです。
当面の与野党の争点は「政治改革」でしょう。特に、企業・団体献金が具体的な争点となっています。ただ、これは本質的な対立軸ではない。社会像の提示とは関係ないからです。
夏の参院選までは、この「政治改革への姿勢」で与野党が戦うことになるのでしょうが、政権を争うような政党は、本来は「どんな社会を目指すのか」を明確にして、有権者に問い掛けなければなりません。今そのことが強く求められているのは、野党よりもむしろ、政権与党の自民党の方だと思います。
――― だからこそ「103万円の壁」がテーマになってしまうということですね。
尾中 「憲法改正か反対か」「原発推進か反対か」みたいに、個別テーマでの賛否という形の方が分かりやすい、ということなのかもしれませんね。でも「103万円の壁」のような個別のテーマで「どんな社会を目指すのか」を提示するのは難しいです。何より「103万円の壁を取り払うことが、どんな社会に結びつくのか」のイメージが、人によって大きく違うと感じます。
少しややこしいので、最初に、政界最大の個別テーマとも言える「消費減税」についてお話しします。
消費減税を目指す人たちには、大きく分けて2通りの考えがあると思っています。一方は、貧しい人たちの財布からお金が逃げていくのを抑えたいとする考えで、一応低所得者の皆さんのための政策をイメージしています。共産党、社民党やれいわ新選組、また立憲民主党の一部にこうした考えがありますね。
もう一方で、維新や自民党の一部などが消費減税をうたうのは、「公」のカバーする範囲を小さくしよう、ということです。税収が大きいということは、すなわち政府が大きいということ。その範囲を小さくして、自分の財布で賄えるところは自前でやる世の中にしようということです。「小さな政府」論であり、新自由主義的な主張です。
このように「同じ政策を主張していても、目指す社会が全然違う」ということは、現実にあるわけです。
話を「103万円の壁」に戻すと、この政策を主張する人の中にも「授業料の支払いにも苦しむ大学生やその家族を救わなければ」と低所得者対策の観点で語る人と、大きな所得控除によってお金持ちが減税されることに期待する人がいます。「103万円の壁」を主張する国民民主党も、それを一部取り入れようとする自民党も、その政策を実現することで、自分たちはどんな社会を作ろうとしているのかを理解した上で交渉に臨むべきだと思いますが、そんな話は全くありません。
――― せっかく国会が伯仲したのに、本質的な議論がないということですか。
尾中 政治家自身の問題もありますが、それ以上に政治報道を行うメディアの問題が大きいと思います。もちろん私自身の反省もありますが……。
メディアの政治報道は、時の首相がどうやって政権運営を乗り切るかという「権力ゲーム」にしか関心を持ってきませんでした。少数与党となった石破政権が、自民党と公明党だけでは予算案や重要法案を成立させられない状況でどう動くのか、小さな野党に手を突っ込んで乗り切るのかと、そんなことにしか関心を持ちません。だから「与党にすり寄る国民民主党」の動きの方が「補正予算を異例の修正に持ち込んだ立憲民主党」よりも面白く見えてしまうのでしょう。結果として、現時点で最大の政治課題とは言いがたい「103万円の壁」に過剰にスポットライトが当たってしまい、政治を議論する空間さえもゆがめてしまう。残念なことです。
立憲民主党は国会論戦で「目指す社会像」の提示を
――― そういう環境下で、立憲民主党は何を主張し、何をやるべきなのでしょうか。
尾中 慌てることはありません。ここまで続けてきたことが大きく間違っていなかったからこそ、立憲民主党は現在の立場を得ています。今後もその方向で淡々と進むべきでしょう。
臨時国会における立憲民主党の国会運営はよかったと思います。28年ぶりに、補正予算案の修正を勝ち取ったのですから。
立憲民主党は能登半島地震の被災地復旧・復興のために、1000億円の予算を積み増す修正案を国会に提出し、予算案において政府案と野党案が並行して国会で議論されるという、極めて異例の場面を作り、さらには政府案の修正まで実現させました。一方で、もう一つ主張していた、政府が予算措置していた基金の一部を減額させる修正はかなわず、結果として立憲は、予算案そのものには反対しました。
野党なのですから、主張したことが100%実現しないのは、ある意味当然です。そもそも、自らの政治的主張を100%実現するには、与党に「お願いしてやってもらう」のではなく、選挙に勝って政権を握り「自分たちでやる」のが筋です。現在はそのための準備期間です。
今の野田代表の姿勢を見ていると、その点はちゃんと理解されていると思います。野田さんが常に口にしているのは「公開の場での議論」。国会が始まる前に、議場の外で「これを飲むから、それは引っ込めろ」などと取り引きして、国会そのものを消化試合にするようなことはしない。その姿勢がしっかりしているので、今のところ安心して見ています。
――― でも国民民主党は「手取りを増やす」と言って大きく議席を伸ばしています。
尾中 「手取りを増やす」の一言で特定の政党が支持を伸ばすって、おかしくないでしょうか。確かに現在、世論調査で「国民民主党の『手取りを増やす』方針に賛成の人が極めて多い」と指摘されていますが、そもそも「手取りを増やす」ことを嫌だという人はいないでしょう。問題は手取りを「どうやって」増やすか、さまざまな方法の中からどれを選ぶか、そこに政党の考え方の違いが出て、有権者への選択肢になるわけです。「手取りを増やす」と主張している唯一の政党が国民民主党であるかのように世論を誘導するのは、本当にやめてほしいですね。
手取りを増やすにはさまざまな方法があります。減税によって「支出を抑える」方向でも手取りは増えるかもしれませんが、適切な物価高対策、例えばお米を安くすることでも、手元に残るお金は増えます。社会保険の自己負担額を抑えても手取りは増えます。
あと、こちらの方が本質だと思うのですが「支出を抑える」のではなく「収入を増やす」形で「手取りを増やす」こともできます。賃金を上げたり、年金の支給額を増やしたりすればいいわけです。
こうしたさまざまな方法の中で、「手取りを増やす」ためにどの方法を取るかによって、その政党の目指す社会のありようが分かります。
国民民主党が選んだ「手取りを増やす」方法は、所得控除の引き上げ、すなわち減税でした。「減税で手取りを増やす」ということは、すなわち「小さな政府」を志向するということ。公的サービスを減らして、サービスは自分のお金で買うことを求める社会を目指すということです。また、すでに多くの指摘がありますが、国民民主党の減税の方向では、お金持ちの方がより得をするようですね。
立憲民主党は、減税よりも給付や賃上げなどの形で「手取りを増やす」考えが根底にあります。消費減税議論の際も「減税するより、減税相当額を給付する方が早い」として、消費税の還付、すなわち「給付付き税額控除」を主張していました。この方法をとれば当然、多くの税収を必要としますし、その際のターゲットは大企業やお金持ちです。当然、彼らはこういう政策を喜ばないでしょう。
「誰の手取りも平等に増えて誰も損をしない」なんて都合の良い政策はありません。「手取りを増やすのはどの党で、どの党は増やさないのか」という雑な議論ではなく「あの党はどうやって手取りを増やすのか」「それは誰の利益になり、誰が負担増になるのか」という点から目指す社会像を読み解くような、そういう議論をしてほしいものです。
政策の良し悪しもさることながら、まずは「これを変えれば全て良くなる」というポピュリズム的な物言いを、政治の世界から一掃したいですね。「郵政民営化をすればすべて良くなる」「憲法を改正すればすべて良くなる」。こういう言葉が蔓延る風潮からは、そろそろ卒業すべきではないでしょうか。
野党第1党は第2党以下とは役割が違う
――― 尾中さんの『野党第1党』(現代書館)を読みました。野党第1党には特別な役割や見られ方があるということですが、その観点から見ると、立憲民主党、そして野党各党に対する評価はどんなものでしょうか。
尾中 小選挙区制の元では、野党第1党とその他の野党は、おのずと役割が違ってきます。野党第1党は与党に対する「政権の受け皿」です。政策でも普段の振る舞いでも「いつ与党になっても大丈夫」という構えが必要になります。
今までは野党がどんぐりの背比べの「多弱」状況だったため、その違いがはっきりしませんでした。しかし、昨秋の総選挙を経て、立憲民主党が野党の中で完全に頭一つ抜け出て、野党の中核として自民党と政権を争うべき存在として認知されるようになったことは間違いありません。
日本の政治は再び2大政党の時代に向かいつつあります。比例代表並立制になっているので、国民民主党のような小さな野党も一定程度生き残れるため、現在は「2強多弱」という状況になっていますが、少なくとも「1強多弱」の状況は変化したと見るべきでしょう。
メディアの印象操作で、今は一時的に国民民主党の支持率が上がっています。でも、政治を実際に動かすのはリアルパワー、すなわち議席数です。立憲の現在の議席数は、政権の受け皿と呼ぶにはまだ十分ではありませんが、自民、公明の連立与党が過半数を割り少数与党となったため、野党の主張や政策は、政権運営に一定の影響を与えることになります。現実に今、野党の賛同を得られなければ、予算案や重要法案は成立しません。立憲は野党でありながら、政権運営に一定程度の責任を持つわけです。有権者が立憲民主党を見る目線も「この人たちに次の政権を任せられるのか」というものになっていきます。
そうなると立憲は、次に自分たちが政権を担った時にどうすべきかということも考えなくてはなりません。
民主党政権の時の自民党、あるいはその前の自民党政権の時に小沢一郎さんが率いていた頃の野党・民主党は、予算案や重要法案について、その成立を徹底して邪魔して、政権を追い詰めて倒せばいいという姿勢があからさまでした。さすがに今の有権者は「それではだめだ」と思っています。政権与党をきちんと批判してほしい。でも、予算を人質にとって国民生活を混乱させる振る舞いは避けてほしい。そういう「いずれ政権を運営する勢力としての安心感」もほしいと考えているのではないでしょうか。
この有権者の視線の変化について、時々勘違いして「だから立憲は保守に近寄るべきだ」などと主張する人がいますが、それは違います。政権運営は保守政党でないとできないわけではありません。政権を運営できる意欲と能力の有無は、政策とは無関係です。
「与党に賛成して自らの政策を取り入れてもらう」のではなく「自分たちが政権をとって、自民党とは違うこんな社会を作りたい」と訴える。その主張に実現のリアリティーさえあれば、何も自民党と同じような政策である必要などありません。むしろ、自民党と同じような政策ばかり掲げていては「だったら政権交代の必要はない」となってしまいます。自分たちが政権を取った時は、今の自民党とは少し違う方向に国の舳先を向ける。そしてそれは実現可能である。こういうことをアピールすることは、死活的に重要です。
「自民党(時の政権与党)とは違う社会のありようを目指す」だけでなく「自民党に代わって安定して政権を運営できる可能性を見せる」ことを、同時に示さなければならない。この点が、野党第1党とほかの野党の大きな違いです。立憲の置かれている状況は、「野党多弱」と言われていた時代から、大きく変わっていることを忘れてはなりません。
「自民党を負けさせるには立憲に投票する」空気感
尾中 先ほど「2強多弱」と言いましたが、立憲民主党がこれから難しいのは、政権を争う相手として自民党と向き合うことだけでなく、この「多弱」の野党をどう御するかということです。
野党第1党と第2党以下では、目指すものも違ってきます。野党第1党は将来の政権運営を視野に入れた行動が求められますが、第2党以下の小さな政党は、党勢拡大のためには、自分たちが目立たなければどうしようもない。彼らにとっては「与党と戦う」ことも大事ですが、野党第1党とも差別化を図らなければなりません。国民民主党が、過度に与党と強調して自らの政策を実現させることに血道を上げるのも、彼らの立場からすればある意味仕方のないことなのかもしれません。
そのことを百も承知の上で「だけど、ここは自民党ではダメでしょう、ここは一緒にやれるでしょう」とまとめていかなくてはならないのが、野党第1党の難しいところです。残念ながら立憲民主党は、現時点でそのことに成功しているとは思えません。少なくとも政治改革、企業・団体献金の禁止などの局面では、立憲に堂々とした野党の中核としての役割を果たしてほしいですね。
先ほども申しましたが、衆議院の選挙制度は小選挙区比例代表並立制です。比例代表部分があることによって、中小政党が生き残る余地が残っています。そして今、立憲が強くなりきらない間に自民党が極端に弱くなってきたので、その隙間で国民民主党などの中小政党が、実際に影響力を増してしまいました。
「2強多弱」とはそういうことです。2大政党による政権交代の可能性が増すとともに、中小政党が大政党に及ぼす影響力も増しました。その結果、先の臨時国会で、野党第1党の立憲民主党が補正予算の修正に成功するのと、国民民主党が「103万円の壁」で存在感を誇示するということが、同時進行で起きているわけです。
ただ、長い目で見れば「2強」と「多弱」では当然ながら「2強」の方が強いです。選挙になれば、特に小選挙区制の衆院選になれば、自民党からの政権交代を求める人は、野党第1党の立憲民主党に、消極的ながらも支持を集めざるを得なくなるからです。
昨秋の衆院選では野党は、候補者一本化などのいわゆる「共闘」が、ほとんどできませんでした。にもかかわらず野党の中では、立憲が突出して伸びました。一つの選挙区に野党候補が乱立しても、有権者は「自民党に勝てる」候補として、小選挙区では野党第1党の立憲候補に票を集めたのではないでしょうか。いわゆる「戦略的投票」ですね。
選挙区で一人しか当選しない小選挙区制は、結局は上位2候補の一騎打ちの構図を求めます。立憲民主党は野党の中で頭ひとつ抜け出して「2大政党の一翼」として認知され始めたことで、野党が乱立しても選挙で勝ち上がれる力を身につけたのかもしれません。
――― 夏の参議院選挙まで、立憲民主党は野党共闘にばかり神経を使う必要はなく、独自にやる方がいいと。
尾中 立憲民主党が「野党共闘」より「自前での戦い」をより重視すべき段階に来た、というのはその通りだと思います。
ただ、参院選は衆院選と違い、複数区も多いし、比例代表も全国比例なので、衆院選に比べると中小政党が生き残りやすい特徴があります。現在の国民民主党フィーバーが十分に冷めないうちに選挙が来ますから、おそらく参院選でも昨秋の衆院選と同じような結果になるのではないでしょうか。立憲はそこそこ伸びるでしょうが、国民民主などもある程度伸びて、メディアはそこばかりに注目するでしょうね。
あと、参院選は半数改選なので、よほどのことがない限り次の選挙で与野党逆転が起こることはないと思います。その意味では、政権交代に近づくにはもう少し時間がかかりますし、次の衆院選くらいまでは、この面倒な状況に耐えるしかないでしょう。
それでも、政権交代に向けた基盤は、ゆっくりでも確実に作られていくと思います。立憲は今置かれている自らの状況に自信を持つべきだし、責任も自覚すべきです。
SNSを過度に評価せず、既存メディアの変革も必要
――― 今話題になっている、SNSの選挙への影響や既存メディアとの関係についてはどうお考えでしょう。
尾中 「現在の日本において」を前提とするなら、SNSの影響力はまだ、そんなに大きいとは思いません。
東京都知事選で石丸伸二さんは、小池百合子さんには勝てませんでした。結局は自民党と公明党の組織力、そして小池さん自身の現職としての知名度を覆すには至らなかったわけです。兵庫県知事選のように、少し選挙区の規模が小さいところになると、勝てる要素も出てくるかもしれませんが、斎藤元彦さんは本当にSNSの力だけで勝ったのか、緻密な検証ができているのかというと、やや疑問です。知事選の前に衆院選があって、メディアの報道が衆院選一色になって、斎藤さんのパワハラ問題が報道から消えたことも影響した可能性もあった、との指摘もあるようですね。評価するか憂慮するかにかかわらず「斎藤氏勝利は全てSNSの影響!」と声高に叫ぶ人々を見ていると、それ自体も印象操作かもしれない、という疑いを抱きます。
首長選のような政党色が強く出ない選挙では、こういうことは散発的に起こりうるかもしれません。でも、例えば小選挙区で全国的に戦うような衆院選で、新興勢力がSNSの力だけで単独で大きな議席を得るようなことは、今の段階ではまだ起こらないと思います。
ただ、アメリカの大統領選でトランプさんが再選したのを見ると、一定の組織をしっかり持った既存政党にSNSが乗って、選挙結果に影響を及ぼすことは、いずれ日本でも起きる可能性があるかもしれません。そこは少し懸念しています。
「野党が奮起して政権交代のある政治を実現してほしい」という立場で語っている私が言うのもおかしいかもしれませんが、だから今、自民党には本当にしっかりしてほしいと思っています。自民党と立憲民主党の2大政党で、衆議院の議席のうち、せめて8割ぐらいまではしっかり押さえる。そしてその2大政党が、どちらもポピュリズム的な勢力に侵食されないよう、しっかりとした組織基盤を持ち、地域のリアルな人々とつながることが大事だと思います。まさに「地力をつける」「地力を養う」ということですね。残念ながら自民党だけでなく立憲民主党にも、こうした勢力の侵食を許しかねない「弱さ」があるのが気になります。両党とも本当にしっかりしてほしいと思います。
――― 併せて、既存のメディアに求めるところはどういうことでしょうか。
尾中 きちんと取材してほしい、ということですね。
小選挙区制度ができてから30年が過ぎましたが、その30年ぐらい、せめて細川政権以降の流れで今日に至っていることを分かった上で書いてほしいと思います。第2次安倍政権以降についての知識ぐらいでしか書いていないような気がするので、ちょっと心配だなと思うのが一つ。
もう一つは、私が現役の記者だった頃からそうですが、もっと政治の「表の言葉」を大切にしてほしい、ということです。記者会見をどう評価するか、国会での質問と答弁をどう評価するか、選挙での発言をどう評価するか。そういうことに関心が薄いと感じます。
特に国会は、答弁はまだいいとして、質問には誰も関心を持っていないのではないでしょうか。「答弁は政府の方針になるから重視する」と考えているのかもしれませんが、それでは政府広報と変わりありません。国会の「論戦そのもの」にもっと着目して、大切に報じることが重要だと思います。
それから、明らかにおかしなことを言っているのに、「おかしい」という論評を与えないで垂れ流すのもやめてほしい。「取材先に突っ込まれるのが嫌だから、言われたことをそのまま書いている」ということだとしたら、あまりに情けないと思います。
私が現職だった頃から、メディアの政治記者はほとんど野党を捨てて、自民党のことばかり取材してきました。自民党の取材にはそれ相応の蓄積があるはずです。そういう人たちにとって、これから自民党がどう壊れていくのかを見つめ、報告することは、ある意味歴史的な場面に立ち会うことでもあり、取材者としては相当に面白い場面ではないでしょうか。もっと自分の仕事を面白がってほしいですね。
――― そういう意味では「面白い」時代がしばらく続くのでしょうか。
尾中 少なくとも野党サイドから政治を見ていた者としては、30年ぶりに面白い時代が来たと思っています。でも、だからと言って、こんなに閉塞感に溢れた生きづらい世の中をこのままにしては置けないし、トランプやプーチンが跋扈する時代を面白がれるわけもないです。トランプさんがどういうディールを日本に持ちかけてくるのか。大変な時代だと思いますが、だからこそ日本の政治も変わらなければいけません。
おなか・かおり
1965年福岡県生まれ。1988年毎日新聞に入社し、政治部で主に野党や国会を中心に取材。政治部副部長、川崎支局長、オピニオングループ編集委員などを経て、現在はフリーで執筆活動をしている。著書に『野党第1党:「保守2大政党」に抗した30年』(現代書館)、『安倍晋三と菅直人――非常事態のリーダーシップ』(集英社新書)、共著に『素志を貫く 枝野幸男インタビュー集』(現代書館)。
特集/混迷の世界をどう視る
- 政党政治のグローバルな危機の時代法政大教授・山口 二郎×中央大教授・中北 浩爾
- 日本は知識経済化ーイノベーティブ福祉国家へ慶応大学名誉教授・金子 勝
- トランプ2.0、パワーアップの秘密を暴く神奈川大学名誉教授・本誌前編集委員長・橘川 俊忠
- 立憲民主党は政権運営の準備を急げジャーナリスト・尾中 香尚里
- どこへ行くか 2025年のヨーロッパ龍谷大学法学部教授・松尾 秀哉
- ショルツ政権の崩壊とポピュリズム下の総選挙在ベルリン・福澤 啓臣
- 追加発信韓国の「12・3戒厳」は、違憲で違法の内乱聖公会大学研究教授・李昤京
- 創造的知性の復権労働運動アナリスト・早川 行雄
- 時代の転換を読む(上)――少数与党自公政権に売り込み競う維新と国民民主大阪公立大学人権問題研究センター特別研究員・水野 博達
- 労働基準法体系の解体を許すな!全国一般労働組合全国協議会 中央執行委員長・大野 隆
- 昭和のプリズム-西村真琴と手塚治虫とその時代ジャーナリスト・池田 知隆
- 『現代の理論』とアリスセンター近畿大学経営学部教授・吉田 忠彦
- 追加発信時代の転換を読む(上)――少数与党自公政権に売り込み競う維新と国民民主大阪公立大学人権問題研究センター特別研究員・水野 博達