特集 ● 混迷の世界をどう視る
現代日本イデオロギー批判 ―⑥
トランプ2.0、パワーアップの秘密を暴く
21世紀も4分の1が過ぎて混迷する世界を憂う
神奈川大学名誉教授・本誌前編集委員長 橘川 俊忠
忘却ではなく、攻撃が始まった
2001年は、新しい世紀の始まりであると同時に新しい千年紀の始まりでもあった。戦争と革命、そして、その後半には核戦争・絶滅戦争の脅威にさらされ続けた20世紀、新世紀・新ミレニアムを待つ人々の心情には、そういう20世紀的状況から脱却する期待が込められていた。それが、単なる時間の区切りであり、それ以上でも以下でもないとしても、特別の新年であるかのように人々は祝おうとした。
しかし、その期待は、木っ端みじんに打ち砕かれた。アメリカ合州国の政治・経済の中枢部を襲った「9.11同時多発テロ」である。ベルリンの壁の崩壊に象徴される東西冷戦の終結は、戦争の危機を遠ざけ、ただちに世界平和をもたらさないとしても、平和に向けた安定状態をもたらすという控えめな予想さえ完全に覆されてしまった。
イラクからアフガニスタンへとアメリカ合州国が主導する「対テロ戦争」の主戦場が移っても、中東の情勢は安定を欠き、「アラブの春」で垣間見られた民主化への希望もさらなる不安定化への序曲を奏でただけで終わってしまった。プーチンのロシアがウクライナに侵攻を開始して3年、イスラエル・パレスチナ戦争が始まって1年半、21世紀も4分の1が過ぎても世界の混迷は深まるばかりである。
この世界の混迷状態は、第二次世界大戦後の国際社会の枠組みが動揺し、諸大国の内部では自国第一主義が蔓延し、極右勢力が伸長する、管理された選挙のみを正当性の根拠とする疑似民主主義あるいは偽装された独裁政治が新興諸国中心に拡大する、という形で世界に分断と腐敗をもたらす。20世紀の二度にわたる世界大戦の反省の中からようやく築き上げられた国際社会の枠組みも自国第一主義者のディールの材料にされ、崩壊の危機に瀕するまでに揺らぎはじめ、世界人権宣言や国際人権規約に結実した国境を越えた普遍的人権尊重の原則も無視され、国際連合安全保障理事会の常任理事国によってその精神が踏みにじられる。国家間の主権の相互尊重、軍事力による一方的現状変更の禁止などの原則も大国の横暴の前には効力を失う。
第二次世界大戦後80年の今、戦争への反省の上に成り立ってきた国際的組織・制度も、国際慣行・原則も、普遍的人権の観念も、弱体化し、色褪せ、難民への人道支援の活動すらも危険にさらされている。もちろん、大戦後も国際紛争は地球上のどこかで発生し、激しい戦闘が繰り返されてきた。飢餓や大量虐殺、日常的人権侵害も絶えることはなかった。しかし、これほどあからさまに理念・組織・原則・慣行が攻撃を受けることはなかった。戦争は人々にはかりしれない悲惨をもたらし、それは紛争解決の手段として究極的に否定されるべきものであるという認識は戦勝・戦敗の区別を超えて、国際社会の基調において共有されてきた。その基調が揺らぎ始めてきたのである。
こうした国際社会の変化は、戦後80年という時間の経過、戦争体験者の高齢化・減少による忘却・風化、さらに歴史修正主義的事実の歪曲・否定が加わった結果であろうが、その傾向は、戦争を反省すること自体にさえ向けられるようになってきた。
ドナルド・トランプの大統領再選に大きな役割を果たし、トランプの最強のバディー(相棒)と称されているイーロン・マスクは、彼が支持を表明したドイツのAFD(ドイツのための選択肢)の選挙集会にオンラインで参加し、「あなた方はドイツの一番の希望だ。ドイツやドイツ人であることに誇りを持つことが重要だ」と極右政党とその支持者にエールを送った。さらに「率直に言って、ドイツは過去の罪悪感にあまりにもとらわれすぎていると思います。乗り越える必要があります。子どもたちは親、ましてや曾祖父母の罪に罪悪感を抱くべきではありません」述べたという(「ハフポスト日本版」による)。まるでドイツおよびドイツ人を免罪してやるかのような口ぶりではないか。
トランプの周辺では、これとは反対にいつまでも罪を追及するかのような発言もあった。日本製鉄のUSスティール買収に関して、鉄鋼大手クリフス社のCEOロレンソ・ゴンサルベスは、記者会見で次のように述べたという。「アメリカ合衆国だ。日本よ、気をつけろ。あんたたちは自分が何者か理解していない。1945年から何も学んでいない。我々がいかに優れていて、いかに慈悲深く、いかに寛大で寛容か学んでいない」(テレビ朝日「報道ステーション」より)と。
発言者は異なるが、両者はトランプの側近や近しいとされている人物であり、トランプ政権の発想や雰囲気を示していると見ても間違いはないであろう。そして、その発言は一方は寛容を他方は脅迫を表現しているように見えるが、両者はドイツ・日本という第二次世界大戦の敗戦国に対して、許すも脅すも自分たち次第という高飛車な立場をとっているという点で共通している。このような、かつての戦勝国の傲慢な態度は、大戦への反省という真摯な姿勢への攻撃となるのである。
徘徊する前世紀の亡霊達
2016年のアメリカ合州国大統領選挙でアメリカ・ファーストを掲げて登場したトランプは、MAGA(Make America Great Again)をもう一つの合言葉として選挙に勝利した。その当時、グレートなアメリカがどの時代のどのようなアメリカを指すのか必ずしも明確ではなかったが、再選された今回は、その具体像がおぼろげながら見え始めた。どうやら、それは25代大統領ウイリアム・マッキンリーの時代であるらしい。
トランプは、就任直後に乱発した大統領令の一つで、アラスカにある北米大陸最高峰デナリの名称をマッキンリーにもどすと宣言した。この山は、アラスカ先住民の間では大きな山、偉大なるものを意味する言語で呼ばれていたが、その音に近いデナリと通称されていた。1897年、アメリカ合州国連邦政府は時の大統領の名にちなんでマッキンリー山と称することにした。その後、1970年代に先住民やアラスカ州政府がデナリの名称に戻すよう働きかけはじめ、2015年オバマ大統領によってデナリを正式名称とすることが決定された。トランプは2016年の選挙後このオバマの決定を取り消そうとしたが、先住民や州政府の反対でその試みを引っ込めていたが、今回は大統領令によってオバマの決定を否定したのである。その大統領令には「国家遺産への認識を高めること、将来世代の国民が米国の英雄たちの遺産をたたえられるようにすることは国益に資する」と書き込まれているという。
ところで、トランプが称賛してやまないマッキンリーは、高関税による保護貿易を主張し、「保護主義のナポレオン」と呼ばれ、「海のフロンティア」への進出を図り、領土の拡大に努めた。スペインとの戦争に勝利し、スペインの植民地であったプエルトリコ、グァム、フィリピンを奪い、キューバを占領下においた。さらにハワイ共和国を完全に併合し、合州国に編入した。まさに、帝国主義の合州国を体現する大統領であった。
トランプが大統領就任直後から次々に発した大統領令は、選挙戦中にすでに言及され、予想されていたこととはいえ、世界に与える衝撃は小さくはなかった。カナダはアメリカ合州国の一州になったほうがよいとか、グリーンランドを売り渡せとか、パナマ運河の運営権を取り戻すとか、メキシコ湾をアメリカ湾に改称するとか、前世紀初頭かと思わせるような領土拡張の欲望をあからさまにしているのも、マッキンリーに自らをなぞらえてのことだとすれば、時代錯誤もはなはだしいというほかはない。
こういうトランプの態度は、同じように時代錯誤な観念にとらわれた権力者・独裁者に歓迎され、それに倣おうとする政治家たちに便乗の機会を与える。ユーラシアニズムや大ロシア主義という前世紀どころか中世にまでさかのぼるような観念にとらわれたロシアのプーチン大統領や、いつの時代とも特定できないが茫漠とした観念の中に存在している中華帝国の再現を夢想する中国の習近平国家主席、旧約聖書に根拠をもとめパレスチナ全域の支配を至上命題とするイスラエルのネタニヤフ首相など、世界にはトランプに親和性を示す権力者に事欠かない。
敗戦国として過去を美化する表現には慎重な態度をとってきた日本でも、ついにトランプ流のスローガンを掲げようという政治家が現れてきた。小野寺自民党政調会長が、通常国会冒頭の首相施政方針演説に対する代表質問において、首相の「楽しい日本」に対して「まずは強い日本ではないか」と疑義を呈したあと、「トランプ流にいえば、Make Japan Strong Again」と主張した。GreatといわずにStrongとしたところに多少の躊躇がうかがわれるが、混迷する世界にトランプ的アプローチを容認する姿勢を示したといってよいであろう。少なくとも自民党幹部にはトランプのMAGA路線を批判する意志がないことは明白になった。まさか、トランプと同じように20世紀初頭の日露戦争前後の時期を目指そうというのではないであろうが。
それはともかく、さらに現代では消えたはずと思われていた、戦争が当然とされていた時代の亡霊のような態度や思潮が復活してきていることにも、この時代の混迷ぶりが現れてきた。
一つは、戦闘行為による死者の発生を誇る言辞が、政治指導者の口からなんのためらいもなく吐き出されるという事実である。アメリカ軍は、2月1日、ソマリアで空爆によって幹部を含む複数のIS(イスラム国)戦闘員を殺害したと発表した。それについてトランプはソーシャルメディアに投稿し「今朝、私が精密空爆を指示した」「バイデンやその取り巻きたちは仕事を成し遂げるために必要な早い行動を取らなかった。私はやった !」と主張した。戦場における殺傷行為が戦争PTSD(戦争による心的外傷後ストレス障害)を発症させることが、ベトナム戦争後広く知られるようになり、戦闘中の殺傷行為といえども公然と称賛されることが控えられるようになった現在、この自己賛美の言葉が大統領たる者によって発せられることのおぞましさに戦慄すら覚えざるをえない。
もう一つの亡霊のような思潮とは、「地政学」という用語の氾濫である。特にロシアのウクライナ侵攻以後、この言葉が乱発されるようになった。軍事史研究者・評論家、国際政治学者、政治家、コメンテーターやインフルエンサーと称する一般向け評論を生業とする人々などが「地政学的リスク」などという言葉を連発し、「地政学を知れば世界の紛争がわかる」という類の書籍が書店の棚を埋めている。
もともと、地政学というのは、戦争の戦略・戦術の立案において、地理的要因をどのように組み入れるかを問題とするところからスタートしている。したがって、それは戦争を引き起こす原因・構造を分析しようとするものではないし、ましてやその研究によって戦争を忌避したり、停止させたりする方法が見つかるというようなものではない。それは、帝国主義国が侵略・勢力拡大を正当化するための道具として機能した。今では死後となった「生存圏」とか「生命線」などの用語、「大陸国家」か「海洋国家」か、というような地理的決定論による国家の性格付けなどに「地政学」という一見学問用語かと思わせる言葉がかぶせられた。
そして、それがナチスドイツや軍国主義日本だけではなく、世界中の帝国主義国による侵略政策を正当化する疑似理論として主張されたのである。
そういう来歴を持つ言葉は、第二次大戦後ほとんど禁句となり、言論界からは消えていたのである。それが今や、ちまたにあふれる言葉になってきたのは、ロシアのウクライナ侵攻以後のことである。そもそも、プーチンによるウクライナ侵攻は、なんのために企てられたのか、侵攻開始当時から理解不能なところがあった。饒舌なプーチンが中世以来の歴史や宗教を持ち出し、NATOの東への拡大を非難したり、ウクライナ国内のロシア系住民の保護を主張したり、ナチスとの闘いと位置付けたり、自己正当化のための理屈をあげつらえばあげつらうほど、本当の目的は何なのかさらに分からなくなるという状況があった。外から見れば、プーチン反対派は弾圧され、プーチンの盟友といわれた財界や軍事会社の経営者も暗殺されたり不審な死を迎えたりしているにもかかわらず、政権には深刻な動揺の兆候すらないというロシア国内の政治情勢も理解しがたいところがあった。
一般に、人は理解しがたい事態に当面すると、不安になり、とにかく納得できる説明を欲しがるといわれているが、「地政学的なんとか」という説明は、納得できるような気分にさせてくれる効果を持っているようである。その意味では、「地政学からみて」などという表現は単なる形容句にすぎないといえばその通りであろう。だから、そんなに目くじらを立てるほどのことではないかもしれない。しかし、そんなあいまいな形容句でなんとなく納得してしまうというのは、明らかに思考停止状態におちいっている証拠である。前世紀の亡霊が吐き散らかすような言葉が広がれば広がるほど、受け狙いのポピュリストが跋扈する土壌ができあがる。
トランプ2.0、パワーアップの秘密
まるで100年以上も時代をさかのぼったかのような言説が飛び交い、世界中があっけにとられて思考停止に陥っているかのような状況の中で、そういう状況を作り出している張本人の傍若無人な振る舞いはとどまるところを知らないかのようである。再選されたトランプは、選挙公約通り、就任直後から大統領令を乱発して前政権の決定を全面的に覆し、閣僚・高官にはお気に入り優先・論功行賞人事、忠誠ならざる公務員には離職勧告・大量解雇の脅迫、気候変動や疫病対策などの国際的枠組みからの離脱・脱退、高率関税賦課、はてはパレスチナ問題についてガザ地区の領有・住民の強制移住を主張するなど、やりたい放題、言いたい放題。
トランプのこのような暴走を可能にしている要因として、大統領選挙で予想を上回る大差で圧勝したということ、二度目の登板で政治経験を積んできたことなどがあげられているが、どうもそれだけではなさそうである。どうやら大統領選挙後半から目立ってきたIT起業家たちの支持が、おおきな力をトランプに与えているようなのである。
従来、アメリカ西海岸のシリコンバレーに集まるIT関連企業の経営者や技術者は、アメリカ合州国でいう「リベラル」の傾向が強く、民主党の重要な支持基盤であった。トランプの最強のバディーとして得意の絶頂にあるイーロン・マスクも、前回の大統領選挙までは反トランプであった。ところが、今回はトランプ支持にまわりトランプ陣営に1億ドル以上を寄付し、選挙キャンペーンに同行するなど、トランプの当選に大きく貢献した。トランプ政権では、合州国特別政府職員としてDOGE(政府効率化省)のトップに就任し、予算・人員削減に辣腕をふるおうとしている。
その他のGAFAMのCEO達も、トランプに擦り寄り始め、大統領就任式典にそれぞれ100万ドルを寄付し、式典に出席してトランプへの祝意を表した。さらに、それらの企業が運営するプラットフォームにおいてファクトチェックなどの機能・部門の縮小・廃止やDEI(ダイバーシティ・エクイティ・インクルージョン)というバイデン政権が進めてきた企業経営における多様性・公平性・包括性の尊重という原則を放棄する動きも出てきた。
こうしたIT企業家達の動向は、小さな政府を主張し、規制緩和を要求する新自由主義的保守派から歓迎されるし、フェイクニュース規制やDEI推進などのリベラル派の主張をウオーク(日本でいう「意識高い系」)による過剰なポリティカルコレクトネス(特定の集団・個人への差別偏見の解消を目指す政策・運動)の押し付けと反発する伝統的保守派など、従来のトランプ支持者との矛盾を解消する方向への動きと見ることもできる。いずれにしても、トランプ2.0の周辺には、キリスト教原理主義、ティーパーティー的アメリカ至上主義、レーガン大統領以来の新自由主義、そこにシリコンバレーのテクノリバタリアンが加わって、「ゼロG時代」にそれぞれが描く「偉大なアメリカ」の復活を目指そうということであろう。
しかし、トランプを中心として集まった上述のような勢力は、来歴も目標も一致しているわけではない。その相違が、いつ決定的な対立に変化するかは分からない。すでに移民問題をめぐって、優秀な人材を世界中から引き寄せたいIT起業家と移民排斥を要求するアメリカ至上主義者との間からは不協和音が聞こえている。「性別は男女の二つのみ」というような多様性を真っ向から批判する政策が、長続きするとは思えない。国際機関からの脱退・離脱もグローバル化から利益を受けているものと孤立主義者との間で軋轢を生まずにはおかないであろう。パワーアップしたかに見えるトランプ2.0も一枚岩とはとてもいえない、脆弱性を抱え込んでいる。
ただ、注意しなければならないのは、トランプ2.0は、リバタリアン系シンクタンクなどの提言・協力をうけ、バージョン1.0のときよりも理論武装しているということである。
もちろんリバタリアンといっても、「自由」に最大の価値を見出すことを共通基盤とする思想潮流の総称であって、政治的には保守主義であるとはかぎらず、極左的無政府主義者まで多様な立場を含んでいる。トランプ周辺のリバタリアンは、高関税・国内産業保護・雇用維持・規制緩和という従来からの主張に加えて、先端産業の育成・基盤整備投資などの政策を加え、IT企業家などの支持を取りつけようとしてきたのである。
このような主張の理論的な構造をごく簡単に整理すれば、次のようになるであろう。
第一に、社会の安定・生活の向上・多様な社会問題の解決のためには「経済成長」が不可欠である。
第二に、「経済成長」のためには、成長を阻害する古いシステムを破壊する「創造的破壊」が必要である。
第三に、成長は「イノベーション」の基礎を作り、イノベーションはさらなる成長をもたらす。
第四に、イノベーションは。自由で多様性に開かれた社会から生まれるから、余計な規制あるいは奨励は不必要である。
第五に、イノベーションを起こすためには、福祉や既得権益を守る参入障壁は取り払わなければならない。
第六に、さらにイノベーションを起こした起業家には、それにふさわしいインセンティブになる価値が与えられなければならない。
トランプ2.0が、古い伝統的保守の立場を弱め、上述のようなリバタリアン的政策を維持し、イノベーティブな起業家の成功譚が新しいアメリカンドリームを提供し続けることができれば、案外安定政権となる可能性もないわけではない。
新しきことは何もなし
ところで、トランプ2.0を支えることになりそうなリバタリアン、特にシリコンバレーのテクノリバタリアン達の発想の根底にあると思われる思想に何か新しいものがあるか、と問うてみると意外なほど新しいものは見当たらない。さすがにテクノロジーに関しては80間近の老人には理解不能な新しい世界が築かれているようである。ITはIntelligence Technologyの略、AIはArtificial Intelligenceの略、といわれても何のことやらという頭に、「特異点(Singularity)とはなにか。テクノロジーが急速に変化し、それにより甚大な影響がもたらされ、人間の生活が後戻りできないほどに変容してしまうような、来るべき未来のことだ」(カーツワイル)といわれても、何か新しい社会が到来しそうだとは感じても、それがどんな社会か、具体的な姿は一向に分からない、のが実情である。
だから、テクノロジーそのものの内容やそれがもたらす可能性についての話はひとまずおいて、社会や人間自身についての考えについて検討してみよう。
先に述べたリバタリアンの社会についての理論の概略をみると、そこで使われているキーワードには、すでに聞いたことのあるものが少なくないことがわかる。創造的破壊やイノベーションという概念については、ヨゼフ・シュンペーターの本で読んだ記憶がある。福祉や規制が、意図せざる形で隷従や抑圧の体制をもたらす危険があるというのは、フリードリヒ・ハイエクが指摘していた。開かれた社会こそが安定した抑圧的ではない社会をもたらすとは、カール・ポパーの主張するところであった。かれらの思想は、主要には20世紀前半戦間期と呼ばれる時期に形成された。その意味では、リバタリアンの社会思想は、かれらの理論の焼き直しの感をまぬかれることはできないが、そこには、スターリン的社会主義とヒットラー的全体主義への緊張に満ちた思索の影はない。
その焼き直しの論理に付着しているのは、リバタリアンの多くが影響を公言しているアイン・ランドの悲劇的英雄の呪詛の言葉である。アイン・ランドは代表作『肩をすくめるアトラス』で、主人公の一人に次のように語らせている。「いつの時代も頭脳は悪とみなされ、活発な意識をもつ目を通して世界を見て理性的に関連づけていくというきわめて重要な行為をおこなう責任を引き受けた者たちに対しては」、あらゆる侮辱、不当な扱い、拷問が加えられてきた。「にもかかわらず鎖をつけて、地下牢で、隠れ家で、哲学者の小部屋で、商人の店で、頭脳を使い続けた者たちがいたために、その限りにおいてのみ人類は存続していくことができた」のであり、そうした人間は「おのれの頭脳の才能がもっとも気高く喜ばしい力であると知っていた人間である」と。
アイン・ランドの小説は、とびぬけた才能をもち有用な技術を開発したにもかかわらず迫害される起業家と、善意めかした偽善者に導かれた愚鈍なる大衆との闘いの物語で、反共主義の強い1950年代に執筆されている。これが、「アメリカで聖書の次に読まれている」といわれ、この精神が「シリコンバレーのベンチャー起業家に受け継がれている」というのである。また、アイン・ランドの描く才能ある起業家には、彼女が影響を受けたというニーチェの超人的人間像がこだましている。ここにも新しい人間観は見いだせない。
こう見てくると、現代アメリカ合州国の対立は、才能ある起業家すなわちギフテッドと偽善的社会改良主義者リベラルに引きずられるウオークの対立のように見えてくる。ギフテッドは、今や社会から疎外される立場から権力者の立場に移行した。悲劇の英雄は、肩をすくめるしかなかったかもしれないが、現代のギフテッドは、舞台の上で小躍りし、ナチス式敬礼をしてみせている。英雄は悲劇的な方がかっこいい。有頂天になった目立ちたがりのギフテッドは危険なトリックスターとして切り捨てられる運命が待っているような気がするが、どうだろうか。
きつかわ・としただ
1945年北京生まれ。東京大学法学部卒業。現代の理論編集部を経て神奈川大学教授、日本常民文化研究所長などを歴任。現在名誉教授。本誌前編集委員長。著作に、『近代批判の思想』(論争社)、『芦東山日記』(平凡社)、『歴史解読の視座』(御茶ノ水書房、共著)、『柳田国男における国家の問題』(神奈川法学)、『終わりなき戦後を問う』(明石書店)、『丸山真男「日本政治思想史研究」を読む』(日本評論社)など。
特集/混迷の世界をどう視る
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