論壇
琉球の脱植民地化と徳田球一
琉球民族の解放と独立を展望する――(中)
龍谷大学経済学部教授 松島 泰勝
3 毛沢東の「祭黄帝陵文」と琉球独立との関係

(2023年11月4日、中国人民抗日戦争紀年館にて著者撮影)
2023年10月、私は「祭黄帝陵文」の存在を中国人民抗日戦争紀年館において初めて知ることができた。毛沢東が琉球に言及したことに感動した。「抗日戦争紀念罔」には次のような説明文が記載されている。「(祭黄帝陵文は)毛沢東が中国共産党を代表して発した国民的抵抗戦争を呼びかけるマニフェストであり、中共とその軍民指導部が抗日抵抗と救国の先駆者となることを誓う『進軍命令』でもある。」注1
同祭典から三か月後、「七・七事件」が勃発し、共産党と国民党は抗日戦争のために二度目の民族共闘を行った。同年8月、中国共産党中央委員会政治局は陝西省洛川で拡大会議を開き、「抗日救国十大綱領」を採択した。
1937年4月5日、中華民族の祖先を祭る伝統的な祭典である清明節に際して、共産党と国民党はそれぞれの代表者を派遣し、陝西省黄陵県橋山にある黄帝陵において参拝式を行った。式典では両党の代表が「黄帝陵への供物」を読み上げたが、共産党の「祭黄帝陵文」は毛沢東が延安において執筆した。
赫赫始祖,吾华肇造,胄衍祀绵,岳峨河浩。聪明睿智,光被遐荒,建此伟业,雄立东方。
世变沧桑,中更蹉跌,越数千年,强邻蔑德。琉台不守,三韩为墟,辽海燕冀,汉奸何多!
以地事敌,敌欲岂足,人执笞绳,我为奴辱。懿维我祖,命世之英,涿鹿奋战,区宇以宁。
岂其苗裔,不武如斯,泱泱大国,让其沦胥。东等不才,剑屦俱奋,万里崎岖,为国效命。
频年苦斗,备历险夷,匈奴未灭,何以家为。各党各界,团结坚固,不论军民,不分贫富。
民族阵线,救国良方,四万万众,坚决抵抗。民主共和,改革内政,亿兆一心,战则必胜。
还我河山,卫我国权,此物此志,永矢勿谖。经武整军,昭告列祖,实鉴临之,皇天后土。
尚飨。
本文中の「琉台不守,三韩为墟」は、「琉球と台湾は守られず、三韓は廃墟と化した」という意味になる。台湾は中国の一部であるが、それと並列する形で琉球が記載されている。「三韓」とは朝鮮半島を指し、朝鮮王朝は琉球王国とともに、明朝、清朝に対して朝貢冊封の関係にあった。つまり、毛沢東は、日本帝国の侵略により、明朝や清朝の藩属国であった琉球国や中国の一部であった台湾を守ることができず、同じく藩属国であった朝鮮王朝が日本帝国により破壊されたと認識していたと解釈することができる。共産党と国民党とが「国民戦線」を結成して日本帝国と戦えば勝利することは必定であるとの決意を毛沢東は本文で示し、抗日戦争に向けて中華民族を鼓舞した。毛沢東は、琉球が日本とは異なる政治主体であり、中華文明に含まれる琉球国が1879年に日本によって奪われたことは、中国全体にとっても大きな損失であったと考えていたことが分かる。
1937年8月、毛沢東は次のように「抗日救国十大綱領」において「抗日救国」を訴えた。「華北と沿海各地を防衛するために、最後まで血戦する。北平〔北京〕・天津と東北を奪回するために、最後まで血戦する。日本帝国主義を中国から駆逐する。どのような動揺、妥協にも反対する。(中略)全中国人民を動員し武装して抗戦に参加させ、『力ある者は力を出し、金がある者は金を出し、銃がある者は銃を出し、知識があるものは知識を出す』を実行させる。(中略)朝鮮、台湾、および日本国内の労農人民と連合して、日本帝国主義に反対する。(中略)全員の、義務の、無料の教育計画案を実施し、人民の民族的自覚の程度を高める。(中略)抗日の民族団結、国共両党の徹底的な合作という基礎の上に、全国の各党各派各界各軍の抗日民族統一戦線を結成して、抗日戦争を指導し、誠意をもって団結して、ともに国難に立ち向かう。」注2
「祭黄帝陵文」をさらに具体化して抗日救国の闘いを方向付けたのが「抗日救国十大綱領」であり、中華民族を鼓舞し、最終的に日本帝国に打ち勝つことができた。
1939年、延安において執筆された「中国革命と中国共産党」において毛は次のように指摘している。「(帝国主義列強は)中国にたいして、たびかさなる侵略戦争をおこなった。たとえば、一八四〇年のイギリスのアヘン戦争、一八五七年の英仏連合軍の戦争、一八八四年の中仏戦争、一八九四年の中日戦争、一九〇〇年の八ヵ国連合軍の戦争がそれである。帝国主義列強は、中国を戦争でうち負かしたのち、中国のまわりの、もと中国に保護されていた多くの国を占領しただけでなく、中国の領土の一部を強奪したり『租借』したりした。」注3
「中国のまわりの、もと中国に保護されていた多くの国」の中に琉球国も含まれる。中国が日本を含む帝国主義列強によって半植民地になった歴史過程において、琉球併合の事実が「祭黄帝陵文」上で明記されたのである。
日本帝国により植民地支配を受けたアジア諸地域における独立について毛沢東は次のように述べている。「われわれは、カイロ会議の朝鮮独立についての決定は正しいと考える。中国人民は朝鮮人民の解放を援助すべきである。われわれは、インドの独立を希望する。なぜなら、独立、民主のインドは、インド人民にとって必要であるばかりでなく、世界平和にとっても必要だからである。南方諸国――ビルマ、マラヤ、インドネシア、ベトナム、フィリピンについては、われわれは、日本侵略者がうちやぶられたのち、これらの国の人民が独立、民主の国家制度樹立の権利を獲得できることを希望する。タイ国については、ヨーロッパのファシスト従属国にたいしてとられている方法にならって処理すべきである。」注4
毛沢東は、「藩属国」と呼ばれる、中国の旧朝貢国の独立を認めている。琉球も中国の藩属国であったのであり、当然、その独立も認められると毛沢東も考えていたと言える。徳田球一は、琉球人として初めて、琉球人アイデンティティを踏まえて、日本帝国による琉球の植民地支配を批判し、その独立を主張した人物である。毛沢東は、琉球独立を主張する徳田を中国に受け入れ、その革命運動を支援した。日本の植民地になったアジアの国々の中でいまだに独立を実現していないのは琉球のみである。琉球独立が実現しない限り、日本の戦後処理が終わったとは言えない。
ここで注意を要するのは、「琉台不守」と書かれているからと言って、それを「台湾独立」の根拠にはできないということである。呉啓訥も指摘しているように「琉球独立」と「台湾独立」は根本的に異なる。注5琉球は本来独立国であり、将来独立する権利があるが、元々台湾は中国の一部であり、将来中国に統一されなければならないと考える。
毛沢東は「日本帝国主義に反対する戦術について」において以下のように述べている。「日本帝国主義と民族裏切り者、売国奴の任務は、中国を植民地に変えることであり、われわれの任務は、中国を独立、自由、領土保全の国家に変えることである。」注6
中国革命の目的は「独立、自由、領土保全の国家」を形成することであり、日本帝国の植民地であった台湾を取り戻すことは領土保全を完成させることを意味する。台湾が中国の元に返還されず、「台湾独立」を志向することは日本帝国主義を清算せず、むしろそれを強化しようとする右派勢力(日本帝国主義者、民族裏切り者、売国奴)の野望でしかないと言える。
(注1)「1937年:毛泽东为何撰写《祭黄帝陵文》」(松島泰勝訳) 「抗日戦争紀年罔」(https://m.krzzjn.com/show-1178-77929.html 2024年10月23日接続)。2023年11月4日、著者は他の琉球人研究者とともに中国人民抗日戦争紀年館を訪問し、抗日戦争の実態を多角的に学び、「祭黄帝陵文」の存在を知り、毛沢東の琉球認識について考えることができた。吾々のために特別に見学を認めて下さった羅存康・館長、展示について解説をして下さった徐勇・北京大学教授をはじめとする中国人研究者の方々に心より感謝を申し上げたい。
(注2) 毛沢東「抗日救国十大綱領」(野村浩一他編集『救国と民主―抗日戦争から第二次世界大戦へ(新編 原典中国近代思想史 第6巻)』岩波書店、2011年、27〜29頁)
(注3) 毛沢東「中国革命と中国共産党」(毛沢東『毛沢東選集 第二巻』外文出版社、1968年、418頁)
(注4) 毛沢東「連合政府について」(毛沢東『毛沢東選集 第三巻』外文出版社、1968年、369頁)
(注5) 呉啟訥「琉獨與臺獨的差異」(『遠望』2016年9月號(總336期))
(注6) 毛沢東「日本帝国主義に反対する戦術について」(毛沢東『毛沢東選集 第一巻』外文出版社、1968年、220頁)
4 毛沢東の民族解放論と琉球独立
1960年代、世界的に独立運動が活発になったが、毛沢東は1962年9月に行われた八期十中全会において民族解放運動に関して以下のように論じている。「われわれには反帝の任務があり、民族解放運動を支持する任務がある。つまり、アジア、アフリカ、ラテン・アメリカ三大陸の、労働者・農民・革命的民族ブルジョアジー・革命的知識分子を含む広範な人民大衆を支持しなければならず、われわれはこんなに多くの人びとと団結しなければならないのである。」注7
毛沢東は、「民族が解放されることによってのみ、プロレタリアートと勤労人民の解放の可能性が得られるのである。」注8とも述べている。
毛沢東にとって民族解放が何よりも優先されるべき事項であった。それは以下の文において「帝国主義と中華民族との矛盾」が「主要矛盾」であると位置付けられていることからも明らかである。「帝国主義と中華民族との矛盾、封建主義と人民大衆との矛盾、これらが近代中国社会の基本的な矛盾である。もちろん、ほかにも矛盾はある。たとえば、ブルジョア階級とプロレタリア階級との矛盾、反動的支配階級内部の矛盾などがそれである。だが、帝国主義と中華民族との矛盾は、さまざまな矛盾のなかの主要な矛盾である。」注9
中国は、民族解放闘争により「帝国主義と中華民族との矛盾」を脱することができたが、琉球は日本による植民地支配を現在も受け続けており、この主要矛盾からの脱却つまり琉球独立が大きな課題になっている。
第三世界の経済分析、民族解放等を研究した、新従属論の経済学者のサミール・アミンは次のように述べている。「中国革命は民族解放の革命にほかならなかった。《新民主主義論》(一九四〇年)で毛沢東が、この革命と任務と戦略を規定している。つまりプロレタリア・貧農に依拠する指導部が、新タイプの民族民主主義革命を可能にし、社会主義革命の条件を創出したのだ。」注10アミンも「中国革命は民族解放の革命」であると考えていた。
毛沢東は「新民主主義論」において、「民族」の重要性を次のように強調した。「このような新民主主義の文化は民族的である。それは、帝国主義の圧迫に反対し、中華民族の尊厳と独立を主張するものである。それはわれわれの民族のものであり、われわれの民族の特性をそなえている。それはすべての他の民族の社会主義文化および新民主主義文化と連合し、たがいに吸収し発展しあう関係を樹立し、ともに世界の新文化を形成するものである。(中略)中国共産主義者がマルクス主義を中国に適用するばあいも同様で、マルクス主義の普遍的真理と中国革命の具体的実践を完全に適切に統一しなければならない。つまり民族的特徴と結びつけ、一定の民族的形式をつうじてこそ、役にたつのであって、けっして主観的、公式的にそれを適用してはならないのである。」注11
「民族的形式」を踏まえたマルクス主義が「中国型社会主義」となり、「中華民族の尊厳と独立」の実現が大きな目標となる。
欧米列強、日本帝国による中国侵略以来、「中国の民族問題」は、中華民族が外国の侵略と分割に反抗し、祖国統一と領土保全、中華民族の解放と独立を求めるものであった。これは中華民族の民族的革命であり、世界の植民地における民族問題の一つの重要な構成部分となった。注12
中華民族の解放と独立を求める民族解放闘争において中心的役割を果たしたのは、次のように、毛沢東が中心的役割を果たした中国共産党であった。「中国共産党はマルクス・レーニン主義と中国の革命実践とをあい結合させ、中国の民族問題を正確に解決する道を探し出し、中国の近代社会の主要矛盾が帝国主義と中華民族との矛盾であり、広範に各族人民を団結させて帝国主義の侵略に抵抗する必要があり、『対外的には中華民族の徹底した解放を求め、対内的には中国各民族間の平等を求める』ことを表明した。このように中華各民族の根本利益の一致性と不可分性が明示され、合わせて中華民族の大連合の必要性が理論と革命綱領という高いレベルにまで昇華した。よって、中国共産党は中華民族の大連合の指導者・核心的勢力になったのである。」注13
毛沢東が言う「中華民族」とはどのような民族を指すのであろうか。中国を代表する社会学者、人類学者の費孝通は「中華民族の多元一体格局」について次のように論じている。「中華民族は中国の境域内の五六の民族を包括する民族実体であり、決して五六の民族を合わせた総称ではない。というのも、この計五六の民族はすでに結び付いて相互に依存するものとなっており、一つに合わさっていて分割することのできない統一体であるからである。この民族実体において、それに帰属するすべての成分〔構成要素となる民族集団〕は、すでにレベルがより高い民族的アイデンティティ、すなわち利害を共にし、存亡を共にし、栄辱を共にし、命運を共にするという感情と道義を有している。私はこの論点を民族アイデンティティの多層次論へと発展させた。多元一体格局の中では、五六の民族は基層であり、中華民族は高レベルなのである。」注14
「多元一体格局が形成されるには、分散的な多元が結合して一体を形成して行く過程があり、この過程において凝集作用を果たす核心の存在が必要であった。漢族は多元的な基層のうちの一つであるが、彼らこそが凝集作用を発揮し、多元を一体へと結合させたのである。この一体はもはや漢族ではなく、中華民族であり、高いレベルのアイデンティティを持つ民族なのである。(中略)高いレベルのアイデンティティが必ずしも低レベルのアイデンティティにとって代ったり、あるいはそれを排斥したりするものではない。異なるレベルは衝突せずに両立して存在することができるし、さらに、異なるレベルのアイデンティティの基礎の上にそれぞれがもともと持っていた特徴を発展させ、多言語・多文化の統一体を形成することもできる。よって高いレベルの民族は、実質的には一体であり多元的でもある複合体である。その間には互いに対立する内部矛盾、すなわち差異の一致という矛盾が存在しているが、その消長や変化によって、絶え間なく変動する内外の条件に適応し、その共同体自身の存続と発展を可能にするのである。」注15
2009年、ユネスコ(国連教育科学文化機構)は、琉球列島には、奄美語、国頭語、沖縄語、宮古語、八重山語、与那国語の6つの、日本語とは独立した琉球諸語が存在することを認めた。言葉だけでなく、島ごとに神話、伝説の文化や歴史が異なる。「琉球民族」も、沖縄諸島、宮古諸島、八重山諸島、奄美諸島の諸民族が相互に依存し合い、「琉球文化圏」を形成する民族実体であると言える。
また漢族の「凝集作用」は琉球にも及んだ。1372年、琉球の中山国の察度が明朝との間で朝貢・冊封関係を結んだ時から、朝貢使の中国への派遣と冊封使の琉球国訪問、交易活動、中国への留学、「閩人三十六姓」の琉球国定住等を通じて、中華文明が琉球に伝わり、琉球文化の基層に浸透するようなった。例えば、門中制度、葬制、墓の形式、石敢当、シーサー、龍信仰、道教、儒教、媽祖信仰、琉球料理、清明祭、三線、空手等をあげることができる。1937年4月5日の清明節に毛沢東が執筆した「祭黄帝陵文」が読み上げられたが、「清明節」を現在も毎年挙行している琉球人は、その祭祀が民族の生活、信仰においてどれほど重要であるのかを認識することができる。(続く)
(注7) 毛沢東「八期十中全会での講話」(毛沢東『毛沢東思想万歳(下)』三一書房、1975年、50頁)
(注8) 毛沢東『民族解放戦争と統一戦線 第二冊』国民文庫社、1953年、10頁
(注9) 毛沢東「中国革命と中国共産党」(毛沢東『毛沢東選集 第二巻』外文出版社、1968年、422頁)
(注10) サミール・アミン『マオイズムの未来』第三書館、1983年、68頁。
(注11) 毛沢東「新民主主義論」(毛沢東『毛沢東選集 第二巻』外文出版社、1968年、522〜523頁)
(注12) 陳連開「中国・華夷・蕃漢・中華・中華民族―一つの内在的関係が発展して認識される過程」(費孝通編著『中華民族の多元一体構造』風響社、2008年、130頁)
(注13) 同上論文(同上書159頁)
(注14) 費孝通「エスニシティの探究―中国の民族に関する私の研究と見解」(費孝通編著『中華民族の多元一体構造』風響社、2008年、325〜326頁)
(注15) 同上論文(同上書、326頁)
まつしま・やすかつ
1963年琉球石垣島生まれ。早稲田大学大学院経済学研究科博士課程満期単位取得、博士 (経済学)早稲田大学。1997年から2000年まで在ハガッニャ(グアム)日本国総領事館、在パラオ日本国大使館に専門調査員として勤。東海大学海洋学部助教授を経て、2009年~現在、龍谷大学経済学部教授。ニライ・カナイぬ会共同代表、琉球民族遺骨返還請求訴訟原告団長。著書に、『沖縄島嶼経済史』『琉球の「自治」』(ともに藤原書店)、『ミクロネシア』(早稲田大学出版部)、『琉球独立への道』(法律文化社)、『琉球独立宣言』(講談社)、『琉球独立論』(バジリコ)、『帝国の島』(明石書店)、『琉球 奪われた骨』(岩波書店)、『学知の帝国主義』(明石書店)など。編著に、『島嶼沖縄の内発的発展』(藤原書店)、『大学による盗骨』『京大よ、還せ』(ともに耕文社)、『談論風発 琉球独立を考える』『歩く・知る・対話する琉球学』(ともに明石書店)、『取り戻さな!我した琉球先祖ぬ骨神』(琉球館)など。
論壇
- 寄稿――『朝日新聞』が記事で「先住民族」を「先住人民」と表記フリーライター・平野 次郎
- 琉球の脱植民地化と徳田球一(中)龍谷大学経済学部教授・松島 泰勝
- テキヤ政治家・倉持忠助の「電力問題」(上)フリーランスちんどん屋・ライター・大場 ひろみ
- 「海の遺骨収容」の可能性切り開く「新聞うずみ火」記者・栗原 佳子
- 大逆事件と再審法改正ジャーナリスト・西村 秀樹
- 四国はどうなる、地方はどうなる松山大学教授・市川 虎彦