特集
20世紀の文明史的遺産を再構築する
トランプ×プーチンに抗して
トランプ×プーチンに抗して
東京大学教授 遠藤 乾
聞き手 本誌代表編集委員(日本女子大名誉教授) 住沢 博紀
1.冷戦後のNATOとロシアのせめぎあい
2.NATO―EU、日米安保―憲法9条と経済大国というパラレルな関係
3.トランプ政権のもとでNATO・日米安保の変容
4.相互関税とドル体制の限界
5.国際組織からのアメリカの離脱と多国間協力による補完
6.日本ができること、日本が転換しなければならないこと
1.冷戦後のNATOとロシアのせめぎあい
住沢 トランプ 2.0は4年前とは大きく異なり、戦後世界の国連憲章に立脚する安全保障やNATOなどの集団的自衛の同盟組織、WTOの自由貿易システム、さらには国際法秩序を揺さぶる大きな転換を挑んでいます。「アメリカを再度、偉大にMAGA」を唱えながら、20世紀のパクスアメリカーナから自ら身を引くという、矛盾した光景を私たちは目にしています。また米国内では、企業や大学に対してDEI(多様性・公平・包摂)の否定を要請するなど、リベラルに立つ価値を否定し、20世紀の世界像とは異なる価値を擁する社会(ただし否定としてのみ)を掲げています。EUおよび国際政治が専門である遠藤乾東大教授に、トランプをめぐるこうした「大きな問題」を語っていただきます。
日本国内でも世界でも、アメリカとの貿易黒字国に対する高い「相互関税」が関心の的ですが、これらの通商問題は現段階では流動的でトランプのディール外交の限界も指摘されています。これに対して、ウクライナ戦争はもっと直接的です。トランプのロシア寄りの和平案やNATO内での欧州諸国との不一致は、直接的に戦後世界のグローバルな秩序形成に不可逆的な影響を与える可能性があります。冷戦後のNATOの東方拡大に対して、ロシアの「防衛戦争」だという国々、人々も存在します。しかし地政学的な意味で、強い国が弱い国を支配するということになれば、2度の世界大戦を経て到達した、人類の文明史的遺産と共通理念は崩壊の危機にさらされます。この点からお願いします。

遠藤 大きな質問だと思うんです。冷戦終結後のヨーロッパ史、世界史というものを総括するにあたり、ウクライナ侵略の原因をアメリカによるNATOの東方拡大に全て帰するというのは、やはり世界史に対する侮辱であり、平衡を欠くものであるという風に思います。みんな忘れていますけども、人権侵害甚だしいチェチェン紛争の真最中に、ロシアをヨーロッパ評議会の方に入れました。これは戦後欧州統合の端緒をなす人権組織なのですが、ものすごい苦渋の中で、だけどロシアのヨーロッパへの社会化を優先するわけです。次の年、95年にOSCEが立ち上がって、そこでロシアを含めて全欧安保をやろうという動きもありました。他にもG7をG8にしてロシアを入れ、それなりに西側世界もロシアの包摂というのを図ってきた歴史もパラレルにあるんですね。
もう1つ、フォーカスをNATOの東方拡大の方に合わせますと『Not One Inch』(邦訳『1インチの攻防』岩波書店 2024)という歴史書があり、冷戦後の歴史がもう本格的に歴史学の対象になっています。それをつぶさに見ますと、クリントン政権が東欧系の移民の票を目当てにNATO拡大に舵を切っていく、その中でロシア包摂派が周辺化されていった歴史があるんです。
それだけで物語が済むわけではなくて、冷戦終結のヒーローでもあったヴァウェンサやハベルといった人たち、ポーランド・チェコの道徳的権威のある指導者たちが、エリツィンによる議会の攻撃やチェチェン紛争を見て、ソ連が崩壊してロシアになってもやはり脅威だとひしひし感じて、NATO加盟に動くわけですね。それは言い方を変えるとロシア側自身に問題があったということで、脅威感をロシアが与える中で、東ヨーロッパ諸国が安全保障を求めてNATOに駆け込むということになったわけです。ですので、全ての悪をNATOの拡大にだけ帰するというのは、単純に過ぎるのではないかという風に私は思っております。
さらに言えば、2008年のブカレストNATO首脳会議で将来におけるウクライナやジョージアの加盟というのが謳われたのは確かですが、加盟行動計画(MAP)については起動しないということになり、事実上メンバーシップに向けて具体的な動きは取らないという決定と一緒だったわけです。
もうちょっと言うと、その前年の2007年の段階でプーチン氏は、ミュンヘン安全保障会議でもう西側の世界観なんかにはついていかないと有名な演説をしています。これはもちろん、2003、4年のカラー革命、2003年のイラク侵略を受けての話ですけれども、反西洋スタンスを明確にしていたわけで、NATOの東方拡大だけがウクライナに対する侵略を誘発したというのは、クロノロジーからしても成り立たないと思います。
2.NATO-EU、日米安保―憲法9条と経済大国というパラレルな関係

住沢 トランプのアメリカは、ウクライナ戦争に関して外部の仲裁者として登場しています。結果としてNATOは存在してはいるが、ウクライナ支援や欧州の安全保障は、場合によってはヨーロッパが独自で担うという可能性が生じ、「ロシアの脅威と戦える欧州諸国の軍隊の再構築」や欧州内での軍需産業の育成などが議論され、予算的処置も講じられています。ただし核抑止論に関しては、どうしてもアメリカ抜きには不可能なので、この点でのアメリカとの同盟関係の継続が求められているわけです。
遠藤さんは、ウクライナ戦争でのプーチンの罪のひとつは、ウクライナの反転攻勢に直面したおりに、戦術核兵器の使用をほのめかすことにより、戦争遂行に利用した。このことで戦争に際して核兵器の使用がリアルにあるという、パンドラの箱を開けてしまったことだと批判されています。欧州の一部メディの論調では、それはひいては、欧州で独自に安全保障を構築するにしても、英仏など核を持つ国と、そうでない国との分裂が生まれるのではと危惧されています。私はこれまでの欧州のNATO諸国の首脳会議、国防大臣の会議などを見るかぎり、そうした危惧はないと思いますが。
遠藤 欧州委員会は120兆円に及ぶ軍備拡張計画を表明しました。ヨーロッパが軍備の共同調達をしていく、武器調達をヨーロッパ化するという、そこにおけるヨーロッパ統合が進んでいくんだろうという見通しまでは持てるかなと思います。しかしながら、EUを単体で、ロシアとあるいはアメリカと軍事的にわたり合う、そういう組織として見るのはおそらく、歴史的に見て厳しいんじゃないかなという感覚を私は持っております。
私自身、EU統合史の歴史家の側面があるんですけれども、EUは成り立ちからして、アメリカがNATOという枠を通じて、ヨーロッパに軍事的な関与をするという前提のもとで統合を進めてきた。時系列で見ても、1949年に北大西洋条約が結ばれて、その翌年の1950年に石炭鉄鋼共同体に向けたシューマンプランが発表されます。軍事的なアメリカの関与というものがあり、ある種国際政治の暴力的なところをアメリカに外注するという構造の中で、民生、経済面での統合をヨーロッパが進めてきました。そういったDNAを元から持っているわけです。
これは戦後、いわゆる「9条=安保体制」を日本が取ってきたというのとちょっとパラレルで、日本の平和主義というのが暴力をアメリカに外部化するという構造の中で成り立っていた。もうちょっと言うと、日本国内における暴力は沖縄に集中するという中で、「9条=安保=沖縄体制」というのが戦後日本の国体だったと私は思っているんですけれども、それに似たところがあります。
NATOの枠中で、アメリカが軍事的な役割を担うことでEUが安心して経済統合ができたわけで、ECからEUにかけてこの構造がまだ残っているなかで、ヨーロッパ自身が武器の共同調達をするという話と戦えるという話は全く別なのでありまして、EUは単体で戦うその主体になっていないんですね。軍隊も各国バラバラのものでしかないわけで、欧州軍というのは基本的に存在しないわけです。
だから、通常兵器の総量を合わせてロシアと戦えるだろうというのは、恐らく、構図としては成り立たないだろうということで、指揮命令系統も違いますし、もし統合的な最も統合された軍隊があるとするとそれはNATO軍なのであって、そのNATOというものの集団的自衛権、集団自衛のメカニズムがトランプ政権の中でグチャグチャになる中で、代わりになる欧州軍というのが立ち上がっていないということかと思います。それは核の分野で最も鮮鋭に現れますけれども、通常兵器においても、そうだという風に言えるかと思います。
住沢 要するに、ヨーロッパ諸国はNATO、軍事的にはアメリカのもとで、そして経済や内政を安定させ充実した福祉や高い生活水準を実現してきたと。その点では日本でも、日米安保と憲法九条により、経済大国路線に邁進し、その意味ではEUと日本は、パクスアメリカーナのもとではパラレルな関係にあるといわれるわけですね。
ただ1つだけ、確かに冷戦集結後の90年代以降は「平和の配当」としてそうした関係があったのは確かですが、その前の冷戦時代には、例えばドイツだと50万人近くの徴兵制による軍隊が配備され、また80年代の再冷戦の場合には、中距離ミサイル核配備とかも含めて、戦えるNATOという前提があったと思います。
遠藤 東西冷戦の本当の最前線というのはドイツでありました。当時の西ドイツの潜在的な産業力、それから軍事力というものを利用して東側に対抗するというのは、実態にも即してしていたし構想にもあったということかと思います。だけど、それだけで東側に対抗できたとはとても思えませんで、冷戦期において歴史的に言うとですね、通常型の軍隊、通常戦争における優位というのはワルシャ条約機構側にあって、その優位を西側が戦術核でなんとか抑える計画であったわけで、実際にソ連軍を中心としたワルシャ条約機構軍が西側に通常兵器で攻め入った場合に、西側は数的に明らかに劣勢にあったということなんだろうと思います。そこはアメリカ軍の救援、それから核、そういったものがやはり戦争計画の中で想定されていたということでありまして、西ドイツ単独で東側の軍隊を止められたと私にはとても思えません。
3.トランプ政権のもとでNATOや日米安保の変容
住沢 日本で改憲論や再軍備派の人々はこの冷戦時のNATOをモデルに論じていて、逆に9条擁護派は、冷戦終結後の「平和の配当」時代の「共通の安全保障」を想定していると思います。しかしいずれも歴史的なもので、ウクライナ戦争や米中覇権競争、そしてトランプの登場によって、議論の前提が異なっている気がしますが。
遠藤 NATOについて申し上げますと、今のトランプ政権下で、前提は劇的に変わってしまったわけでありまして、もはや集団的自衛の体をなしていません。思い起こせば、選挙期間中からトランプ氏が、GDP3%なんか5%なんかの軍事費を払う国というのは守るかもしれないけども、そうでないやつはロシア側にどうぞとプーチンに言うぞと、いうような話までしていたわけです。これは個別・恣意的な選別がそこにあるということで、集団自衛とは全く理念的に異なるものだということかと思います。
そんな中で実際にトランプ政権がヨーロッパのことはヨーロッパに任せるというスタンスを取り、ウクライナ戦争はヨーロッパの戦争じゃないかと言うわけです。加えて、ウクライナに何の戦略的価値も認めずに、ヨーロッパの頭越しに「敵」となったプーチンと結ぶ。
それからもう1つは、EUとかNATOというものに、敵対的な、半ば反体制的な勢力であるようなAfDとかそういった勢力と結んで、国政の中に手を突っ込んでくるという二重の「裏切り」の中で、ドイツ国民の79%はもうトランプ政権の元でNATOは自分たちのこといざという時に助けに来ないだろうという、そういう世論調査まであるわけですね。バルト3国も2014年のクリミア奪取のような事態があった時に、米軍が助けに来るともう思っていないということで、集団的自衛というそのNATOの根幹が崩れつつあるという風に言えましょう。
そんな中で日米安保を期待できるのかという議論というのは当然左右から出てきていて、そこには正当な根拠があります。ただ今のところの兆候ですけれども、対中シフトなるものがまだなんとなく生き永らえていて、非常に脆弱なものと認識してますけれども、その対中シフトをアメリカが敷く中で、日本の利用価値がワシントンDCからするとまだ残っている、かろうじてそういう状況かなという風に思います。
4.相互関税とドル体制の限界
住沢 もう1つは、戦後、自由貿易を支えたドル体制ですよね。構造的なアメリカの貿易収支の赤字の上に、製造業のグローバルなサプライチエーンが形成され、早くは日本が、そして中国のWTO加盟も含めて世界経済が発展してゆくという構造ができたわけです。トランプはこれを、アメリカの製造業への海外企業による投資や相互関税で、強制的に変えようとしているわけですが、フランスのトッドなどはそれは不可能であるといっています。ドル債権の信用喪失などすでにその限界を露呈しています。トランプの通商「ディール」の行き着く先は何でしょうか。
遠藤 これはまだ明確な答えを持ち合わせてないという状況なんじゃないでしょうか。どういうことかと言うと、まずトランプ氏が高関税で世界中を混乱に落とし入れて、これがおそらく世界経済に大打撃、景気後退を招くのは間違いないということなんですけれども、これがドルを中心とした通貨のシステムというのにどこまで影響を与えるのか、というのはもう少し見ないと分からないところがある。
まず関税について申し上げますと、10%はベースとして残し、今住沢さんがいわれた、世界中に散らばった製造業をアメリカに取り戻すのに使い、「相互」関税は多分脅しに使って貿易交渉をやろうということなんだと思うんですね。
そのうえで90日の延期があり、145%になったんでしたか、中国に対する高関税を課しつつ、スマホを除外したということで、それにより米中貿易の1/4ぐらいが除外されるのでしょうか。だから、非常に劇的な政策を打ち出しつつ、停止したり逃げ道を作ったりというところもあって、もちろんそれはアメリカの消費者に合わせてそうしているのでしょうが、手打ちの可能性もないわけではなく、この影響がどこまでどう出るのかというのは、まだ判断するには時期尚早だという認識を持っています。
ただ趨勢としてはおっしゃる通り、空洞化した製造業を取り戻し、貿易赤字を減らしたいということなんでしょうけれども、中長期を見渡しても、関税で製造業が戻ってくるほどの基盤がアメリカにないのではないでしょうか。アメリカの産業競争力はそこにはなくて、人的基盤も技術的基盤もかなり失われていて、工場よ戻ってこいと無理やり投資を促しても、非常にコスト高に終わったりなんかして、やっている企業もありますけども躊躇してる企業が多いと思います。
産業構造自体が高度知識集約産業に移行していて———これはアメリカだけの問題ではなく、日本はまだ製造業が踏ん張っている方ですけれども———高度知識集約産業になればなるほど、行き着く先はIT産業とかですが、勝者総取的なプラットフォームとかというものになっていて、かつて製造業を支えていた中間層が、製造業が呼び戻されることでもう1回潤うみたいな構図にもはやなっていないということかと思います。
住沢 アメリカ経済は製造業から、ファイナンスやGAFAなどの情報・ソフト企業に変わり、しかしその勝ち組は一部で、その収益はトランプを支える多くの元製造業の人々や底辺層の人々に届かないわけです。ということは、現行のドル体制に基づく世界経済システムはアメリカの大衆の支持を得られずに、民主主義のもとでは政治的に持続可能性を持たないということになりますが。
遠藤 ちょっと見通せないところがありますね。ドル体制を自ら揺るがしてるようなところもあり、アメリカの信用は落ちているのですが、まだ残っている強みもあり、競争力のあるところというのは金融とか、そういうとこだと思うんですね。それにまとわりつく広汎なサービス業もあるのですが、それだけで国の中間層を養えるほどのものかどうかというのはかなり疑問です。そうしたなか製造業があんまり戻ってこないとすると、やっぱりトランプ・ランドの持続というのがむしろ見通せるということで、いわゆるポピュリズムにあたるような現象というのはまだまだ続くのではないか。
もうひとつ言うと、アメリカだけじゃなくて他の国でもそうだということは、かつての先進民主国というものの基盤というのはかなり脆いと考えています。その裏返しで、広く開放的な貿易体制も、基盤がぬかるんでるということなのかと思います。
ちなみにトッドという方は多角的にトンチンカンだと思っていますけれども、経済の話をするときに貿易の話しかしないんですよね。もちろん貿易は非常に大きな影響を与えるんですけれども、グローバル化の本丸というのは資本移動の自由化であって、そっちはトランプ政権は全く手をつけていないどころか、むしろ規制を緩和しろという風に言っているんですね。
資本移動の自由化は、レーガン、サッチャー以来ある種パンドラの箱を開けてしまったところがあって、ナショナルな民主政から乖離した国際金融の世界が出来上がってしまっていて、グローバル化がもたらす政治経済上の問題の本質はそっちにあるんじゃないかと私は思っています。このもうひとつのグローバル化みたいなところは、アメリカがこの領域では競争力があることもあって、同時に語らないと世界経済構造の話はできないのではないでしょうか。
5.国際組織からのアメリカの離脱と多国間協力による補完
住沢 国連や関連するグローバルな機関や制度、WTO、 WHO、WFP、それに国際刑事裁判所ICCなどへのアメリカの分担金削減や一部離脱など、国際的な法治制度や途上国の疫病・飢餓対策への大きなリスクを生んでいます。地球温暖化に対するパリ協定化からの離脱は前回もありましたが、DEIの価値を否定するとなると2030年の国連のSDGs総体を否定することになります。そうすると戦後の自由主義社会や進歩を掲げて国際秩序や価値を追求してきたアメリカが、自らそうした制度や理念を否定することになります。国際社会はどのような対応が可能でしょうか。
遠藤 見通しは暗いですね。マクロに言うと、歴史家のマーク・マゾワーが明らかにしているように、19世紀、20世紀後半以降のグローバルガバナンスっていうのは、英米のような帝国が担っていたところがあるわけですね。ドナウ川とかライン川とかそういう国際河川のガバナンスとかも含めて。あるいは感染症とかですね。そうでなければ大国協調、いわゆる昔でいう列強、グレートパワーが連合を組む中で、越境的な舵取り、ガバナンスっていうのを効かせてきた歴史があるんだろうと思います。
第二次世界大戦後は、アメリカを中心にして西側諸国が担ってきたとこもあるんですけれども、それをもうアメリカ自身が担う気がないと放り投げる中で、代わりになる支える主体っていうのがまだ見出せていない。アメリカに抜けられると空いた穴が埋まらない。グローバルサウスの方にその生産力が移って行ったといっても、彼ら自身は自分たちの国のことで忙しく、大国協調の中でブラジルとかインドとかが世界のガバナンスを担っていくというところまで来ていないという中で、ある種のガバナンス赤字が生じているわけです。
日本の政治力、経済力をどう評価するのかによりますけれども、おそらく大多数の日本人が思っている以上に日本の役割というのがあって、随分円の切り下げもあって、身の丈が縮減してしまいましたけれども、それでも比較相対的に安定した先進民主国としてできることというのは、限界ももちろんありつつ、あるんだろうと思います。
そんな中でも、WTOはもちろん死に体で、第1期のトランプ政権時代から死に体ですけれども、貿易においてアメリカや中国から理不尽な事がなされる時に、日本は基本的に報復もしないしWTOにも訴えたりしないんですよね。ヨーロッパはやるかもしれない。そういう時にアシストしていくなど、WTO枠を使って集団で争点化を図っていく必要がある。
あるいはWTOの枠というのが効かないのであれば、次善の策として、トランプが関税を上げるたびに、残りの有志国がそのたびに関税を下げていくような、そういう動きが合理的です。それは具体的には例えばCPTPP(アメリカ離脱後の環太平洋パートナーシップTPP、11カ国の自由貿易協定―編集部注)を活性化して、EUとつなげたり韓国を入れたり、そういう形で日本が音頭を取れるということというのは、まだ余地はあるんだろうと思います。
CPTPPの加盟交渉開始までは私は中国に広げていいと考えていて、むしろそれをてこに、珍しく中国が要請をする側に立っているわけですから、彼らの内部の問題を、国有企業とか法治といったものを含めて、1つでも2つでも取り上げて、交渉の中で彼ら自身の構造改革を求めていくということは当然日本の戦略としてあってよい。
6.日本ができること、日本が転換しなければならないこと
住沢 遠藤さんは、先進国の中では日本は政治面では比較的に安定している、これまでの体制が継続されている国だといわれています。先日、コロナ対策分科会長を務められた尾身茂さんに会う機会があり、尾身さんは元WHOの職員でしたから、アメリカの資源が抜けた後で、日本が穴埋めすることは可能かどうか聞いてみました。尾身さんは、この領域であれば大まかには可能であるといっていました。こうした一つ一つ、日本ができることを積み重ねていくことは、国際貢献への大きな戦略となるのでしょうか。
遠藤 そうですね、WHOぐらいだったら、予算規模も大きくないし、日本には産業、医療基盤もあり、専門家もそれなりにいますので、代替していける。そのように、できる所はどんどんやるべきです。けれども、USAID(アメリカ合衆国国際開発庁)の廃止がもたらす穴を全部日本が引き受けるわけには行かないのではないでしょうか。援助額トップのアメリカが本当に引いてしまうと、その影響というのはもうあちこちに出ていて、日本では肩代わりしきれない。
だけど、方向としてはその方向で、日本の政治基盤というのが脆弱であるというのは重々承知していますけれども、例えば政府のトップがいない韓国とか、ドイツ、カナダは今は総選挙を経て政治指導部が回復しつつありますけれども混乱があり、アメリカも韓国もイギリスですらも、右と左の間で対話が成り立たないような国が増えているわけですね。
そんな中で談合という風に言われがちですけども、日本では一応国会内で対話が成り立っている。退屈なデモクラシーと言われつつ、だけど周りを見渡すとそれなりに貴重な議会制民主主義がまだ残っています。将来展望は明るくはないけれども、現在のトランプ政権に対しながら、日本が今、相対的に安定している国としてできる事があろうかと思います。
住沢 戦後体制や世界秩序が大きな転換期に直面していることに関して、私が印象に残っているのは、2022年2月の、ロシアのウクライナ侵攻に対して、ドイツのショルツ首相が行った、「時代の転換」宣言です。1970年のブラントの東方政策から始まり、ドイツはソ連―ロシアとの和解、ロシアからの安価なエネルギー供給、ドイツ工業製品の輸出先としてのロシア、中国市場など、大きな恩恵を受けてきました。しかしウクライナ戦争でこのすべてが、歴史的な転換期を迎えたという宣言です。もちろんそれが単なる宣言にすぎないという批判もありましたが、少なくとも転換に向けた議論が始まりました。
日本では、トランプ関税への対応に関しては百家争鳴で幅広く議論されていますが、20世紀の国際秩序や安全保障の枠組みの転換、さらにはトランプ政権下での日本の国際的な役割りに関しては、ほとんど議論されていません。
遠藤 これはかなり意見の分かれるところだと意識していますけれども、私はドイツは半分ぐらい目覚めたと思いますね。政治体の中に深く組み込まれたアメリカが引いていってしまうという意識が生まれました。単に引いて行くから自分たちが責任を負わなければという意識だけでなくて、アタマ越しにロシアと結び、中でもAfDみたいなところで手を突っ込んでくるという裏切り感とともに、やっぱりまずいと、緊縮財政も反転させ、半分ぐらい目覚めたんだと思うんですね。
だけどドイツばかり見ているとやっぱりわからないわけで、イタリアにはそういう感覚はないんですね。全く目覚めてなくて昔のまんまであって、言ってみれば平和主義が根付いていて、「ヨーロッパの再軍備(Re-arm Europe)」とか言われても、ヨーロッパとは「軍縮(Disarm)」つまり平和のプロジェクトだったんじゃないのって顔をしている。やっぱり軍事はアメリカが担えばいいと思っている。実のところ脅威感もない。日本と同じように海に囲まれて、上はアルプスでフタがされている状態で、移民とかを除くと実際脅威もないんですね。だから、ヨーロッパっていうので一括りできないところがあって、ドイツは半分目覚め、財政バズーカも用意し、時代の方向に合った動きをしつつあるんだろうと思いますが、ヨーロッパ全体の動きにはなりにくい。
日本について言うと、不人気な、「今日のウクライナは明日の東アジアか」という問題提起は、私は半分は当たっていると思っています。いかに日本海を含めたお堀に囲まれているとはいえ、3つの核武装した独裁国が現状変更に対する意思と能力を持っている。日本はそういう国に囲まれています。その文脈に照らしたとき、現状変更を一方的に暴力的に図るのをウクライナで許せば、東アジアにおいても含意をもってしまうだろう。そこのところは中国が現状変更を図り、その能力を身につけ、独裁を深めている以上、ある程度当たっていると思うんですね。
しかもちらっと先ほどお話しされていましたけれども、核恫喝が実際の通常戦争で機能してしまうのを世界中が目撃したわけで、中国もそれから北朝鮮もそれ見ているわけです。そんな中で、安全保障をアメリカに依拠していけば何とかなるっていう時代が終わりを告げつつあるのならば、それは日本自身が目覚めなきゃいけない。
国連改革すればいいという人もいますけれども、国連というのは100数十ヶ国のコンセンサスがあって初めて改革できるところであり、2005年に一度失敗をしているわけですね。少なくとも安保理改革に関しては。その安保理は、イギリスの外交官が「主権体だ」という言い方をしていましたけれども、非常に強い法的権威というのを持っていて、そこでの決議っていうのは法的な威力があるわけです。
そういう中で安保理改革、拒否権制限をすべきと主張する人がいますけれども、無理筋というものです。もし常任理事国(P5)から拒否権を取り上げ、例えば今回のロシアのウクライナ攻撃を、P5の中で3対2とか、15ヶ国の理事国の中で10対5とかで侵略と認定して対処するということにしてしまうと、これはアメリカも日本もフランスもイギリスもどの国も、国連加盟国はロシアと戦争しなきゃいけなくなるわけですね。そういうことを防ぐため、P5はお互いには戦争しないっていうことで拒否権を持ち合っているわけで、その意味では、今回期待された通りの機能を果たしてるわけですね。P5同士の戦争はしないという制度なのであって、P5の国々には自分たちから変更するなんて意思はかけらもないという風に思った方がよい。
東アジアにひきつけて言うと、日本が抱えている例えば中国との係争問題、尖閣なんかが典型ですけれども、P5の一員として中国が安保理にいる限り、紛争解決に役立つというのは危険な幻想でしかない。国連という公助としての安全保障が効かないとすると、共助、つまり同盟が必要ですが、それが、アメリカがぐらついていることで怪しくなっていく中で、最も頼りになるのが自助ということになるんだろうと思います。そこのところの議論は、どこまでを目標とすべきなのかっていうのを含めて必要です。9条で蓋をした気になってはいけない。私は、現状変更を図る独裁的で核武装した隣国に対してはやっぱり拒否力を持つべきだと考えていて、そういう目標設定を含めて、自助の形をどう作っていくべきかという議論は、自由とか民主、リベラルな価値を守りたいと思ってる人こそしなきゃいけないんじゃないかなという風に思うわけです。
それは経済の方の分野にも言えてですね、日本が先ほど残るような余力を使って、CPTPPのような政策資源を有効利用して、アメリカ抜きの自由貿易体制の一定の維持というものにどういう役割を果たせるのかという議論含めて、自らが望ましいと思う状態とともに、手段としてできることを模索する議論は必要なんじゃないかなと考えています。
住沢 これからそういう課題に直面して議論すべきだと思うんですけども、遠藤さんはその日米安保、憲法9条、沖縄への基地集中の3点セットを日本の戦後の国体だといわれました。で国体という時、日本人は国体に対して昔から異議を唱え、自らの手で変革した経験はないので、どこから始めて行ったらいいですか。
遠藤 いや、沖縄の人たちはずっと異議を唱えているので、日本っていうので括れないと思いますけれども、異議申立てをすることによって政治変動が起きるというルートとともに、余儀なくされて変動するということもありえます。「9条=安保体制」の安保の軸が、アメリカが引いていくことで揺らいでしまうと、連動して沖縄とか9条の話っていうのが当然アジェンダに上がらざるを得なくなるんだろうという事なんですね。今のところアメリカから送られてくるそのシグナルが明確でないというか、混合型であって、引くぞ、払え、買えみたいなものと、中国への対抗は優先するといったものと混じっているわけです。それから台湾、韓国、日本に対するシグナルもちょっとずつ違います。潜在的にアタマ越しに、そのプーチン、習近平、トランプのあいだで逆ヤルタみたいな3頭政治をやる可能性もまだ残っています。そういうシナリオを含めて、それは迫られてする改革というのを視野に入れた方がいいのかなというところです。
住沢 現段階では地域的ではあるけれども、おそらく世界に大きな影響を与えるイスラエルのガザ侵攻と制圧の試み、イランとの対決、それにトルコとシリアの新しい「連結」などがあり、今回では論じきれません。またすべては流動的ですので、夏以降にはもう一度、こうした新しい現実を見据えて議論していただければと思います。本日はありがとうございました。
えんどう・けん
東京大学大学院法学政治学研究科教授。1966年生まれ。北海道大学法学部卒、同大学大学院法学研究科修士課程修了。ベルギー・カトリック・ルーヴァン大学大学院修士課程、オックスフォード大学博士課程修了。現在、欧州大学院大学特任教授も務める。専門は国際政治、EU、安全保障。著書に『統合の終焉―EUの実像と論理』(岩波書店、第15回読売・吉野作造賞)のほか、編著に「岩波シリーズ・日本の安全保障」全8巻など。
すみざわ・ひろき
1948年生まれ。京都大学法学部卒業後、フランクフルト大学で博士号取得。日本女子大学教授を経て名誉教授。本誌代表編集委員。専攻は社会民主主義論、地域政党論、生活公共論。主な著作に『グローバル化と政治のイノベーション』(編著、ミネルヴァ書房、2003)、『組合―その力を地域社会の資源へ』(編著、イマジン出版 2013年)など。
特集/どう読むトランプの大乱
- 20世紀の文明史的遺産を再構築する東京大学教授・遠藤 乾×本誌代表編集委員・住沢 博紀
- フェイクのトランプは日本政治を写す鏡慶応大学名誉教授・金子 勝
- トランプ政権の暴政を正当化する論理を撃つ神奈川大学名誉教授・本誌前編集委員長・橘川 俊忠
- トランプ政権に100日目の壁国際問題ジャーナリスト・金子 敦郎
- 苦難のヨーロッパ――恐れず王道を龍谷大学法学部教授・松尾 秀哉
- 保守党のメルツがドイツの次期首相在ベルリン・福澤 啓臣
- トランプ大統領の再登場で岐路に立つ国際気候変動対策京都大学名誉教授・松下 和夫
- AI封建制のパラドクス労働運動アナリスト・早川 行雄
- 労働問題は高校でどう教えられているのか元河合塾講師・川本 和彦
- 社会医療法人山紀会(大阪市西成区)が暴挙大阪公立大学人権問題研究センター特別研究員・水野 博達
- 昭和のプリズム-西村真琴と手塚治虫とその時代ジャーナリスト・池田 知隆