特集 ● どう読むトランプの大乱
苦難のヨーロッパ――恐れず王道を
今後のヨーロッパのポピュリズムを占う
龍谷大学法学部教授 松尾 秀哉
前号に続いて
前号(2024年冬 第40号)で筆者は、24年6月に行われた欧州議会選挙以降の動向を、その後選挙のあったドイツ、フランス、そしてイギリスに注目して検討した。ドイツでは政権交代が生じ右派ポピュリストが勢いを増し、フランスではマクロンの評価が右肩下がりで、イギリスのスターマーの評判も芳しくなく、いずれも共通して政治的リーダーシップの低下が見られた。今号では、そのとき紙幅の都合で十分述べられなかった2つの事例について触れておきたい。その2つの事例とは、第一にベルギーにおけるポピュリスト政権の発足、第二にフランスにおけるマリーヌ・ルペン国民連合元党首の逮捕である。現時点でこの2つの事例の意義を断定的に申し上げることは資料上にも不十分であるが、筆者には今後のヨーロッパのポピュリズムを占う際の重要な試金石になるようにも思われるのである。その後EUの動きを俯瞰し検討したい。
1.ベルギーの困難
ベルギーは首都ブリュッセルに欧州委員会の本部ビルを構えるなど、欧州統合の象徴的国家として見られることも多い。しかしその内実は複雑である。多言語で構成される国家で、内戦など血なまぐさいことはないものの、特にその主流派2つ、フランス語とオランダ語の対立はしばしば「言語対立」、「言語戦争」と形容されるほど政治的に対立してきた。
その対立を解消するため、1993年にフランス語(ワロニー地域)とオランダ語(フランデレン地域)、そして首都ブリュッセルを両語圏として、3つの「地域圏」等に一定の自治を認めた。つまりベルギーは連邦国家となったわけだ。「地域」と「連邦」に法的な上下の差はないとされ、管轄する政策分野に違いがある。そうはいっても国政は「ベルギー軍」を管轄し、外交上「ベルギー」を代表するものとして実質的に重要だし、ここがどうなるか、すなわち誰がベルギー政府の首相となるかは「地域」などと比べれば通常重要視される。
選挙制度のうえでは、連邦制が導入された結果、ベルギーの選挙は、国政選挙にあたる「連邦議会」選挙、それぞれの「地域議会」選挙等に分かれる。さらに現在では「欧州議会選挙」と合わせて、5年に一度同日で3つのレベルの選挙が行われる(市長などを選ぶ統一地方選は別)。つまり2024年6月には欧州議会選挙と同時に、ベルギーでは国政、地域選挙も行われた。5年に一度の「選挙の日」と呼ばれる政治的なお祭りのようでもある。
ベルギーは先の言語対立の歴史を抱えて政党は言語・地域別に分かれている。国民政党というものが存在しないといってもいい。それぞれがキリスト教(保守)、社会民主、自由主義などと分かれているから、国政において単独過半数をとる政党は現在ない。全て連立政権である。ということは、多くの大陸ヨーロッパ諸国同様に、連立政権が模索されることで多数派政権を形成する。この連立交渉が非常に長いことで知られるのがベルギーだ。
2010年の選挙後はおよそ1年半。その後も(その反省を各党が配慮したうえで)5カ月(2014年)、16カ月(2019年)と長い。2019年選挙はコロナ禍ゆえの諸々の難題があったためだが、交渉がまとまらない原因の根底はフランデレンとワロニーの対立にある。
近年の対立の直接的要因は、フランデレンとワロニーの経済格差である。豊かなフランデレン地方の諸政党の一部には、フランデレンの分離独立を訴える政党がある。自分たちの税金でワロニーの人びとの生活を支えているからだ。「なぜ怠惰なワロニーを私たちが助ける必要があるのか」と主張して、1980年代からフランデレンで支持されてきたのが極右、右派ポピュリストといわれるフラームス・ブロック(VB。「フランデレン同盟」の意。現在は「フラームス・ベランフ」と名を変えている。「フランデレンの利益」の意)であった。しかし移民排斥など過激な人権侵害を含む言動などから、1990年代に他の政党は、この極右政党と連立を組まないとする協定を結んでいる。そのためVBに投票してもあまり意味はないことから、2000年代に入りVBの選挙での勢いは低下していた。その低下と同時に、代わりに台頭してきた分離独立派が「新フランデレン同盟(N-VA)」である。
N-VAは2007年の選挙で他の主要政党と選挙連合を組んで政治の世界で台頭してきた。その後、リーマンショックやギリシア危機などベルギーに限らずヨーロッパの混乱を受けて、2010年の選挙では現状の政治体制やエリートを批判して、一気に第一党になるほど支持されるようになった。当時「分離独立」を打ち出すことは控え、むしろ財政立て直しなどが急務として緊縮政策を打ち出したことが支持された。こうした、君主制を含む現体制の批判、また政策の一貫性の欠如などが、筆者をしてN-VAを「ポピュリスト」とカテゴライズさせる理由である。しかし、その党首、バルト・デウェーフェルのカリスマ的リーダーシップと、その場その場の――よく言えば――時機に合わせた政策が支持されてきた。
だが、その後の連立交渉で本来「分離独立派」とみられるN-VAは、第一党であるにもかかわらず連立政権から排除されてきた。結局N-VAは第一党を維持しながらも、党首デウェーフェルは交渉で自らを首班とする連立合意を結ぶことはできなかったのである。
しかし、デウェーフェルから見れば苦節20年にもなろうかという今回の連立政権交渉で異変が起きた。ついにデウェーフェルが約8カ月の交渉を経て、とうとう首相になったのである。皮肉にもかつて「民主的な存在ではない」と批判していた「ベルギー」国王の前で、かつて分離主義を主張していたデウェーフェルは、「ベルギー」の首相になることを宣誓したのである。
ポピュリスト、デウェーフェルが首相になれた要因は今後長い交渉期間の資料を追うことで明らかにされねばならないが、現時点でもいくつか考えられる。第一にデウェーフェルは、今回も、反対派も多いフランデレンの分離独立という論点ではなく、財政赤字の解消やNATOへの経済的貢献など他の政治的に重要とされる論点で合意を求めたことにある。
第二に過去必ずデウェーフェルと対峙してきたワロニー社会党(PS)が議席数を減らして交渉における影響力を減じたことは大きい。PSは戦後長くほとんどの選挙でワロニーの第一党を占めてきた政党であった。しかし特に2019年選挙後の連立政権交渉でPSの党首ポール・マニュエットはデウェーフェルと言いあい、またメディアも、怒るマニュエットの姿と言動をしばしば報道した。こうしたマニュエットの「恐い」印象は、今回の選挙に影響したと思われる。結局今回の選挙におけるワロニー第一党はワロニー自由党(MR)であった。
最後に、今回ベルギーを「ポピュリストが治める国」にした最大の理由と思われるのは、実は先のVBの存在と選挙パフォーマンの復活である。VBはN-VAには及ばないもののMRと並び全体の第2党に位置している。過激な分離主義であり、さらに移民排斥を訴えるVBを前にして、N-VAは、今回「分離独立」を明示せず(その代わり選挙時は「ベルギーをワロニーとフランデレンの『国家連合』とする」と言っていた)、連立交渉が進むとレトリックを「地方の役割を明確にする」と変えて、あたかもかつて分離主義派だったことを忘れたかのように振る舞った。つまり「脱悪魔化」である。しかももう表舞台に立ってから20年を経て、他の政党はすべて党首が交代している。そして、より過激な政党を目の前にしている。もはやN-VAは以前と比べれば反体制的な、危険な政党とは映らなくなった。むしろ信頼できる政党であり、「保守党」と形容する現地紙もあった。これが、筆者が前回から論じていた、ポピュリストの「定着」である。一定の時間以上政党システムで存在感を発揮しえて、さらにより過激な政党がいるとき、ポピュリストが普通の政党と映り、「定着」してしまうのである。
ならば問題は、「定着」したポピュリストが「分離独立」に動くだろうかという点にあろう。しかし、それはおそらく難しいだろう。現在に限らず一般に与党のすべきことは多い。非現実的な国家改革よりも現実は大変である。こうして過去多くの過激な政党は、ベルギーにおいて支持を失う「成功のゆえの失敗」を経験してきた。
加えて、現在はロシア、ウクライナ、ガザそして「トランプ2.0」と世界は混沌としている。こうした危機的状況においては、もともと分離独立を主張していた政党でも、与党として国民生活を守るため、またヨーロッパ、国際社会の一員としてやらなければならないことは多い。国民生活がインフレで圧迫されている今、「分離独立」は愚かな改革だろう。実際にデウェーフェルは緊縮的な社会保障改革を進め国内の労組等から猛反発を食らいながらも、EUの場では――懐疑的なECR会派に属しつつ――大人しく一人のリーダーとして振る舞い、各国首脳と親しく握手を交わしていた。
すなわち、今やN-VAは責任ある「既成政党」の立場である。そして、こうした長期的な危機的状況においては政治不信が蔓延するだろう。そうなれば人びとは既成政党よりも新しい政党に寄りがちになる。危機を招いた既成エリートを批判してポピュリストであるN-VAは成長してきた。が、与党となり、批判される側になり、この事態をどう切り抜けるだろうか。状況が難しいだけにN-VAであっても改善が難しいとなれば、次の選挙で支持を失う可能性は高い。より過激な政党が台頭する可能性もある。こうしたポピュリストの「成功のゆえの失敗」は過去のベルギーやオランダにおいても見られたが、今回も同様のことが生じるだろうか。現在のヨーロッパが混沌としている。オランダとともに両国のポピュリスト政権の動向に注目しておきたい。
2.フランス司法の判断の余波
ベルギーでポピュリストが成功したのとは裏腹にフランスでは驚きの出来事が起きた。3月31日にフランスの国民連合の元党首で、2012年以降フランス大統領選に立候補し、次期大統領選でも有力候補とみなされていたマリーヌ・ルペンが公金横領罪で逮捕されたのである。罰金と4年の懲役刑(執行猶予付き)であるが、「5年間の公職出馬禁止」が即時適用されたことが衝撃的であった。これによってルペンは2027年に予定されている――そして有力視されている――大統領選に出馬できないことになったからだ。
この逮捕は「法の支配が民主主義を脅かしているのではないか」という一見すると妙な議論を呼び起こしている。ここで用いられているのは「裁判所の独裁(dictatorship of the court)」という語である。すなわち司法が悪者にされているのである。実際に国民連合は「判事の専制政治」と批判し、支持者7,000人がパリでデモを起こし、さらに国民連合の対抗勢力(「不服従のフランス」の支持者を中心とする)5000人も別で集まり、フランス社会の分断を顕在化させるにいたった。先の論文によれば、ルペン側が控訴すれば、今後この「出馬禁止」措置の法的根拠の正当性が争われることになるが、明らかなのは、今回のこのルペンに対する措置によって極右陣営が活性化する可能性があるということだ。先の論文でも筆者でドイツのビーレフェルト大学で刑事訴訟法の教授を務めるシャーロット・シュミット=レオナルディは「政治的反対者を疎外するという殉教者の物語が常に定着し、過激派陣営を活性化させる可能性がある」としている。現在党が後継者ジョルダン・バルデラの立候補を否定している以上、当面国民連合の支持者は過激なルペン解放(実際には収監されていないが)運動を行い、その声の下で一層支持を集める可能性がある。前号で説明した「脱悪魔化」した国民連合は、今回の措置で支持者の熱狂とともに「再悪魔化」していく可能性がある。先のベルギーとは対照的に、過激なポピュリストが餌とする「危機」と「政治不信」を司法が蒔いてしまった可能性がある。
ひとつの処方箋があるとすれば「時間」である。人びとの熱狂は永続的なものではない。必ず冷めるときがくる。現時点ではフランスがどうすれば「冷める」のか、まだ予想はできないが、2027年の大統領選までに時間はある。曖昧な言い方しかできず申し訳ないが、そのときまでに適切な措置がなされて、冷める時間が十分にあれば、支持者も冷めていくだろう。しかし選挙はやはりお祭りである。今回の出来事はお祭りのときに必ず反体制派に用いられるナラティブになるだろう。それを押さえることのできる新しいナラティブをフランスは必要としている。
3.2025年後半のEU
ここまで論じたことを踏まえつつ、すでに半分になろうとしているが、2025年後半のEUを考えてみよう。Europe Policy Centreが発行する概況(de Castro, Ricardo Borges, ed. (2024) Europe in the World in 2024: From voting to geopolitics)によれば、2024年はEUにとって、欧州議会選挙での結果などを考えると、この10年で最も厳しい1年であったという。
しかしそれはEUが自らとリーダーシップを刷新する機会をも提供しており、その刷新のカギは、自らが国際情勢に受動的に対応していてはダメで、主体的に行動していく能力に負うのだという。これは2025年版でも継続して強調され、変化する世界での新しいビジョンを一刻も早く見つけ出さねばならないと指摘されている。そのためには各国、リーダー間の「一致」と、ドイツのオラフ・ショルツ元首相がロシアによるウクライナ侵攻後に行った議会の演説で用いた「時代の転換点(Zeitenwende)」(髙島亜紗子「ドイツのZeitenwendeーロシアによるウクライナ侵略後の1年を振り返って」)に立ち向かう気概が必要だと論じられている。
こうして2回にわたり2024年の欧州議会選挙以降のヨーロッパの動きを見てきた。概して、そして予想通り、現在はトランプ政権の先手に振り回されているといえよう。それは日本も例外ではない。
そのため、先の提言を参考にすれば、今後のEUにとっては、ウクライナの惨状を目の前にして――実効性を疑いだせばキリがないが――やはり主体的な新しい支援の試みを進めることができるかどうか、そのビジョンをどこまで共有できるかが次の試金石になるだろう。各国、そして各国有権者がトランプ政権の動向に振り回されず支援を良しとする間は、反EU的態度を採るポピュリストであっても、反EU的な動きは取りづらい。その意味で現状のトランプの動きは、反動的にEUの結束を固めているといえるかもしれない。それは結果的にポピュリストの動きを縛り、やがて反体制的な支持者を離れさせることにつながるかもしれない。
フランスのように、恐れれば余計に社会の分断と政治不信を招くことにもなりかねない。いくら過激で「人民」の味方だと語るポピュリストだとしても、現在世界が抱えている大きな問題に対応しきれる能力があるとは思われない。各国既成政党は、今こそ恐れず、長期的視野に立ち、弱者を思い、平和を祈念し実現しようとする、王道を歩むべきなのだろう。それは私たちも同じことである。
まつお・ひでや
1965年愛知県生まれ。一橋大学社会学部卒業後、東邦ガス(株)、(株)東海メディカルプロダクツ勤務を経て、2007年、東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。聖学院大学政治経済学部准教授、北海学園大学法学部教授を経て2018年4月より龍谷大学法学部教授。専門は比較政治、西欧政治史。著書に『ヨーロッパ現代史 』(ちくま新書)、『物語 ベルギーの歴史』(中公新書)など。
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