コラム/沖縄発

敗戦から80年-戦後ゼロ年の沖縄

地元紙の日々の報道から見えるもの

沖縄タイムス記者 知念 清張

「伊江 戦没者遺骨20人発見」(4月19日付)、「辞世の句『平和願う印象』 陸自掲載 防衛相が持論」(20日付)「米兵性的暴行疑い 基地で県内女性被害」(24日付)。

本稿を書いている4月下旬の沖縄タイムス朝刊1面トップの記事は、戦争と地続きの沖縄の今を物語っている。遺骨は、沖縄戦をテーマにした映画の制作中に資材置き場の地中から見つかった。沖縄の北部に浮かぶ伊江島での戦闘は、東洋一と言われた旧日本軍の空港があったために、米軍の猛攻を招き上陸から6日間で、日本側は住民1500人を含む4700人が犠牲になった。戦闘に多くの住民が動員され、住民の「集団自決」(強制集団死)などがあり、「沖縄戦の縮図」とも言われている。沖縄では、激戦地となった本島南部をはじめ、地域を問わず畑や工事現場などから不発弾や沖縄戦当時の遺骨が毎日のように見つかっている。

皇軍と自衛隊の連続性の先に

旧日本軍第32軍が大本営直轄で沖縄に創設されたのは1944年3月。本土防衛と国体護持を図るため32軍司令部は「軍官民共生共死の一体化」の方針を徹底する。牛島満司令官は、部下だけでなく、軍に協力した少年・少女を含む県民に降伏を許さず、「最後まで敢闘し 悠久の大義に生くべし」と徹底抗戦を呼びかけた直後に自決した。その辞世の句「秋待たで枯れ行く島の青草は 皇国の春に甦らなむ」は、敗色が濃厚となった沖縄の臣民は、大日本帝国のためにまた立ち上がってほしいなどと解釈できる。

沖縄の陸上自衛隊第15旅団が、公式サイトで部隊の歴史を紹介する中で、牛島司令官の辞世の句を掲載し続けていることに、中谷元防衛相が国会で「平和を願っているという印象が強いのではないか」とする発言は、当時の住民を根こそぎ動員した軍や行政の指導者の責任をあいまいにするものであり、新憲法の下で、自衛隊が引き継ぐべきではない。歴史認識の欠如か曲解であり、到底見過ごすことはできない。皇軍と自衛隊の連続性の先には、何があるのか。全国メディアは、この問題をもっと取り上げてほしい。

沖縄戦の犠牲者は県民12万人を含む日本側約20万人以上、米軍も1万2500人に上る。住民の死者が多いのが特徴で、4人に1人の県民が犠牲になった。日本兵による虐殺や住民の避難場所だった壕(ガマ)からの追い出し、食料の強奪、追い詰められた地域住民や家族同士が、手を掛ける集団自決(強制集団死)など地獄絵図の惨状が繰り広げられた。

その沖縄戦の延長線上にあるのが今日の米軍基地問題だ。49年、トルーマン政権によって恒久的な米軍基地を保有する政策が秘密裏に決められた。広大な米軍基地から派生する騒音や環境破壊、事件、事故は、多くの県民にとって政治的な問題という以前に、人権の問題だ。

米軍基地内のトイレで今年3月、海兵隊員が基地従業員の女性を待ち伏せして、性的暴行をした事件が新たに発覚した。あまりに悪質だ。

公園にいた16歳未満の少女に声をかけて車で自宅に連れ去り、性的暴行を加えたとして、わいせつ目的誘拐と不同意性交の罪に問われた空軍兵の事件など昨年、県内で摘発された米軍構成員の刑法犯は73件80人で、件数と人数ともに過去20年間で最多となった。米軍の「綱紀粛正」は口先だけなのか。

米軍関係者よる刑法犯罪の摘発は復帰後だけで6千件を超える。

本土では戦争の痕跡を見ることも基地が存在することによる痛みを感じることもほとんどない。これが、「癒しの島」の現実だ。作家の目取真俊が「戦後ゼロ年」と表現したように、沖縄には未だ、本当の意味での戦後は訪れていない。

「平和の島」と逆行

米軍の27年間に渡る占領・統治を経て72年5月15日、沖縄は日本に「復帰」した。その時、日本政府は以下のような声明を出している。

「沖縄を平和の島とし、わが国とアジア大陸、東南アジア、さらにひろく太平洋圏諸国との経済的、文化的交流の新たな舞台とすることこそ、この地に尊い 生命を捧げられた多くの方々の霊を慰める道であり、沖縄の祖国復帰を祝うわれわれ国民の誓いでなければならない」。復帰当時は、日本政府も「沖縄を平和の島とする」という目標を希求していた、ように見えた。

だが、この声明も、今はむなしく響くだけで、復帰前の「米国の軍事植民地」から、復帰後は「日米の軍事植民地」に移行しただけではないか。

全国の米軍専用施設の7割が集中する沖縄で、普天間飛行場の「危険性の除去」や「早期返還」を名目に、名護市辺野古では、サンゴなど生物多様性に富む希少な生態系が世界的にも評価されている大浦湾を埋め立て、機能が強化された新基地の建設が進む。返還合意から29年が経つが、新基地の完成時期も、普天間飛行場の返還期日も明示されていない。

同時に進められてきたのが、自衛隊駐屯地の新設やミサイル部隊の配備だ。

沖縄本島が中心だった自衛隊基地は、「台湾有事」をにらみ、離島に次々と広がっていった。石垣、宮古、奄美に配備された12式地対艦誘導ミサイルは短射程だが、政府は長距離化を検討、対地攻撃も想定する。「反撃能力」(敵基地攻撃能力)の整備は、有事になれば、真っ先に攻撃の対象になることを意味する。

戦時中の疎開計画を想起

政府は台湾有事などを想定し、宮古・八重山諸島の5市町村から住民、観光客合わせて12万人を避難させる計画を3月27日公表した。このうち住民約11万人は九州と山口の計8県32市町に振り分ける。障がい者や妊産婦、入院患者など要配慮者の移動、牛や豚などの家畜の扱い、財産補償…。不安のタネは尽きない。

有事に輸送手段を民間企業に頼るなど、指摘されているように「机上の空論」であり、全員を避難させることは不可能だ。学童疎開船・対馬丸などが撃沈された戦時中の九州などへの疎開計画を思い起こさせる。そもそも米軍基地が集中する沖縄本島や、在日米軍基地の拠点がある本土も安全という保障はない。台湾有事に際し、在日米軍基地から出撃すれば、その基地が攻撃の対象となり日本有事に発展するからだ。

自衛隊は、あくまで「専守防衛」が原則の自衛のための組織であり、「盾」の存在でなければならない。就任後、初来日したトランプ政権のヘグセス米国防長官は、台湾有事などを念頭に「日本は西太平洋で最前線に立つ」と表明した。自衛隊員が台湾有事の「最前線」で「矛」の役割を強いられる懸念が強まる。

戦後80年。間もなく沖縄は復帰の日、慰霊の日を迎える。沖縄戦の「軍隊は住民を守らない」という史実と、一度始まった戦争を止めるには膨大な犠牲を伴うという歴史の教訓を直視しなければならない。

「鉄の暴風」と形容された沖縄戦で犠牲となった人たちの声に耳を傾け、「基地の島」を宿命にしてはならないという誓いを新たにしたい。

アジア太平洋戦争で、戦争を美化し、煽り、政府の宣伝機関となった反省を踏まえ、戦争を起こさせないために、家族が生きるために、隣国と共存するために、何ができるのかをメディアに身を置く一人として、考え、伝えなければならない。

ちねん・きよはる

1998年沖縄タイムス入社。基地担当、北部支社編集部長、県政キャップ、社会部、政経部デスクなどを経て2024年から文化面デスク・論説委員。

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