特集 ● どう読むトランプの大乱
保守党のメルツがドイツの次期首相
プーチンとトランプに翻弄されるドイツ
在ベルリン 福澤 啓臣
Ⅰ 議会選挙結果と連立交渉
各政党の支持率の年齢別分析 / メルツによる財政規律方針の大転換 / 米国の変身とドイツの危機感 /
歴史的な時代転換 / 連立交渉と連立協定
Ⅱ 戦争ヒステリーと徴兵制の復活?
ロシア軍の新たな侵攻:戦争ヒステリーなのか、現実的なシナリオなのか / 大西洋同盟主義の崩壊 /
ドイツにおける駐留米軍 / 徴兵制の復活?
Ⅲ 課題山積のメルツ黒赤政権
ドイツの連邦議会選挙でキリスト教民主同盟と社会同盟党(CDU・CSU)が第1党になり、保守本流を自認するCDU党首フリードリヒ・メルツの次期首相が確定。連立パートナーはドイツ社会民主党(SPD)だ。連立交渉が始まるや否や、メルツは開店休業中の連邦議会で、巨額の財政パッケージを通過させ、国民を驚かせた。
同選挙前に米国大統領に就任したトランプは、地政学的なプレートのずれを引き起こし、プーチン同様にドイツの政治に影響を与えている。その一つは、戦争ヒステリーとも呼ぶべきドイツの自衛戦闘力強化と徴兵制の復活議論だ。
Ⅰ議会選挙結果と連立交渉
25年2月23日、連邦議会の選挙が実施され、次のような結果に終わった。
同盟党 | SPD | 緑の党 | AfD | FDP | BSW | 左翼党 | その他 | |
2月23日 | 28.5% | 16.4% | 11.6% | 20.8% | 4.3% | 4.9% | 8.8% | 4.7% |
21年と比較 | +4.4 | -9.3 | -3.1 | +10.4 | -7.1 | +3.9 | ||
世論調査* | 30% | 14% | 15% | 21% | 4% | 4% | 4% | |
議席数 | 208 | 120 | 85 | 152 | 64 | SSW=1 |
出典=連邦選挙委員会
*第二公共放送(ZDF)の世論調査に基づく1月10日の予想
今回の選挙は、投票率が82.5%と、1990年のドイツ統一以来最も高かった。国民の関心の高さが窺える。開票中注目を集めたのは、BSW(ザーラ・ヴァーゲンクネヒト連盟)が5%条項を超えられるかどうかであった。もし超えていたら、同盟党(CDU・CSU=キリスト教民主同盟・キリスト教社会同盟)とSPD(ドイツ社会民主党)では過半数に達せず、緑の党の参加が必要だった。すると三党連立になり、ショルツ信号内閣同様に政権運営は困難極まりないという状況に陥っていただろう。結局1万4千票足りなかった。
同盟党は第一党には復帰したが、メルツ首相候補の不人気さもあって、伸び悩み、最低目標とされていた30%に達しなかった。信号内閣与党は軒並み得票率を下げ、特にSPDは16.4%と戦後最低の結果に終わった。さらに財務相リントナーのワンマン政党FDP(自由民主党)は、5%に達せず、議会進出を果たせなかった。同氏は、投票日の全党首によるテレビ会見で、政治家としての引退をいち早く宣言する始末だった。極右政党AfD(ドイツのための選択肢)は昨年来の上昇気流に乗り、予想通り3年前の支持率を倍増させた。そして、第二党の勢力になった。驚きをもって迎えられたのは、左翼党の躍進だった。昨年のBSWの分派により議員数が半減し、選挙1ヶ月前までは5%を超えるのは無理だろうと言われていた。それが最後の1ヶ月で驚異のラストスパートを見せたのだ。
きっかけは、1月29日にメルツCDU党首が、議会に提出した、難民をドイツ国境で追い返すという「難民決議案」だった。決議案は、法案ではなく、ある問題・政策案に対して議会の意思を表明するための手段である。メルツ決議案に対して、与党のSPDと緑の党は反対を、AfDは賛成を表明していた。メルツがあくまでも同案を提出するなら、AfDの賛成を見込んでいることになる。つまり、メルツが、これまで断言していたAfDとは政策協力は絶対しないという「AfDへの防火壁」を無くすことを意味する。
決議案が提出されると、議会で激しい議論が交わされた。特に左翼党代表のハイディ・ライヒネック女史による演説は、「憤怒演説」としてSNS上で3千万回以上もヒットされるという爆発的な人気を呼んだ。それが左翼党の得票率を3%は上乗せしたのではないかと見られている。逆にCDUが最終的に30%に達しなかったのは、この決議案提出のせいだとも言われている。
各政党の得票率の年齢別分析
選挙結果を年齢別に見ると、高齢化社会を反映して60歳以上の年齢層が投票者の40%を占めている。政党別に得票率を見てみると、
同盟党(CDU・CSU)は、45歳以上でそれぞれ33%から43%と圧倒的に強い。18歳から34歳までの若い年齢層では13%から17%と比較的低い。
SPDは年齢と共に増加し、60歳以上で20%以上に達している。18歳から45歳までは12%から13%と低調だ。
AfDは18歳から59歳まで満遍なく20%を超え、安定した支持を得ている。
緑の党は18歳から69歳まで10%を超えているが、特に年齢差は見られない。
左翼党は18歳から25歳までで25%、34歳まででは16%と若者層に強くアピールしているのが目立つ。
全体を見ると、次期連立政権党は主に60歳以上の国民層に支持されている。AfDは、昨年秋の旧東独の三州に見られた若者層における圧倒的な支持はなかったが、世代を問わず一定の支持を集めている。
この選挙の結果、同盟党の連立相手はSPDに限られた。合わせて328議席で、新議会630議席の過半数を13議席超える。安定多数とはいえないが、政権運営には十分だ。
一方で、野党のAfDと左翼党は合わせて216議席を獲得し、いわゆる議会の三分の一(214議席)の「阻止少数」に達している。これによりメルツ政権は基本法改正などが非常に困難になった。CDUは、極右のAfDと極左の左翼党とは政策協力はしない、と決議しているからだ。
メルツによる財政規律方針の大転換
選挙結果を受けて、三党(CDU・CSUとSPD)による連立協定の話し合いが始まるや否や、次期首相が確定しているメルツは、長年ドイツ財政の根幹を成してきた財政規律重視から大規模な財政拡大に大きく舵を切った。その際メルツは、政界、マスコミ、国民を驚かせるウルトラCとも言える政治技を使ったのだ。
その転換に至るまでの経緯を振り返ってみよう。債務ブレーキ(連邦政府の債務は基本法でGDPの0.35%まで許される)については、すでに先号でも詳しく述べた。これを巡って昨年11月に信号内閣が崩壊したのは記憶に新しい。メルツ及び同盟党の幹部たちは選挙期間中、「債務ブレーキに手をつけることはない」と断言していた。それどころか、2月23日の選挙後, CDU・CSUが28%を得票し、第一党になった後でも立場を変えなかった。
米国の変身とドイツの危機感
転機は選挙直前の2月14日にミュンヘン安全保障会議で起こった。米国副大統領J.D.ヴァンスが、ヨーロッパの民主主義批判、さらに極右政党AfD支援という予想外のスピーチをしたのだ。さらにトランプ大統領によるウクライナの停戦準備中になされた一連の発言で、米国がヨーロッパの政治的、軍事的パートナーであった時代の終焉が明白になった。地政学的に見て欧米関係にプレートの歪みが起きたのだ。
それにもかかわらず、メルツおよび同盟党幹部は、次期政権による防衛力強化やインフラ投資は、社会福祉予算の縮小、さらに無駄遣いをなくせば、つまり通常予算の枠内で充分賄えると主張して止まなかった。同時に政府には4400億ユーロ(1ユーロ=160円で換算すると70兆円)もの税収入があり、問題は収支面ではなくて、支出面であるとの決まり文句が続いた。
だが誰が考えても、政府予算70兆円から毎年10兆円近い無駄遣いを見つけ出すことは現実的ではない。それに次期連立政権のパートナーがSPDとわかった段階で、社会福祉予算の大幅削減が困難だということも明らかだった。それでもメルツは、「債務ブレーキ」を緩めるとはいわなかった。
歴史的な時代転換
それが、2月28日に大統領官邸内のオーバル・オフィスで、世界中が注視する中、ウクライナのゼレンスキー大統領がJ.D.ヴァンス副大統領とトランプ大統領により屈辱的な扱いを受けたのだ。それを見て、ヨーロッパ中の政治家、市民は衝撃を受けた。そして、トランプ政権下の米国が決定的にヨーロッパと決別し、歴史的な時代転換が起きたのを目のあたりにした。
この時点から2週間という短期間で、メルツは、財政方針に関して大転換をやってのけたのだ。まず党内幹部を説得し、次にSPDと緑の党から合意を得た。
その内容は、防衛予算の拡大とドイツのインフラ再整備のために9,000億ユーロ(145兆円)という巨額の債務(連邦政府の予算の2年分を超える)を負うというのだ。前者には債務ブレーキを外し、後者には巨額の特別財産基金(Sondervermögen=特別財産)を設けることになった。この特別財産は、一般に債務として理解され、将来世代の負担になるため不公平だと批判される。だが、インフラ整備がされれば、これは文字通り社会の財産になるという肯定的な見方もある。
メルツのウルトラC、あるいは柔軟な現実主義ともいえるのは、まず5月にスタートするメルツ新政権では、基本法改正に必要な議会の三分の二の賛成を得るのは非常に困難、あるいは不可能と見たことだ。そこで、開店休業中の旧議会で信号内閣のSPDと緑の党の協力を得て、上記の財政パッケージを通過させたのだ。AfD, 左翼党、FDP と BSWは、「選挙後の旧議会による基本法改正は違憲だ」と憲法裁判所に訴えたが、合憲との緊急判決が出た。
判決直後ドイツ連邦議会(下院)は3月18日に、連邦参議院(上院)は3月21日に、それぞれ基本法(憲法に相当)の改正および特別財産基金設置を可決した。
防衛費は、GDP比で1%を超えると債務ブレーキの適用対象外にする。現在ドイツは米国の要求によりGDPの2%を防衛費に充てるようなった。それが改正により、上限なしの借り入れが可能になった。そして10年間にわたって合計4,000億ユーロ(64兆円)を計上する。これにはウクライナ支援も入る。
長年停滞していたインフラ投資(交通、エネルギー、医療・教育・介護、デジタル化)のため、5,000億ユーロ(80兆円)の特別基金を創設する。同基金は12年間にわたって運用し、うち1,000億ユーロ(16兆円)は気候変動対策に充てる。また、基金活用により2045年までに気候中立を果たすという目標も明記された。さらに、1,000億ユーロは州にも配分される。加えてこれまで債務が許されていなかった州予算も、GDPの0.35%までの債務を可能となった。
メルツは3月1日のトランプ大統領のオーバル・オフィスの出来事を見て、方針転換の決心をしたと釈明しているが、メルツの方針転換は選挙公約違反だという批判の声が野党からも、国民からも聞かれる。第2公共放送局(ZDF)の3月21日の世論調査によると、回答者の73%が「メルツ氏は有権者を騙した」と答えた。CDU党内でも不満が高まっていて、党員証をつっかえす党員が少なくなくないと報じられている。
NATOに関して米国が当てにならないとなると、防衛力の大幅な強化は頷ける。だが、インフラ投資に関しては、理由にならない。昨年来緑の党のハーベックが、「ドイツの経済の停滞を克服するには、抜本的なインフラ投資が絶対必要だ」と声を大にして訴えていたからだ。
このように基本的な政治方針を簡単に変える政治家を首相に迎えるのは、問題だとする声も聞こえる。その反面、メルツの決断力と大胆な手法を柔軟な現実主義と評価する向きもある。筆者は、メルツの変わり身の速さと強いリーダーシップに感心している。
連立交渉と連立協定
3月15日から3党は、分野別に16のグループに分かれ、256人が協議を重ねた。その結果を踏まえてCDU党首メルツとCSU党首ゼーダー、そしてSPDの共同党首クリングバイルとエスキンが最終調整をした。結果発表の記者会見で、メルツとクリングバイルは「交渉中に互いに信頼関係を築くことができて、親称で(君とぼく)呼び合うまで親しくなった」と明かしていた。
クリングバイルは、今度の選挙で惨敗を喫したので、党首として本来責任を取るべきだったが、そちらはショルツ首相に任せた。国民の間でも彼の責任は厳しく要求する声は聞かれない。それどころか、連立協定を見る限り、閣僚のポストを7つも確保し、16%の支持率にしては大きな成果を勝ち取ったと評価されている。逆に、CDU内部からは、「メルツはクリングバイルに譲りすぎたのではないか」との声が出るほどだ。クリングバイルは副首相兼財務大臣に就くだろうと見られている。
クリングバイルは、47歳で、大学では政治学を専攻した。2001年から2004年までフリードリヒ・エーベルト財団の奨学金を受ける(SPDの財団。他の政党財団同様、毎年数百人に奨学金を給付し、将来の有望な学生をプールしている)。同年から当時のドイツ首相シュレーダーの事務所でアルバイトをする。さらにSPDの地域事務所で働く。2009年以来連邦議員、17年から21年12月まで幹事長をこなす。このように典型的な政党人キャリアを送ってきた。
偶然というべきか、新政権の首相と副首相(まだ議会の信任は受けていない)が、大臣などの行政経験が全くないというのも珍しい。もう一つの共通点は、二人とも院内総務を兼任していることだ。議員団を掌握している院内総務は、ドイツでは党内における力は強く、そのため党首が院内総務のポストを兼ねるケースが多い。
ドイツの政治家について一言言及すると、党の幹部として活躍する政治家は、多くは高校や大学時代から政治に関心を持ち、党の下部組織からスタートしている。そこで政治への情熱と能力が認められ、自治体や州段階で役職をこなし、さらに連邦議会とか連邦政府のレベルに上がってくる。前述したように、この二人は行政畑を歩まないで、党内で力量を発揮し、ドイツ政治のトップにまで上り詰めたのだ。ちなみにドイツの政界を見てみると、世襲議員は十指にも満たない(24年時点で自民党衆議院議員258人中109人が世襲議員)。非常に民主的な政治家選抜プロセスが機能していると言える。
2025年4月9日に、CDU・CSUとSPDは「ドイツの責任」と題する連立協定に合意した。その概要は
1) 財政政策の転換:「債務ブレーキ」の緩和を含む基本法改正により、防衛費やインフラ投資を拡大。
2) 経済政策:まず2年間の投資の無税化。3年後より法人税の引き下げ。低・中所得層への減税措置。デジタル化と行政改革の推進。
3) 移民・難民政策:国境での不法難民入国拒否。難民送還再開、家族呼び寄せの制限。
4) 社会政策:最低賃金の15ユーロへの引き上げ。年金水準(48%)の2031年までの維持。
5) 防衛・外交:ウクライナ支援及びNATOとの連携強化。
この合意後も、国境での不法難民入国拒否と最低賃金の15ユーロへの引き上げに関して、同盟党とSPDは解釈が一致していないが、さらなる交渉はしない。
三党の承認が得られれば、連邦議会は5月6日にメルツ氏を首相に選出する予定だ。その後に閣僚が発表される。
Ⅱ 戦争ヒステリーと徴兵制の復活?
ロシア軍の新たな侵攻:戦争ヒステリーなのか、リアルなシナリオなのか
現在ドイツでは、プーチンがウクライナ侵攻の後、さらにリトアニアなどのバルト三国に侵攻して来るかもしれないというシナリオ、あるいは予想が真剣に議論されている。このシナリオを描いているのは、防衛大学のマサラ教授(国際軍事)、ポツダム大学のナイツェル教授(軍事史)、ブロイアー連邦軍総監などの錚々たる国際政治及び軍事専門家たちだ。ナイツェル教授などは、「今年の夏が平和のうちに迎えられる最後の夏になるかもしれない」とまで言っている。
具体的には、今年10月にリトアニアの国境で10万人以上の兵力によるロシア軍とベラルーシ軍の軍事演習が予定されている。その際プーチンは、リトアニアにおけるロシア少数民族の保護との名目で、ロシア軍を侵攻させてくる。そして国境際の小都市を占領する。その上でNATO(北大西洋条約機構)軍の反応を見ようというのだ。リトアニアはNATOのメンバーなので、他のメンバーにはNATO第5条により「同盟事態」として集団防衛が義務付けられている。ただ、軍隊の派遣規模などは個々のメンバーに任されている。米国に関しては、トランプ政権による軍隊派遣は疑問視されている。他のNATO国は、大規模軍隊を派遣して、ロシアとの全面戦争というリスクを冒すか、あるいは両目をつぶるかだ。ちなみにリトアニアには、2027年からドイツの機甲一個旅団(5千人)が駐留する予定になっている。その準備のために今年中に先遣部隊が500名派遣される。
このシナリオにはまだ続きがある。ウクライナ戦争の停戦―もし実現したら―後、ロシアが人員的に回復するには、3年ほどかかると見られている。つまり、2028年か29年には次の侵略戦争が可能になるというのだ。だからそれまでに、NATOのヨーロッパのメンバーは、防衛戦力を高めておかなければならないというのが、専門家たちの主張だ。さらに、「ヨーロッパのNATO軍が十分抑止力になるほどの軍事力を強化すれば、プーチンは新たな侵攻を諦めるだろう」と続く。
これらシナリオの現実性だが、2022年のウクライナ侵攻の前にもウクライナ国境付近でロシア軍の軍事演習が行われた。10万人を超えるロシア軍は演習が終わってもそこにとどまり、2月24日に国境をこえて攻め入ってきたのだ。当時、軍事専門家も含めてロシア軍が侵攻してくるとは、誰も予想していなかった。
ドイツなどでは米軍を当てにできないので、緊急に自国の軍事力強化に踏み切るべきだと声が多い。その意味で、防衛予算に関するメルツの債務ブレーキ緩和は歓迎されている。EU内でも50兆円以上の防衛力強化基金設立を計画している。本来なら、EU諸国の防衛予算は合計すると66兆円に達し、ロシアの予算(48兆円)を超えている。但し各国がそれぞれの武器をバラバラに製造し、互換性が全くないので、無駄が多い。それを統一したEUスタンダードの武器体系にするべく、協議し始めた。
これらの一連の動きを戦争ヒステリーだと批判する声もある。哲学者のプレヒトは、ロシアにはそのような余力はなく、ウクライナ侵攻で推定10万人から20万人もの戦死者(アフガニスタン戦争では死者は1万5千人ほど)を出している上に、北朝鮮軍の参戦とあらゆる手段を講じているが、圧倒的な勝利をあげていないではないか、と指摘している。
大西洋同盟主義の崩壊
ドイツは第二次世界大戦で、壊滅的な打撃を受けたが、米国の援助(マーシャル・プラン)を受けて、廃墟の中から、立ち直ることができた。それと冷戦が始まり、西側陣営の主要メンバーとして、価値観を共有し、財政的、政治的にも援助を受けることができた。そのためドイツの政府、既成政党、エリートたちは米国への恩を決して忘れていない。特に保守本流とされるCDUは肝に銘じて、米国への忠誠を誓い、同盟関係の強化を育んできた。メルツもその一人である。彼らは、ドイツでは「大西洋同盟主義者」といわれる。歴代の米国指導者たちもこの伝統を守ってきた。それがトランプになり、その伝統は軽視されるどころか、米国の富を略奪してきたと非難するのだ。それが極まって、「米軍の主な基地と軍隊を盟友オルバーン首相のハンガリーなどの友好国に移転させる」と脅迫とも取れる発言を繰り返している。
ドイツにおける駐留米軍
ドイツには3万5千人の米軍が三つの基地に駐留している。ヴィースバーデンは国外における米軍最大の基地で、家族も含めると5万人も滞在している。シュトゥットガルトにはUSアフリカ司令部があり、アフリカでの戦闘の指令が出されている。さらにラムシュタイン米空軍基地がある。そこにはNATO司令部(司令官は米国軍人)が置かれている。敷地内には国外最大の米軍の野戦病院があり、中東やアフリカでの戦闘負傷者はここでまず治療を受ける。これらの米軍駐留に、ドイツは2020年までに毎年1600億円ほどの費用を負担している。
ちなみに日本は毎年、在日米軍の駐留に関連する経費として約2110億円を負担し、加えて「在日米軍関係経費」として基地交付金なども含めると、1兆円を超える見通しだ(「しんぶん赤旗」3月3日)。
米国との軍事同盟における最大の懸念事項は、米国の核の傘だ。ヨーロッパのNATO国が核攻撃を受けた場合―もちろんロシアからだが―果たして米国は核の傘の約束を履行するかだ。現在のトランプ政権では甚だ心許ない。これでは、抑止力の役目を果たせない。
そのため、フランスがヨーロッパのNATO同盟国に対して、核の傘の提供を申し出ているが、フランスには戦術的な核爆弾(射程距離500km以内の小規模核爆弾)は少ない。これから開発する必要がある。それには、お金がかかる。そこで金持ち国のドイツがこの開発への資金を提供してくれれば、申し分ない。また、それがマクロン大統領の狙いとも言われている。
徴兵制の復活?
プーチンの帝国主義的な大ロシア復活の妄想によりヨーロッパにおける戦争拡大の危険が漂っている限り、ドイツは人口も経済もヨーロッパ最大の国として、民主主義の防衛に積極的に貢献をするべきだとの声が大きい。
ドイツは財政的にも、工業的にも、技術的にもポテンシャルを持っている。だが、最大の問題は、人員だ。現在の連邦軍は、職業軍人と志願兵による18万2千人から成り立っている。そのうち女性兵士は、2万5千人だ。冷戦当時ドイツ連邦軍は兵力50万人と文民職員17万人という大軍隊であった。それが冷戦終了により、「平和の配当」が続く中、2011年に徴兵が停止された。廃止ではないので、基本法の改正は必要なく、議会で51%の議員が承認すれば、復活できる。
軍の最高将官であるブロイラー総監は、「現在連邦軍には10万人の兵員が不足しているが、この不足を埋めるには、徴兵制が必要だ」、と述べている。CDU・CSUは徴兵制復活に賛成している。SPDは慎重で、同党のピストリウス国防大臣は、志願制のスウェーデン・モデルを提案している。このモデルでは、まず志願兵を募り、それで十分に集まらなかったら、徴兵するという2段構えだ。その際女性も平等に徴兵される。徴兵に応じない若者は、停止前のように病院や介護施設や自然保護団体などの福祉関連施設で、同じ期間の代替役務を果たすという案を検討している。
どのような形であれ、徴兵制が復活したら、ドイツ社会は大きく変わるだろう。経済、教育、家族、仕事だけでなく、若者たちの世界観も。ただ、徴兵制が再び導入されるには、徴兵局が設置され、兵舎が建てられ、様々な省庁、学校とのネットワークが構築されなければならない。時間とお金がかかる。
現在オレ・ノイメン(27歳)の『僕は決して自分の国のために武器を手にして戦わないだろう』という本がベストセラーになっている。ノイメンは本の中で、「ドイツ社会がこの3年間で軍事化している」と批判している。TVのトーク番組で、ノイメンは「僕は自由のために死ぬよりも、不自由をしのんでも生きる」と言っている。耳を傾けるべき意見だ。
3月初めの世論調査(YouGov)では、回答者の58%が徴兵制復活に賛成、34%が反対している。年齢別に見てみると、18歳から29歳の世代では、33%が賛成で、61%が反対だ。60歳以上では70%が賛成で、20%以上が反対だ。当然と言えば当然だが。政党別で見ると、同盟党、AfD、SPD, FDPの支持者の間では60%以上が賛成。緑の党、左翼党では賛成は40%で、50%が反対だ。
Ⅲ 課題山積のメルツ黒赤政権
メルツ黒赤政権(ドイツでは政党を色分けするが、同盟党は黒、SPDは赤なので、メルツ政権は「黒赤政権」と呼ばれる)の最大の課題は、「ヨーロッパの病人」と言われるまで停滞している経済(3年連続のマイナス成長)を再び成長路線に復帰させることだ。しかし、ファンダメンタルズ指数は悪く、経済の停滞は深刻だ。ドイツはすでにかつての日本のように、「失われた10年」に陥っているのかもしれない。外部的要因だが、トランプの関税攻勢は、ドイツ経済の復活をより困難にさせるだろう。
4月11日の世論調査(ZDF)によると同盟党の支持率は26%と下がり、AfDの24%に追い抜かれそうになっている。回答者の51%が、メルツ黒赤政権は様々な問題を解決できないだろうと答えている。特に経済に関して、よくなると答えたのは35%と低く、19%が悪くなり、44%は変わらないとしている。つまり三分の二は期待していない。懸案の難民問題に関しては、30%がよくなる。19%が悪くなる。54%は変わらない。こちらの期待度も高くない。反面、56%が黒赤政権は、うまくやっていくだろうと答えている。これは信号内閣が、三党で内部争いに明け暮れていた、三年を踏まえての期待だろう。
メルツ黒赤政権は、5月6日の連邦議会で選ばれたのちに、発足する。現在の状況を文学的に表現すれば、大分傷みのきた中古船ドイツ号は、船長と乗組員を総入れ替えして、プーチンとトランプによるハリケーンが吹き荒れる荒海に乗り出そうとしている。新船長メルツはうまく船を操れるのであろうか。ハリケーンはさらに強くなるのか、あるいは多少はおさまるのか。とにかく見通しがきかない船出であることは確かだ。
(2025年4月24日 ベルリンにて)
ふくざわ・ひろおみ
1943年生まれ。1967年に渡独し、1974年にベルリン自由大学卒。1976年より同大学の日本学科で教職に就く。主に日本語を教える。教鞭をとる傍ら、ベルリン国際映画祭を手伝う。さらに国際連詩を日独両国で催す。2003年に同大学にて博士号取得。2008年に定年退職。2011年の東日本大震災後、ベルリンでNPO「絆・ベルリン」を立ち上げ、東北で復興支援活動をする。ベルリンのSayonaraNukesBerlinのメンバー。日独両国で反原発と再生エネ普及に取り組んでいる。ベルリン在住。
特集/どう読むトランプの大乱
- 20世紀の文明史的遺産を再構築する東京大学教授・遠藤 乾×本誌代表編集委員・住沢 博紀
- フェイクのトランプは日本政治を写す鏡慶応大学名誉教授・金子 勝
- トランプ政権の暴政を正当化する論理を撃つ神奈川大学名誉教授・本誌前編集委員長・橘川 俊忠
- トランプ政権に100日目の壁国際問題ジャーナリスト・金子 敦郎
- 苦難のヨーロッパ――恐れず王道を龍谷大学法学部教授・松尾 秀哉
- 保守党のメルツがドイツの次期首相在ベルリン・福澤 啓臣
- トランプ大統領の再登場で岐路に立つ国際気候変動対策京都大学名誉教授・松下 和夫
- AI封建制のパラドクス労働運動アナリスト・早川 行雄
- 労働問題は高校でどう教えられているのか元河合塾講師・川本 和彦
- 社会医療法人山紀会(大阪市西成区)が暴挙大阪公立大学人権問題研究センター特別研究員・水野 博達
- 昭和のプリズム-西村真琴と手塚治虫とその時代ジャーナリスト・池田 知隆