特集 ● トランプの末路

デモクラシーと人間の自由

全体主義から社会主義へと向かう過渡期の風景

労働運動アナリスト 早川 行雄

今何が終わろうとしているのか

米国大統領トランプの暴政が猖獗を極め留まるところを知らないかのようだ。内政ではイーロン・マスクを長官に据えた(トランプと対立して辞任)政府効率化省(DOGE)による公務員の大量解雇や官公庁トップのすげ替えを強行したかと思えば、移民・税関捜査局(ICE)はミネソタなど民主党支持基盤の州を中心に違法な移民摘発を強行して米国市民にも死傷者が出た。通商面では「解放の日」と称して製造業復活などを目的とする高関税政策を開始したが、二転三転する発言はTACO(Trump Always Chickens Out)と揶揄され、最高裁の違憲判決後に税の還付も始まっているが別の法的根拠で高関税賦課を続けている。

軍事・外交政策では年明け早々の1月3日、特殊部隊がベネズエラに軍事侵攻し民間人を含む100人以上を殺傷したうえでマドゥロ大統領夫妻を拉致するという、明白な国際法違反の暴挙を敢行した。さらに3月1日にはイスラエルと共謀して宣戦布告や議会承認もないままイラン攻撃を開始し、ハメネイ師ら政府首脳を暗殺する斬首作戦や小学校への空爆で100人以上の児童を虐殺したのをはじめ、大学、病院、エネルギー施設への爆撃を継続し、すでに数千人の死亡が確認されている。

これら一連の事態は一見常軌を逸しておりトランプの精神状態もまともではないように見える。いま大きな変化が起きていることは容易に看取できるが、そこで何が終わろうとしているのかは決して自明ではない。マスメディアではいわゆる西側諸国が共通の価値観としてきた代議制民主政体と法の支配を基盤とする自由民主主義の危機として論じられることが多い。しかしそれは西欧中心主義に偏した皮相な解釈であり、戦後世界秩序を形成してきた軍事力とドル支配に依存した米国覇権がなお延命を企図するにはトランプ的キャラクターを必要とそしているとみなすことが実態に近いのではないか。

こうした乱暴な手口をトランプ自身はドンロー主義と呼んでいる。 「トランプ(Donald)」と「モンロー主義(Monroe Doctrine)」の融合という趣旨で、その特徴はアメリカによる地域支配の強化、軍事力行使の前提化、多国間主義の否定などである。トランプは66の国際機関から脱退する一方で、国連機能を不全にするべく常任理事国には居座りつづけるなど、日々ドンロー主義に基づく政策を断行している。トランプは自分を止められるものは「一つある。私自身の道徳心、私自身の精神だ。それが私を止められる唯一のものだ。国際法は必要ない」と嘯く始末だ。

こうした人物が歴史の表舞台に登場したことは、戦後一世を風靡した福祉国家に取って代わったハイエク的新自由主義体制が、さらに行き詰まった結果として社会の病理現象が顕在化したものということができよう。

終末論的選民思想に行き着いた入植者植民地主義

今回のベネズエラやイランに対する政権転覆策動に石油利権が絡んでいること自体は間違いないが、より本質的には石油利権を独占してその決済はドルに限定するという通貨覇権と結びついている。イラクのフセインは原油輸出のユーロ決済を言った途端に大量破壊兵器を保有しているとの濡れ衣を着せられて失脚したことが想起される。アメリカは産油国(供給)と輸送(航路)を軍事的に掌握して、中露などBRICS諸国の原油や通貨への介入を阻止しようとしているようだ。イスラエルのソマリランド承認(紅海)・南イエメン分離派支援(紅海)やトランプのグリーンランド保有願望(北極海航路・原油・レアアース開発)も資源供給や原油航路の掌握の問題である。トランプが気候変動による環境危機を無視して再生エネルギー利用を抑圧するのも原油を基礎にした通貨覇権と絡んでいるとみることもできよう。

モンロー主義が西欧の介入を排除する政策であったのに対し、ドンロー主義は中露を軸とするBRICS諸国が、ドルと原油を武器とした米国覇権を侵食しつつあることに対抗するものであり、とりわけ最早完全に封じ込めることができなくなった中国を主要敵国とした政策である。中国にレアアースを切り札にされ関税交渉でTACOぶりを晒してしまったトランプは、中国に対する対抗手段として原油の供給と輸送を米国権益傘下に収める野心が働いている。すなわち、ベネズエラにおける米国の行動は、マドゥロ体制を弱体化させ、中国のエネルギー供給源を掌握することを目的としている。ベネズエラの石油資源への影響力行使とナイジェリアの西側監視下への統合によって、中国への安価で安定した供給を遮断しようとしている。紅海とアデン湾をつなぐバブ・エル・マンダブ海峡は現在、ソマリランドとイエメン南部の双方から実効支配が画策され、ペルシア湾とオマーン湾の間にあるホルムズ海峡は依然として潜在的な圧力点となっている。イランがホルムズ海峡を完全に封鎖するか、アメリカが逆封鎖すれば、中国経済は深刻な混乱に陥る可能性もある。一方、石油、航路、貿易ルートを米国が掌握すれば、依然として中露の脅威から隔離された状態を維持できる。ただ国際的力関係は、すでに中露・BRICS優位に展開しており、これはトランプの悪あがきとみた方がよさそうだ。

中東に目を向ければ、イスラエルによるガザ地区やレバノンに対するジェノサイド=民族浄化攻撃は凶悪で許しがたい犯罪だが、米国やドイツが積極的に支援し多くの欧州諸国もそれを容認してきたのは、シオニズムの白人至上主義的選民思想が広く浸透し受け入れられてきた結果にほかならない。こうした力(軍事力)の支配は復活したのではなく、メディアが頬かむりしてきた実態が顕在化したものというべきであろう。西欧や北米における国民国家形成に起源をもつ入植者植民地主義は、バルフォア宣言を契機にパレスチナを中心とした中東地域に侵入したが、その終焉はシオニストの武装解除とイスラエル国家の解体という経路を取らざるをえない。

同様の異様さは犯罪の巣窟のようなエプスタイン文書に登場する著名人のほとんどが逮捕訴追を免れていることにも見出される。マックス・ウェーバーが危惧した賤民資本主義の悪弊が想像を絶する結末を迎えているというべきであろう。トランプ一族、ピート・ベグセス戦争長官らのインサイダー取引で私腹を肥やす様は、もともと存在しなかったモラルの崩壊ではなく、単に賤民資本主義の本質が節度を欠いて露骨になっただけである。西欧中心主義の選民主義とロビーストの暗躍する賤民資本主義はシオニズムとの親和性が深いようだ。

「武力行使を正当化、ロシアや中国増長の恐れ」。日経新聞はトランプの軍事侵攻による影響をこのように「批判」した。昨今の日本を含む西側メディアは「大本営発表」の怪しげなフェイク情報で人心を攪乱し続けてきたが、現在の最大の「使命」は、アメリカ国内で、ベネズエラで、イランで実際に起きていることをひた隠すことに汲々とすることのようだ。しかし昨今のネタニヤフやトランプの行状をみれば、米NATO軍事覇権主義集団やシオニスト以外に、つまり入植者植民地主義の正統な継承者たち以外に、このような暴挙に敢えて踏み込む者がいないことは人並みの知性があれば分かるはずだ。ロシアのウクライナ侵攻についてエマニエル・トッドのように防衛的なものとの見方もあるし、台湾を巡る動向は中国の内政問題である。もとよりプーチンは何を防衛しようとしているのかを問わねばならないし、内政問題であっても米国にみられるような治安弾圧が批判されるべきことはいうまでもない。しかし現実の国際政治においてロシアや中国の緻密でクレバーな指導者とシオニストのネタニヤフや強欲資本のクレージーな走狗であるドンロー主義者トランプを同列に扱うことは、今日進行しつつある国際情勢の変化を見誤ることになる。日経など西側メディアの報道は詰まるところ日欧の軍備拡張を促進することにしかならないのである。

自由民主主義に仮装した全体主義

今日の状況を理解するに際しては拙稿「洗練された全体主義の行方」(本誌第43号所収)で紹介したように山之内靖の総力戦体制に関わる論考を参照すべきであろう。山之内は戦後西側世界で福祉国家として確立された自由民主主義体制を、階級対立を制度的に吸収した全体主義的戦争国家と位置付けている。混合経済・修正資本主義は社会民主主義的福祉国家の様相を纏って、換言すれば自由民主主義に仮装した全体主義として歴史の舞台に立ち現れた。それは資本主義市場経済における収奪構造の廃絶を目指すものではなかったが故に、主唱者らの主観的意図はさておき、労働者階級を融和主義に誘導して思想的に武装解除し、結果として新自由主義の全面攻勢を準備する資本の論理に貴重な時間を提供することとなった。

戦争において軍事行動を合理的に展開する要請が組織論を育て、近代以降成立した株式会社も効率的な運営のために軍隊的組織構成を模倣し、今日に至るもその本質に変化はない。戦争における軍隊は敵の殲滅を基本目的とする個人を圧殺した全体主義的暴力装置であるが、株式会社における指揮命令下の服従とその代償としての賃金という基本システムや功績(戦果)を挙げた者への報償という評価制度は軍隊と同じ軍事的価値観に基礎を置いたものである。

資本主義は軍事力=戦争を発展の道具としてきた。資本主義国家は単に常備軍や治安警察などの暴力装置を独占して政治的階級支配を貫徹するに止まらず、金融資本の保護者として資本の自己増殖という資本主義の経済的原理を推進する装置ともなっている。その結果、資本主義社会のコアをなす組織である株式会社形式における民間営利企業の組織形態は軍隊を準えたものとなったのである。この株式会社の下で資本は雇用契約を媒介として労働者を支配下に置いて指揮命令を下す。これも軍隊の行動様式そのものであり、労働基準法の定める最低基準を満たすことが免罰効果をもたらすとはいえ、労働者としての権利を守るために使用従属関係を立証しなくてはならないというのは究極のアイロニーである。憲法が保障する基本的人権を擁護すべき義務を潜脱する、人が人を従属下に置くような賃労働と資本の仕組みは人間の自由を抑圧する全体主義社会の産物にほかならず、いずれ廃絶されねばならない。

また社会民主主義的福祉国家は民主政体というより、第二次世界大戦に際して第2インターナショナルの変節から生まれた総力戦体制が、戦勝国である西側自由民主主義諸国において全国的労働組織と経営者団体が国家行政を介して労使の安定帯を形成するニューディル型全体主義として再編成されたものと解すべきであろう。国際的にはIMF・世銀が採用したワシントン・コンセンサスによる南の諸国(今日のBRICS)に対する収奪システムがフル稼働し、欧米先進国や日本を含む西側諸国に一時の繁栄をもたらし、アメリカは吉川元忠が新帝国循環と呼びヤニス・バルファキスはグローバル・ミノタウロスと名付けた米本国へのドル還流構造を創出してドル覇権を確立した。

ここにおける社会民主主義的諸政策は、いわば資本主義を飼いならすという階級協調的折衷策(ニューディール型全体主義)であり、スターリン以降の国家社会主義における計画経済も、市場という荒馬に鞍を置く調教に模していた点において異曲同工の施策であったとみなすことができよう。鄧小平以降の中国における社会主義市場経済路線は一見その「成功例」とも見える。

いよいよ南の諸国における収奪対象としての新規フロンティアが枯渇したところで、満を持して登場した新自由主義は金融市場の規制緩和と公的福祉の削減による自助努力の強制で経済成長なき資本の収奪的自己増殖に道を拓き、労働市場の規制緩和で自国内に新たな周辺としての低賃金不安定雇用を創出することでグローバル金融資本の搾取と収奪の構造を補完し完結させた。

福祉国家を可能にした高度経済成長時代にあって、例えば日本では郵貯・簡易保険を財源とする財政投融資や民間金融機関の預貯金を財源とした金融仲介によって、「健全」な時代の資本主義市場経済を回転させていたが、福祉国家の七難を隠してきた成長が止まった定常経済は市場経済の成熟化の結果だが、営利資本主義の観点からは腐朽化の病理となり、金融は仲介機能から詐欺師的大衆収奪装置に転化した。その結果1%の支配層に富の大半が集中し、中間層の没落による貧困世帯の拡大という大きな格差が社会の不安定化を招き、政治支配の正統性が揺らいだ。まさにそのとき、新自由主義の野放図な自然破壊が人間社会と自然との物質代謝に深刻な亀裂を生じさせ、地球温暖化として顕在化した気候変動による環境危機が資本主義市場経済の持続可能性に止めをさした。

国内政治の現況をみれば、先の総選挙で自民党が圧勝した後、高市一派が牛耳る国会では安倍政権由来の閣議決定による政策遂行や国会答弁を回避してX上で政策を喧伝する高市の対応について国会機能の喪失と評する向きもあるが、むしろ代議制民主主義の核心部分に内在する、ひとつ間違えれば強権支配に道を拓く欺瞞と欠陥を誰の目にも明らかなように顕在化させたとみた方が実態に近いのではないか。

財政面からは高市政権の歳出計画は金融市場を動揺させ、為替変動を引き起こしている。日本の債務残高は国内総生産(GDP)の2倍を超え、先進国の中で最も重い債務負担となっており、このまま推移すれば円安・債券安のスパイラルに陥り、AIバブルが弾ければ株安も加わったトリプル安に落ち込む可能性が高い。安全保障政策は所詮軍事ケインズ主義を推進する舞台装置にすぎず、安保関連三文書の再改定や憲法への自衛隊明記で軍事大国化を目指す軍拡路線は財政危機をさらに加速させるのみであり、「国家情報局」設置や「スパイ防止法」制定による治安弾圧体制の強化をもたらすものだ。

また高市政権は人工知能(AI)や半導体といった17の戦略分野への投資によって成長力を底上げすると喧伝している。マスメディアは成長分野への補助金投入などパイの切り方を変えて大衆収奪する政策を成長戦略ともてはやしているが、競争力を喪失したゾンビ産業・企業の救済に湯水のごとく公費を投入することもまた財政危機を深刻化させるのみである。

とりわけエネルギー政策を原発依存に転換したことは大きな弊害を招くこととなろう。小型原子炉だの核融合炉だの原子力発電に拘るエネルギー政策が各国で幅を利かせつつあるが、原発は核兵器の原材料たるプルトニウムの生産以外には何ら「実用的」価値のないものである。それが証拠に原発に固執しているのはほぼ核兵器保有国に限られており、ドイツにせよ台湾にせよ最近時流に押されて若干の変化はあるものの、核兵器の保有を目指さなかった各国はいち早く脱原発の政策に転換してきた。日本の原発政策は科学技術庁と防衛庁(当時)が二人三脚で推進してきたものであり、今日の原発依存型エネルギー政策への転換とも相まって核保有に固執する危険な選択である。核兵器への固執を捨てれば原発などは無用の長物であるとの認識が重要だ。

人間の自由を取り戻す社会へ

西側世界の自由民主主義に仮装した全体主義体制下に安住してきた知識人に既存体制の崩壊と映る今日的社会現象は、南の諸国に暮らす現地住民や全体主義体制下で周辺に押しやられた不安定雇用労働者など、収奪され続けてきた人々ならば肌で感じ続けてきた悪夢が、その醜い素顔を現したものと理解すべきだ。

ヴォルフガング・シュトレークは『時間かせぎの資本主義』において、過日逝去したユルゲン・ハーバーマスらフランクフルト学派の後期資本主義を分析対象とした「危機理論」に対し、戦後福祉国家の自己定義を受容することで経済的危機対応を議論の俎上から外してしまったと批判している。新自由主義的資本の反革命は貨幣を媒介した成長幻想を生み出すことで着々と進められ、予備段階としてのインフレ政策、国家財政への依存、家計債務への負担転嫁、そして市場から身を引いていた公権力が規制緩和や民営化で、金融資本の利益代表として再び市場に回帰した現状に至る4つの段階を通して一般民衆に犠牲を転嫁してきたと述べている。この第4段階は水野和夫の「シンボルエコノミー」に相当するものだが、資本は市場経済が新たな危機に直面するや、民主主義的福祉国家とは縁を切り、資本主義は民主主義との同床異夢から覚醒したとされる。

アントニオ・グラムシは「危機はまさに古いものが死に、新しいものが生まれることができないという事実にある。この空白期には、さまざまな病的現象が現れてくる」と言った。古いものとは第一次世界大戦と世界恐慌によって動揺と衰退の局面を迎えた旧来の資本主義であり、病的現象とはファシズムやニューディール政策として登場した総力戦体制を担う全体主義である。

シュトレークは『資本主義はどう終わるのか』においてグラムシの言葉を借りて、新自由主義政策がもたらしたマクロ経済危機、金融危機および国家債務危機という三重危機の圧力の下で資本主義の社会秩序は別の秩序ではなく無秩序と混乱に取って代わられるのではないかと述べている。斎藤幸平も近著『人新世の「黙示録」』の中でグラムシの同じ言葉を引きながら、21世紀において死にゆく「古いもの」とは何なのか。「空白期」に引き起こされる「病的現象」、すなわち現代の新しいファシズムはどんな顔をしているのかと問うている。

空白期にあってデモクラシーは資本主義との強いられた婚姻から解放されねばならない。丸山眞男流の解釈に従えば、デモクラシーとは民主思想という動力源を用いて民主運動に主体的に関わる人間の行為によって稼働する永久機関のように制度設計されていることになる。そこで目指されるのは万人が平等に享受できる自由である。ここでは平等の概念が重要な位置を占める。資本主義市場経済において平等は貨幣価値の要素に分解され、それを加算した量的等しさに矮小化されてきた。貧富の格差拡大という量的不平等の是正は当面の重要な政策課題ではあるが、それを必要条件とした上で究極的な目標とされるのは人間の自由である。全体主義とは人間の自由よりも資本の自己増殖に集約される全体の利益を優先するシステムであり、その存続のために矛盾をしわ寄せされる周辺を不断に生み出してゆく。社会主義とは全体主義から生じた社会の分断を修復し、人間社会と自然の物質代謝を回復して類的存在(Gattungswesen)としての人間の自由を保障する。

デイヴィッド・グレーバーとデイヴィッド・ウェングロウの『万物の黎明』によれば西欧起源とされる啓蒙主義的デモクラシーの出発点は北米先住民の思想を援用したものであった。しかし先住民が人間の自由と尊厳(移動する自由および服従しない自由を基盤に、社会の仕組みを選択し形成する自由)を守るために、権力の集中による恒常的支配・被支配関係を社会から排除する知恵は、西欧啓蒙思想に移転される過程において、発達しつつあった資本主義の論理に迎合することで換骨奪胎されてしまった。現実の資本家政府の下では、労働者階級の搾取や海外植民地の収奪を覆い隠す装飾品として、元来盗みであるところの財産(資本蓄積)の自由に歪曲された。グレーバーが重視した先住民の社会は、類的存在としての人間が本来有していた自由のある社会であり、邪悪な病的現象が蔓延する「空白期」を終わらせるべく新しく生れ落ちる社会のプロトタイプであると同時に、その社会から受け継がれ、現代の日常生活にも通奏低音のように生き続けている基盤的コミュニズムは自由の国である社会主義を育むインキュベーターでもある。

いまや西欧国民国家成立以来脈々と継続してきた全体主義の時代が終わりを迎えようとしている。しかしそれは「次は何か」が明らかではない「空白期」であり政治体制の混沌とした空位期(Interregnum)である。全体主義ですらなく、ジェノサイドをも辞さない暗黒の時代か、人間の自由と解放をもたらす社会主義への道か、われわれはいままさにその分岐点に立っている。

はやかわ・ゆきお

1954年兵庫県生まれ。成蹊大学法学部卒。日産自動車調査部、総評全国金属日産自動車支部(旧プリンス自工支部)書記長、JAM副書記長、連合総研主任研究員、日本退職者連合副事務局長などを経て現在、労働運動アナリスト・現代労働運動研究室室長・日本労働ペンクラブ会員・Labor Now運営委員。著書『人間を幸福にしない資本主義 ポスト働き方改革』(旬報社 2019)。

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