特集 ● トランプの末路

選択的夫婦別姓(氏)でよいのか、廃止すべきは戸籍制度では

事実婚差別と法律婚優遇策の廃止を

筑波大学名誉教授・本誌代表編集委員 千本 秀樹

1.はじめに

日本の政治と社会が、右翼対リベラルという対立構造になっている現在、リベラル側が優勢な数少ない論点が、選択的夫婦別姓制度を採用するか否かの問題である。ちなみにわたしたちの「苗字」は法的・行政的には「氏」である。「姓」とは天皇からいただくものであって、現在では使われていない。ただ、姓、氏、苗字について、時代によって意味が変化しており、たとえば本姓として天皇から与えられた「源」が姓であるか氏であるかは混乱が生じている。必ずしも政府が使用するからというわけではないが、「別氏制度」と表記する。

夫婦別氏制度を支持するかどうかが、頑迷保守かリベラルであるかの境界線であるかのような様相を呈している。というよりは、リベラル側がそのように仕掛けようとしたものの、高市政権は通称使用の拡大と同氏の維持、いいかえれば戸籍制度と「家族の美風」を維持するというこれまでの立場で議論を避けた。そして「強い日本」という、軍事以外はまったく中身のないスローガンで、日本国家の進む道を提起しているようにふるまった。夫婦別氏制度などは、枝葉の問題にすぎないという姿勢である。

日本社会が様々な問題を抱えるなかで、枝葉の問題にはふれずに、無内容ではあるが国家像を示しているかに見えた高市首相を、有権者は支持した。有権者の不安は、「家族」にあったはずである。物価高は家族の生活を維持できるかどうかの問題であり、少子化はわが子を競争から守るためである。非婚化も家族を持つことへの自信のなさが大きい。リベラル側は、家族と国家のありようについて、新しいイメージを打ち出すことができなければ、高市政権に太刀打ちできなかっただろう。

それは、ないものねだりといえよう。選挙互助会である「中道」にそのような可能性はないし、選挙互助会を立ち上げたことにわたしは反対しないが、立憲民主党もまた選挙互助会であることは同様で、議論を深める内在的なエネルギーは期待できない。戸籍制度や家制度を克服するような論争を始めれば、立憲民主党は直ちに分裂するであろう。

2.国家による人民管理

夫婦別氏制度として議論されている課題は、わたしにとって3層の問題をはらんでいる。第1層の問題は、自分が共に生活しようとする人間をどうして政府=「お上」に承認されなければならないのかということである。ともに家族を構成しようという人物は、夫婦に限らず最も近しい人たちであり、なぜそれを届け出なければならないのかということである(わたしがここで「お上」ということばを使うことについて、近代国民国家においては不適切だとの批判があるが、わたしは現在の日本がそのような民主主義を実現していると考えてはいない。また、国家公務員から地方公務員まで、お上意識は根強い。数年前、橋下徹元大阪市長は、新人職員に対して「わたしとともに統治する側の人間になれ」という趣旨の挨拶をした。また一般民衆にも「お上のやることだからしようがない」というあきらめ気分は強い。このような現状を打破したいがために、あえて「お上」ということばを使用した)。

誰を愛しているか、誰とともに人生を歩もうとしているかは、プライバシーの最たるものである。プライバシーは、親族や友人、地域の人びとには知っておいてほしいが、「お上」には知られたくないというもののはずである。かつての国民総背番号制反対運動は、そのような意識の共有の上に成り立っていた。それがこの数十年のあいだに逆転した。「お上」(政府や地元役所)には知られてもよいが、地域の人びとには知られたくない、というふうに(拙稿「相互扶助と自治の復権を」本誌紙版19号、WEB版40号に再録)。それは1970年代以降、人びとを分断して個人を個別に支配しようという政府と独占資本の目論見であり、具体的には労働組合運動の破壊であったが、それが町内会の衰退にまで及んだのは政府の計算外であっただろう。

マイナンバーカードはすでに病歴や納税をも一括管理しようとしており、これが図書館の利用状況までリンクされると、思想管理にまで至る。私の地元図書館では、過去の利用状況は本人でも知ることができないから、まだ秘密は守られていると思うが、「図書館の自由」の維持拡大は喫緊の課題である。マイナンバーカードを使用したプライバシーの掌握には、できる限り抵抗したいが、国民総背番号制反対運動ほどには盛り上がらない。また、マイナンバーカードが普及すれば、政府が国民を個人として把握でき、戸籍制度は不要となるのではないかとも思う。

中央集権国家であれば、人民を直接支配しようとする。日本列島の歴史でいえば、古代律令制国家と、明治維新以降である。それは、戸籍制度のある時代でもある。国家に支配されたくないと思っても、国家の死滅が近い将来に見通せない以上、どのような国民管理がより嫌かということになる。世界を見渡せば、日本のように家族単位で管理するか、日本以外の国のように個人単位で管理するかということになる。

3.徴兵のための戸籍制度

わたしにとっての第2層の問題は、戸籍制度の評価である。個人単位の管理の方が良いとは決して言いたくないが、前節で述べたように、人間にとってもっとも大事なプライバシーである家族の構成を管理されることはより苦痛である。

古代律令制時代も、明治維新以降も、戸籍制度は徴税と徴兵のために存在したとされる。明治4年、すべての人民を対象とする最初の法律である戸籍法は、天皇の所有物である人民を中央集権的に把握することが目的であった。

徴税は、対象が基本的に農民であったために、地券を基礎とする土地の台帳があり、土地の価値(生産力)に応じて土地所有者に課税された。とすれば、戸籍よりも土地台帳の方が重要である。すべての農地と所有者を把握しておけば、徴税にとって、戸籍は必要ではなくなる。

農民以外に対する所得税徴収はなかった。1900年の選挙法改正で、有権者は直接国税15円以上から10円以上の納税者となった。これは大幅な有権者の拡大であったはずである。しかし労働者たちは納税していなかった。欧州大戦が起きた1910年代なかば、戦後に副首相、民社党の創立者となる若き西尾末廣は、労働組合運動を始め、そのなかで「納税者同盟」を呼びかけた。「自分たちも税金を払えば選挙権があるんだ、税金を払って投票に行こう」というわけである。当時の労働者大衆は政治に強い関心を持っており、政談集会は常に満員であったが、義務づけられていない税金を納めようとはしなかった。労働者が強制的に所得税を支払うことを義務づけられたのは、1940年、日中戦争が激化して、源泉徴収制度が適用されてからである。ということは、戸籍制度は徴税が目的ではないということになる。

一方で、徴兵と戸籍制度は関係が深い。1873年の徴兵令では、長男や、北海道、併合後の琉球=沖縄県に本籍がある人間には徴兵令が適用されなかった。そのため次男以下は息子のいない家に養子に出たり、夏目漱石のように本籍を北海道に移して兵役を逃れた。しかしそのような免除措置は次第に廃止され、志賀直哉のように賄賂で逃れようとしたが手違いで徴兵され、賄賂を払ったのにと裏から手をまわしてすぐに帰宅できたという笑い話もある。とはいえ、徴兵検査は本籍地で受けて地元の連隊に所属するという原則があり(1945年7月の満洲では例外的に現地招集された)、徴兵に戸籍制度は不可欠であった。

しかし、徴兵制を取らない限り、戸籍制度は不要である。また、現在徴兵制を取っている国でも戸籍制度はない。韓国では2008年に廃止し、北朝鮮にはなく、台湾でも有名無実化しているという。中国には現存するが、性格は大きく変わっているようである。唯一残しているといってよい日本では、法務官僚が「世界に冠たる戸籍制度」と絶賛しているそうである。なぜ素晴らしいのかと尋ねたいが、おそらく国民把握に漏れがないこと、法律婚を優遇し、事実婚が少ないこと、逆にいえば非嫡出子を差別していることなどであろう。非嫡出子の相続権差別がなくなったとしても、である。

たしかに、相続税を計算するときに、戸籍簿があると、現場実務者としては仕事が大変便利なのだそうである。そうかもしれないが、戸籍制度の効能は、せいぜいそれだけであろう。しかし、不動産の相続はどうなっているのか。全国で所有者不明土地が問題になっている。建物が付属している場合、危険建物として、近隣住民を不安におとしいれている。不動産の相続手続きを怠っている事例を身近でも見聞する。それが二代、三代、四代と続くと、相続権者が100名を超える場合があり、彼らから相続放棄の書面を集めないと、相続人の確定ができない。戸籍簿があれば簡単なはずなのに、現実には権利者と連絡がとれないまま、所有者不明土地は放置されている。戸籍制度は機能していないのである。

本節で述べたように、徴兵制度がなければ、技術的には戸籍制度は不要なのだが、後述するように、天皇制の封建的家制度と結びついて、廃止できなくなるのである。

4.事実婚か法律婚か

このテーマを扱った先行研究の代表的なものとして阪井裕一郎著『事実婚と夫婦別姓の社会学』(白澤社、2022年改訂新版)がある。選択的夫婦別姓制度が実現するまでは事実婚を続けるというカップルを実例として紹介しているのだが、戸籍制度に反対して事実婚を選んでいる場合があることを著者は認識していながら、その実例は掲載されていない。同書執筆の目的が戸籍制度批判ではないからであろう。

わたしの場合、新生活が結婚であるという意識はあったが、婚姻届を提出する予定はなかった。某市役所での職場結婚であり、身近な同僚には告げたが、共済組合がききつけて、どこで結婚式を挙げるのかと執拗に尋ねてきた。両家族+αの顔合わせ食事会しか予定していなかったこともあり、逃げ切ったつもりでいたが、当日、会場にお借りした、日本画界の異端児でもあり大御所でもあった橋本関雪画伯の大画室(アトリエ、白沙村荘内)に市長からの祝電が届いた。ここで食事会を開いたのはわたし以外には前にも後にもいないだろうと思うのだが、共済係はどこかで聞きつけたのである。そのときは、職員同士の結婚だから市長の祝電を届ける必要があったからだろうと思っていたが、おそらくそうではなかった。というのは、まもなく共済組合から、一人20万円、計40万円が祝い金として支給されたのである。労働組合からも一人5万円が支給された。共済係が必死だったのは、祝い金は事実婚で支給する、それが同棲レベルではなく事実婚であるという証明のために市長祝電が届いて返送されなかったという事実が必要だったのだろう。1980年代に、行政機関(の共済組合)が事実婚を結婚と認めていたのは、先駆的だったのではないだろうか。

まもなく娘が生まれて、わたしが出生届を提出した。戸籍制度と闘うために子どもの出生届を提出しないという闘いを続けているグループを知ってはいたが、子ども本人の意思と無関係に子どもを運動に引きずり込む考えはわたしにはなかった。当時のわたしの武器は、佐藤文明著『戸籍』(現代書館)だった。まず父親の欄に書いたわたしの名前が問答無用と赤線で消された。婚姻届を出していないので、娘は父親のいない非嫡出子なのである。そのほか、記入が必要な欄、不要な項目など、佐藤文明『戸籍』を片手に、係員を相手に1時間以上も「闘った」。

その後、夫婦で相談して、婚姻届を提出することにした。決め手は金銭的な問題であった。法律婚をしないことで、収入に年間数十万円?の差額が出ることが分かったからである。名字は議論もなく、妻の苗字にすることにした。ところが提出前夜になって、妻が「千本でいい」といいだした。当時短期間ではあるが、彼女が無収入であったこと、「この点だけでつっぱってもねえ」という理由だった。そういうわけで、再び『戸籍』を片手に長時間を使って婚姻届を提出したのだが、娘の認知届を提出しろといわれなかったために、数年間、娘が一人戸籍だったことが判明したのは後のことである。当時大学に転職していたので、婚姻届を提出したと事務局に届けたら、文部省共済組合から5万円の祝い金が出た。「前の職場で貰ったので」と辞退しようとしたが、「規則だから」と受け取らされた。1回の結婚で2回祝い金をもらったのだが、政府レベルではあくまでも法律婚だけを結婚とするという象徴的な笑い話である。

5.苗字の自由と強制

ここで、わたしにとって第3層のテーマである苗字の問題が出てくる。夫婦同氏が法律で決められているために、2024年の場合、94.1%の夫婦が男性の氏を名乗っており、男女非対称であって、多くの女性が不快な、不便な、あるいはつらい目にあっているということである。しかし50%になれば男女平等で問題解決というわけではない。すべての人びとが生家の苗字を守りたいと考えていると仮定すると、一組の法律婚で、必ず一人は不快な思いをするわけである。理由が何であろうと同氏が良いという人もいるだろうから、選択的夫婦別氏制度が実現すれば問題は解決したかのように見える。はたしてそうだろうか。

同氏に反対する根拠はいくつか見受けられる。「94%が」というのは、女性差別社会の現状を表しているが、50%になれば解決したのではないことは前述した通りである。生まれた時からの氏はアイデンティティの一部であるという論理には、それは父親の「家」制度のなかで生きたいということではないですかと反問したい。配偶者の側の家制度に対して、(父)親の家制度を対置しているにすぎない。生家の氏は自ら選んだものではない。女性研究者から姓が変わると研究実績の評価が……との声もあるが、わたしも筆名で書いたこともあり、それを実績一覧に加えても問題になったことはない。しかもこの理由は、通称使用の拡大という政府の方針に対する打撃にならない。ちなみにわたしは、父から受け継いだ氏の名に、まったく執着はない。父もまたそうだったろうと推測する。

わたしの対案は、名乗りの自由化である。選択的夫婦別氏をふくめて、第3の氏、正確にいえば「創氏」を認めることである。植民地時代の創氏改名を連想させてイメージが悪いが、名乗りの自由は「日本の伝統」である。秀吉は苗字を木下から羽柴に変え、姓を平、藤原、豊臣と変更した。尾脇秀和は『氏名の誕生』(ちくま新書、2021)で、たとえば松平定信や水野忠邦は老中在職中には松平越中守、水野越前守が「名前」であり、「『松平定信』とか『水野忠邦』とは当時誰も呼んではいないし、彼ら自身も称していない」としている。この2例と同じように織田信長、井伊直弼も「苗字+実名」なのだが、「織田信長」は江戸時代によく読まれた『日本外史』などが使用した標記である。タイムマシンで信長が活躍した時代に行って、「織田信長」を探しても見つからないということだろうか。

わたしたちが「大隈重信」と呼んでいる人物も、明治2年7月の職員令にもとづいた標記では「従四位菅原朝臣重信」と、大蔵大輔の任官官記に記されている。「菅原」が姓、「朝臣」が「尸(し)」、「重信」が実名であって、これが最も公式の名乗りとなる。「大隈」は、でてこないのである。『氏名の誕生』は、簡潔に書かれた概説書なのだろうが、一読しても頭に入らない。それほど日本の姓、氏、名、苗字などの変遷は複雑で、また語義の変化もあって、研究者の解釈の相違もあるから、「正確な」理解は不可能ではないかとさえ思える。

明治3年9月、政府は全文が「自今平民苗字被差許候事」という布告を発した。府県は意味が分からず混乱した。現在では苗字自由令と呼ばれているが、平民も苗字を名乗ってもよいということである。江戸時代、多くの農民は苗字や屋号を持っていたが、公式に名乗ることは許されず、都市の庶民には苗字を持たない者も多かった。だから苗字を名乗るかどうかは「勝手」であった。

1875年、山県有朋陸軍卿は徴兵事務の必要上、平民に苗字を強制することが必要だと痛感し、三条実美太政大臣に伺いを提出する。徴兵令発布から2年、徴兵逃れが8割にも達していたという。そして2月、苗字強制令といわれる太政官布告が発布された。しかしそこには強制の目的は書かれていない。

同年5月、政府は石川県からの伺いに対して、妻は夫の氏ではなく、生家の氏を名乗るよう、太政官指令を発した。江戸時代には、女性は支配階級をふくめて氏名を名乗る習慣がなかったから、苗字を強制されたときに、自然な傾向として夫の氏を名乗る状況があったのである。政府は、戸主であった夫が死亡して妻が戸主となった場合には夫の氏を名乗ってもよいとした。民衆のなかから夫婦同氏の動きが起こり、政府がそれを許さなかったのである。

その後、政治的にも社会的にも夫婦同氏か別氏かの議論は関心を持たれず、1898年の民法相続篇の施行によって、封建的家制度が確立し、夫婦同氏制度が確立したのである。夫婦同氏は決して日本の伝統ではなく、逆に明治政府は別氏を強制していたのだが、1898年から同氏に逆転したのである。夫婦同氏は、わずか100年余りのあいだ、政府によって強制されてきたにすぎない。

改氏の自由の可能性はあるのか。現在でも裁判所に申し立てて、裁判官が納得する理由があれば、可能である。江戸時代の被差別身分名が苗字であった家族が改氏を認められた例を知っているが、簡単なことではない。しかし改氏を自由にしても、行政的に不都合はあるだろうか。配偶者の氏を名乗るだけでも抵抗があるのだから、希望者がそれほど出てくるとは思えない。現在でも筆名や芸名は自由であり、活動家名もふくめて、そちらが良く通用し、本人の重要なアイデンティティとなっている場合は多い。だからといって、彼らがたとえば脱税をしているわけでもない。納税や保険などは本名でやるとしても、日常生活を自分が選んだ氏名で送ることはひとつの方法で、法律によって氏名が決定される状況を無意味化することは夢ではない。

6.事実婚差別と法律婚優遇策の廃止を

問題は法律婚をしないことを選ぶと、さまざまな不利益、特に経済的な不利益が生じることである。それは、事実婚者に対する差別、というよりは、法律婚者に対する優遇措置であり、それらの撤廃の声は、法律婚反対者ではなく、体制派の内部から湧き出ていることが現代の特徴といえるだろう。

たとえば年金に関する第3号被保険者問題は、保守派の女性論客ばかりか、経済同友会、連合、全国女性税理士連盟など、広範な人たちから廃止意見が出されている。「130万円の壁」もそれと連動する。事実婚者に対する結婚祝い金問題は、わたしが経験した通りだが、配偶者に対する扶養手当や、所得税の配偶者控除の廃止については、その主張を聞いたことはない。賃下げや増税を主張しているのではなく、すべての人びとに平均して賃上げや減税を実施すれば良いのである。

事実婚者を悩ませる例としてよく挙げられるのが、病院における手術の同意書のサインが、親族に限られるという件である。何のことはない、順天堂大学病院では、親族であるかどうかに限らずサインできるとのことである。この思い込みを解消するには、患者が声を大きくすること、医学界が条件を検討するだけでよい。

「事実婚者に対する差別反対」というと、「異端者が何をほざくか」と反感を買いそうだが、「法律婚者に対する優遇の廃止」の方が具体的ではっきりする。

重税を愚痴る男性に、「専業主婦の『奥さん』とペーパー離婚して、彼女と雇用契約を結んで、あなたの給料の半分でも賃金として支払えば、二人合わせた税金は安くなりますよ」といってみたが、やる気はなさそうだった。こういう場合、税務署は違法行為として立件できるのだろうか。またこうすれば、女性の家事労働は社会的労働となり、誇りをもって働けるかもしれない。「家事労働に賃金を」の実現である。

このような方法を取っている例を聞いたことがないのは、ペーパー離婚が本当の離婚につながりかねないという不安があるからだろう。一部の男性は、専業主婦の妻を半封建的奴隷のような存在として扱いたいと願っている。

かつて子どもたちの学校のPTA学年委員選出で選挙戦になったか、なりそうになったことがあった。政治的な対立ではなく、保育所派と幼稚園派という構図であった。学年で6名を選出するのだが、いざ会議というときに、保育所に子どもを通わせていた親は、昼間は仕事だが、夜は親のどちらかが在宅すればよいから、会議は夜に設定したいと希望すると、幼稚園派の母親は、「夜は主人がいるから外出できない」と昼間の会議を希望した。最初は何をいっているのか理解できなかったが、夜は「主人に仕える」ことが当然とされていたのである。それからは、学年委員は保育所派で独占することにした。

これは30年近く前のことである。最近は実質賃金の低下のために女性のパート労働が増加し、純粋の専業主婦はかなり少なくなっている。父親が育児に参加することは当たり前になり、「育メン」という流行語も死語となった。一方で経団連が自民党に要請して非正規労働者が大量に生み出され、結婚も子どもをつくることも諦める人びとがふえるなかで、専業主婦を希望する若い女性が増加しているとも聞く。「家長とそれに仕える妻」という封建的家制度は、一掃されたとはいいがたい。

7.関係に責任を持ち合う絆を

選択的夫婦別氏制度に反対する政界の保守派や右翼が、別姓は日本の「家族の美風」を破壊するという。明治4年の戸籍法では、お妾さんや非嫡出子も同一戸籍に入れられていたが、1898年の民法相続篇で、一夫一妻制の現行の制度に近づいた。もちろん、家長の権力を最大限認めた家父長制である。江戸時代の庶民のあいだでは、子どもの結婚について、親の発言権はなかった。若者組の慣行のなかで、全国の農山漁村の若者たちは若者宿、娘宿を拠点にして、結婚相手を自主的に、自治的に決めていた。明治政府は庶民の自治制を嫌い、政府のいうがままになる官製青年団を全国で結成し、若者組を破壊した。そして江戸時代の武士身分のあいだで行なわれていた、親が子どもの結婚相手を決めるという方法を全臣民に強制するのである。それが封建的家制度である。家族の美風が家制度とともにあるとすれば、それは日本の伝統ではない。

明治政府が国家の構成単位を考えるときに、当然、臣民一人ひとりを単位とするという欧米的な意見もあった。一方で、大日本帝国は単位などとは考えられない一体のものであり、天皇と赤子(せきし)というひとつの家族であるという家族国家観が1890年代に成立していた。民法相続篇は、強力な権力を持った家長(家父長)を頂点とする「家」を、天皇を頂点とする家族国家観の大日本帝国と相似形とすることによって、封建的家制度を完成させたのである(拙稿「部落間差別問題から考える関係の変革」、本誌紙版第2号、WEB版第20号に再録)。

ヨーロッパ近代以降の中央集権国家は、おおむね言語、標準語を強制することによって国民を国家に統合した。日本の場合も明治維新直後から、文部省が標準語を創製し、国定教科書と学校教育によって臣民を統合したが、天皇制国家が欧米と異なるのは、天皇制国家と相似形をなす封建的家制度を全臣民に強制することを統合のもうひとつの武器とした点である。

戦後しばらく、法律婚と事実婚について、法学者のあいだで論争が展開された。新憲法のもとで、民法をはじめとする法律が民主化されたと考える陣営は、法律婚を女性の権利を守る砦のように位置づけた。法律婚によって男性の横暴と好き勝手を制限し、女性を守るという発想である。事実婚の女性はお妾さん的な存在と考えられ、あってはならないものとされて、法律婚に組み込もうとした。民主的な法律が弱い女性を守るというわけである。現実に女性の力が弱い状態におかれ、法律が民主的であると思い込んでいる法律家がこのように考えるのは時代の反映だといえる。

日本国憲法は、GHQによる押しつけという形で、しかも天皇による改正という形で公布・施行された。その内容が、実質的には大正デモクラシーの系譜を引いた日本人ジャーナリストたちの案を下敷きにしていたとしても、日本民衆がみずから制定したものではなかった。手続きは重要である。

まして天皇制は、政治的権力は表向きには失ったけれども、いわば天皇教という国民的宗教として生き延びた。そのような状況のなかで、天皇制国家と相似形であった封建的家制度の発想は、国民の精神からは容易に払拭できなかった。戦後の法律によれば、婚姻とは二人で婚姻届を提出して新しい戸籍をつくることなのだが、いまだに「入籍」という戦前民法の用語が幅を利かせていて、入籍があたかもおめでたい事、嬉しいことのように報道されたりしている。いつのころからか、おそらく一部の「芸能人」が普及させたのだと想像されるが、妻のことを「嫁」と誤用することが広まった。「嫁」とは息子の妻のことであって、自分の妻のことではない。しかも「家の女」と書くために、しばらくは使用が控えられていたように思うのに。

戦前からの女性共産党員や「婦人」解放運動の活動家たちの苦闘からは学ぶものが多い。しかし衝撃を与えたのは、1970年前後のウーマンリブだった。これはまさに衝撃と、そして優生保護法が課題であることだけを社会に知らしめて消えていったが、その任務と課題を引き継いだのがフェミニズム運動だった。

フェミニズム運動の成果のひとつは、男女雇用機会均等法反対運動であると私は考えている。男女平等だけの観点からだと、「平等の進展」とプラスに評価しがちだが、均等法に反対する女性解放派は、均等法の本質は母体保護の削減を中心とする労働基準法の改悪であり、女性にのみ総合職と一般職の分断を持ち込み、総合職女性を男並みに働かせることによって男性の搾取も強化すると見抜いた。均等法は、女性解放運動に、賛成する男女平等派と、反対する女性解放派という分裂を持ち込んだが、女性解放派の到達点は貴重なものであった。なお、「女性解放派」には、男性解放、人間解放を主張する男性を含む場合がある。

これは女性天皇問題にもつながっていく。いわゆるリベラル派が、女性天皇、女系天皇を容認するべきだと合唱するなかで、女性解放派は、女性天皇の実現は天皇制の強化にすぎないと少しは発言したが、おおむね沈黙を守っている。わたしはその沈黙がフェミニズム運動世代の沈滞をもたらしているのではないかと仮説的に考えている。男女平等だけでは問題は解決しない。日本で女性自衛官が誕生し、世界で女性兵士がふえて、女性が男並みに人を殺せるようになったのはあきらかに男女平等の進展であるが、それは人間解放の前進ではない。

選択的夫婦別氏制度についての女性解放派の発言がほとんどないのもその延長線上にあるのではないか。選択的夫婦別氏制度が導入されると、これまで事実婚であったカップルが一斉に法律婚になだれ込むのは目に見えている。そして「少しはましな戸籍制度になったね」、「良い戸籍制度になったね」という声があちこちから聞こえてきそうである。

選択的夫婦別氏制度が悪いというわけではない。しかしそれが戸籍制度として実現したときに、国民を天皇制的家制度のもとに支配・管理するためのシステムを強化することになっては困るのである。

戸籍制度のないヨーロッパでも、婚姻制度を廃止しようという主張がある。また家族構成の基準を性愛とその結果、すなわち「性の絆」、あるいは「性の結果」(子はかすがい)に置くのではなく、「ケアの絆」を主眼に置こうという考えもある。肉親かどうかにかかわらず、ケアをする、されるという関係で、家族と見なすということである。

ともに暮らす基準を、支え合う、あるいは刺激し合うというような関係の中身に責任を持ち合うということにすれば、家族かどうかということを、他人や政府に認めてもらう必要はないし、家族かそうでないかを判定する必要もない。同棲か事実婚かという境界線を引く必要もない。法律婚への優遇措置を廃止すれば、法律婚をする人たちは、「あの人たちはお互いの愛情に自信がないから、法律で自分たちを縛って貰いたいんだね」という目で見られるようになるだろう。

 

(本文中で元号と西暦を混用したが、太陽暦採用以後は西暦を、それ以前の太陰暦時代は欧米と日付が異なるため、元号を使用した。)

ちもと・ひでき

1949年生まれ。京都大学大学院文学研究科現代史学専攻修了。筑波大学人文社会科学系教授を経て名誉教授。本誌代表編集委員。著書に『天皇制の侵略責任と戦後責任』(青木書店)、『「伝統・文化」のタネあかし』(共著・アドバンテージ・サーバー)など。

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