論壇

国際経済は高校でどう教えられているのか(下)

高校「公共」教科書を読む

元河合塾講師 川本 和彦

1.はじめに

以前勤務していた予備校の講師室で雑談中、日本は日米安保条約を破棄して米軍基地を撤去すべきだと言ったことがある。そのとき若手の講師が「アメリカと戦争するんですか」と真顔で質問してきた。

このレベルの人間が職場の同僚かと思うと、仕事を続ける意欲が失せてしまったものである。日本はアイルランドと同盟を結んでいないが、だからといってアイルランドと戦争しているわけではない。

同盟か戦争かというような極端な二者択一はしかしながら、別の分野ではしばしば見られる。自由貿易をめぐる議論はその一つであろう。何しろ教科書が自由貿易を全面的に肯定している。自由貿易の衰退が戦争につながると、ほとんど断定しているのだ。

何も「鎖国」して、長崎の出島でオランダとのみ貿易しろと言っているわけではない。だが、無条件で自由貿易を礼賛することには異論がある。

前号に続いて、高校「公共」教科書に見られる問題点を指摘したい。

2.ブロック経済と戦争

東京書籍の教科書『公共』から、戦間期の国際経済について書かれた箇所を引用する。

〈各国のブロック経済化が第二次世界大戦の一因となった反省から、戦後は自由貿易主義にもとづく国際経済体制の再建が課題となった。〉

もう一冊、実教出版の教科書『詳述 公共』はこうだ。

〈各ブロック内では資源が不足し、販売市場も限られていたため、列強間で植民地をめぐる争いが起き、第二次世界大戦に突入していった。〉

ブロック経済による自由貿易の阻害が、世界大戦につながったという内容である。確かに一定の説得力はある。「あの商品は相手国から輸入しなくてはならない」「この商品を相手国へ輸出できないと困る」と、お互いに貿易で依存し合っていれば、依存を断ち切る戦争は起きにくいように見える。

だがそれは、各国指導者が経済合理性に基づく判断を続けている場合に限られる。現実には指導者だけでなく、そもそも人間は時に合理性のない行動をするものだ。だから差別や戦争はなくならないし、日本維新の会ごときが支持されるのである。

現実に、20世紀初頭のヨーロッパでは、イギリスとドイツはお互いが最大の貿易相手であったにもかかわらず、第一次世界大戦で戦っている。1930年代から日米関係は悪化したが、1941年の真珠湾攻撃まで、日本の対米輸出は減少していない。現在の中国と日本もそうである。外交面では緊張している日中間であるが、貿易量は増加し続けている。

ブロック経済に象徴される反自由貿易主義が戦争を起こす、という論が完全に間違いだ、とまでは言わない。だが戦争要因として指摘すべきはむしろ、「自国のためには他国を犠牲にして当然だ」という利己主義、それを根底に置いた帝国主義政策であろう。軍事力で雇用や市場を確保しようという国家意思の衝突が、すなわち戦争なのだ。

石橋湛山が指摘していたように、植民地を放棄し国内市場の拡大を進めていれば、満蒙は生命線でもなんでもなかった。戦争は避けられたはずである。

3.今後の展望

(1)世界の経済秩序

それでは、教科書は今後の国際経済をどう展望しているのであろうか。

東京書籍『公共』に、以下の記述がある。

〈今後、アメリカの保護主義的な政策の強化や中国の台頭、2020年の新型コロナウィルス禍にはじまる世界経済の停滞など、さまざまな要因のなかで世界の経済秩序をどのように維持発展させていくかが問われている。〉

どうにも納得できませぬ。

まず、アメリカの保護主義と台頭する中国が、ほぼ無批判に敵視されているのが問題である。

次に、グローバリゼーションが過度に進んだからこそ、新型コロナウィルスが世界に蔓延したという事実に触れていない。これは著しくバランスを欠くものだ。

さらに、これまでの世界経済が無条件に肯定されている。だからこそ「従来のコースをこれからもたどらねば」というニュアンスになるのだ。過去の国際経済はすべて良かったのか。反省し、修正する必要はないのか。そういう視点が皆無である。

何より、末尾の「問われている」という表現が嫌だ。誰が誰から問われているのかね。執筆者が読者(高校生)に問うているのだから、この表記は無責任である。

(2)経済統合

すべての教科書は、EU(欧州連合)のような経済統合、あるいはFTA(自由貿易協定)、EPA(経済連携協定)に触れている。それを踏まえて、第一学習社『高等学校 公共』の一節を紹介しよう。

〈経済統合は、国や地域だけでなく、世界経済の発展に貢献すると考えられている。人口減少や市場規模の縮小が起こる日本において、経済統合は未来の活路の一つと考えられている。経済統合を結ぶことで、EUのように企業の輸出が対貿易圏全体でおこないやすくなり、日本を含めた貿易圏全体での経済成長が見こめることは大きな魅力である。〉

これはもう、大東亜共栄圏の復活を狙っているわけだな。とってつけたように「日本を含めた貿易圏全体」とはあるが、衰退する日本が一発逆転・反転攻勢をしかけるために、経済統合を利用しようという意図が露骨である。

先に触れた「問われている」同様、こちらは「考えられている」とある。しかも2連発!日本語として美しくない非国民的文章であるし、やはり無責任だろう。誰が考えているのか? 執筆したあんただろ、と突っ込みたくもなる。

教科書がとっているのは、経済統合への参加が日本の「国益」に合致するという立場である。そこで問題なのが、「日本」とは誰なのかということである。

貿易拡大ですべての事業者、すべての日本国民および在日外国人が幸福になるのか。

一介のフリーランスである私と竹中平蔵と、すべての面で利害が一致するということがあるのだろうか。奴の幸福は私の不幸であるに違いない(精神衛生上もそうである)。

(3)悲しい妄想 

そこは執筆者も一応、考えてはいるらしい。続けて以下のような記述がある。

〈しかし、経済統合の恩恵は、すべての産業、地域に行きわたるものではない。日本でも、日欧EPAにおける農畜産業のように、犠牲を払わなければならない産業や地域がある。また、国際社会においても、経済統合に参加できない国は、他国の経済統合で損害を受けることもある。〉

「犠牲を払わなければならない」って、勝手に決める権利が誰にあるのか。学者として教科書を執筆しながら、永田町の政治家か霞ヶ関の官僚気分になっているらしい。これぞ「曲学阿世の徒」ではないか。

こういう「日本さえよければ他国はどうなっても構わない」という姿勢こそが、かつての戦争につながったのだ。不適切にもほどがある。

日本だけのことではない。アメリカ・シリコンバレーの生産額はここ10年間で10倍以上に増えたが、当地の雇用は増えていない。中国やインドから優秀なハイテク技術者が流入する一方で、地元にいる「普通の」アメリカ人が働くことができる職場は少なくなっているのだ。

百歩譲って、「日本企業の収益増加=日本の国益増加」と仮定しよう。それでも問題が残る。輸出をしなくては日本がもたない、という思考があまりに古い。GDP(国内総生産)に占める割合で最も大きいのが民間最終消費支出、次が国内総資本形成(民間設備投資+公共投資)である。輸出など微々たるものだ、しかも輸出―輸入の貿易収支は赤字であることが珍しくない。であれば、貿易がGDPに占める割合はゼロともいえる。

日本の国際収支では第一次所得収支(利子・配当の受け取りと支払いの差額)が黒字であり、この黒字が他項目の赤字を埋めている。つまり今の日本は、国内需要と対外投資で稼ぐ国なのだ。輸出さえ増やせばいいというのは、高度経済成長時代のお話である。映画「ALWAYS 三丁目の夕日」を観て涙するような感性で教科書を書かれても、迷惑である。一人で勝手に泣いてなさい。

輸出を梃子に経済発展しようというのは、オリンピックや万博を発展の起爆剤にしようというのと同じ発想である。いつまでそのような、悲しい妄想に浸っているのだろうか。

(4)自由貿易とも矛盾する経済統合 

また経済統合は、実のところ自由貿易とも矛盾するのではないか。教科書はかつてのブロック経済を戦争の一因と糾弾するが、現在進行形の経済統合はブロック経済とは異なるものなのか疑わしい。

例えば、TPP(環太平洋経済連携協定)はもともと、日米主導での中国封じ込めを狙ったものであった。幸か不幸かアメリカが離脱したが、根本的性格が変わったとは思えない。中国のTPP加盟が実現すれば話は別だが、今のところ可能性は低いだろう。現状のTPPは、反中国ブロックである。

TPP は自由貿易協定ではなく、経済連携協定である。つまりモノ(商品)の移動だけでなく、カネ(資本)やヒト(労働力)の移動も自由化することをめざしている。

アメリカの経済学者ジャグディーシュ・バグワティは、リカードの系列に連なるバリバリの自由貿易論者である。そのバクワティでさえ、自由な資本移動が利益をもたらす保証はないと述べている。

バクワティによれば、戦後の西欧では1980年代後半までは、資本の自由化なしでも経済成長を遂げていた。これは中国や日本も、外国資本による巨額の対内投資なしで、高い経済成長を実現していた。むしろ、規制のない金融市場こそが、危機や混乱をもたらしてきたという。

自由化、規制緩和、グローバリゼーションという流れを否定しろ、批判しろと言っているのではない(言いたいけど言わない)。素直に事実を眺めるだけでも浮上する問題点があり、そこに目を閉ざすなと言いたいのだ。

TPP に関連して、もう一言述べておく。財務省の試算では、TPP に加入することで、日本のGDPが1年間で3200億円増えるそうだ。一方、TPPですべての関税をゼロにすると、関税収入は7800億円減少するとのことである。

3200億円得して7800億円損するわけですな。財務省の官僚が、小学校・算数レベルの計算を間違えるはずはない。ということは何かのためにTPPへ加盟するのではなく、加盟自体が目的となっているということだ。マイナンバーカードみたいだな。

4.フードマイレージ

「公共」という科目では、地球環境問題も取り上げている。これについては稿を改めるが、最後に貿易との関連で少し述べておきたい。

フードマイレージという言葉は、かなり知られるようになった。食生活の環境への負荷を数値化したもので、イギリスで提唱された。式は

  フードマイレージ=食料輸送量×輸送距離

となる。

貿易で多くの食料を輸送すれば、当然ながらフードマイレージの数値は大きくなる。食料に限ったことではない。貿易を増やすということは、それだけ資源を消費し地球環境へ悪影響を及ぼすのだ。そういう視点からも、自由貿易を無批判に肯定することは許されないと思う。

フードマイレージは近年、入試でも取り上げられるようになった。ところが「公共」教科書でフードマイレージに触れたものは、1冊もない。これは残念な欠落である。

5.おわりに

2回にわたって「国際経済」を取り上げたが、内容が貿易に偏ったことを反省している。外国為替相場やそれに関連する投機マネー、あるいは南北問題なども重要なテーマである。これらについても引き続き学び、考えていきたい。

かわもと・かずひこ

1964年生まれ。新聞記者、予備校講師を経てフリーランス校閲者。著書に『理解しやすい公共』(文英堂)など。

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