特集 ● 内外の政情は”複雑怪奇”

「群馬の森」朝鮮人追悼碑破壊の意味

日本社会の質的変容を象徴している

立教大学兼任講師 小林 真生

撤去の経緯とその評価

今年1月29日から2月2日にかけて、群馬県立公園「群馬の森」に設置されていた戦中に県内で亡くなった朝鮮人の追悼碑が行政代執行によって跡形もなくなったことは、マスメディア等で広く報じられた。筆者は群馬県出身であり、これまでも同地における移民や偏見の問題についての論考を複数執筆してきたこともあって、特別な関心を持っていた。そして、これまでの経験を総合すると、「この事件の根底には日本社会の大きな質的変容があるのではないか」と考えるに至ったのである。

そこで、まず事件の経緯を簡単に整理しておきたい。アジア太平洋戦争の最中、若者が兵隊に取られる中で、日本列島では労働力が不足していた。また、群馬県には高崎市に陸軍の火薬製造所、太田市にゼロ戦をはじめとする各種戦闘機の生産で知られる中島飛行機(スバルの前身)の工場が存在する等、軍事上の拠点が多かった。そうした構造の中で、群馬県では朝鮮半島の多くの若者を労務に充てることとなったが、朝鮮半島において本人の意思に反した動員があったことは多くの資料が証明しているところである。加えて、朝鮮半島出身者の労働環境は大変厳しく、命を落とす人も少なくなかった。それを記憶している世代を中心として戦後、日本各地に慰霊碑が作られることとなったのである。

群馬県においても在日コリアンに対する戦時の聞取り作業が行われる中で、前掲の陸軍火薬製造所の跡地に造られた県立公園での追悼碑建立の声が高まり、「朝鮮人・韓国人強制連行犠牲者追悼碑を建てる会」が結成され、県議会も同会が提示した案を2001年に全会一致で採択した。しかし、碑文等に強制連行という文言があることに対して、群馬県が日本政府が認知していない用語であることに難色を示したことを受け、公園内に追悼碑を建てることを重視した「朝鮮人・韓国人強制連行犠牲者追悼碑を建てる会」は、会名を「『記憶 反省 そして友好』の追悼碑を建てる会」とし、碑文の記載も強制連行から労務動員に変更した。また、同碑の前で政治的発言をしないとの条件も受け入れた。その結果、2004年4月に追悼碑は完成したのである。

追悼碑は10年ごとの更新が規定されており、更新期限である2014年を前に強硬保守系団体より抗議活動が目立ち始め、彼らは毎年行われた同碑の前での追悼式にて強制連行という文言が使われたことを問題視した(公園の奥まった場所にある追悼碑の前で、10年間で来賓者等が3回発言したのみ)。その動向を受け、かつて追悼碑の建立を全会一致で認めた県議会が碑の撤去請願を採択する状況も生まれたことから、群馬県は更新を不可とした。そこで、同碑の管理団体であった「『記憶 反省 そして友好』の追悼碑を守る会」(以下、守る会)は2014年11月に不許可処分の取り消しを求め、群馬県を提訴した。前橋地裁における第一審では、2018年に群馬県の不許可処分を取り消す判決を行ったものの、その後の2021年の東京高裁では追悼碑が政治的な争いと強く関係することとなり中立的な性格を失ったため、不許可処分を妥当なものとした。2022年には最高裁への上告が棄却され、群馬県の不許可処分は決定した。

その判決を受け、群馬県は最高裁からは言及の無い追悼碑の自主撤去を守る会に求めたものの、県と守る会との対話は不調に終わり、群馬県は「公益を著しく侵害」する際に行われる行政代執行を2024年1月末から2月初めにかけて行い、追悼碑は碑文等を除き破壊され更地となった。

その行動に対し、以前、ブログなどで大阪府の在日コリアンの女性3人について「民族衣装のコスプレおばさん」「ハッキリ言って小汚い」などと投稿したことを大阪法務局から人権侵犯と認定されたことでも知られる杉田水脈議員はXにて「日本国内にある慰安婦や朝鮮半島出身労働者に関する碑や像もこれに続いてほしいです。嘘のモニュメントは日本に必要ありません」(2024年7月15日最終閲覧)と述べ、前掲の抗議活動を行った団体「そよ風」はブログにて「何度みても素晴らしい群馬県の断固とした姿勢。ぬかりない手順。私たちは、今、日本人が、真の歴史を知る転換点を目撃しているのかも知れない」(2024年7月15日最終閲覧)とし、群馬県の姿勢を称賛している。

一方、『朝日新聞』群馬県版(2024年1月30日朝刊)では現地出身者による「心を刀でずたずたに切りつけられたような気持ち」との発言が掲載され、ジャーナリストの安田浩一は「『歴史』そのものが壊されようとしている」(『金曜日』2024年2月2日号)と述べ、その他にも「歴史が消される」などの発言は各所で見られた。

それらの二極化した発言から伺えるように、政治的中立を強調していた群馬県の政治的方向性は極めて明らかであった。また、行政代執行の判断を下した群馬県の山本一太知事は「(碑文は反日的だとの)考えは持っておらず、日韓・日朝の友好を深めるものだった」と1月25日の定例記者会見で述べているが、撤去の報道を受け、韓国・北朝鮮両国のメディアでその行動は批判的に報じられ、「韓日友好の象徴であった追悼碑が撤去されたことを残念に思う」とのコメントも韓国大使館からなされた(『朝日新聞』2024年3月28日(朝刊))。換言すれば、群馬県が主張した政治的中立性や国際性は追悼碑撤去を通じては達成し得なかったのである。

これらの経緯の詳細については、群馬県出身の朴順梨が以前から「群馬で育った在日コリアン」の視点を踏まえ各誌に原稿を寄せており、群馬大学の藤井正希は憲法学の観点から『検証・群馬の森朝鮮人追悼碑裁判-歴史修正主義とは?』(雄山閣)を著している。それらの論説の中心には歴史修正主義の問題が置かれているが、本稿で筆者はこの問題が日本社会、そしてヨーロッパ各国で起きている強硬保守(異文化・外国人排斥)の動向の中で起きたものとの視点をもって検討したい。

追悼碑と根底で繋がる移民問題

筆者は日本における外国人、あるいは彼らをめぐる差別構造について研究を行ってきた。そうした中で2020年代に入り発生した三つの事件と、群馬県における追悼碑の行政代執行の間に強い同質性を感じている。

第一に、コロナ禍初期の2020年3月に、さいたま市が埼玉朝鮮学校初中級学校の幼稚部(幼稚園や保育所に当たる)へのマスク配布を対象外とした事件である。さいたま市は市内の公立・民間施設の職員用にマスクを配布したものの、朝鮮学校が分類される各種学校は市の管轄ではないため「配布したマスクがどう使われるかを監査できない」との説明を朝鮮学校側に行った。朝鮮学校関係者であろうと誰であろうと、マスクが枯渇した時期に公的機関から職員に配布されれば、児童や保護者、同僚や家族といった周囲の人たちへの感染を防ぐために使用するであろうし、監査する必要のないものである。ちなみに、同校でマスクを必要とした職員は7名であった。当時、問題視されていたマスクの転売をするとは考え難い少ない数値である。さいたま市の認識には、埼玉県が1982年より支給していた朝鮮学校への補助金を、北朝鮮の拉致問題やミサイル問題を理由として2010年から停止していることや、同国に対する世論の悪化が影響している可能性が高い。

さいたま市教育委員会は朝鮮学校をはじめ、外国人学校に通う子どもの保護者への補助金支給は継続しており、朝鮮学校の存在や教育内容を認知していないわけではない。しかし、コロナ禍という非常事態で漏れの無い感染防止が何より優先されるべき時に、「貴重なマスクをどう使うか分からない」といった理由をつけて配布を行わなかったのである。この状況がメディアを通じて明らかになり、世論の反発を受け、さいたま市は朝鮮学校へのマスク配布を決定したが、それは地方自治体において、物事の優先順位が差別や偏見によって歪んでしまった状況を示していた。

第二に、2021年に名古屋入管で起きたウィシュマ・サンダマリさんの死亡事件である。事件の詳細、及び社会や官僚機構を通じた分析については拙論(『入管の解体と移民庁の創設-出入国管理から多文化共生への転換』所収)を御参照されたい。

事件の前提としては、それまで日本語学校に通っていたウィシュマさんが同居していた恋人からのDV等もあり、学校を休校し超過滞在となったことで、彼女は名古屋入管に収監されることとなった。つまり、ウィシュマさんの犯した罪は単なる入管法違反であり、それによる収監の中で、彼女は満足な医療を受けられず、栄養失調状態に陥るほどの血液検査の数値が検出されながら死に至ったのである。確かに、法律上問題のあった行為は行われたものの、それは彼女への非人道的な対応を正当化できるものではない。ネット上では「犯罪を犯したのだから、彼女への措置は問題無い」とするものも目立ち、入管も超過滞在者や難民申請者の犯罪率を強調する姿勢を報告書などで示しているが、バブル期には労働力確保のために黙認されていた入管法違反が、現在になっただけで命を天秤にかけられるものに変容し得ないのは明らかである。加えて、たとえ死刑囚であったとしても、施設内において人道的扱いをすべきことに議論の余地は無い。

第三に、2024年1月にクルド人への公園貸し出しが一時拒否された事件である。最近、クルド人がヘイトスピーチの対象となるケースが目立つようになった。元々トルコをはじめ中東各国をまたぎ居住するクルド人は「国を持たない最大の民族」と呼ばれ、各国で差別の対象となってきた。その一部が出身国を離れ、埼玉県川口市や蕨市を生活拠点として難民申請を行っている。彼らの殆どの申請は認められず、就労が禁止され、住民票はなく、国民健康保険にも加入できない仮放免の形で暮らす人は多い。そうした状況下での2023年7月、2人のクルド人男性の間に女性を巡るトラブルが発生し、両者が同じ病院に運ばれたことで、互いの関係者が鉢合ってしまい、騒ぎが起きた。その騒動を産経新聞が大きく報じたことから、それまで在日コリアン等を対象としてヘイトスピーチやヘイトデモを行ってきた団体の矛先がクルド人に向けられることとなったのである。

クルド人はこれまで、春に彼らの新年を祝うネウロズというお祭りを埼玉県営の秋ヶ瀬公園で度々行ってきたのであるが、同園を管理する県公園緑地協会や県に対して「クルド人に公園を貸すべきでない」という電話やメールが複数寄せられた。そして、2024年1月4日に秋ヶ瀬公園管理事務所長がクルド人等から仮予約の連絡を受けた際、不許可の旨を伝えたのである。その後、クルド人の関連団体や弁護士、協会内での協議が重ねられ、「妨害行為を受ける可能性があることを理由に不許可にすることはできない」との結論に至った。奇しくも、朝鮮人追悼碑の撤去とほぼ同時期に、強硬保守系団体との混乱やトラブルが原因となり、県営公園における問題が生じたものの、結果的に埼玉県では多文化共生を体現する行動が取られた。ネウロズは3月20日に無事開催され、クルド人や日本人など千人以上が参加した。ヘイトスピーチを行う団体も来場したが、予定通りにネウロズは行われ無事終了したという。

権威主義の広がり

埼玉県営公園の事例については、最終的に良い方針に至ったものの、当初の行動は混乱を恐れて、一般市民であるクルド人への貸し出しを拒否する事態が見られた。筆者は日本の行政組織あるいは首長の中に法律や司法といった権威、あるいは社会的安定(想定外の外部圧力、とも言い換えられる)を意識する余り、本来より尊重すべきものを毀損する傾向が生まれているように感じる。ある種、権威主義的行動が日本社会に広がっているのではないだろうか。

政治学においては独裁体制に近い意味合いで使用される権威主義であるが、社会学や心理学においては権威を根拠に圧迫感を発する姿勢を指すことが多い。後者において権威主義についての研究が進んだのは、ナチスドイツのホロコーストが契機となっている。近代社会において当然守られると考えられてきた倫理・正義・良心といった善性が、ナチスドイツの掲げた原理・原則に固執する志向や態度に飲み込まれてしまったことへの強い関心と反省がそこにはあった。

著書『権威主義的パーソナリティ』(青木書店、1980)で知られるアドルノは、その特性を以下の要素が合体した症候群であると規定している。やや長くなるが、引用したい。①因習主義(慣習化した中産階級的諸価値に対する固着)、②権威主義的服従(内集団の理想化された道徳的権威への追従的、無批判的態度)、③権威主義的攻撃(因襲的諸価値を犯す人びとを見つけ出し、これを非難し、排除し、処罰しようとする傾向)、④反内省的態度 (主観性、想像力、および柔軟な精神に対する敵対)、⑤迷信とステレオタイプ(個人の運命にかんする神秘的な規定への信仰。固定したカテゴリーで思考する傾向)、⑥権力と「剛直」(支配-従属、強者-弱者、指導者-従者の平面での先入主見。権力者への自己同一化。自我の因襲的な属性を過度に強調すること。強力と剛直を誇大に主張すること)、⑦破壊性とシニシズム(人間的なものへの一般化された敵対と悪意)、⑧投射性(粗野で危険なものが世界に増大しつつあると信じ込む傾向。無意識の情緒的な衝迫を外部に投射すること)、⑨性(性的な「行為」への誇張された関心)である(前掲書、54-55頁)。

前述の2020年代の日本で起きた4つの事例との関係でいえば、特に①、②、③、⑧との関連が強く、加えて、研究の出発点となった反ユダヤ主義もその視角に加えられよう。日本の外国人差別とナチスドイツのユダヤ人差別の思想的重複については、編著『レイシズムと外国人嫌悪』(11-12頁)にて指摘したところである。また前掲の事例において行政の対応の契機となり、行政への強い支持を示したネット右翼の特性として、永吉希久子は『ネット右翼とは何か』の中で、権威主義を彼らを特性づける重要な要素と指摘している(27頁)。つまり、日本の行政機構が権威主義的傾向を強め、ネットがそれを後押しする構造の中に朝鮮人追悼碑の問題があり、他の事例に代表されるように日本社会全体が問題を抱えていると筆者は捉えている。

欧州との関連性

ただし、このような社会の反応は日本のみに起きているわけではない。差別や他者への反発が引き金となり、法やルール、社会の安定等が強調される中で、建前とは異なる否定的メッセージが現れる事例は、旧植民地出身者をはじめとする移民問題に1950年代から向き合ってきたヨーロッパ各国で見られる。確かに、第二次世界大戦後、世界では人権が意識と法制度の両面で大きく前進し、表立って差別心を見せることはタブーとなった。しかし、現在でも欧州各国で極右政党の躍進が報じられているように、差別や偏見が無くなってはいないのである。ここで二つの事例を紹介したい。

第一に、フランスにおけるスカーフ論争である。1980年代末から教育機関をはじめとする公共の場においてイスラム教徒の女性が自らの髪を隠すスカーフ(ヒジャブ)、あるいは全身を覆い隠すブルカに対して、「政教分離原則に反する」「イスラム教の女性抑圧の象徴であるスカーフは男女平等の原則に反する」といった論理がとられ、フランスで2004年に(公立学校における)スカーフ禁止法が、2010年にブルカ禁止法が制定された。この論争の中では、極右勢力が民主主義・男女平等・同性愛者差別反対といった従来拒否してきた価値観を擁護してイスラム教徒を批判したり、リベラル層やフェミニストの中にも法の支持へ回った人が一定数いた動向が注目された。

ここで当該法の支持者が掲げた論理に立ち、強硬に女性へ抑圧を強いる体制がイスラム教にあり、女性たちが“頑迷な”教義に従いスカーフ等を着用しているとするならば、彼女らは教育機関や公共の場から排除されてしまい、結果的に“正しい”知識を身に付けることは困難になる。その論理には明らかな矛盾が存在しているのである。対象がイスラム教徒に限定される法をフランス社会が採用したことで、ムスリムは共和制や男女平等などのフランス社会が重視してきた概念ではなく、排除や差別といったメッセージを受け取った。それは正に表面上の法と現実の乖離が目立つ事例であった。

第二に、スイスにおいてミナレット(モスクに設置される尖塔)の新設禁止が国民投票で決定した事例である。元来、右派の国民党により開始された動きであったが、彼らはキャンペーンの中で、ブルカを着た女性の背後でミナレットを模した発射直前のミサイルがスイス国旗上に並べられている構図のポスターを掲示したように、「イスラム教=テロリズム」というステレオタイプを利用した(ちなみに、このポスターはスイス各地で差別的として掲示が禁止されたものの、各国の極右勢力から国旗を自国のものに差し替えるなどして広まり続けている)。そうした印象は2001年のアメリカ、2004年のマドリード、2005年のロンドンと同時多発テロの実行犯がイスラム教徒だったことで、市民の中に広まった。

国民党らはミナレットを「宗教および政治権力と支配要求のシンボル」と主張し、ミナレット新設禁止をスイス連邦憲法に付加する運動を2008年より本格化し、翌年11月の国民投票で同案は57%の賛成で可決された。これは他者への不安やステレオタイプを利用したもので、差別的で宗教的自由を特定の宗教にのみ制限する規定である。現代社会が重視してきた価値観が、法的な信認の下に毀損されたといえよう。

また、国民党は2021年に公共の場で顔を覆い隠す服装を禁止する法案の国民投票を行う活動にも参画し、「過激主義を止めろ!」という標語を添え、ブルカの中から見える怒りに満ちた女性の目を強調したポスターを作製し、その投票は賛成51.2%で可決されることとなった。2009年にスイスで見られた状況は一時的なテロへの不安ではなく、同様のイスラム教嫌い(イスラモフォビア)やステレオタイプが継続していることを示したのである。

同じ轍を歩むのか

ヨーロッパは移民問題に関して、日本に先行してきた。1970年代からヘイトスピーチやヘイトクライムが発生し、1990年代前半にはドイツにおいてトルコ系移民の住宅への放火によって死者が出る事件が複数起きるに至った。もちろん、ヨーロッパも自身の問題に目を背けていたわけではなく、各国は包括的なヘイトスピーチを禁止する法律などを整備し、あからさまな差別の表明を規制してきた。しかし、従来周囲に存在しなかった文化や宗教の相違、あるいはステレオタイプに着目することで、2000年代に法やルールを通じて自らのレイシズムを満たす権威主義的手法が取られるようになった。

一方、日本では2010年代にヘイトスピーチに注目が集まった。そして、2020年代には京都府宇治市ウトロにて在日コリアン集住地への放火事件が起き、行政や社会が権威主義的手法を活用する動きが出ている。ある意味、日本は欧州の後に続きつつある。現在、欧州において極右政党が政権を取ることが現実の危機となっていることを踏まえれば、日本がこれまでのようにヨーロッパの轍を踏み続けるのか、新たな道を模索するべく朝鮮人追悼碑にかつて刻まれた「記憶 反省 そして友好」という言葉と向き合うのかが問われている。ただし、それは自然に改善するものではない。記憶や反省のためには学ぶことをが常に必要であり、友好には困難があっても対話の糸口を探し続ける不断の努力が求められる。そうした意識を今後日本社会が持てるのかを、破壊され瓦礫となった朝鮮人追悼碑は問いかけている。

こばやし・まさお

群馬県太田市出身。立教大学兼任講師。博士(学術)、地方都市における対外国人意識、スポーツ選手の国籍選択を研究。著書に『日本の地域社会における対外国人意識--北海道稚内市と富山県旧新湊市を事例として』(福村出版、2012)、『移民・ディアスポラ研究3 レイシズムと外国人嫌悪』(編著、明石書店、2013)、『移民・ディアスポラ研究9 変容する移民コミュニティ』(編著、明石書店、2020)、『移民・ディアスポラ研究11 新型コロナパンデミック下の医療と移民』(編著、明石書店、2023)

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