特集 ● 内外の政情は”複雑怪奇”

現代日本イデオロギー批判 ―

歴史を騙る「国家」の罠に陥らないために

自国第一主義者は舌の数に限りがないことについて

神奈川大学名誉教授・本誌前編集委員長 橘川 俊忠

無視された主権国家の論理

21世紀に入って24年目の夏は、かつて経験したことのない酷暑の夏になった。地球規模の異常気象が、日本列島上では、猛烈な暑さとして現れたかのようである。メディアでは、連日、熱中症の危険が警告され、日本列島のみならず、世界各地の豪雨・洪水・地滑り、雷、竜巻などの深刻な災害報道が溢れている。温暖化を主要な原因とする気候変動が、いよいよ臨界点を越え、地球規模の不可逆的環境破壊をもたらすという警告が現実味を帯びてきたようにすら思える。

カーボンニュートラルな競技大会という目標を掲げ、SDGsに配慮したオリンピックを標榜するパリオリンピックも、オリンピック好きなマスコミが美談探しに躍起となっているにもかかわらず、盛り上がりに欠ける印象は拭えない。一年延期してもコロナパンデミックが完全に終息したとは言えない中で強行された東京大会は、商業化した欲望まみれのオリンピックの醜悪な一面をさらけ出した。ウクライナへのプーチン・ロシアの侵攻もパレスチナへのネタニヤフ・イスラエルの凶悪な攻撃も、依然としてやむことはなく、オリンピックの理念も完全に無視されている。よほどオリンピック幻想にとらわれているものでなければ、楽しむ気にはなれないのも当然であろう。

そのパリオリンピックが開会して間もない7月31日未明にパレスチナ自治区ガザを実効支配するハマスの最高指導者ハニヤが暗殺されたというニュースが世界中を駆け巡った。最高指導者ハニヤは、イランの新大統領就任式に出席するためイランの首都テヘランに滞在中であった。時限爆弾あるいはミサイルによる爆殺か、実行者は何者か、まだ不明の点も多く、もっとも爆殺実行の可能性が高いとされるイスラエルもこの件については沈黙したままであるが、ネタニヤフの日ごろの言動や直前のヒズボラ司令官の爆殺などの経過をみれば、イスラエルの関与を否定するのは難しい。イラン政府やハマス指導部は、イスラエルの仕業と断定して報復を宣言している。

オリンピック開催中という国際社会の関心が分散していると思われる時期を狙っての犯行と思われるが、この暗殺がただでさえ深刻な人道危機を引き起こしているパレスチナの状況をさらに悪化させ、中東全体に戦火を拡大させ、さらに世界中に混乱と危機をもたらすことはまちがいない。

筆者が、この事件の一報を聞いて、すぐに思い浮かべたのは、アメリカ合州国によるウサーマ・ビン・ラーディンの殺害事件であった。ビン・ラーディンは、2001年9月11日のアメリカ同時多発テロ事件を引き起こしたアルカーイダの指導者で、事件後、10年余り逃亡・潜伏を続け、2011年5月2日アメリカ軍対テロ特殊部隊によって襲撃・殺害された。場所は、パキスタン北西部の都市アボッターバードであった。この特殊部隊襲撃の模様は実況中継され、ホワイトハウスのシチュエーションルームでは当時のオバマ大統領以下政権・軍部の幹部が見守り、「作戦終了後」オバマは直ちに記者会見を行い ”Justice has been done” と宣言した。

この「作戦」は、パキスタン政府の承認もなく、事前通告すらなされずに秘密裏に実行されたという。パキスタン政府は事後報告を受け、主権侵害だと抗議したが、対テロ戦争の名目によってこの他国の主権を侵害した軍事行動は正当化され、抗議は受け入れられなかった。国際的にも、主権侵害として非難したのは南米のチリ、ベネズエラなど反米的政権のみで、イギリス・フランス・ロシア・中国などの大国をはじめ、日本、ドイツも含めて大多数の政府は積極・消極のニュアンスの差はあるものの作戦の成功を称賛し、評価した。

今回のイラン国内でのハマス指導者の暗殺もイラン国外の勢力によるものだとすれば、その行為は明らかに主権侵害に当たる。もし、その外国勢力がイスラエルだとすれば、イスラエルは、テロリスト集団ハマスのイスラエル国民への襲撃・人質事件への報復をしたのであり、それはアメリカ合州国が同時多発テロの首謀者を殺害したのと同じことをしただけであると主張するだろう。

いずれにしても、主権の独立性を無視し、その原理を否定する行為が、国際秩序を「国家と国家が互いに狼である」というようなホッブス的無政府状態につき戻すことにしかならないことは明らかである。

国際ルールを破壊する自国第一主義

民族自決権と主権国家の対等・平等性を大原則とし、内政不干渉・主権の尊重を基本的ルールとして国際社会の秩序を維持しようという動きは、第一次世界大戦後に明確化され、第二次大戦後、植民地支配の終焉とともに拡大・強化されてきた。もちろん、第二次大戦後にこのルールが完全に守られてきたわけではなかったことは言うまでもない。アメリカのCIAやソ連のKGBのような諜報機関が反政権クーデターを画策し、反体制ゲリラを組織化し、反米的あるいは反ソ的要人の暗殺を実行したりした事例は枚挙にいとまがないほどである。

しかし、そうした諜報機関の活動は建前上あくまで秘密工作という性格の行動にとどまっていた。

しかし、アメリカ軍特殊部隊によるビン・ラーディン殺害は、その映像がリアルタイムで送信され、アメリカ政府要人・軍幹部が「監視」する中で実行され、その「成功」が確認されるやいなや全世界のマスコミネットワークに公開された。このような公然たる「暗殺」行為は、情報技術の発達によって可能になったということではあるが、これほどあからさまに実像が公開されたのは前代未聞のことであった。

それにしても、このビン・ラーディン殺害作戦の一部始終を深夜の大統領官邸においてリアルタイムで見ていたアメリカ合州国の最高の権力・権限を掌握する要人たちは、どのような思いでいたのだろうか。これが他国の主権を明らかに侵害する行為であると、誰一人疑問すら抱かなかったのであろうか。実況中継を見ている場面もその後公開されたが、その公開にどんな意味を見出していたのだろうか。まさか、あのような形での「復讐」を誇示する意図があったとは思わない。しかし、アメリカ合州国が、自国の「栄光」を取り戻すためにはいつでも強い意志と力を示す用意があること、その場合にはルールを無視することもありうることを明示したとはいえるだろう。

この国際社会のルールを公然と無視するアメリカ合州国の行動は、9.11同時多発テロ以後共和党ブッシュ政権の下で目立つようになり、イラク戦争を含めて国際諸機関を軽視した単独行動主義を鮮明にするまでになった。その後政権は民主党に移りオバマ政権が登場し、国際協調体制へ復帰の傾向を見せていたが、ビン・ラーディン殺害事件に及んで、オバマ大統領といえどもアメリカ第一主義と無縁ではないことを示してしまった。

そして、アメリカ第一主義を公然と掲げたトランプ政権を経て、バイデン大統領の下で民主党が政権を回復した。しかし、ロシア大統領プーチンによるウクライナ侵攻に対しても、ハマスのイスラエル襲撃・人質事件に対する対応においても、バイデン大統領の拙速な対応が事態の深刻化に拍車をかけた印象は拭えない。バイデン大統領も、政権維持のためもあって、アメリカ合州国民の意識下に忍び込み蔓延しつつあるアメリカ・ファースト的雰囲気に浸潤されているせいだともいえなくもない。

イスラエルの政権を握るネタニヤフと極右勢力が、極端なイスラエル第一主義にもとづいて、ガザ地区のハマス及び市民に対して苛烈かつ非人道的攻撃を加え、国際的に非難・批判をあびるようになって、バイデン大統領は、あわててネタニヤフに対して「抑制」を呼びかけたが、その効果は一向に現れない。ネタニヤフは、狡猾にもバイデンの自国第一主義に浸潤された体質とでもいうべきものを見抜き、言を左右にして要請を拒否し続けている。ハマスの指導者ハニヤ爆殺について、それがネタニヤフの指示で行われたとしても、ビン・ラーディン殺害の件を持ち出せば、「アメリカに非難されるいわれはない」という反論が可能なことをネタニヤフはよく知っているに違いない。バイデンが、ビン・ラーディン殺害の一部始終を見届けたホワイトハウスの一室に居たことは否定できないからである。

ロシア・プーチン大統領による2014年のクリミア半島併合、2022の年ウクライナ侵攻以来、ロシア軍による戦時国際法・国際人道法に違反した残虐な戦争犯罪、イスラエルによる反テロ戦争を名目としたガザ地区市の医療・学校施設への攻撃を含めた市民の虐殺など、20世紀初頭以来積み上げてきた戦争法規・戦時慣習は次々に破壊され、国際刑事裁判所による告発も無視される事態が続いている。この間、国際法・国際慣習の規範力が失われ、国際機関の実効性が問われ、それがますます自国第一主義の影響力を強めるという悪循環に陥りつつある。

現状は、第二次世界大戦後、国際社会を主導してきた連合各国が、軒並み自国第一主義に陥り、主導してきた国際秩序を自ら破壊しつつあるといっても過言ではない。国際刑事裁判所は、第二次世界大戦後の戦争犯罪を裁く国際軍事法廷の経験を踏まえて設立されたが、現在の加盟国124ヵ国の中には、アメリカ・ロシア・中国は含まれておらず、イスラエルは条約に調印はしたものの批准の意志がないことを表明している。こういう状況が現在の国際情勢の混乱・悪化の出どころがどこかということを示唆しているといってもよいであろう。

自国第一主義者の二枚舌は他人事ではない

ところで、自国第一主義者は、常に自国の立場・利益だけを主張しているとはかぎらないし、すでに確立されてきたと思われる国際社会の規範の順守を宣言することすらある。たとえば、ロシアのプーチンが自衛のため、自国への脅威に対抗するためと称して軍事行動を正当化することなどがよい例である。また、中華人民共和国の習近平が、主権の不可侵性や内政不干渉の原則を強調するのも同じ性格を持つ。これらの主張は、一見、独立した主権国家が構成する国際社会において平和の維持と紛争回避のための最低限の国際規範として、第一次世界大戦後にウイルソン米国大統領らの提唱を基礎として国際社会で承認されてきた原則を確認しようとするものに思われる。

しかし、それは、それぞれの国内問題についての国際的批判に対する反批判として主張される「理屈」にすぎない場合がほとんどである。実際、ロシア国内のイスラム教をバックにした民族独立派への武力行使を含む抑圧体制や中国のチベット・ウイグル自治区での強制的同化政策などに対する国際的非難への返答として主張されてきた。

もちろん、国際社会の批判者が、そんな理屈に納得するはずがないことは、ロシアや中国の政権中枢はとっくに分かっているにちがいない。したがって、そういう言説は、本当は国内向けに発せられているとみるべきであろう。外から見れば、それぞれの外交広報担当者や政治家の記者会見や国連などでの発言は、いかにも陳腐で白々しく、虚勢を張っているとしか見えないものに過ぎなくても。国内的には堂々とした反論の余地のない議論を提示しているように見えているかもしれないのである。

ロシアや中国が、トランプ張りに Make <・・・> Great Again を唱え、自国第一主義を露骨に打ち出しているのに対抗して、アメリカ合州国政府や日本政府は、国際社会において「法の支配の原則を守れ」、「力による現状変更を拒否する」と言い続けているが、これも二枚舌の典型でしかない。世界に向けて人権尊重を説く国が、国内に深刻な人種差別問題を抱えており、対テロ戦争という定義不能な概念をでっちあげ、他国の主権を公然と侵犯する国が主張する「法の支配」とは何か、ブッシュ政権やトランプ政権時代にとどまらず、絶えずダブルスタンダードという批判を浴びているアメリカ合州国とそれに追随する日本も同じ穴の狢ではないか。

ただ、日本は第二次世界大戦の敗戦国として国際社会に自国第一主義を貫き通し、二枚舌を使うほどの図々しさを、まだ持ち合わせてはいない。戦後79年という相当に長い年月が過ぎても、戦争への反省は国民の意識にそれなりに浸透している。世界標準が好きな現実主義者は、そんな意識は外から強制されたものであり、克服されるべきトラウマに過ぎないというかもしれない。自立した主権国家として厳しい国際社会に確実な地歩を占めるためには、そんな意識を後世に引きずるなどもってのほかだと主張するかもしれない。

しかし、薄れつつあるかのように見える戦争への反省の意識は、その深さにおいて不十分であり、被害者性にもとづく厭戦感情に過ぎないという批判があるにしても、心の片隅にしても執拗に残り続け、もはやアイデンティティの一部にすらなっているといってもよいほどである。第二次世界大戦後、戦争を反省する意識への攻撃が手を変え品を変え執拗に繰り返され、世界中に自国第一主義が蔓延するようになった時期から一層の激しさを増してきているように見えるのは、逆に見ればそれだけ反省意識の根強さを表している。

かといって、いつまでもその反省意識が失われないという保証はない。自国第一主義は二枚と言わず、三枚、四枚さらに何枚でも舌を持っている。主義とはいうものの、その使用する概念に明確な定義があるわけではなく、論理の体系もない。状況に合わせて、いかようにも変態することも厭わない。たとえば、アメリカ合州国のトランプ元大統領が、再びグレートにするといっているアメリカとは何か、そもそもグレートにするとはどういうことか、積極的定義としては何も示されてはいない。トランプと同盟関係にあるというフランスのマリーヌ・ル・ペンの「国民連合」もその顔を取り換えることによって勢力を拡大しようとしている。

日本でも、旧来型の保守に代わって、新しそうに見えるポピュリズム的手法にたけた政治勢力が登場しそうな雰囲気も出始めてきた。戦争、自然災害、感染症パンデミック、環境破壊、格差の拡大、社会的分断の深刻化など、自国第一主義がはびこる要因は日本にも確実に存在している。しかし、日本には、まだ自国第一主義に飲み込まれない可能性が残っている。日本が、20世紀の国際社会に通用していた規範の意味をとらえ直し、あらたな国際社会が尊重すべき規範を提示し、紛争の平和的解決の道を探るという困難な課題をいまこそ積極的に担っていく覚悟を持つべき時がきているのではないだろうか。

きつかわ・としただ

1945年北京生まれ。東京大学法学部卒業。現代の理論編集部を経て神奈川大学教授、日本常民文化研究所長などを歴任。現在名誉教授。本誌前編集委員長。著作に、『近代批判の思想』(論争社)、『芦東山日記』(平凡社)、『歴史解読の視座』(御茶ノ水書房、共著)、『柳田国男における国家の問題』(神奈川法学)、『終わりなき戦後を問う』(明石書店)、『丸山真男「日本政治思想史研究」を読む』(日本評論社)など。

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