特集 ● 内外の政情は”複雑怪奇”

「ハリス体制」に結集した民主党

トランプ氏の夢は専制支配者 特異な自己崇拝主義

国際問題ジャーナリスト 金子 敦郎

人権擁護を優先するリベラル民主主義と個人崇拝型の強権支配。世界を二分する両体制の代表戦の様相が濃くなってきた米大統領選挙。政権返り咲きを狙う共和党トランプ候補に対する暗殺未遂に終わった銃撃事件、再選をかける民主党現職バイデン大統領の選挙戦からの撤退と相次ぐ異変を経て、「もしトラ」が「トラ圧勝」に代わりかけたところで、状況は一変した。トランプ対ハリスという新しい顔ぶれの選挙戦が一気に熱を帯びている。その行方はまだ予測は難しいが、大接戦になるのではないだろうか。

ハリス氏に早くも「人種差別攻撃」

2024年大統領選挙はあらゆる面でいつもと違っていた。民主党ではバイデン大統領が81歳の高齢でさらに2期目4年間の再選を目指すことに意欲を示したが、民主党員の間でも6〜7割が支持を拒否した。それでもバイデン氏は「トランプ再選は自分が阻止する」という自信に固執した。だが、トランプ氏とのテレビ討論で「老齢ぶり」(風邪をひいたこともあったと)をさらけ出してしまった。党首脳部からも大統領選撤退を迫られ、バイデン氏はハリス副大統領に後任を託して退陣を受けいれた。

11月5日投票日までわずか3カ月余、日数にて100日ちょっとである。追い詰められた危機感をバネに、ハリス副大統領を押し立てた民主党挙体制が急速に動き出した。ハリス氏は党候補の正式指名を待たずに、選挙結果を左右する重点州などへの遊説に駆け出した。民主党は18日からの党大会での投票に代えて1日から5日間の代議員オンライン投票にかけたところ、3日昼までに過半数が支持、ハリス氏は正式候補者と認められた。ハリス氏は党大会に向けて走りながら副大統領候補選びに入っている。

これに対して共和党ではトランプ前大統領が2年かかけて政権奪還態勢をがっちりと固めていた。トランプ氏は2020年選挙でバイデン氏に再選を阻止され、2年後の中間選挙でも議会両院の多数奪取に失敗すると、直ちに2024年大統領選出馬を宣言。党の締め付け、支持固めを着々と済ませて、党予備選挙で圧倒的に候補指名を獲得した。世論調査では現職バイデン氏にじわじわと追い付き、追い越していた。7月15日からのミルウォーキー市での党大会へ向けて副大統領候補を指名し、自信満々の態だった。

党大会の前日、演説中のトランプ氏を狙った若者の凶弾が右耳タブを貫いた。1センチ外れの奇跡に救われたトランプ氏は「神のご加護」と神妙に受け止め、遠慮なしの攻撃を浴びせてきた民主党に「団結」を呼びかける余裕を見せたが、それも1日だけのこと。その1週間後には、まったく想定外のバイデン氏の「肩透かし」に遭って、積み上げてきた対バイデン戦略の廃棄、組み換えを迫られた。

トランプ氏はすっかり機嫌を悪くしているというが、早々に「ハリス攻撃」に乗り出している。米メディアによると、イリノイ州シカゴで開かれた全米黒人記者協会の会合で同協会幹部のインタビューを受けて、ハリス氏についてこう発言した。「ハリス氏は大分前に黒人になったと知ったが、それまでは白人と思っていた。今は黒人として知られたいのか。インド人か黒人かどっちなのか。インド人と思っていたが今は黒人になった」

ハリス氏はこれを聞いて「いつもと同じの古臭いショーの人種差別。実に非礼だ」といなしたが、あからさまな人種差別発言と批判が広がっていると報じられている。ハリス氏の人種を差別的に取り上げるとともに、ハリス氏は白人、インド人、黒人とその時々に都合のいい人種になる人物という、得意のトゲを含ませた虚偽発言であることは明らかだろう。

「2025年プロジェクト」

トランプ氏は7月26日、フロリダ州ウエストパームビーチでのキリスト教徒の集まりでこんな演説をした。皆さんは家を出て投票に行く。だが、今度の投票の後はもう投票に行く必要はなくなる。われわれがそんなことをしないようにするーと。これは何を意味しているのだろうか。この演説はネットで流され、トランプ氏はここでも思わぬつまずきを招いた。民主党が飛びついたからだ。

トランプ氏とその周辺からはしばしば、政権を取り返したらバイデン政権に協力した政府諸機関の幹部には報復し、一般職員は解雇して自分に協力する者で入れ替えるようだーといった情報が漏れ出て米メディアに報じられていた。これがこの発言につながった。

米メディアの報道によると、さらに重要なつながりが浮かび上がった。1970年代に設立された保守派シンクタンクの草分け的存在のヘリテージ財団は昨年、トランプ政権が取るべき政策をまとめた報告書「2025年プロジェクト」をトランプ氏に提出した。そこにはトランプ政権は現在の政府機関のスタッフの半分を解雇し、「われわれの側の人」で入れ替えるという政策が盛り込まれているというのだ。

共和党大会はトランプ氏の推薦を受けて大統領選のパートナーとなる副大統領候補にJ・D・バンス氏を承認した。バンス氏は39歳の若手上院議員で「2025年プロジェクト」の推進者だという。バンス氏は就任早々、2021年にハリス民主党副大統領についてメディアで「子どもがいない、みじめな人生を送る猫好き女性」とコメント、保守派団体への講演では「子どもを持つ親にはその数に応じた投票権を与えるべき」と発言したことが掘り起こされて批判を浴びている。トランプ氏の「ハリス氏は何人?」発言が報じられるとすぐに、「ハリス氏はカナダ育ちというのに南部なまりがある」(どちらも事実ではない)と応援。同氏がトランプ氏に気に入られて抜擢されたことがわかる。

大統領選挙戦で最大の激戦が予想されている南部の雄州ジョージアで7月31日、ハリス、トランプ両候補が鉢合わした。ハリス候補が有権者に訴えたのは「2025年プロジェクト」の阻止。白人と黒人・ヒスパニックなど少数派の勢力が拮抗している同州。同プロジェクトで民主党支持者が政府機関から締め出されれば多数の黒人、ヒスパニックなど少数派の職場がほとんど白人に奪われることになる。民主党は「2025年プロジェクト」を大きな争点とする構えだ。

「影の政府」

トランプ氏はウエストパームビーチでの発言が問題とされ、選挙戦の争点にされそうなことになったことに対して、自分は「2025年プロジェクト」には何の関係もないと否定しているが、激怒しているという。困った側近がヘリテージ財団に「2025年プロジェクト」を引っ込めさせることにし、トランプ政権で政策スタッフを務め同報告編集にあたった責任者が身を引く措置をとったとされる(ワシントン・ポスト紙電子版)。しかし、ハリス氏と民主党はこれに騙されていない。「2025年プロジェクト」はトランプ氏とその周辺にとっては、実はトランプ勢力のスローガン「アメリカを再び偉大な国に」(MAGA ; Make America Great Again )が目指す国家像だというのである。

バイデン民主党政権は米国を本当に支配している権力「影の政府」(Deep State)に操られているに過ぎないと、トランプ氏や周辺はよくいう。その「陰の政府」とは何かを自ら公にしたことがある。2022年中間選挙で共和党は下院議席の過半数を獲得して、トランプ氏に近い議員グループが主導権を握った。彼らは2月の新議会開会とともにトランプ氏に「不当な迫害」を加えてきたバイデン政権と民主党を調査し追及するとして、司法委員長にトランプ氏に最も近いとされるジョーダン議員を充て、その下に政府機関乱用(仮称)特別小委員会を設置した。これに監視・改革委員会も協力して問題の徹底調査にあたる。

同小委員会は日を置かず第1回聴聞会を開いた。小委員長を兼ねるジョーダン委員長は用意した声明を読み上げ、小委員会の目的をこう明らかにした。「連邦捜査局(FBI)と司法省が主要メディア、巨大IT企業、国際シンクタンク・基金などと結びついて、民主党活動家たちの左翼的政治運動を支援していることを追及する」。

同じ日に監視・改革委員会(J・コマー委員長)も開催され、巨大IT企業と民主党が手を組んだ「影の政府」が保守派の動静を監視しているとして、この「陰謀」と戦うことが目的に掲げられた。

(注:この項は『watchdog21』 2023・3・8拙稿「衝撃波で新情勢 自信取り戻した民主党バイデン氏再出馬へ 共和党下院主導権 極右勢力は『影の政府』の陰謀追及」から引用した)。

2020年選挙で負けたバイデン氏が選挙結果を「盗み」、これに抗議した2021年1月6日の議会請願が「議会議事妨害」の暴力デモにされ、トランプ氏が大統領特権に従って別宅(フロリダの別荘)に持ち帰ったのが「国家秘密保護法」違反に問われ、「でっち上げ不倫」まで加えて4件にも及ぶ訴追を受けているのはすべて、この「影の政府」の命令を受けたバイデン政権の司法省や権力乱用による「不当な迫害」ということになる。

トランプ氏は政権を奪還したら民主党および「影の政府」を解体して、「2025年プロジェクト」に基づいて新しい政府を造ろうとしている。その政府はバイデン政権に協力した政府職員は追い出して、自分たちと「同じ側の人」に入れ替えるもの。選挙はもう必要ないーというのだろうか。

ハリス候補、順調なすべり出し

主要な世論調査によると、バイデン氏を引き継いで選挙戦に飛び込んだハリス氏への世論の反応はいまのところは好意的だ。世論調査の支持率でバイデン氏はトランプ氏に5%前後引き離されていたが、ハリス氏はその差を2〜3%縮め、一部ではトランプをリード、ほぼ互角になっている。民主、共和両党の全米での獲得票数では民主党が優位を維持してきたが、これで勝敗は決まらない。当落を決めるのは大まかに各州人口に応じて選出する州選挙人数の獲得数。10〜20人の選挙人を持つ中堅の6〜7州の勝敗が決めるというのが最近の選挙の通例となっている。

ハリス氏は選挙戦で、バイデン氏になかったもの、あるいは失ったものを利点として持っている。第一は年齢。バイデン氏は半世紀にも及んで上院議員、副大統領を務めた大ベテラン。しかし81歳は年を取りすぎていた。ハリス氏はエネルギッシュな59歳。バイデン氏の選挙戦からの撤退によって、同氏の陰で見えにくかったトランプ氏の78歳という「歴代最高齢」に光を向けさせることにもなる。トランプ氏は裁判に出席を求められると居眠りが目立つし、言語不明、意味不明発言も目に付くようになっている。

ハリス氏の次の利点は黒人であること。トランプ氏はさっそくハリス氏の人種を攻撃材料に使っているが、黒人などの少数派はルーズベルト政権(1930年代から第2次大戦末1945年)以来、民主党寄りだったが、バイデン政権の下でこの票田にトランプ氏が食い込んできたといわれる。ハリス氏はこれを撃退するには適任である

ハリス氏はイスラエル・パレスチナ戦争に対しても利点を持っている。イスラエル支持という米政権の長年の政策に加えてネタニヤフ・イスラエル首相との親密な関係から、バイデン氏はイスラルエルの人道主義・国際法違反を容認していると米国内および国際的な批判を浴びてきた。しかしハリス氏は来訪したネタニヤフ氏に遠慮なくガザの窮状を訴え、停戦を求めている。反イスラエル・バイデン離れの若者層はハリス氏に支持を寄せるだろう。民主党内ではハリス氏は左派で、中道・保守派のバイデン氏に対する左派の不満を緩和する立場にいる。

バイデン氏になかったこれらの利点が、トランプ氏との選挙戦でどれだけ票につながるかはまだ分からない。だが米メディアの大勢は、民主党がハリス体制に結集しており、選挙戦に新風と活気を吹き込んだとの評価をしている。

ハリス候補の正式承認を求める党大会代議員のオンライン投票で、予定期間5日の初めの2日で過半数を確保したことは党内の結束ぶりを示している。次は副大統領候補選び。ハリス政権になればそのまま副大統領に就く。すでに有力候補は6人にしぼられている(閣僚、州知事、上院議員)。ハリス氏との人種バランスからいずれも白人の若手か中堅どころの定評ある人材(本稿が出る頃にはハリス氏の指名が明らかになっているだろう)。共和党はトランプ氏のコピー型バンス氏に決まっているが、ハリス氏は親しいアドバイザーたちと激戦州の票積み、党内諸勢力のバランス、世論受けなどをあれこれと勘案したうえで決断しなければならない。副大統領候補が当落にどれほど影響するかは一様ではないが、この選挙戦では重い選択になるのではないだろうか。

米国の選挙には巨額の運動資金が必要になる。これまでのところ、ここでもハリス候補は順調と報じられている。民主党支持が強かったシリコンバレーでも、あのE・マスク氏がトランプ支持を発表するなど民主党離れが取りざたされる。しかし、IT関係も含めて白人企業、黒人企業を問わず資金集めは順調で、バイデン撤退からの10日間で5億㌦(約750億円)近い政治献金が集まっていると報道されている。

「バイデン外交」もカギ

バイデン氏が大統領選挙戦の急転換に忙殺されている間に、イスラエル・パレスチナのガザ戦争が近隣の中東地域に拡大する恐れが出ている。イランの新政権祝賀のために首都テヘランを訪問中のハマスの最高幹部、ハニヤ政治局長の宿泊先の建物に1日、ミサイルが撃ち込まれて(仕掛けられた爆弾とも)同氏が殺害された。イスラエル政府は何もコメントしていないが、イラン政府はこれをイスラエルの攻撃と断定、いずれしかるべき報復に出ることを宣言した。イランが本気で報復に出れば、イスラエルも反撃、そうなれば周辺のレバノン、シリヤ、イラクからさらにエジプト、サウジアラビヤなど湾岸諸国も何らかの形で巻き込まれるおそれがある。

イスラエルとパレスチナのガザ戦争は、イスラエルのネタニヤフ首相がハマスの「残存勢力」に対する最後の作戦とする南部ラファ侵攻に対して、バイデン氏は一般市民保護が不十分としてストップをかけながら、カタール、エジプトの仲介で人質交換・停戦の交渉が断続的に続いていた。しかし、イスラエルが制圧したとしていた北部をはじめあちこちで戦闘が再開、事態は後戻りの様相を呈していた。

イスラエル国内ではハマスの「完全制圧」にこだわるネタニヤフ首相と宗教政党など極右勢力と、停戦・人質解放合意の優先を主張する中道派との対立が表面化、国民の間でも人質解放を後回しにしているネタニヤフ氏へ退陣を求める声が高まっていた。汚職スキャンダルで訴追されて裁判にかかっているネタニヤフ氏が、権力維持のために戦争継続を求めているとの批判は国内外で広がっている。

ガザ戦争の火が中東地域へ広がることは米国は許せないので、バイデン大統領はオースチン国防長官に米海軍戦争部隊の急派を命令した。戦争抑止の威嚇である。これはイスラエルの安全を保障している米国の責任とされている。ネタニヤフ氏は米国のこうした後ろ盾は織り込み済みだろう。

イスラエル・パレスチナ紛争解決への唯一の道は、話し合いによる「二国家共存」であることは、バイデン氏が今度のガザ紛争ぼっ発以来、繰り返し呼びかけてきた。イスラエルとパレスチナ双方で、二国家共存に反対してきたのがイスラル側ではネタニヤフ氏が率いる「大イスラエル主義」、パレスチナ側ではパレスチナ解放機構主流派に造反して「パレスチナの大義」に固執する「ハマス」。1993年に「オスロ合意」を達成したイスラエルとパレスチナはようやく「二国家共存」へ向けて動き出した。これに反対して武力紛争に逆戻りさせたのが、この両勢力だった。

ガザ戦争は5月から6月にかけて、一時は「二国家共存」へ向かう可能性が浮かんだようにも見えた。イスラエルの戦時内閣(5人)のうちガンツ前国防相とガラント現国防相が相次いて、記者会見などで公然とネタニヤフ首相に造反した。ハマスの「完全制圧」は不可能で、停戦・人質交換の合意を求めて、「二国家共存」」を追求すべき時だというのが両首脳の主張だった。二人は軍最高ポストの参謀総長を経て、ネタニヤフ後の首相を狙うライバル。

しかし、このチャンスもネタニヤフ氏の執念の粘り腰と、あえて言えば米政権のあと一押しが欲しいときに、バイデン・トランプTV討論でバイデン氏が「高齢」をさらけ出し、これで民主党幹部も「バイデン退陣」に踏み切らざるを得なくなったこと。そしてガザ情勢が暗転、急展開となる。バイデン氏にはウクライナをプーチンロシアの侵攻から守り、いま民主主義の危機に直面している友好諸国を勇気づける責任もかかっている。

バイデン大統領がどんなリーダーシップを発揮するのか。ハリス対トランプの大統領選挙戦の行方につながっている。(8月3日記)

かねこ・あつお

東京大学文学部卒。共同通信サイゴン支局長、ワシントン支局長、国際局長、常務理事歴任。大阪国際大学教授・学長を務める。専攻は米国外交、国際関係論、メディア論。著書に『国際報道最前線』(リベルタ出版)、『世界を不幸にする原爆カード』(明石書店)、『核と反核の70年―恐怖と幻影のゲームの終焉』(リベルタ出版、2015.8)など。現在、カンボジア教育支援基金会長。

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