特集 ● 内外の政情は”複雑怪奇”

世界は大転換の兆し

それは迫りくる破局への警鐘でもあるのか

労働運動アナリスト 早川 行雄

世界の相貌に大転換の兆しが見える。それは吉兆とも凶兆とも言えない。決めるのはわたしたち自身の行動だ。

熊野純彦は著書『マルクス資本論の哲学』のまえがきでイマニュエル・ウォーラースティンの「世界革命はこれまで二度おこっている、一度目は1848年であり、2回目は1968年のことだった」ということばを引用している。ウォーラスティンの視点はいささか西欧中心史観のきらいもあるので、それを世界革命と呼びうるか否かはさておき、「そのふたつの変動が、それ以降の世界の枠組みに大きな影響を与えた、それぞれの劃期であったことにかんしては、ほとんどの歴史家が同意するところであると思います」と熊野は述べている。

そして今、第3の世界革命とみなすにせよ、あるいはベトナム反戦運動やパリ5月革命に代表される第2の世界革命が、ソ連崩壊=冷戦体制の終焉を含む多くの紆余曲折を経て逢着した事態とみなすにせよ、世界の枠組みは大きく変わろうとしている。本稿では、個別には複雑多様な背景要素を有するいくつかの事件から、転換期を象徴する出来事としての側面を大胆に切り出して激動する歴史の中に位置づけることを試みている。そうした情勢認識の下で日本社会の現状を捉え返し、労働運動を含む反体制派の進むべき道を検討する。

1.二つの戦争

既存の国際枠組みが最初に受けた衝撃は一昨年2月24日に開始されたロシア軍のウクライナ侵攻であった。プーチン大統領は特別軍事作戦と主張しているが、厳密に言えば米軍やNATOが世界各地で繰り返してきた武力による他国への軍事介入と同様に国際法違反の戦争犯罪に該当しよう。欧米のいわゆる西側諸国はウクライナに対する経済・軍事支援を申し合わせ、ロシアに対する経済制裁を発動した。ところがこれに同調したのは、もともと西側とみなされるカナダや大洋州の英連邦諸国あるいは日本を含む極東の対米従属国のみで、当該のロシアを含むBRICSを中心としたグローバルサウス諸国は、ブラジルのルラ大統領がウクライナ支援には何の関心もないと明言するなど、ほとんどの国が制裁に加わっていない。結果としてロシア経済は制裁から大きな影響を受けず、かえって欧州諸国ではエネルギーや食料品価格の高騰が国民生活を圧迫した。ウクライナ紛争の最大の犠牲者はウクライナ市民に違いなく、利益を得たのは軍産複合体およびエネルギーや穀物メジャーのみである。

グローバルサウス諸国はロシアを支持しているわけではないが、米NATO諸国の戦争挑発の歴史的経過を承知しており、何より米NATO諸国の軍事覇権主義の数々の戦争犯罪(少なからぬ国がその被害国であった)を直視してきたことから、ロシアにも非があろうとも米NATOの制裁に与することを潔しとしないということである。こうしたグローバルサウス諸国の動向は、国際決済手段をドル以外の通貨に変更する動きとも連動しており、米NATOの軍事覇権と同時に米ドルを基軸通貨とする経済覇権の衰退も進んでいる。極論すればG7が世界の中心から辺境化しつつあるとも言えよう。

西側諸国の覇権衰退を一層明確にしたのが、イスラエル軍のパレスチナ、ガザ地域におけるジェノサイドへの対応である。昨年10月7日ハマスなどパレスチナ解放勢力は「アルアクサの大洪水」なる作戦名の下に武装蜂起し、イスラエル占領地に進攻して戦闘を展開した。これを機にイスラエルは地上軍と空爆によるガザ地区への報復攻撃を開始し、一般住宅をはじめ学校、病院、国連施設などの民生施設を破壊し、国連職員や医療関係者を含む多数の非戦闘員(その多くは女性と子どもである)を殺害している。

G7を中心とした西側主要国は、イスラエルに国際法の遵守を求めながら自衛権を支持するとして民族浄化の軍事行動を容認する姿勢を堅持している。米英においては政財界やメディアの要所をシオニスト(福音派などクリスチャン・シオニストを含む)やそのシンパが牛耳っており、まともな報道はなされないし抗議行動は激しく弾圧される。G7やEUなど西側諸国は米英にけん引されてイスラエル支持の態度をとっているのである。

一方、イスラエルの蛮行に対してイスラム圏を始めとするグローバルサウスの各国でジェノサイドに抗議する大規模な抗議行動が組織され、欧米諸国においても大学や街頭においてベトナム反戦運動に匹敵するジェノサイド反対運動が盛り上がりを見せている。市民レベルの反ジェノサイド闘争が拡大すると同時に、南アフリカ政府はジェノサイド条約違反でイスラエルを国際司法裁判所(ICJ)に提訴した。ICJは緊急措置としてガザ地区ラファでの地上、空中攻撃を即時停止するよう命じ、国連総会決議が意見を求めていたイスラエルの占領政策に国際法違反との勧告を出した。また国際刑事裁判所(ICC)の主任検察官はネタニエフ首相とガラント国防相に戦争犯罪と人道に対する罪の逮捕状を請求した。

イスラエルへの批判が世界的に拡大し、パレスチナ国家承認の動きがスペイン、アイルランド、ノルウェーなど西欧諸国にも広がってきた。この流れの中でドイツの頑ななイスラエル支持は特異である。ドイツはジェノサイド条約違反でニカラグアからICJに提訴されているほどだが、ドイツでは政府のみならず長老J・ハーバーマスから新進気鋭のM・ガブリエルにいたる知識人もイスラエル支持を表明し、ドイツ知識人の集団発狂を思わせる事態となっている。だがその背景にはドイツ・カテキズムと呼ばれるイスラエル絶対擁護の国是(教義)がある。

カテキズムは甚大な人的犠牲をもたらしたホロコーストをユダヤ人虐殺のみに矮小化し、反ユダヤ主義をレイシズム一般とは異なる絶対悪と規定する。その上でシオニズム批判は反ユダヤ主義であるとしてイスラエル政府へのあらゆる批判を封じているのである。カテキズムはカルト化したシオニズムそのものであり、ナチズムから解放されたドイツは同じメダルの表裏をなすシオニズムの呪縛に囚われているといえよう。この状況は、ウクライナに好意的でないというだけで親露派のレッテルを貼られる日本の現状からも類推するとよく分かる。

当初ユダヤ人の追放を企図していたナチスとユダヤ人移民によるイスラエル建国を目指していた欧州シオニストの利害は共通しており、シオニストの一部はホロコーストにも協力させられたことはハンナ・アーレントの『エルサレムのアイヒマン』に記載があり、より詳細にはレニ・ブレンナーの『ファシズム時代のシオニズム』に記述されている。これは現代イスラエル国家における最大のタブーとされているが、カルト化したシオニズムのジェノサイドは選民による民族浄化というシオニズムの本質を顕在化させ、結果としてシオニズムの世界覇権を根底から揺るがしている。

2.エキストリーム・センター

エキストリーム・センターという政治概念がある。エキストリーム・ライト(レフト)と言えば極右(極左)の意味だが、エキストリーム・センターは「ど真ん中」を指すものではない。それは特定の政治思想ではなく、脱政治対立を装いながら巧みに対抗勢力を排除して政治支配を貫徹するためのマヌーバー(政治策略)である。酒井隆史が「地平」創刊号に寄せた「“過激な中道”に抗して」という論考で、過激な中道すなわちエキストリーム・センター(エキセン)に言及したことで改めて注目されている。このエキセンなる概念は今日に至る近現代の歴史過程を理解する上で大きな貢献をしてくれるように思う。ただ、あまりに使い勝手がよすぎるので濫用には慎重でなければいけないような気もするが。

酒井によればエキセンとは、おもてむきは「穏健」だが経済的リベラリズムの原則と権威主義的行政府主導の政治を志向するものでファシズムとの親和性にも注意する必要があるという(酒井『賢人と奴隷とバカ』)。エキセンとは単に極左から極右に至る直線の中央に位置するのではなく、いわば極左-極右直線を底辺とした三角形の頂点に超越的(脱イデオロギー的)に君臨するマヌーバーであり、ナポレオン三世のボナパルティズムを敷衍したような概念である。それは左派から右派にいたる広範なイデオロギーを体制擁護の枠内に呑み込む一方で、体制そのものの変革を目指す勢力を異端として排除する。このエキセン概念をも念頭に置きながら、最近におけるいくつかの政治動向を概観してみよう。

英国総選挙では労働党が400議席を超える地崩れ的大勝を収めて政権を奪った。しかし得票率は全国平均1.6%しか増えておらず、20%も減らした保守党の自滅に助けられた棚ぼた政権交代であった。保守党の支持者は自民党やリフォームに流れたほか史上二番目に低かった投票率が示すように棄権に回った。またスコットランドで得票を伸ばし(回復し)大幅に議席を増やしたがこれも不祥事に揺れたスコットランド国民党の自滅が要因。個別選挙区では得票を減らしながら議席を維持したり、保守党との負け比べで辛勝した選挙区もある。

新首相となったスターマー党首は早々にイスラエル支持を表明し、7月の臨時閣議にゼレンスキー大統領を招待するなど米NATO連合の一員であることを鮮明にしたが、ブレア時代への先祖返りで現体制維持派の政権たらい回し(穏健を装った独善的体制擁護システムとしてのエキセン内部での権力移行)では危機の克服は出来ない。危機の克服には草の根からの論議と大衆行動で歴史を作れるかが鍵。大胆な改革を掲げてエキセンから排除されたコービン労働党前党首が地元選挙区で労働党の「刺客」ら他候補を圧倒して勝利したことや、パレスチナ支援を掲げた無所属候補が、かつてコービンを押し上げたMomentumの活動家らの支援により影の内閣メンバーを含む労働党候補を破ったことのうちに英国左翼再生の展望が見いだせるのではないか。

フランス総選挙の第二回投票で極右は第三党に沈み、不服従のフランス(LFI)や社会党を中心に結成された新人民戦線が第一党に躍り出た。しかし左派の議席は新人民戦線に不参加の党を含めても200前後である。新人民戦線との選挙協力で極右の台頭を抑えたマクロン大統領は憲政の常道通り左派に組閣を依頼することなく、今度は一部で極右と選挙協力し(今回国民戦線連合として10人以上当選)内紛を起こした旧ドゴール派の共和党(60議席台を維持)を巻き込んで、LFIや共産党などNATO脱退やパレスチナ国家承認を掲げる極左を排除した中道大連立を画策している。マクロンは穏健な中道を装いながらテクノクラート支配をゴリ押しする排他的独善的勢力(政界のみならずメデキアや官僚層さらに知識人も広範に巻き込んでいる)を糾合して左派の抑え込みを画策するという意味で、実に分かりやすいエキセン政治家である。

英国やフランスの選挙結果はエキセン与党の衰退ともみられる。米国大統領選挙では現職のバイデンが撤退しトランプの再選(もしトラ)も現実味を増しているが、8年前にサンダース旋風を巻き起こした社会主義に強い親和性を持つジェネレーション・レフト(ミレニアル・Z世代)がいまでは有権者の半数を占めている。昨年与党社会労働党が議席を減らして第2党に転落したスペイン総選挙の結果なども勘案すれば保守政党だけの問題でもない。またオランダやオーストリアそして先の欧州議会選挙ではエキセンの境界線に蠢く極右の伸長もみられた。翻ってグローバルサウス諸国をみても、トルコ、南アフリカ、インドなどで長期政権の与党が苦戦を強いられ、イランでも改革派の大統領が当選した。

国際関係において西側の「法治主義」「民主主義国家」というイデオロギーの共有を梃子とした価値観外交がプロパガンダとしての機能を失い、米NATOの軍事覇権、基軸通貨ドルの経済支配、シオニズムのイデオロギー統制が弛緩し、南北を問わず国家内部におけるエキセン与党体制の動揺が広がっている。情勢の行方が既存の支配体制を突き破って基本的人権が尊重される世界に道を拓くのか、旧体制がゾンビのごとく復活延命するのか、はたまた混迷と衰退の挙句に破局を迎えるのか、展望は甚だ不透明であるが、いま地球的規模での転換期を経験していることは間違いなかろう。

エキセンは改良主義に譲歩したり改良主義を装うことがあるだけである。改良主義には漸進的ではあれ、非妥協的永続変化を積み重ねることで量から質に転化し、その前提とする資本主義市場経済の肯定的理解の裡にその必然的没落を予見するという弁証法的論理が内在しているので、どこかの時点でエキセンと衝突することになる。もっとも現存する改良主義諸政党は資本主義的生産様式の基幹的利害に抵触しそうになるや否や、エキセンに取り込まれるかそれ自体エキセンに変質するのが常であった。その帰結が新自由主義経済政策の跳梁跋扈であったことは記憶に新しいだろう。

3.自民支持率低下と都知事選

岸田内閣や与党自民党の支持率が低下している。自公政権は「一億総○○」とか「全世代型××」といった横断的・網羅的な利益を代表するかのようなフレーズを好んで用いて、あたかも国民全体を包摂するかのような姿勢を打ち出してきたが、実際には議会での質疑には正面から対応せず、異論が排除された閣議という場で実質的に政策をオーソライズするという独裁的な統治をおこなってきた。

こうした非民主主義的な政権運営に対する有権者の懸念や不安が広がる中で、安倍元首相銃撃事件を契機に暴露された統一協会との癒着や政治資金パーティー会費を裏金とする経済界との癒着、あるいは官房機密費を陣中見舞いなどの選挙費用に流用する権力の乱用などが次々と明るみに出て、内閣や与党の支持率低下を招いているのである。その結果は衆議院補欠選挙の不戦配を含む3戦全敗や自治体首長選挙における推薦候補の相次ぐ落選として選挙結果にも現れている。これは日本における自民党型エキセン体制の腐朽化を示すものだが、そうした政治情勢下で行われた東京都知事選挙では現職の小池知事が三選を果たした。

都知事選における蓮舫敗北の総括に際して共産党との連携を問題視するようなエビデンスを無視した愚劣な議論も散見されるが、小池都知事が290万票余を得て三選された背景には何があるのかを問うことこそ総括の核心である。保育所の拡充など現物給付をないがしろにする一方で月額5000円の子育て支援給付という現金給付(つかみ金)や典型的には都知事選直前に行われた低所得世帯へ1万円の商品券配布など、今だけ金だけ自分だけという利己的生活保守主義にやむなく呪縛されてっしまった有権者におもねった小池都政の策略により、不動産業者と癒着して選手村跡地を安値で投げ売りして投機目的の晴海フラッグ建設するために、都民の命と健康を犠牲にして、1年遅れでも無観客でも何が何でもオリンピックを強行したこと。

都市計画公園からの削除までして神宮の杜を伐採し、これも投機対象の高層ビル群を建設するなどといった利権と癒着の構造、そしてその開発を担う不動産業者に都の関連部署から大量に天下りをさせるといった家産主義的情実人事、さらには答弁拒否の議会軽視、情報黒塗り開示の隠蔽体質、朝鮮人虐殺犠牲者への追悼文拒否などにみられる右翼体質が、生活保守主義的有権者の投票行動にほとんど影響を与えなかった結果であろう。

都政の利権構造に深く組み込まれた広告代理店や大手メディアが報道管制を敷いて、利権体質、公職選挙法違反、学歴詐称など小池都知事批判の情報を封じたことが小池の目論見を強く支援した罪は大きい。かくして再選時に東京卸売市場の豊洲移転と築地再開発を巡る詐欺的な変節が争点とならなかった事態が再現された。同時に行われた都議補選で自民党が2勝6敗と惨敗するなかで、小池ローカル・エキセンが延命した形だが、これは一つの社会病理というべきである。

都知事選におけるもうひとつのトピックは石丸伸二候補が大量得票で二位に食い込んだことであろう。蓮舫に10日先立ち早々出馬表明した石丸は、HANADAなどで小池批判をする安部信者による小池へのブラフではないか。資金源は岩田明子を社外取締役に取り立てたドトール鳥羽博道名誉会長。選挙の神様と言われる藤川晋之助を選挙参謀に据えて、自民党東京都連のTOKYO政経塾塾長代行で安倍夫妻と懇意だった小田全宏を選対本部長に祭り上げた。元自民政調で統一協会とも近い田村重信が後援したのもアベ友つながりだろう。石丸陣営の人脈から見えてくるのは安部信者の傀儡としての石丸の姿だ。石丸は候補者討論会で蓮舫から三井不動産によるパーティー券購入を問われてはぐらかそうとする小池にyesかnoで答えろと迫ってもいた。石丸陣営が蓮舫出馬をどこまで予測していたかも不詳だ。一方蓮舫陣営は石丸を過小評価しすぎて側杖を食ったという解釈は成り立たないか。少なくともそういう要素もあったように思われる。

いずれにせよ、石丸=藤川の理性より情緒に訴える扇動選挙が極めて上首尾に終わったことは、候補者情報の公開や政策論争といった公正で民主的な選挙、ひいては民主主義自体の危機をもたらすものにほかならない。その石丸現象もまた一種の社会病理だ。石丸は市長という実際的には優越的立場にありながら、一議員を大政党に見立てたり、取材記者を巨大メディアに仮想して、独善的高圧的に威嚇することにより、権力と闘う正義漢であるかのような構図を創り出し、短時間の動画に切り取ってSNSで配信してきた。

それが既成政治やマスコミと闘うヒーローのごとく宣伝され、日々のルサンチマンを弱い立場の相手にぶつけるカスハラ、モンスタークレーマーに典型的に示される劣情が蔓延する社会と共鳴し、特に不安定な雇用と低賃金で日々の生活に不満と不公平感を募らせている若者を対象に、理性ではなく情動に訴える古典的扇動がSNSという新時代の道具を通して奏功したわけだ。石丸陣営の選挙戦術は気味が悪いほどナチスの宣伝工作に似ている。ゲッベルスの時代にSNSがあれば同じように悪用したであろうことは想像に難くない。メディアや有識者の一部にSNS時代の新しい選挙戦術などともてはやす愚か者がいることは嘆かわしい限りだ。こうした社会的病理の見逃し、見誤りは典型的な正常性バイアスというほかない。

石丸が支持を得た背景に既成政党や既存政治への不信があるとされるのはあながち誤りとはいえない。一部の有権者は石丸に既存政治への不信払拭を期待したという一面もあろうが、問題なのはよく確かめもせずに石丸のような候補に期待してしまう政治意識の劣化である。選挙後に石丸の化けの皮は剝がされるかも知れないが、石丸が消えても政治不信は残る。社会の劣化がファシズムに道を拓く危機の深刻さを真剣に受け止めねばならない。

4.政権交代とエキセンとしての反共主義

統一協会との癒着や裏金問題で自民党への不信感が広がるなかで、野党第一党の立憲民主党の支持率が漸増傾向にある。しかしこれは英国労働党の躍進に似て多分に敵失による相対評価の上昇であり、何らかの新機軸に対して支持を集めているわけではない。折衷的な党員構成や右顧左眄して政策の軸足が定まらない泉代表の振る舞いをみるにつけても、立憲民主党もまたエキセン体制の一翼を担う典型的な政治勢力であり、2009年の政権交代もそうした観点から位置づけてみると、新自由主義的政策への譲歩など政権運営における限界の因って来るところも明らかとなろう。

この現状で政権交代が実現しても、平和憲法をないがしろにして監視社会下の軍備増強を容認する現状維持勢力の政権たらい回しという側面もあるが、それでも政権交代を目指すことは重要である。少なくとも黒塗り情報公開やはぐらかし答弁で議論を封殺し、閣議決定による独裁政権さながらの強権政治を転換させるための一里塚としなければならない。外交・安保をはじめとする重要政策について左派の提起を含めて俎上に載せる熟議政治の環境を創り出しながら、米国公民権運動や2015年の安保法制反対運動(あるいは60年安保闘争)のような街頭の大衆運動が政治を動かす方向に道を拓くことが政権交代の帰結とならなければいけない。

政権交代は資本主義市場経済下の既得権勢力にとってリスクを孕むものだが、現在の日本では2012年以降の軍事ケインズ主義・軍事大国化路線は後戻りのきかないものであり、政権与党の国策に依存する産業の労使も政権交代を忌避している。自民党にとって他に選択肢のない危機の局面において、政界のみならず労働界にも深く浸透した反共勢力が政権交代阻止に向けてフル稼働しているのはそのためだ。

反共主義の起源は右翼思想だがその本質は既存の支配体制の擁護であり、すべての反共主義者が右翼とは限らない。例えば統一協会は政治理念とは無縁のカルト教団というべきで、権力に取り入る方便として勝共連合で反共の旗を振り、憲法問題では自民党の狙いを忖度した改正案を提示して政権に接近を試みているというのが実態であろう。

反共主義とはファシズムとも親和的なエキセンと捉えることが至当であろう。日本の代表的反共集団である自民党は、既述のように国民全体の代表を装いながら、議会を軽視して不寛容に反対意見を拒絶する一方で、独断的な閣議決定で権威主義的な行政府主導の政治を展開しているエキセン政党である。政権維持のためにはなりふり構わず反社会的なカルト集団とも容易に癒着して反共勢力を利用する自民党。反共主義の体制擁護的本質こそ、共産党を蛇蝎のごとく嫌悪しながら自民党とは是々非々でなどと嘯きつつ政権与党に擦り寄る連合の芳野会長が権力の走狗とされる所以である。

エキセンの対極をなす思想とは、エキセンが不寛容な「排除します」の論理ならば、それに対抗するのは既成権力のプロパガンダに幻惑されている人々を、獲得したり明け渡したりする単なる草刈り場として上から目線で捉えるのではなく、同じ地べたから共に進む寛容だがエキセン権力には妥協しない統一戦線の論理しかない。統一戦線で共有すべき政策に難しい理屈はいらない。戦争への道を止めること、これである。知る権利のはく奪や監視社会化、労組弾圧など自由権の侵害、そして格差と貧困の蔓延や公衆衛生の崩壊など生存権の侵害といった諸悪の根源は、台湾有事などで危機感を煽る対米従属下の軍備増強政策なのだから、統一戦線の戦略目標は政権交代を通して軍拡政権を歴史の表舞台から引きずり下ろすことである。

はやかわ・ゆきお

1954年兵庫県生まれ。成蹊大学法学部卒。日産自動車調査部、総評全国金属日産自動車支部(旧プリンス自工支部)書記長、JAM副書記長、連合総研主任研究員、日本退職者連合副事務局長などを経て現在、労働運動アナリスト・日本労働ペンクラブ会員・Labor Now運営委員。著書『人間を幸福にしない資本主義 ポスト働き方改革』(旬報社 2019)。

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