特集 ● 内外で問われる政治の質

終末期を迎える自民党! 果たして野党による政治改革30年の新展開は可能か

──山口二郎さん(法政大学法学部教授)に聞く

語る人 法政大学法学部教授 山口 二郎

聞き手 日本女子大学名誉教授 住沢 博紀

1.1990年代、政治改革の出発点の欠陥:佐々木毅・山口二郎『世界』対談から

住沢: 自民党の安倍派など派閥の政治資金パーティーの裏金問題をめぐり、政治とカネの問題は30年前の政治改革の出発点に戻った感があります。この関連で山口さんは、『世界』3月号で、佐々木毅さんと「90年代政治改革とは何だったのか」をテーマに対談しています。当時の制度作りで十分には議論されなかった点や欠陥は、今日の視点から検証されなければなりませんが、政治学者として中心的な役割を果たした佐々木毅さんのいくつかの発言には疑問を持っています。先ずこの対談の背景からお願いします。

山口二郎さん

山口: 90年代の政治改革を理論的にリードした佐々木毅先生には、今、率直な感想を聞きたいなと思って企画したわけなんです。政治と金の問題そのものも大きな問題なんだけど、結局のところ、その自民党が90年前後、リクルート佐川という大きな疑獄、腐敗を起こして、もうこれはダメだっていう時期があったわけですよね。金丸さんの脱税事件も大きかった。

しかもそのタイミングで冷戦が終わるという世界史的な大きな変化もあって、いわゆる55年体制で、冷戦構造の中で、ひたすら日本に親米保守政権を維持するという理由だけで続いてきた自民党政権が、もう歴史的役割を終えたという認識は政界の内側にもあったし、もちろん私たち外側の論者にもあったわけですね。

だから、腐敗防止のためだけじゃなくて、やっぱり自民党の一党支配、自民党の永久保守政権を一回壊すっていう問題意識で政治改革したはずなんだけど、民主党政権が壊れた後は、ネオ55年体制と言われる1党体制が復活したと。こういう現状を見て、この30年の政治改革なり政党再編をどういうふうに振り返るか、総括するかっていうことを、率直に議論したかったわけですね。

住沢博紀

住沢: 2人とも90年冒頭の政治改革、特に選挙制度改革は失敗だったという結論になって、むしろ悲観的な将来になっているわけです。佐々木毅さんは、リクルート問題と金丸の問題等々で、つまり政治と金が本来の問題であった。それがいつの間にか選挙制度改革とセットになっていて、それはあらかじめ仕組まれていたのではと言っているわけですけども、この見解には違和感をおぼえます。

山口: これはね、佐々木さんは、あえて曖昧にしていると思いました。政治資金、それから政治腐敗、政治と金の問題を突破口に、選挙制度という政党政治の競争のルールそのものを変えて、政党政治そのもの、システムそのものを変えていくっていうシナリオを書いたのは、やっぱり佐々木毅さんと、多分同じく民間臨調をやっていた内田健三さんだったと私は思いますね。で、この議論というのは80年代からずっと続いているわけで、80年代の佐々木さんが書いたいろんな本、論文などを読むと、要するに、自民党がもうその利益政治で族議員という形で分断されてしまって、内外の大きな課題に対応する統治能力を持ってないという批判を明確に打ち出したわけですよね。

「横からの入力」って言葉を佐々木さんが使って、要するに、国民が選挙などを通して政治参加をしてインプット(入力)をするんじゃなくて、外圧、アメリカ政府の要求っていう形で政策課題が提起され、インプットされるという現状を、彼は非常に批判したわけですね。しかも90年前後の冷戦の終わりという大きな変化があって、日本の政治において、自ら目標を設定して政策を進めていくというモデル、船に例えれば、自ら舵を切って、エンジンを回して、船をある方向に進めていくというイメージの政治ができない、漂流しているっていう問題意識があった。これは80年代から佐々木さんたちは言っていたことですね。

あの対談の中で、佐々木さんが1つ言った言葉で印象的だったのは、佐藤誠三郎さんが80年代の半ばに出した『自民党政権』という本への批判なのですね。佐藤さんと松崎哲久さんの共著って形ですけど、86年、中曽根さんの全盛時代に佐藤さんが『自民党政権』という本を出して、80年代の自民党政権とは、日本の政党デモクラシーの完成形だみたいな、非常に肯定的な評価をしたわけです。その中で、いや、これは決して健全なデモクラシーではないと、日本という船は漂流しているのだということを佐々木さんが多分最初に言い出した。そうこうしているうちに、中曽根さんが辞めたあとにリクルート事件が発覚し、さらにそのあと佐川急便事件が現れて、ゼネコン汚職とかいろいろあって、政治と金という、国民がやっぱり関心を持ち、怒る争点が立て続けに噴き出してきたわけですね。

住沢: それでもう一度確認ですが、90年代初頭の選挙制度改革も含めた政治改革の流れは、自民党の外から来たという理解でいいのですね。

山口: そうですね、何て言うか、選挙制度を含めて改革をしなきゃいけないって言ったのは、やっぱり自民党の外側がまず始めた議論ですよね。

その当時、自民党の中にいたわりと若手の、今でもやっているのは岡田克也さんと石破茂さんぐらいですかね。小沢さんもそれの後から乗ったわけですけど、やっぱ外側から来たと思うんですよ。それで、93年の宮沢政権不信任の時のいきさつなんかを振り返っても、やっぱり経世会、宏池会の主流派は、選挙制度を変える必要はないっていう認識で、それを握り潰そうとしたわけですよね。だから、その選挙制度を変えるっていうことについては、そんなに自民党の中で大きな、多数意志みたいなものがあったとは思えないんですが。

ただですね、その選挙制度をもし変えるのであれば、小選挙区プラス比例代表の並立制っていうのは、これは海部政権時代の第8次選挙制度審議会から始まっている議論で、これはやっぱり自民党の利害には基本的には反しないものだという面もありましたよね。

住沢: そうすると、選挙制度改革という選択は90年代の政治改革の1つの柱として意義があった。ただ問題は、その後の発展がやはりダメだったということなんですか。

山口: いや、選挙制度を変えるとしても、どういう選挙制度を次に作るのか、あるいはその新しい選挙制度でどういう政党政治を展開するのかという点について、やっぱり詰めが足りなかったっていうのが政治改革の出発点における問題ですね。それから、その選挙制度を変えたあと、この選挙制度の上で、緊張感のある競争的な政党システムを作るためにどうするかっていう問題について、とりわけ、自民党以外の政治家が、十分正確な、適切な問題意識を持ってなかったという問題。時系列で見ると、いくつかの段階ごとに問題があったっていう感じがしますね。

2.「家業としての政治家」:世襲議員に私物化される政党支部

住沢: 佐々木さんがその対談で指摘しているんですけども、世襲議員の問題ですよね。かつては中選挙区でも色々あったのですが、それ以上に小選挙区においては、選挙区が政治家の個人資産と言うんでしょうか、そういうものになってしまって、それが同時に今まで以上の世襲化につながっています。さらに地域が狭く公認は一人ですから、地域の地方議員との関係を強化していく、そのためにお金も色々かかりますということですね。そういう小選挙区は、政党選挙にならずに個人の、家業としての政治家個人の選挙区になってしまったという問題があるんじゃないですか。

山口: そうですね。結局、やっぱり自民党の政治家はそれぞれ地盤を持っていて、小選挙区にうまく適応する人も当然たくさんいたわけですよね。選挙制度を検討するときに、選挙区が私物化されるみたいなことをどれくらい真面目に心配して、それを防ぐための対策っていうのを議論していたかという問題はあると思うんですね。佐々木さんたちは、そういう問題について十分考えてなかったんじゃないか。

住沢: 当時、議論されたと記憶するのですが、外国で小選挙区の場合に親族の継続はダメだとかいう規定があるとか。その問題で、例えば本人、及び配偶者の2親等とか、そういう人は同じ選挙区から立候補できないとかいうことの改定は無理なんでしょうかね、

山口: そうですね、イギリスでは既にそういう仕組みがありますね。あるいは、最近ちょっと話題になるけど、安倍さんが死んだ後の安倍後援会を奥さんがとりあえず引き継いで、相続税なしで政治資金を継承するみたいな、こういう問題についてもやっぱりきちっとした法的な手当てを考えておかなきゃいけなかったですね。日本の場合、どうしても、特に自民党側はその個人後援会みたいなものが強いですからね。

選挙区の立候補の制限は、その気になればそれは法改正で対処できると思いますよ。憲法上の立候補の自由みたいな問題に抵触するっていう議論も出てはくるでしょうけど、公平な競争をするためにはある程度規制をかけるっていうことも、これは法律的には可能な議論だと思いますけどね。やはり、政党支部の継承の問題については、もうちょっときちんとした工夫をしておかないと、ものすごくなんか不明瞭というか、不公平な資金の継承が行われているという感じですよね。

住沢: 政党支部というのは、立憲民主党も含めて小選挙区の政治家の個人事務所とほとんど同じになってしまいます。

山口: そうですね、政党支部の支部長を選ぶ時のルールみたいなもの、それをさっき言われたように、家族が継承するみたいなこと禁止するみたいな。だから、その世襲禁止の立候補の制限とセットにして、政党支部の問題も議論していかなきゃいけないんでしょうね、多分。

住沢: 政党単位、政策単位の政権選択を問う選挙制度にしますという時に、やはり、本来の政党選択ということの前提となる、政党の政策決定のプロセスや候補者擁立の透明性など、いくつかの論点があると思うのですが。

前号の『現代の理論』で、立憲民主党の逢坂さんに質問した時も、共産党との基本政策の違いについても、そんなものは、政権にとっては後で政策協定すればいいんだ、それはヨーロッパでもやっていますよって話だったんですね。しかしヨーロッパの場合、どの国も政党の空洞化が進行しているとはいえ、それぞれの政党が後にミニ党大会を開いて、政権合意協定を承認する手続きがあるわけですよ。日本の場合、その支部とかいった場合に、そういう政党自身の民主的な決定方式がほとんどないという時に、果たして政党選択選挙と言えるかどうかという問題。その辺、どう思われますかね。

山口: 政党本位の政治という時の政党っていうのが、やっぱり国会議員の連合体っていうイメージを抜けていなかったと、今から振り返って感じますよね。だから、政党の中央レベルにしても地方支部レベルにしても、やっぱりちゃんとした民主的なガバナンスの仕組みみたいなものをどうするかっていうのは、あんまり議論されてなかったんですよね。

結局のところ政党支部なるものは、これはやっぱり基本国会議員の持ち物みたいな感じで、世襲もされていくっていうことですよね。だから、確かにその政党本位の政治っていう時の、政党っていう言葉の意味、政党の在り方、モデルそのものが、やっぱ日本とヨーロッパの間ではもう大きな落差がやっぱありますよね。

3.山口二郎の政治改革のオデッセイ:成功体験と失敗体験

住沢: 山口さんは自伝的著作の『民主主義のオデッセイ──私の同時代的政治史』を岩波書店から昨年出版されました。90年代から山口さんは日本政治の節目には岩波新書で、いわば政治改革のリアルタイムでの記述者兼批判者という形で世に問うてこられたわけですが、オデッセイというからには、どこに向かって航海していたのですか。

山口: 私にとっては、やっぱり政権の取れる中道左派政党をまず作って、それが保守的な政党と競争的なシステムに、時々政権交代を起こすシステムを作るっていうのがゴールでしたね。

住沢: 私、山口さんと初めて会ったのは確か1990年ごろだったですか。社会党の当時の全国の党員研修会みたいなところで。私と山口さんと堂本暁子さんと3人が呼ばれて講師としてやったのが最初だったと思います。その時山口さん、野党を抵抗政党と対抗政党にわけ、社会党に政権交代の党になることを提言していたことを記憶しています。それからずっと理論的にも、実践的にも関わってこられて、その33年の中で最大の成功体験の1つと失敗体験を一つあげてもらえますか。

山口: 成功はやっぱり2009年の民主党の政権交代だと思いますね。私は最初、日本で西欧のような二大政党をつくりだすのは難しいなと思っていたんですが、それでも1998年に民主党を作って、2000年代は小泉時代の多少のその敗北もあったけど、基本はやっぱり民主党が成長する時代でしたよね。民意の中でも、自民党だけじゃなくて、もう1個政権を担える政党が必要だという認識が広がっていった。だから民主党っていうのは、2000年代の国政選挙では大抵比例で2000万票くらい取るわけですよね。それで2009年、政権交代が起きた。で、しかも、民主党もいろんな人がいたんですけど、小泉時代の新自由主義に対抗するっていう文脈で、2009年の民主党は結構社会民主主義的なアジェンダを採用して政権交代を起こした。これは本当に長年追求してきた理想形に近いものができたっていう感じでしたよね。

住沢: その成功体験の一つが2009年の民主党政権でいいと思います。ただ私は山口さんと異なり、社会党・総評の社会民主主義への転換、もっといえばエコロジー運動など市民運動と結びついた形での転換を唱えてきたので、1998年からの第2次民主党には隔靴掻痒の思いでした。国会議員も旧社会党系やシリウスに集まった若い世代、さらに連合系の方が数的にはそれなりの数を占め、また運動母体としても連合など労組組織があったわけです。しかし元社会党委員長の山花貞夫さんは早くに逝去され、「民主リベラル」を掲げた横道孝弘さんは衆議院議長になり、シリウスの江田五月さんは参議院議長になりましたが、民主党のリーダーにはなりませんでした。

山口さんが指摘しておられるように、民主党の若い優秀な人材というのは、岡田さんなど自民党の改革派や、日本新党のグループなり、さきがけのグループ、さらには小沢さんや羽田グループなど旧自民党重鎮などネオリベラルとリベラルの混成部隊でした。

山口: 私は住沢さんと一緒に社会党改革に多少関わったとか、あるいはその後、政治改革が実現して、それで村山政権ができて、ともかく新しい選挙制度の中で社会党がどう生き残るかっていう問題に直面した頃も新党という話がありましたよね。それで色々議論はしたんだけど、結局のところ、社会党というのは、政権を担いたい人たちと、それからむしろ野党で批判したい人たちの、2つのグループに分かれているというか、元々その2つのグループから構成されていたわけで、社会党がまるごとその中道左派的っていうか、あるいは社会民主主義的な政権政党に成長していくのはやっぱり無理だったんだろうなって思いますね。

例えばですね、細川政権ができた時は、社会党は本当に半身の構えだったし、政治改革法案の94年1月の参議院の採決の時も社会党が割れて政府案が否決され、自民党の言い値で選挙制度と政治資金規正法改正をやっちゃったわけですね。

企業団体献金だって、あの時、本当は細川政権側の原案通り可決していればできていたわけですよ。あるいは、比例代表を全国1本でやっていればもうちょっと政治の景色は違ったものになっていたし、小選挙区が300じゃなくて274とかね。これらは決して小さい問題じゃないんですよ。

住沢: 私は民主党がネオリベラルの政策と並んで、社会民主党的な基本政策を追求するのは、成立の過程や労組という支持母体からして当たり前と思っていたんですけども、山口さんの見解では、それほど明確ではなかったわけですね。2003年以後、小沢一郎さんが加わり、山口さんも彼と議論する機会があり、小沢一郎さんも90年代のネオリベラルの視点から社会民主主義の方針に変わったという風に評価されていましたよね。そうすると、21世紀に入ってから民主党はだんだんと社会民主主義的な政党に変わってきたというイメージでいいんでしょうか。

山口: 政党の政策的なスタンスというのは、これは政治状況の中で、空白を埋めるみたいな動機でできる場合もあるわけですよね。要するに、共産党みたいにあらかじめイデオロギーがあって、そのスタンスが明確に決まっているっていう政党は別として、自民党が圧倒的に強い状況の中で、これに対抗する野党がどういうスタンスを取るかというのは、政策的な空間、スペースを見つけて、そこに足場を置くっていうことになるわけですね。

経世会が強かった時は、やっぱり族議員とか利益誘導けしからんという文脈で公共事業を見直すみたいな、もう菅直人さんが割と最初の段階でいっていたテーマが中心になってきたっていうのは、これはしょうがない。あるいは、官僚と結託した自民党けしからんっていうんで、官僚支配を打破するための政治主導を主張し、族議員と官僚の公共事業ばらまきみたいなものを批判するっていうのは、これは自然な話だし、歴史的にも必要なもの、必要な時期があったと思いますが、2000年代の小泉政権は、日本の世の中をかなり変えたわけですね。

おそらくバブルが弾けて、その後の失われた10年を経て、小泉時代に初めて日本の政治の課題に貧困という問題が出てきたと思うんですよ。あるいは格差という問題がクローズアップされた。

だから、そういう意味では社会民主主義的な政策というのがちょうどこう自民党に対抗する上で非常に役立つツールになったという歴史的な経緯があったわけですね。で、小沢一郎という政治家は、政策的な理念っていうのは不動のものがはっきりあるわけじゃないんで、90年代は伊藤元重さんとか北岡伸一さんを使って、日本改造計画という極めて新自由主義的な政策集を出したけど、それから10年経って、小泉時代の日本の変化を受け止めて、今度はちょっと大きめの政府が必要かなみたいな感じで変身したわけですね。民主党の中にいろんな人もいたけど、やっぱ小沢さんの指導力は、あの時代は非常に大きかったです。全体として民主党がその中道左派的なスタンスになったということでしょうね。

住沢: 次に、この間に山口さんが1番失敗したと思う点はなんですか。

山口: これはいくつかありますけど、1つはやっぱり細川政権が壊れたということですね。で、さっきも言ったように、社会党がもっと本気で政治改革にコミットして、新しい選挙制度の中で、保守リベラルと社会党の提携という戦略を追求していたら、その後の政党の配置は変わっただろうと思いますし、細川さんがやめて羽田政権になって、羽田さんも短命政権で、その後の政権の枠組みをめぐって、「非自民連合」対「自民、社会、新党さがけ連合」という構造になりました。私はその頃小沢さんを嫌っていましたから、自民党のリベラル派と社会党が手を組むのもありだということ、割と本気で主張したんですけど、結果的に見れば大間違いでしたね。そこで自民党を助け起こしたってことが、その後の30年の日本の政治にとってすごく大きなマイナスだったっていうのは、これは本当に、私が反省するのも変ですけど、失敗だったと思いますね。

住沢: 自社さ連立、村山政権評価をめぐる問題ですね。それは90年代の話ですが、21世紀に入ってからはどうですか。

山口: いや、やっぱり2009年の政権交代の後ですね。大震災は、もうこれは仕方ないんですけど、やっぱり消費税の問題を巡って民主党が分裂したっていうのは、もうこれは失敗中の失敗、大失敗ですね。

住沢: その問題にはしかし山口さん全然関与してないですよね。

山口: 僕は小沢さんにはやっぱりともかく団結が必要だ、党を割るのは最悪だっていうことは伝えていたつもりですけど。

4.政治改革30年の到達点と喫緊の課題 その1:自民党の右派ポピュリズムの台頭と劣化

住沢: それで、次に現在の問題に行きます。自民党はその後も30年以上、「生きながらえて」います。

ただ、現在はその自民党システム自体が、特に一昨年の安倍首相銃撃と統一教会の問題、繰り返される政治と金と派閥力学の問題など、衰退というより本格的な解体期というか、方向喪失に陥っています。しかし野党に政権交代の力量があるのかということで、そこも非常に未来が見えず、結果として政治の危機、政治不信が蔓延しています。この辺含めて山口さんに、政治の再建はいかに可能かをお話し願いますか。

山口: まず、自民党政治の現状をどう見るかという問題ですね。やっぱり今の自民党政治が抱えている問題の根源は90年代の中頃から後半あたりにあると私は考えています。

さっき村山政権について自己批判したんですけど、ただ、あの頃の自民党にはまともな政治家が大勢いたわけですね。後藤田正晴さんとか加藤紘一さんとか、もちろん宮沢さんもまだ現役の議員だったし、山崎拓さんとか、戦後デモクラシーの基本的な原理を共有する人たちが自民党の側にもいたから、自民党との連立に対して、私は違和感あんまりなかったんですね。

ところが、戦後50年で、自民党も含めて戦争を反省する歴史観を共有したことに対して、言わば右の攻勢が始まって、ご承知の通り90年代後半、日本会議という団体が外側にできて、自民党の中の保守的な政治家と組んで、歴史認識とかあるいは女性の権利、ジェンダー問題とか教育とかなんかに、バックラッシュを仕掛けてきたわけですね。安倍晋三という政治家はその先頭にずっといた人ですよ。

今、世界的にもこう、右派ポピュリズムが台頭している大変困った時代なんですけど、私は、この右派ポピュリズムの台頭に関しては、日本が世界の先駆けだったと思いますね。韓国や中国との関係だとか、歴史認識だとか家族モデルとか女性の権利とか、そういうイデオロギー的なテーマに関して、非常に権威主義的、家父長主義的な主張を自民党が強めて、そういう中で民主党が瓦解したものだから、政治的な対抗勢力がいなくなっちゃって、どんどん自民党のそういう右派ポピュリズム的な姿勢が有効性を発揮するわけですよね。だから、疑似的冷戦対立構造みたいなものをうまく演出しながら支持を固めていくっていう手法で、自民党は2000年代以降政権を持続してきたと。

経済面で言えば、新自由主義路線の明確さについては、時代によって多少振れ幅があると思います。自民党らしさを発揮するという点について、疑似的な冷戦構造をうまく演出して、右派的ポピュリズム路線を取るっていうやり方で、ずっと党勢を維持してきた。統一協会の問題というのは、そういう疑似的冷戦構造を自民党が煽る、という政治手法をとったことの裏側に存在した影の部分だったわけですよね。反共っていうのは冷戦時代からあって、自民党の右派と統一協会の非常に密接だったっていう文脈があり、安倍の時代にさらにその結び付きが強化されたというわけですよね。特にその地方議会なんかも利用して、ジェンダー問題とか教育問題について草の根からの右傾化みたいな運動をやってきた。その問題の一端が暗殺事件でちょっと明るみに出たっていうことなのかなと思いますね。

今の裏金問題は、金の流れを透明化していく、あるいは大きなスポンサーが巨額の政治資金を提供していくということを防ぐ、という政治資金改革がある程度効果を表したことによって、パーティー券を売ることで派閥の活動資金を稼ぐっていう手法が広がったっていうことですよね。だから金の話はイデオロギーとはあんまり関係なくて、これはある意味、90年代の政治改革が効果を発揮したことの一つの表れという面もあるのかなという感じですよね。派閥のボスが自分で大企業を回って、いっぱい金集めするなんてことはもうできなくなったっていうことの裏返しで、パーティー券という話だし、その派閥メンバーの政治家に券を売らせるインセンティブを与えるためにはキックバックもするっていう話で、この辺のからくりっていうのは私らも全然見えてなかったですね。

住沢: 今言われたことの中で、山口さん、21世紀に入った世界的な先進国のポピュリズムの台頭で、日本は先駆けになったんじゃないかって話ですけども、ちょっと違うのはですね、例えばイタリアのベルルスコーニの体制にしましてもね、北部同盟の成立にしましても、あるいはフランスのル・ペン勢力にしても、従来の政党とは違うところでポピュリスト政党が出てくるわけですよね。

日本の場合は、その政党システムの中軸の自民党の枠組みが崩れずに、しかも社会の中からも、特に反中とか嫌韓の話がメディアの中で台頭してきます。グローバルな時代に全く逆行するようなおかしい議論がどんどん日本の中で盛んになってきました。今、維新の会の問題はありますが、総じて既成政党は水面下で扇動し、前面には出てきませんでした。

山口: 自民党の中でのその主流、非主流の交代っていう構図ですよね。つまり、清和会、安倍派っていうのは、基本的に、60年代以降の自民党では傍流だったわけですよね。で、あるいは、安倍という人は自分は傍流だ、非主流だっていうコンプレックスを非常に持っている人で、結局のところ、戦後の自民党政治というのは、経世会、宏池会プラス朝日新聞が作ったみたいな捉え方をしていました。自分は要するに隅の方、マージナルな存在だったっていう認識で、それに基づいて、2000年代以降、清和会政権が続く中で、教育基本法改正とか、ある種お家芸的なイデオロギー争点を取り上げてったっていうことですよね。だからそれは、ヨーロッパの場合はまさに新党って形でポピュリストが出てくるのに対して、日本の場合は自民党の中における派閥間の権力移動みたいな形で、右派ポピュリストが自民党を乗っ取ったみたいな構図になったんだろうと思いますね。

5.政治改革30年の到達点と喫緊の課題 その2:戦後民主主義の終焉後のデモクラシーとは

住沢: 2015年、安倍政権による安保法制による集団的自衛権の一部容認に対して、立憲主義の立場から大きな反対運動がおこりました。2017年の枝野幸男さんらの立憲民主党の成立もその流れですが、2022年の参議院選挙ごろには、世代的にも運動的にも、このサイクルは終えたというのが山口さんの最近の見解です。私も戦後民主主義の政治的遺産は消滅しつつあると思いますが、そうしますとその後のデモクラシーはどのようにして構築されるのでしょうか(その政策課題の質問は省略)。

ただこの議論の前に、政権交代を可能とする「大きな野党の塊」や選挙協力を創るためには、不幸なことに21世紀でもなお共産党との協力問題が様々な形で登場しています。『現代の理論』29号(2022年2月発信)では、2021年総選挙の総括を、とりわけ立憲民主党と共産党との選挙協力と合意文書に関して、山口さんと中北浩爾さんの論争的対談を掲載しています。

中北さんははっきりと共産党の路線転換なしには難しいという話になっていますが、市民連合を媒介して立憲民主党と共産党との選挙協力のための政策合意を模索した山口さんはどう考えるかという問題。

山口: 市民連合についての総括からいきますと、私はやっぱり2015年の安保法制反対運動から野党協力、野党共闘の動きが始まったというこの文脈っていうかな、この歴史的な経緯っていうのが、ある意味で強みになったし、別の面では決定的な弱みになったと思いますね。つまり、憲法9条みたいなネタで大いに盛り上がる市民はまだ一定数はいたわけですよね。それこそ住沢さんの世代とかにはまだまだ大勢いたと思いますね。安保法制を通されて、これは実質的な憲法改正じゃないかっていうことで、護憲の血が騒ぐみたいな感じで、安倍に対抗するためにはやっぱり野党勢力をかき集めなきゃいけないんだっていうことで、共産党も含めた協力っていう話になっていったわけですよね。私自身は昔風の護憲というのはあんまり好きじゃなかったから、90年代は創憲論とかね、平和基本法とか提起して、護憲派と結構喧嘩もしました。しかし、安倍が出てきて、しかもそれがすごい権力持っちゃったら、やっぱり人民戦線でしばらく戦うしかないかみたいな感じで、共産党との提携ももう積極的に追求したわけです。

ただ、これはまさに旧来型の護憲と同じで、ともかく国会、とくに参議院の3分の1を確保して明文上の改憲を食い止めるっていうところが精いっぱいだったわけで、やっぱり政権交代を目指すというような広がりはなかったし、政策的な新機軸っていうんですか、野党ならではの魅力的な政策みたいな話もなかなか出せなかったんですね。だから、やはり市民連合、野党共闘ってのは、基本的に3分の1を目指した旧来型の護憲運動を2010年代に再現したっていうところに意義と限界があったと私は思っています。その限りでは、共産党との協力は、かなり有効だったと思いますね。

衆議院選挙は、ちょっと別ですが、2016年と2019年の参議院選挙の1人区で、共産党と協力してある程度勝てたっていうのは、それはやっぱり負けるよりは良かったわけですよね。他方で、2021年の衆議院選挙で、野党共闘を全面的に展開した。そして立憲民主が負けたということを受け止めて、その野党共闘なり市民連合なりの根本的なイノベーション、刷新をしなきゃいけないんだけど、なかなかそれがうまくいかないんですね。

最近中北君にだんだん感化されるというか、政権を目指すのであれば、やっぱ共産党にも変わってもらわないと、選挙で勝てないのではないかと思いますね。つまり、共産党の内側から、政権をとるんだったら、いわゆる基本政策について見直す必要があるんだ、という問題提起をしたら、それが分党みたいなレッテル貼られて除名という話になっていくわけです。やはりそれは共産党自身でしっかり議論してクリアしてほしいと思うんですけどね。今のような共産党の体質が全面的に露呈された状況では、なかなか共産党と表で握手して、さあ頑張りましょうっていう格好の協力はしにくいなと思いますね。

住沢: 生活経済政策研究所が行っている、研究者と立憲民主党の政治家を中心とした「未来への対話プロジェクト」政治部門で、岸田首相による解散・総選挙の可能性もふくめて山口さんはどのような提言をされたのでしょうか。

山口: 今年衆議院選挙がある可能性大ですよね。で、その時にはやはり小選挙区でなるべく候補者を調整してかなきゃいけない。そこをどうクリアするかっていうことなんですね。それで、私は、この間泉さんが言っているミッション型の連立というビジョンを今は言うしかないだろうと思います。気宇壮大にいろんな政権ビジョンを作ってこれで世の中変えますよっていうのは、今言っても全然真に受けてもらえないわけで、とりあえずやっぱり自民党が今陥っているいろんな問題を打開していく。特に、政治と金をめぐる基本的なルールを変えていくということ。

それからもう一つは、安倍政権時代のいろんな問題ですね、「モリカケサクラ」みたいな権力の私物化は徹底的に究明していく、いくつかの改革やチェックをやって、言わば自民党に回復不能な痛手を与えることが当面の課題です。そのために連立政権を作るということで、私はとりあえずいいと思うんです。さっきおっしゃった金融とかね、経済とか人口減少とか貿易赤字とかね、産業衰退とかみたいな問題は、もうこれは本当に10年がかりの大仕事ってことになるわけで、今すぐ1回の政権交代で変えられるものではない。ともかく、自民党一党優位の土台にあるいくつかの問題を壊す、足場を崩すみたいな。これでやっぱり野党結集を言うしかないでしょう。とりあえず。

住沢: 自分たちで問題を作りだした政治、金権政治にしましてもね、安倍政権の負債にしても、そういう様々なマイナス点をどういうふうに修正するか、直せるかっていうのが最大の課題となるとは、日本の政治が貧困であることを表しています。いわば政治が社会や人々の要望に応えるのではなく、政治システムにしか向かい合っていないという状況ですよね。で、もう少し、将来の希望を与えるような政策提起というのはされなかったですか。

山口: それについては、もちろん問題は色々あることはわかるわけですよ。で、結局、バブルが終わって30年経つ中で、日本の世の中、本当に、おかしくなるっていうかね、衰弱しているわけで。私が最近新しい政策テーマの軸として強調しているのは、人口減少社会への対応という問題です。国立社会保障人口問題研究所の人口推計を見ると、もう本当に人いなくなっちゃうし、社会を回そうと思ったら人口の1割以上を外国人入れないと持たないよっていう未来像がはっきり見えてきているわけですね。

それで、自民党っていうのは、さっきも言ったように、疑似的冷戦構造の中で、家父長主義的、権威主義的イデオロギーでいろんな世の中の進歩と逆行するようなことばっかり言ってきたから、自民党には日本の未来を託せません。みんなが普通に家族を作って、男性も女性も対等に働いて暮らして、プラス外国人、1割の外国人を抱え込める社会構造を今から準備しなければなりません。

その中で雇用のあり方とか、その軸になる産業とかをどうするかという構造的課題について、やはりビジョンを示すことは野党側の責務です。だから、そこは自民党と対決しやすいテーマで、ビジョンを作る努力も当然しなきゃいけませんよねっていうことは申し上げました。

私がこういう話の時のネタで紹介する明るい話題として、大学生の変化があります。今の大学の3、4年生というのは、コロナ禍の時代に高校生だったし、高校時代に入試制度改革をめぐる大混乱をくぐって、結構世の中シビアに見ている人が多いことに驚いています。だから政治学入門のレポート書かせても、すごくセンスのいい人が増えたという実感があります。多数派とは言いませんけど。ダイバーシティーは今の若い子たちにとってはもう当たり前だし、ジェンダー平等も当たり前だし。しかも、大人に任せとくとろくなことやんないよっていう体験を持っている人が大勢いる。だから、これは大事だなと思う。

アメリカのZ世代みたいなのが話題になりますけど、日本にもZ世代はいると思います。それが、政治と関わるための道筋をどう作るかっていうことが、我々の側の課題だと思います。さっき言った家族モデルとかね、外国人の法的位置づけとかね、そういう問題は、やっぱり2060年、2070年まで生きる若い人に託そう。年寄りは口出ししない。そういう議論の仕方そのものを、変えていく工夫が必要です。私は最近、15歳から40歳の人間だけで作る新しい議会を作ろうみたいなことを提案しています。

それから、4月の衆議院の3つの補欠選挙について、簡単に触れておきます。自民党は島根1区でも大敗し、国民の自民党に対する批判が強いことが明らかになりました。立憲民主党は野党第一党の効果ということで、自民党批判の受け皿になった。しかし、楽観はできません。3年前のように、不人気な首相が自民党総裁選挙に出られず、退陣し、別の政治家を総裁、総理に据えて国民の批判をかわすという方法がまた繰り返される可能性があるからです。

この補選は、立憲民主党が全国政党として、自民党に対抗する旗頭になることを明らかにした点で、意味があると思います。だから、立憲民主党が、当面の政治改革やアベノミクスの清算について簡潔なビジョンを示し、他の野党、とくに国民民主党に働きかけることを望みます。

野党協力については、東京と地方で、勝利の方程式は違うわけだから、地域事情に合わせて多様な形を構築すればよいと思います。

住沢: 最後に少しの希望も交えたお話、どうも色々とありがとうございました。

やまぐち・じろう

1958年岡山市生まれ。81年東京大学法学部卒業、同年東京大学法学部助手。84年北海道大学法学部助教授・教授を経て2014年より法政大学法学部教授。専門は、行政学・政治学。著書に、『政治改革』(1993年岩波新書)、『日本政治の課題』(97年岩波新書)、『イギリスの政治 日本の政治』(98年ちくま新書)、『戦後政治の崩壊』(2004年岩波新書)、『内閣制度』(07年東京大学出版会)、『政権交代論』(09年岩波新書)、『政権交代とは何だったのか』(12年岩波新書)、『資本主義と民主主義の終焉』(2019年4月祥伝社、水野和夫との共著)、『民主主義は終わるのか―瀬戸際に立つ日本』(2019年10月岩波新書)、『民主主義へのオデッセイ』(2023年12月岩波書店)、近刊に『日本はどこで道を誤ったのか』(インターナショナル新書)、など多数。

すみざわ・ひろき

1948年生まれ。京都大学法学部卒業後、フランクフルト大学で博士号取得。日本女子大学教授を経て名誉教授。本誌代表編集委員。専攻は社会民主主義論、地域政党論、生活公共論。主な著作に『グローバル化と政治のイノベーション』(編著、ミネルヴァ書房、2003)、『組合―その力を地域社会の資源へ』(編著、イマジン出版2013年)など。

特集/内外で問われる政治の質

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