特集 ● 内外で問われる政治の質
ホロコーストから抜けられないドイツ
国際人道法が通用しないパレスチナ問題
在ベルリン 福澤 啓臣
1.ユダヤ人・教徒迫害の歴史
ドイツにおけるユダヤ人迫害の歴史/ホロコースト後のドイツ/ドイツにおける「記憶文化」
2.イスラエル国家の誕生
ドイツとイスラエル/ドイツの国是と国内の取り締まり/「連帯の原則」VS「パレスチナのための
哲学」/ドイツの国際人権法外交の限界
10月7日のパレスチナの武装集団ハマスによるイスラエル市民の虐殺(ポグロム)は、イスラエル建国以来ポグロムは二度と起こさせないという国の約束を信じていたイスラエル市民にとって大変なショックであった。そのためイスラエル軍IDF(The Israel Defence Forces)はハマス根絶のためにガザ地区に最大限の攻撃を仕掛け、多数のパレスチナ市民を巻き添えにしている。市民たちの悲惨な状況は国際人道法に違反している、とイスラエルは世界中から批判されている。
一方パレスチナ人からすれば、ユダヤ人が離散(ディアスポラ)を終えて、2000年前の故郷パレスチナにイスラエル国を再建するというー自分勝手なーシオニズム「物語」の被害者にされたのだ。そして長い間ユダヤ人・教徒が味わってきた難民生活および差別・迫害にさらされている。非力な彼らがイスラエルの圧倒的な武力を背景にした抑圧体制に対して、時には国際人道法を破ってまで抵抗するのも当然といえる。
人類史上最大のユダヤ人虐殺(ホロコースト=ショア)を実行したドイツは、その贖罪意識から、イスラエルの存在と安全は、ドイツの国是(Staatsräson=国家の基盤)であるとして、無限の支援を約束している。そのため、イスラエル政府の過剰反応に適切な助言や忠告を与えられないでいる。その結果、国際人権法(平時に適用)および国際人道法(戦時に適用)を外交の基本とするドイツは、国際社会からダブルスタンダードと批判され、信頼を失いつつある。国内では、ユダヤ人・教徒の身の安全を守りながら、イスラエル批判およびハマス連帯のデモや集会を取り締まるのに躍起となっている。
『現代の理論』誌ではすでにイスラエルとパレスチナ問題については金子敦郎氏が36号で「紛争75年、原点に返って永続和平を求めよ」、さらに37号で「許されない武力による領土拡張」と詳細に取り上げておられる上に、このテーマ自体が非常に複雑なので、拙稿が時には断片的になるが、ご容赦願いたい。
1.ユダヤ人・教徒迫害の歴史
2000年前にユダヤ人のイエス・キリストが新しい神の教えを説いた。それがキリスト教として広まり、ヨーロッパを支配する。すると、世界中、主にヨーロッパに離散したユダヤ人・教徒は、異教徒であるがために様々な差別と迫害を受けた。住む場所の制限(ゲットー)、集団虐殺(ポグロム)、職業の禁止、強制改宗、国外退去などである。ユダヤ教徒はこれらの迫害にもかかわらず、多数がトーラー(ユダヤ教の教え)を守って、各地で2000年を生き延びてきたのである。
「歴史的見地から<ユダヤ人>をユダヤ教を信じる人々と規定するならば、<ユダヤ教徒>と呼ぶべきであり、単に<ユダヤ人>と呼称するのは適当ではなかろう。
また<ユダヤ人>をある人種や民族と規定する見方は一九世紀以降のナショナリズムや社会進化論、また反ユダヤ思想の産物であり、もちろん正しくない。」(『ユダヤ人とドイツ』大澤武雄)
ドイツにおけるユダヤ人迫害の歴史
プロイセンではユダヤ人・教徒が全面的にドイツ人として認められるのは1871年のドイツ帝国創立による。法的にはドイツ人になったわけだが、多くの偏見による差別が引き続いて残っていた。しかし、その改革前には、ユダヤ人・教徒はキリスト教に改宗すれば、ドイツ人になることができた。何人かの有名人の例をあげてみる。
カール・マルクス(1818-1883)の父親が、1816年にプロテスタントに改宗した。その後カールも含めた子供達も洗礼を受けた。音楽家のフェリックス・メンデルスゾーンは1816年に父親が洗礼を受けさせている。ハインリッヒ・ハイネは1825年学生時代に自らキリスト教に改宗した。このように見てみると、ユダヤ人という人種が重要ではなく、ユダヤ教という宗教が決定的だったことがわかる。19世紀には多くのユダヤ人はドイツ人になろうとしていた。
しかし、様々な国々で迫害を受けたために、19世紀末にユダヤ系オーストリア人のナタン・ビルンバウムがユダヤ人を固有の民族として捉え、故郷の再建を考える。それを受け継いだユダヤ系オーストリア人のテオドール・ヘルツルがパレスチナのシオンの丘(ユダヤ教の神殿が存在していた)に帰るという運動を始めて、シオニズムと名付けた。この頃からユダヤ人・教徒がパレスチナへ移住し始める。
だが当時ドイツに住んでいたユダヤ人・教徒の多くはドイツ国民となろうとしていた。その意味で、第一世界大戦が勃発すると、自分たちがドイツ人であることを証明する機会ととらえて、ユダヤ系市民は愛国心に燃えて戦った。10万人(当時のドイツ帝国の人口は6500万人で、ユダヤ系の住民は約50万人)が徴兵に応じ、さらに1万人が志願兵として入隊した。この機会にユダヤ系の市民にも将校になる機会が与えられた。当時ユダヤ系の兵士は臆病なので、後方勤務の事務職ばかりに就いているというデマが広がったので、当局が調べたところ、10万人のユダヤ人兵士のうち7万8千人が、他のドイツ人と全く変わらない比率で、前線で戦っていた。戦死したユダヤ人は1万2千人であった。3万人が勇敢賞を授与されている。ただし、これらの統計数字は、当局は戦時中にはなぜか発表を控え、公開したのは戦後の20年になってからだった。
1933年のナチスの権力奪取以後ユダヤ人は公職から追放されたが、フォン・ヒンデンブルク大統領(元陸軍元帥)によるヒトラーへの苦情により前線兵役特権が設けられた。第一次世界大戦で戦った、あるいは父親か息子が戦死したユダヤ人の役人はとりあえず追放から免れた。だが、この特権も38年には無くなる。
ナチスの人種法(ニュルンベルク法)が1935年に定められた。これによって「ドイツ人の純血と栄誉を守る」ために、主にユダヤ人、さらにジプシー(シンティ・ロマ人)、黒人など―日本人は名誉アーリア人―との婚姻および婚姻外性交が禁じられる。ナチスは、優秀なアーリア人種の血を守るという偏見に凝り固まって、劣等人種とみなしたユダヤ人を絶滅する政策を推し進めたのだ。
ナチスによって殺されたユダヤ人の数は600万人と言われている。400万人はアウシュビッツなどの殲滅収容所で、200万人はドイツ軍が占領した地域で集団虐殺された。
アウシュビッツなどの殲滅収容所での「工業的なユダヤ人虐殺」はSS(ナチス親衛隊)などが秘密裏に行っていた。旧ソ連邦などでのユダヤ人大量殺害はSSのみではなく、国軍も関与していた。それまでユダヤ人虐殺はSSが実行したと言い伝えられていたが、2001年に国軍の積極的な加担を示すドイツ国防軍展(ハンブルク社会研究所による)がドイツで巡回されて、大きな反響を呼び起こした。
ドイツ政府の政治教育連邦センターによると、ナチスの支配下において殺されたユダヤ人の国別数は以下のようになる。
国名(ひらがな順) | 年 | ユダヤ人人口 | 殺された数 | 人口比 |
アルバニア | 1930 | 200 | 100 | 50% |
イタリー | 1938 | 46,000 | 7,500 | 16% |
エストランド | 1944 | 4,300 | 1,000 | 23% |
オーストリア | 1938 | 206,000 | 65,000 | 32% |
オランダ | 1941 | 140,000 | 102,000 | 73% |
ギリシャ | 1940 | 70,000 | 58,800 | 84% |
ソ連邦 | 1939 | 3,000,000 | 1,000,000 | 33% |
チェコスロバキア | 1930 | 357,000 | 260,000 | 73% |
ドイツ | 1933 | 500,000 | 165,000 | 33% |
ノルウェー | 1940 | 1,800 | 758 | 51% |
ハンガリー | 1930 | 445,000 | 270,000 | 61% |
フィンランド | 1942 | 2,200 | 7 | 0% |
フランス | 1940 | 300,000 | 76,000 | 25% |
ベルギー | 1940 | 90,000 | 25,000 | 28% |
ポーランド | 1939 | 3,400,000 | 3,000,000 | 88% |
リトアニア | 1939 | 150,000 | 145,000 | 97% |
ルクセンブルク | 1940 | 3,600 | 1,200 | 33% |
ルーマニア | 1930 | 757,000 | 287,000 | 38% |
レットランド | 1939 | 93,100 | 70,000 | 75% |
ユーゴスラビア | 1930 | 68,500 | 60,000 | 88% |
ドイツ第3帝国のユダヤ人の殺戮率が意外と低い。1933年には50万人のユダヤ人・教徒が住んでいたが、39年までに25万人ほどが国外に逃れたからだ。39年の数にすると殺戮率は66%になる。ユダヤ人の収容所への最後の輸送は1943年の3月に行われ、国内には1万5千人が残った。
劣等人種とされたユダヤ人だが、ちなみにノーベル賞受賞者を見ると、1901年以来2023年までの全受賞者965人の内、ユダヤ系の人々は170人になり、22%を占めている。米国だけを見ると、37%にもなる。全世界の人口に占めるユダヤ人の比率は0.2%なので、100倍の受賞率である。
ホロコースト後のドイツ
1945年から1949年の間に西側の占領軍地域で有罪の判決を受けたナチスは4419人。占領軍や他の国の裁判で有罪判決を受けたナチスは、合わせて5万人から6万人と言われている。
大戦後のドイツ(西)は、冷戦下の東西分割により社会主義国「東独」が誕生したこともあって、連邦政府による本格的なナチスの犯罪追及は行なわれなかった。ナチスの時代に働いていた法律家がたくさん居残って、司法界を牛耳っていたからだ。ドイツで最初のアウシュビッツ裁判が開かれたのは、フランクフルトの検事総長フリッツ・バウアー(ユダヤ系ドイツ人)の努力により1963年から65年にかけてである。被告たちは、殺人に直接関与したかが問われた。22名が起訴されて、211名のアウシュビッツ生存者が証人席に座り、初めて地獄の体験を公開の場で語った。6名の被告に殺人罪で終身刑の判決が下され、3名は無罪にされた。
ドイツ(西)で社会的にナチスの犯罪を追求し始めたのは、「68年世代」と言われる運動に参加した若者たちであった。彼らは、自分たちの父親がナチスの犯罪に加担していた戦争犯罪人だったのではないかと疑い、父親たちの過去を問い詰め始めたのだ。
1976年まで殺人罪の時効は20年だったのだが、殺人には時効がないと法律が制定されて、アウシュビッツ裁判が再開された。2005年まで1万6974人が起訴されて、6千556人に有罪判決が下された。
2000年ごろから収容所で直接殺戮に手を下さなかったSS警備員などにも裁判が開かれている。今年に入って3件の裁判が準備されている。起訴されているのは、強制収容所の元SS警備員であった99歳と101歳の男性、さらに101歳の女性である。彼らが実刑判決を受けた場合でも、実際に刑務所に入所するかどうかは被告たちの健康状態にかかっている。
ドイツにおける「記憶文化」
ドイツでは今でもナチスの犯罪に関して忘却の彼方に押しやられないように記憶文化(過去の過ちを忘れないように継承する)と称して様々な努力がなされている。テレビでもナチスの犯罪にまつわるドラマやドキュメンタリーが頻繁に放送されている。
「つまずき石(Stolperstein)」と呼ばれる運動がある。ベルリンなどの都市で道路を歩いていると、歩道の真ん中に埋め込まれた正方形の銅版(96mm X96mm X100 mm)につまずきそうになる。そこには、「何年から何年までこの住所にユダヤ人の誰々さんが住んでいた」と記されている。さらに「何年何月に連れさられた、あるいは(収容所に)移送された」と記されている。この「つまずき石」運動は1992年にグンター・デミング氏が始めた。現在ヨーロッパの30カ国に広まっている。2023年5月26日にはデミング氏はニュルンベルク市で10万枚目の「つまずき石」を埋め込んだ。
ドイツでは学校などにホロコーストの生き残りのユダヤ人を招待して語ってもらう語り部(オーラル・ヒストリー)も盛んだ。語り部の一人マーゴット・フリードレンダーさんは102歳になる。両親と弟はアウシュビッツで殺される。しかし、彼女自身は、1942年に母親から「お前は生きるんだよ」という言葉とともに住所録を受け取る。彼女は母親の友人宅を転々として逃亡生活を続けるが、44年にゲシュタポに捕まる。しかし、アウシュヴィッツへの輸送は既に終了していたので、他の強制収容所(幸いに殲滅収容所ではなかった)に送られる。そして45年に赤軍によって解放される。
長く米国に住んでいたが、20年ほど前に故郷のベルリンに帰ってきて、学校などでナチ時代の体験を語り続けている。筆者も一度聞いたことがあるが、彼女が少女時代の友達に話しかけるように当時の体験を語るのを聞くと、涙無くしては聞けない。そして、彼女はユダヤ人虐殺の記念式典があるごとに大統領や首相などに付き添われて、ナチスの大犯罪を忘れないように訴えている。さらに隣人への愛も。
2.イスラエル国家の誕生
1947年に国連総会はパレスチナ一帯をアラブ国家(パレスチナ)とユダヤ国家(イスラエル)に分割する決議を採択する。パレスチナおよびアラブ諸国は決議受け入れを拒否するが、イスラエルは直ちに48年に独立を宣言する。アラブ諸国はイスラエルに戦争を仕掛けるが、イスラエルに負けてしまう。この戦争で70万人のパレスチナ人が近隣のアラブ諸国に難を逃れる。さらに56年、67年(この6日間戦争でヨルダン川西岸地区はイスラエルにより、占領される。1993年のオスロ合意により、自治が認められたが、IDFに守られた超正統派ユダヤ教徒の入植により、占領に近い状態が続いている)、73年に周辺アラブ諸国と戦争をする。その度にイスラエルは領土を拡張していった。国連の勧告にもかかわらず、イスラエルはこれらの占領地域を部分的にしか、返還していない。イスラエルは現在本来の領土の3倍の面積を支配下に収めている。
その後、79年にエジプトと、94年にヨルダンと平和条約を締結。2020年には、UAE、バーレーン、スーダン、モロッコと国交正常化を果たす。昨年はサウジアラビアとも正常化寸前であったが、今回のハマスの襲撃で実現しなかった。
ハマス(スンナ派の原理主義者)は1987年にエジプトのムスリム同胞団から独立した組織で、また運動でもある。貧者救済、教育、医療などの社会福祉面で活動する。88年にユダヤ人殲滅、聖戦、殉死を宣言し、軍事部門が独立した。
1964年設立のパレスチナ解放機構(PLO)は、93年9月、イスラエルと相互承認を行い、暫定自治原則宣言(オスロ合意)に署名する。その後、西岸・ガザ地区ではパレスチナ暫定自治政府による自治が実施されている。パレスチナ(PLO)は国連において2012年以来オブザーバー国として認められている。
2004年にPLOのアラファート議長が死ぬと、2006年に選挙が行われ、ハマスは56%の票を得て、勝利した。ハマスのイスマイル・ハニヤがパレスチナ政府の首相(4月10日に同氏の息子3人と孫4人が、ガザ地区で空爆によって殺害された)になったが、国際的に承認されなかった。PLO(マフムード・アッバース議長)とハマスの内部争いが勃発し、結局PLOはヨルダン川西岸を、ハマスはガザ地区を実効支配することになった。それが今でも続いている。
2018年の統計によると、パレスチナ人は世界で1300万人いて、そのうち585万人がアラブ諸国に住んでいる。ガザ地区とヨルダン川西岸には491万人が住んでいる。イスラエルの人口は2023年現在974万人で、その内150万人はアラブ人である。彼らに兵役義務はない。
ドイツとイスラエル
ドイツはイスラエルと1965年に国交回復をする。連邦財務省によると、ドイツ政府が2022年12月31日までに、ユダヤ人被害者たちに対して支払った補償金の総額は12兆円にのぼる。
ドイツは米国に次いで多量の武器をイスラエルに供給している。2023年にドイツは490億円相当の武器を供与した。その反面、ドイツはパレスチナの難民にも資金援助をしている。
1950年以来500万人のパレスチナ難民に対して、国連パレスチナ難民救済事業機関UNRWAが人道支援をしている。3万人の職員が働いている。予算の半分は教育に支出されている。UNRWAの700の学校には50万人の生徒が通っている。UNRWAの予算は2021年には11181億ドル(1800億円)で、国ごとの出資率は米国28.48%、EU14.89%、ドイツ9.90%(約180億円)、スウェーデン4.56%、日本4.25%であった。
ガザ地区のUNRWAの職員(1万3千人)の中に10月7日のテロ攻撃に参加した者がいるというイスラエルの主張で、米国、日本、それにドイツなど17カ国がとりあえず支払いを停止している。カナダとスウェーデンは支払いを再開した。イスラエルは同組織の解散を求めている。しかし、同組織が活動を停止したら、220万人のガザの住民は生きていけないのではないか。
ドイツの国是と国内の取り締まり
2023年10月7日未明にハマスの3000人もの戦闘員がガザ地区の境界線を破って、イスラエルを襲撃した。乳飲み子や子供、女性など市民1139人を残酷に殺害した。そして240人を人質としてガザ地区に連れ去った。
イスラエルは、建国以来イスラエル国民の安全を国の基本としてきたので、ホロコースト以来の大量殺戮に大変なショックを受けた。そのため報復攻撃は徹底している。イスラエル軍はハマス絶滅と人質連れ戻しを目的として、10月28日から地上攻撃を開始した。その前にガザ地区の100万人以上の住民を北から南に移動させ、さらに水、食料、医療、エネルギーなどの供給を止め、あるいは極端に制限した。その結果飢餓状態が発生している。さらにハマスは長年の間に病院や学校の地下に設置してきた武器庫などに立て籠って戦っている。このように市民を盾にしたので、IDFの攻撃によって市民の間に大量の犠牲者が出ている。
ハマスの襲撃直後にドイツのショルツ首相は、イスラエルの存在と安全はドイツの国是(=Staatsräson 国家の基盤)であると宣言した。この言葉はメルケル首相がまず2007年に国連の総会で、さらに2008年にイスラエル議会(クネセット)の演説で発した。政治的には、イスラエルに対するドイツの無制限といってもいい責任を強調する意味で分かりやすく、受け入れられている。外交的にイスラエルを支援するのは当然だが、「いざとなればドイツから武器弾薬を提供し、さらに国防軍の派遣まで含まれる」とまで、ドイツ防衛大学のカルロ・マサラ教授は述べている。
この国是はドイツ国内にも適用されるが、それはドイツに住んでいるユダヤ人・教徒の身の安全を最大限に守ることを意味する。後述するように、ユルゲン・ハーバーマス氏は「連帯の原理」の中で「ドイツでユダヤ人が再び恐怖に怯えながら生きるとしたら、ドイツ人として耐えられない」と述べている。
だが、この国是という概念は法律専門家の間では、評判が良くない。まず国是という国の根幹に関わる重要事項ならば、本来ドイツの基本法に記されてしかるべきだが、全くない。そして、具体的に何を意味するのか分からないからだ、とゲッチンゲン大学のカイ・アンボス法学部教授は批判している。
ドイツ国内では政府は国是の方針を貫くために、ハマスの旗を掲げているデモは禁止か、即解散させている。またイスラエルへの批判でジェノサイドやアパルトヘイトの言葉が出た場合、禁止あるいは、厳しく取り締まっている。
10月7日の夜にはアラブ系の市民が多数住んでいるベルリンのノイケルン地区で数十人のアラブ系の若者が集まり、ハマスによるイスラエル襲撃を祝った。警察はハマスへの連帯コールなどが叫ばれると直ちに中止させ、解散させた。
10月13日に禁止されているにもかかわらず、ベルリンの中心広場で150人ほどが集まり、パレスチナ支援のコールを叫んだりした。ハマスの旗やシンボルが見られたので、警察は直ちに解散を命じた。さらに翌週の火曜と水曜日には数百人の無届けの集会とデモがあり、参加者がパレスチナへの支援とハマスの連帯を呼びかけた。そこではハマスの旗も振られた。警察はデモ隊と数時間にわたる市街戦同様の乱闘の末に194人を逮捕し、やっと解散させた。65人の機動隊員が負傷したと報じられた。その後も何度か同じようなデモがあり、機動隊と揉み合いを続けている。
12月14日のベルリンの新聞報道によると、ヨルダン西岸のパレスチナ住民の82%、ガザ地区の57%がハマスのテロ攻撃に賛成している。昨年9月の世論調査(パレスチナ政治世論調査センターPSRによる)ではハマスへの支持は西岸では12%に過ぎなかった。
今年2月24日(土曜)にベルリン国際映画祭で賞の授与式が行われた。そこで映画「No Other Land」がドキュメンタリー賞(4万ユーロの賞金)を受賞した。ヨルダン西岸地区でのパレスチナ住民が、イスラエル軍から自分たちの長年住んできた家を目前で壊され、抵抗もできないという状況を、パレスチナとイスラエルとノルウェーの映画人グループが長年記録してきた作品だ。受賞者はステージに呼ばれ、感謝の言葉を述べるのが通例だが、同作品の監督たちは壇上でイスラエルを激しく批判し、西岸とガザ地区の状況をアパルトヘイトでジェノサイドだと訴えた。すると、会場を埋めた2000人もの映画人たちは拍手し、パレスチナ住民への連帯を表明した。
映画祭の後で、観客の中にいたクラウディア・ロート文化長官(緑の党)とベルリン市長のカイ・ヴェーグナー(CDU)、つまり政府の代表者は全く反応しなかったと批判された。2日後の月曜日に二人は映画祭責任者を批判していたが、後の祭りだった。政府の予算で運営されている映画祭で、反イスラエルのパフォーマンスは許されない、と批判されている。
ベルリン自由大学のユダヤ人学生ラハヴ・シャピラ氏(30歳)が2月2日夜に同じ大学の学生から急に殴りかけられて、顔面骨折の重傷を負った。加害者は23歳の親パレスチナの学生が疑われている。同大学ではこれまでたびたびパレスチナ連帯デモが起こり、時にはイスラエルの存在を否定している。これらのデモに対して大学当局が禁止などの積極的な措置を取らなかったことに批判が集まっている。
IDFはガザ地区において10月28日から地上攻撃を開始したが、二週間後の11月10日のドイツの世論調査(ドイツ第二公共放送)によると、50%がガザ地区におけるイスラエル軍の攻撃は正当化できると答えた。翌年の3月22日の世論調査では、69%がガザ地区におけるイスラエル軍の攻撃はあまりにも市民の犠牲者が多いので、正当化できないと答えている。
地上攻撃から5ヶ月後の4月5日の段階で、パレスチナ人の死者は3万3千人以上にのぼっている。ガザ人口の75%に当たる170万人以上のパレスチナ人が家を追われて、野宿に近い生活を送っている。イスラエル人の人質はハマスに連れ去られた240人のうち123人が帰還した。なお100人以上の人質が拘束されていると見られている。IDFは軍事作戦で400以上のトンネルなど、3万以上の軍事施設を破壊し、20人以上のハマス幹部を殺害したと発表した。
「連帯の原則」VS「パレスチナのための哲学」
これまでにハマスのイスラエル襲撃以降二つの公開書簡が発表された。一つは哲学者ユルゲン・ハーバーマス氏(94歳)ら3名の声明文「連帯の原則」で、他方は米国の知識人たちによる「パレスチナのための哲学」だ。前者はドイツの国是に則ってイスラエルの軍事作戦を擁護し、後者はイスラエルを欧米の旧宗主国が設立した国家と見なして、パレスチナ人の戦いに解放闘争を見出すという対極的な立場に立っている。ある意味で第一世界と第三世界、あるいはグローバルサウスの戦いと見ることもできる。
ハーバーマス氏らの「連帯の原則」(2023年11月)は、ドイツの国是を分かりやすく「人間の尊厳を尊重する義務を志向するドイツ連邦共和国の民主的な自明さは、ナチス時代の集団犯罪に照らして、ユダヤ人の生命とイスラエルの生存権が特別な保護に値する中心的要素であるという政治文化と結びついている。」と説明している。最後に「自由と身体的完全性、人種差別的中傷からの保護に対する基本的権利は不可分であり、すべての人に等しく適用される。」とあるが、長年占領下にあり、さらにIDFによる国際人道法に抵触する攻撃に現在さらされているパレスチナ人の悲惨な運命については「パレスチナ人の運命に対する懸念がある中で、イスラエルの行動にジェノサイド的な意図が帰せられると、評価基準が完全にずれてしまう。」と、かえってイスラエルを擁護している。
11月末に世界各国の学者たち108人がハーバーマス書簡への批判を英国の新聞「ガーディアン」に発表した。
「私たちは、著者たちが表明した連帯の明らかな限界を問題にしたい。人間の尊厳に対する懸念は、声明文の中では、死と破壊に直面しているガザのパレスチナ市民には十分に及んでいない。」と批判している。さらに「紛争に参加するすべての者は、国際法規範、連帯、人間の尊厳の原則という高い基準に照らして評価されるべきである。」と締めくくっている。軍事大国とも言えるイスラエルに対する戒めとも理解できるが、非対称的なゲリラ戦法で戦うハマスには元々受け入れられない原則と言えるだろう。
同じく11月に400名以上の米国の知識人(アンジェラ・デイビス、エティエン・バリバール、ジューディス・バトラーなど)による「パレスチナのための哲学(Philosophy for Palestine)」と称する書簡が公開された。書簡は、「イスラエルによって、また私たち自身の政府(米国―筆者注)の全面的な財政的、物質的、イデオロギー的支援を受けて、ガザで犯されている急速にエスカレートする大虐殺を非難するために書いている。」とイスラエルによる進行中のパレスチナ人の大虐殺(ジェノサイド)と非難している。そして、10月7日のハマスの襲撃が出発点ではなく、それに至るまでの歴史を「ガザ封鎖は16年続き、ヨルダン川西岸とガザの占領は56年続き、パレスチナ全域におけるパレスチナ人の土地と住居の剥奪は、民族至上主義国家(ユダヤ人至上主義国家―著者注)としてイスラエルが1948年に建国されて以来、4分の3世紀続いている。」と捉えている。そして、最後に「私たちは哲学者仲間に、アパルトヘイトと占領に対する闘いとパレスチナとの連帯に参加するよう呼びかける。」と訴えている。
パレスチナの状況を大虐殺(ジェノサイド)、民族至上主義国家、アパルトヘイトとドイツ政府が全く受け入れられない言葉でイスラエルを批判し、パレスチナへの連帯を呼びかけた書簡だ。
この公開書簡に対して、ドイツのメデイアでは、左翼の日刊紙「TAZ」が12月に取り上げられている。まず「ユダヤ人至上主義国家」の批判に対して、「イスラエルの国民の20%はアラブ系で、軍隊にも入隊しているし、クネセット議会に二つのアラブ系の政党がおり、最高裁の裁判官にやはり二人のアラブ系の裁判官が座っている」、と反論している。そして、「確かにガザ地区でも西岸でもパレスチナ住民への抑圧と人種差別は日常茶飯事だが、(中略)ジェノサイドにもアパルトヘイトにも当てはまらない」と締めくくっている。
このパレスチナ連帯声明はドイツ国内にまで波紋を投げかけている。
署名者の一人でジェンダー研究の第一人者ジューディス・バトラー氏(両親はナチスの迫害を逃れて米国に移住したユダヤ人。UCLA大学バークレー校教授)は2012年にフランクフルト市から「アドルノ賞」を授与された。ハマスの攻撃についての彼女の一連の発言―同氏は、10月7日の攻撃をテロと呼ぶことに反対し、蜂起と呼んでいる―の後、彼女への「アドルノ賞」の取り消しを求める声が高まっている。
米国の著名な政治学者ナンシー・フレイザー氏が客員教授として今年の5月からケルン大学で講義をするはずだったが、4月になってから招聘を取りやめたとの大学の発表があった。同教授は、ナチスを逃れてきたユダヤ人の学者を多く迎えたニューヨークのニュー・スクール大学(ハンナ・アーレントもその一人だった)の教授である。
この背景には、上記の公開書簡へのフレーザー氏の署名がある。ケルン大学は、同氏に書簡から距離を置くように頼んだが、同氏は同意しなかったので、大学としては残念だが、招聘を取り消さざるを得なかったと発表した。同教授はドイツの新聞のインタビューで、ケルン大学の招聘取り消しは、「哲学のマッカーシズムだ」と批判している。
この後早速ドイツを含めた世界各国から150名以上の学者たちが、ケルン大学の措置に「政府が定めた明確なレッドラインを基準にして、問題があると思われる立場の学者を議論から排除しようとするさらなる試みである」、と抗議の声を上げた。
このように、この紛争はどこを出発点とするかによって見方は根本的に異なる。
10月7日のみを出発点にすると、ハマス(EUでもドイツでもハマスはテログループとして禁止されている)は、主にイスラエルの市民を1500人も殺戮し、人質を連れ去るという、大規模のテロ行為をした。人道法違反である。
それに対してイスラエルはハマスへの報復と人質を連れ戻すために、ガザ地区に軍隊を差し向け、テロリストを捕まえるか、また抵抗すれば、殺すのは国際法上許される。ところが、圧倒的な軍事力に対して非力な勢力が戦う場合には、自国民のあいだに隠れてしまうのが当然なので、軍隊は市民を犠牲にしてしまう。特にハマス側がIDFの主張するように、病院や学校などの社会的なインフラ施設(住民の避難所にもなっている場合が多い)にトンネルや軍事施設を設けている場合は、攻撃は非常に難しくなる。
そこで、今回IDFは住民たちを住居、さらに地域から退去させる戦術をとった。だが、その住民の数が200万人にも上る上に、元々外からの生活物資に依存してきたガザ地区なので、補給が問題になる。その補給は1949年以来国連組織UNRWAが実施している。だが、ガザ地区への国境通過はIDFがコントロールしていて、運び込まれる量を極端に制限している。その結果子供たちの間に飢餓が広がっている。このように見てみるとイスラエルの国際人道法違反は明白である。そのため国際的な批判が高まり、最大の支持国である米国でさえもイスラエルに、人道的な救援を怠らないようなら、武器供与なども含めて再検討する、と警告している。
国連安保理では4月18日にパレスチナの国連加盟を勧告している。米国の拒否で成立しなかったが、安保理15カ国中日韓仏を含む12カ国が賛成している。4月20日には、米政府がイスラエル軍の部隊をヨルダン川西岸のパレスチナ人に対する人権侵害で制裁を科す方針だと報じた。ネタニヤフ首相に圧力がかけられるのは、米国だけだが、その米国が動き始めたようだ。
4月21日現在IDSは、100万人以上のパレスチナ人が最後の避難所としているラファへの攻撃を準備中だと発表した。だが、果たしてイスラエルはハマスを根絶できるのだろうか。ハマスは軍事組織だが、運動でもある。そして、イスラエルのパレスチナ支配体制は、ハマスの予備軍を毎日養成している。パレスチナのためなら殉ずる覚悟だというパレスチナの子供や若者たちは後を絶たない。
ドイツの国際人権法外交の限界
4月8日にニカラグアがデン・ハーグの国際司法裁判所にジェノサイド幇助でドイツを訴えた。ドイツは米国に次いで多量の武器をイスラエルに供給しているからだ。上に記したように、2023年にドイツはイスラエルに490億円相当の武器を供与した。これらの武器を使ってイスラエルはジェノサイドを行っているから、ドイツは幇助の罪に問われるというのだ。ちなみに国際司法裁判所に米国は加盟していないので、訴えられないが、ドイツは加盟している。
ドイツがこれまで尊重してきた道徳外交の中心は、民主主義、国際人道法である。今回のイスラエルにベッタリの外交で世界の、特にアラブ諸国やグローバル・サウスから、欧米諸国のダブル・スタンダード(二重道徳)だと批判されている。
ドイツ国内では、そろそろイスラエルとドイツの関係を見直してもよいのではないかという意見も聞かれる。ベルリン新聞は4月18日の論説で、ドイツのホロコーストはすでに80年経過している上に、イスラエル自体も被害者という古いイメージではなくなっているので、イスラエル(強国―筆者注)の現実を直視したらどうかと提案している。
イラン・イスラム共和国(シーア派原理主義)が、イスラエルによる4月1日のイラン大使館爆撃に対する報復措置だとして、4月14日にイスラエルをドローンやミサイルで攻撃した。イランがハマスだけでなく、イスラエルの北の国境で攻撃を繰り返しているレバノンのヒスボラ(政治及び軍事組織)も政治的、また財政的に支援しているのは知られている。イスラエルにとって最大の敵は本来イランである。今回イスラエルはイランに多少反撃したようだが、両国ともまだ本格的な戦争を始める気はないようだ。
両国の戦争はドイツにとって新たな悩みが抱え込むことになる。ドイツは、経済制裁下にあるイランにとってヨーロッパにおける最大の経済パートナーなのだ。国際人権法に違反しているイランに対して、ドイツ政府は経済関係を止めていないと、人権擁護団体などから批判されている。イスラム体制に対してイランの女性たちは2年前から自由を求めて戦っているが、体制側から激しく弾圧されている。これまで1万5千人以上が拘束されて、800名以上の市民が死刑にされている。
米国は、ネタニヤフ首相に対して忠告から警告に態度を改めたようだが、ホロコーストに縛られたドイツからは目下のところ新たな動きは見られない。(ベルリンにて 2024年4月21日)
ふくざわ・ひろおみ
1943年生まれ。1967年に渡独し、1974年にベルリン自由大学卒。1976年より同大学の日本学科で教職に就く。主に日本語を教える。教鞭をとる傍ら、ベルリン国際映画祭を手伝う。さらに国際連詩を日独両国で催す。2003年に同大学にて博士号取得。2008年に定年退職。2011年の東日本大震災後、ベルリンでNPO「絆・ベルリン」を立ち上げ、東北で復興支援活動をする。ベルリンのSayonaraNukesBerlinのメンバー。日独両国で反原発と再生エネ普及に取り組んでいる。ベルリン在住。
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