特集 ● 内外で問われる政治の質
現代日本イデオロギー批判 ―④
排外主義的民族主義は混乱を糧として成長する
衆議院補選東京15区の茶番劇に潜む魔物の正体
神奈川大学名誉教授・本誌前編集委員長 橘川 俊忠
安心するにはまだ早い
4月28日に投開票が行われた衆議院議員補欠選挙は、事前の世論調査の示した通り、立憲民主党の候補が当選して終わった。東京15区は、自民党選出議員が、汚職容疑、公職選挙法違反で辞任に追い込まれ、自民党は公認候補の擁立をあきらめざるをえなかった選挙区であった。島根1区は、自民党安倍派の領袖たる政治家が、統一教会との関係や政治献金・裏金問題にうやむやな対応に終始し、厳しい批判にさらされている最中に急死したことによる選挙であった。長崎3区では、政治献金・裏金問題で追及され、マスコミへのパワハラ対応も重なって議員辞職に追い込まれた末の補欠選挙であった。
自民党は、東京と長崎では、勝ち目がないと見て立候補すら見送った。しかし、島根は強固な保守基盤を誇ってきた選挙区であり、衆議院議長を務めた派閥の領袖たる「大物政治家」の「弔い選挙」とあっては、メンツ的にも候補者を立てないわけにはいかなかったのであろう。選挙戦中にも首相・党総裁を先頭に大物あるいは人気政治家を次々と応援に送り込んだが、劣勢挽回ならず、立憲民主党候補に「予想外の大敗」を喫した。
昨年秋から問題にされ続けてきた自民党の派閥ぐるみと言っていい政治資金パーティーのパーティー券売り上げのキックバック問題は、政治資金裏金化問題へと発展し、事実の隠蔽・会計責任者への責任転嫁・派閥幹部たちの口裏合わせ、政党活動費を含めた不透明な政治資金の動き、法の欠陥の陰に隠れた居直りなど、不都合な事実が次々と明らかになった。しかし、選挙直前まで、自民党は事実関係解明への消極姿勢、対応の遅れ、改革意識の欠如ばかりが目立ち、選挙民の不信感は解消に向かうどころか、増大するばかりであった。防衛予算の増額や武器輸出規制の緩和などは国会の十分な審議すら行わず、閣議によって決定済みという既成事実を積み上げる一方、看板に掲げていたはずの「子育て支援」については、未だに財源も国民負担額も明確に示されない。鳴り物入りで喧伝された賃上げも、急激な円安を一因とした物価上昇によって、実質マイナスに陥ってしまった。
このような状況で、自民党が選挙に勝つと考えていたら、それほど能天気なことはないだろう。もし、万が一にも自民党が勝利したということにでもなれば、この社会には夢も希望も無くなるところであった。
そんなわけで、三つの補欠選挙の結果は、野党の勝利という、一見したところ真っ当な結果に終わった。この結果は、当然自民党とその政権にとっては、相当な衝撃となり、政界は政権交代含みのいわゆる「政局」になるかならないかが焦点となってきた。マスコミは、解散総選挙はあるのか、岸田政権は延命可能か、次期自民党総裁候補には誰が登場するのかなどという問題に報道の重点を置き始めた。野党の中にも、この勢いに乗って、自民党内の疑似政権交代ではなく、政党間の本格的政権交代を実現すべく活動を開始すべきであるというような議論が起き始めた。
しかし、今回の補欠選挙で問われた問題は、そんな政局的レベルで済むような問題ではない。もちろん、政治資金をめぐる問題の徹底的事実解明、その上での責任の明確化、再発防止のための法律・制度の改革という課題は積み残されたままだし、その解決なしには政治への、そして民主主義への信頼も回復されない。そういう視角から今度の補欠選挙の全体を検討するとき、どうしても看過できない問題がある。東京15区で見せつけられた選挙そのものの混迷ぶりである。
まるで選挙狂騒曲というしかない
東京15区は、前述した通り、自民党選出衆議院議員の相次ぐ逮捕・起訴という不祥事に区長選挙での選挙違反事件が重なり、自民党は候補者すら立てられないという事態に陥っていた。その空白を埋めるべく、野党のみならず、かつてなら諸派として泡沫扱いされたような諸党派が競って候補者を立て、その結果、9人もの候補者が乱立することになった。選挙結果で得票数の多い順で並べると、立憲民主党から立候補し、日本共産党が支援に回った酒井なつみ、立憲民主党参議院議員を辞職して無所属で立候補した須藤元気、日本維新の会の金澤ゆい、日本保守党公認候補の飯山あかり、都民ファーストの会が擁立し、国民民主党が推薦した乙武ひろただ、参政党の吉川ひな、無所属で元自民党選出議員のあきもと司、N国党の福永かつや、つばさの党の根本りょうすけ、以上の9人である(候補者の氏名表記は、選挙管理委員会への届け出の表記に従った)。
こうした候補者や支援者は、過剰情報化社会とでもいうべき情報環境を意識して、目立つことが票集めの基礎となるとばかりに、派手なパフォーマンスを繰り広げた。中でも、つばさの党の根本とその支援者たちは、選挙妨害の疑い濃厚な他党候補への攻撃を繰り返し、それだけで選挙の話題を独占した感すらあった。それは、自らの当選よりは、選挙の混乱を狙った、政治的トリックスターの役割を担ったというべきであろう。
実際、これらの候補者の叫ぶ「思想信条」に類したスローガンや言葉の数々を並べてみても、政策の体系性や一貫性もなく、いったいどこに思想的基軸があるのか一向にわからない。対立しているかに見える候補者同士にも、どこが決定的な違いなのか分からないほど同じような言葉が使われる。
たとえば、もっとも悪目立ちしたつばさの党の場合、AIによって抽出した言葉を羅列したとみられるウィキペディアの同党の政治的思想・立場の項を見ると、「右派・極右、右翼ポピュリズム、反移民、保守主義、緑の保守主義、反中、反グローバリズム、反ワクチン、直接民主主義、脱原発、消費税廃止、陰謀論」などの言葉が並べてられている。同じように、参政党の政治的思想・立場の項では、「右派・極右、右派ポピュリズム、保守主義、ナショナリズム、反グローバリズム・移民、反ワクチン・陰謀論・自然派」などの言葉が並び、ちょっと見にはどこが対立しているのか分からない。いちいち各陣営の「政治的思想・立場」を並べて比較するのも面倒なので、この二つの党だけを取り上げたが、程度の差はあるが、日本保守党、維新の会、都民ファーストの党派としての立場や無所属の須藤の主張にも、この二党の立場に近い内容が相当に含まれている。
さすがに、議会政党として地歩を固めてきた立憲民主党や日本共産党は、これらの諸党派とは、明確に一線を画して「まっとうな政治」の実現を訴えていたが、その呼びかけは、乱立候補者たちの狂騒の中でかき消されがちな印象をぬぐえなかった。得票数を見ても、2位以下に大差をつけての当選といっても、投票総数の28%あまりにとどまり、完全な圧勝というわけにはいかなかった。
また、もう少し勝負になると予想された乙武も、支持母体の都民ファーストと実質的な党首である小池東京都知事の自民党との曖昧な関係がマイナスに働き、右派ポピュリズム的選挙手法もかえって右派諸党派の宣伝選挙の中に埋没することにしかならなかった。その結果、国民民主党というれっきとした議会政党の支援も受けながら、無所属の須藤、維新の金澤、日本保守党の飯山にすらとどかず、5位と惨敗した。
本来この補選は、統一教会との関係や政治資金パーティー裏金化問題など安倍政権以来続いてきた自民党政治の腐敗・機能不全を問い、特に政治資金不正に対する政治家の責任を問う制度改革こそが中心的争点になるべき選挙であった。ところが、選挙戦は、陰謀論あるいは陰謀論まがいの危機アジリと似た者同士の非難中傷合戦ばかりが目立ち、本来の争点はどこかにいってしまった。メロディーもリズムもでたらめな騒音と化した狂騒曲の中で、「このままでは日本はダメになる」という危機アジリの怒声だけが響き渡る、混乱・混迷の選挙が現出したのである。
「何が言われたかは、ほとんど問題ではない」?
ところで、東京15区の立候補者のうち、どれだけが本気で当選するつもりだったのだろうか。実際に当選した立憲民主党の酒井はそのつもりだったであろう。都民ファーストの乙武も選挙後の本人や支援者たちの落胆ぶりからすると、当選を目指していたと見てよさそうである。維新も党としては多少の可能性を期待していたかもしれない。しかし、それ以外の候補者や支援者・組織は、最初から当選を期待していたようには思えない。
予想外に2位になった須藤は、選挙後に「すべて出し切った、悔いはない」と満足げな表情をみせていた。日本保守党の飯山本人は、相当疲弊したようであるが、共同代表である河村たかし名古屋市長は、「保守党が他の既存政党、政党交付金をもらっているところとほぼ同等の力があると分かった」と、これも選挙で成果をあげたと自賛した。N国や参政党は、国政選挙では、できる限り多数の候補者を立て、党の知名度をあげ、比例区で議席を確保し、河村のいう「政党交付金をもらう政党」になるという戦略をとり、選挙区での当選は今のところ見込んではいない。さらに、つばさの党は、最初から悪目立ちを狙っていた節があり、次回選挙でも同様の選挙戦術をとると公言している。
こう見てくると、少なくとも極右とか保守ポピュリズムとかいわれる政治党派は、この補欠選挙で議席獲得の意欲や見通しを持っていたとは、とうてい思えない。それでは、何を狙って立候補したのか。もちろん、選挙は、議席の獲得だけではなく、自分の政治的見解・政策をできるだけ多くの選挙民に直接訴える主張の場・機会でもある。当選の可能性がどんなに低くても、その場・機会を生かそうとすることは、権利でもあり、多様な意見の自由な表明を前提とする民主主義の大事な機能を担うことでもある。また、ただの街頭演説では、迷惑がられたり、無視されたりすることがあっても、選挙となれば公職選挙法に「保証された」選挙運動としてより大規模な言論活動が可能になる。N党や参政党は、その機会を最大限に活用して、政党交付金をもらえる政党に成り上がった。そこから教訓を得た団体が登場しても不思議ではなかった。
その結果、多少資金もあり、宣伝の機会を狙っていた「新型」の保守・右翼団体が選挙に参入し、乱痴気騒ぎのような選挙戦が展開することになった。「新型」というのは、大音量で軍艦マーチを流しながら街宣車から軍国主義へのノスタルジー丸出しの反共演説を繰り返す旧来型に対して、陰謀論をベースにして環境問題・医療・ワクチン問題などを掲げ、ポリティカルコレクトネス批判や差別反対運動への批判に言論の自由というオブラートをかぶせ、インターネットを駆使するお騒がせタイプのユーチューバー的宣伝にたけているという点で「新型」の保守・右翼ということである。それが、今回の東京15区の補欠選挙では、そういう「新型」の保守・右翼候補の得票を総計すると立憲・共産候補の倍以上の数字になった。つまり、この補選を、「リベラル対保守・右翼」という政治勢力の対抗という観点から総括すると、3対7の割合で後者の勝利ということになってしまうのである。
もちろん、この結果は、いわば偶然の結果であって、保守・右翼諸党派間で暗黙の了解なり、秘密の協定などがあった結果というわけではない。候補乱立の騒擾状態が、たまたま相乗効果をあげたというのが実態であろう。各党派・陣営の政治的立場や主張を見ても、それぞれの立場や主張に内部矛盾もあれば、一貫性もない状態で、連合しようにも連合の基盤すら明確ではない。あるのは、「このままでは日本はダメになる」という漠然としたナショナリストの危機感だけである。
だからといって、この補選の状況や結果を、とにかく「リベラル」が勝利したからいいだろうと楽観しているわけにもいかない。少しばかり、理屈っぽくなるが、現代ナショナリズム研究者として国際的に高く評価されているアーネスト・ゲルナーの次のような分析を参照してみよう。
ゲルナーは、ナショナリズムの形成におけるメディアの役割について重要な指摘をしてきたが、その彼によれば、「何がメディアに供給されたかは、まったく重要ではない。重要なのはメディアそれ自体なのである。つまり、問題は、その浸透性や、抽象的で集権化され、標準化された一から多へのコミュニケーションの重要性であり、伝達される個々のメッセージの中に、何が具体的に含まれるかといったことに関係なく、そうしたコミュニケーションそのものが自動的にナショナリズムの中心的な観念を生み出す」、そして「その中心的なメッセージとは、伝達の言語とスタイルとが重要であるということ、それを理解できる者、あるいはそういった理解力を獲得できる者のみが、一つの道徳的で経済的な共同体に加わることができ、そしてそうしない者やできない者はそれから排除されるということなのである」(『民族とナショナリズム』岩波書店)という。
つまり、「実際に何が言われたかは、ほとんど問題ではない」のであって、重要なのは「伝達の言語とスタイル」だというのである。「伝達の言語とスタイル」とは、聞く者の耳に入りやすく、分かったような気にさせる言葉と表現方法と言い換えてもよい。現代の日本社会では、「臣民」や「赤子(せきし)」ではなく「絆」とか「仲間」、軍艦マーチではなくJポップやロックといった言葉や音楽、それに世界中に蔓延して陰謀論のおまじない言葉になった「ディープステート」の策動といったストーリー、これが重要だということになる。
ゲルナーの主張の学問レベルの当否はともかく、かれの主張が現代日本の言論状況の一つの側面を照らし出していることは、まちがいない。なにしろ、政治の世界では、明確な違法行為でなければかまわない、都合が悪ければ知らぬ、記憶にないと言い抜ける、直ちにあるいは迅速に対応するではなく、「スピード感」をもって対応するというような誤魔化しばかりが横行し、ネット上では、論破という勝ち負けだけにこだわった論理ならぬ屁理屈合戦が論争にとってかわる、こういう状況は、俗耳に入りやすい言葉と疑似論理が蔓延しやすくなること請け合いである。
保守・右翼諸団体・党派の主張や論理の矛盾や不整合は、ナショナリズムにとってはたぶん本質的な問題ではないのであろう。一見、厳しく対立しているかに見えても、話題や注目を集め、ナショナリズム拡大の雰囲気を醸成することに成功したと、ほくそ笑んでいるニヒルなナショナリストがどこかにいるとしたら、けっこう怖い話ではある。
考えたくないディストピア
今日本では、あまり考えたくない未来として「もしトラ」という言葉がマスコミ上に流れている。今年秋のアメリカ合州国大統領選挙で、もし共和党のトランプ前大統領が当選したらどうなるか、ウクライナやガザでの悲惨な戦争はどうなるのか、世界の分断と不安定化はすます深刻化し、日本にも対米従属の圧力が強まるのではないか、何よりも合州国に深刻な分裂が走り、内戦の危険すら生じかねない、等々、近未来の暗い見通しへの危惧をその言葉は表している。
この「もしトラ」が、合州国のディストピア(反理想郷)だとすれば、日本の場合はどうか。陰謀論・自国第一主義・排外主義・差別主義・反科学主義などトランプ周辺の疑似思想的要素をあげていくと、それらの諸要素が「新型」右翼・保守の政治的思想・立場と共通点が多いことに気付く。ただ、日本は大統領制ではないので、全国規模でそれらの勢力が一気に登場することは考えにくいが、国政選挙のたびに、「選挙の15区化」が進みかねない危うさはあるかもしれない。もし15区化が進めば、河村たかし名古屋市長が選挙総括で言っていたように、「新型」保守・右翼勢力が、政党助成金交付政党になり、ますます声高にナショナリズムを煽り立てるようになるだろう。そんな選挙の状況は、想像したくもないが、まったくの杞憂とも断言できない。
河村市長に、明確にそういう意図があるかどうかはわからないが、最近の「祖国のために命を捨てるのは道徳的行為」などというプーチン露大統領まがいの発言など、どれくらいの右翼的言辞が現在の許容範囲かを測定するために発せられているようにすら見える。雰囲気を醸成し、共感する者を増やし、対立するものを排除する、ゲルナーの指摘するような事態は確実に広がっている。今回は失敗したように見える、維新が繰り返した「立憲をたたきつぶす」発言は、まさに排除の論理そのものであった。自民党政治批判を中心とすべき選挙を、保守ナショナリストの仲間に入ろうとしないものとして排除する選挙にしようとした姑息さが反発を呼んだという点では評価しうるにしても、前述のような全体的得票状況はけして好ましいものではなかった。
歴史を振り返ってみると、ヒトラーのナチス党も、最初はドイツ南部ミュンヘンの小さな極右政党に過ぎなかった。かれらは、国際情勢の緊迫と国内の政治的不安定化による混乱を「糧」として勢力を拡大し、政権を掌握し、全世界を戦争の泥沼に引きずり込んでいった。歴史は簡単には繰り返すものではないが、しっかりと記憶にとどめておくべきことである。
きつかわ・としただ
1945年北京生まれ。東京大学法学部卒業。現代の理論編集部を経て神奈川大学教授、日本常民文化研究所長などを歴任。現在名誉教授。本誌前編集委員長。著作に、『近代批判の思想』(論争社)、『芦東山日記』(平凡社)、『歴史解読の視座』(御茶ノ水書房、共著)、『柳田国男における国家の問題』(神奈川法学)、『終わりなき戦後を問う』(明石書店)、『丸山真男「日本政治思想史研究」を読む』(日本評論社)など。
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