論壇
シャルリ・エブド事件と文学的想像力
テロリストの内面に迫る陣野俊文『泥海』の世界
関東学院大学客員研究員 神谷 光信
シャルリ・エブド事件の衝撃
2015年1月7日、イスラム過激派のテロリストが、風刺新聞『シャルリ・エブド』編集部を襲撃し、「神は偉大なり」と叫びながら編集長など12人を自動小銃で殺害した。同紙はムハンマドの風刺画を掲載し、ムスリムの反感を買っていた。現場から逃走し、立てこもった印刷所で2日後に射殺された犯人は、サイード・クワシ(35歳)とシェリフ・クワシ(33歳)という兄弟だった。彼らはアルジェリアからの移民の子で、パリ郊外という、問題が集積する地域に育った者たちだった。また、彼らが射殺された同じ日に、ユダヤ食材スーパーが襲撃され、人質にとられた買い物客のうち4名が殺される事件が発生した。射殺された犯人アメディ・クリバリは、シェリフ・クワシの知人だった。シャルリ・エブド事件とは、これら一連の事件をさしている。
本稿は、事件に取材した陣野俊史(1961‐)の小説『泥海』(2018)を論じるが、事件そのものが複雑な政治的背景を持つため、論述の手続きとして、まずはジャーナリストと研究者による事件の分析を参照しておきたい。
人はテロリストに生まれない
『テロリストの誕生:イスラム過激派の虚像と実像』(2019)を著したジャーナリスト国末憲人(1963‐)は、綿密な取材を重ねることで、シャルリ・エブド事件とその後のフランスでのテロの全体像を描き出している。500頁の本書を超える仕事は、現時点では見当たらない。著者は、シャルリ・エブド事件の実行犯、クワシ兄弟と、アメディ・クリバリの生育歴から人間関係まで、実に詳細に調べ上げ、その人間像を鮮明に浮かび上がらせている。また、事件の顛末をめぐる記述は臨場感に満ちており、読者を引き込む筆力がある。
フランス文学者宮下志朗(1947‐)は「ジハード主義や国際情勢というマクロの視点と、テロリスト個人の心理・環境や欧州が抱える問題に注目するミクロの視点」を対置した本書を「仏語圏テロリズムの全体像解明の試みとして重要」と評価している(『讀賣新聞』 2019年11月24日)。
朝日新聞ヨーロッパ総局長である国末は、前作『自爆テロリストの正体』(2005)で、すでにアルカイダのテロリストについて独自の取材に基づいた見解を公にしていた。イスラム過激派の自爆テロ実行犯が、大義に殉じた貧しく純粋な若者であるというナイーブな捉え方に著者は疑問を呈し、麻薬中毒者や刑務所に何度も入るような、劣等感に駆られた若者が、イスラム教を騙るカルト的な組織に取り込まれて実行犯になったと結論している。彼らはいわば「チンケな若者」であり、「国際テロリスト」というような大層なものではない。それがアルカイダの実態というのだ。
同書でアルカイダの妻を取材した著者は、彼女が読んでいたフランス人ジャーナリスト、ティエリ・メサン『恐るべきペテン』(2002、未邦訳)を、論ずるに値しない謀略説の書物であり、9・11テロの「イスラエル陰謀説」は「報道の自由が未発達で噂が先行しがちなアラブ各国で信じられているばかばかしい妄想だ」としている。新刊においても、イスラム教徒のなかには、イスラエル人、ユダヤ人、ユダヤ教徒を同一視し、ことあるごとに、ユダヤ=イスラエルの陰謀という噂が拡がることがあり、シャルリ・エブド事件でも、9・11事件のときと同様、イスラエルの陰謀という噂が拡がったと記している。
新著において著者は、イスラム過激派のテロは、ヨーロッパの民主主義、人権、国際法支配などの理念に対する挑戦と見なす。テロを支えるジハード主義は、グローバリズムにより自らの価値観や道徳観が揺らいだイスラム社会の反作用である。社会主義のイデオロギーが影響力を喪失し、代わりに宗教が人々の関心を惹き、イスラム主義の台頭を促したという。
イスラム過激派は反グローバル化勢力であり、イスラム主義やISの台頭は「アラブの春」というグローバル化運動の反作用という側面がある。貧困や差別、パレスチナ問題等は、テロの原因ではなくテロリストの口実である。国末の考えでは、テロの根本的原因は、貧困でも差別でもなく、過激派のネットワークである。
テロの背後にあるイスラム過激思想は、西欧のリベラル・デモクラシーばかりか、社会主義、ファシズムにすら見劣りがするゆえ、欧米の価値観を揺るがせるものではありえない。そして、テロリズムとは、軍隊が対処する安全保障問題ではなく、あくまで警察が対処する治安問題なのであり、テロの危険を少なくすることは充分に可能だと著者は説いている。
受益者イスラエル
中東・イスラム研究の第一人者である板垣雄三(1931‐)は、シャルリ・エブド事件の結果、最大の利益を得たのがイスラエルであることに注目する(「共滅する欧米中心主義と日本」『現代思想』2015年3月臨時増刊号)。当時、イスラエルは前年のガザ攻撃で国際的孤立を深めており、国際刑事裁判所ICCへのパレスチナ加盟により、戦争犯罪が追求される状況にあった。イスラエルはそれを阻止しようとパレスチナへの代理税収引き渡し停止などを講じたが、国連は申請文書を受理し、パレスチナが正式に加盟国となる運びとになった。
イスラエルを取り巻くそのような危機的状況が、事件で一挙に解消された。世界は事件に目を奪われ、イスラムフォビアを利用した「対テロ戦争」が強調され、イスラエルの国際的孤立状況は解消した。ネタニヤフ首相は、パリで行われた犠牲者を追悼する各国首脳の行進に参加し、フランス国内のユダヤ人たちに、イスラエルへの移住を呼びかけることまでできたのである。
国末は陰謀論として歯牙にも掛けないが、シャルリ・エブド事件が国家権力犯罪、いわゆる「偽旗テロ」であった可能性を、板垣は排除していない(ケヴァン・バレット『シャルリ・エブド事件を読み解く:世界の自由思想家たちがフランス版9・11を問う』板垣雄三監訳、第三書館、2017年 解説)。日本中東学会会長として斯界を牽引した重鎮の見解として重く受け止める必要があるだろう。
欧米とイスラム主義勢力の相互依存
現在のアラブ諸国体制が、第一次世界大戦後にサンクス・ピコ協定(1916)により、欧米が分割した人工国家体制であることはよく知られている。さらに第二次世界大戦後、そこにイスラエルが組み込まれ、アラブ諸国とイスラエルという不安定な状況が作られた。
中東近現代史研究者栗田禎子(1960‐)は、事件をきっかけに、フランス国内で「近代ヨーロッパの啓蒙的価値観対それを認めないテロリスト」という図式ができあがり、「対テロ戦争」の正当化が進んだことを警戒した(栗田禎子・西谷修「罠はどこに仕掛けられたか」『現代思想』2015年3月臨時増刊号)。国末は9・11以後の「対テロ戦争」には批判的だが、彼の新著が、基本的にはこの対立図式から書かれていることは、先に確認したとおりである。
イスラム主義に拠らない「アラブの春(2011)は、対立関係にあるはずのイスラム主義勢力と欧米が、実は一緒になって中東を混乱させていることが現地の民衆に看破された結果生じたものである。それゆえイスラム主義は一時的に力を失ったが、民衆の運動を封じ込めるために、それがふたたび使われるようになったと栗田は分析する。イスラム主義そのものを「アラブの春」の反動とする国末の見解とは微妙に異なっている。
栗田に依れば、「アラブの春」で欧米の看板である「対テロ戦争」が色褪せた。そのため、現在のアラブ諸国体制が崩れても、中東に宗教的分裂状況を再創出し、アメリカとイスラエルが中心に軍事介入できる混乱状態に戻すシナリオが生まれた。シリアがその舞台となり、欧米はイスラム主義勢力の反体制派に援助を行った。それゆえ、ISは「欧米諸国とシオニズムによる合作の産物」とする見解が中東にはある。ISの機能は、欧米の中東への軍事介入を可能にすることであると栗田はいう。
共和国の自己像と実像
イスラム研究者中田考(1960‐)は、イスラム過激派のテロリズムは、欧米製のアラブ諸国体制衰退に伴うイスラム世界の反応ゆえ、文明論的視座による対応が必要であり、単なる治安問題に矮小化してはならないと指摘する(「イスラーム国を封じ込める」『現代思想』2016年1月臨時増刊号)。
イスラムが持つ力とは、軍事力ではなく、西欧の支配を告発する道義的力である。自由、平等、民主主義などを掲げる西欧の美麗な自己愛的イメージの裏には、非西欧世界の貧困、抑圧、不平等の「元凶」という醜悪な実像がある。それが暴かれ「無理矢理に自己の実像と向き合わされることへの恐怖」が「イスラムの脅威」の真相であると中田は喝破する。自由・平等などを普遍的理念として掲げながら、いざ問題が生じるとそれを無視する欧州諸国のなかでも、共和国の理念を掲げるフランスは、とりわけイスラムの反感を買う国なのである。
「テロ」を語ることで隠蔽されるものがあると、別の論考で中田は述べている。テロとは権力関係から治安問題に争点をすり替える「権力の常套句」なのである。ISとテロを結び付ける言説が隠蔽するもの、それは「イスラーム国〔IS:引用者註〕が掲げるカリフ制の理想(イスラーム国の現実の実態ではなく)こそが西欧が共存を目指すべきムスリムの共同体であり、それを敵視するイスラーム世界に存在する領域国民国家群が、イスラームに反するのみならず、西欧的な民主主義や人権や自由とも無縁な不正で腐敗した抑圧的独裁国家に他ならず、カリフ制の再興を阻止する為にそれらの諸国を支持することで、西欧は自らの理想を裏切っているという事実なのである」(「価値観を共有しない敵との対話は可能か:イスラーム国との場合」『現代思想』2015年3月臨時増刊号)。
中田の透徹した認識は説得力に富み、建前上は少なくとも西欧近代の価値観を存立基盤とする日本社会に生きる我々を震撼させる。欧米が実は日本の別名であったとすれば、イスラム過激派のテロ事件は決して対岸の火事とはいえまい。
以上、ジャーナリストと研究者の文章を参照することで、シャルリ・エブド事件とその政治的背景について、基本的理解を得ることができた。
文学の側からの応答
国末憲人、栗田禎子、中田考と同世代の文芸評論家陣野俊史は、シャルリ・エブド事件に取材した中篇小説「泥海」を、文芸誌『文藝』2018年夏号に発表し、同作は単行本として同年12月に刊行された。いとうせいこう(1961‐)、星野智幸(1965‐)の推薦文が帯に印刷された。『讀賣新聞』(2019年1月23日)、『日本経済新聞』(同年2月9日)、『ふらんす』(同年4月号)、『Web河出』(同年4月22日)、『週刊読書人』(同年5月11日)、『図書新聞』(同年5月22日)などに書評が出たが、世間一般の話題をさらうことはなかった。
国末は「私もまかり間違えばテロリストになっていたのだろうか」と『自爆テロリストの正体』のあとがきに記した。この問いは深く追求されていないが、重要な問いかけだ。私は彼らとは違うという事件の捉え方は、物事を単純化し、本質を見抜く目を曇らせてしまうに違いないからである。
陣野の小説は、国末が投げかけた問いに対する文学の側からの応答といってよい。陣野は犯人と一体化し、内側から事件に迫ろうとしている。いわば、国末が「私はシャルリ」の立場から『テロリストの誕生』を書いたのに対して、陣野は「私はシェリフ」(実行犯の名前)という立場から『泥海』を書いたのである。フランス人テロリストの内面に日本人が入り込むという困難な挑戦を、作家ではなく文芸評論家が行った点でも刮目すべきだが、それ以上に、パリのテロ事件を日本人として考える上で重要な文芸作品である。
シャルリ・エブド事件と同年にパリ同時多発テロ事件が起きたとき、陣野は「人はなぜISに惹きつけられるのか」と問うた。そして「日本にいる若者にもISに関心を抱く者が出てくるだろう。〔中略〕私たちにできるのは、彼らの心理の動きを小説にすることである。フィクションの想像力を用いて、それをトレースすることである」と述べた。多くの小説家がそれを描くべきで、自らも創作することを予告していたのである(「サン・ドニについて知っている僅かなこと」『現代思想』2016年1月臨時増刊号)。
サッカーとラップ
「俺の名前はシェリフ」と、射殺された彼は語り始める。彼は、パリ郊外での幼少時代、母が自殺した中学校時代、そして児童施設時代に熱中したサッカーについて、生き生きと語る。「後にも先にもあんなに一所懸命に打ち込んだのは、サッカーしかなかった。六年間も。俺には才能があった。コーチの勧めで、フランス・リーグのプロテストを受けたこともある」。
だが、2000年になり、施設を出ると、「サッカーはやるものから観るものへと変化し、小さく切り取られた画面の向こうで、二十二人の男たちがボールを蹴り合っているスポーツになった」。「代わりに、ラップにはまった。ラップばかり聴いた。サッカーのいた場所にラップがするりと入ってきて、空白を埋めた」。そして、やがて「ラップは、聴くものからやるものへと変わった」。
さりげないが、フランスのラップを聞き続けてきた陣野には『フランス暴動:移民法とラップ・フランセ』(2006)という著作がある。2005年のパリ郊外暴動事件の際、政府は暴動を刺激したとラップに検閲を加えた。当時の内相サルコジは、郊外の若者たちを「ごろつき」と蔑んだ。『ル・モンド』の記事もまた彼らを「研究対象」としか見ていないと陣野は憤慨した。「彼らの『言い分』なんて括るんじゃなくて、まず、その言い分の内容を聞いてみようじゃないか」。熟考するには「言葉なき民衆の言葉であるラップに耳を傾けるしか、私たちに方法はない」。それで陣野はフランスにおけるラップの受容史とともに、ラッパーたちのリリック(歌詞)を紹介しつつ縦横にこれを論じたのだった。
陣野はサッカーにも造詣が深い。『フットボール都市論:スタジアムの文化闘争』(2002)では、サッカーを「スポーツの枠組から解放し、文化現象として語る」ことを試み、ナショナリズムとリージョナリズム(地域主義)の対立や、階級という視点から論じた。また、『サッカーと人種差別』(2014)では「サッカーはスタジアムだけで完結していない。その社会の持つ空気を正確に映し出す」との認識から、サッカーを素材に人種差別問題を掘り下げている。つまり『泥海』に書かれる数行の背後には、並々ならぬ知識と理解が潜んでいるのだ。
呼びかける声
ある日モスクでサラフィスト〔イスラム過激派〕と出会った「俺」の耳に、「その線を越えて、向こうの世界を眺めよ」という声が、どこからか聞こえてくるようになる。「誰の声なのか、わからなかった」。彼は誘われて、パリ19区の森林公園で軍事訓練をする。シェリフという名を捨てアブー・イッサンと名乗った。「テンションがあがった」。イラクで戦闘員になる計画は、警察の一斉逮捕で頓挫する。だが、刑務所でビン・ラディン直系の弟子というジャメル、そして後に事件に関わるアメディと出会う。
書物との出会いもあった。「『光の兵士たち』を俺は読んだ。読み耽った。繰り返し読んだ」「マリカの文章には時運の居場所を大きく揺るがす力があった」。この『光の兵士』は現実に存在するテキストだが、陣野は作中でその一部を翻訳し、本文の約2割に充てている。読者がそれを読まなければ、「俺」の感動を知ることができないからだ。
「世界が見えてきた。穴ぼこの向こうに、空がはっきりと浮かんでいる。俺は右手に握っている武器を確認する」。立て籠もった印刷所から警察隊が待ち構える外へ出ていこうとするときの「俺」の言葉である。「世界」とは、「その線を越えて、向こうの世界を眺めよ」という、かつて聞こえた内面の声と照応している。「空ははっきり見えた。カラシニコフ〔自動小銃〕を構えた。と、唐突に地面が近づいて、青空はふいに黒ずみ、見えなくなった――」。こうして彼は射殺される。
イデオロギーと決断
「俺」がイスラム過激思想を徐々に内面化し、完全に内面化した結果テロ実行犯になったとは、作者が考えていない。シェリフは妻のイッザナに反ユダヤ主義を吹き込むが、「ファリドやジャメルの口調が乗り移ったみたいだった。〔中略〕俺の口は俺自身のものじゃないみたいだった。決まった言葉がオートマチックに唇から流れ出ていた。それを止める手立てが俺にはなかった」と著者は語らせているのである。
死後のシェリフも、次のように語る。「あの事件で、路上で警官と撃ち合いになったとき、俺は『アラー・アクバル』と何度も叫んだ。神は偉大なり、と。本心から叫んでいたつもりだった。でもいま考えると、誰かに口を動かされていた気がする。それ自体がアラーの神の導きであったのかもしれない。その導きにしたがうことが、アラーの兵士、光の兵士たる条件なのだ。だが本当にそうか」。
また、この小説には、最後に、イヴァナとイヴァンというカリブ海出身の架空のフランス人姉弟が登場する。弟は新たなテロ事件を引き起こすのだが、彼もまた、世界を変えろという指導者の言葉を丸呑みにできない。「シンプルな言葉を幾度繰り返しでも、行動に移すことがすなわち世界を作りかえることだとは信じられないでいた。そうできない自分がいつも少しだけ残っていた」。「現役の警察官ならまだしも、警察を退職した人間たちを銃撃することが、どうして『世界を作りかえる』ことなのか、イヴァンにはわからなかった」。
陣野は、テロ実行において過激思想を理論的に納得していたか否かは真に重要な問題ではなく、犯行への跳躍は「その線を越えて、向こうの世界を眺めよ」という呼びかけに応じた決断だけだと考えているのではないだろうか。仮に納得がいかなくとも、決断し、行動することで初めて「世界が見えて」くると考えているのではないだろうか。
諫早、秋葉原、パリ
『泥海』の序章に当たる書き出しは、実は日本人青年ハヤマ・シュンの語りから始まっている。続く第1章からが、死んだシェリフの語りになり、そこに妹アイシャや、『光の兵士たち』の著者マリカの語りなどが挿入される。第2章は印刷所立て籠もり事件とユダヤ系食材スーパー立て籠もり事件が三人称で語られる。そして第3章は、ふたたびハヤマ・シュンの語りとなるのである。
物語の現在は、2015年夏。「オレ」――つまり、1982年、長崎県諫早市生まれのハヤマ・シュンは、パリに来て3ヶ月が経っている。毎日必ず、事件が起きた11区の現場に行く。「歩いて探すしかない。何を? まだ漠然としかわからない。何を探しているのか――と問いながら、だがきっと探しているものに遭遇すれば、それがそうだとはっきりわかるはずだ、という確信がある」。「この場所を通っていればそれに出会うことができそうな気がした」と「オレ」はいう。
「オレ」が生まれ育った郷土は、誰もが顔見知りの伝統的なムラ社会であり、「閉ざされてはいないが、閉じていた」。9・11テロも、東日本大震災も、テレビの画面の中のできごとだった。ムスリムもいなかった。唯一、圧倒的なリアリティがあった事件は、伊佐早湾の干拓だ。1997年、板がギロチンのように次々と海中に落下して堤防の水門は閉じられた。「伊佐早湾と空とが作り出す一本の線」が、堤防道路の工事で消えた。
2008年に「オレ」は上京した。「ムツゴロウの死骸の埋まった土地を離れたい。その一心だった」。阿佐ヶ谷の、風呂なしの安アパートに入り、デザインの専門学校に入学した。だが学校には馴染めず、引きこもるようになる。ある日テレビで秋葉原連続通り魔事件〔元派遣社員が17人を殺傷〕の報道に接して衝撃を受ける。「夜になって声がした。現場に行くように唆す声」「秋葉原に行かなければ、という気持ちと、秋葉原に行けば何かを越えてしまいそうな気がして怖気づく気持ちとが、せめぎ合っていた」。それは犯人が自分と同年齢だったからだけではなかろう。2日後に彼は現場に足を運ぶが、そこには白々とした世界が広がっていただけで、「加藤〔犯人名:引用者註〕が越えていった線は見えなかった」。「オレ」は専門学校を退学して故郷に帰り、引きこもりの生活を続けた。
2015年1月、パリの事件報道に接して「日常がぐにゃりと大きく歪んだ」。犯人のひとりは同年齢だった。「無数の問いが画面の中だけではなく、世界中で渦を巻いていた。そう見えた。だが、本当にそうだったのか。オレが暮らしている場所からはあまりに遠かった。そんな議論は誰もやっていなかった〔中略〕すべてが画面の中にしかなかった」。パリに行くことを「オレ」は決める。「もう後戻りはできないと、繰り返し、自分の内側を覗きこんだ」。
シャルリ・エブド事件の現場、女性警察官が射殺された現場、そして人質が殺害されたユダヤ系食材スーパ-。この3箇所を、「オレ」は「儀式」にように毎日訪れる。「儀式とは名ばかりで、じつはただ待っているだけ、とも言える」。彼は渇望している。決断を促す呼びかけがあるのを。それは画面の中ではなく、リアルな世界にあると信じているのだ。
暴力が荒れ狂う時代に必要なこと
ある日「オレ」は職務質問を受けるが、その時に警官に抗議したのがチュニジア系フランス人男性で、支援団体「開かれた手」のメンバーだった。事務所に案内されると、カリブ海出身の女性イヴァナから話しかけられる。警察官になろうと準備しているが、双子の弟がイスラム系の宗教団体に入って半年間連絡つかなくなっている。あなたと面影がそっくりなので「あなたがイヴァン本人でなくても、私の声が、あなたを介してイヴァンに届くような、奇妙な錯覚を覚えたのです」。
フランス社会に居場所を求める姉と、テロに突き進む弟は、旧植民地出身フランス人の引き裂かれた姿を象徴していよう。イヴァンが共和国の理念を内面化しようとするイヴァナの分身であるように、シュンはイヴァンの分身なのだ。事件も議論もすべてが「画面の中」にしかない日本の地方都市から「その線を越えて、向こうの世界を眺めよ」という声を聴くために、彼はパリに来ている。
小説の最後の場面。日曜日、「オレ」はほとんどの店が閉まっている街を歩いている。空いている食料品店を一軒だけ見つけた「オレ」は、店のドアを「意を決して開く」。「奇妙な空白のような平穏のなかにいて、オレたちは泥海に浸かりながら、日曜日にほうり出されていた」。これが最後の一行である。「意を決して」ドアを開けるのはなぜか。「オレたち」とは誰のことなのか。彼は決断をしたのか。読者はカタルシスを得られず、宙づりにされたまま、物語は謎めいた終わり方をする。
シャルリ・エブド事件は徐々に風化していくだろう。ことにフランスから遠い日本においては。それゆえ、事件の忘却に抗い、文学的想像力で実行犯の内面に迫ろうとした陣野の試みは高く評価されるべきである。事件の実行犯に関するどれほど見事な解説も批評も、結局のところ「彼」という他者を分析することであり、この「私」の内面に目を向ける行為ではない。暴力が荒れ狂う時代に必要なことは、暴力的な他者を悪魔化して突き放すことではなく、彼らのなかに自らの姿を見いだすことなのである。
かみや・みつのぶ
1960年生まれ。日本近代文学専攻。博士(学術)。著書に『評伝鷲巣繁男』(小沢書店)、『須賀敦子と9人のレリギオ』(日外アソシエーツ)、『ポストコロニアル的視座より見た遠藤周作文学の研究』(関西学院大学出版会)など。
論壇
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