特集●問われる民主主義と労働
戦前は混合民族説が通説だった
君は日本を知っているか(14)— 単一民族説の呪縛を解き、自民族優越主義を克服するために
神奈川大学名誉教授・本誌前編集委員長 橘川 俊忠
新型コロナウィルスによる肺炎の蔓延という地球的規模の大問題の陰に隠れて注目されることもなく忘れ去られようとしているが、この間、日本の民族意識に関わって重大な問題のある出来事が相次いで発生した。
まず、問題発言の多さで際立っている麻生太郎財務大臣が、福岡県での彼の国政報告会で発言した内容である。麻生は「2000年の長きにわたって一つの国で、一つの言葉で、一つの民族、一つの天皇という王朝を126代の長きにわたって一つの王朝が続いている国はここしかない」と言ったという。
繰り返される単一民族説の誤り
あきれたことに、この発言の中の「一つ」という形容句を付けたすべての事項について誤認・矛盾が含まれている。たとえば、「2000年の長きにわたって」と「126代の長きにわたって」という言葉の間には、明らかに矛盾がある。『日本書紀』によれば、2000年前という時代は活目入彦五十狭茅(イクメイリヒコイサチ 11代垂仁天皇)の治世にあたり、126代の最初の天皇は神大和磐余彦(カムヤマトイワレヒコ 初代神武天皇)で、即位したのは紀元前660年で、それは2680年前ということになっている。したがって、「2000年の長きにわたって」という説をとるとすれば、初代から10代までの660年という年月がなかったことになってしまう。
麻生太郎は、こんなずさんな発想で単一民族説を説き、自民族の優越性を吹聴しているのだが、この政治家は、1986年当時の総理大臣中曽根康弘が単一民族説に立って、黒人を侮蔑する人種差別発言を行い、国内外の厳しい批判を浴びたことを知らないか、忘れてしまったのであろう。
次に、問題は大学でも発生した。東京外国語大学国際社会学部のある教授のゼミが実施したアンケート調査が差別的であると批判され、学長が謝罪文書を出すに至った事件である。そのアンケート項目にはいくつか問題になるものがあるが、特に単一民族説と関係があるのは、「純ジャパ以外の日本人を『混ジャパ』と呼ぶことに抵抗はありますか?」という項目である。
「純ジャパ」とか「混ジャパ」という言葉が一般的なのかどうか分からないが、「純ジャパ」とは「純粋な日本人」、「混ジャパ」とは「混血の日本人」のことだとすれば、そんな区別をすることにどんな意味があるのだろうか。そもそも「純粋の日本人」とはどういう存在なのか。それが、生物学的にも歴史学的にも定義されたなどとは聞いたこともない。縄文系とか弥生系とか、様々な日本人のルーツをめぐる議論を紹介するまでもなく、「純粋日本人」などというものが定義不能であることは明らかであろう。そんな言葉を安易に使ってしまう背景には例の単一民族説があることはまちがいない。
さらに、問題は内閣府の世論調査でも発生した。内閣府は、昨年「基本的法制度に関する世論調査」を実施したが、そのなかで難民受け入れと永住権を持つ外国籍住民に関する質問事項について、移住者と連帯するネットワークと全国難民弁護団連絡会議が抗議声明を内閣府に突き付けるという事態が発生した。
難民については、「これまでの日本における、難民および人道上の配慮が必要な人の受け入れ数についてどう思うか」と尋ね、次に「これ以上積極的に受け入れるべきか、慎重に受け入れるべきか」を問う。さらに「難民認定制度を濫用・誤用する者に対する対応」について問い、その有効な対応策についての具体的な設問まで尋ねている。
日本の難民の受け入れについては、従来から受け入れ数の少なさと審査の厳しさには問題があると内外の厳しい批判を浴びてきたことは周知の事実である。にもかかわらず内閣府の調査の内容は、難民認定制度を一層厳しくし、狭き門をさらに狭くしようとする方向を向いているとしか思われない。
外国籍永住者についての質問も、「日本の永住者数は多いと思うか」という問いから始まって、「永住許可を取り消す制度への賛否」を問うという仕掛けになっていて、取り消し制度の導入への意図が見え見えである。実際には、入管法の在留資格の取り消しや強制退去の規定によって永住権の事実上の取り消しが行われていることを考えれば、永住権についても制限を強化しようという意図が透けて見える設問の仕方といわざるをえないだろう。
内閣府のこの世論調査は、直接に単一民族説を主張しているわけではないが、単一民族説的日本観を背景にしていることはまちがいない。そこには、日本は単一民族・単一文化の国だから多くの外国人を受け入れるのは困難だというもっともらしい俗説と通底する偏見が見え隠れしている。
以上のような出来事は、すべて今年になってから発生した。政治家、大学、行政組織の中で単一民族説あるいは単一民族幻想が未だに根強くはびこっていること、またそういう幻想を拡大しようという動きが続いていることを示している。
しかし、日本で単一民族説がはびこるようになったのはそんなに古いことではない。小熊英二が『単一民族神話の起源』(新曜社)で論じているように、それは戦後のことに属する。戦前は、人類学・民俗学・考古学などの研究者のみならず、右翼運動と深いかかわりを持つ論客の間でも混合民族説が圧倒的に優勢であった。まともな研究者には周知のことに属するかもしれないが、前述したような出来事が依然として続いていることを考えれば、ここでかれらの民族観を再検討しておくことも無意味とはいえないであろう。
「八紘一宇」の唱道者田中智学の場合
「八紘一宇」といい、田中智学といっても、いまでは大部分の人は忘れてしまっているか、聞いたこともないようなことかもしれない。しかし、5年ほど前のことであるが、自民党の参議院議員三原じゅん子が国会で「八紘一宇」について「日本が建国以来大切にしてきた価値観である」と発言して問題になったことがあった。当時、右派の論客からは、「よくいった」というような称賛するかのような声があげられ、本人も、その後反省の態度を示していない。その意味では、「八紘一宇」という言葉は、完全に死語になったとはいい切れないのである。
ところで、「八紘一宇」という言葉を造語し、唱道した田中智学は、1880年代から1930年代まで活動した日蓮宗を信奉する国粋主義者であった。田中は、国柱会という宗教思想団体を創設し、戦前の右翼政治家・軍人・財界人などに一定の影響力を保持していた(ちなみに、国柱会は現在も存在している)。彼の思想について全体を検討するわけにはいかないが、ここではその民族観についてだけ見てみよう。
田中の著書『日本国体の研究』によれば、日本人民は「世界の人を正しい『道』に入れてやって、それに究竟の平和安楽を与えるために、先祖と国土の先天的因縁に結びつけられて、その目的を達すべき使命を帯びた模範的人民であって、その事業なり主義なりから之を『天業民族』と称する」という。「先祖と国土の先天的因縁」というのは、『日本書紀』や『古事記』の「開闢」から「神武建国」にいたる神話に田中流の解釈を加えた言葉で、「道」はそこに示されたとする忠孝を具体的内容とする。その実現を運命的使命(天業)とするから日本人民は「天業民族」だという。まさに誇大妄想的選民思想そのものである。
では、その天業民族とはどのような人々のことか。それについて田中は、四つの種族を区別する。まず第一に、「神代の神から流れたのは『神別れ(かみわかれ)』の種族」、第二に、「御代々の皇室から別れて、臣籍に這入って姓を賜ったのは『皇別(すめらわかれ)』の種族、この二つを「吾民族の大部分とする」という。そして、第三に「従来土着の種族」、第四に「他国から帰化して来た所謂『蕃別れ(えびすわかれ)』の種族」もいることを認める。この二種族についての記述は、引用するのも不愉快なほど極めて差別的であるが、正確さを期すため紹介しておこう。
田中は、第三、第四の種族には、共通して二つの傾向があるとする。一つは、「素質に向上性のない、理解力を有たない民族」で、「自然に征服されて漸次その生存が保てなくなって、終に自然消滅に帰してしまう」もの、「漸次王化に沾い心身ともに改造されて向上発達し、終に天孫種族と縁組したり又は追々と任運に雌雄淘汰を遂げ、いつしか天業民族に同化」したりするもの、という二つに分かれるという。そして、第三の種族の例としてアイヌ民族、第四の種族の例として朝鮮人、韃靼人、支那人をあげる。
「只の生類級にひとしい蛮族」という侮蔑的言葉や「自然消滅」、「同化」という自然現象であるかのように語る言葉が、いかに差別的であり、歴史的事実を歪曲・無視したものであるかはいうまでもないが、ことを民族的組成の観点からすれば、田中の民族観は単一民族説とは明らかに異なっている。
「神別れの種族」という種族は、<イザナキ・イザナミ―アマテラスー天孫>という系譜とは異なる神の系譜を持つ種族が存在したことを前提としており、「天孫種族と縁組」によって「同化」したという以上、かの「天業民族」なるものの中に「従来土着の種族」や「蕃別れの種族」の遺伝子が含まれていることは否定できない。その意味では、「天業民族」は混血によって出来上がった混合民族ということになる。もし田中が自らの論理に忠実であれば、前節で紹介したような「純日」「混日」というような区別は絶対に承認しないはずである。
アジア主義者大川周明の日本民族観
大川周明は、戦前の右翼思想家の中では、きっての理論家として知られ、そのアジア主義は「大東亜共栄圏」構想に理論的支柱を与えたといわれた人物である。その影響力の故か、戦後の東京裁判では唯一の民間人として起訴された。そして、その法廷での奇矯な振る舞いによって裁判から除外され、釈放されたことでも有名になった。その民族観も、独特の性格を持ち、天皇機関説事件を起こした蓑田胸喜のようなファナティックな国体論者から批判されることもあった。
さて、その大川周明は、日本民族の起源について、『日本二千六百年史』の第三章「日本国家の建設」において次のように述べる。すなわち「有史以前の太古に於て、吾が日本国もまたアジア大陸と同じく、南北二大勢力の争闘の舞台であった。南方の民は日本民族であり、北方の民はアイヌ族である」と。さらに日本の地名にアイヌ語起源とみられるものが多く残っていることを根拠に、「アイヌ民族は日本諸島の先住者であり、日本民族は彼らに後れて到着したものとせねばならぬ」と、日本民族が、南方系の後発の渡来民族であると主張している。
そうなると、『日本書紀』や『古事記』の天孫降臨神話との関係が当然問題になる。その点について、大川は、「吾国の古典は、吾が日本民族が、八重に棚引く叢雲を押し分け、高天原よりこの国に天降れることを記している。[そは吾らの先祖が、その発祥の地を忘れ去りしを示すものにして]、いまや人類学者・考古学者・歴史家が、この高天原を地球上のいずれかに捜し当てようと苦心するに拘らず、未だ定説を聞かない」と、天孫降臨神話の信憑性について重大な疑義を呈している。
なお、『日本二千六百年史』は、蓑田ら国体論者の激しい非難を浴びて、再版では[]の部分は削除されているが、南方渡来説自体は撤回されてはいない。このことは、「日本民族の起源」について、当時の右翼ファシストの間でも統一的見解がなかったことを示しているという意味で注目しておくべきであろう。
次に、先住民族としたアイヌ民族との関係においても、問題を含む。この点についても、大川は独特の考え方を持っていた。大川は、アイヌ民族を「その強勇に於て日本民族の好敵手」とか「北方の強者」「勇武なる先住者」ととらえ、もし彼らがいなかったら「南方民族に免れがたき文弱に陥」ったかもしれないと評価している。南方民族は文化の民、北方民族は尚武の民という根拠のないステロタイプ的認識を根拠にしているとはいえ、田中智学が「只の生類級にひとしい蛮族」とこき下ろしているのとは、著しい相違がある。それは、東亜諸民族の共存共栄を建前とするアジア主義者としての立場があらわれているといってもいいかもしれない。
しかし、大川も、同化の論理と選民思想的優越性の主張とを捨てることはできなかった。大川は、古代日本においてその住民は「もはや本来の部族的感情を失い、先住民族の子孫も、はたまた帰化人の子孫も、悉く<神武部族を中心とせる>(ここも新版では削除された)大和民族に同化せられ」た、と主張する。
そして、水戸学派の編纂した『大日本史』の序にある「天下一姓」の語について、日本国民は「皆同一遠祖の血を引きたる一姓の民と信じていた」、また「異種の民族も之に同化せられたるが故に、事実に於て、一姓の民と言うことが出来る」と解説しているが、「信じていた」といい、「言うことが出来る」といい、単純に一姓と断言してはいない。これは、大川が、基本的に混合民族説にたっており、血統的同一性の主張を受け入れていないことを示しているとみてよいであろう。
以上のような日本民族観を前提として、大川は、その日本民族に対して「天意を実現して行く民」という位置付けを与える。すなわち、<天=神、神=至高の理想、至高の理想の具現者=皇祖皇宗、皇祖皇宗の延長=天皇、天皇の大御心を奉ずる日本国民>という理屈で、日本民族の選民化を図っているのである。さらに、「多くの国々に於ては、ただにその敵を神と認めざりしのみならず、実に人間以下のものとして之を卑しみ憎んでいた。吾らの祖先は断じて左様なことがない。如何なる敵でも、一度『まつろひ』さえすれば、皆吾らの同胞となる」と説く。
一見、日本民族の寛容さを説いているようであるが、その背後には「干戈を執」って「まつろはぬ者をまつろは」す、つまり武器によって服従させるという論理を潜ませていた。こうした武器によって「まつろはす」論理は、大東亜共栄圏建設の論理に拡大され、日本のアジア諸民族への侵略戦争の思想的支柱となったのである。
いずれにしても、民族の起源と組成という論点に限定して整理すれば、まず、大川が、日本民族は南方から渡来した民族であるという民族の起源についての考えを持っていたということが確認できる。また、武力の強制による「同化」によって、在来の民族であれ、後来の民族であれ、異民族の遺伝子を取り込んで「現在の」日本民族ができあがっていると考えていたことも間違いない。つまり、大川も混合民族説をとっていたのである。
民族問題にまともに取り組まなかった日本
戦前の日本民族の起源と組成の問題について、当時影響力のあった田中智学と大川周明を取り上げて紹介してきたが、先述したように渡来説・混合民族説をとる論者は他にも多数いた。天孫降臨神話にこだわり、「天孫族」単一民族説を主張する者はむしろ少数派でしかなかった。渡来説といっても南方説・北方説入り乱れ、中にはメソポタミアのシュメール族に淵源を求めたり、中央アジアのウラルアルタイル地方からの渡来を説く者まで、多様な見解が乱れ飛んでいた。
また、日本に渡来した異民族についても、田中や大川のように混合・吸収を「同化」ととらえる者の他に、それらの異民族と祖先を同じくするという同祖論を唱える者も少なくなかった。たとえば、朝鮮半島に伝わる檀君神話と天孫降臨神話との類似性を根拠にして朝鮮民族と日本民族とが同祖であったという主張や、源為朝が琉球に渡り琉球王朝を開いたという為朝伝説を利用した日琉同祖論などがそれである。
このような日本民族の起源と組成に関する議論の紛雑した状況は、明治維新以後、近代国家としての体裁を整え、さらに帝国主義の段階に入っていくとともに、その時々の政治動向と合わせてそれぞれの主張の勢力配置を変化させていったが、結局、一つの方向に収斂させることはできなかった。琉球併合、北海道旧土人保護法制定、朝鮮併合さらに満州国の捏造、大東亜共栄圏建設と民族問題に向き合わなければならない節目があったにもかかわらず、日本はその問題に真剣に向き合ってこなかった。
実際、日中戦争が始まる直前に出された『国体の本義』と、日米開戦の直前に出された『臣民の道』という、政府のいう「東亜新秩序建設」に向けて国民教化のために、文部省が刊行・頒布した二つの文書を検討すると、いかに民族問題に無自覚であったかが分かる。無自覚というよりも、問題を避けているのではないかという印象すらある。
この二つの文書で、教化の対象あるいは国家の担い手たるべき住民の呼称を調べてみると、『国体の本義』では臣民、国民の語が圧倒的であって、赤子の語がそれに次ぎ、『臣民の道』では、臣民、皇国臣民、国民の語が使われている。そして、これらの語に定義が与えられることはなく、したがって、琉球民族、アイヌ民族、朝鮮民族が含まれるのかどうかは明らかではない。
近代日本国家は、これらの民族に対して、基本的に「同化政策」をとってきた。それが差別を内包した極めて欺瞞的な対応であったことはいうまでもないが、さらに東南アジア・インドなど西アジアも含めた「大東亜共栄圏」という巨大な帝国を構想するようになると、矛盾を露呈せざるをえなくなる。同祖論も同文同種論もましてや古代日本の同化の論理も通用しない異民族を包含することになるからである。さらに、その異民族を独立した民族として遇することにすれば、国内にその論理が跳ね返ってくる。その意味で、国内的に民族問題を避けようとする態度が生まれたとしても不思議ではない。
さらに、言葉の問題について使われていそうで使われていない語について検討してみよう。そうすると、「民族」という語の使用例が極めて少ないことに気付く。天孫民族はおろか大和民族の語もない。『国体の本義』の場合、民族や民族性の語は少数ながらでてくるが、それは、「文化は国家・民族を離れた個人の抽象的理念の所産ではない」とか、「支那・印度・欧米の民族性・歴史性」というような一般論の中で使われているに過ぎない。
『臣民の道』の場合は、「もとより我が国には古来他民族の皇化を慕って来たり仕えるものがあったが、これ等外来民族も御稜威の下に皆斉しく臣民たるの恵沢に浴し、時移るに従い、精神的にも血統的にも全く一体となって、臣民たるの分を竭くし来った」と過去を語る場面でのみ使われている。しかし、ここには重大な矛盾が隠されている。この文書で国民教化のために強調している「敬神崇祖」と「祖孫一体」という原理との矛盾である。完全に同化するということは、かれらにはこの強調して止まない二つの原理に背かせることにならざるをえないし、この原理を守らせるならば、外来民族は外来のままに止まることになる。
遠い過去のことだから問題はないと考えたかもしれないが、厳密な論理に従えば、こうした矛盾が避けられないのである。民族の語をほとんど使わないということには、こうした矛盾を避けたいという意志が働いたのではないかという推測が成り立つだろう。
いずれにしても、重大な時期に国家が刊行した重要文書が民族問題に正面から対応していないことは明らかである。この民族問題に正対しない態度は、戦争終結とともに変化したかといえば、残念ながらそうはいえない。むしろ、帝国が解体され、日本領土が四つの大きな島とそれに付属する諸小島に限定されたことによって、帝国が抱えていた民族問題を意識する必要がなくなったという錯覚が生まれた。
単一民族説は、そういう錯覚の中から生まれてきた。それが、戦後文部大臣も務めた天野貞祐の、日本国とは「われわれが祖先以来この同じ国土に住み、同じ日本語を語り、同じ運命をしのいで来た文化的倫理的協同体をいう」(「愛国心の問題」1956年)というような認識が、堂々とまかり通ってしまう背景にあった。
そこでも、琉球民族やアイヌ民族、朝鮮民族への視点は完全に欠落している。敗戦直後には、単一民族幻想の中に閉じこもり、単一であることにわずかに民族的矜持を維持しようという心理が働いたといえるかもしれないが、その心理が麻生のように今でも生き残っているのであろうか。すでに外国人労働力なしに日本の経済も社会もたちゆかなくなっており、これから多くの外国人を受け入れようというのに、こんなことで済むはずはないのだが。
きつかわ・としただ
1945年北京生まれ。東京大学法学部卒業。現代の理論編集部を経て神奈川大学教授、日本常民文化研究所長などを歴任。現在名誉教授。本誌前編集委員長。著作に、『近代批判の思想』(論争社)、『芦東山日記』(平凡社)、『歴史解読の視座』(御茶ノ水書房、共著)、『柳田国男における国家の問題』(神奈川法学)、『終わりなき戦後を問う』(明石書店)、『丸山真男「日本政治思想史研究」を読む』(日本評論社)など。
特集・問われる民主主義と労働
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