特集●問われる民主主義と労働

日韓関係の改善は歴史と向き合うことから

「解決済み」とする歴史修正主義を葬ろう

朝鮮問題研究者 大畑 龍次

元徴用工問題に対する韓国大法院判決をめぐって日韓両国の対立は深まっている。その対立は、昨年7月1日の日本による半導体材料の輸出規制とホワイト国除外から始まった。韓国側からも日本からの輸入品検査強化とWTO提訴、さらに8月には日韓軍事情報包括保護協定(GSOMIA)の終了宣言をして対立はさらに深まった。日韓両国を同盟国とする米国の介入があり、韓国は11月にはGSOMIAの猶予宣言をして協定を復活させたが、それは輸出規制の再協議を前提とするものと考えられた。

しかし、日本側は輸出規制問題とGSOMIAはリンクしておらず、別問題との立場を崩さなかった。韓国はGSOMIAの猶予宣言は暫定措置であり、国益に沿って終了を再稼働できると牽制し、ホワイト国への復帰も含まれるとの立場を明らかにしていた。

12月24日に中国を舞台に日韓首脳会談が持たれ、双方の基本的な立場を表明しつつも、話し合いの継続を確認した。その後、双方の外務省の実務者協議が行われたが、平行線が続いている。実務者協議で解決されない場合には、外相会談、さらに首脳間の政治決着にならざるをえない。米国の強い意向によってGSOMIA終了を翻意して猶予宣言をしたのだから、日本側もそれ相応の譲歩を約束したことが想像できる。それは輸出規制とホワイト国復帰でなくてはならない。

問題解決への二つの道

日本側の輸出規制とホワイト国除外という報復措置、それに抗議した韓国側の日本からの輸入品検査強化、ホワイト国除外、GSOMIA終了という日韓双方の応酬は、それ以前の状況に戻さなくてはならない。しかし、元徴用工への人道的処置と慰謝料の支払いの問題は少しも解決していないし、それはそれとして解決されなくてはならない。この解決の道として韓国では、二つの方法が考えられている。

第一に、大法院判決に沿った解決である。原告の元徴用工と弁護団・支援団体は、大法院判決に沿って解決するようにと、当該企業との話し合いを申し入れた。しかし、「すでに解決済み」、「国際法違反」という立場を固守する安倍政権が、話し合いを拒否するよう政治指導を行ったため、関連企業は話し合いに応じなかった。その結果、原告・弁護団は関係企業の資産の差し押さえ、さらにその現金化を行おうとしている。もし現金化が行われれば、「日本企業に被害が及べば、対抗措置をとる」と明らかにしている安倍政権が新たな対抗措置を取ることになり、問題は深刻化する。このままで行くと、現金化は6月頃と予想される。

こうした政治判断のもとに出されたのが第二の道。文喜相国会議長による「記憶・和解・未来財団」を設立する法案の提出である。日韓双方の企業と個人から寄付を募り、それを元徴用工への慰謝料に充てるというもの。原告弁護団と支援団体は「被害者への謝罪が欠落している」、「日本企業に免罪符を与える」と反対している。文喜相は日韓議員連盟会長もつとめたこともある人物であり、日本側とのなんらかの接触・根回しがあったとされるが、政府間の合意ではなく、日本側の寄付がどうなるかは未知数。

また、青瓦台や与党の一部には当事者ファーストに反するという反対意見があり、法案成立も見通せない。文喜相国会議長はかつて、慰安婦問題で「戦犯天皇の息子である天皇明仁もしくは安倍首相の謝罪が必要」との発言をして物議を醸したことがある。そのような経緯から見ても、この法案提起には腑に落ちないところもある。

筆者の考えは次の通りだ。

当時の柳井俊二外務省条約局長は1991年8月、「個人の請求権そのものを国内法的な意味で消滅させたものではない」と政府見解を明らかにした。また、最高裁は2007年4月、「(個人の)請求権を実体的に消滅させたことを意味するものではない」と判じた。

このような政府・司法の判断からみると、安倍政権の主張はこれまでの判断を踏襲しないひどいものであることがわかる。さらに、最高裁が「被害の重大性を考えると、当事者間の自発的解決が望ましい」と付言したことから、これに基づき、2000年11月鹿島建設和解(花岡事件)、2009年10月西松建設和解、2016年三菱マテリアル和解という解決を見た。これらはいずれも中国人原告の裁判だったが、それがなぜ韓国人原告事件に行われないのか理解できない。

安倍政権が「解決済み」「国際法違反」と主張して関連企業を政治指導することがなければ、和解が成立するはずだし、従来の政府・最高裁の見解とも矛盾しない。これまでの経緯を尊重しつつ、円満に解決する道である。

繋がる日韓の民衆

元徴用工に対する韓国大法院判決を出発点とする日韓の対立は、日韓両政府、原告側と関連企業間の対立にとどまらず、国民レベルを巻き込んだものになっている。とりわけ、韓国では一大国民運動となった。安倍政権に対する韓国国民の怒りは、交流事業中止、不売不買運動、訪日旅行自粛として広がった。その結果、日本の缶ビールが商品棚から姿を消し、韓国観光客が激減した。対馬など韓国観光客の多い地方都市ではダメージを受けた。このような国民運動は組織しようとしてできるものではない。根強い国民的な感情に裏打ちされなくてはならない。

昨年は期せずして3・1独立運動百周年の年だった。安倍政権の「盗人猛々しい」振る舞いは、百年を超えた国民運動を引き起こした。果たして日本政府の措置は報復としての経済的効果を発揮しただろうか。問題の発端となった半導体材料の輸出規制は輸出禁止ではなく、多少の時間的遅れがあるものの、入手されるし、韓国による材料の自製化と輸入先の多様化によって経済的影響を受けているのはむしろ日本側との指摘がある。韓国経済の中心にある三星はグローバル企業であり、その地位は揺るぎない。

昨年7月に日本政府の前述の制裁措置が発表されるや、民主労総、韓国進歩連帯など700以上の社会・市民団体によって「歴史歪曲・経済侵略・平和脅威・安倍糾弾市民行動(市民行動)」が組織された。7月20日から毎週の「NO安倍キャンドル集会」が光化門広場などで開かれるようになった。ピークとなった8月15日には10万人のキャンドルが広場を埋めた。

韓国の運動に呼応する日本の運動も広がった。国会前で行われる集会でも重要なテーマとして取り上げられたし、集会には韓国代表の連帯アピールもあった。日韓による国際シンポジウムが開催されもした。

前述した8・15の光化門前広場のキャンドル集会では、前夜祭で大阪の「日韓平和連帯」の山元共同代表、「自主平和統一大会」では平和フォーラムの藤本康成氏、「安倍NO!キャンドル集会」では「戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行員会」の高田健氏が日本側を代表して挨拶した。日本大使館前では「高校無償化からの朝鮮学校排除に反対する連絡会」の森本氏がマイクを握った。安倍退陣を求める日韓の市民運動の連帯は、日常的なことになった。今年の3・1運動を記念した日韓の集会でも、代表派遣とアピール交換が予定されている。

日本では知識人や社会活動家などによる署名活動も行われた。「韓国は『敵』なのか」のオンライン署名活動が昨年7月25日、77人の呼びかけ人によって呼びかけられた。短い期間に1万筆ちかい賛同署名が寄せられ、8月31日には緊急集会「韓国は『敵』なのか」が行われた。

会場となった韓国YMCAは超満員となり、舞台上にも座席が作られ、用意した資料が足りなくなる状況だった。しんぶん赤旗によると、「内田雅敏弁護士は、日韓請求権協定(1965年締結)で個人の請求権が放棄されていいないとの昨年10月の韓国大法院判決は、日本政府の見解と同じだと指摘し、同協定が『植民地支配の不法性に触れなかったことを広げるべきだ』と強調」したという。この集会には韓国のメディアが取材に訪れ、テレビニュースとして流した。

日韓の弁護士たちも声を上げた。日韓の弁護士たちは昨年11月20日、ソウルと東京で記者会見をもち、「強制動員問題に関する日韓法律家による共同宣言」を発表した。日本側は「徴用工問題の解決をめざす日本法律家有志の会」など7団体、韓国側は「民主社会のための弁護士会」など6団体。宣言では、①強制動員被害者の個人賠償請求権は消滅しておらず、いまだ解決していない、②韓国大法院判決は尊重されなくてはならず、日本企業は被害者原告の権利回復のため、確定判決を受け入れなければならず、日本政府は受け入れを妨害してはならない、③日本企業は、ドイツの「記憶・責任・未来」基金や中国人強制連行・強制労働事件での和解などを参考にしながら、必要かつ可能な措置をとることの三点を宣言している。

歴史を塗り替える安倍政権

安倍政権は「解決済み」との認識だが、問題の1965年の日韓基本協定の第2条には次のように記載されている。「1910年8月22日以前に大日本帝国と大韓帝国との間で締結された全ての条約及び協定は、もはや無効であることが確認された」。この「もはや無効」の解釈には両国に相違がある。日本側は協定が締結された1965年を、韓国側は植民地化がなされた時期まで遡る。このようにその時期は曖昧にされ、植民地支配の合法・違法も玉虫色となってしました。したがって、この条約は植民地支配を認めた上での賠償交渉ではなかった。当時の外相も「賠償」ではなく、「独立祝い金」だと公言していた。

日本側が植民地支配を認めたのは、1990年に自民党、旧社会党、朝鮮労働党の三党合意からである。その第一項には「三党は、過去に日本が36年間朝鮮人民に与えた大きな不幸と災難、戦後45年間朝鮮人民が受けた損失について、朝鮮民主主義人民共和国に対し、公式的に謝罪を行い十分に償うべきであると認める」と書かれている。この認識は、当時の各党をはじめ広く日本社会に受け入れられた。

1995年8月15日の戦後50年の節目に出された「村山首相談話」では、「わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。私は、未来に過ちなからしめんとするが故に、疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明いたします」となっている。

さらに、1998年の金大中大統領と小渕首相との間に交わされた「日韓共同宣言」の2項には、「小渕総理大臣は、今世紀の日韓両国関係を回顧し、我が国が過去の一時期韓国国民に対し植民地支配により多大の損害と苦痛を与えたという歴史的事実を謙虚に受けとめ、これに対し、痛切な反省と心からのお詫びを述べた」とある。日韓間で植民地支配について確認された初めての文書となった。

2002年の「日朝平壌宣言」でも、「日本側は、過去の植民地支配によって、朝鮮の人々に多大の苦痛と損害を与えたという歴史の事実を謙虚に受け止め、痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明した」とされた。この「日朝平壌宣言」には安倍首相は小泉内閣の官房副長官として立ち会っている。

2010年の菅首相談話では、「日韓併合条約が締結され、以後36年に及ぶ植民地支配が始まりました。三・一独立運動などの激しい抵抗にも示されたとおり、政治的・軍事的背景の下、当時の韓国の人々は、その意に反して行われた植民地支配によって、国と文化を奪われ、民族の誇りを深く傷付けられました。/私は、歴史に対して誠実に向き合いたいと思います。歴史の事実を直視する勇気とそれを受け止める謙虚さを持ち、自らの過ちを省みることに率直でありたいと思います。痛みを与えた側は忘れやすく、与えられた側はそれを容易に忘れることは出来ないものです。この植民地支配がもたらした多大の損害と苦痛に対し、ここに改めて痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明いたします」と表明した。  

安倍政権の歴史修正主義を許すな

さて、2015年の安倍首相談話はどうなのか。日本共産党志位委員長のコメントによれば、「反省とおわびについて、過去の歴代政権が表明してきたという事実に言及しただけで、自らの言葉として、反省とおわびを一切述べていないので、大変欺瞞的な内容だ。『村山談話』が示した、過去の歴史に対する日本政府の基本的な認識や価値を、事実上、投げ捨てるに等しいもの」とある。

以上見てきたように、安倍政権の「解決済み」論は、歴史的にも事実に反するものだし、日本政府がこれまで積み上げてきた立場を覆すものである。これこそ歴史修正主義でなくてなんだろうか。安倍政権は2015年末に前朴槿恵政権との間で「慰安婦合意」を行った。日本が用意した資金をもとに財団を組織し、賠償に充てるというものだった。現在は財団が解散して機能していない。1965年に「解決済み」ではなかったからこそ、そのような合意が必要だったのである。それは、在韓被爆者問題、サハリン残留帰還者問題にもいえることだ。それらは1965年の協定では「全て解決済み」でないからこそ、それを補完するものが必要だったのだ。

韓国では4月15日に総選挙が行われる。文在寅政権の中間評価であり、次の大統領選挙の前哨戦でもある。日韓の実務者協議が停滞すれば、GSOMIAの再度の終了宣言が出される可能性がある。韓国政府は、猶予宣言は暫定措置であり、再度の終了も辞さずとの立場を表明しているからだ。それは総選挙の変数として浮上する可能性がある。

双方に自制を求める論調には反対しなくてはならない。最近韓国で歌われている民衆歌謡の言葉に「真実は闇に負けない、真実は沈まない」というのがある。安倍政権の歴史修正主義を葬り去るためのスローガンにぴったりだ。

おおはた・りゅうじ

1952年北海道生まれ。朝鮮半島や東アジアの研究に従事。朝鮮半島、中国に関するレポート、論考多数。韓国、中国でも居住経験。バンプ『朝鮮半島をめぐる情勢と私たち』(完全護憲の会)。共訳書として『鉄条網に咲いたツルバラ』(同時代社)、『オーマイニューの朝鮮』(太田出版)など。ブログ「ドラゴン・レポート」主宰。

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