論壇

「子どもへの支配」を内包する「親権」

離婚後の「共同親権」をめぐって

こども教育宝仙大学元教授 池田 祥子

はじめに―「家族論」への私的アプローチ

人間が生まれて、成長して、性的なパートナーと出会って(あるいは出会わないまま、あるいは別れて、また出会って、など)、共に暮らす「生活の場や人間関係」を、私たちは「家族」と呼んでいる。それこそ、生きものとしての人間の「生・性」に関わり、「住む・食べる・くるむ(纏う)」という衣食住の営まれる場であり関係である。

はるか昔、縄文時代まで遡らなくても、私が生きてきた戦後の75年間だけでも、「家族」のあり方や姿は大きく様変わりしてきた。

私の小学・中学校時代、女の子は何かというと「そんなじゃ嫁に行けない!」と叱られたり、「お~、いい嫁さんになるぞ」と褒められたりした。それなのに「雨降りお月さん」「花嫁人形」の童謡を歌うと、何かしら涙がこぼれてきそうだった。未だ「悲しい嫁入り」が童謡に残っていたのだ。

それでも、次第に一夫一婦の理想的な夫婦像がインプットされてきたが、小学校5,6年の時、好きな男の子が複数いて、「たった一人を選ぶこと」の難しさに本気で悩んだ。また、学校から見に行った映画『トムソーヤの冒険』で、好きな女の子を両側に座らせたトムソーヤと二人の女の子が、何とも幸せな顔をしている場面で、なぜ男の子は疚しさを感じないのか、女の子はなぜ嫉妬しないのか、学校はなぜこんな「不道徳な!」映画を子どもたちに見せるのだろう・・・と訝しく思ったものだ。

中学生の頃、同じ家に間借りしていた幼女のお守りを頼まれて、夜、布団を敷いて一緒に寝かしつけていた時、私は何ともドキドキし始めた。愛おしい、可愛いという感情とは少し違う、幼女を「いたぶりたい」という奇妙な、どこか性的な衝動だった。男性でなくても、幼女の持つ性的な魔性に煽られた経験だった。

もっとも、私自身の家族は、父と母が喧嘩をしては母が家を出たり、一時は一家離散、子どもたちはそれぞれ別々に祖父母や親戚に世話になったりした。そして、父母はついに離婚した。その後、父の二度目の妻と連れ子と一緒に暮らし、母違いの弟も生まれた。その意味では、戦後の典型的な「家族」を生きてきた訳ではないし、ある意味、固定的な結婚観やセクシャリティの持ち主ではないと思ってはいた。それでも、「同性パートナー」は時たま近くに居ないわけではなかったが、見て見ぬふりをしていた。多様な性的アイデンティティ(LGBT・I&Aなど)を見知った時には、やはり大きな衝撃を受けた。

人間にとって、こんなにも基本的でありながら、しかも多種多様な「家族」の実態。そこに生きる一人ひとりの生活を保障することは、確かに政治の仕事ではあるだろう。とりわけ、そこで暮らす乳幼児や子どもの育ちを、可能な限り保障することは重要である。

しかし、現在の「家族」に関わる政治や法的な規制が、はたして「家族」の実態に本当に即しているのか、そこに生きる人々の自由と生活を真に保障しようとしているのか、私にはやはり疑問である。それは、未だに固定的な「あるべき家族=温かで幸せ」「あるべき父・あるべき母の像」からの発想であり、結局は「上からの強制」であるように感じられるからである。

離婚後の「共同親権」をめぐる攻防も、家父長的な性格を払拭しえないままの「親権」という枠組みの中で、しかも戦後の「性別役割」をそのまま下敷きにしながらの「父と母」の対立・争いにさせられてしまっているのではないか。私には、現代の一つの不幸な局面として痛々しく思える。

いずれにしても「家族」とは?「親」とは?「子どもの幸せ」とは?・・・など、実に多様な、幸せも不幸もともに抱え込む「家族」「夫婦」「親子」の実態・実相に即しつつ、あくまでも「子ども」を主体として、柔軟な、かつ多様な「家族」を創り上げることを社会や国は援助していく方途を考えるべきだろう。

1 現行民法に規定されている「親権」とは

「戦後とは何か」に関わるテーマの一つに、戦前の家制度を表面的には廃止しながら、諸々の家父長的慣習を多く残している民法をめぐる家族法の問題がある。

カッコつきではあれ「民主主義」の理念の下で、確かに、「家族」に関わる規定は、憲法14条、24条や民法2条に、個人の尊厳や「両性の本質的平等」を基本原理として組み込んだ。しかし、結婚・子産みなどに関わる家制度の風習は根強く、法関係者にも意識化されないままに、民法の中には家制度の「常識」が多く取り残されている。例えば、女性のみの再婚禁止期間(6カ月)、夫婦の氏(=同氏・同姓)、生まれる子どもの父の認定(結婚後200日以降は現夫、離婚後300日以内は前夫)、などである。

それらに加えて、今回のテーマである「親権」が、戦後民法にも「懲戒権」を含みつつ規定されている。

明治民法(1898・明治31・年)および戦後民法(2011年改正前)の条文を、それぞれ見てみよう。

・ (明治)882条1項(現代文改め):親権を行う父または母は必要なる範囲内において、みずからその子を懲戒し、または裁判所の許可を得て、これを懲戒場に入れることができる。

・ (戦後)822条1項:親権を行う者は、必要な範囲内で自らその子を懲戒し、又は家庭裁判所の許可を得て、これを懲戒場に入れることができる。

何ということ! 戦後民法の親権は、その文言も明治民法とほとんど変わらず、戦前の家業を主とする家長の子どもへの支配権をそのまま継承したことになる。「子どもの監護と教育、居所指定、懲戒、職業許可、財産管理」などは、明らかに親の子どもに対する支配的「権利」に他ならない。

しかし、それ以降の日本では、民法に家父長的な親権規定を残しながらも、現実には、男女による一夫一婦婚および、「男は外、女は内」という性別役割分業が、社会構造としても人々の意識においても、浸透し定着していった。したがって、性別役割分業における明らかな「女性差別」は問題化されるまでには時間を要したし、結婚中であれば父母ともに有する「共同親権」であるため(ただし、それは「常識・慣例」だからなのか、戸籍には明記されない)、民法上の「親権」の、子どもに対する支配性・権力性を問題にする風潮は、残念ながら稀有であった。

この家父長的な親権規定が一部見直され、改訂されるに至ったのは、これまた、世界的な動向と圧力があってのことである。つまり、1989年、第44回国連総会で採択された「児童の権利に関する条約(子どもの権利条約)」を受けて、それを日本が批准したのは1994(平成6)年4月、それからさらに7年後の2011(平成23)年、ようやく民法は改正された。

改正された親権規定を見てみよう。

民法820条:親権を行う者は、子の利益のために子の監護及び教育をする権利を有し、義務を負う。

・ 同822条:親権を行う者は、第820条の規定による監護及び教育に必要な範囲内でその子を懲戒することができる。(太字は筆者)

確かに、「子どもの権利」を前提にしての日本的な「改正」である。親権が「子の利益のため」の「権利と義務」に変更され強調され、それなりに親権を限定した配慮は伺える。しかも、「懲戒場に入れることができる」の文言はさすがに削除されてはいるが、なお、「監護及び教育に必要な範囲内で」という「限定つき」で、「監護」「懲戒」という子どもへの威圧的な行為を表わす文言は残され、結局、親権の中の「懲戒権」は残されたことになる。

「子どもの権利」を主軸にして、家族法、児童福祉法の根底の哲学・理念を大きく変えていく・・・という問題意識は、残念ながら日本の政治に期待するのは難しいのだろうか。行政はひたすら齟齬のないように「つなぎ合わせ」「部分修正」を重ねていくために、問題はかえって見えないままに捩じれていく。「子どもを健全に育てるのは親の責任」という観念の強い日本では、どうしても子どもに対する厳しい躾、懲戒が肯定されてしまうのだろう。

ところで、「日本は英米とは違う」と多くの人が「対岸の火事」視していた「児童虐待」という社会事象は、1990年から統計を取り始めたものの日本でも年々増え始め、2019年8月1日発表された「2018年度児童相談所対応の児童虐待件数」は、過去最多の15万9850件にも上っている。

また、2017年から2019年にかけて報道された船戸結愛ちゃん(5歳)、栗原心愛さん(小4)の虐待死のニュースは、多くの人に衝撃を与え、かつ、対応した児童相談所や学校、教育委員会の明らかな判断ミスまでもが明らかになった。そのような状況を受けて、さらに、国連子どもの権利委員会の勧告とも重なり、昨年6月19日、児童福祉法および児童虐待防止法の改正がなされ、「親や児童福祉施設の長による体罰禁止」が法制化されるに至った。

ただ、それでも、2011年民法改正時点でも問題にされた親権のなかの「懲戒権」は、今回も削除には至らず、今年4月からの施行後「2年を目途に」法制審議会で検討されることになっている。「体罰の禁止」を法定しながら、なぜ「懲戒権」は継続審議なのか、ここにも日本の「親権」をめぐる根深い執着が見え隠れしているようだ。

いま一度繰り返せば、元々「親権」の中に含まれている子どもに対する強圧的な懲戒的権利機能が、十分に対象化され検討されることなく、世界的な「子どもの権利」尊重という動きと、極めて妥協的につなぎ合わせられているということである。

そして、その「親権」の、児童虐待という機能不全状態(養育責任不適あるいは放棄)の増加に対して、今度は「法律」という強権をもって、親自体が、子どもへの加害者であると断罪され、検挙されることになる。このような傾向は、2011年民法改正時点に創設された「親権停止」制度や、要件がさらに厳しくされた「親権喪失」「管理権喪失」制度にもすでに見られていた傾向ではある。 

2 離婚後の「単独親権」

夫婦が離婚する際には、どちらの親が親権者になるのか、その取り決めが離婚成立の基本条件となる(民法819条1項)。また、裁判離婚の場合は、裁判所が父母の一方を親権者と定めることになっている(同2項)。したがって、離婚後は、「単独親権」となり、子どもの戸籍の身分事項欄に、親権者の氏名が記載される。

因みに日本では、当事者同士による協議離婚が9割、裁判所が関与する裁判離婚は約1割である(もっとも、最近は裁判離婚が若干増えているようではあるが、それでも協議離婚は9割弱を維持している)。

この離婚に際しての単独親権の根拠・由来も、考えて見れば戦前の家制度だったことは明らかである。

「腹は借り物」という言われ方は身も蓋もないが、戦前の家制度では明らかに「嫁」は、家の跡取り息子(家の相続人)を産むためのある種の道具、「子産み器」であった。したがって、親権とは父権に他ならず、離婚の際は、女だけが実家に出戻る形となっていた。それゆえに、妻が産む子どもが、本当に父の子どもであるのか、「父の確定」が重要問題であり、そのための「処女」の尊重、「貞節」の重視、「姦通」は実際に他の男の血が紛れ込むゆえ重罪、などの規定があり、世間でのモラルもそれに倣っていた。

戦後しばらくは、戦前の親権=父親の風習が続くことになるが、一方での「男女平等」や「性別役割=男は外、女は内」が浸透するに従って、離婚に際しての親権担当者が、「父から母へ」と移動することになる。

1950年の統計によると、「親権者・父」の割合は約5割、「親権者・母」は約4割、後の約1割は、父と母とで子どもを分け合った件数である(未だ兄弟姉妹数も多かった)。

その後、「子産み・子育ては母親の務め」という母性の強調もあり、高度経済成長真っただ中の1966年、親権の父母の割合が逆転する。そして、2015年の統計では、父12.1%、母84.3%となっている。最新の司法統計では、父9.6%、母90.4%までにもなっている。

戦前の風習からすれば、まさしく離婚後の「親権」をめぐる父と母との逆転現象である。戦前であれば、離縁された嫁(母)は、実家に出戻り、子どもとの関わりも断たれ、寂しく悲しく我が子を思っては偲び泣くだけの「母物語」で終わった。それが、戦後の「性別分業」のために、離婚に際して子どもの実質的な養育担当者として親権を獲得していったことになる。

だがその反面、稼ぎ手(男)を失う「母子家庭」の大半は、即経済的困難に直面することになる。すなわち「母子家庭」の大半に生じる貧困問題である。

もともと、国内総生産GDPおよび国家予算に占める社会的養護の経費比率は、米国ワシントン州2.6%、ドイツ0.23%に対して、日本は0.02%である。それぞれと比較しても100分の1、10分の1でしかない。具体的に見ても、1961年に創設された母子家庭のための「児童扶養手当」は、年収57万円(!)で月額42,360円の支給ではあるが、年収220万円で11,870円となり、それ以上は打ち切りである(2002年.8.1)。(もっとも2010年8月には父子家庭にも支給されるようになったが、所得制限は同じである)。

考えて見れば、戦後の「性別役割」の社会構造は、ある意味で結婚を継続させるための有力な装置であったかもしれず、多くの男女は、離婚後の大変さを考えただけで、よほどのことがない限り離婚は思いとどまったに違いない。

しかし、時代は変わる。結婚件数自体、団塊世代が支えた1970年に約100万件であり、これが戦後のピークである。それ以後は、徐々に経済の不況、少子化の影響や非婚の増大もあり、2018年は約59万件、ピーク時から40万件の減となっている。これに対して、離婚件数は、1965年前後、7~8万件でしかなかったものが、徐々に増加し、少しの増減を経て、2002(平成14)年約29万件でピークとなっている。その後は少しずつ減少しているがほぼ横ばい状態、2018年の離婚件数は20万7000件である。同年の結婚数と比べてみれば、結婚件数のほぼ3分の1弱となっている。

かつては、離婚を思いとどまらせてきた「性別役割」装置が、徐々に機能しなくなってきたのかもしれない。女性労働者(多くは非正規労働者)の増大、保育施設の増設、祖父母世代の長寿化・健康・一定の経済力保持、「バツイチは恥」という意識の風化・退潮、さらに「少子化」・・・等々が相互に絡んでいるのであろうか。

しかも、その離婚件数の中で、「5年未満での離婚」が7万件でもっとも多く、「10年未満での離婚」を含めると11万件となり、全体の半数を超える。そのためもあり、「未成年の子ども」を抱えた離婚も、全体の58%となり、「親が離婚した子ども」の数が21万人を超えることになる。未成年人口の10人に1人だという。

このような状況を、父、母、子どもたちそれぞれ、主体的に受け止めて、前を向いて生きていければ良いのだろうが、残念ながら、離婚に際して、あるいは離婚の後に、「養育費」の請求、「面会交流」の要求をめぐって、父母間に対立・争いが激化するケースも少なくはない。そして、今では、親権を「奪われた」父親たちを中心にして(もちろん母親も少人数ながら含まれているが)、離婚後の「共同親権」法制化の動きも顕著である。

3 「養育費」取り決め、「面会交流」から「共同親権」法制化へ

2011年の民法改正では、協議離婚の際に、親権の所在だけでなく、「子との面会および交流」「子の監護に要する費用の分担(すなわち養育費負担)」などが取り決められるよう明記された(民法766条1項)。

(1)「養育費」の取り決め・取り立て

この民法上の規定にも則り、また離婚後の母子家庭の貧困という状況を踏まえて、世間的には「父親の経済的養育責任」を当然視し追及する風潮が一般的である。「性別役割」規範がなお根強いためであろう。

しかし、高所得の父親ならいざ知らず、経済的に中・下ランクの父親にとって、離婚した後に月々定額の養育費を支払うことは、決して容易なことではなかろうと思う。離婚後の父親にとって、住宅費(家に留まるにしろ、出て行くにしろ)の割合も増え、時には失業、転職もあれば、また新たな再婚というケースさえあるだろう。事実、厚労省の2016年度調査では、母親が養育費を「受けている」は24.3%、「受けたことがない」は56.0%である。

とはいえ、離婚の際に父親への養育費請求が当然とされ、証書に金額も明記されれば、母親にとっては当然要求すべき「権利」となる。約束したにもかかわらず未払いのままの父親は、社会的にも批判・糾弾の的になる。

2019年11月27日の朝日新聞は、「子の養育費、不払い防ぐ対策を急げ」というタイトルの社説を掲載し、明石市の新条例制定を好意的に紹介している。その新条例には、養育費未払いの父親に対して「支払いを勧告」、「従わない時は命令に踏み込み」、さらに応じない時には「氏名の公表」もありという。当初は2020年4月の施行が目指されていた(ただし、有識者会議に諮ったところ、慎重派の意見もあり、実施はもう1年遅らせることになった)。また、大阪市や滋賀県湖南市の取り組みも紹介され、「支払いを取り決める公証証書の作成や民間保証会社の利用に、助成金支給」など参考例として挙げられている。

さらに別件だが、釧路家裁(第1審)、札幌高裁(第2審)、最高裁、と続けられている現在進行形の裁判事例は、別居時に取り決められていた月額15万円の「別居生活費(婚姻費用とも称されている)」を、その後離婚した後にも同額を要求する妻と、それを拒否する夫との抗争である。家裁では夫に支払いが命じられ、第2審の高裁では、逆に、妻の申し立てが却下され、最高裁では、再び妻の請求が続けられるとして、高裁に差し戻されている(2020年1月28日朝日新聞)。この裁判事例での「月額15万円」というのは、詳細は定かではないが、養育費としては高額の部類だと思われる。

最高裁の司法研修所は、昨年12月23日、離婚の際の養育費の新しい算定基準を公表した。離婚子育て家庭の貧困問題を受け、また、この間の経済状況の推移を考慮して、これまでの養育費の算定基準を概ね月額1~2万円アップさせるというのである(父の年収450万円、母の年収150万円+子ども2人の場合、旧養育費4万~6万円、新では6万~8万円など)。これは、離婚の際の養育費の基準が法律では決められていない日本で、養育費決定の目安として、初めて裁判官による算定基準が設定された2003年以来の、まさしく16年ぶりの改訂であり増額である。

さらに、日本弁護士連合会は、「低額な養育費が母子家庭の貧困の一因だ」として、2003年の基準はもちろん、今回の基準よりもさらに高額な基準を提示している(2016年)。

以上のように、社会の趨勢は、離婚母子家庭の貧困問題を専ら、別れた父親からの養育費取り立てで解決しようとしている。「性別役割」を批判してきたはずのフェミニストによっても、この養育費請求は当然視されている。その結果であろう、2019年5月10日、改正民事執行法が成立した。商取引などでの契約違反に対して、裁判所を通して強制的に取り立てていく民事執行法を、「養育費取り立て」や「子どもとの面会交流」の滞る離婚後の父母の対立の場にも適用しようというものである。その結果、この春4月の施行以降は、養育費取り立てのために妻は、裁判所を介して、公正証書に基づき元夫の給与・資産の情報を入手することもできるようになる。

結婚・離婚に関わらず、子どもの生活と教育を社会的に保障していくための、すべての子ども対象の「こども手当」や「公教育費の完全無償化」は、日本では、なぜか本気で追求されることなく、それでなくとも互いに傷つけあう離婚した父母が、さらに離婚後も互いの「権利」を要求し、不満や怒りを溜め込むことになってしまっているようである。

(2) 別れた親と「子どもとの面会交流」

1972年半ばの頃だったろう。少し先輩の友人が離婚した後、時々、元夫婦と子どもともども一緒に落ち合って、食事をしたり、遊園地に行って遊んだりしていた。未だ「離婚」など、自分のこととして全く考えられもしない頃だった。私は、夫や友人たちと、「彼ら、立派だね。離婚しても仲良しでいられるなんて・・・」と眩しい思いで噂しあっていた。

しかし、年を経て、自分が離婚する局面に立たされた時、「離婚」とは、人生の中で「もっとも」と言えるほど辛く重い経験であり、きれいごとは言えないと痛感した。もちろん、離婚のケースも千差万別、多種多様である。両者がともに「マンネリになったから、さよならしましょう」ときれいに別れられる場合もあるだろう。だが、愛情や、執着が絡み、世間体や自意識までも絡み合う時、「離婚」の場は、哀しみや寂しさより先に、怒りや怨念、さらには憎悪・失望、ひいては自死や相手への殺意すら湧き上がってくる。

大人二人だけの別れですら大ごとである。そこに二人の間に生まれた「子ども」が介在するや、事態はさらに複雑になり深刻になる。子どもとの別れは「一生分の涙が零れる」とも言われる。そして、昔の「大岡裁き」の話ではないが、わが子をめぐって、別れた父と母とが子どもの両腕を引っ張り合っている図が、時として展開される。

別れた親が、「わが子に会いたい」という思い自体は当然であり、自然であろう。しかし、その子どもの年令や性別、どのような暮らしの形であるかによって、「面会交流」もまた一概にはいかない。離婚に至った主な理由が、夫による妻へのDV、あるいは子どもへのDVである場合にはなかなかに厄介であろう。

離婚に際して、「1年間に100日面会」を要求する父親と、それを拒否する母親との裁判も、第1審は千葉家裁松戸支部で行われ、ここでは「フレンドリーペアレントルール」を理想に掲げた父親が勝訴、しかし第2審東京高裁では、逆に母親が勝訴、父親が上告した最高裁では、父親の上告を退けて2審判決が確定している(2017年7月13日、朝日新聞)。

親権を母親に取られ、養育費は強権的に取り立てられ、その上、子どもと自由に会うこともできない・・・父親に憤懣が溜まっていくだろうことも無理もない。しかし、「会いたい」というのは「気持ち」である。父親(時には母親)の気持ちだけでは成り立たない。離れて暮らす親と子どもとが、共に「会いたい」と思わなければ叶わないことであり、また、子どもの暮らしの形態によって、可能な場合、不可能な場合もあるだろう。

にもかかわらず、「子との面会交流を求める調停の申し立て件数」は、2000年度、約2400件であったものが、2017年では約1万3000件(約7割が父親)となっている(司法統計)。

そして、ついに業を煮やしたのであろうか、東京都の40代の男性が、「一方の親から親権を奪うのは法の下の平等を定めた憲法14条に違反する」と訴えており、欧米諸国や中国・韓国でも導入されている「共同親権」を求めている(最高裁に上告。朝日新聞2018.12.3)。

以上のような「父権回復運動」とも呼びたくなるような動きは、すでに2014年に発足した超党派の国会議員「親子断絶防止議員連盟」による「親子断絶防止法案」の作成の動きによっても下支えされている。現在は「共同養育支援議員連盟」と改称され、「共同親権制度」の導入が目指されている。実際、現在時点で、法務省内に「父母が離婚した後の養育の在り方を中心とした家族法の検討課題について」の研究会が開催中であり、「離婚後共同親権制度の導入の是非」も検討項目の一つであるという。

おわりにー「共同親権」要求の前に「親権」の問い直しを 

上記したように、2014年以来「親子断絶防止法案」の作成など、離婚後の「共同親権」を要求する根強い動きがある。

また、2017年9月21日の朝日新聞には、大森貴弘常葉大学講師(憲法学)による「共同親権で親子の関係守れ」という投稿記事もある。そこでは、「世界の国々では当たり前に見られる」のに、日本では「子の健全な発達には両親が必要との認識が薄く、先進国で共同親権を認めない唯一の国である」と断罪されている。さらに、同年4月に兵庫県伊丹市で起きた父子の死亡事件にも触れられ、「原因は親子断絶による父親の精神状態の悪化にある。面会交流が継続されていれば事件は起きなかったはずで、親子断絶の問題を告発した事件と言える」と強調され、関係者にそれなりの反響を及ぼした。

確かに、大まかに言えば、世界的には「フレンドリーペアレントルール」(寛容性の原則)や「片親疎外症候群(PAS:Parent Alienation Syndrome)」も認識されている。しかし、一方で、DVの増加などを理由に、「共同親権」に批判的な研究者・弁護士も少なくはなく、この辺りの問題は、やはり慎重に検討される必要があるだろう(梶村太市・長谷川京子・吉田容子編著『離婚後の共同親権とは何か』日本評論社、2019など参照)。

検討されるべき問題の一つは、同じく「親権」と日本語に訳されているが、その国の用語や慣習に即して丁寧に見て行かなければならないことである。そうすれば、日本の支配的な「親権」とは異なるニュアンスが込められていることが分かるだろう。

例えば、ドイツでの「Sorgerecht」には「権利」という語が認められるが、オーストラリアの「家族法」では、「Parental Authority」(親権)が「Joint Custody」(共同監護)に変えられ、近年では、この言葉でさえ「子どもを保護の対象にしており、なお親の権利性が残る」として、「Shared Parental Responsibility」(分担親責任)という言葉に移行しているという(前掲書、小川富之執筆、第6章)。「親権」というより「Parental Responsibility」(子どもへの親の責任)をシェアする(share)というのである。

英米ではその他、「子どもを世話する=親」という意味で「Parenting」が用いられ、これをシェアする「Shared Parenting」(共同養育)とも言われている(前掲書、長谷川京子執筆、第5章)。

さらには、それぞれの国における恋愛・結婚・離婚のそれぞれの局面での相互のコミュニケーションのあり様、率直さ、対等性なども見て行かなければならないだろう。例えばオーストラリアでは、1975年の家族法から、離婚における「破綻主義」が取り入れられている。夫婦が離婚に至るのは、結局は両者の責任であり、結果としての「共同生活の破綻」と見なされるのである。

日本でなお残る「有責主義」では、離婚の原因を作ったのは誰か?が問われ、その責任ゆえに高額の「慰謝料」請求も当然とされる。したがって、そのような激しい責任追及の果ての離婚後になお、「フレンドリーな関係を保つ」と言われても、それはなかなかに難しいことだろう。

また、台湾・韓国における「共同親権」は、最近まで父権中心であり、離婚後は「父親の単独親権」であったものを、母親にも親権を認めるという内容である。さらに、米国、オーストラリアでは、最近になって、DVのケースも無視できなくなり、離婚後の「監護・養育担当者」や「子どもとの面会」を決める際には、「子どもの安全」確保が最優先事項とされている。

結論として言えることは、やはり、「子どもの権利」を主体にして、離婚後の条件整備を行うことであり、多様な家族のかたちやあり様を、型通りの「理想」や「愛のある父母、親子関係」に当てはめないことであろう。

現在放映中の朝ドラ『スカーレット』の2月15日放映(水橋文美江作)の場面で、父親と息子の会話に「親は親、子は子」という台詞があった。家族や離婚のかたちもまちまちであるように、子どもの感情や育ちもまちまちであるだろう。親が離婚して、すんなり素直に双親を受け入れられるとは限らない。悲しみや寂しさ以上に、憎しみや恨みを持つだろうし、拗ねたりいじけたり、反抗するかもしれない。別居する片親が「会いたい」と思っても、子どもが「会いたい」と思うかどうかは別である。

そして、別れた親同士も、相手を理解し、子どもの親として再認できるとしても時間が必要な場合もあるだろう。逆に、別れてすっきり、というケースだってありうる。その意味では、離婚後の夫婦も子どもも、法による杓子定規な扱いや裁きではなく、長い目でフォローされなければならないのだと思う。

いけだ・さちこ

1943年、北九州小倉生まれ。お茶の水女子大学から東京大学大学院教育学研究科博士課程修了。元こども教育宝仙大学学長。本誌編集委員。主要なテーマは保育・教育制度論、家族論。著書『〈女〉〈母〉それぞれの神話』(明石書店)、共著『働く/働かない/フェミニズム』(小倉利丸・大橋由香子編、青弓社)、編著『「生理」――性差を考える』(ロゴス社)、『歌集 三匹の羊』(稲妻社)、『歌集 続三匹の羊』(現代短歌社、2015年10月)など。

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