特集●問われる民主主義と労働

ドイツの民主主義を脅かす右翼とネオナチ

東西ドイツ再統一、大量難民受け入れで伸長―政治混乱に対抗する“戦う民主主義”

在ベルリン 福澤 啓臣

今年に入って1月14日に連邦議会の議員カラムバ・ディアビ氏(社民党)の事務所(旧東独ハレ市)の窓に数発の銃弾が撃ち込まれた。同氏はアフリカ系ドイツ人(セネガル出身)で、以前から脅しの手紙やメールなどが届いていた。身辺警護を強化するのは当然だが、自ら護身用の拳銃などを持つことはしないと発表した。その数週間前には脅迫にさらされていた中都市の市長が護身用のために、拳銃携帯許可の申請をしたことが発表され、大きな話題になっていた。昨年を振り返ってみると、メルケル首相の2015年来の難民受け入れ政策を弁護したリュブケ知事の自宅での射殺、 礼拝中のユダヤ教会への襲撃など極右によるテロ行為が続いている。

ドイツは市民社会(市民参加によって公共性や公共空間を国家から取り戻そうとする運動―アントニオ・グラムシ)が非常に強いという印象があるので、右翼の活動が見逃されやすい。ところがドイツ社会では殺人を含む極右による攻撃が繰り返されているのである。そして2017年以来AfD(ドイツの選択肢)党が連邦議会に進出し、民主主義の共通理解を脅かしている。

1.戦後の右翼テロ

内務省は、1990年代以前はネオナチによるテロの犠牲者の数は多くないという理由で統計として発表していない。ウィキペディアを参考にして、統一前の右翼テロの犠牲者を数えてみた。45名となっている。断るまでもないだろうが、この数は西ドイツにおける犠牲者である。大きな事件だけを取り上げてみる。

1980年の10月にネオナチ学生のグンドルフ・コーラー(21歳)がミュンヘンのオクトーバーフェストに手製の爆弾を仕掛け、12名を犠牲にし、213名を負傷させている。1984年にはトルコ人の施設がエベリン・D(女性)に放火されて、7名のトルコ人が犠牲になっている(警察は右翼のテロと認めていない)。1988年には19歳のヨーゼフ・ザラーがトルコ人の住んでいる建物に放火。4名のトルコ人家族が犠牲になっている。

攻撃の対象になっているのは、トルコ系の移民、さらにアフリカ人、ベトナム人、ユダヤ人と続く。外国人嫌いがおしなべて動機として挙げられている。ネオナチのテロにしては、ユダヤ人が多くないのは、ユダヤ人を示すキッパー(ユダヤ人男性がかぶる帽子)などをかぶっていない限り、一見ドイツ人と区別できないからかもしれない。

ちなみにドイツ赤軍派による1972年から1993年までの武装闘争の犠牲者は34名になる。内訳は検事総長、経団連会長、大銀行頭取2名、米軍人7名、外交官4名、警察官13名などである。93年以降は犠牲者が出ず、1998年に解散する。

2.東西独統一後の右翼テロ

1990年のドイツ再統一から右翼テロが増え始めた。2019年までの犠牲者の数は、内務省の発表によると、102人となっている。それに対してアマドイ・アントニオ財団(市民社会の強化を目的とする財団)の統計では211人である。明白でないケースとしてさらに12名を数えている。ドイツの代表的な高級紙Die Zeitによれば182人となる。どの統計をとってみても、圧倒的に増えている。

1990年以降のネオナチのテロ行為の中で、犠牲者の数および捜査上の問題も含めて真っ先に取り挙げられるべきは、NSU(「国家社会主義地下組織」)連続殺人事件であろう。

NSU連続殺人

10名のドイツ市民が2000年から2006年の間にドイツ全土でピストルや爆弾によって殺害された。9名が移民の背景を持つ。旧東独出身の3名の男女(1973年生まれのウーヴェ・ムントロースと1977年生まれのウーヴェ・ベーンハルトの男二人及び1975年生まれのベアーテ・チェーペ)が、資金調達のために銀行強盗をしながらこれらの殺人を繰り返したのである。男二人は強盗犯として警察に追い詰められると、隠れ家のキャンピングカーに火をつけて、ピストル自殺した。ベアーテは別の場所にいて生き延びた。

この事件の後にやっとこれら一連の殺人がネオナチ・トリオの犯行と判明する。警察は 、被害者の家族を疑うなどして最後まで個々の事件として捜査を続けた。 メディアの一部は右翼による連続殺人を唱えたが、警察は全くその方向で捜査をしなかった。

ドイツの警察は連邦制のために州ごとに独立している。明確な関連性がない限り他州との情報交換はしないし、コンピュータのシステムがそれぞれ違うので、横の連絡が疎かになりがちである。全国にわたる連続殺人事件と判明すれば、連邦警察、連邦検察が動き始めるが、その動きはなかった。その方向で疑いを表す警察官もいたが、捜査方針に取り上げられることはなかった。

また、政治的な背景が疑われれば、連邦憲法擁護庁(日本の公安警察に相当 )が捜査に乗り出すが、この事件では憲法擁護庁の捜査もきちんと行われなかった。それどころか捜査の不手際、証拠資料の廃棄や紛失などが判明し、連邦憲法擁護庁の長官1名と州憲法擁護庁の長官3名が責任を取らされ、辞職している。

問題にされたのは、このトリオは連続殺人を始める前に、ネオナチとして活動していたことである。何度も逮捕された上に有罪判決さえも受けている。家宅捜索の際にはムントロースが軍隊勤務中に盗んだ38キログラムのTNT爆薬が見つかっている。そのため警察および憲法擁護庁の要注意人物リストにも載っていた。さらに擁護庁の捜査官、あるいはVマン(ファウマン)と呼ばれるアンダーカバーとも何度も接触していた。Vマンが殺人現場の近くにいたとか、トリオにわざと情報を提供して逃がしたとも疑われている状況もあったが、明白にはならなかった。

一つには、憲法擁護庁のアンダーカバーには裁判で証言を拒否する権利があるからだ。それと、証拠が十分あったにもかかわらず、6年間にもわたって10人もの殺人が行われたのには、警察、あるいは憲法擁護庁の中に協力者がいたのではないかとも疑われていたが、結局明らかにならなかった。

生き延びたベアーテがどこまで殺人に関与したかを巡って、期間の長さ、証人の数、費用などの点で戦後最大といわれる裁判が5年間にわたって行われ、昨年の秋に終身刑の判決が下された。

ミュンヘンのスーパーマーケット・テロ

 2016年7月22日に18歳の高校生ダビッド・Sはミュンヘンのスーパーマーケットで9名の移民系と見られる住民を射殺した後、自殺した。ダビッド・Sは凶器のピストルをダークネット(犯罪者などがよく使うアンダーグラウンド・インターネット)で購入し、テロ行為を計画していた。

この日はまた2011年に極右テロリストのアンネシュ・ブレイビクがノルウェーで77名の若者をライフルで冷酷無比に射殺した日でもあった。ダビッド・Sはどのネオナチのグループとも接触がなかったが、ドイツにおける移民が増え続けていることに不安を感じ、憎悪していたことが犯行後判明した。このテロ事件を憲法擁護庁は3年間もネオナチによる犯行と見なさなかった。

ワルター・リュブケ知事の暗殺

昨年6月2日にワルター・リュブケ氏(65歳)がフランクフルトから約160キロ離れたカッセル市内の自宅で、至近距離から頭を拳銃で撃たれて死亡しているのが見つかった。同氏は独中部、ヘッセン州の政治家で、メルケル首相と同じキリスト教民主同盟(CDU)に属していた。

リュブケ氏は、難民が殺到した2015年10月に難民の保護施設を訪問し、「助けを必要とする人々に手を差し伸べるのはキリスト教の基本的な倫理だ」と発言。「こうした倫理に同意せず、身をもって示さない者は皆、いつでもこの国から出ていってもらって構わない」と述べ、ネオナチの激しい怒りを買っていた。 リュブケ氏の死後、「卑劣なヤツにとどめがさされた」などリュブケ氏の暗殺を歓迎するような投稿がソーシャルメディア上を飛び交った。

政治的な主張の違いから政治家が極右に殺害されたこの事件は、ドイツ社会に大きな衝撃を与えている。容疑者としてヘッセンで活動していた右翼のシュテファン・エルンスト(45歳)が逮捕された。同容疑者は犯行前にソーシャルメディアにリュブケ氏に対して、「ドイツ国民への裏切り者、ただでは済まないぞ」などの投稿をしていた。

ハレ市のユダヤ教会襲撃

昨年10月9日に27歳のシュテファン・バリーが拳銃や小銃で武装し、ハレ市にあるユダヤ教教会でヨム・キプル(贖罪の日)を祝って礼拝中のユダヤ人信徒を襲撃しようとした。最近はこのようなテロを防ぐために礼拝中は内側から鍵を閉めて入口を閉じてしまう。犯人は扉に数発の弾丸を撃ち込んだが、結局入ることができず、腹いせに偶然に通りかかった41歳の女性と20歳の男性を射殺した。さらに逃走中に二人を撃って重傷を負わせた。犯人は駆けつけた警官によって逮捕された。

バリーは襲撃の模様をヘッド・カメラで映しながらライブストリーミングで流していた。昨年3月15日に起きたニュージーランドのクライスト チャーチ・モスク銃乱射事件を真似たのだ。犯行前には英語で声明文をインターネットに発表していた。

3.ネオナチ=極右グループ

両グループの違いはほとんどない。彼らは、過去のナチズムの再現を目指している。そして独裁者ヒトラーを信奉している。ヒトラー及びナチズムに関係しないグループはほんの少数である。両方とも、人種主義、反ユダヤ主義、反イスラム主義、排外主義、民族主義、歴史修正主義、ドイツ帝国の賛美、自由民主主義の拒否、加えてホームレスや身体障害者への敵意、政治的な反対意見者への暴力を含む攻撃などの特徴を持つ。

内務省の発表によると、ネオナチの数は2015年の難民受け入れ以降急激に増えて、現在2万4千人が数えられ、そのうち1万2100人が暴力支持者と分類されている。リストアップされたネオナチのグループは118に上る。これまで内務省により18グループが禁止されている。

「帝国市民」運動

「帝国市民」を名乗る個人とグループによる運動で、統一された組織ではない。多くのネオナチがこの運動に参加している。彼らは、ドイツ第三帝国の存在・存続を主張し、その市民を名乗っている。パスポートを発行しているグループもある。もちろん現在のドイツ連邦共和国を拒否している。中にはホロコースト(ナチス政権とその協力者による約600万人のユダヤ人の組織的、国家的な迫害および殺戮)も否定しているグループもある。彼らにはアウシュビッツも存在せず、あれは連合国側の宣伝であるという。また税金その他の支払いも拒否している。領土は1937年の領土しか認めていない。反ユダヤ、反イスラムである。

憲法擁護庁はこの運動の支持者を1万9千人と推定している。組織として統一した運動はせずに、「自主管理」と称するグループが個々に活動している。軍隊式の訓練をしているグループもいる。全国にわたる何度かの家宅捜索で拳銃、猟銃、自動小銃、手榴弾、手製爆弾、格闘用ナイフなどが相当数押収されている。 それと、米国などのネオナチ・グループと連絡を取り、彼らの内乱用の戦闘訓練にも参加している。

これらのネオナチは様々な形で自己の信条を表しているが、ドイツではホロコーストを否定したり、ヒトラーを賛美したりする表現は3ヶ月から5年までの禁固刑または罰金刑に処せられる。さらに特定の人々に対する憎悪を扇動したり、尊厳を傷つけたりする行為は民衆扇動罪として3ヶ月から5年までの禁固刑または罰金刑に問われる。人種差別はもちろん罰せられる。

ネオナチは刺青を好む。ハーケンクロイツなどがはっきりと見える場合は犯罪とみなされるので、隠したり、 様々な隠語を使っている。例えばAdlof Hitlerの頭文字A H、さらにHeil Hitler(ヒトラー万歳)の頭文字H Hなどを記すとか、これらのアルファベットの順番を表す数字の1、8、88もよく使われる。ユダヤ人墓地荒らしの際に最も頻繁に落書きされるのはハーケンクロイツである。

彼らは確信犯なので、何度でも刑務所に入る。例えば、「ナチのばあちゃん」として有名なウーズラ・ハヴァーベックはホロコーストを否定し、すでに8回も拘禁されている。90歳の高齢にもかかわらず、現在服役中だ。彼女の誕生日には350人ものネオナチの仲間が刑務所の外からハッピーバースデーを歌ったりした。仲間の結束が固いのも彼らの特徴。

ドルトムント市にはネオナチが大挙して住んでいる一角があるが、大家さんは、家賃はきちんと払うし、礼儀正しいし、道路などの掃除も綺麗にするので、全く問題ないと言っている。ネオナチにはサッカーファンも多く、アフリカ系の選手に対して、差別的なヤジを飛ばしている。ただ、それが見つかると、サッカー場へは入場禁止にされる。

今年早々禁止されたグループには「コンバット18」がある。C18と刺青しているメンバーがいるが、禁止されたので 公けの場でその刺青をさらすことは許されない。禁止と同時に全国5箇所で家宅捜索され、多少の武器、宣伝ビラ、コンピュータ、財務記録などが押収された。左翼党や緑の党のネオナチ担当者によれば、数ヶ月前からこの禁止命令は出されるだろうという情報が流れていたので、家宅捜索はあまり意味がないと批判している。危険な武器は隠され、重要な財務記録などは消されてしまうからだ。

4.「連邦憲法擁護庁」 テロ取締りが職務だが?

1949年に発布されたドイツの憲法(基本法)はナチスの「合法的」な権力掌握の経験を反省して、「戦う民主主義」を標榜している。政治と国民に民主主義を積極的に守るように求めているのだ。この憲法によって保障された人間の尊厳および自由で民主的な社会体制を脅かす左と右からの活動を取り締まる機関として内務省に属する連邦憲法擁護庁(現在の職員数は1128人)がある。

1949年に設立されたが、東独の存在と冷戦の最中でもあり、設立当時からナチス党(NSDAP=国家社会主義ドイツ労働者党 )出身者が多い官庁だった。1949年から1970年にかけて同党の元党員だった職員は全体の54%を占めた。1961年だけを取り上げると、当時の管理職に占める同党出身者は66%にも上った。ちなみにドイツ共産党は全体主義を理想とする、つまり憲法の基本秩序を否定するという理由で1956年に禁止された。

60年代以降に学生運動から生まれた左翼の活動が盛んになると、彼らを監視し、取り締まることに水を得た魚のように積極的になっていたのも分かる。70年から80年代にかけては、68年世代から発展したドイツの赤軍派によるテロや新しい共産党グループの活動が盛んだったので、左翼対処が主な職務となった(参照:「これらの公職に応募すると憲法擁護庁による調査と審査が待っていた。(中略)公職禁止を受けた人物は1100名、審査されたドイツ人は140万人にも上る」『現代の理論』16号)。

監視方法には、公共監視、つまりデモ、集会での発言などの撮影・録音、出版物やビラなど誰でも手に入る媒体の収集がある。さらに電話や手紙、メールなどの媒体を秘密裏に監視する。憲法擁護庁の捜査官には逮捕する権利はない。

監視の対象が往々にして非合法下の活動になるので、監視側も非合法的な方法に頼ることになる。ドイツでは、前述したようにこれらの捜査にVマンと呼ばれるアンダーカバーの投入が合法とされている。これらのVマンには、当局の捜査官が身分を偽って潜入した場合と、活動家に金銭的な報酬によってスパイとして寝返らせて、情報を得ている二種類がある。後者の場合、二重スパイの可能性が十分ある。

彼らがテロリストに情報はもちろん、資金や武器の調達をしたのではないかと疑われるケースさえある。問題は、議会における調査委員会や裁判で彼らの身分・安全を慮って、はっきりとVマンとして明かされない上に、彼らには証言拒否権があることだ。だから、後述のNPD裁判が示すように、彼らが関与した裁判や議会調査委員会には限界がある。もちろん、彼らは互いにVマンだとは知らされない。だから、 逮捕した非合法組織の幹部の半数がVマンだったというような話が聞かれる。あるいは同庁内に右翼のシンパ職員がいるらしく、捜査の邪魔をしたり、必要書類をシュレッダーにかけてしまったりしている。

緑の党や左翼党は現在のような憲法擁護庁は必要ないと言って、組織解散、あるいは抜本的な改革を要求している。ドイツのような高度な法治国家でVマンのような超法規的存在が許されていることには驚くばかりである。

5. 戦後の右翼政党NPD

第二次世界大戦後ナチスの栄光を再び願って、1964年に創立されたのが NPD(国家社会主義ドイツ党)である。ただし、当時のNPDなどはネオナチ(新世代のナチ)というより旧世代のナチによって牛耳られていた。党員およびシンパの傾向として、ユダヤ人やトルコ人などの外国人排斥、難民、移民の経歴を持つドイツ人への嫌悪、さらに加えて左翼や社会的弱者への嫌悪、差別、排除が基本的な考えであった。理想として、人種的に純粋なドイツ人によるドイツ国家の創立があった。したがってナチスによる非人道的なホロコーストをできるだけ矮小化しようとしている。

2001年に連邦政府(社民党と緑の党の連立政権)は、ドイツ憲法の基本秩序に違反しているとしてNPDの禁止を憲法裁判所に申請したが、Vマンの問題で成功しなかった。というのは、NPDには11名の連邦および州憲法擁護庁のVマンが潜入していて、幹部として活動していたからである。彼らの活動は裁判でも具体的にされなかった。

その後も連邦憲法擁護庁はNPDを憲法に抵触する団体と見なしているが、州議会に選ばれたのみで、連邦議会へ進出していない事実に鑑み、影響力があまりないと判断して、 禁止するに至っていない。もう一つの理由は、禁止すると憲法裁判所までの長い法廷闘争があり、かえって宣伝活動に利用され、藪蛇になるかもしれないという危惧感があるからである。擁護庁の発表によると、同党の支持者は4500人を数える。

6.右翼政党AfDの連邦議会への進出

2015年の大量難民の流入後、AfD(「ドイツのための選択肢」党)が連邦議会の5%阻止条項(ワイマール共和国時代のような小党乱立を防ぐためのバリア)をクリアして、2017年に連邦議会に進出してきた。選挙で13%を獲得し、91議席(709議席中)を得た。このため、それまでキリスト教の価値観を基本とする保守党CDU/CSUの右側には議会内政党が存在しないと言われてきた不文律が崩れたのだ。ちなみにこの5年間における難民の数は183万3664人になる。

AfDの躍進の最大の理由は、2015年の難民の大量受け入れによって国民の一部が、自分たちの社会的なステータスおよび文化的なアイデンティティーが脅かされるという 危機感を抱いたことだ。そのため、CDUの支持者の一部が難民受け入れを断固と拒否するAfDに回った。次に10年以上大連立政権が続く中、メルケル首相は何度も社民党の社会政策を取り入れて自分の政策として実施してきた。このような彼女の左傾化に対してCDU内の保守層はついていけないと感じていたところに、AfDが登場したのだ。党代表アレクサンダー・ガウラントおよび何人かの幹部はCDUの党員であった。

ギリシャの財政危機が生じた際、ドイツは財政支援を決めたが、それに反対し、2013年にAfDは創立される。ユーロ圏離脱を求め、自国優先主義を政策の土台にしている。イスラム教はドイツに属さないとして、反イスラムを掲げ、キリスト教に基づくヨーロッパ文化の防衛を主張している。国内政策では徴兵制再導入、家庭内育児優先を掲げている。大きな政策決定や大統領選出では国民による直接選挙を求めている。

EUの自由化、グローバル化政策に反対するAfDは、1990年のドイツ再統一後に置き去りにされたという感情を抱く旧東ドイツ国民の間でより多くの支持を得ている。旧西ドイツと旧東ドイツの州議会選挙の得票率を比べてみると、旧西ドイツの州議会では平均して8.9%、旧東ドイツでは23.9%と3倍近くの開きがある。旧東独の州議会では20%から30%近い得票率を得ているので、第1党の勢力に迫りつつある。ということは、同党を無視して 連立州政権が成立しづらくなっている。

昨年 10月に選挙されたテューリンゲン州では、左翼党が第一党(31%)の座を守ったが、AfD(23.1%)が第二党になった。CDUは左翼党ともAfDとも政権を組まないと前々から宣言していたので、左翼党のラメロー前州首相は社民党(8.2%)と緑の党(5.2%)との少数内閣(44.4%)を組閣しようとした。すると、2月5日にAfDとCDU(21.7%)が自民党(5%)の代表ケメリッヒを首相に選ぶというクーデターに近い暴挙に出た。市民のデモがたちまち起き、メルケル首相も猛反対したので、同氏は3日後に辞職を申し出た。ちなみにナチ党の議会への進出の突破口になったのは奇しくも1929年のテューリンゲン州議会選挙だった。

AfDの野党第一党によって連邦議会の運営も非常に困難な状況になっている。連邦議会には23の委員会があるが、予算、司法、ツーリズムの委員会の委員長のポストを得ている。現在ドイツ16州における州議会の全てに進出している。支持者層は主に比較的収入が高く、教育レベルも高い中の上階層に多い。職業的にはホワイトカラーおよび年金生活者が多い。

エネルギーに関しては、原子力 エネルギーを支持して、原発の稼働期間の延長を求めている。CO2による地球温暖化説はまやかしであるとして、再生可能エネルギーに反対している。風力発電建設の市民公聴会が開かれると、AfD支持者が押し寄せ、風力発電は自然破壊であると反対しているため、建設が大幅に遅れているケースが増えている。

ドイツの過去のナチスに関しては、党の綱領では反省を唱えているが、個々の党員の言動を見れば、過去の大罪の矮小化は明らかである。党代表アレクサンダー・ガウラントは「ナチス時代は、1000年を超える誇り高いドイツ史にとって、『鳥の糞』程度の汚点でしかない。」と言い放ち、批判の嵐にさらされた。さらにテューリンゲン州党代表のビョルン・ヘッケは、「ナチのばあちゃん」ハヴァーベックがホロコーストを否定した時、「表現の自由だ」と弁護している。彼はメディアではファッシストと呼ばれているが、その呼称は妥当であるという判決が出ている。

過去にネオナチ・グループのメンバーだった者は表向きは入党できないとされているが、実際にはそのような経歴の持ち主が何人も入党している。このようにAfDの最右翼は極右とも繋がりがあるので、憲法擁護庁の監視の対象になっている。

7.ペギーダ・デモ

AfDの躍進を支えるポピュリズム的な市民活動として目立つのはペギーダ・デモ(西洋のイスラム化に反対する欧州愛国者デモ)である。2014年10月24日に旧東独ザクセン州のドレスデン市で最初のデモと集会を行う。まず400名が参加する。毎週月曜日の6時半からデモを行い、2014年12月22日には1万7500人もが参加し、ドイツ中の注目を浴びた。

参加動機としては、ここ数年の政治と社会への不信感がある。政党政治への全般的な不信、次に主なメディアによる報道とそれによって醸し出される市民社会的な公共性に対する不信である。これらを既成のエリートだと批判し、「自分達こそ国民大衆だ」と訴えている典型的なポピュリズム運動だ。さらに難民・移民が増えるにつれて、彼らの主な宗教であるイスラム教がドイツ社会に浸透していき、ヨーロッパの文化的アイデンティティーが喪失されると考えている。同時に、現在のメルケル氏による政権および社会の体制―それにはメディアも大きく貢献している―がイスラム化を容認していると感じ、危機感を募らせている。

メディアが取材しようとすると、「嘘つきメディア」と罵倒し、断固として取材には応じない。ザクセン州憲法擁護庁によると、ペギーダの大半の参加者は極右とはいえないが、ネオナチ組織も混じっているので、監視をしている。AfDの幹部もペギーダ・デモに参加したり、集会で話したりしていたが、現在は参加しないようにと指導されている。ただし、党員の83%が理解を示している。

ケムニッツ事件

昨年の8月にケムニッツ市(旧東独の中都市)で一人のドイツ人がイラクからの難民にナイフで刺され、死亡する事件があった。翌日そのニュースが広まると、ネオナチのグループがドイツ各地から駆けつけ、反難民デモをした。一般市民も参加した上に、AfD政治家も肩を組んで歩いた。顔の知れた党の代表者も一緒だった。ネオナチはさらに通りかかった肌の色の違う市民を襲撃した。

その図は議会政党と極右の活動家が一列に並んだことを示している。それまで連邦議会に進出している政党は基本的に極右とは一線を画し、一緒に行動しないようにしていたのだ。だが、AfDの進出によって議会政党と極右がぴたりとつながったのだ。付け加えると、連邦憲法擁護庁マーセン長官は事件直後、「ケムニッツでは外国人への襲撃はなかった」と主張し、数日後に更迭された。マーセンは与党CDUの党員である。ちなみにドイツでは国家公務員は政党の党員であった方が出世が早い。

ハーナウ市で極右テロリストが9名の市民を射殺

2月19日に極右テロリストのトビアス・R(43歳)がハーナウ市(西ドイツのヘッセン州)で二軒の水煙草バーを襲い、移民の背景を持つと見られる9人の市民を射殺した後、自宅で自殺した。その前に母親も射殺していた。トビアス・Rは、世界が謀略によって滅ぼされるなどの被害妄想を抱いていたようだ。その阻止には、ある人種は消滅させるべきで、自分がそれを始めなければならないと考えたようだ。「帝国市民」だと自認していたらしい。犯人は、射撃クラブに属し、合法的に2丁の拳銃を手に入れていた。ハーナウ市は人口10万人の中都市で、移民の背景を持つ市民は半分を占めている。典型的な多文化社会だ。

8.多文化社会と生来ドイツ人社会

今回のテロは旧西ドイツで起きた。旧東ドイツの右派政党によるポピュリズムの台頭と旧西ドイツにおけるテロの増加の背景は不思議な対照を見せている。東では、移民系ドイツ人および外国人(難民を含む)の数は住民比にすれば少ない。西の方では、非常に多い。

ドイツの全人口は2018年現在8160万人である。移民系ドイツ人は1090万人で、外国人は990万人だ。合わせてこれら非ドイツ人は2080万人になり、25.5%を占める。4人に一人が非ドイツ人なのだ。

全国の住民分布を見ると、彼らの95.3%はいわゆる旧西ドイツとベルリンに住んでいる。つまり、旧東ドイツに住んでいるのは、わずか4.7%に過ぎない 。旧西ドイツの多くの都市ではすでに半分以上の住民が非ドイツ人である。ところが、旧東ドイツに住んでいる非ドイツ人は全体(ベルリンを除くと1251万人)の3%、具体的には37万人に過ぎない。逆説的に言えば、AfDなどが望む、「生来ドイツ人(Bio Germanの拙訳:最近マスメディアで使われ始めている )」が圧倒的に多く住んでいる社会なのである。

目下のところ、ドイツは東と西の分裂国家に近い様相を呈しているが、国全体としてみれば、多文化社会への道を歩んでいる。そして、多くの市民はこれをよしとして受け入れている。5歳以下の非ドイツ人の割合を見ると、2018年現在40.6%である。将来この比率はますます高まるであろう。この傾向に対して、国民の一部及びほんの少数のネオナチは危機感を抱き、暴力を使ってでも、歴史の歯車を逆に回そうとしているわけである。

現在の市民社会及び主な政治や経済やマスコミ関係者は、この多文化社会の創造という挑戦を受け入れ、連帯しながら、新しい社会を形成しようとしている。その基盤になるのはキリスト教でもなく、イスラム教でもなく、ドイツの憲法の保障する「戦う民主主義」だろう。 外国人がドイツの市民権を与えられた時に宣誓するのは、「ドイツの基本法(=憲法 )を尊重し、同法を損なうような行いをしない。」という誓いである。

9.戦う民主主義VS右翼とネオナチ

ドイツの憲法は「戦う民主主義」を謳っている。明文化されていないが、憲法裁判所の判決から次のことが言える。

・憲法の保障する人間の尊厳の不可侵と民主主義体制を擁護する義務を、政治家を含めた国民に課す『国民の憲法擁護義務』。

・憲法が保障する権利、例えば表現の自由などを、民主的な体制を破壊するために乱用する者は、これらを制限される。

・政府が憲法と国民に背いた場合に、国民は抵抗権を発動できる。

・憲法秩序に反する団体および政党は、禁止される。

・違憲政党の決定は、憲法裁判所で行われる。

・民主主義の原則を破壊する方向への改憲を認めない。

「戦う民主主義」の具体例を挙げる。前述したテューリンゲン州議会で2月5日に起きた自民党のケメリッヒの州首相選出は数合わせという意味での手続は合法であったが、AfDの謀略の結果であった。しかし市民の反対デモ および他の政党およびメディアの猛烈な批判の結果、ケメリッヒ州首相は三日天下の後に辞任表明を余儀なくされた。

ネオナチや極右政党にも集会やデモをする権利が認められているが、それらに反対する市民社会側もデモを組織する。ほとんどの場合は市民社会側のデモ隊の方が数が多い上に、市民側は積極的にネオナチの集会やデモを粉砕する気構えで向かっている。機動隊が間に入って、人身事故がないようにしているほどである。このように多くの市民が民主主義を積極的に防衛しようとする限り、ドイツはポピュリストが政権を握る国にはならないという確信が持てる。

ふくざわ・ひろおみ

1943年生まれ。1967年に渡独し、1974年にベルリン自由大学卒。1976年より同大学の日本学科で教職に就く。主に日本語を教える。教鞭をとる傍、ベルリン国際映画祭を手伝う。さらに国際連詩を日独両国で催す。2003年に同大学にて学位取得。2008年に定年退職。2011年の東日本大震災後、ベルリンでNPO「絆・ベルリン」(http://www.kizuna-in-berlin.de)を立ち上げ、東北で復興支援活動をする。ベルリンのSayonara Nukes Berlin のメンバー。日独両国で反原発と再生エネ普及に取り組んでいる。ベルリン在住。

特集・問われる民主主義と労働

  

第22号 記事一覧

  

ページの
トップへ