特集●問われる民主主義と労働

介護保険制度「崩壊」が訪問介護から始まる

介護労働者の権利のために(その3)―ヘルパーの国家賠償訴訟はなぜ起こされたのか

大阪市立大学共生社会研究会 水野 博達

1.声を上げた3人のホームヘルパー

2019年11月1日、3人の訪問介護労働者(以下「ホームヘルパー」「ヘルパー」等と略す)が、東京地方裁判所に国家賠償を求めて訴えを起こした。「登録型訪問介護員」が、「きわめて劣悪で労働基準法が遵守されない労働条件を強いられているのは、(中略)厚生労働省が労働基準法が遵守されない状態に対して規制権限を行使しないことによって生じたもの」と訴えた。筆者は、勇気ある3人の訴えに賛同し、闘い輪が広がることを願うものである。

訴えにある「登録型訪問介護員」とは、通常「登録さん」と呼ばれ、自宅と利用者宅を直行・直帰の形で働く介護職員で、国は、「短時間非定型労働者」と規定している。訪問介護に従事する労働者の構成について、全労連は、正規雇用20.4%、登録ヘルパー51.7%、パート22.1%という2018年の調査結果を報告している。

2005年の介護労働安定センターの実態調査では、「常勤労働者が52.8%、短時間労働者が45.3%(パートは11.1%)」と分類する一方、同じ報告書で「専任ヘルパーの78%は非正規社員」と発表している。また、無期雇用転換等を定めた「改正労働契約法」の実施が2019年4月より始まる前年の2018年12月時点の介護労働安定センターの調査では、正規職員43.9%、非正規48.9%と報告している。

「正規労働者」と「常勤労働者」などの区別や調査の年次や方法、母数の取り方(各短時間労働者の1日の労働時間を常勤労働者の1労働日時間で割って短時間労働者の「常勤換算数」とする方法)などの相違があるので正確な数値は必ずしも明らかでない。ただ、現場の感覚からすると、年々「パート」に区分されているヘルパーも実際上「登録ヘルパー」に近い働き方をしている。だから、訪問介護事業は、登録型ヘルパー抜きには成り立たないものとなっている。

2.ヘルパーは今や「絶滅危惧種」か

二つの深刻な数値を示す。まず、「ヘルパーの雇用倍率」である。

 2016年度17年度18年度
全産業1.251.381.46
介護関係職種3.133.643.95
訪問介護9.3011.3313.10

2016年から雇用倍率が、各1年で約2ポイント上昇している。2018年では、一人のヘルパー求職者に13以上の事業所が群がり、奪い合うことになっているのだ。2018年に筆者が大阪で関わった小規模の在宅サービス介護事業者のアンケート調査(「介護と人権の共同調査・研究事業」)で、「前年度の人材募集の費用」は、20万円以下が89%で、0円が49%という数値に驚かされた。「お金を使っても人は来ない」という諦めが在宅サービスの事業所に広がっていたようだ。

次に、ホームヘルパーの年齢構成である。【介護労働安定センター調査】

2018年でヘルパーの平均年齢は、54.3歳で、65歳以上のヘルパーが40%に迫る。これまで、高齢のヘルパーが踏ん張って来たが、「もう何年も続かない」とヘルパー自身が本音を漏らしている。ヘルパーの高齢化と13.10倍の求人倍数と重ねて見れば、ホームヘルパーは、「絶滅危惧種」となっている。あと5年もすれば、ヘルパーのなり手は消えてしまうかもしれない。5年後とは2025年、団塊の世代の多くが75歳以上の後期高齢者になる年だ。その時、いったい何人が訪問介護サービスを受けられるであろうか。

3.在宅生活を支える大黒柱はホームヘルパー

介護保険制度は、入所施設への「隔離」ではなく、住み慣れた地域で生活の継続できる在宅サービスを基本とする、としてきた。もちろん、この「在宅サービスを基本とする」との国の施策の裏側にある姑息な計算と社会福祉に対する基本的スタンスがあった。この点は、後で触れる。

要支援1、2の高齢者を自治体の責任で実施する総合事業に移し替えが、まだ進んでいなかった2016年度の厚労省の調査によれば、介護サービス利用者は498万人、内施設サービスが125万人で、在宅サービスは、374万人であった。施設サービスを利用できない要支援1、2の「介護予防サービス」の利用者は150万人で、デイサービス66万人、ヘルパーサービス51万人、福祉用具貸与60万人(サービス利用の重複あり)である。

日本のホームヘルプサービスは、「生活援助サービス」と「身体介護サービス」に分かれている。「生活援助サービス」は、利用者本人や家族が行えない日常生活の家事を「代行」するもので、利用者の身体には直接触れない。利用者が生活するスペースの掃除/一般的な食事の支度/洗濯/買い物/薬の受け取り/見守り等で、庭の掃除や犬の散歩、ガラス拭きや利用者の生活スペース以外の掃除などはサービスの対象外である。

「身体介護サービス」は、▽利用者の身体に直接触れて行うもの、▽利用者のADLや意欲の向上を目的として、利用者と一緒に行うもの、▽専門的な知識や技術を必要とするものの3つで、具体的には食事介助/排泄、更衣、洗面、清拭や入浴の介助/体位変換、移乗・移動介助/通院や外出介助/利用者が家事を行う際、安全を確保するための声掛けや見守り/共に行う調理や掃除などの家事/服薬介助/たんの吸引、経管栄養(都道府県の登録機関で一定の研修を修了し認定を受けた者に限る)などである。

生活援助に対しては、「一般の家事と同じで誰にでもできる」とする家父長的な保守層の無知・無理解により一貫して軽視され、サービス提供に対する規制・抑制の下で、介護報酬も身体介護の約半分程度に押さえられ、要支援や介護度の低い高齢者の利用制限が厳しくなっている。

利用上の問題点もあるが、在宅サービスの存在は、働きながら介護の必要な高齢者と同居する家族などにとって、デイサービスとホームヘルプサービスを組み合わせ、時には、自宅を離れる旅行やレスパイトの目的でショートステイを利用したりすることで、働き続けることと高齢者の安心・安全な生活の両立を支えることを可能にする。デイサービスは、自宅で入浴ができない高齢者とその家族にとって、貴重なサービスである。

また、介護の必要な高齢者世帯や単身高齢者にとって、ホームヘルプサービスは、欠かせない。入所施設を利用するには、経済力等に問題がある低所得者層の単身者や高齢者世帯にとって、身体介護もさることながら、生活援助は、栄養のバランスの取れた食事の確保とともに健康で衛生的な生活をおくるためには不可欠なサービスである。

政府の施策によって、高齢者や障碍者の在宅生活を支える大黒柱のホームヘルプサービスの担い手のヘルパーが「絶滅危惧種」に追い込まれ、消えていなくなっていく危険性が高い。

4.登録ヘルパーの仕事とそのプライド

登録ヘルパーは、事業所から指示された利用者宅へ自宅から直行する。今は、基本的にサービス1件45分以内である。訪問先のサービスを終了後、備え付けの「ノート」に実施したサービス内容と次に訪問するヘルパーや看護師への申し送りなどを簡単に記入する。また、利用者に訪問の確認印をもらって大急ぎで退出する。

1軒のサービスを終えて、次の利用者宅の訪問時間が迫っている場合と数時間開くケースや訪問先が遠方の場合もある。自宅に帰る余裕がない場合が多いので、天気の良い日は公園で時間をつぶしたり、雨の日は喫茶店で過ごしたりと勤務時間が一定しない。数時間待って、訪問して見ると「キャンセル」という場合もある。訪問先のサービスが終わって、事業所のサービス提供責任者とは、電話連絡で済ますことが多い。事業所に報告・連絡に寄る場合もあるが、訪問先から自宅へ直帰することが多い。だから、登録ヘルパーは、直行・直帰型と言われる。 

登録ヘルパーは、週に1、2件の身体介護サービスだけを受け持つ人、生活援助を含めて3~40件担当する人、早朝や夜の時間帯のサービスを受け持つ人。あるいは、一つの事業所だけでは収入が限られるので2、3ヶ所の事業所を掛け持ちして働く人もいる。いずれも、登録ヘルパーは、短時間刻みで非定型的な労働となる。

このような勤務のあり方に伴って、移動時間、待機時間が日々発生するが、この時間を労働時間として適正にカウントされることは稀である。また、介護事業所との間で「キャンセル料」の契約が交わされていても事業所は、利用者にキャンセル料を請求することはほとんどない。だから、ヘルパーにもキャンセル分の補償のない場合がほとんどだ。

さらには、介護記録・報告書作成や事務所との連絡・調整、あるいは、会議や研修の時間も正当に労働時間として計算されていないことが多い。厚労省や労基署は、移動時間などに対して労働基準法を守れとは通達を出すが、実際、これらの時間を労働時間として算定し、賃金を支払うと事業所の経営は立ち行かなくなる。介護報酬は、移動時間や待機時間等を計算に入れて考えられていないからである。なぜ、そうなっているかは、後で述べる。

登録ヘルパーは、不払い賃金だけではなく、仕事の場所が、訪問先の閉ざされた室内であることにともない精神的な緊張、ストレスが大きい。利用者からのハラスメントによるストレスもある。

日本介護クラフトユニオンは、2,411人の組合員中、サービス利用者やその家族からのハラスメント経験があるのは74.2%で、セクハラ40.1%、パワハラ94.2%(複数回答)で、セクハラは、サービス提供時に不必要に個人的な接触を図る(53.5%)、性的冗談をしつこく繰り返す(52.6%)などが多く、パワハラは、攻撃的態度で大声を出す(61.4%)、他のヘルパーなどを引き合いに出し「◯◯さんはやってくれた」と強要する(52.4%)ものが過半数を占めた、と2018年の調査の結果を報告している。

原告の一人、藤原るか(註1)は、大阪の集会で「実は、介護職もパワハラしています。どうしてか。時間がない。リハビリパンツを『バッンと降ろす』ってなことですネ。朝、お宅に訪問し、寝ている利用者を起こして、着替えをして、食事をしていただいて、薬を飲ませ、デイサービスに送り出す、といったことを瞬間30分でやり終える。優しく『さー、起きましょうね。いいですか?』なんて、ゆっくり声を掛ける時間がない。パワハラまがいのことをしてしまう。お年寄りから『何すんだ!』といって、殴られることもあります。そういう状況に追い込まれながら仕事を続けなければいけない状態を変えたいのです。人間らしさを奪っている仕事の在り方を一番変えていきたい」(2019年11月9日、「介護・福祉総がかり行動」主催)と話している。

このように、登録ヘルパーは、労働基準法が遵守されず、日々、人間の尊厳を奪われ精神的な苦痛を味わいながら働いているのである。

5.労基法違反がビルトインされた訪問介護  

なぜ、登録ヘルパーが、日常的、継続的に労基法違反の下で働くことになっているのか。結論から言えば、介護保険制度の制定とそれ以降の制度改編の中で、労基法違反の仕組みが構造的にビルトインされてきたからである。

実は、介護保険制度に組み込まれた介護労働者には施設系と在宅系の二つの源流がある。

(1)施設系の介護職―かつては「寮母」と呼ばれた職業群~2000年以降10年ほどの間は、介護専門学校等を卒業した若い職員が主流で、安定した「生涯の仕事」として多数が施設に入職してきた。今は、その流れは、ほぼ途絶えている。

(2)在宅系の訪問介護職―「家庭奉仕員」とも呼ばれた職業群で、戦後「戦争未亡人」の雇用対策として生まれた~高齢化社会の到来の中で1980年以降、企業と家庭を社会の安定帯と想定した「日本型福祉社会論」(1979年、自民党の政策研修叢書)の延長線上に、地域密着型人材として子育てを終わった「主婦層」によるホームヘルパーが登場した。

このホームヘルパーの少数は地方自治体の直接雇用であったが、急増するニーズに対応するため、(新自由主義による)行政改革の中で「主婦の戦力化」=ボランティアのヘルパーの養成が全国各地方でなされた。

① 措置の時代。各地の社会福祉協会などの傘下に「ヘルパー協会」等が作られ、その団体がヘルパー講習会を開催し、講習修了者をヘルパー協会等に登録させた。 

② 介護の能力に「欠ける」家族が、行政に措置を申請し、ミーンズテストなどを経て申請が認められると、行政は、ヘルパー協会等に連絡し、ヘルパー派遣を要請する。

③ ヘルパー協会等は、登録者から、訪問サービスに適すると考える人に声をかけ、家庭にヘルパーを派遣する。

④ 登録者の多くは、有償ボランティアで、労働の対価としてではなく、謝礼(多くは交通費などを込みで)を受け取る(*1を参照)。地方自治体とは直接契約関係のないボランティアが、在宅高齢者への措置決定による『行政サービス』を担ったのだ。

⑤ 介護保険法の下では「民間活力の導入」で介護サービスの多様な事業主体が組織された。保険者に認められた介護指定事業所とサービス提供者は、雇用契約を結ばねばならないことになった。ヘルパーのサービスは、(2)の職種群の流れが介護保険サービス体系に横滑りした。つまり、有償ボランティアヘルパーは、新たに「登録ヘルパー」という形で、指定事業所の下で仕事を継続することになった。

(*1)1996年5月に厚生省老健福祉局老人福祉計画課長が各都道府県・各指定都市・各中核市民生主管部(局)長あてに「非常勤ホームヘルパーの就労条件の確保について」(老計第80号)を発出していた。「所属先団体との間に雇用関係がないとして一律に労働法規を適用していない例が見受けられる」とし「登録ヘルパーであっても、その就労の実態からみて、所属先団体との間に雇用関係が認められる場合には、労働者保護法令が当然に適用される」と述べている。しかし、「所属先団体との間に雇用関係が認められる場合には」と限定を付けて労基法逃れの「有償ボランティア」を容認する余地を残していた。

介護保険の下で、有償ボランティア等であったヘルパーたちは、従来の謝礼に比して、「高額な賃金」に驚き、感激した、と言われている。しかし、第1回目、2003年の介護報酬改定で、身体介護と生活援助の二つにサービスは区分けされ、事業所とヘルパーの収入は大幅にダウンした。介護保険の下で、有償ボランティア⇒賃金労働者への転換の後も、地域の主婦層には、生きがい・やりがいがある、好きな時間に働ける、自転車で通える範囲の仕事等と好評で、ヘルパー講習を受けて続々就労した(2006年頃まで)。

この賃金労働者への転換の過程で、訪問の介護労働問題が正当・厳密に検証されておらず、新自由主義的行政改革の手法で、介護保険の在宅サービスが設計され、その後、法令違反は放置されて来た(*2参照)。

なぜ報酬単価の計算で、ヘルパーの移動時間/待機時間の賃金/記録・報告書作成の時間、キャンセル時の補償費等が、考慮されてこなかったのか。実は、介護報酬の単価設定方法の中心は、サービス種別の介護事業の収支状況の全国的統計に基づく検討である。有償ボランティアの謝礼には、移動時間、待機時間等の賃金やキャンセル時の休業補償費など厳密さはなく、多くは1件幾らの謝礼であった。

この習慣を継続した事業所の収支状況の全国統計を基本に、報酬を見直しで単価が設定されてきた。移動時間、待機時間の賃金等はキチンと考慮されないままで訪問介護の単価設定がなされて来たのだ。有償ボランティアの「労基法破りの訪問介護サービス」という「労基法違反の仕組み」を介護保険に横滑りさせていたのである。

(*2)2003年8月27日付「訪問介護労働者の法定労働条件の確保について」の通達(「基0827001号」)は、労基法が守られていないことを国が知っていたことを示す証拠。しかし、それ以降も労基法等を厳重に遵守する指導・監督はなく、国も保険者である地方自治体も放置して来た。結果、「労基法違反無くしてヘルパー事業無し」と言う「無法地帯」が蔓延してきたのである。

6.ヘルパー裁判の意義について

東京地裁で始まったこの訴訟の意義について、訴訟を支援する立場に立って、大阪在住である筆者の私見を述べる。原告を含め、批判的に広く検討いただくことを希望します。

第1は、登録ヘルパーが、未払い賃金やハラスメントが野放しになっている劣悪な条件のもとで働かざるを得ない状態を放置してきた直接の責任は、国にあると、訴えたことの意義である。

対する国の基本的な態度は「労基法に定める労働条件の確保、未払い賃金の支払いや職場の労働環境によって被った精神的損害の賠償などは、第1次的かつ最終的には、使用者の義務であって、労働基準監督機関による監督指導等は補充的なものにすぎない」ので、未払い賃金や職場の労働環境によって被った精神的損害に対する責任は、使用者にあるのであって、国に国家賠償を求めるこの訴えは却下されるべきだ、というものである。

国は、原告の訴えを労働基準監督行政の範囲内の「規制権限の行使」の適否に争点を閉じ込め、矮小化して「門前払い」をしようとしている。3人の原告が訴えているのは、個々の原告個人に対する不払い賃金と精神的損害への賠償を求めているのではない。登録ヘルパーが、日常的・継続的に労働法やその他の介護労働者の労働環境の整備を謳った法令を無視した条件のもとで働いている状態を国が認知しながら、20年近く放置してきたことに対する国家の責任を問うているのだ。3人の原告は、全国で同じような状況のもとで働いている登録ヘルパーを代表する形で訴えていると筆者は受け止め、訴訟への支持を表明したい。

第2は、全国のヘルパーが、自らの労働環境と権利に目覚めていく大きな契機を与えることになること。

社会貢献的な意識もヘルパーの仕事を始める大きな動機であったが、同時に、家計補助的な収入を得るのに適した仕事として地域の「主婦層」に選択されてきた。この機運が大きかったのは、ほぼ2006年頃まである。それ以降、新規にヘルパーに入職する人が減少しても、生活を支える一定の収入を確保すること相まって、この仕事に生きがいを感じて働いてきた人びとによって、ヘルパー事業は支えられてきた。2節で示したヘルパーの驚くほどの高齢化は、その証左である。

こうしたヘルパーにとって、年々仕事のやりがいや生きがいが減退させられている根拠が、国の施策にあると気づかせることになる。「#MeToo」と全国の心あるヘルパーに共感を広げ、小規模介護事業者からも支持を得ていくことになるであろう。また、同時に、ヘルパー以外の介護労働者にも、自らの労働環境と権利の状態に目覚めていく契機を与える可能性を孕んでいる。

これまで、介護労働者の多くは、より良いケアを提供することに生きがいを感じながら仕事をしてきた。しかし、自らの生活と権利については、必ずしも関心を向けてこなかった。利用者のためにと、サービス残業や休暇を返上して身を粉にして働いてきた。この裁判は、そうした「物言わぬ」介護労働者が自らの権利に目覚める契機を与えることにもなるであろう。

第3は、この国の社会保障政策の基本的枠組みであった日本型社会福祉論の虚妄性が、この裁判でより明確になることである。

5の節で述べたが、国の在宅福祉サービスの担い手の組織化は、子育てを終えた地域の「主婦層」を戦力化することであった。仕事のやりがいを奪う介護サービスの抑制・規制と劣悪な労働条件・環境が放置されてきた結果、今後5年もすれば、地域にヘルパーはいない、という危機的事態に直面する。政府の無策の裏にある日本型社会福祉論の虚妄性が浮き上がってくるのである。

第4は、新自由主義的な行政改革論で制度設計がされた介護保険制度の「終わり」が始まったことの重大性が明らかになって来ることである。

在宅サービスの事業所の圧倒的多数は、職員5、6人規模から10人程度の小規模事業所である。「多様なサービス提供主体の参入」の掛け声の下、地域密着の市民グループがNPOを立ち上げたり、生活協同組合が参加したりで「市民が地域福祉の担い手」と意気込んで活動を始めた20年前。今、介護事業の倒産件数が年々増加し、統計に表れない自主廃業も進行しており、国は、小規模事業所は、経営基盤が弱いので「統合・合併や事業統合」を勧めている。

改めて考えてみれば、市場原理を導入した介護保険の市場とは、自由な市場競争が労使関係を含めて需要と供給の関係で機能する市場ではない。国と保険者である地方自治体によって統制され管理された「准市場」である。その管理された市場の担い手の一つである指定介護事業者は、従来の労働法が考える「雇用責任」を疑似的にしか果たしえない。規模が小さい在宅サービスの事業所は、この「疑似性」が強く表れる。サービス提供で厳しく規制・管理される一方で、在宅サービスの安い介護報酬である。

その結果、担い手のホームヘルパーは、絶滅危惧種となり、在宅サービスシステムの崩壊が進む。「介護保険は、在宅サービスを基本」と言ってきた制度の根本が破綻する。そこで、人々の地域生活を支える制度の在り方を根本的に再検討することが必然化するであろう(註2)。

付け加えれば、在宅サービスの担い手の欠落を外国人介護労働者で埋めることはできない。まして、AIやロボットが訪問介護サービスを担える訳ではない。

第5は、この裁判闘争では、新自由主義の時代の労働者・労組の闘いの道を切り開く新しい「法理」を発見・創造することが期待されることだ。

国に管理された介護市場の担い手の指定介護事業者、とりわけ小規模の事業者は、従来の労働法が考えていた「雇用責任」を疑似的にしか果たせていない。新自由主義の下で設計された介護保険制度に対応した労働者・労組の権利を守り、発展させる新たな法理論が求められる。かつて、1970年代~1980年代に、中小労働運動の反独占・反合理化・反倒産、背景資本追求、工場占拠・自主生産闘争などを支える理論として役だった「法人格否認の法理」のような、新自由主義が生み出したこの不公正で不平等で差別分断を生む労使関係と闘える「法理」が模索されると筆者は考えからである。

7.通底する低い女性の社会的地位と介護保険の崩壊

古びた「日本型福祉社会論」の破綻が明らかなのに、新しい社会の理念や社会のビョンがないことに気づかされる。安倍政権が打ち出している「全世代型社会保障」論は、社会保障に廻す予算を限られた枠に閉じ込めた上で、高齢者中心であった予算配分を子どもや現役稼働世代に配慮した分配に切り替えるための「政治的装置」にすぎず、社会保障全体の抑制を図る「政治的装置」なのだ。国が社会保障について中期的な計画を語る時、「経済成長を促進することが前提である」との枕言葉が必ずついてきた。「成長無くして福祉なし」とする経済成長優先の発想が問われているにもかかわらず、である。

問題を端的に語ろう。

日本型福祉社会論は、安定した企業と家庭を「含み資産」として、社会保障・社会福祉に廻る予算を押さえ、経済成長のための財政・投融資政策をとることだ。男は外で稼ぎ、女は家庭を守ること、子を産み、家事・育児・介護は女の仕事という性別の役割分担の押しつけが、日本型福祉社会論の土台に据えられていた。

この延長に、金のかかる施設介護ではなく、「主婦の戦力化」による安価な在宅サービスを基本とした介護保険制度が設計されたのだ。外で生産労働を担う男に比して、内(=家庭)で再生産を担う(はずの)女は低い社会的地位にあって当然という幻影のイデオロギーが、新自由主義の時代に、生き続けてきた。否、訪問介護が象徴するように、新自由主義的な社会再編において、性的役割分業による低い女性の社会的位置が利用されて来たのだ。

日本の女性の社会的な地位は、国際比較で最底辺にある。その低い女性の位置と、介護保険制度の崩壊と通底していることを確認し合い、日本社会を問う視点を豊かにしていくことが求められる。時代は、「共感の労働」を日々実践するヘルパーと全ての介護労働者の起ちあがりを求めている!

(註1)藤原るかは著書『介護ヘルパーはデリヘルじゃない』(幻冬舎新書、2019年)で、ヘルパーが被るハラスメントを詳しく報告している。

(註2)下野恵子著『介護保険解体の危機』(法政大学出版局、2019年)は、訪問介護サービスの公営化を提案した。在宅生活を支える責任を地方自治体に取らせる解決の方向性に賛成するが、住民自治、財政自主権等のない地方公共団体制度の根本的な再構築が求められる。高橋紘士が『ケアの社会政策のために』(「社会保障研究」vol.1、2016年、国立社会保障・人口問題研究所)で、「ケアは・・・新自由主義がケア政策と敵対する関係にあるとすれば、(中略)新たな批判的政策論を必要とするかもしれない。このような視点は社会政策を市民社会の構成原理の中に改めて埋め込む作業が必要」と主張している。この提起を真面目に検討する時がきている。

みずの・ひろみち

名古屋市出身。関西学院大学文学部退学、労組書記、団体職員、フリーランスのルポライター、部落解放同盟矢田支部書記などを経験しその後、社会福祉法人の設立にかかわり、特別養護老人ホームの施設長など福祉事業に従事。また、大阪市立大学大学院創造都市研究科を1期生として修了。2009年4月同大学院特任准教授。2019年3月退職。大阪の小規模福祉施設や中国南京市の高齢者福祉事業との連携・交流事業を推進。また、2012年に「橋下現象」研究会を仲間と立ち上げた。著書に『介護保険と階層化・格差化する高齢者─人は生きてきたようにしか死ねないのか』(明石書店)。

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