緊急発信ー新型コロナの危機に直面して

新型コロナウィルスが我われに突きつけるもの

2020年4月5日 現代の理論編集委員会

未知のウィルスが全世界に拡散し、人類全体の生存と健康を脅かし、すべての社会的活動を停止状態に追い込もうとしている。こうした事態がつづけば、人類史上未曾有の危機をもたらす、という見方が日々に現実味を帯びてきているといっても過言ではない。

危機をもたらすものは、直接的には未知のウィルスに違いないが、それを増幅させているのは人間の愚かさである。根拠のない希望的観測、硬直した先例主義、権力欲、自分だけ良ければという利己主義、差別・偏見、呪術的信念による現実逃避、意識的・無意識的な情報の歪曲・隠蔽・操作、善意に装われた欺瞞等々の愚かさとそれを隠蔽しようとする小賢しさが、対応の間違いや遅れを招き、事態をさらに悪化させる。ウィルスには意志はない。あるのはただ自己増殖をつづけるという「性質」だけである。その単純さが、人間の愚かさを白日の下にさらけ出しているのである。

ウィルスの単純さは、人間が作り上げてきた様々な社会的制度・組織・枠組みをいとも簡単に乗り越えてしまう。国家(国境・国籍)、階級・階層、人種、性別、世代、宗教、企業・団体等々人間のどんな属性も障壁にはならない。ウィルスは、どんな属性を持つ人間であってもその人間の内部に入り込み、一人一人の人間を宿り主として生息・増殖しようとするからである。そのことは、人間の側から見れば、基本的に生身の一個の生物としてウィルスの脅威と戦わなければならないということを意味する。つまり、ウィルスの脅威に対抗するためには、一人一人の人間が対抗し得る力を持つようになることが必要だということである。

だからといって、社会的制度・組織・枠組みが役に立たないということではもちろんない。医学・医療制度、行政組織、ボランティア等々、現在ウィルスの脅威に立ち向かっているそういう制度・枠組みがウィルスとの戦いの最も重要な武器・力となっている。しかし、その武器や力も一人一人の人間への想像力を基礎に置かなければ有効な力にはなりえない。ちょうど、医師が一人一人の患者の容態に注意深く気を配るように、社会的制度・組織の活動を担う者には社会を構成する一人一人の人間の状況への配慮・対応が求められている。

いうまでもなく、感染症との戦いは、先手を打つこと、変化する状況に迅速に対応することが最も求められている。その時にあたって、愚かさを隠蔽する小賢しい議論ほど邪魔なものはないだろう。属性の如何を問わず一人一人の人間に届く施策が今ほど求められている時はないのである。

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新型コロナ危機の渦中にて —ベルリン便り

在ベルリン 福澤 啓臣

ドイツの新型コロナウイルス体制と罰金

シャットダウン(全面閉鎖)になってからほぼ2週間が経過した。学校と大学は休み、イベントや集会など多くの人が集まることは全面禁止だ。レストランや喫茶店、居酒屋などの客商売の店も閉められた。タクシーも走っていない。開いているのは、スーパー、薬局、診療所のみである。住居の外に出る場合は、それなりの理由がなければいけない。許されているのは食料品の買い物、医者通い、散歩あるいはジョギングなどである。それも、二人以上の場合は家族か、同居人に限られる。つまり、友だちにちょっと会いに行くなどは認められない。

今週に入り、人々が一箇所に群れないように、スーパーの入り口に警備員が立ち、店内のお客の数を制限している。レジでは、1.5メートルの間隔を保って並ぶ。公園もすっかり閉じられ、子供達は遊べない。アパートに住む、子供のいる家族からは悲鳴が上がっている。子供達は最初の数日は学校が休みになり、喜んでいたが、今は早く学校に戻りたいの声が聞こえる。家庭内暴力も増えている。伴侶/男どもの暴力から逃れるための「女の家」は新型コロナ危機の勃発以来、受け入れを拒否している。

経済面では人々の営みに必要な製品の生産活動は継続していが、ドイツの主要産業である自動車産業も含めて多くの企業が操業を停止した。公共輸送網は間引き運転をしている。飛行機はほとんど飛んでいない。そして、仕事はできるだけ自宅で、つまりホームオフィスでするようになっている。日銭の入る商売は全くできない。ホテルや旅行産業も収入ゼロだ。

農業は季節的に休めない時期にきている。シーズン作物は多くの働き手を東欧からの出稼ぎに頼っているので、大変な困難に陥っている。もうすぐ始まる白アスパラやいちごの収穫には、ポーランドなどから毎年30万人が手伝いに来るが、今は国境が閉ざされているので、来られない。農民組合は例外措置を申し出ている。大学が休みなので、学生アルバイトで代替できないかと検討されているが、アスパラ農民は、これまでの経験だと、中腰の作業に数日で音を上げて帰ってしまうだろうと悲観的だ。

蛇足だが、万国共通といえるのは、トイレット・ペーパの買い占めだろう。行きつけのスーパーでは3週間以上前からトイレット・ペーパの棚が空になった。他の大きなスーパーに行ってなんとか見つけたが、他には小麦粉、お米、パスタなど保存がきく商品が真っ先に消えていった。行政は食料品や生活必需品は生産も輸送も動いているので、買い占めは必要ないと訴えているが、あまり効果がない。

今度の週末には、日曜大工の店が開くそうだ。親父たちが暇を持て余して、家族の神経に触るより、家やアパートの修理をさせた方がいいという深慮なのかもしれない。確かに筆者もシャットダウン直前の金曜日にそのような店に行ったら、すごく混んでいたのでびっくりした。

4月2日の木曜から、罰金がつくようになった。警官の注意にすぐやめなかった場合は、5千円以上払う。他の人との間隔を1.5メートル以上保つというルールを破った場合は、50ユーロから500ユーロの罰金。老人ホームに1時間以上滞在した場合は 100から1000ユーロ。店などを営業した場合は1000ユーロ以上になる。違反を重ねると25000ユーロもの巨額になる。

筆者はスポーツクラブで卓球をしているが、すでに3週間もラケットを振っていない。体も精神もフラストレーションを起こしている。数日前に卓球好きの仲間が公園のコンクリートの卓球台でピンポンをしたら、早速回覧中の警官が来て、やめさせられた。相当議論したそうだが、結局やめさせられた。今日だったら罰金を取られるとこだった。

政府の対応―補償と医療関係との連携

メルケル首相が先週水曜日にテレビを通じて国民に呼びかけた。「事態は深刻です。戦後未曾有の国難です」と前置きした。そして「ドイツは民主国家です。この危機を克服するには国民の参加と協力が絶対必要ですから、ぜひ自覚して、責任ある行動をとって下さい」と訴えた。「政府としても学者の提案を取り入れて、国民の被害を少なくするように最大限の努力をします。そしてこれらのプロセスをオープンにします」と約束した。国民はこのエンパシー溢れるアッピールを好感を持って受け止め、厳しい自粛ルールを守っている。

憲法が保障する基本的人権を大幅に制限するのだから、国民が主体的に協力しない限り、混乱が起きるだろう。ドイツの憲法には政治権力の基本権利侵害に対して特別に憲法訴願の条項があり、市民でも憲法裁判所に直接訴えることができる。現在のところ野党からも抗議の声は聞かれない。

ドイツ人は旅行好きだ。この危機が勃発する前に数十万人が海外旅行をしていた。旅行会社はできるだけ帰国できるように手配したが、それでも航空会社がフライトを取りやめる方が早く、多くのドイツ人が南米、東南アジアなど遠隔地に取り残されてしまった。その人々を連れ戻す作戦を外務省が取り仕切った。現在までに175000人が外務省のチャーター機で帰国できた。しかし多くの国ではすでに空港が閉鎖されているので、特別許可が必要だ。ニュージーランドにはまだ12000人が残されている。他の国では帰国のめどが立たないドイツ人が空港や大使館の庭でキャンプしている。

仕事がなくなった企業には、 従業員に操業短縮手当として元の給料の60%、子供がいる場合は67%を支給される。これでは足りないという場合には、また他でバイトしても構わないし、さらに支援を仰ぐことができる。この間は社会福祉のための年金、健康保険、失業保険料金なども代替される。企業には税金の納入延期、クレジットの支払い延期、店舗の賃貸費を3ヶ月間払わなくても解約されないなどが約束された。

医療関係者、介護関係者、スーパーのレジ係、輸送トラックの運転手などにはリスク手当ボーナスとして一時金1500ユーロ(18万円)が支給される。

中小企業には3ヶ月分の支援金としてとりあえず9千ユーロ(110万円)、十人以上の企業には1万5千ユーロ(180万円)が無利子クレジットとして支給される。

これらの政府の対策は好感を持って迎えられているが、それにはいくつかの理由が挙げられる。まず国家の財政がここ数年黒字であったことだ。だから今回のような突発的な巨額支出に対しても、余裕を持って対応できるとショルツ財務大臣は発言していた。関係閣僚も国民の被害を少なくさせるためには、いくらでも金を出すと明言できた。そして、20兆円を超えるコロナ緊急予算を連邦衆議院、連邦参議院の二院を1週間で通過させることができた。スピード感があるし、政府内で意見のブレや逡巡が全くない。つまり、国民との信頼関係が成り立っている。

今週までに50万人以上が操業短縮を申請した。それでも4月の失業者数は15万人から20万人増えるだろうと連邦雇用庁は予想している。倒産の波は客商売の零細企業、中小企業に自然災害のように、ただし一瞬でではなく徐々に襲いかかるだろうといわれているが、数的予想が出るのは、イースターを過ぎてからだろう。

著名な経済研究所は、現在のようなシャットダウン体制が1ヶ月続くと、GDPがマイナス2.8ポイント下がり、2ヶ月になると5%下がるだろうと予想している。

医療に関するコーディネート及び広報はロベルト・コッホ国立研究所 (RKI) が取り仕切っている。研究所長のウイーラー教授が毎日のようにデーター及び状況の説明をし、マスメディアの質問を受けている。さらに様々な国立研究所及び大学の研究所が積極的にマスメディアに対応している。研究者及び医者は、自分たちは治療と研究に専念し、行政が必要とするデーターを提供するが、対社会に関しての決定は政治家の仕事だと役割分担を明確にしている。

テレビ、インターネット、プリントメディア、ラジオを通じて、矛盾しない情報が伝わっている。ドイツ社会が、これほど一つのテーマに集中したことは第二次世界大戦以来ないだろう。昨年は若者たちによる金曜デモが引き起こした気候変動問題がドイツ社会を支配したが、新型コロナ危機に関する集中度はそれ以上である。被害が直接国民に襲いかかっているから、当然であるとも言えるが。外からのコロナ襲撃に対して一種の挙国一致体制が出来上がった感じだ。

与党への支持率急上昇と医療体制

ドイツ政府の迅速な対応に対して75%以上の国民が信頼していると答えている。それを裏打ちするように、アンケートにおける与党のキリスト教政党への支持率が上昇している。新型コロナ危機の始まる前の26%から先週末には33%と7%も増えた。このような短期間における大幅な上昇率はアンケート始まって以来であると但し書きがついていた。それまで同政党と拮抗していた野党の緑の党は26%から20%に落ちている。危機の時には寄らば大樹の陰の心理が働くのだろうが、政府が国民に納得させる対策を取らない限り、7%もの上昇には結びつかないだろう。テーマ的には2月まで1年間もドイツ社会を支配していた気候変動問題はずっと後退してしまった。

ポピュリズム政党と言われた右翼のAfD「ドイツのための選択肢」党は、4%ほど下がり、10%に落ち込んでいる。真の危機的状況に対して具体的な解決策を提出できないのが見え見えであるからだろう。

ドイツの感染者の数は8万5千人を超えた。だが、医療関係者の発言によると、まだ集中治療用のベッド数は足りているそうだ。最初の段階で2万5千人用のキャパシティがあると言われ、今週になり2万8千人まで拡張された。感染者の20%が入院の必要な患者になり、さらに5%ほどが集中治療が必要だろうと予想されていたが、イタリアの状況を見て、拡張された。しかし、現在までに感染者の1%が集中治療の必要な重病患者として、入院してきた。そのため、ドイツの医療体制にはまだ十分余裕があるということで、今週はじめからイタリアとフランスから重病人がヘリコプターや軍用機などで運び込まれてきている。

ベッド数、人工呼吸器、集中治療室は十分備わっているが、ボトルネックとして医師と看護婦と看護士が不足するだろうと関係者から言われている。そこで急遽リタイヤーした医者や看護婦などの復帰を呼びかけている。さらに大学が休みなので、医学生を訓練している。

連帯の輪と自国優先主義

市民の間に連帯の輪が広がっている。多くの若者や隣組がグループを組織して、高齢者のための買い物支援をしている。夕方の6時、あるいは7時に窓を開けて、医療介護関係者、スーパーのレジ係、長距離トラックの運転手など、いわゆる最低限の社会生活の維持に体を張って従事している人々に感謝の拍手をしている。さらに隣の窓の人と合唱をしたり、楽器演奏をしたりしている。これらは被害甚大なイタリアで始まった。

数多くの人がインターネットを使って、無償で様々な内容のサービスを提供している。音楽、フィットネス、コメディー、芝居、コンサート、学校の代替授業と数えきれない。今回の危機を通じてインターネットの重要性が、国民の間に沁み渡った。さらにいかに普通の日常生活が大事かということも分かったという声がマスメディアを通じて聞こえている。

今回の新型コロナ危機によって結局頼りになるのは、自国の政府、インフラということになってしまった。EUの理念に反する展開だ。この危機の収束後に果たして、EUの理念が輝くことはあるのだろうか。一応ドイツはイタリアやフランスから新型コロナ患者を受け入れているが。

連帯の理念が試されているのは、コロナ・ボンドだろう。EU内のイタリア、スペイン、フランスは感染者、死亡者の数だけではなく、経済的にも甚大な被害を受けている。さらに巨大な出費を余儀なくされている。これらに対して、財政的に比較的余裕のある北のメンバー、筆頭はドイツ、から財政援助の手が差し伸べられて当然といえる。そこでコロナ救済基金を創設し、そこにメンバーが払い込み、困難に陥ったメンバーが引き出す構想が浮上しているが、ドイツなどは否定的だ。EUにはすでにいくつかの基金があり、それらを活用すれば、十分であるというのが、ドイツ政府の答えだ。

ワクチンの発明寸前だと言われていたドイツの企業を、トランプ大統領が買い取り、米国だけに使えるようにしようとしたが、同企業は、ある国だけに使うことに反対し、断ったそうだ。このような発明は、国連あるいはWHOの管理下に置かれ、世界中で使えるようにしてほしい。

新型コロナ危機の克服過程で自国優先主義と痛みを分かち合う連帯主義のせめぎ合いは続くだろう。懐の痛まない連帯は真の連帯とは言えないと思うが。

グローバル化の功罪

グルーバル化によって生産体制が世界中に広まり、繋がるようになった。そのため、生産性が上昇し、経済効果が高まった。一種の適材適所体制が確立されたのである。その過程でマスクや人工呼吸器の製造はハイテクとはいえず、中国やインドに生産が移った。新型コロナ危機によって、これらが品薄になってしまった。中国から輸入されない限り、手に入らなくなったのだ。急遽ドイツ国内で生産するように企業に依頼し、やっと今週になり、多少の生産が可能になった。

ドイツの主要産業である自動車企業も2週間前から生産を停止している。グローバル化によって多くの部品がドイツ以外の国で作られ、必要な数だけ輸入されていたのだが、国境閉鎖でこの物流も止まってしまったのだ。昔のように数週間分の部品を倉庫にストックしておく体制はコストとして跳ね返ってくる過去の遺物になっているが、復帰するのだろうか。

今回のコロナ危機がある程度収まったら、グローバルな体制に戻るだろうか。それとも、これに懲りて、一国主義の傾向が強まるのだろうか。

新型コロナ感染の経緯と対処

ドイツでの新型コロナウイルスの感染はまず南ドイツで始まった。2月に多くのドイツ人が北イタリアにスキーに行き、ウイルスを持って帰ってきた。感染者の何人かはさらに中西部の大都市ケルンなどのカーニバルに参加し、集団感染を引き起こした。まず感染すると、 2週間ほどの潜伏期間がある。熱や咳などの自覚症状が出てくるのは、4日から10日間の間だそうだ。人によっては無症状の場合もある。だから、感染の自覚のないまま新型コロナウイルスを人にうつしまうケースもあるということだ。

一度感染し、治った人は免疫力がつくので、新コロナ患者と接触しても感染しない。だからある社会の大多数の成員が免疫になれば、その社会において、新コロナ・パンデミーは終焉する。集団免疫戦略はこれを基盤にしている。

自然な状態ではこの目的を達成するには最低2年間は必要とのこと。その間感染者数および重病患者数を医療キャパシティ以下におさえられるかどうかはわからない。この舵取りは難しい。有効なワクチンが発明され、大量生産できれば、この期間を短縮できる。専門家の間では、このようなワクチンの製造は早くて来年だと言われている。

もう一つ期待されている方法は簡易な抗体テストの普及である。このテストを受けて、陽性なら新型コロナウイルスに感染しない。このような人が増えれば、新型コロナ治療に不安なく対応できる。だが、抗体テストの数が限られているので、これまで主に新型コロナ感染者で治った人たちや医療関係者だけがテストを受けていた。感染者には無症状の人もいる。特に若い人、子供などには症状が出ないといわれている。でも、抗体テストが陽性ならば、これらの人は老人ホームに出入りしても問題ない。

ドイツではこの数週間で簡単なテスト方法が完成するので、数十万の人々を検査をして、陽性の人には「免疫証明書」を発行する案が提案されている。彼らはシャットダウンの規制を免れる。

マスクには3種類があり、医療関係者が使っているのは、きちんとしたフィルターが組み込まれていて、新型コロナウイルス(滴感染)は入れない。ただし、濡れてしまうと効果が薄れるので、日に5枚ほど替えなければならないそうだ。一般に使われているマスクは、他の人からの感染を防ぐことはできないが、感染者がしていると、他人への感染は大幅に防げる。だから、買い物などでマスクの使用は有効でもあり、マナーとしても勧められる。

ドイツでは専門家や政治家の間で使用義務が議論されていたが、昨日の木曜日にロベルト・コッホ研究所がやっとマスクは有効であると発表した。ただし、限定的であるので、最低安全間隔保持のルールをないがしろにしないようにとも但し書きがついている。

スウェーデン・モデル(平常の生活を保つ)

スウェーデン(日本もこれに近い)ではシャットダウンをしていない。市民はほぼ平常通りの生活を送っている。学校は授業をしているし、人々は店に行ってコーヒーを飲み、レストランで食事をしている。だから経済活動も変わりない。4月3日の時点で、感染者6078人、死者333人である(人口991万人)。人口比死亡率0.018%。

テレビのインタビューで政府の保健担当者は、シャットダウンなしでもコロナ危機を乗り切れる自信があると言い切った。重症感染者の数が人工呼吸器を備えた収容ベッド数を超えないように気をつけている。そして、国民の多数が免疫力をつける(集団免疫)まで頑張る。もしこの対策がうまくいかなくなれば、対策を切り替えることも考えられるが、現在の時点ではその必要はないとも。よくテレビに登場するドイツの疫学の教授が、このスウェーデン・モデルについて聞かれたが、どちらのモデルが有効かどうか判断するには早すぎると答えた。

問題の一つは、ある国で集団免疫が成り立った後に、世界中が同じレベルで達成できれていれば、問題ないが、凸凹があれば、国境でのコントロールが必要になるだろう。極端な言い方をするなら、一種の鎖国状態になってしまう。

オランダは同様にまず集団免疫戦略を採用したが、死者の数が急増したので、シャットダウン戦略に切り替えた。4月3日の時点で感染者数14697人、死者数1339人(人口1700万人)である。人口比死亡率0.061%。

英国も途中から戦略転換をした国である。感染者数33718人、死者数2921人(人口6610万人)。人口比死亡率0.027%。

イタリアは感染者115495人、死者13974人、人口6048万人、人口比死亡率0.205%。

日本は感染者2796人、死者73人、人口12000万人、人口比死亡率0.0006%。

ドイツは感染者85871人、死者1121人、人口8200万人、人口比死亡率0.0015%。

日本とドイツは感染者数を見ると、対照的である。日本では出来るだけPCRテストをしない。ドイツはどんどんしている。RKIの発表によると、今週だけで50万人以上テストを受けた。

日本や韓国の死者数が少ない

日本や韓国はヨーロッパのようなシャットダウン体制を敷いていないにも関わらず、感染者数も死者数も低いレベルに留まっている。韓国は国民のデジタル・レベルの高さを利用して、感染者との接触を知らせるAppを国民のスマホに入れて、感染の広がりを抑えることができた。そして感染がわかるPCR テストを大量に実施した。そのために医療崩壊も起きなかった。

日本はオリンピック開催の是非が背景にあったので、、できるだけコロナ危機を拡大させないようにしたといわれている。2ヶ月以上前から新型コロナウイルスが騒がれていたにしては、感染者の数が極端に少ない。さらに死者の数が少ないのは、驚異的である。まず感染者の数を増やさないために、PCR テストをできるだけしないようにしたといわれている。感染者の数は相当コントロールできるだろうが、死者の数はそう簡単に操作できない。とにかく日本の数字は大きな謎である。それとドイツで、日本の数字を取り上げて、成功例として挙げる専門家のいないのも不思議だ。韓国、台湾が成功例と挙げられている。

ゲスの勘ぐりにすぎないかもしれないが、死者の多くは高齢者である。これらの方々はすでになんらかの疾患を持っていたので、新型コロナウイルスに感染すると、肺炎を起こし、短期間で死に至るといわれている。その場合、新型コロナウイルスのせいで亡くなったのか、前からの疾患で亡くなったのか、死因の判断は難しいだろう。そこに多少の操作の余地があるように思われる。

ベルリン大学の疫学者が、韓国のケースについて質問されて、これらの国々では本来挨拶などによるスキンシップ(握手やハグ)が発達していない上に、多くの人々がマスクをしている。さらによく手を洗い、集会などが制限されれば、シャットダウンをしなくても、感染のスピードを遅くし、コントロールすることが可能かもしれないと答えていた。ドイツでもこのような日常生活上の態度が新型コロナ対策として定着するのが望ましいとも付け加えた。

出口戦略

今週の始めぐらいから、そろそろコロナ・自粛体制からの出口を考えなければならないという意見が何人かの政治家から出されたが、メルケル首相もシュパーン保健大臣も全く時期尚早であると一蹴した。現在のシャットダウン体制を4月19日の復活祭の連休明けまで維持し、その時点でそれまでの政策が有効だったか、さらに継続の必要性があるかどうか、自粛を緩めるかどうかを決めたいとのことだった。同じように専門家たちも大局的な判断を下すにはデーターがまだ少なすぎると言っている。

さすがに国民の間からもそろそろ近い将来について考えを巡らすべきだとの声が高まっている。4月19日まではシャットダウンを維持すべきだが、少しずつ自粛体制を緩めるべきだという意見が何人かの専門家の間からも聞かれるようになった。リスクの高い高齢者への対策は緩めるべきではないが、若者と子供達の死亡は例外的なので、学校再開も考えられるとのことだ。経済活動も従業員の接触が防げる職場は再開できるだろうとも。

これまで現在のようなシャットダウンの体制はドイツでも戦後全くなかったわけだが、国民は復活祭明けまでの2週間はなんとか我慢するだろう。だが、それ以上長くなるようだと、不満が続出するだろう。経済界もあまりの損失に悲鳴をあげるだろう。

お葬式があげられないのが、本当に辛いという声が聞かれる。確かに亡くなった方とのお別れは家族だけに、それも最低安全間隔を保った上で許されている。イタリアやスペインではそれさえも許されない。

これから2週間はストレスがますます溜まるばかりだが、4月19日という目標があるので 頑張れる感じだ。(2020年4月4日)

ふくざわ・ひろおみ

1943年生まれ。1967年に渡独し、1974年にベルリン自由大学卒。1976年より同大学の日本学科で教職に就く。主に日本語を教える。教鞭をとる傍、ベルリン国際映画祭を手伝う。さらに国際連詩を日独両国で催す。2003年に同大学にて学位取得。2008年に定年退職。2011年の東日本大震災後、ベルリンでNPO「絆・ベルリン」(http://www.kizuna-in-berlin.de)を立ち上げ、東北で復興支援活動をする。ベルリンのSayonara Nukes Berlin のメンバー。日独両国で反原発と再生エネ普及に取り組んでいる。ベルリン在住。

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