論壇

社会民主主義研究ネット研究会報告(第1回)

テーマ<イギリス労働運動の動向~「労働運動の欧州化」の
終焉とこれから>

2018年9月例会/報告者 小川 正浩

社会民主主義研究ネットの趣旨

季刊『現代の理論』2018年秋号から、社会民主主義研究ネットの研究会報告を連載するにあたって、研究ネットの趣旨と掲載の目的を簡単に説明しておきます。

この「会」は2014年1月に政党、労組、研究者あるいは大学教授など多様な人々から構成される小規模な研究サークルとして発足しました。会員とゲストの報告による月例会が主な活動です。研究共同代表は田端博邦東京大学名誉教授と住澤博紀日本女子大学名誉教授が務めています。連絡先は小川正浩宛(ma.ogawa@nifty.com)です。

今日、社会民主主義の存在感は日本は言うに及ばずご本尊のヨーロッパでも高くありません。理由はたくさん考えられますが、さしあたり三つ指摘するとすれば、ⓐ国際金融資本が主導するグローバリズムの「罠」に嵌まってしまいそこから抜け出せないこと。ⓑ難民・移民問題に対応できていないこと。感情の政治が極右ポピュリズムと左のラジカリズムに有利に働き、リベラル・ソーシャル・デモクラシーが説得力を欠くに至っているというわけです。ⓒ脱工業化を背景にした標準的労働者層の縮小によって安定的な支持基盤が掘り崩されていること、などです。

日本では期待された民主党政権が日本政治史上に記憶されて良いいくつかの政策を実現しながらも、党内ガバナンスの拙さで自滅して以降、自公政権に代わり得る政治勢力が見通せない状況にあります。

しかし格差拡大や非人間的労働といった資本主義の暴走の一例をとっただけでもリベラル・ソーシャル・デモクラシー以外の代替戦略を見出すことはできません。

カリフォルニア大学のレーン・ケンワーシー教授の最近の論文のタイトルは「社会民主主義は死滅していない ― 「小さな政府」と福祉国家の間」(フォーリン・アフェアーズ 9月号掲載論文)でした。ただ彼が2013年に著した「アメリカの社会民主主義」では、オバマの国民皆保険化の流れの中で、発展段階の違いがあっても、また紆余曲折があっても、アメリカでもまた社会民主主義の政策が展開されていると提起したものですが、トランプのアメリカだからこそ対抗政策になりうる可能性を示唆したものと理解できるでしょう。

2016年、アメリカ大統領選挙の民主党予備選挙で、バニー・サンダースがヒラリーに肉薄したのも、累積する学資ローンの負担に悩む若い世代が熱狂的に支援したこともその一つの理由といわれています。2008年リーマンショックが、住宅ローンによる過剰債務とその証券化であるとするなら、現在の若い世代の学資ローンの負債も、次の金融危機の要因になるかもしれません。

どちらにしても、富の格差の拡大と税制・社会保障政策による公正で安心できる社会への転換、そして日本では非正規雇用の増大や産業界の要請に沿った「働き方改悪」などに対抗できる働く人々のための政治、つまりは本来の社会民主主義の政策が、先進国においてもますます喫緊の政策課題となりつつあります。

しかし残念ながら、そうした政策を実現する政治的背景は、過去20年間、悪化してきています。イギリスの歴史家、トニー・ジャットは、彼の遺作となった『荒廃する世界の中で、これからの「社会民主主義」を語ろう』の中で、社会民主主義政党のエリートたちも、ネオリベラルの思考枠組みに囚われていると警鐘を鳴らしていました。

ドイツ社民党を越え、EUレベルでの社会民主主義政党の理論家でもあったトーマス・マイヤーは、21世紀初頭に,『社会民主主義の理論』という浩瀚で体系的な書物を著わし、極端な個人の自由にたつリバタリアンの前提に立脚しても、平等と社会的公正を求める社会民主主義の実現は可能であることを論じようとしました。過去20年間の比較政治制度による研究により、北欧型の公的医療保険制度のほうが、アメリカの私的医療保険制度よりも、国民的レベルでの健康の維持に役立ち、しかも全体のコスト負担も軽くなることを証明してきました。しかし医療の民営化は進行し、健康格差も医療費コストもむしろ拡大しています。

要するに、社会民主主義の政策提言と、グローバルに見た現実の政治の展開は、異なる方向を目指しているように見えます。学術的な比較政治制度のアプローチやシンクタンク組織による政策提起の限界ともいえます。

 こうした21世紀の、「ポスト・デモクラシー」や「ネオ・ポピュリズム」、あるいは権威主義的政治の復活の傾向に抗して、もう一度、市民・生活者の日常的な視点や、労働運動にかかわった体験から、21世紀の社会民主主義の政治を再構築していく作業が必要です。そのためには研究者や政党やシンクタンク組織だけの仕事ではなく、さまざまなグループや組織、団体により、多様な形で議論することが望まれます。

今、私たちの小さな社会民主主義研究会が、体験を語り、新しい課題を研究・議論するネットワーク形成に向け、デジタル版『現代の理論』の紙面をフォーラムの場として活用したいと考えています。このテーマや課題に関心を持つ多くの人々の議論への参加を期待します。(小川正浩・住沢博紀 記)

テーマ イギリス労働運動の動向~「労働運動の欧州化」の終焉とこれから
研究会(2018年9月例会):報告者 小川正浩

報告の主題は、EU法に依拠してきた過去30年間のイギリス労働運動(これを報告者は「労働運動の欧州化」と呼ぶ)が、イギリスのEU離脱によってその根拠を失うという歴史的な試練に直面している。それに代わる自力の運動戦略をどのように構築できるかが課題になっている、というものである。

1980年代のサッチャーによる相次ぐ「反労働組合政策」によって瀬戸際に追い込まれていた労働運動は、その打開の道を80年代後半にドロールEC委員長(当時)が着手し始めていた社会的欧州に見出した。保守党政権が続いていた間は実際の成果はあげることはできなかったが、97年ブレア労働党政権が生まれ、欧州社会憲章を受け入れて以降、EU指令に基づく国内法制定が可能になった。労働時間、欧州労使協議制、職場の安全衛生、パートタイマーや有期雇用者の均等待遇その他の労働権を確保する多くの法律ができた。

このように社会的欧州の最大の受益者が労働者層であることを自覚していたがゆえに、イギリス労働組合会議(TUC。唯一の全国組織)は2016年の国民投票の際、国内でもっとも影響力のある親欧州勢力として「残留」を強力に主張し、キャンペーンを張った。しかし「反エリートの労働者階級の反乱」とか「民主主義の回復」といったレトリックで語られた離脱の民意によって、もとよりエリート集団でもない労働運動は、EU法という決定的な拠り所を失うという苦境に現在立たされている。ある種のパラドクスである。

もちろん「民意を尊重する」以外にTUCの選択肢はなかった。メイ政権がEUとの離脱交渉に入るや、(a)離脱によっても現在の労働権が失われないこと(b)ソーシャル・ダンピングを回避するために今後EUで採択されるEU労働法と同程度の法律がイギリスでも導入されるべきである(c)「単一市場・関税同盟に留まり」EU諸国とのモノ・サービスの摩擦なしの取引きを継続し、国内産業と雇用とコミュニティを守ること(d)北アイルランドの国境管理の現状維持などを迫っている。

保守党内の混乱とメイ首相の当事者能力の欠如によって離脱交渉は迷走を重ねている。もしも労働権と雇用が守れないような離脱合意もしくは「合意なき離脱」のような事態になれば、残留か離脱かを含む第2の国民投票を行うよう求めている。

一方、労働組織や労使交渉といった足元の組合リソースはどうだろうか。組合員数と組織率の減少は著しい。組合員は2016年現在622万人となっており、ピーク時の1979年の1320万人の半分以下となっている。組織率を見ると同じく23.5%(民間13.4% 公共52.7%)と53%でこれまた半減している。また労働争議の参加者数も2015年には約8万人と120年振りの低水準を記録している。

労働協約がどの位の労働者をカバーしているかを示す労働協約適用率を見てみると、1980年代には労働者の7割に適用されていたが、最近では公共部門で3割強、民間では2割未満といった状況である。これらの背景には製造業の衰退、非正規労働者の増大、企業横断的な部門別団体交渉が企業別・事業所別交渉に移ったことなどがあると指摘されている。

さらには近年イギリスでも広がりを見せ始めた「第四次産業革命」を利用したギグ・エコノミーやプラットフォーム経済などと呼ばれる新しい産業と就業層への対応如何によっては組合の弱体化が加速される懸念があるとされる。因みに、この傾向はイギリスだけではなく、欧州全体で共通しており、欧州労組研究所(ETUI)は精力的に研究報告を出したり、討論の機会を設けている。

このような労働組織の体幹の衰えに追い打ちをかけるように、2016年労働組合法に見られるような財界の意向を汲んだ労働争議の集団的行使を厳格化する制度改変がなされた。そのポイントはストライキの適法成立要件を「従来の投票者数の過半数の賛成」から「投票権を持つ組合員の50%の投票者数の過半数の賛成」へと厳しくされ、加えて医療、17歳以下の教育、消防、交通、廃炉、国境警備の六つの重要公共部門は「50%要件」に上乗せされ「総有権者数の40%の賛成」が要件とされた。その他、労働組合の政治基金への組合員の拠出方法にも組合に不利な変更がなされた。

こうして「労働運動の欧州化」に代わる労働組合の自力のガバナンスの途は容易ではなく、1868年に結成され今年で150年を迎えたイギリス労働運動は「変化か死か」(F.オグラディTUC書記長)に直面している。

報告者/おがわ・まさひろ 総評国際部長、日本社会党政策審議会事務局次長を経て、(一般社団法人)生活経済政策研究所元専務理事・研究部長

報告をうけた参加者の意見交換

・高齢者に比べて若者にEU「残留」が圧倒的に多かったという統計が事実なら、イギリスは未来の選択を誤ったと言えるのではないか。

・国民投票時の労働組合の動向について日本ではほとんど伝えられていなかった。

・イギリスには他の欧州のような難民問題は存在していない。移民が離脱理由になっているが本当に雇用や地方財政を脅かしているのか疑問。

・労働組合と「置き去りにされた人々」の意思疎通はどうなっているのか。

・争議に厳しい成立要件があるのにイギリスはストを行ってきた。日本は要件はないに等しいにもかかわらずストはない。

・ILOにはスト権を認めた条約はなく、結社の自由のなかに含まれる。日本の公務員の提訴も「処分が過重だった」というものだった。

【参考図書】

イギリス労働運動やTUCに関しては、邦訳で入手できる最近のものは少ない。

専門書として、

今井貴子(2018)『政権交代の政治力学 イギリス労働党の軌跡1994-2010』(東大出版会)

関連するテーマで、新書の著作は、

遠藤乾(2016)『欧州複合危機』(中公新書)

近藤康史(2017) 『分解するイギリス:民主主義モデルの漂流』(ちくま新書)

高安健将(2018) 『議院内閣制-変貌する英国モデル』(中公新書)

プレイディみかこ(2018)『労働者階級の反乱~地べたから見た英国EU離脱』(光文社新書)

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