この一冊

『前川喜平 教育のなかのマイノリティを語る』(青砥恭、関本保孝、善元幸夫、金井景子、新城俊昭著、明石書店、2018年9月)

学習権を基軸に教育を考える

ジャーナリスト 池田 知隆

「マイノリティの現実を文科省がきちんと知らないのが実状です」と、元文科省事務次官の前川喜平氏は実に率直に語っている。高校中退の実態について文科省は中退者の数を数字として調べているものの、中退後のことは「学校にいないのだから(調査などの)対象外」にしている。「それで本当にいいのでしょうか」と前川氏に問いかけられても困ってしまうが、もちろん、それでいいわけではない。

『前川喜平 教育のなかのマイノリティを語る』

(前川喜平、青砥恭、関本保孝、善元幸夫、金井景子、新城俊昭著、明石書店、2018年9月)

高校中退のほか夜間中学、外国につながる子どもの日本語教育、LGBT、沖縄の歴史教育などのマイノリティの問題は、行財政的にみればコストがかかる。従来の教育行政や学校文化のなかで見過ごされてきた。「憲法の理想を実現することが行政の仕事」と思っていた前川氏は、マイノリティの子どもたちの教育の機会を保障することができなかったことが気がかりだったそうだ。

「あったことをなかったことにはできない」。安倍政権を揺るがせた森友学園問題から加計学園問題へと政治の焦点が移ろうとしていたとき、そう言い放った前川氏の姿は衝撃的だった。政権の基盤を大きく揺さぶる一言だった。文科省の天下り問題の責任をとって前川氏が退職した後、官僚の収賄疑惑や接待まみれが露呈し、文科省の信頼も大きく崩れたが、自らが中枢を担った教育行政に対しても歯に衣を着せない。「面従腹背」を座右の銘としてきた前川氏は、それまでの「腹」に溜まっていた澱(おり)を噴き出すかのようにずばずばと批判を繰り出している。

「一市民になった。空を飛ぶ鳥のように、自由に生きる」(2017年3月25日)と、ツイッターでつぶやき、この本の中でも、心ならずもやらざるをえなかった例を列挙している。「全国学力テストは百害あって一利なし」「総合学習の可能性は無限だ」「教育基本法の改正には反対だった」と明快に批判するが、それらはいずれも日本の教育の核心と言えるものばかりではないか。

特に危惧しているのは、今年4月から小学校で「教科」として実施されている道徳の問題だ。来年4月からは中学校でも始まる。このことにふれて前川氏はこういう。

「公教育で行なう価値教育というのは、憲法の価値に留めるべきです。では、憲法の価値は何かというと、個人の尊厳が根っこにあって、基本的人権を尊重し、平和を尊重し、国民主権で国を運営する、そこまでは、国が基準を定めて、道徳的価値として教えていいと思う。仮に道徳という教科をつくるのであればそこで教えるべきというのは人権教育と平和教育と主権者教育だと思っています」(265頁)

加えて道徳の教科書の内容について「とにかく酷いです。どんどん子どもたちを国家主義の方向にもっていく、そういうしかけになっていますね。きわめて危ないな」と公言している。

でも、それらは前川氏が率いた組織が決めたことでもある。頁をめくりながら、厳しい指摘の数々に「そうだ、そうだよね」と共感しながらも、「でも、何もできなかったのですね」とため息も出てくる。しかしながら、これらは教育行政の要にいたことへの深い自省を込めた発言として受け止めたい。

教育行政の世界においても当然、権力関係は避けられないこととしてある。官僚の間にいわゆる「忖度(そんたく)」もあれば、「面従腹背」もある。「忖度」のほうには、権力者がこうしてほしいだろうと推測して、言われなくても動こうとする能動性がある。だが、「面従腹背」は、言われたことに表面的に従いながら、機を見て微妙に別な方向に舵を切ることもできる。人知れず個人的な意思を盛り込めるかもしれない。だが、いずれにしろ行政は市民の目に明快に「見える」形で執行すべであることは言うまでもない。

これからの日本の教育は、なにを基軸に考えていくべきなのか。それは学習権であると前川氏は明言する。人が自分の尊厳を保ち、それを発揮し、実現していく。そのために学んでいく権利を根本に据えていくべきであり、マイノリティの場合には、それが保障されていない状態が多く、より強く意識されなければならないというのである。

これらのマイノリティの問題がそのまま、少子高齢化や外国人労働者をめぐる難題を抱えた日本社会で将来、マジョリティの問題につながっていくことは明白だ。社会の二極分化が進み、中間層が薄くなり、上と下の格差が広がっている。その中間から上の人たちには下が見えにくい。うっかりすると、見えないものは存在しないことにされがちだ。その社会の格差が拡大するなかで最も重要なのはやはり教育の問題である。

高校中退や夜間中学、日本語教育、LGBT、沖縄の歴史教育……などに長年取り組んだ教員たちとの対談を通して、前川氏がそれぞれの問題に精通していることがよくわかる。子どもの学習権を基本に考える姿勢にも一貫性があり、真摯な問題提起も少なくない。それにも増して日々、学校や教室で生きづらさを感じている子どもたちに共感し、寄り添い、支えている教員たちの熱い思いに改めて敬服させられた。

いまの前川氏の座右の銘は「眼横鼻直(がんのうびちょく)」だという。眼は横に、鼻は縦についている、という道元禅師の言葉で、真実をありのままに見て、ありのままを受けとめれば、自他に騙されることもなくなるという意味だそうだ。前川氏には教育行政を一市民の目からしっかりと見つめ直し、これからも積極的な発言を続けてほしいと切に思う。最後に、前川氏の対談相手を務め、現場の課題をくっきりと示してくれた著者のみなさんも紹介しておきたい。

Ⅰ 高校中退――学習言語を習得できない子どもたち

(対談相手:青砥恭。元埼玉県立高校教諭。現在、NPO法人さいたまユースサポートネット代表、全国子どもの貧困・教育支援団体協議会代表幹事)

Ⅱ 夜間中学――歴史・意義・課題

(同:関本保孝。東京・墨田区立曳舟中学校夜間学級に着任して以来、2014年まで夜間中学教員。現在、基礎教育保障学会事務局長、えんぴつの会及びピナット学習支援ボランティア)

Ⅲ 外国につながる子ども――「いいものがいっぱい」ある多文化教育

(同:善元幸夫。江戸川区立葛西小学校で中国・韓国からの残留孤児2世の孤児に日本語教育を担当。日韓合同授業研究会を作り、日本・韓国・中国の国際交流研究会を開催し、ベトナムの多言語教育にも関わっている)

Ⅳ LGBT――マイノリティの生きやすさとは

(同:金井景子。早稲田大学教育学部国語国文学科教授。日本近・現代文学、ジェンダー論。さまざまな場所で「国語」と「文学」を教えてきた)

Ⅴ 沖縄の歴史教育――平和教育をつくりかえる視点

(同:新城俊昭。沖縄歴史教育研究会を立ち上げ、沖縄歴史と平和教育を高校教育に根づかせる運動を進める。沖縄県平和祈念資料館元監修委員、沖縄大学客員教授)。

いけだ・ともたか

一般社団法人大阪自由大学理事長 1949年熊本県生まれ。早稲田大学政経学部卒。毎日新聞入社。阪神支局、大阪社会部、学芸部副部長、社会部編集委員などを経て論説委員(大阪在勤、余録など担当)。2008年~10年大阪市教育委員長。著書に『ほんの昨日のこと─余録抄 2001~2009』(みずのわ出版)、『団塊の<青い鳥>』(現代書館)、「日本人の死に方・考」(実業之日本社)など。本誌6号に「辺境から歴史見つめてー沖浦和光追想」の長大論考を寄稿。

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