特集●安倍政治の黄昏と沖縄

[連載]君は日本を知っているか

古文書は嘘をつくことがある

それでも事実に迫ることはできる

神奈川大学名誉教授・本誌前編集委員長 橘川 俊忠

古文書とはどんなものか

前回は、日本には驚くほど大量の古文書が残されているという話を書いたが、今回はその古文書の中身の世界について書いてみよう。古文書に触れる機会がほとんどない人にとっては、古文書についてのイメージは、古い和紙にミミズの這いずったような文字が墨で書かれているものぐらいしかないかもしれない。しかし、古文書の世界は、実に多種多様で、それを分類するだけで一つの学問分野になるくらいである。特に、近世文書になると、まだ確かな分類法はないといってよいような状況である。

だから、古文書の所蔵者でも、古文書についての固定観念にとらわれて、史料的に大事な古文書を見落としている場合が少なくない。実際、地方を歩いて古文書を所蔵しているという旧家を訪ねて古文書を拝見させて下さいというと、年貢皆済状や御用留のような藩や代官所などから出された公用文書かその写し、あるいは田畑の質地証文の類が圧倒的に多い。こうした文書も大事な史料に違いないが、実はそれだけではその家の過去の実態は必ずしも明らかにはならない。

筆者が調査に加わった能登の旧家時国家の場合、そういう文書に依拠していたためと思われるが、研究者の間でも時国家は「豪農」とされていた。ところが、時国家の経営実態はそうではないことを示す史料が次々と見つかった。時国家は近世には廻船業や貸金業を営み、鉱山の開発にまで手を染めようとしていたことが明らかになったのである。その史料はどこからでてきたかというと、味噌蔵の片隅に丸められて放置され紙屑あつかいされていた古紙、襖や屏風の裏張りの中から出てきた。廃棄されるか、廃棄されそうになっていたそういう文書は、時国家の人々にも古文書と思われてはいなかったのである。この時の調査は、家探しに近い形で、徹底的に行ったので、そういうものも発見されたのであるが、それは先に述べたような立派な用紙に墨跡鮮やかに書かれたものではなく、裁断された断片のような紙に書かれた、今でいえば領収書のような粗末なものが圧倒的に多かったのである。しかし、それによって「豪農」とされていた時国家のイメージはまったく変わった。

これは、古文書に噓が書かれていたということではない。しかし、一部の古文書のみを重視し、全体を見ないと間違いを犯すということである。さらに、一部の古文書だけで一定の規定を与えてしまうと、それが先入観となり、他のものを見なくなってしまうという間違いも生まれやすくなる。だから、それは、古文書の多様性を無視することから生じる虚偽というべきであろう。

それから、古文書に関する虚偽の問題に、「偽文書」という問題がある。「偽文書」とは、最初から偽物であることを自覚して意図的に作成された文書のことをいう。近世史で最も有名な「偽文書」の一つに、「徳川成憲百箇条」というものがある。これは、徳川家康が幕政の基本箇条を自筆でしたため、老中以外他見不可とされたというもので、『徳川家康禁令考』というようなれっきとした資料集にも掲載されていたものであるが、現在の歴史学会では完全な「偽文書」とされている。また、最近では、教科書にも必ず載せられていた「慶安の御触書」も「偽文書」か、その疑いが極めて強いとされている。いずれも原本が存在せず、後世の写本以外に、成立を確証する証拠が見出せず、内容的にも問題があることからそう判断されたのである。

しかし、厄介なことに、この二つは、近世後期には大量の写本や刊本が作られ、後者の場合には藩が刊本を作成し領民に配布した例さえ見られた。したがって、その時期には真正な文書と受け取られていたと推測され、その意味では、後期幕藩制下の人々の自己認識を知るための史料としての価値は否定できないし、誰が何時どのような意図の下に作成したか、そして何故真正なものと考えられるようになったのかというような複雑な問題も起こってくる。

古文書に関わる虚偽の問題はまだある。文書としては本物であることは間違いないが、内容的に重大な虚偽が含まれるというケースである。以下、その例を検討してみよう。

嘘をつく文書 [ケース1]

これは、先にも言及した能登の時国家に所蔵されていた古文書群の中に含まれていた多量の願書のケースである。時国家は、中世以来の名家であるが、近世には時国村の庄屋を務めていた。普通、そういう家には、領主に提出した「願」や「請状」などの文書やその写しが数多く残されているが、時国家も例外ではなかった。時国村というのは、近世の村落としては少し特殊な性格の村であった。領主が何度も交替し、支配の様式の変化も少なくなかった。詳細は省くが、おおまかにその過程を述べれば、近世初頭は小大名の領地、次に幕府領になりその直轄支配を受け、中期以後は加賀藩への預所(正式の領主は幕府であるが、実際の支配は藩に委ねられる。ただし、支配の様式は幕府領に倣うとされるが、その支配の様式は加賀藩と幕府との関係の変化によって変化した)になった。

こうした特殊な経過をたどった時国村の庄屋文書の中で、気付いたことは、同じような文言の願書が何通もあるということであった。その願書の内容は、年貢や村の負担の軽減を求めるもので、集中している時には数年おきに提出されていた。そして、その理由は、水損すなわち水害の被害、干損すなわち日照りによる損害で、村には飢渇に及ぶ者が少なくないというものであった。これを文字通りにとれば、時国村は毎年のように自然災害に襲われ、餓死者が出かねない窮状にあったということになる。だとすれば、近世の封建制の厳酷な支配を証明する史料としてみることもできる。

しかし、実態はそれほど単純ではなかった。実際に水害が発生したことを否定するわけではないが、その頻度はそれほど多かったのかという疑問がある。水害によって川が荒れ、堤防もきれ、田畑が流出したので、その修繕の為の費用援助をお願いしたいという内容の文書も存在しているが、その点数は極めて少なく、先に述べた年貢・負担の減免願に比べると圧倒的に少ないのである。文書の文言がほとんど定型化していることも疑問である。これは、時国村に隣接する別の村の史料であるが、子供の手習いのための教科書それも自家用の手作りの文例集の中に、「水損干損のため飢渇に及び」というような文言が文例として載せられているのである。そこまで表現の定型化が進んでいるとすれば、そういう表現が実態を表しているとは素直に受け取れない。

その上、先に述べたように、領主や支配の方法が幾度も変化しているという要因がある。領主や役人が交替するすきを狙って、願書攻勢をかけるぐらいのことは領民も考えたに違いない。特に、形式的には幕府領であるということは、実際の支配者である加賀藩やその役人に対しても一定の意味を持ったであろう。また、幕府領は、藩領よりも年貢率は低く、比較的恵まれていた。また、時国村の住民の中には、廻船業を営み、金融で財を成し、頭振(能登では水呑をそういう)から本百姓になった者もいる。

そう見てくると、少なくとも願書の文言を真に受け、窮乏化の証拠とするのはあまりにも素朴すぎるというものであろう。むしろ、近世の地方では、領主側と被支配身分との間で、さかんに駆引きが展開されていた証拠とみる方が妥当であろう。

嘘をつく文書 [ケース2]

もう一つは、瀬戸内海西部の二神島という小さな島で調査をしていた時に拝見した史料に関するケースである。その島の村上家で、古文書を見せてもらえませんかとお願いしたところ、見せてもらったのが、明治四年に作られた壬申戸籍の控であった。壬申戸籍は、現在は非公開とされており、その控といえども見たことがなかった。それを見ていた時、一緒に調査に行っていた網野善彦氏が、「これだ」といって目を輝かせた。それは、網野氏が主張していた「百姓=農民ではない」というテーゼを裏付ける証拠を発見したと思われたからであった。

網野氏のテーゼを実証する史料というのはどういうことかというと、その控の各戸の職業欄の記載が僧侶などを除いてほぼ全戸が「農」となっていたことに関係する。網野氏の推理によれば、この職業欄の記載は、近世の人別帳で「百姓」とされていたものをそのまま「農」に置き換えただけで、職業の実態を反映したものではないということであった。神奈川大学常民文化研究所の二神島調査グループの研究によれば、近世の二神島の石高は八十余石、戸数六十余ということだから、一戸当たりにすれば一石余ということになり、村の中には階層差もあるから少なくとも半数以上は一石にも達していないと考えられる。そういう石高の家が農業を職業として生活していたとはいえないだろう。たとえ、小規模の田畑を所持していたとしても、生活は漁業や商業のような別の職業を主として営んでいたはずではないか。それを「農」としたのでは実態からずれるのは当然である。「百姓=農民」という「常識」は戸籍作成の際の自動的変換の結果できあがった間違いに基づくのではないかということである。

実際、二神島は二つの峰の際立つ山がちの地形で、平地は極めて狭く、水も確保するのが難しい島である。近世から昭和期に至るまで、イワシ網漁やヒジキ漁など活発に漁業を行っている。そのような島の住民が農民であるとは到底想像できない。そのことからも、二神島の戸籍の記載が、作成時の形式的処理に基づく虚偽を記載しているとみて間違いはないであろう。その虚偽が、網野氏の主張するように「百姓=農民」という「常識」を作り出し、近世人口の八割は農民であったという教科書にも書かれた時代認識を生み出しているとすれば、これは日本の歴史を考える上で重大な誤りを犯すことにもなりかねないのである。

古文書の嘘からの教訓

以上述べてきたように、歴史研究で最も重視される古文書も、時には嘘をつくこと、あるいは扱いようによっては嘘になってしまうことがあるのである。しかし、その嘘あるいは嘘に近い性格は、文書の周辺をきちんと調べることによってそれの虚偽性を暴露し、事実そのものに接近することができるのである。

それでは、そのことから我々はどういう教訓を得られるだろうか。歴史学上の問題、たとえば歴史観とか歴史像、時代認識というような問題はおいて、現代の文書(これは「ぶんしょ」と読む)に関わる限りで考えてみよう。

現在の文書に関わる問題といえば、すぐに思い浮かぶのは森友学園関係の財務省による文書改竄問題であろう。事件の概要はすでに周知のことであるから省くが、この文書の改竄が明らかになったのは、正式に手続きを踏んで決定されたという文書の他に異なる内容の文書が存在することが暴露されたことによる。この場合、古文書の検証と同じように、同種の文書をできるだけ集め、その細かな異同を調べ、文書が作成された経緯・状況を検討することが、その文書の真偽を知るきっかけになるということが第一。第二に、メモや領収書のような廃棄されかねない文書にこそ事実が隠されており、それを調べることが事実全体の認識を変える可能性を開くということ。第三に、文書を最初から信じてしまわないで、常に疑問を持ちながら読み解いていくこと。こうしたことは、歴史研究で古文書によりつつ、事実を探求する場合の態度と共通している。

さらにいえば、公文書の世界では、とかく軽んじがちで廃棄されかねないチョットしたメモや領収書のようなものも公務に関して作成されたものは、きちんと保存の措置を講ずることが必要だということも忘れてはならない。森友問題をきっかけにして、政府や官庁ではまったく逆の対応が検討されているようであるが、それは古文書研究の立場から見れば貴重な史料を軽視することおびただしいといわざるをえない。

きつかわ・としただ

1945年北京生まれ。東京大学法学部卒業。現代の理論編集部を経て神奈川大学教授、日本常民文化研究所長などを歴任。現在名誉教授。本誌前編集委員長。著作に、『近代批判の思想』(論争社)、『芦東山日記』(平凡社)、『歴史解読の視座』(御茶ノ水書房、共著)、『柳田国男における国家の問題』(神奈川法学)、『終わりなき戦後を問う』(明石書店)、『丸山真男「日本政治思想史研究」を読む』(日本評論社)など。

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