特集●安倍政治の黄昏と沖縄

沖縄民衆―心の叫び ボールは「本土」に

玉城デニー氏圧勝! 県知事選の語るもの

新聞うずみ火記者 栗原 佳子

翁長雄志・前沖縄県知事の急逝に伴う沖縄県知事選は、安倍政権が全面支援する佐喜真淳氏(54)と、翁長氏後継の玉城デニー氏(58)による事実上の一騎打ちが展開され、玉城氏が県知事選過去最多となる39万6632票を獲得し、初当選した。佐喜真氏と8万余りの票差をつけての圧勝で、辺野古新基地建設に反対する民意の確かさを改めて示した格好だ。選挙戦の序盤と最終盤の2回、あわせて1週間、現地に入った。取材メモなどをもとに振り返る。

まさかの「ゼロ打ち」当確

写真1  玉城陣営は慎重を期してNHKの当確を待ち9時半過ぎに万歳をした

午後9時33分、NHKが当確を打った瞬間、玉城氏は天をあおぎ、大きく息を吐き、そしてねぎらうように隣席の妻、智恵子さんの膝をぽんぽんと叩いた。大歓声の中、かすかに三線の音色が聞こえたと思うと、もう玉城氏は立ち上がり、カチャーシーを舞いはじめていた。すかさず選対委員長の仲里利信さんが指笛を鳴らす。元自民党県連顧問の81歳。保革を超えた「オール沖縄」の象徴的な人物だ。全身で伸びやかに舞う玉城氏にいざなわれるように、後列にいた若者たちが飛び出し、カチャーシーの輪が広がっていった。黒字に玉城氏の顔をあしらった揃いの「デニーTシャツ」姿。最後列では赤、青、黄の三色旗が力強く振られていた。佐喜真氏支援の公明党・創価学会に公然と反旗を翻した学会員の旗だった。

9月30日夜、支援者と報道陣でぎゅうぎゅう詰めの教育福祉会館小ホール。投票が午後8時に締め切られた瞬間、琉球朝日放送(朝日新聞、沖縄タイムス)が当確を出した。いわゆる「ゼロ打ち」だ。あの場にいたどれくらいの人が、そこまでの完勝を予想したろう。感極まった友人知人たちの顔がいくつもあった。その中の一人が、8月11日の県民大会の際に見せた深刻な表情と、「とても厳しい闘いになる」という言葉が思い出された。

「あらゆる手法を駆使して、辺野古に新基地は作らせない」として、「オール沖縄」を旗印にした翁長氏が知事に当選したのが2014年。しかし安倍政権は、圧倒的な民意を無視して、裁判に追い込み工事をごり押しした。辺野古の海に土砂を投入する直前にまで護岸工事が進められた。翁長氏は7月27日、前知事による埋め立て承認を撤回する手続きに入ることを表明、「待った」をかけた。8月11日には那覇市・奥武山公園で「土砂投入を許さない県民大会」がセッティングされ、翁長氏も出席の意向と報じられた。しかしその矢先、翁長氏は8日、膵臓がんのため帰らぬ人となった。

県民大会の舞台には翁長氏のパイプいすが用意され、本人がかぶる予定だったエメラルドグリーンの帽子がそっと置かれた。「翁長知事の尊い命 日本政府が奪った」。そう大書きした横断幕もあった。台風が接近し、時折激しく降る雨を、知事の無念と重ねた人も多かったろう。見知った人はみな悲壮な表情を浮かべていた。その一人が「とても厳しい闘いになる」と危機感をあらわにした。知事選のことだとわかった。

11月に予定されていた知事選は、前倒しされる。だが翁長氏の後継はもちろん白紙状態だ。一方の政権側は「県政奪還」のチャンスだと踏んでいるに違いなかった。

宜野湾市長2期目の佐喜真氏は7月11日の時点で官邸で菅官房長官に面会し、出馬の意欲を伝えたという。県民大会3日後の8月14日には正式に出馬を表明した。侮れない相手だ。一期目は、現参議院議員の伊波洋一氏を破り市政を奪還している。しかも今回の知事選は、翁長氏が当選した前回とは大きく構図が異なる。前回は翁長氏、現職の仲井眞弘多氏、維新の下地幹郎氏も立候補するという保守分裂選挙。結果は翁長氏約36万票、仲井眞氏約26万票、下地氏約7万票だった。そして、前回、公明党は自主投票を選択した。半数が翁長氏に流れたとされるが、今回、公明党は佐喜真氏推薦を決定。今年2月の名護市長選では、翁長氏と連携して新基地建設阻止を掲げていた現職の稲嶺進氏が、自公維の推薦する新人候補に、まさかの苦杯を喫している。

県民有志の思いと翁長氏「遺言」が合致

写真2. 沖縄慰霊の日、沖縄全戦没者追悼式で平和宣言を読み上げる翁長雄志前知事(6月23日)

8月29日、玉城氏が出馬会見に臨んだ。佐喜真氏より2週間遅い立候補表明。選対幹部の一人が「周回遅れ」と表現する選挙戦の実質スタートだった。

玉城氏の名前が急浮上したのは11日前の8月18日。その日の夕方、共同通信が速報で「翁長氏が『金秀グループ』会長の呉屋守将氏(69)と自由党の玉城デニー幹事長=衆院沖縄3区の2氏を指名していた」ことを報じた。亡くなる数日前、病床で録音されたテープが存在するという。呉屋氏は県内有数の小売り・建設大手「金秀グループ」を率いる経済人で、翁長氏を支えてきた「ひやみかちうまんちゅの会」会長だ。

一方、その日の沖縄タイムス、琉球新報の朝刊は、県議会与党や企業、団体などでつくる調整会議の選考委員会が、後継候補を3人に絞り込んだと報じていた。呉屋氏、謝花喜一郎副知事、赤嶺昇県議。政党や企業などの組織で無記名に推薦したい人の名前を入れて投票。複数が推薦したという。

そこにあらわれたのが翁長氏の肉声テープだ。選考委員会は仕切り直し、全会一致で玉城氏に出馬を要請することで決定した。

一部では、「翁長氏の遺言」が鶴の一声になったと報じられているが、それは違う。県民有志の中に早くから玉城氏を推す声が挙がっていることは私でもSNSなどで把握していた。短期決戦を勝ち抜ける知名度、経験、見識、人柄、ウイングの広さなどから適任だと。いや、玉城氏しかいないと。有志のみなさんは、選考委員会は3氏に絞り込んだ段階で、選考委員会に要請文を出したり、会見したりすることも考えていたという。そこに飛び込んできたのが、翁長氏の「遺言」のニュースだ。

玉城氏出馬会見はネットで見た。「トゥーヌイービヤ、ユヌタケーネーラン」というウチナーグチを初めて聞いた。直訳すれば、10本の指に同じ長さのものはないという意味だという。米軍人の父とウチナーンチュの母を持つ玉城氏。幼いころ、仕事で忙しい実母に代わり、預かってくれた「育ての母」が、外見から時にはいじめられて帰ってくる玉城氏に教えてくれたのがその言葉だという。多様性が大事にされ、一人ひとりが尊重される社会を目指したいという決意が伝わってきた。翁長氏は「戦後沖縄の歴史を背負った政治家」だと城氏を評していたという。私の親しい友人は「候補者になって初めてデニーの話を聞いて、翁長さんの政治家としての目の確かさを実感した」と舌を巻いていたものだった。

対象的な選挙戦

9月13日告示。佐喜真氏は朝、那覇市牧志の選対本部前で出発式に臨み「対立や分断の4年間を繰り返すのか。沖縄を前に進めていくのか」などと声を張り上げた。

政権が全面支援するだけに、推薦する自民、公明はもちろん、維新、希望の幹部が勢ぞろいし、次々と応援演説した。前回の知事選に出馬した維新の下地幹郎氏は「辺野古移設のワンイシューで政策がフリーズした」と翁長県政を批判、「基地の整理縮小ができるのは佐喜真さんだけ」と持ち上げていた。

地元幹部らもマイクを握った。公明の金城勉県本部代表は、保守系新人の市議が現職の稲嶺進さんを退けた2月の名護市長選を引き合いに、「奇跡の勝利と言われたあの選挙に勝利した要因は期日前投票にあった。総投票の60%以上が期日前投票をした。佐喜真知事を誕生させるため、全県で一票に執念を燃やそう」と気勢を上げた。

すでに与党幹部が相次いで沖縄入りし組織を締め付け、創価学会員は数千人規模で沖縄入りし、ローラー作戦をはじめていると伝えられていた。

応援弁士の一人に井上一徳氏がいた。希望の党政調会長。辺野古での工事が強行された2014年当時の沖縄防衛局長。海は海上保安庁、陸には機動隊を導入し、市民らを暴力的に排除してきた人物だ。その井上氏が「佐喜真候補が知事になったら、一緒に日米地位協定の改定に向けて全力で取り組んでいく」などと力説している。いくらなんでも倒錯している。複雑な思いで見る「支持者」は少なくないのではないかというのが率直な印象だった。

一方、玉城氏は母親の生まれ育った北部の離島、伊江島で第一声を上げた。午後、名護市辺野古のキャンプシュワブ前のテントへ赴いた玉城氏は、座り込む県民たちに拍手で迎えられ、辺野古新基地断固阻止の決意を表明するとともに、「伊江島は母の生まれた島であり、沖縄戦の縮図になった島であり、戦後は土地闘争の原点になった島。自分のアイデンティティーが詰まっている場所」と託した思いを語っていた。離島が選ばれたのは県政史上初めてだという。

人気者頼みと自主的に動く若者たち

写真3. 若者たちの街宣―県庁前で街頭宣伝する玉城氏を応援する若者たち

再び現地に入ったのは9月27日午後。選挙戦が最終盤の「三日攻防」に突入した、その日だった。最後の3日間で勝敗が決まるという沖縄独特の用語で「三日戦争」ともいう。

那覇空港からゆいレールで2つ目。那覇市金城のゆいレール「小禄駅」に着くと、台風24号の接近で時折強風が吹くなか、佐喜真陣営の街頭演説がはじまっていた。目の前は大型商業施設。買い物客らが手すりに鈴なりになって見つめている。佐喜真氏は「私は県民の暮らしが最優先。県民所得を300万円まで引き上げるための努力を行っていきたい」などと経済をメインに訴える。続いてマイクを握ったのは自民党の小泉進次郎筆頭副幹事長だった。佐喜真氏の言葉を引き取り「沖縄の県民所得は全国平均より107万円低い。暮らしをよくする、107万円の壁を越えるという県を作っていくのが佐喜真さんなんじゃないでしょうか」とアピールした。

小泉氏の沖縄入りは告示後3回目。しかも、この演説だけのために沖縄入りし、再び空港に戻るのだという。異例のテコ入れぶりだ。それほど焦っているのか、それともーー。

各紙の中盤情勢調査では玉城氏が少し優勢だった。しかし玉城選対の幹部は「やっと背中に追いついてきたかどうか」などと慎重だった。名護市長選では世論調査で稲嶺氏が先行しながら敗れていた。「出口調査に本心を明かさなかった有権者がいた」のだという。私自身、在阪、在京の大手メディアから入る内部情報は、玉城陣営に厳しく、それは最後まで変わらなかった。佐喜真陣営が開票状況を見守る会場に、沖縄有数の高級ホテルの400人収容できる大宴会場を予約したという話も聞こえてきた。

佐喜真氏の選挙カーを見送り、県庁前広場に向かう。多種多様な衣装を身につけた若者たちが道行く車に「お手ふり」をしていた。次々とマイクを握り、なぜ玉城氏とともに未来を作りたいのか、思いを語っていく。「ひやみかちうまんちゅの会」青年局の独自の取り組みだ。母子家庭の青年。シングルマザー。「選挙運動が楽しくて仕方がないんです!」と笑顔で話す大学生もいた。

5月から2か月間取り組まれた「辺野古埋め立ての是非を問う県民投票」に向けた署名運動の中核を担った若者も多い。ライブハウスでの「デニーナイト」など若者ならではの企画にも次々とチャレンジ、今回特にネット上にあふれたフェイクニュース・デマに対してもきちんと反論・対抗した。さらに「デニーさんのいいところ」をSNSで発信する「ポジティブキャンペーン」にも取り組んでいるという。

植え込みに座って聞き入っていると、通りかかった高齢男性が感心したふうに私に話しかけてきた。「やらされている感じがない。こういうのは見たことがないなあ」と。この男性は若者たちが配布していた玉城氏のパンフレットをじっくり眺め、「もう1冊」と所望していた。パンフというよりちょっとした玉城氏のミニ写真集だ。撮影は沖縄出身の若手写真家・石川竜一さん。工夫が凝らされたスタイリッシュなそれはこれまで見たことのないタイプだった。

「これは勝つパターン」

写真4.デニー打ち上げ。台風が接近する中、行われた玉城陣営の打ち上げ式。ここでも創価学会の三色旗がはためいていた。

猛烈な台風24号は投開票日前日の29日、沖縄本島を直撃した。最終日の街頭での運動が不可能になるという異例の事態。各陣営は28日の夕方に実質的な「打ち上げ式」に臨んだ。

玉城氏は前日、佐喜真氏が街頭演説した小禄駅前を選んだ。時折強風がうなりをあげ、横殴りの雨が降りつけるなか、謝花喜一郎副知事、「ひやみかちうまんちゅの会」の呉屋会長、翁長氏の次男で那覇市議の雄治氏(31)らが次々とマイクを握った。青年局長として若者たちを引っ張ってきた雄治氏は佐喜真候補がアピールする「子供の医療費、給食費、保育料無料」にこう反論した。「子を持つ親としてありがたいと思う。でもその財源は国との交渉で勝ち取るという。辺野古を容認することで。その補助金は100年も200年も続くのか。5年10年も怪しい。今の私たちが少し楽をするために子どもたちの未来にそんな負担をかけていいのか。知事が辺野古を容認するかしないかで上げ下げされる補助金に翻弄されるのはごめんだ」

そして政府に頼らない、自立した、誰一人取り残さない、ちむぐくる(真心)の『新時代沖縄』をつくろう」と街頭で語り掛けてきた玉城氏。「平和だからこそ経済が発展する。経済の循環があるからこそ新しい基地は必要ない。新基地建設は身体を張ってでも止める。では普天間はどうするのか。戦争で奪われた土地は県民に返すのが道理」と明快だった。そして、最後にこう笑顔で叫んだ。「NO RAIN NO RAIN NO RAINBOW!雨がなければ虹も出ません。雨の後には必ず玉城デニーが太陽の輝きを皆さんに届けます!」。悪天候の中集まった400人余りの支援者から割れるような拍手と「デニーコール」が起きた。人波の中に旧知の記者がいた。いま見てきたという佐喜真陣営の打ち上げ式を踏まえ、彼は断言した。「これは勝つパターンの打ち上げ式です」

まさかの創価学会員の「造反」

あれから1カ月余り。玉城氏圧勝という選挙結果の分析はさまざまなかたちでなされてきた。途中から玉城氏が「翁長カラー」を強く打ち出したこと、明るくも苦労人である玉城氏の人間的魅力と実力。台風直撃にもかかわらず投票率がほぼ前回並みになったこと。逆に作用したのは、佐喜真氏が菅官房長官とセットで口にした「携帯電話の料金4割値下げ」のフェイクっぷり。企業などへの締め付けの反発。「辺野古隠し」戦術。公明党の支持母体・創価学会員の3割ともいわれる「造反」――。  

冒頭でも書いたように、9月30日夜、玉城氏当確に沸く会場で、大ぶりの三色旗が打ち振られていた。浦添市の野原善正さん(58)。告示以来、「玉城デニー必勝のため最後まで頑張る」と、何度も何度も三色旗を持って玉城氏の街宣に駆け付けていた学会員だ。

私が最初に野原さんに会ったのは告示日の夜、那覇市での街頭集会だった。「デニー」カラーのオレンジ、「ひやみかちうまんちゅの会」の緑の二色の旗が乱立するなか、三色旗は際立って目立ち、記者たちの質問攻めにあっていた。「公明党は安保法に賛成しました。あれから疑問を持ちました。公明党の県本部は辺野古新基地反対なのに、佐喜真候補を応援している。矛盾してます」。ここに立ち、報じられることで、同じ思いを持つ学会員の目に留まることを願い、たった一人で行動に出たというのだった。

数日後、那覇市内で野原さんら4人の学会員に話を聞く機会を得た。年齢は40代から70代。みな辺野古新基地建設に反対の立場で、良心と幹部の命令のはざまで苦悩していた。彼らに、池田大作氏の著書『新・人間革命』にこのようなくだりがあると教えてもらった。<核も、基地もない、平和で豊かな沖縄になってこそ本土復帰である>―それが、沖縄の人びとの思いであり、また、伸一の信念であった。〈核兵器や基地を沖縄に背負わせるとするならば、かつて沖縄を本土決戦の"捨て石"にしたことと同様の裏切り〉などだ。伸一は池田氏のことだという。

「デニーさんの主張こそが、池田先生の教えに合致している」と4人は口をそろえた。

各紙の出口調査からは、公明党支持者の3割前後が「造反」したという結果が出た。自民党支持層も2割前後が流れたとされる。

「辺野古が唯一」変わらず

新知事に就任した玉城氏は10月12日、東京へ赴いて安倍首相と初めて会談した。翁長前知事が約4か月、対話を拒絶されたのに対し、就任9日目に行われた「スピード」会談だった。

玉城氏は知事選であらためて民意が示されたとして新基地建設反対を明確に伝えた。そして「安全保障の負担は全国で担うべき。早急に話し合いの場を設けてほしい」と訴えた。しかし返ってきたのは「これまで進めてきた『辺野古が唯一』の立場は変わらない」という答えだった。

安倍首相は「戦後70年たった今なお、米軍基地の多くが沖縄に集中している。大きな負担を担っていただいている現状は到底、是認できるものではない。県民の気持ちに寄り添いながら、基地負担軽減に向け一つ一つ着実に結果を出す」と述べ、基地負担軽減を約束した、という。玉城氏を前に、時々傍らのテーブルにある紙に目を落とし読むという礼を失した姿もテレビカメラは映し出した。

その3日前、那覇市で営まれた翁長知事の県民葬。安倍首相は欠席し、「沖縄基地負担軽減担当」大臣である菅官房長官が首相の弔辞を代読した。「県民の気持ちに寄り添いながら」というくだりで、こらえきれなくなった人たちが怒声を飛ばした。安倍首相は、その文面をほぼ踏襲したまま玉城氏を迎えたのだった。

沖縄タイムスの翌13日付の朝刊には自民党幹部の一人が「まずは対話する姿勢をみせておけば本土に『同情論』は広がらない。きょうの面会は4年前の反省を踏まえ、大成功だ」と胸を張った、というくだりがある。文字にしながら、この記者はどれほど悔しさに打ち震えていただろうかと想像する。

そして初会談から5日。玉城知事からの対話の呼びかけも無視し、政府は10月17日、沖縄県の埋め立て承認撤回に対する法的対抗措置に踏み切った。

翁長氏は最後の会見となった7月27日、埋め立て承認撤回の方針を表明した。県は知事死去後も手続きを進め、8月31日、承認撤回に踏み切った。埋め立て承認後、建設予定地にマヨネーズ並みの軟弱地盤や活断層が存在することなどが明らかになったことなどが根拠とされた。埋め立ての法的根拠は失われ、工事はストップしている。これに対し、沖縄防衛局が、行政不服審査法に基づき、国土交通相に審査を要求、あわせて、裁決が出るまで効力を一時的に失わせるという撤回の効力停止を申し立てたのである。

そもそも行政不服法は、国民が行政に不服を申し立てる法律。2015年に翁長氏が埋め立て承認「取り消し」をした際も防衛省は同法に基づいて国交相に申し立て、「国が私人になりすましている」と専門家からも批判された。その手法をまたも繰り出してきた。

しかも、17日は、那覇市長選の真っ最中だった。安倍政権が支援する新人候補と「オール沖縄」が支援する現職の一騎打ち。結果は、1週間前の豊見城市長選に続いて「オール沖縄」候補の圧勝だったが、選挙戦中の候補者をあっさり見捨てるのだから恐ろしい政権である。

問われる「本土」「メディア」

玉城氏勝利を受けて、沖縄県内外のメディアが「問われるのは本土のほうだ」「ボールは本土に投げられた」などと書いた。全くその通りだと思う。

だが、先述の「本土に『同情論』」は広がらない」ではないが、権力の側は見透かしている。本土の側がそうは簡単に動かないことを。沖縄がいくら民意を示そうとも一顧だにしないことを。翁長氏の県民葬で、菅官房長官に怒号が浴びせられたが、それは菅や安倍首相を許している本土の私達にも投げられたものだと受け止めている。玉城知事誕生という「朗報」を称賛しているだけでは何も変わらない。

知事選中盤の9月25日、東京・小金井市議会が「普天間代替施設が必要かどうか広く国民的に議論し、必要となれば本土で民主的に建設地を決めるよう求める陳情」を賛成多数で採択した。全国の議会への陳情を提唱する書籍「沖縄発 新しい提案」に基づく取り組みで、小金井市に住む沖縄出身の若者が提案したものだ。陳情に伴う意見書の採択は否決されてしまったが、12月議会で採択になるか注目されている。具体的で、興味深い動きだと思う。また、全国各地に「引き取り」運動も立ち上がっている。

玉城氏は9月30日の勝利インタビューで基地問題に触れ、こう話していた。<私たちはもう一度、原点に戻るべきです。戦争で奪われた県民の土地を、早く元に戻すこと、みなさんの手に返すこと。閉鎖・返還こそが、私たちの求める道理です。閉鎖・返還のためどこかに基地をつくるというのであれば、どうぞ、もうこれ以上、沖縄につくらずに、日本で全体的にどこにもっていくのかを考えてくださいということです。それで米軍基地はもう必要ないと言うことであれば、米軍の財産は、アメリカに引き取って頂く。その道理を正々堂々と、沖縄から主張していきましょう>。

翁長氏が急逝して3日後に開かれた8月11日の県民大会でこんなことがあった。終了後、会場を出ると、右翼の街宣車の大音響が聞こえた。思わず、隣を歩いている人と顔を見合わせた。混雑をやり過ごそうと立ち話をしているうちに、1時間以上話し込んでいた。翁長氏と同世代で、面識もあるという人物だった。安保容認。「どちらかというと保守」だという。「翁長さんは全ての基地を撤去しろと言ってるわけじゃない。辺野古に新しい基地は作らせてはだめだと言っている。それがわがままなの?」

米軍基地に関する無知,誤解、無理解があまりにまかり通っていると思う。だからこそ、メディアの責任は大きい。沖縄タイムス、琉球新報はここ数年、基地をめぐるデマや沖縄ヘイトに関して反証する試みを続けている。知事選でも蔓延するデマに対し、ファクトチェックに果敢に取り組んでいた。

だが、やはり影響力の大きさで格段の差があるのは全国メディアだ。しかしそのほとんどは、政府がごり押しする辺野古新基地建設計画がいかにでたらめかを報じようともしない。そもそも、普通に沖縄の歴史を学び、普天間・辺野古の経過を知れば、理解できないはずはない。それを、まるで「沖縄がごねている」かのように報じる。残念ながら確信犯としかいいようがない。これほど「絵になる」知事が誕生すれば情報番組も飛びつきそうだが、私が知る限りそんな話はない。いったい何におもねているのかと思う。

玉城氏は「いばらの道だが、踏みしめ、乗り越えていく」と抱負を語った。本土の私たちは、その道を少しでも歩きやすいように汗をかかなくてはならないと思う。埋めなくてはならないのはもちろん美(ちゅ)ら海ではない。私たちと沖縄の間に横たわる意識の落差だ。

くりはら・けいこ

群馬の地方紙『上毛新聞』、元黒田ジャーナルを経て新聞うずみ火記者。単身乗り込んだ大阪で戦後補償問題の取材に明け暮れ、通天閣での「戦争展」に韓国から元「慰安婦」を招請。右翼からの攻撃も予想されたが、「僕が守ってやるからやりたいことをやれ」という黒田さんの一言が支えに。酒好き、沖縄好きも黒田さん譲り。著書として、『狙われた「集団自決」大江岩波裁判と住民の証言』(社会評論社)、共著として『震災と人間』『みんなの命 輝くために』など。

新聞うずみ火

ジャーナリストの故・黒田清氏が設立した「黒田ジャーナル」の元記者らが2005年10月、大阪を拠点に創刊した月刊のミニコミ紙。B5版32ページ。「うずみ火」とは灰に埋めた炭火のこと。黒田さんがジャーナリスト活動の柱とした反戦・反差別の遺志を引き継ぎ、消すことなく次の世代にバトンタッチしたいという思いを込めて命名。月刊一部300円。詳しくはホームページ http://uzumibi.net/ 

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