論壇

迷走する介護の社会化と自立の強制

国際高齢者デーから11・11に介護労働者決起行動

大阪市立大学創造都市研究科教員 水野 博達

「共謀罪」や森友学園/加計学園の問題、あるいは、稲田防衛相への追及などが国会で焦点となり、安倍政権の末期的状況が醸成されてきたが、一方、今後の少子高齢社会の問題で重視されねばならなかった介護問題の審議がマスコミでもほとんど注目されず、5月26日介護保険制度関連法の改定がなされた。

また、この4月1日から、全ての地方自治体で「介護予防・日常生活支援総合事業」が実施されることとなった。介護保険制度は、すでに大きな回り角を廻り、1990年代に私たちが求めた「介護の社会化」は迷走をはじめている。改めて介護問題について考えてみることにする。

1.ホットラインで高齢者、事業者、労働者の声を聴取

2017年4月から、全ての地方自治体で「介護予防・日常生活支援総合事業」(以下「総合事業」と略す)が始まり、また、国会では、5月に介護保険関連法の改定がなされた。一段と介護保険が使いにくくなろうとしている。

こうした新しい事態の中で介護を巡る混乱や戸惑い、あるいは不満・不安が、高齢者や家族、介護関連事業者、介護労働者のなかで拡がり始めている。「赤字が拡大している」「事業の将来が見通せない」と事業を廃業したり、縮小したりする介護事業所も現れている。

大阪では、昨年10月1日の国際高齢者デーの集会と、11月25日の「介護・福祉総がかり行動」の集会に代表される二つの「運動体」の継続した活動が合流しながら、今、介護保険制度や「総合事業」に対する多くの不安や疑問、意見や相談を電話で直接受けとめる「介護問題ホットライン」の開設準備が始まっている。(注1)

9月29日~10月1日(国際高齢者デー=日曜日)の3日間、各団体・個人の協働・共同の力でホットラインを開設し、住民や介護関連事業者、介護労働者などから直接電話で相談を受けたり、意見を聴取したりする事業の計画である。この事業は、3日間の電話相談と意見受付に寄せられた人々の声を集約・集計し、介護を巡る人々の意見や思いを社会的な力に換えていける報告書を作成することも計画している。

この事業推進の第1回実行委員会が、7月3日大阪市立阿倍野市民学習センターにおいて開催され、今後ホットライン事業を担うボランティアの募集や研修会を開催しながら準備を進めることになった。

ところで、このホットライン事業の提起は、2016年10月1日「10・1『国際高齢者デー』新しい共同・協働へ、キックオフ!」集会を開催した「大阪宅老所・グループハウス連絡会」「高齢社会をよくする女性の会・大阪」等が中心になって、大阪府内43自治体及び大阪府に、「総合事業」の実施などに関わる要請書を送付した。2017年4月までに31自治体より回答があり、市町議員の協力を得ながら各自治体へのヒヤリング調査(話し合い)を行ってきた。これらを整理しながら「介護問題ホットライン」は、10月1日を挟んで3日間実施することになる。

2.なぜ、介護保険制度変質の認識がズレルのか

このホットライン事業に参加している団体、事業者や個人の多くは、介護保険が始まる前から介護問題に関わっていた人たちである。そのこともあって、この間の介護保険に関わる共通の思いを持っている。

それは、端的に言えば、2014年の改定を転機に介護保険制度は、大きく変質し、人々が求めた安心して老後を過ごすための大きな柱である「介護の社会化」が崩壊していくという危機感である。家庭に、家族に、つまり、嫁・娘=女に押しつけて来た介護の責任を社会化して、社会的な連帯の下に誰もが安心して老後を迎えることができる社会への夢は、介護保険施行17年を待たずして見果てぬ夢になることへの危惧である。

安倍政権は、「介護離職ゼロ」をいう。しかし、介護のために家族・親族が離職せざるを得ない状態が広がっており、また、介護関連職種の労働者が、賃金・労働条件の低さと仕事の将来の見通しが立たない結果、離職・転職は止まらず続いている。政権が語る「介護離職ゼロ」のスローガンとは真逆な事態が広がっており、確たる改善の保証もない。

確かに、この事業に参加する人々が抱く危機感と一般の人々が持つ現状理解とはズレがあるようだ。また、大きな規模の介護事業者・社会福祉法人の経営者の心配事とも差異がありそうである。

このズレが起こる理由から検討することにする。

今回の介護保険制度の最も大きな変更は、「介護予防・日常生活支援総合事業」の実施である。2017年4月から全ての地方自治体で実施された、この「総合事業」についての理解と受け止め方の違いがズレを生む大きいな要因と考えられる。

「総合事業」とは、介護保険の要支援1,2など要介護度の低い被保険者を全国一律の介護保険の「介護予防」給付から、各自治体の責任で実施する「総合事業」に移行させる制度の変更である。そのサービス内容、報酬などは各自治体が決定し、自治体の責任で実施することになっている。

この移行自体が、人々に十分知られている訳ではないし、また、その意味や実際が理解されにくい形で実施されてもいる。

「総合事業」は、① 現行相当サービス(介護指定事業所によるホームヘルプ、デイサービス)/② 緩和基準サービスA(担い手が無資格者でも可能な生活支援サービスで、従来の予防給付報酬単価の60%~90%で実施))/③ 住民主体のサービスB(ボランティアによるゴミ出しや買い物援助などの多様なサービス)/ ④ 予防サービスC(専門職による短期集中サービス)の4種類があり、それぞれのサービス内容は各自治体の責任で検討し実施するので、②はあるが③はない等それぞれの自治体によって多様で、格差が生まれる。

しかもわかり難いのは、既に介護保険の「介護予防」サービスを受給している人は、(既得権として)引き続き介護保険サービス(サービスの担い手は有資格者)を受けることができるからである。但し、いつまで現行サービスを受けられるかはハッキリしない。また、介護保険の「介護予防」サービスを受ける希望があれば、要介護認定を受けて、認定されれば介護保険サービスを受給が可能である。(介護用具などのレンタルなどには要介護認定審査が必要)

なぜ国は、要支援1,2などを自治体の責任で実施する「総合事業」移行させたのか。全国一律の介護サービスより、多様で柔軟な生活援助を地域の力で作り上げていくことが求められているから、などと説明する向きもあるが、本音は、かさむ介護保険費用を抑制し、要支援1,2等介護度の低い者を介護保険制度から切り離して、そのケアを地方自治体の責任に丸投げしたいからである。

地方自治体の多くもコストダウンのために介護保険給付ではなく、総合事業の方へ利用者を誘導する方策を取っているところが多い。「保険給付を受けるには要介護認定審査を受けることが必要で、審査には1ヶ月かかる」「すぐサービスを受けたいのであれば、『(基本)チェックリスト』(注2)を受けたらどうですか」「費用も介護保険より安価ですよ」などと総合事業の方へ誘導することになる。例えば、大東市では、市独自の相談シートを作成し、要介護認定審査を受けるか、(基本)チェックリストによって総合事業に繫いでいくかを事実上振り分ける窓口規制を敷いている。そこには、被保険者の受給申請権利の侵害になるという自覚はない。

一般の住民にとって「総合事業」は、介護保険制度との関連がわからなくても、要介護認定の申請など面倒な手続き抜きに、しかも介護保険のサービスより安価で、サービス内容も介護保険のような細かい規則に縛られることがないようなので、便利で使い易いサービスの様に受け止められる。

次に、「総合事業」に対する社会福祉法人も含めた大規模事業所の経営者の関心の薄さを生む理由を考えて見ると、以下であろう。

介護保険の要介護認定を受ける人で、要支援1,2の認定は、25~28%位であり、介護給付は全体の給付額の5~6%程度である。この内の何%が「総合事業」に移行するか、現状では明確に予測できないが、それほど多くはないであろう。「総合事業が適切」と判定されても。そのサービスの担い手の不足もあって、総合事業の利用を諦める人も多いと思われるからでもある。

つまり、大規模介護事業者にとって、要介護度の低いサービスの動向は、当面の事業展開にとって大きな影響を与えないと考えるからであろう。在宅のデイサービスやホームヘルプサービスの予防介護は、事業全体からしてその比重が大きくないことによると思われる。もちろん、要介護1,2の要介護認定を受ける人は、35~37%で給付額は30%前後であり、要介護3,4,5は33~35%で給付額は64~65%である。今後、要介護3以上を介護保険の受給対象とする動きが出て来た時には、大規模介護事業の中で大きな動揺が生まれることは必至であろう。

3.国や自治体の説明とは真逆の実態を生む「総合事業」

さて、総合事業は、一見、要介護認定の申請など面倒な手続き抜きで、しかも介護保険のサービスより安価でサービス内容も柔軟性が広がるので、便利で使い易いサービスの様に見える。

国は、総合事業に対して「多様な担い手による多様なサービスが、多様な単価、住民主体による低廉な単価の設定、単価が低い場合には利用料も低減できる。」「支援する側とされる側という画一的な関係性ではなく、サービスを利用しながら地域とのつながりを維持できる。能力に応じた柔軟な支援により、介護サービスからの自立意欲が向上」できるとその位置付け、意義付けを行ってきた。

つまり、国、地方行政によってなされる説明だけを聞けば、普通の住民には、いいこと尽くめのように思えるのである。

しかし、現実はどうであろうか。

「介護保険制度の持続性の確保」という大義のもとになされる要支援1,2などの要介護度の低い被保険者を介護保険の「介護予防」給付から、各自治体で実施する「総合事業」に移行させるのは、介護保険のコスト切り落としを行うためである。多くの自治体が実施する緩和基準サービスAは、これまでの予防給付の報酬単価の60%~90%に単価が設定されている。生活支援サービスの担い手は、各自治体などで実施する2日程度の研修を受けた無資格者を当てるように設計されている。資格を問わねば生活支援サービスの担い手は生み出さると思っているのであろうか、と首をかしげざるを得ない安易さである。

実際には、多くの自治体では、この研修への参加者は少なく、また、研修を受けてもサービスの担い手として働く人は例外的である。となれば。緩和基準サービスAを実施せざるを得ない指定事業所は、従来の有資格者を安い単価のサービスに配置することになる。多くの事業所では、採算が合わず、人材も足りないのでサービス提供を断ることにもなる。つまり、今回の制度改変では、在宅サービス部門の採算を悪化させ、働く労働者の賃金・労働条件の切り下げへと向かわせることになる。

その結果、要支援1,2の被保険者が、介護保険給付からも外され、総合事業のサービスも受けられない事態が生まれてくるのである。利用者にとっても、地域密着型の在宅サービス中心の小規模事業所にとっても、介護労働者にとっても、国の説明とは真逆の事態が生み出されることになる。

4.危惧される介護保険制度の変質の方向

失敗が予測される総合事業実施の現実を直視するとともに、この新しい総合事業実施の意味を今後の介護保険制度の改変の方向と結びつけて考えて見ることが必要である。

以下、幾つかの問題点を取り上げて説明することにする。

第1は、すでに多方面から指摘されているように、要支援1,2の介護保険制度からの切り離しは、要介護1,2を介護保険から切り離すいわば『予行演習』なのである。地方自治体や介護業界等からの反対で今回は断念したが、財務省は、厚生労働省に要介護3以下を介護保険からの切り離しを早期に実施する圧力を緩めてはいない。すなわち、総合事業実施は、介護保険制度の解体的再編の一里塚なのである。

第2には、第1ともつながることであるが、介護保険に関わる住民の負担増である。

法改定の度に語られる「介護保険制度の持続性の確保」という財政上の圧力は、この8月から介護サービスを利用する際の「支払い上限額」が、医療保険の限度額にあわせて一般的な所得の世帯で月7200円増え、4万4400円となる。

また、介護保険サービス利用料も次回改定で年金収入等340万円以上の場合、三割負担となる。医療保険の水準に揃える処置である。

一旦、三割負担という水準が設定されると、収入基準は次々と下げられ、おそらく二割、一割負担の人は例外になって行くことが予測される。医療保険に揃えるという考え方は、医療と介護の性格の相違が考慮されることのない応能負担増の流れである。医療は、慢性疾患を除けば、疾病・ケガなどが治れば、医療費はかからない。介護は、骨折などで一時的な介護サービスを受ける場合を除いて、多くは一旦要介護状態になれば、継続して介護サービスを受け続けることになる。長期に続く介護サービスの三割負担は、家計に与える永続的な影響が大きく、医療保険と異なるのである。こうした点を無視した負担増である。

言うまでもなく、介護保険料は、後期高齢者の増大によって今後も上がり続けることになる。

第3は、生活支援と身体介護及びリハビリテーションを分離する考え方を強化する方向性である。

今回の総合事業の「緩和基準サービスA」の担い手は、「無資格者でよい」としているが、単にコスト面での問題だけではなく、要介護度の低い者への支援は、生活支援でよく、それは、有資格者でなくても誰でもできることだという考え方に基づいている。さらに、「短期集中サービス」での訓練・リハビリサービスによって自立できるようにし、介護関連サービスから「卒業」させるべきだという考え方である。

国の「財政制度等審議会財政制度分科会」における今後の介護保険制度の在り方を検討する資料等でも「機能訓練などの自立支援・重度化防止に向けた質の高いサービス提供がほとんど行われていないような場合には、事業所の規模にかかわらず、基本報酬の減算措置等を含めた介護報酬の適正化を図るべき」等と述べている。また、サービスの提供によって介護度の低下など機能向上がある場合、あるいは、要介護認定率の低減などサービスから「卒業」させた事業所などに成功報酬を支払うという考え方の導入計画である。介護報酬や交付金などの加算・減算、交付・非交付を通じて介護サービスの給付と介護報酬の総額規制を計ろうという国の方向性が明確になって来ているのである。

すでに、この国の考え方を先取りして介護サービスからの「卒業」を組織している地方自治体も現れている。こうした考え方が全国化されれば、結果として、「自立」や「卒業」の可能性のない利用者は、忌避されたり、無視されたりする環境が全国津々浦々で醸成されることになる。

第4に、介護保険の<自立支援>の意味の変質であり、自己責任論と結びついた「自立」の強制を組み込む方向性が垣間見えて来たことである。

介護保険制度が、高齢者の自立支援を謳って来たのは、介護保険給付から「卒業」させるためではない。自立支援とは、そもそも高齢者の尊厳を支えることであり、高齢になっても、あるいは病気になっても、その人の生き方をその人自身が決定できるように支えることであり、わかり易く言えば、「その人らしい生活を支える」ことを社会的連帯で実現していくことであったはずだ。

ところが、「機能訓練などの自立支援・重度化防止に向けた質の高いサービス提供が」行われていないデイサービスに通所することが高齢者にとって、楽しみや喜びであり、生きがいになっているだけでは「不合格」となるのだ。機能訓練などを積極的に行い、もっと身体機能を高め、もっと元気に、もっと健康になるように高齢者が努力するよう仕向けることを求めているのである。高齢になればなるほど、人は生理的・運動機能的状態・条件は、精神的心理的状態・条件と強い結びつきを持ってくる。このことを理解しない言説が横行し始めたことに驚きを禁じ得ない。

こうした点を無視した機能訓練・自立の強調は、「高齢者は甘えるな!自立して生きていける努力をせよ!リハビリをせよ!」「要介護状態にならないために体操や運動をしっかり行え!」という主張である。要介護状態になったり、重度化したりするのは、予防活動をしなかったからだ、という「自己責任」論にシフトした「自立論」であり、自立の強制を公的な介護保険関連サービスに組み込むことになる。

第5に、「科学的介護」という名による介護の医療モデル化である。

国の未来構想では、介護ロボットの開発によって介護人材不足の解決に資することが提起されている。介護ロボット導入への補助金や給付が考えられているが、介護現場にロボットを導入することが介護の人手不足を解決する道を開くことに本当になるであろうか。ロボットの利用は、コスト面と機能面の両方から考えて多くの限界があり、果たす役割はあくまで部分的であり、補助的なものとなろう。介護人材の枯渇の原因を科学的に分析すれば、人材確保の予算措置をキチンととることが必要であるとは明らかである。それを放置しておいて、「介護ロボットの開発」は、その名目とは別に主に軍事用ロボットの開発に資するだけではないかという疑念を持たざるを得ない。

介護ロボットに関する論議以上に警戒すべきは、全国の高齢者の状態像と介護サービスの実践データを集約し、そのビックデータを人工頭脳(AI)によって分析し、「科学的に自立支援等の効果が裏付けられたサービスを国民に提示」することが計画されていることである。

確かに、ケアプランが適切でなかったり、多くのサービス付き高齢者住宅やグループホームなどが事業所の利益や都合を優先したサービスを提供したりしている現実も目につく。しかし、AIを使って、高齢者の様々な症例やタイプに対応した自立などに効果のある「最適なサービス基準」を作成することで、適切なサービス提供に繋げることができるであろうか。要介護認定システムが、現実の高齢者の状態像とかけ離れる場合も多く、認知症の人と家族の会からその廃止を提案されていたことの評価すらしないままに、また、集積したデータから「科学的に正しい」サービス標準を作成する試みには疑問を持たざるを得ない。慎重な論議が求められるのである。

AIの利用の論議の前提として考えねばならないのは、国の言う「科学的介護」とは、これまで介護現場では、一人ひとりの異なった生き方(死に方)をしている高齢当事者との対話を通じて「その人らしい生活を支える介護」(尊厳ある介護)を作り上げる営為を否定することになることへの警戒である。医療分野でいわれる「エビデンス」とは異なって、介護では当事者の主体性を軸にその人らしい生活を支える介護を実現する努力をして来た。すなわち、「医療モデル」の患者観ではない「生活モデル」のケアである。

この財産・伝統を破壊する「科学的介護」になることへの警戒が必要であることを強調しておきたい。

第6に、<地方自治の試金石>と言われた制度の運用が、一転して、住民の当事者性を無視した行政権限の拡大という形で展開されようとしていることへの批判である。

介護保険は、地方自治の試金石であると言われて来た。しかし、保険制度施行後、地方自治体は、高齢者福祉の担い手から撤退し、(全く頼りがいのない)介護市場の「監視役・評価役」となって来た。中央集権的な介護保険の管理・運用のもとで、地方自治、住民自治の権能を発揮してこなかった。その結果、高齢者介護・福祉に関わる実践的な施策能力を喪失させてきた。

現に、新「総合事業」をどのように実施したらよいかわからず、多くの自治体は、右往左往してきた。つまり、地方行政の幹部・職員において、介護の現場の苦労も、そこで蓄積されて来た智慧や困難な課題にも触れてこなかった。介護の現場について理解がない行政マンが、国から総合事業実施を丸投げされて起こっている事態を地方自治・住民自治の立場で監視する必要がある。現場の理解、高齢者の実態を理解していなければ国が提起する方針・方向が理に適っているのだと思い違いをすることになる。

第4.第5の所で検討して来たが、行政効率論・コストカットの圧力に基づいて方向付けられた「自立」の強制や自己責任論での総合事業を設計し、管理・運営しようとするようになりかねない。ケアプランやサービス実施状況にチェックを掛け、介入する仕組みを地方行政が作り上げることが、本当に「その人らしい生活の支援」に結びつくのか、はたまた、「自立」の強制を促進することになるのか、改めて住民自治の復権を意識していくことが求められる。

5.「介護の日」11月11日に介護労働者は決起を

国は、総合事業の実施の先に「住民に身近な圏域」で「我が事・丸ごと」の地域共生社会をつくり上げることを提起している。他人の困難を我が事とし、丸ごと受け入れ解決していく共同の地域づくりである。

この提起には、介護保険が、地域住民のつながりを壊してきたことへの国・厚労省の反省と自覚がない。介護保険は、市場原理を導入した制度設計(規制緩和、官から民へ)となった。当然、介護が「ビジネス」になった。市場原理の導入によってサービスの競争が起こり、より良いサービスが住民に選択されるとしてきた。しかし、見て来たように、利益優先によって、不適切なケアプラン、不適切なサービス提供がいたるところで産み出された。また、高齢者とその家族は、介護サービスの「消費者」となり、「お客様」に仕立て上げられた。面倒な近所付き合いをしなくても、ちょっとお金を出せば、サービスが受けられる。昼間、地域の高齢者はいない。デイサービスへ車で送迎され、隔離されて来た。

多くの福祉の学者は、地域を社会資源の「貯水池」と見なしてきた。介護保険で足りないサービスを地域のインフォーマルな社会資源を掘り起こし、フォーマルサービス(=介護保険)と結びつけよと言って来た。地域、家庭は、国の制度化されたサービスの補完のために「駆り出される」対象であり、権利の主体とは見なされてこなかったのである。

国が提示している地域を創出しようとするなら、人々の人権を尊重する政治・社会・文化が求められる。(現実は、ヘイト・クライム、女性差別、7・26相模原事件・・・差別と排除、格差化と孤立化)そして、何よりも、中央集権型の行政から、地域の圏域に自治権を創設する地方自治・住民自治の行・財政の大改革が必要であろう。現実の地域は、地域住民のつながりが壊れ、貧困と格差も拡大している。それを越えていくには、地域住民が、地域の施策にたいする決定に参加し、その実施と結果に住民が責任を持てる自治・自主権が必須となろう。

それのないところでの「我が事・丸ごと」は、絵空事になるか、あるいは、戦前の「大政翼賛会」型の政治体制になるしかないであろう。改めて介護の社会化を堅持し、発展させていくためには、地方自治体へ住民の意見・要求をぶつけ、地方自治体を足掛かりに運動を作り上げていくことが急務であろう。

また、介護の社会化の迷走は、介護労働者の権利、賃金・労働条件の後退・抑圧に結び付く。国は、11月11日(いい月、いい日)を「介護の日」としている。自ら国連で提起して制定された10月1日の「国際高齢者デー」を現在無視している。権利性の強い「国際高齢者デー」からの逃亡である。

私たちは、この10月1日を挟んで「介護問題ホットライン」を大阪で開設する。

また、11月11日には、介護労働者の決起行動を準備する。高齢者とともに、介護労働者にとっては、11月11日の「介護の日」は、「いい月、いい日」ではない。このことをはっきりと表明したいのである。

(注1)経過は、本誌「現代の理論」デジタル版 第10号(2016年秋号)『「高齢者の人権宣言」運動の提案』参照

(注2)本来「(基本)チェックリスト」は、「介護予防」のために高齢者の健康状態や生活機能をチェックするために開発されたチェックリストである。介護保険サービスの対象とはならないが、「介護予防教室」や「運動器の機能向上教室」など市町村が実施する介護予防事業に参加し、心身の健康を保ち、介護が必要にならないように活動することが好ましいかどうかを確認・判定のためのチェックリストである。このリストを使って、要支援の高齢者を介護保険サービスから「地域支援事業」へ振り分けるチェックリストに使うのは、ご都合主義であり、被介護保険者の介護サービスを受ける権利の侵害である。

みずの・ひろみち

名古屋市出身。関西学院大学文学部退学、労組書記、団体職員、フリーランスのルポライター、部落解放同盟矢田支部書記などを経験しその後、社会福祉法人の 設立にかかわり、特別養護老人ホームの施設長など福祉事業に従事。また、大阪市立大学大学院創造都市研究科を1期生として修了。現在、同研究科の特任准教授。大阪の小規模福祉施設や中国南京市の高齢者福祉事業との連携・交流事業を推進。また、2012年に「橋下現象」研究会を仲間と立ち上げた。著書に『介護保険と階層化・格差化する高齢者─人は生きてきたようにしか死ねないのか』(明石書店)。

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