特集●驕れる者久しからず

動き始めた脱化石燃料文明への転換

米のパリ協定離脱と世界から取り残される日本

地球環境戦略研究機関シニアフェロー 松下 和夫

1.脱化石燃料文明を指向するパリ協定

気候変動に関するパリ協定は、2015年12月の採択から1年にも満たない2016年11月4日に発効した。その後米国のトランプ大統領が2017年6月1日にパリ協定離脱演説を行い、世界に衝撃を与えたが、この演説は逆に、世界各国、自治体、産業界、市民社会などがパリ協定に対する取り組みへの意思を再確認し、加速する効果を生んだ。米国のパリ協定脱退表明にかかわらず、世界の化石燃料依存文明からの脱却の流れは止まらない。

パリ協定は、全ての国に対し、温室効果ガス削減に向けて自国が決定する目標を提出し、目標達成に向けた取組を実施することを規定している。パリ協定では、地球の平均気温の上昇を産業革命前と比べ、2℃より十分下方に抑えるとともに、1.5℃に抑える努力を追求することなどを目的としており、この目的を達成するため、今世紀後半に温室効果ガスの人為的な排出量と吸収源による除去量との均衡(世界全体でのカーボンニュートラル)を達成すること(「脱炭素社会」)を目指している。

ところが世界各国がこれまでに提出した約束草案(自主目標)がすべて実施されたとしても2℃未満の目標には程遠い。そこで協定では、継続的・段階的に国別目標を引き上げる仕組みとして、5年ごとの目標見直しを規定している。各国は2020年以降、5年ごとに目標を見直し提出する。その際、原則として、それまでよりも高い目標を掲げることとされている。

各国はさらに、長期目標達成を念頭に置いた、温室効果ガス排出の少ない発展戦略を策定し、2020 年までに提出することが求められている。これらのことから、パリ協定が意味するのは化石燃料依存文明の終わりの始まりである。

2.トランプ大統領のパリ協定離脱演説への国内外の批判

トランプ大統領は、2017年6月のパリ協定離脱演説で、パリ協定は米国の産業と雇用を痛めつける不公平なものだとした。一方、再交渉や再加入に含みを持たせたが、各国首脳や国連事務局は、直ちにパリ協定の再交渉を拒否した。さらにパリ協定が米国に多大な経済的犠牲を強いるとも語ったが、米国の石炭産業の衰退と雇用の減少の理由は、採掘技術の高度化と、天然ガスや再生可能エネルギーに対するコスト面の優位性を失ったことにある。

トランプ大統領は、先進国による途上国の温暖化対策への援助、特に「緑の気候基金」への拠出も問題とした。先進国は一部の途上国とともに、緑の気候基金に資金拠出を行うことを約束し、既に43カ国、103億ドルの資金拠出が約束されている。米国の約束拠出額30億ドル中10億ドルはオバマ政権の時に拠出されたが、今後の拠出は停止される。ちなみに、日本は米国に次ぐ15億ドルの資金拠出を約束している。

米国の拠出打ち切りによって、他の先進国や中国など途上国自身による拠出増、一層の民間資金の活用などが必要となる。ただし気候変動の緩和や適応への投資は、新たな産業や雇用創出につながる未来への投資だ。

すでに米国の多くの州・都市、産業界のリーダー、市民社会はパリ協定の実現に向けた取り組みの強化を表明している。ブルームバーグ・前ニューヨーク市長が呼びかけた「We Are Still In(私たちはまだパリ協定にいる)」との声明には、ニューヨークやカリフォルニアなど9州や全米125都市に加え、902の企業・投資家、183の大学が署名した(2017年6月5日現在)。企業では、アップル、グーグル、ナイキなどが名を連ねた。

カリフォルニア州では、既定の2030年に電力の50%を再生可能エネルギーで供給する目標に加え、2045年までに再生可能エネルギー100%を目標とする法案が州議会で可決された。

世界でもEU加盟国、カナダ、中国、インドその他の途上国はこぞってトランプ大統領の決定を非難し、米国抜きでパリ協定の実施を進める決意を固めている。2017年7月7、8日にドイツのハンブルクで開催されたG20サミットの首脳宣言では米国との溝は埋まらず、「米国以外の参加国は、パリ協定の完全実施に向け強い決意を再確認する。化石燃料のクリーンな利用を支援するため米国は他の国と緊密に協力する」と記載された。

既に世界最大の再生可能エネルギー大国となった中国では、排出量取引制度を全国に広げるなど国を挙げて低炭素社会を目指すとともに、「一帯一路」低炭素・エネルギー協力を推進しようとしている。

また、韓国の文・新大統領は脱原発を表明し、石炭火力の抑制にも取り組もうとしている。すでに韓国では2016年12月に策定した「第1次気候変化対応基本計画」によって10ヶ所の老朽火力発電所の稼動中止が決まっていたが、文大統領はこれに加え、大統領業務指示により新規火力発電所8ヶ所(総発電量7GW)の建設計画の中止を指示した。また、原発については、設計寿命を迎えた原発は原則としては廃炉とし、新規建設はしない方針を明らかにしている。

3.パリ協定は世界経済をすでに変えつつある

パリ協定の下、脱炭素社会への抜本的転換はすでに始まっている。世界の主要国は、省エネルギーの徹底や再生可能エネルギーの大幅な拡大を進め、気候変動対策を活かした経済発展を実現しようとしている。世界の有力企業は、気候変動をビジネスにとってのリスクであると同時にビジネスチャンスとも捉え、先導的取組を進めている。

再生可能エネルギーの爆発的普及も続き、2005年末から2015年末までの10年間で、世界の風力発電導入量は約7倍(59GWから432GW)(1G(ギガ)は10億)、太陽光発電導入量は約46倍(5.1GWから234GW)に拡大した。2014年、15年は世界の石炭消費が前年比で減少し、石炭時代の終焉の始まりを象徴した。

国連環境計画(UNEP)によると、2015年の大規模水力以外の再生可能エネルギーに対する世界全体の投資額は2,860億ドルで、2004年時点比で6倍以上に拡大している。同時期の化石燃料発電への投資額は1,300億ドルと再生可能エネルギー全体の半分以下にとどまる。

再生可能エネルギーの発電コストも年々低下し、大規模太陽光の世界全体での平均発電コストは2010年から2015年にかけて約58%低下し、0.13ドル/kWhとなった。陸上風力の世界全体での平均発電コストは1995年以降低下傾向にある。国際再生可能エネルギー機関(IRENA)の予測では、今後更なるコスト低減が見込まれ、2025年の大規模太陽光の平均発電コストは0.053ドル/kWh、陸上風力の平均発電コストは0.06ドル/kWhまで下がりうると予測されている。

新たな脱炭素ビジネスモデルも世界で拡大している。自社エネルギー資源を100%再生可能エネルギーに転換することを宣言した企業(RE100) は、イケア、ブルームバーグ、日本のリコーなど96社に上る。科学的根拠に基づくCO2削減目標を推進するScience Based Targets Initiative への加盟企業も急増し、286社に達した(いずれも2017年7月4日現在)。

一方、グリーン投資とダイベストメントと呼ばれる動きも拡大している。

グリーン投資とは、自然資源保全、再生可能エネルギーの生産や開発、水大気環境の向上や環境配慮ビジネスの実践に係る投資のことである。投資の形態には、公債や社債、環境関連産業の株式やファンド、投資信託等が含まれる。

なかでもグリーンボンドが現在急速に成長している。これは、民間企業、国際機関、国、地方公共団体等の発行体が、温暖化対策や汚染の予防・管理、生物多様性の保全、持続可能な水資源の管理等の環境プロジェクトに要する資金を調達するために使途を限定して発行する債券である。世界でのグリーンボンド発行額はここ数年で急増し、2016年の年間発行額は810億ドルと、2015年の2倍に迫る水準となった。

さらに、ダイベストメントとは、金融機関や機関投資家等が気候変動リスクなどの観点から、特定の資産に対する投融資を引き揚げるものである。例えば、2015年6月に、ノルウェー公的年金基金が保有する石炭関連株式を全て売却する方針がノルウェー議会で正式に承認された。同年10月に成立した米国カリフォルニア州の法律では、二つの年金基金(カリフォルニア州職員退職年金基金、同州教職員退職年金基金)に対し、発電用の石炭に関連する企業に新規に投資することなどを禁じた。2017年1月には、ドイツ銀行が、新規の石炭火力発電所の建設及び既存の石炭火力発電所の拡張に対する投融資を行わないなどの方針を公表した。

4.世界の潮流に乗り遅れる日本

トランプ演説への批判は日本でも起こった。しかし日本は米国を批判するに値する脱炭素政策を持っているとはいえない。米国では、多くの州政府・都市、先進的企業群、市民社会がパリ協定実現に向けた取り組みを強化することを力強く表明した。

日本にはそれに匹敵する政府の政策、企業の積極的取り組み、地方自治体のイニシアティブ、市民社会の盛り上がりがあるとは到底いえない。

国際社会は日本の温暖化対策に対して厳しい評価を下している。COP22(2016年11月) の会期中にドイツの環境NGOのジャーマン・ウォッチが各国の気候変動政策を、排出量、排出量の変化、効率、再生可能エネルギーの導入状況、政策の5分野の15指標で評価したランキングを発表したが、これによると、日本は対象58カ国中下から2 番目という不名誉な位置を占めた(最下位は産油国のサウジアラビア)。日本のパリ協定に向けた約束草案では、2030年までに、2013年比温室効果ガス排出26%削減との目標を掲げているが、この目標値が野心的ではないこと、国内外で石炭火力を推進していることなども国際的評価を下げている。

我が国は、2016年11月8日にパリ協定を締結した。2030年度26%(2013年度比)排出削減目標の達成に向け、地球温暖化対策計画に基づき対策を進めるとともに、長期的目標として2050 年までに80%の温室効果ガスの排出削減を目指している。

このような大幅な排出削減は、従来の取組の延長では実現が困難である。したがって、抜本的排出削減を可能とする、脱炭素で持続可能な経済社会の構築に向け、立ち遅れているパリ協定への取り組みを本格化することが必要だ。

政府の2030年のエネルギーミックスには問題が多い。省エネ、再エネの見込みが小さすぎ、原子力発電20∼22%は非現実的である。石炭火力を現状より増やし26%とすることはCO2排出量を考慮すると過大だ。現在日本では次々と石炭火力の新設計画が出されているが、石炭発電の使用電力量当たりのCO2排出は、天然ガス火力発電所の2倍以上である。さらに今後世界的に排出規制が強化された場合、石炭等の確認埋蔵量のかなりの部分や化石燃料使用を前提としている火力発電所なども、回収できる見通しのない「座礁資産」となる可能性がある。

現在日本国政府は、「長期脱炭素発展戦略」を策定中である 。長期戦略は、将来の社会経済のあり方を展望した国家の発展戦略となるものだ。気候変動対策をきっかけとした技術、経済社会システム、ライフスタイルのイノベーション創出が、長期大幅削減と日本社会が直面する少子高齢化、人口減少、地方の衰退などの経済・社会的諸課題を同時解決する鍵となる。

世界的な脱炭素経済への流れは必然で、脱炭素に向けた巨大なグリーン新市場の拡大が予想される。例えば、IEA の試算によれば、2℃シナリオにおいて電力部門を脱炭素化するには、2016 年から 2050 年までに約9兆 ドルの追加投資が必要とされ、建物、産業、運輸の3部門の省エネを達成するには、2016 年から 2050 年に約3兆ドルの追加投資が必要とされている 。巨大な「約束された市場」への挑戦は、日本経済の発展を左右する。また、気候変動対策の実施により、エネルギー支出削減や国際競争力の強化、雇用創出に加え、気候変動リスクの回避、資産価値の向上、エネルギーセキュリティ強化など多様なメリットがもたらされる。

日本の経済界の一部には新たな動きが出てきている。「日本気候リーダーズ・パートナーシップ」(Japan-CLP)では、脱炭素社会の実現を目指し、経営層への働きかけを行い、大幅なCO2排出削減に向けた経営手法(科学的目標設定、企業内部での炭素価格付け等)や協働ビジネスの検討などの活動を行っている。ただしこのような動きはまだまだ経済界の主流とはなりえていない。

脱炭素経済への移行の核となる政策手段が「カーボンプライシング」(炭素排出への価格付け)である。カーボンプライシングは、全ての経済主体に排出削減のインセンティブを与え、市場の活力を最大限活用し、低炭素の技術、製品、サービス等の市場競争力を強化する効果が期待できる。炭素に価格がつくことで、CO2排出者は排出を減らすか、排出の対価を支払うかを選択し、社会全体でより公平かつ効率的にCO2を削減できる。また、カーボン・プライシングによって新たな投資と需要が喚起され、脱炭素型イノベーションが促進される。

カーボン・プライシングの具体的手法には、炭素税と排出量取引がある。わが国の現行温暖化対策税(炭素税)は税率が世界的にも非常に低く、温室効果ガス抑制にはあまり効果を上げていない。本格的炭素税の導入が必要である。すでにスウェーデンやドイツなどではわが国の温暖化対策税よりもはるかに高税率の炭素税・環境税をグリーン税制改革の一環として実施した結果、排出削減と経済的便益を同時に達成している。炭素税の税収は、所得税減税ないし社会保険料軽減にあて税収中立とする、あるいは社会保障政策の財源とするなど、他の政策目標との統合を図ることも可能だ。

現在の日本経済は、低金利で資金は潤沢にあり、むしろ需要と投資先の不足が課題である。気候変動対策の推進とそれに伴うイノベーションの展開に資金と技術を投入することが、日本経済の基盤と国際的競争力の強化に繋がるのである。

まつした・かずお

1948年生まれ。(公財)地球環境戦略研究機関シニアフェロー、京都大学名誉教授。環境経済・政策学会理事、日本GNH学会常務理事。専門は環境政策論、環境ガバナンス論。環境省で政策立案に関与し、国連地球サミット事務局やOECD環境局にも勤務。環境問題と政策を国際的な視点から分析評価。著書に『環境政策学のすすめ』(丸善)、『環境ガバナンス』(岩波書店)、『環境政治入門』(平凡社)。『地球環境学への旅』(文化科学高等研究院)など。
(個人ホームページ) http://48peacepine.wixsite.com/matsushitakazuo

特集・驕れる者久しからず

第13号 記事一覧

ページの
トップへ