コラム/歴史断章

横浜寿町―寄せ場から高齢者ケアタウンへ

現代の労働研究会代表 小畑 精武

横浜寿町を訪ねる

東京の山谷、大阪の釜ヶ崎と並ぶ三大寄せ場の一つ、横浜寿町を労働ペンクラブのグループで訪問した。横浜駅で根岸線に乗り換え3つ目、石川町で下車、前の出口(南口)から出ると元町商店街に、後ろ(北口)から出て港の方に向かうと中華街、左に行くと寿町、駅から目と鼻の先にある。横浜の繁華街伊勢佐木町、市役所や横浜市民球場も近い。寿町に向かう道の上には都市高速が走っている。下は中村川、横浜港を支えてきた大量の港湾労働者の移動に利用されてきた。

横浜の港としての歴史は1859年(安政6年)に横浜港が外国船に対して開港したことに始まる。その頃の寿町は沼地で埋め立てが進められ埋地七か町が1873年(明治6年)に完成している。1882年(明治15年)の陸軍測量地図にはすでに今日の街区が描かれ、寿地区は建物と空き地が半々になっている。港に近いこの地区は港湾荷役はじめ外国貿易に関わる様々な事業で繁栄し、多くの労働者が日本各地から、否中国(当時は清)はじめ世界から集まってきた。中華街に行く途中にギリシアやスウェーデンの船員相手の小さなバーがあったのを記憶している。横浜中華街は、世界各地にある中華街と同様に、貿易船、港湾労働に低賃金で従事する中国人労働者の街として形成されてきた。

横浜は1923年の関東大震災の震源地に近く、甚大な被害を被った。港町横浜は軍港ではなかったが、1945年5月29日に米軍B29爆撃機517機、P51戦闘機による大空襲が中心部に行われ、焼け野原になった。東京大空襲と同様焼夷弾爆撃で、約8千から1万名の死者が出た。米軍は焼夷弾爆撃の実験として空襲を位置づけていた。

米軍占領地から日雇い労働者の街へ

水上ホテル(寿町近くの中村川・2007年7月―はげまるのぶらーり日記より)

戦後、寿地区は連合軍によって強制収容された。食糧難の日本に小麦はじめ食料が大量に輸入され、米軍用の軍事物資の集積地として横浜港は活況を呈した。物資だけではない。港湾荷役に従事する労働者が急増する。1954年に埋地七か町の接収が解除されるとともに、最初の簡易宿泊所が誕生した。宿泊所が不足し、はしけなどの船をねぐらとする「水上ホテル」も誕生した。

職業安定所が桜木町から寿町に移転し、さらに周辺に簡易宿泊所が急増していった。以後、日本経済の高度成長とともに寿町は最盛期には8,000~1万人が居住する日雇い労働者の“寄せ場”として形成されていく。

1965年には横浜市による寿生活館が設置され、以後行政の地域福祉への取組み拠点になっていく。生活館が設置されることは背景に地域環境の悪化があった。簡易宿泊所の火災があった。近年でも川崎市で木造宿泊所が火事で全焼している。衛生面でも問題が多かった。2007年頃まで続いた「水上ホテル」の汚水は川に直接流されていたという。

1973年のオイルショックを前後して、港湾労働は機械化・合理化が進み、日雇い労働者は土木建設業へと流れが変化していく。だが大不況のなかで日雇い労働者は4,500人に減っていった。70年代後半から簡易宿泊所が木造から鉄筋化し高層化がすすんでいく。80年代のバブル景気の時期には外国人労働者が増加。バブル崩壊後平成不況期には寿地区の人口が急激に高齢化し、生活保護世帯が増加していった。増加していった外国人が1992年から減少する。

95年頃から簡易宿泊所の新改築とバリアーフリー化が進展。2000年に介護保険が導入されるとともに、寿は日雇い労働者の寄せ場から介護を必要とする男性高齢者のケアタウンに変化していく。最近の傾向は、多重債務、環境不適応、住宅困窮などの問題で他地区から入って来る人が多い。

鉄筋高層化、個室化する簡易宿泊所

寿町の簡易宿泊所

そもそも簡易宿泊所とは何か?普通の旅館、ホテルとはどう違うのか?旅館業法によると「宿泊する場所を多人数で共用する構造及び設備を主とする施設を設け、宿泊料を受けて、人を宿泊させる営業で、下宿業以外のもの」(第2条第4項の簡易宿所)「かこいだな」「ベッドハウス」など相部屋式のものからビジネス並みの設備を持つものまで様々だ。寿地区の場合には、この間の建て替えにより、10階建てまでの鉄筋コンクリート、個室型がほとんど。だが、部屋は3畳一間と狭く、トイレ、炊事場、風呂、シャワー(コイン)は共用、ー泊1,000円から3,000円と安い。

最近は、高齢化に対応して、車いす利用トイレ、エレベーターなどを備えた簡易宿泊所がふえている。一見高層ワンルームマンションだが、クーラーが所狭しとベランダに並び部屋幅の狭さから中の狭さも外からも感じとれる。

それでも東西300m南北200mの寿地区には高齢者と共に保育園が目立つ。生活館にも保育園がある。不思議な現象だが、かつての日雇い労働者は家族持ちがいたから当然だ。現在は寿町の周辺地区から保育園に通って来る。中華街や伊勢佐木町に近い寿町には家族持ちの外国人労働者が増えているからだ。

寄せ場から高齢者ケアタウンへ

寿地区は日雇い労働者の街から高齢者福祉ニーズが高い街に変化してきた。かつては仕事を求めて寿に入り、今は生活に困った高齢者が入ってくる。人口は5800人前後とほぼ横ばい、日雇い労働者はわずか100人だ。高齢化率は3000人(56.5%)身体障害者が407人(7%)と高い。毎年200人が亡くなり、4~500人が病院や特別養護老人ホームへ流出し、新たに5~600人が流入してくる。

現在の高齢者は日雇いの経験者は少なく、平均寿命より15歳は短命だ。身寄りがない高齢者が多い。最近は、身体機能の急激な低下、認知症、依存症、脳血管疾患マヒ、精神症状が多い。対人トラブル、徘徊、金銭管理などが増加している。アルコール依存症、結核、糖尿病、肝臓機能障害など生活習慣病も多い。生活保護受給者が増加して80%を超えている。お金がある人も、使い切ると生活保護受給者になる。ホームレスのように最初から困っている人でも住所がない人には生活保護は適用されないが、寿では簡易宿泊所を住所にできる。

「簡易宿泊所で終末期を過ごす人への見守り的な対応の増加が予想される」と横浜市寿福祉プラザ相談室は将来を予測する。

ケアタウンを担う人たち 寿介護の活動と未来

寿町には様々な労働・福祉政策の拠点がある。寄せ場であった寿町では横浜公共職業安定所、寿町診療所、娯楽室などが寿町総合労働福祉会館を拠点として労働福祉をすすめ、1965年に設立された寿生活館を基軸に学童保育、福祉政策が徐々に展開されていった。生活相談業務は横浜市寿生活館条例に基づき、この地域の福祉の柱となっている。他にも保育園、ケアプラザ(地域包括支援センター)、高齢者ふれあいホーム、身体障害者地域作業所、精神障害者地域作業所、ホームレス支援団体、労働者支援団体、NPOなど多くの団体が活動している。介護事業所も40~50あり競争が激しい。

寿の福祉を支える市民団体に「NPOことぶき介護」がある。事業開始は介護保険法制度化から間もない2003年11月でこの分野では草分けといえる。主な事業内容は居宅介護支援事業(ケアプラン作成)と訪問介護事業(ホームヘルパー派遣)で介護保険だけではなく障害者総合支援も担っている。利用者数170人(17年4月)、職員数は7人から始め、現在は28人(女性15人、男性13人、職員理事2人含む)、そのうち16人が5年以上の勤続と長い。年齢は女性は60歳台が7人で最も多く、男性は30歳台が5人で最も多い。

設立に携わった「ことぶき介護」の徳茂万知子理事長は「『貧困対策のあるべき姿』みたいなものを志として持っている人たちが寿の中に事業をつくろう」(「現代の労働研究会」での講演)とした設立動機を語っている。NPOとして運営し、困難ケースに特化したサービスを心がけている。刑務所から出所して寿に落ち着いた人や入院先で暴力をふるった人など引き受ける事業所が少ない中で行政から頼まれ積極的に引き受けている。そのため、介護事業所の競争激化の中で利用者を確保している。簡易宿泊所はふつう各戸に風呂場・洗濯場を持たない。そのため「ことぶき介護」では独自に洗濯サービスを行っている。そのためか事務所は所狭しだが、職員の熱意が感じられる。

「ことぶき介護」はサービス面の質の確保と共に、職員の労働条件の確保に積極的に取り組んできた。設立時から「常勤」を原則とし、いわゆる非正規雇用を極力避けてきた。

人件費比率は昨年で78%と業界水準80%を下回っている。理事長報酬は現在月10万円だが長年無報酬でやってきた。設立時の時給は1200円と当時としては結構高かった。2010年からは月給制に移行している。一時金も「夏・冬・決算期合わせ30人くらいの職員で2774万円なのでそこそこ支払っている」(徳茂理事長)。昨年自治労の公共サービスユニオンの分会が結成され、現在は退職金導入が課題だ。人材不足も深刻。「担い手がいなくなってサービス提供ができないので、それがとても心配です」と団塊の世代である徳茂理事長は寿町の未来と自らの将来を心配している。

一緒にいった労働ペンクラブの一行からは「寿は誰でも入れるケアタウンだね。俺も来るかな?」と感想が漏れた。

(参考)「寿福祉プラザ相談室―業務の概要―」横浜市健康福祉局生活福祉部生活支援課寿地区対策担当

おばた・よしたけ

1945年生まれ。69年江戸川地区労オルグ、84年江戸川ユニオン結成、同書記長。90年コミュニティ・ユニオン全国ネットワーク初代事務局長。92年自治労本部オルグ、公共サービス民間労組協議会事務局長。現在、現代の労働研究会代表。現代の理論編集委員。著書に「コミュニティ・ユニオン宣言」(共著、第一書林)、「社会運動ユニオニズム」(共著、緑風出版)、「公契約条例入門」(旬報社)、「アメリカの労働社会を読む事典」(共著、明石書店)

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