この一冊

『「教育」という過ち』(田中萬年著 批評社 2017.7)

「教育」という言葉の不幸

前こども教育宝仙大学学長 池田 祥子

『「教育」という過ち』

この本は、職業訓練大学校で研究員、助教授、教授を務めながら、主として、この「職業訓練」という局面・立場から、日本の教育の歴史を探り、その現状を深く憂え、批判するものである。

たまたま、著者田中萬年氏は、このデジタル版「現代の理論」2号(2014.8.28)に「迷走する「教育を受ける権利」論」を執筆されている。また、評者の池田祥子も、4号から6号、および8号、10号に「戦後教育を問う1~5」を連載している。間に、家族制度、乳幼児期のエデュ・ケア論をも挟み、さらに最新の12号では森友学園問題に絡んで「教育勅語と教育基本法」について論評している。関心やテーマの重なりを考えると、これまでにも、もっと議論できる仲間であってもよかったのに・・・と、やや遅すぎる出会いを悔いているが、しかし、これからに大いに期待しようと思う。

本書の章立てとタイトルは次の通りである。

序論 「教育」は官製語である

第1章 「教えること」と「学ぶこと」

第2章 学習支援のために設立した文部省と学校

第3章 国民の権利にならない「教育を受ける権利」

第4章 「教育勅語」と共存した「教育基本法」

第5章 educationを「学習」とした第二の意訳

第6章 職業を分離した学問観

この1冊の中でも、田中氏は、「文部省」の由来を遡り、天平時代の式部省を調べ、明治以降の「学制」「教育令」「教育勅語」に逐一当たり、戦後は、日本国憲法のマッカーサー草案や鈴木安蔵の「憲法草案要綱」をも参照している。取り上げている過去の思想家、学者、教育者も、吉田松陰、福沢諭吉、幸徳伝次郎(秋水)、新渡戸稲造、下中弥三郎、石井十次、尾高邦雄、森戸辰男などなど、多彩である。

さらに、2007年には、オーストリアの最大手ジーメンスのデュアルシステム(企業での労働訓練)を実地見学し、2012年には、「学力世界一」と有名になったフィンランドにまで出かけ、ヘルシンキからバスで2時間のポルナイネンの基礎学校を見学している。「日本の教育」のための並々ならぬ研究活動や行動力「どこにでも行き、何でも直にみてやろう!」、それを支える熱いパッションが本書にも漲っている。

「少子化」と騒がれ始めてすでに30年近くになる。にもかかわらず、「学校に行けない・行きたくない」不登校の子どもたちは、今も13万人を超えている。このような日本の学校=教育の現状に、ジッとしていられない気持ちは本当に共感できるし、本書の基本に流れる主張に疑義があるわけではない。しかし、問題の在り処を“「教育」という言葉”に焦点化していることに対しては、やはり素朴な疑問を提示しておきたいと思う。

「学」「学問」「学校」はすべて特権階級から

田中氏は、大田堯の「educationに中国の古典にある「教育」という言葉をあてたことは、現在からみると「誤訳」だった・・・」という説に出会って意を強くしている。田中氏は、もともと「能力を抽き出す」という意味を持つeducationは、「鞭うち」をもって上から授ける「教」という文字、および「育」と合わさった「教育」という言葉(孟子)とは相容れない、と主張し、educationをこれからでも「能力の開発」あるいは「学習支援」という言葉に変えるべきだと主張しているからである。そして、明治初期の「学制」では、福沢諭吉の「学問ノススメ」同様、ほとんど「学」「学問」という言葉が用いられている(ただし、1カ所に「教育」もある)のに、明治12年、13年の「教育令、改正教育令」および「教育勅語」(明治23・1890年)によって、この誤った「教育」用語が広まっていったと非難している。

しかし、もともと「学」「学問」自体、上層の支配層にのみ特権的な営みであった。「学校」という言葉も、schoolの原義は「暇」という意味だったことはよく知られている。生産、労働から免れていた特権階級のためのものだったのである。したがって、明治時代初期の言葉=用語は、それまでの上層の「学」「学問」が大学、中学そして小学にまで下ろされてきたことになる。しかし、この段階で考えても、「教える」「教育」が強圧的で、「学ぶ」「学習」が自発的であるというのは、あまりに恣意的である。「学ぶ」「学習」の「学」という文字も、権威ある書物を前にして子ども、子弟が坐している象形文字であるし、さらに、「教える=学ぶ」はたとえ上下関係にあろうとも、すでにして他者を想定し、互いに協応関係にあるものであることを、忘れてはならない。「教える=教わる」「教え」「学ぶ・習う・倣う・真似る」など、学ぶ者の自発性を抜きにして「教育=学習」は、もともと成立しえないものだからである。

「すべての子どもの教育=学習」をいかに人権思想で支えていくか

その意味では、ルソーに代表されるeducationという言葉は、哺乳動物でありかつ歴史的に形成される文化を有する「人間」にとって、「教え育てる」営みは、すべての子どもに不可欠なものであり、ある意味での生存・生活保障の基礎である、という意味での「教育の発見」であった。それは「近代」を用意し、それまでの「学問」のあり様と一線を画すものであったことに留意されなければならない。

明治初期、大急ぎで近代化を後追いした日本が、以上のような近代的な皆学思想を国民教育として摂取したことは、それとして認めるべきであろう。ただし、近代の人権思想は封殺され、天皇中心の国家主義となったことは周知の事実である。

したがって、そこで用いられるようになった「教育」が、国家のための教育であり、「教化、洗脳」に近く、体罰を当然としていたことは、「教育」という言葉の問題ではなく、「教育」を支える人権思想の薄弱あるいは欠落のためだったのではないだろうか。

もともと、「啐啄」(そつたく)という母鳥と雛の協応関係を大切にし、「感化」「薫陶」「陶冶」など、教える者の人格や利他的な方法、さらには学ぶ者の自発性を重視する「教育文化」がないわけではなかった日本で、戦前においても、「教育する自由」を掲げて私立学校の創設は相次いだ。また大正デモクラシー時代には、学校の授業における「生徒の自発・自由」を重視する教育実践も試みられている。

このように考えると、繰り返しになるが、問題は「教育」という言葉の問題ではない。「教育」を支える人権思想の問題である。「戦後日本」の問題である。

厄介なことに、戦後の日本では、「国家」もまた表ばかりが塗り替えられて、深層は戦前の国家主義がしぶとく居残っている。権利としての「教育」は、カネ・モノ・ヒトの保障を国家の責任として要求するものであるゆえに、「国家」も「国民」も古い時代の思想をひきずっているならば、「教育」の変革・再生もまた非常に難しい。「教育を受ける権利」という受動的な言葉が悪いのではない。「教育を得る権利」「教育への権利」にしても変わりはしない。「国家」と「国民」がともに「学歴のための」空虚な教育をつくり出した、というのを事実として直視したいと思う。

その意味で、本書に頻出する「国民主権」という言葉も、どちらかといえば「主権在民」と言いたいし、「わが国」という言葉にも抵抗がある。国家のありかた、国民一人ひとりのありかたを問う中でしか、「教育」もまた問い返し得ないだろうと思うからである。

最後に、本書の最後に、「安倍政権」が「安部政権」となっている。ささいな事(1文字違い)だろうけれど、私としてはとても残念なことである。

いけだ・さちこ

1943年、北九州小倉生まれ。お茶の水女子大学から東京大学大学院教育学研究科博士課程修了。前こども教育宝仙大学学長。本誌編集委員。主要なテーマは保育・教育制度論、家族論。著書『〈女〉〈母〉それぞれの神話』(明石書店)、共著『働く/働かない/フェミニズム』(小倉利丸・大橋由香子編、青弓社)、編著『「生理」――性差を考える』(ロゴス社)、『歌集 三匹の羊』(稲妻社)、『歌集 続三匹の羊』(現代短歌社、2015年10月)など。

この一冊

第13号 記事一覧

ページの
トップへ