コラム/沖縄発

“研究”と“物語”とのあわい

奥濱幸子著『祖神物語』という民俗誌

出版舎Mugen代表 上間 常道

宮古島に生まれ、そこで生活をしておられる奥濱幸子さんが、詩人であり沖縄きっての論客でもある郷里出身の大先輩 川満信一さん、沖縄タイムス文化事業局次長兼出版部長の真久田巧さんと連れ立って、私の事務所に来られたのは、2年前の6月上旬だった。 事前の連絡で、宮古島の北部の集落 狩俣に伝わってきた祖神祭(ウヤーン)に関する本の出版についての相談であることはわかっていたので、その内容をうかがうことが要件であることもはっきりしていた。

ご本人は、1997年に、那覇のニライ社から、『暮らしと祈り―琉球弧・宮古諸島の祭祀世界―』というフォークロアをすでに出版されていて、どんな記述をされる方なのかはある程度わかっていた。というのも、この本の校正を、宮古支局長を経験したことのある沖縄タイムス記者の知人を通じてお手伝いしたことがあったからだが、ご本人は記憶にないふうだった。なにしろ、知人の知人という関係で、直接お会いするのは今回が初めてだったから、むべなるかなというところだった。

ほぼ仕上がったという原稿は、東京の出版社から刊行する予定だが、内容について意見を聞きたいとおっしゃるので、パソコンで打ち込まれた分厚い原稿を預かり、10日後には「一言でいえば、『貴重な輝く原石がそのままちりばめられた草稿』とでも言え、全体を再構成することですばらしい著作になると思いました」という率直な感想をしたためた。それに対するお礼があった後しばらく連絡がなかったので、東京での出版が決まり、その作業で忙しいのだろうと思っていたら、昨年の年明けには書き直したという原稿がデータで届けられ、小社からの刊行という方向に動き出し、4月には出版することで合意、11月には刊行の運びとなった。

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本書の内容を目次で紹介すると、序章、第一章:集落(シマ)の人生、第二章:島(宮古島)の人生と祭祀文化、第三章:集落の祭祀と寿詞(よごと)、第四章:祖神物語、第五章:昔の霊力(んきゃぬたや)のままに、終章――からなっている。

まず、狩俣集落の文化地理学的な位置づけと、そこでの人々の暮らしを紹介し(第一章)、次いで、祭祀制度を通じて琉球文化圏における宮古の位置づけをおこない(第二章)、その中でも狩俣集落の祭祀がもつ特異性―生者と死者の饗応、深く根付いた自然崇拝、集落の女性が生身であるとともに神(祖神)になる通過儀礼(祖神祭)―を抽出し(第三章)、昔から女性たちが連綿としてつづけてきたにもかかわらず、1997年には伝統的なかたちを崩し、2003年には終焉を迎えたこの儀礼を、まるで顕微鏡でのぞくかのような微細な視点でフィールドワークをおこない、その成果を記述し(第四章)、この祭りを担ってきた祖神女たちのありよう―語り部としての祖神女、神謡(フサ)のうたい手としての祖神女、祭祀の途絶えたあとも日常を生き続ける祖神女―を、哀惜といってもいい視点で描いている(第五章)。

本書は、30年近くにわたって続けられたフィールドワークにもとづいて描かれた狩俣集落のエスノグラフィー(民俗誌)として貴重であるが、宮古島の女性の祭りを、東京に在住する男性の学者ではなく宮古島の女性が、しかも祭りのある集落の出身ではない女性が、集落の女性たちとの微妙な距離を近づけたり遠ざけたりしながら描いたことに大きな意味があると思う。

そのことはまた、フィールドワークとは何か、エスノグラフィーとは何かを問いかけてもいる。

『祖神物語―琉球弧 宮古島 狩俣 魂の世界―』
上製、318p、出版舎 Mugen、定価:4000円+税

最初、原稿を通読したとき、タイトルに「物語」という語を付したり、序章に自作の詩を配したり、精霊の少女を描いたイラスト(自作)を掲載したりするのはいかがなものか、フィールドワークに行き届かないところがあることを自覚していて、それをカモフラージュするための方策(方便)なのではないかと、私が考えたのは事実だ。極力、私的な部分は削除し、タイトルも「祖神物語」ではなく、「祖神祭祀」として、客観的な記述に徹したほうがいいのではないかと思い続けていたが、じっさいに組版を作成し、なんども校正のやり取りを続けるうちに、むしろ、この「私」という、フィールドワークを行ない記述している主体を暗黙の裡に登場させ、語る対象と語る主体がないまぜになった「物語」こそ、祖神祭という自然や神との魂の交感によってなりたっている秘祭の記述にふさわしい方法なのではないか、ひいては新しいエスノグラフィーの記述方法なのではないか、という気がしてきた。

書き手と対象とが分離せず、ないまぜになった文章を読むのは、どこか居心地が悪く落ち着かない気分にさせられるが、それこそが、この祭祀の本質なのではないか、という気がしてきた。

著者の微細な視線によって、いままで経験したことのない8校までに至った校正作業を思い起こしつつ、本書は新しいエスノグラフィーの可能性をそれとなく提起したのではないか、と、研究における「客観」はどんな位相をとっているのか、「私」を遠ざけた論文の記述スタイルがどんな意味をもつのか、ときには懐疑的になったりする老編集者は、ふと思ったのだった。

うえま・つねみち

東京大学文学部卒。『現代の理論』編集部、河出書房などを経て沖縄タイムスに入る。沖縄タイムス発刊35周年記念で『沖縄大百科事典』(上中下の3巻別刊1巻、約17000項目を収録)の編集を担当、同社より83年5月刊行。06年より出版舎Mugenを主宰。

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