論壇

近代日本は高校でどう教えられているのか

高校「日本史」教科書を読む

元河合塾講師 川本 和彦

1 はじめに

山師に過ぎない坂本龍馬を国民的英雄に祭り上げるなど、司馬遼太郎の罪は重い。最大の罪は、明治時代を過度に美化していることだ。司馬に言わせると、明治日本は近代化へ向けて輝いており、それを昭和の軍国主義が根こそぎ駄目にしてしまった、ということらしい。

昭和の軍国主義が大変な悲劇をもたらしたことは事実であるが、それは歴史の突然変異ではあるまい。奈良時代まで遡る必要はないが、明治という時代には軍国主義昭和の芽があった。少なくとも種は蒔かれていたと考えるべきである。

幕末から明治の近代という時代を、高校「日本史」教科書はどのように記述しているのだろうか。これまでと同様、山川出版社の教科書を叩き台にして検証する。

2 不平等条約の起源

「開港とその影響」という小見出しの少し後に、以下の記述がある。

〈大老井伊直弼は勅許を得られないまま、日米修好通商条約を結んだ。この条約には(中略)、関税について日本に税率の決定権がなく、相互で協議して協定関税を定めた(関税自主権の欠如)不平等条約であった。〉

この後の記述を読むと、徳川幕府が結んだ不平等条約を、明治政府が苦労しながら改正したことになっている。司馬や江藤淳が強調したポイントでもある。

だが条約文を詳細に研究した関良基・拓殖大学教授によれば、幕府が結んだ当初の日米修好通商条約には、関税自主権があった。関税自主権がなくなったのは、長州藩が下関海峡で大砲をぶっ放してイギリス・フランス・オランダ・アメリカと戦った(そして大敗した)下関戦争のせいである。この戦争における賠償金の減額を条件に、慶応二年の改税条約で関税率が固定され、日本側の関税自主権が消滅した。

「政治・経済」に比べて、「日本史」「世界史」教科書執筆陣はかなり民主的である。「勝てば官軍」的姿勢はほぼないし、単純な進歩史観一色でもない。それでもどこかに、「社会は(一時的な逆行はあっても)良い方向へ進む」という視点があるように感じる。別に「いや、社会はどんどん悪化する一方だ」と言いたいわけではないし(高市自民党を見ていると言いたくもなるが)、やはり世の中は良くなってほしいと思う。ただ、そういう思いを絶対化するのではなく相対化するためにも、歴史の経過で良くなった面、悪くなった面、変わらなかった面をそれぞれ丁寧に見ていくことが必要だろう。

近代化とともに外交も進化しそうなものだが、条約だけを見ていると必ずしもそうとは言えないようだ。明治維新以前の方が、少なくとも技術としての外交は巧みだったのではないか。

3 「明治維新」という単語

さて、何気なく「明治維新」と書いたが、この単語、当時は一般的ではなかった。より多く使われていたのは「一新」である。福沢諭吉『学問のすすめ』『文明論之概略』に出てくるのも「一新」「御一新」だ。1937年に新聞連載された山本有三『路傍の石』にさえ、「御一新」の3文字がある。

王政復古の直後、この「一新」が、発音が似ている中国古典『詩経』大雅編の「周は旧邦といえども命維れ新たなり」の「維新」に置き換えられた。右翼が愛する明治時代のスタートラインを示す単語は、右翼が嫌いな中国由来なのだ。大学入試問題には出ないだろうが高校の先生方、こういう話はできるだけ生徒に伝えてほしい。

一方で当時から使われ、今も教科書にある「琉球処分」という単語。これはいけませんぜ。処分とは罪へのペナルティを示す言葉だ。「裏金議員を処分しない高市はけしからん」というのが、正しい使い方である。「琉球処分」は授業で教えなくてはならないが、その際には注意を喚起する必要がある。

4 自由民権運動

教科書は3ページにわたって、自由民権運動を解説している。量的にはかなり多いのだが、質の面で問題を残す。全文を引用するスペースはないので、太字(ゴシック)になっている単語のみを拾ってみる。

〈「立志社」「愛国社」「漸次立憲政体樹立の詔」「地方官会議」「讒謗律」「新聞紙条例」「地方三新法」「立志社建白」「国会期成同盟」
「集会条例」「自由党」「開拓史官有物払下げ事件」「国会開設の勅諭」「明治一四年の政変」「植木枝盛」「立憲改進党」「私擬憲法」〉

お気づきの如く、ほぼすべてが政治の言葉である。自由民権運動自体が政治上の権利を求める運動でもあった以上、これはある程度当然であろう。しかし、自由民権運動は政治闘争にとどまらない広さ・深さを持っていた。

教科書に載っている上述の自由党・立憲改進党以外に、関東で300を、東北で100を超える民権結社が結成されている。そのほとんどが民権思想の学習会や共済活動、地租軽減を求める署名などの運動を展開していた。山形の特振社は特産品の紅花振興に取り組み、静岡の扶桑社は製茶・養蚕事業を広めた。これらは政治闘争であるとともに、文化活動であり生活向上運動であった。観念の世界にとどまらない、実生活と深く繋がるものであったのだ。

高校はすべての都道府県に設置されている。これを活かさない手はなかろう。高校が各地の博物館・郷土資料館や教育委員会と連携して、地方の民権運動を掘り起こすことを、授業の一環としてできないだろうか。生徒が自分のご先祖に、民権運動の活動家を見つけるかもしれない。ただし、偏狭な「お国自慢」に陥らないよう注意すべきではある。『勤皇僧大洲鉄然』のように、郷土史研究が愛国心育成に利用された例が戦前には多数あった。

さて、そのような、実生活に根ざした運動がなぜ敗北したかということこそ、歴史を現在に活かすための学習である。もちろん、軍隊や警察を持つ敵(=日本政府)の方が圧倒的に強かったのは事実である。だが敵の戦力が半分以下でも、やはり自由民権運動は負けたような気がする。

運動側には2つの致命的欠陥があった。1つは大きくは天皇制、身近なところでは家父長制を克服できなかったことである。中江兆民の愛弟子であった幸徳秋水ですら、1902年の段階でも『社会主義と国体』の中で「日本の皇統が一系で連綿と続いているのは、東洋の社会主義者が誇りとするところであらねばならぬ」と述べている。これ、ほとんど北一輝ではないか。いや、北一輝の方がよりドライである。また民権活動家の多くは、運動のために家庭を顧みない壮士気取りの男が大半だったように思う(ちなみに、そういう壮士気取りに反発しない輩が司馬遼太郎のファンになるのである)。夫婦や親子関係に残る封建的な要素については、福沢諭吉の方がよほどまともな批判をしている。

もう1つは被差別部落やアイヌ 、沖縄との連帯に乏しいことである。いわゆる「琉球処分」に反対しない者は、韓国併合にも反対しないであろう。

もちろん、すべての人は時代の限界の中で生きている。現在の視点で過去を一方的に裁くのは不当である。だが裁くのではなく、指摘することが必要な場合もあるだろう。「時代が違う」と言うのならなおのこと、歴史の教訓を今の時代にどう活かすかを考慮しなくてはならない。

細かいことだが、元学生運動の闘士から来る年賀状に元号が印刷されているのを見ると、もうため息さえ出ない。西暦が嫌なら、仏暦かイスラーム暦を使いなはれ。

5 韓国併合

教科書の記述に戻る。

〈日本政府は憲兵隊を常駐させるなどの準備のうえに立って、1910(明治43)年に韓国併合条約を強要して韓国を植民地化し(韓国併合)、漢城を京城と改称してそこに統治機関としての朝鮮総督府を設置して、陸相兼統監の寺内正毅を初代総督に任命した。〉

一つの文章として長過ぎるが、事実関係は概ね間違っていない。「概ね」と書いたのは、日本政府が第二次世界大戦の敗戦まで、朝鮮半島を「植民地」とは言わずに「外地」と呼んでいたことが念頭にあったからだ。外地とは!支配―被支配構造を覆い隠そうという姑息な思惑が、実に露骨である。

ところで韓国併合については、国際法上無効であるという韓国(および朝鮮民主主義人民共和国)と、当時の国際法では合法であったとする日本の主張が対立してきた。

無効論の根拠は2つある。1つは日本の教科書も「強要」と記述しているような、脅迫による締結は無効というものである。1969年に採択されたウィーン条約第51条は、強制に基づく国家間の合意を無効としている。「1969年なんて戦後じゃないか」と言ってはいけない。19世紀末には既に国際的常識、不文法として定着していた。当時の外務省参事官・倉知鉄吉が強制による条約について、「到底之を真正のものと見做すことを得ざるを以て、条約は決して有効なるものにあらざるなり」と述べている。

もう1つは形式上の無効論である。1992年に韓国側が訴えたのは、第二次日韓協約に日本の天皇と大韓帝国の皇帝、双方の署名捺印がないということであった。だがこれは無効論の根拠にはならない。条約には特命全権大使(たいていは外務大臣か公使)の署名があれば有効であり、元首の署名捺印は必要ではない。また同じ年、韓国の図書管理室長が「批准書がないから無効」と主張した。これまた正確さを欠く主張である。批准書は条約に不可欠のものではない。日朝修好条規には批准書があったが、日英同盟規約や日露協約には批准書がない。20世紀でもWTO (世界貿易機関)の前身であるGATT(関税および貿易に関する一般協定)をアメリカは批准していなかったが、アメリカはGATTの加盟国であったし、今のところはまだWTOの加盟国である。

したがって、私の中では無効論について1勝1敗である。韓国側の主張については、半分賛成だ。そのうえで敢えて申し上げるが、「当時の国際法上、合法であったが不正であった」という立場もありではないか。法が常に正しいとは限らない。「合法だからいいじゃん」という、ホリエモンやひろゆきのような言い草はみっともない。それは悪しき法治国家思想、形式的法治主義でしかないだろう。合法であっても、やっては駄目なことは駄目なのだ。

6 社会主義運動

教科書本文でなく欄外に、こういう記述がある。

〈1901(明治34)年、日清戦争後の労働運動の展開の中で、安倍磯雄・片山潜・幸徳秋水・木下尚江らが最初の社会主義政党である社会民主党を結成したが、治安警察法によって、結成直後に解散を命じられた。〉

先述した自由民権運動と同様、なぜ社会主義運動が敗北したのかを考えることは、歴史教育として重要である。片山潜とロシアのプレハーノフが握手するなど(その写真こそ教科書に載せるべきだろう)、自由民権運動に比べれば国境を越えた連帯の動きはあった。だがインテリの限界か、どうしても観念先行の色が濃い。

今では忘れられてしまった穏健派社会主義者・田添鉄二は、教科書に掲載する価値があると思う。田添は日露戦争前夜、東京府の死亡調査記録を調べて、地に比べ肺炎や気管支炎、いくつかの伝染病患者が多いことを挙げて、大気汚染・水質汚濁に警告を発している。足尾銅山の産業公害に立ち向かった田中正造は教科書の常連であるが、田添は都市公害を極めて早い時期に指摘した先駆者である。これには一定の評価を与えるべきではないか。構造的な問題に取り組むことを否定はしないが、目の前の困難を超えようとする地道な努力を疎かにする運動は共感を呼ばないであろう。

治安警察法と現代のスパイ防止法を比較するのも、授業の流れとして試みる価値があるのではないだろうか。

以下の記述も教科書の本文ではなく、欄外にある。

〈第2次桂内閣は、天皇暗殺を計画して爆弾を製造した社会主義運動家を捕えたのをきっかけに、全国で数百名の社会主義者・無政府主義者を検挙し、うち幸徳秋水ら26名を大逆罪で起訴した。翌年、26名全員が有罪判決を受け、うち12名が死刑を執行されたが、その多くは暗殺計画に直接関与していなかった。〉

冤罪は過去の話ではない。私は教科書のデジタル化には反対であるが、「大逆事件」をクリックすると「免田事件」「袴田事件」が画面に出てくる仕掛けがあれば、それはそれで意義深いと考える。

また社会主義の内容について、社会民主主義・共産主義・無政府主義などの整理が必要だろう。もっとも、無政府主義は社会主義から排除した方がいいかもしれない。国家権力の介入を拒否して自治を強調する無政府主義者は(当人は不本意であろうが)、公助を切り捨て自助を押し付ける新自由主義者と親和性が高いと思う。

一方で、若い頃の片山潜や田添鉄二がそうであったキリスト教社会主義については、1項目を立ててもよいのではないか。人々の具体的な苦しみや悲しみに向き合い、寄り添うという姿勢こそ、社会主義の原点とも考えられる。

7 おわりに

批判すべき点が多々あるが、司馬遼太郎は歴史小説の大家ではあった。彼の『龍馬が行く』には『花神』に通底するものがあり、『花神』には『翔ぶが如く』に繋がるものがある。時代間隔があるが『菜の花の沖』で主人公がぶつかる壁は、『坂の上の雲』で主人公が乗り越えた(かのように見える)壁でもあった(すみません。なんだかんだ言いながら結構読んでます。不覚!)。

小説と歴史教科書は同じではないし、同じであっては困る。ただ、ある時代を学ぶことが前の時代、先の時代を学ぶことにつながる構成を教科書は目指してほしい。

また、これまでは触れてこなかったが、歴史教科書は政治や軍事、外交に比べて文化の記述が薄い。各項目の最後に、申し訳程度に置かれているという印象だ。次号以下、そのあたりにも配慮して論を進めたい。

かわもと・かずひこ

薬師丸ひろ子と同じ年に、浜崎あゆみの実家から50メートル離れた家で生まれる。日本経済新聞記者・河合塾公民科講師を経て校正者。海洋生物保護団体「エバー・ラスティング・ネイチャー」会員。

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