特集 ● 混迷に"当たり前"を

現代日本イデオロギー批判 ―⑫

天皇制は憲法上の一制度に過ぎない

時代に合わせて変容し続けてきた天皇制の現在地

神奈川大学名誉教授・本誌前編集委員長 橘川 俊忠

護憲の立場と天皇制

もう今から60年近い前、筆者が法学部の学生であった頃、憲法理論研究会という全国規模の憲法に関する学会に参加したことがあった。細かいことは忘れたが、パネルディスカッションのような場で、フロアつまり一般参加者からの質問が許されるというので、挙手して発言した。パネル全体のテーマはいかに憲法を護るかであったように記憶しているが、「護憲というが、その護るべき事項の中に天皇制も含まれるのか」という趣旨の発言をした。

この生意気な学生からの質問に対応してくれたのは、当時東大社会科学研究所の教授であった渡辺洋三氏であったような気もするが、確かではない。いずれにしても名だたる護憲派の学者から「護憲の主要な目的は、国民主権や平和主義、人権の尊重という原則を守ることにあり、天皇制はそれらの原則を踏みにじるために利用されることがない限り、強いて問題にする段階ではない」というような趣旨の発言があったように記憶している。

筆者は、なんとなく割り切れない思いを残しながら、そんなものかと受け止めて、それ以上の問題提起には踏み込まなかった。また、その後の研究活動においても、天皇制が日本の歴史上どのような思想的・政治的役割を果たしてきたかに関心を移し、現行憲法における天皇制の具体的問題については問題意識を深めることはなかった。憲法の専門家ではない筆者がいうのも僭越の感がないわけではないが、天皇制と憲法の諸規定との間の関係の問題は、当時から今日に至るまで、少なくとも国民的関心を引くほどの議論となることはほとんどなかったように思う。

もちろん、憲法が規定する諸原則、たとえば政教分離原則などと天皇制の関係が問題となることが全くなかったわけではない。昭和天皇が病没し、平成の天皇へと代替わりが行われた時、葬儀や即位にかかわる儀式をどのように実施するかが問題になったが、斂葬の儀や大嘗祭などの神道的儀礼の部分は、天皇家の私的儀礼として政府が主宰する国葬・即位式とは区別するという形で、解決が図られ、社会的・政治的大問題となることはなかった。

また、平成の天皇が生前退位の意向を示した時にも、明治・大正と続いた終身在位の変更になるということで議論になった。現行皇室典範には、生前退位についての規定がなかったからであるが、結局特例法という形で当時の天皇の意向を実現することになったが、これについても徹底的な検討が尽くされたわけではなかった。

こんな古いことを思い出話のように持ち出してきたのは、言うまでもなくごく最近行われた皇室典範の改正が、またしても問題が突き詰められないまま、スキャンダルじみた話題で終わってしまいそうな気配が漂ってきたからにほかならない。老獪な政治家が、平安時代の藤原氏のような外戚になろうとしているとか、皇族の内、誰かの方が立ち居振る舞いなど天皇の後継者にふさわしそうだとか、どうでもよい方向に話題が流されている間に、皇室典範の改正が特定の政治家の点数稼ぎの道具で終わってしまうことになりかねない。

天皇制の制度的根拠はどこにあるのか

いまさら言うまでもないことだが、天皇制を含む現代日本のすべての国家制度の根拠は日本国憲法以外にはない。これは、「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」とし、大日本帝国という国家制度に先立って「万世一系ノ天皇」の存在を前提としていた明治国家とは根本的に異なる点である。つまり、国会や内閣、裁判所などの機関と同じく天皇も国家の一機関として設置されているということである。

さらに、天皇については、「この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」と、その根拠が「万世一系」というような神話にあるわけではないということをわざわざ明示している。ちなみに、この点については、GHQが日本政府に提示した草案では、「この地位は、主権を有する国民の総意に基づくものであって、それ以外の何ものに基づくものでもない」と、天皇の地位の根拠が国民の総意以外にはないことを二重に規定する文言が添えられていた。

この「それ以外の何ものに基づくものでもない」という文言は、日本政府案の作成過程で削除されたが、その過程の背後には、いわゆる「天皇の人間宣言」によって、天皇と国民との「紐帯」が神話によるものではないことを宣明したことをもって十分と判断されたことがあったかもしれない。

いずれにしても、日本国憲法によって設置されている天皇という機関の根拠として「万世一系」とか「神武天皇以来」あるいは「二千六百年の伝統」というような神話的論理を介入させる余地はまったくないことは明々白々たる事実であろう。

今回の皇室典範の改正問題は、減少を続ける皇族数をいかに確保するかという問題から始まったが、次第に女性天皇の可否、女系天皇容認の可否という皇位継承問題へと論点が移行し、果ては男系天皇絶対論というべき主張がネットやマスコミでやかましく論じられるなど、何が問題なのか焦点はどんどんボケてきてしまった。

たしかに、皇室(天皇家あるいは天皇一族)の現状は、構成員の減少・高齢化とそれに伴う「業務」の過剰負担、現行皇室典範の定める皇位継承資格者確保の不安定性など、世襲天皇制の維持が困難になるかもしれない事情が積み重なってきているように見える。天皇制に反対する立場からすれば、現行憲法の下にあろうがどうだろうが、とにかく天皇制をなくせばよいので、皇室にかかわるどんな問題にもかかわる必要はない、無視すればよいということかもしれない。しかし、護憲という立場を容認するとすれば、憲法と天皇という問題を素通りするわけにもいかないことになる。少なくとも、天皇制が、戦前のように絶対主義か軍国主義あるいは全体主義かはともかく国家主義的専制支配の支柱あるいは道具になることは防止することが必要だろう。そのためには、現行憲法の中に天皇という制度をしっかりと閉じ込めておくことも意味がないわけではなかろう。

天皇制を、国家主義的ナショナリズムや専制的支配イデオロギーの源泉として蘇生させようという願望にとらわれている人々の宣伝や世論操作に対抗するのは、アメリカ合州国でキリスト教原理主義や福音派などのキリスト教ナショナリストが根強く影響力を拡大させているのをみると、護憲派が思っている以上に簡単ではないかもしれない。天皇制を蘇生させようという宣伝に対抗するためには、議論の前提として二つの論点を踏まえておく必要がある。一つは、すでに論じてきたように、現在の日本国憲法下の天皇制はあくまで憲法上の一制度であることを確認すること、もう一つは、天皇という存在に歴史を貫通するような唯一不変の本質などはなく、歴史的状況の中で多様に変容してきた事実を知ることである。

変容する天皇の容貌

歴史上の天皇の在り方の変化についてここで詳述することはできないが、いくつかの例を示してみよう。

そもそも、天皇という称号が使われ始めたのは、七世紀天武天皇のころからという。そのころまでの天皇のイメージは、軍事・行政の両面で強い指導力をもった君主という性格が強かった。天武天皇は、壬申の乱で兄の子を倒し、自ら即位した天皇であった。なお神功皇后から奈良時代に出現する女帝たちも、軍事的・政治的に強大な実力を備えた指導者であった。その強大さは、中継ぎなどという軟弱な程度ではなかった。そうした天皇は平安時代には影を潜め、外戚の有力貴族が後見する幼冲の天皇が続出する。江戸時代になると禁中並びに公家諸法度に「天子諸芸能のこと」と定められ、和歌をたしなみ「貞観政要」を勉強することが求められた。明治維新以後、天皇は再び軍事指揮官として大元帥服に身を固めて国民の前に姿を現すようになった。文字通り歴代天皇の容姿を通観してみるだけでも天皇という存在がいかに変容してきたかが歴然としてくる。

また、天皇の天皇たる由縁は、天皇位を正当な手続き・形式をもって継承することによって証明されるという。しかし、その皇位継承の在り方についても大きな変化があった。そもそも皇位継承の物的証拠たる「三種の神器」にしても、その三種について『日本書紀』編纂の段階にすでにいくつかの異説があり、御所の火事や戦乱などによる滅失・毀損もあり、その実態はいまでも明白ではない。また、不可欠の即位儀礼とされた「大嘗祭」にしても、中世から近世初期まで数百年の断絶があり、その時期には、真言密教の灌頂会が行われていたとされる。

明治維新の際、尊皇の大義が主張され、「王政復古」が宣言されたが、復古すべき「王政」とはいつのことかについて異論百出一義的に定まらなかったという。後醍醐天皇の「建武の新政」を主張する者あり、醍醐天皇の「延喜の治」を範とすべきという説あり、「大化の改新」にさかのぼるとするものあり、それぞれ史実を検討した結果いずれもなにかしらの欠点があり、結局、史実的には内容は具体的にははっきりしない「神武創業之ノ始ニ原ツキ」ということになった。内容が明確でない方が新しいことを企てやすかったためであろうが、この時に天皇制についてもいろいろと新しい制度が取り入れられた。ちなみに、一世一元(天皇存命・在位中は一元号とする)というのも明治以来である。

天皇という制度は、事程左様に変態を積み重ね、柔軟に変態することによって生き延びてきたといってよいほどである。普通に歴史を勉強したものならだれでも知っているようなこの事実を、皇位は皇統男子孫のみが継承すべきだと主張する「万世一系」論者たちも知らないはずはない。にもかかわらず、かれらは天皇制の不変性の本質として「Y染色体の継承」などと、実証不能な「事実」を持ち出しているが、もはや語るに落ちたというほかはない。

女性天皇も、さらに女系天皇も、それこそ長い天皇制の変容の歴史を考えれば、皇室典範の改正によって出現を許容することになってもなんの不思議もない。何事も不変の本質などという架空の観念を持ち出したがるのは、反動的ナショナリストの思考の癖のようなものである。その癖が、かえって天皇制の存続を脅かしかねない可能性を広げているとすれば、これほどの皮肉はあるまい。

基本的人権原則と天皇制

時代の変化によって天皇のありかたが変化するのは当然だとして、主権者たる国民の総意によって女系天皇を受け入れることが可能だからと言って、筆者は女性天皇待望論に与しようというわけではない。日本国憲法とその下での天皇制の問題の核心は、男系か女系かなどというところにあるわけではない。封建的身分制を廃し、すべての国民さらには国民以外の人間にも基本的人権を認めている憲法が、天皇については世襲という封建時代の「遺制」を認めているのはどうなのか、という問題こそ核心的な問題ではないか。

いうまでもなく、天皇や皇族には国民一般が享受している様々な権利が保障されていない。実際、多くの慣例・習慣に縛られ、表現の自由・居住移転の自由・信教の自由をはじめとする自由は認められていない。皇室典範という自分達の存在にかかわる制度の改正問題についても発言の機会は与えられていないし、意見を聴取されることすらない。天皇・皇族に関して言えば、戦前の大日本国帝国時代よりもかれらの自由の度合いは低いと言わざるを得ないほどである。

戦後、国民は、実質はともかく名目的には戦前とは比較にならないほど多くの自由を手に入れた。それに比して天皇・皇族の不自由さはどうだ。それについて国民の方から同情の声はあまり聞こえてこない。天皇主義の右翼が、天皇・皇族についての週刊誌などのゴシップ記事をネタにして、出版社に押しかけて、謝罪やなにがしかの金品を要求するとき、無私を貫いている天皇・皇族に代わって我々が抗議をしているなどと主張している時ぐらいしか、天皇・皇族の無権利状態が問題にならないとしたら、それはそれで問題であろう。

たとえば、天皇・皇族といえども国家の機関であり、役職の一種であるとすれば、その行動に対する拘束は、その地位にある時だけに限定し、その地位を離れた場合にはより広範な人権を享受することができるようにする制度をつくることも不可能ではない。任期制なり定年制なり、工夫の仕方がないわけではない。たとえば、現在は特例として認められている上皇という立場も、正規の制度として法律を改正し、上皇には天皇在位期間とは異なるより自由な処遇を保証するというようなことがあってもよいだろう。歴史的には院政とよばれる政治体制があった。院政とは、天皇を退位し、引退して上皇・院になった者が、政治の実権を握ったり、握ろうとした時期の政治を指す。それは、天皇でいる間は現人神として様々なタブーに縛られて自由な活動ができなかったので、政治的に野心のある天皇は早々に引退し天皇家の家長として次代の天皇を自己の影響下に置きながら世俗権力者としてふるまおうとして生まれた政治体制であった。

現在の天皇は、すでに政治的実権は完全に奪われているし、現人神としてのタブーに縛られているわけではないが、ほとんどプライバシーもない無権利に近い状態に置かれていることはまちがいない。その状態を少しでも普通の人間に近づけてもよいのではないだろうか。院政を導入せよということではもちろんないが、天皇の地位から解放される仕組みを考える上での参考になる点がないわけではなさそうな気はする。

これは、ほんの思い付きに過ぎないが、退位を認めるだけではない様々な制度的工夫によって天皇や皇族を少しづつでも普通の国民の状態に近づけていけば、天皇制を国家の専制支配の道具として利用しようとする者の動きを抑止する力になるであろう。また、その動きが拡大することによって、そもそも封建遺制としての君主制に静かに退場願う方向も見えてくるかもしれない。

きつかわ・としただ

1945年北京生まれ。東京大学法学部卒業。現代の理論編集部を経て神奈川大学教授、日本常民文化研究所長などを歴任。現在名誉教授。本誌前編集委員長。著作に、『近代批判の思想』(論争社)、『芦東山日記』(平凡社)、『歴史解読の視座』(御茶ノ水書房、共著)、『柳田国男における国家の問題』(神奈川法学)、『終わりなき戦後を問う』(明石書店)、『丸山真男「日本政治思想史研究」を読む』(日本評論社)など。

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