論壇

AIは、近未来社会をどう変えていくのか

『テクノロジカル・リパブリック』『テクノ・クーデター』の問題提起、AIテクノロジー・企業・法律からの現状分析、AIをめぐる4つの論点

IT専門学校講師 蒲生 猛

現在、生成AIが社会のあらゆる分野に、めくるめくような勢いで浸透し、社会を大転換させつつある。それでは、現在のキーテクノロジーであるAIは、破壊的なイノベーションとして、さらに加速度をつけながら、近未来社会をどのように変えていくのだろうか。

本稿では、『テクノロジカル・リパブリック』(アレクサンダー・C・カープ & ニコラス・W・ザミスカ著)及び『テクノ・クーデター』(マリエッチェ・スハーケ著)の問題提起を受けとめ、AIテクノロジー・企業・法律からの現状分析を踏まえて、AIをめぐる4つの論点を提示し、近未来社会を展望していきたい。

1.『テクノロジカル・リパブリック』の問題提起

本書は、副題に『国家、軍事力、テクノロジーの未来』とあるように、AIがキーテクノロジーとなる時代認識を踏まえ、「テクノロジーは誰のために、何のために使われるのか」という根本問題を問い直そうとしている。

著者は、パランティア・テクノロジーズ共同創業者兼CEOのアレクサンダー・C・カープとニコラス・W・ザミスカの2人であり、シリコンバレーと国家、なかでも政府・軍事・安全保障分野との関係を再構築すべきだ、と主張する。

本書は、4部18章で構成されている。

第1部「ソフトウェアの世紀」では、アメリカの技術発展史を振り返りながら、シリコンバレーが本来持っていた「国家的使命」が失われたと著者たちは指摘する。現在のシリコンバレーは、広告、SNS、消費者向けアプリなど、B to Cの巨大市場を生み出しはしたが、AIが国家の安全保障や国家間の軍事・経済・地政学的競争を左右する技術になったにもかかわらず、この分野に優秀な人材と資金を集中させていないと、問題を提起している。

第2部「アメリカ的精神の空洞化」では、アメリカ社会において、従来存在した「国家」「共同体」「公共の利益」「使命」といった共有された価値観が弱くなったと判断している。ここで著者たちは、現代のシリコンバレーのエリート層が「何をすべきか」という価値判断を避け、「技術的に可能かどうか」だけを問題にする傾向を指摘する。

第3部で著者たちは、「エンジニアリング・マインドセット」を取り入れるべきだと主張し、シリコンバレーには、現代社会が失ってしまった重要な能力が残っていると評価する。

そして政府とテクノロジー企業の相互学習と協力が必要だと指摘し、シリコンバレーの問題解決能力を、消費者向けサービスだけではなく、国家・社会の重要課題に向けるべきだ、と主張する。

第4部では「テクノロジカル・リパブリック(科学技術立国)の再建」の構想が提示される。著者たちは、国家とテクノロジー企業が再び結びつかなければならないとし、技術者自身が国家と社会に対する責任を引き受けるべきだ、と主張する。

以上、本書のストーリーを概観してきた。

ここで見落としてはならないのは、国家と巨大AIテクノロジー企業が強く結びつけば、国家とAI産業の競争力は強化されるが、AI・監視技術・軍事技術が民主主義を守るどころか抑圧し、国家権力と巨大企業の権力を過度に集中させる可能性がある、という重要な論点が伏在していることである。

その先行事例の一つとして、民主主義を圧殺した中国共産党主導による中国の巨大AIテクノロジー企業との結合が、すでに存在していることにも目配りする必要がある。

2.『テクノ・クーデター』の問題提起

本書は、その副題『民主主義崩壊とシリコンバレーの野望』が示しているように、AIテクノロジー企業が、民主主義に基づく国家のルールに従う存在から、国家や民主主義そのものを左右する存在へ変わってしまった、と問題提起する警告の書であると言える。

著者のマリエッチェ・スハーケは、オランダ出身の女性政治家・政策専門家で、2009~2019年にオランダ選出の欧州議会議員を務めていた。欧州議会では、貿易・外交・テクノロジー政策を担当し、ネットワーク中立性、サイバーセキュリティ、監視技術の輸出規制など、デジタル社会のルールづくりに深く関わった。現在はスタンフォード大学サイバー政策センターの国際政策ディレクター、同大学人間中心AI研究所のフェローを務め、AI・デジタル技術と民主主義・人権の関係を研究している。また『フィナンシャル・タイムズ』のコラムニストで、国連のAI諮問機関にも参加している。このように彼女は、政治家 ・テクノロジー政策の立法者・ AIサイバー政策の研究者という経歴を持っている。

本書は、序章から始まり、第1章から第8章まであり、最後に結論をまとめる構成となっている。

序章「闘い」では、テクノロジーをめぐる「権力闘争」が始まっていると指摘する。シリコンバレーの企業は、単なる民間企業ではなく、社会の情報・通信・インフラを左右する巨大な権力主体になった。そのため問題は、「技術が進歩するか」ではなく、その技術を誰が支配し、誰がルールを決めるのかを、重視すべきとする。

第1章では、「コード」が現代社会の「新しい法律」になりつつあると指摘する。ソフトウェアの設計によって、人間の行動や選択肢が実質的に決められる。アルゴリズムは中立ではなく、設計者の価値判断や企業の利益を社会に組み込む「ルール」になり得る。そのため「法律を議会が作る」という民主主義の原則に対し、「コード」によって企業が事実上のルールを作りうることを浮き彫りにする。

第2章「スタック」では、テクノロジーの積み重ねが巨大な権力を生むことに着眼する。

スマートフォン、クラウド、OS、検索、SNS、データセンター、AIなど、一つ一つの技術が社会の基盤に組み込まれていく。その結果、Google、Amazon、Microsoft、Metaなどの企業が、情報・通信・クラウド・AIという社会のデジタル基盤を握るようになる。つまり、企業が単なるサービス提供者から社会インフラの支配者へ変化していくと説明する。

第3章「あらゆるものの兵器化」では、デジタル技術は、軍事・政治・監視の武器にもなり、スパイウェア、顔認識、監視技術、AI、SNSなどが、犯罪対策だけでなく、政治的弾圧や情報操作、戦争にも利用されるようになると指摘する。特に重要なのは、民間企業が開発した技術が国家の安全保障や戦争を左右するようになったことである。そして今日では、テクノロジー企業が軍事・外交上の重要な意思決定にまで影響を持つようになっている。

第4章「公共の利益の終わり」では、公共財だった領域が、巨大企業の利益のために民営化され、通信、情報、教育、選挙、公共インフラなど、本来は民主主義によって管理されるべき領域に企業が入り込むようになったと指摘する。このように公共利益から企業利益への転換が起こり、民主的な説明責任が弱くなると著者は警告する。

第5章「最前線に立つテクノロジー企業」では、巨大テック企業は、国家の補助者ではなく、国家と並ぶ権力主体だと規定する。Google、Amazon、Metaなどに加え、AI・クラウド・衛星通信・防衛関連企業などを取り上げ、企業が国家の政策や安全保障に深く入り込んでいる状況を分析する。

第6章「フレーミングの作成者」では、「イノベーション」「自由」「効率」「利便性」などの言葉によって、企業に都合のよい価値観が社会に浸透していく状況を指摘する。

第7章「主権を取り戻す」では、国家や民主社会は、テクノロジー企業に任せきりにせず、デジタル領域における主権を取り戻さなければならないと主張する。特に中国が、「自由主義と民主化に抵抗したばかりか、テクノロジーに精通した権威主義という対抗モデルを築き上げた」ことに着目する。

第8章「国民を優先する」では、テクノロジー政策の中心に「企業」ではなく「市民」を置く。技術革新を促進すること自体を目的にするのではなく、その技術が市民の自由・権利・安全・民主主義にとって何を意味するのかを基準にするべきだとする。

そして最後に、西側各国の多数の市民が主体となって「テクノロジーによるクーデターを阻止し、民主主義を救おう」という結論を導き出す。

3.キーテクノロジーであるAIの歴史

ここでは両書で盛んに論じられるキーテクノロジーであるAIに関し、その歴史を振り返ってみたい。そのことで、テクノロジーとしてのAIの特性を明らかにする。

歴史をさかのぼって確認すると、AI(人工知能)の開発は、コンピュータの開発と同時期にスタートしている。そもそもコンピュータは、2つの目的で開発された。1つは軍事用ミサイルの弾道計算のスピードアップを当初の目的で開発され、その後は技術計算や業務処理の効率化を目的に開発されていった。もう1つは「人間のように思考する機械」、すなわち人工知能の実現を目的に開発された。このように人工知能の開発は、コンピュータの開発と、最初から密接な関係にあったと言える。その後、2度のAIブームがもたらされたが、2度共にうまくいかず、「冬の時代」を経験することになった。

第1次AIブームは、1956年のダートマス会議からスタートした。この会議において、その主要メンバーであるアレン・ニューウェルとハーバート・サイモンは、世界初の人工知能プログラムである「ロジック・セオリスト」のデモを実施し、自動的に数学の定理を証明するプログラムを発表している。このプログラムに象徴されるように、第1次AIブームのキーワードは、「論理」だった。さまざまな迷路・パズルを解く人工知能が開発された。

しかし1970年代に至ると、第1次AIブームは終焉した。その原因は、迷路や積木といったゲームは、明確に定義されたルールの中で、次の一手を考えればよかったが、現実の社会問題はもっとずっと複雑で、全く解けなかったからである。

その結果1970年代においては、長い「冬の時代」が続いた。

ところが、1980年代に至ると「知識」をキーワードとした第2次AIブームが、突然に到来する。それでは、なぜ第2次AIブームが起きたのか、その実現のプロセスをたどってみることにしたい。まずはコンピューターハードウェアの中核部品である集積回路の規模と密度が向上し、その結果、大きな記憶装置と強力な処理装置を備えた大型コンピュータの登場がブームの起爆剤として機能した。このハードウェアの技術発展を利用して、「知識工学」という名前で呼ばれた第2次人工知能ブームが開花したのである。

この「知識工学」の中心はアメリカであり、特に西海岸のスタンフォード大学で研究がさかんだった。こうした研究の中でも「エキスパートシステム」が、国際的な注目を集めていた。「エキスパートシステム」とは、人間の専門家であるエキスパートの代わりをつとめるような人工知能のことを指す。こうした発想は、法律や医学の「知識」に関しては専門家しか持っていないが、これをコンピュータに記憶しておき、正確に演繹推論を行なえば便利だろうという考え方からでてきたと言える。この考え方に基づき第2次AIブームにのって第5世代コンピュータプロジェクトが強力に推進され、最終的には「並列推論マシーン」を完成させることができた。しかし、実用化されることはなかったのである。

実用化されなかった要因は、3つある。

第1は、フレーム問題を解決できなかったことである。フレーム問題とは 「関係ある知識だけを取り出して、それを使う」という人間なら当たり前にやっているその作業がAIにとって困難だという問題である。それは、AIが文脈すなわちコンテクストを読めないことからもたらされる。

第2は、シンボル(記号)とそれを意味するものがグラウンドしていないというシンボルグラウンディング問題(記号接地問題)を、AIが解決できなかったことである。

そして第3は、自然言語で表される「常識レベルの知識」を獲得することができなかったからである。人間が日常的に使っている曖昧で多義的で膨大な量の「常識レベルの知識」を、この時点のAIは、獲得できなかったと言える。こうして第2次AIブームは終焉する。

その後1990年代から2000年代 にかけて、再び「冬の時代」が続くことになった。

4.第3次AIブーム、そして生成AIの登場

しかし2010年代に至ると、新たな方法論の採用とインターネット網が地球全体に張り巡らされるようになったことが相乗効果を生み、第3次AIブームを巻き起こしていく。

第2次AIの限界を突破するために、新たな方法論としてライトウェイト・オントロジーが活用されることになる。ライトウェイト・オントロジーとは、人工知能でデータを読み込ませて、概念間の関係性を見つける方法論であり、完全に正しいものでなくても、使えるものであればよいという考え方である。いわば効率を重視し、パーフェクトを求めない考え方である。併せてインターネットを世界中の人間が、日常的に使うようになり、ビッグデータが日々生成されるようになった。このビッグデータをリソースに統計処理し、パターンや特徴量を見いだせるようにしたのが、第3次AIの実体だったと言える。加えて2012年に、大量の動画を学習することでAIが猫を認識したとGoogleが発表し、ディープラーニングという手法が脚光を浴びるようになった。

このようにして第3次AIブームでは、「ビッグデータ・統計処理・ディープラーニング」がキーワードになっていった。この2010年代から現在まで 続く第3次AIに終息の兆しはない。というよりも、あらゆる業種・業務に多様な形態でAIシステムが導入されるようになり、大企業から中堅・中小企業へと導入の範囲は急速に広がりつつある。

そうした第3次AIの一環として、生成AIも登場することになる。

生成AIは、自然言語処理モデルから成り立っている。自然言語処理は、AIにおける最も難しい分野のひとつである。なぜなら、日本語に限らず各国語共に言語は多義的で文脈に依存し、会話において共通の背景知識を持っているからである。そのためルールに基づいた記号的な手法では、言語の多義性や繊細さを、捉えることができなかった。そこで統計学的な手法に転換することになる。大量の文章例を統計処理して、言葉の並びが現れるパターンや、ある言葉が別の言葉の近くに現れるパターン、すなわち使用頻度や共起関係を調べていった。その結果、そこそこ適切な人間らしい文章や会話ができるようになったのである。したがって、生成AIは人間と異なり、言葉も文章の意味も文脈も理解していない。そして第3次AIブームで広がりつつある他のAIと同じように、深層ニューラルネットワークを利用し適用分野は多様に広がっているが、あくまで専用AIに過ぎない。但し膨大なデータを利用した大規模言語モデルLLM(large language models)であるため、利用者の人間に対し、あたかも言葉や文章や文脈を生成AI自体が理解しているような壮大な錯覚を与えることになる。

とはいえ、生成AIの急速な性能アップと破壊的イノベーションにより、AGI(汎用人工知能 Artificial general intelligence)がもたらされるかどうかが、近未来社会をデザインする上で、根本的な論争テーマとなりつつある。筆者は、フレーム問題や記号接地問題が解決できなければ、AGIは実現できないと判断している。こうした論点を含みながらも、生成AIは、かつてのPC1人1台やインターネットが人々の生活に不可欠となってきたように、日常生活において当たり前に利活用されるようになってきている。

5.AIテクノロジー企業の特性

本章では、これまでのAIテクノロジーの歴史分析と生成AIの現状分析を踏まえて、AIテクノロジー企業の特性を、GAFAMとりわけGoogleにまずはフォーカスし、スケッチしていきたい。

Googleは、「世界中の情報を整理し、誰もがアクセスして利用できるようにする」ことを経営理念に、1998年9月にスタンフォード大学の2人の大学院生によって設立された。彼らにとってタイミングが良かったのは、この時期からインターネットが世界中に張り巡らされるようになり、無料の情報サービスを大量に提供できるようになったことである。その結果、Googleは、巨大な利用者基盤を形成し、広告で収益を確保するビジネスモデルを急成長させることができた。現在は、広告だけでなく、AI・クラウド・サブスクリプション・プラットフォーム・端末でも収益を伸ばしている。

Googleの親会社Alphabetの現在の売上高は、約60兆円、時価総額は約600兆円、従業員は約19万人という巨大な規模にまで成長してきている。

続いてGAFAMにまで広げると、それらのビジネスの共通した特性は、中央集権型プラットフォームを掌握していることに求めることができる。GAFAMの強さは、データを集中管理し、利用者を集中し、アルゴリズムを独占し、決済や広告を支配することにある。例えば、Googleは検索データ、MetaはSNSデータ、Amazonは購買データ、Appleは端末エコシステムを集中管理している。

こうしたGAFAMのプラットフォームへの依存を各国の多数の市民に強いることで、マリエッチェ・スハーケが危惧するように、民主主義は形骸化し、やがては崩壊し、テクノ・クーデターを実現することにつながっていく。

6.AIを規制する法律の特性 〔 EU・アメリカ・中国・日本 〕

本章では、分析視点を変えて、国家としてのAIを規制する法律の特性を、EU・アメリカ・中国・日本に絞って抽出し、比較検討してみたい。

〔EU〕
 EUは、人権を守るためにAIを規制するという基本的考え方に基づき、「EU AI ACT」(AI法)を2024年に発効し、人権・安全・民主主義を重視してきている。国家の関与も強く、AIを人間のために制御するという発想が強い。欧州議会議員を務めたマリエッチェ・スハーケは、こうした発想をベースに『テクノ・クーデター』を著している。

〔アメリカ〕
 アメリカは、EUと対照的に、AIを規制するより、AI覇権を重視する。AI覇権を獲得するためには、イノベーションを阻害せず、経済・軍事・安全保障を重視し、AIで世界をリードしようとしている。こうした特性は、『テクノロジカル・リパブリック』を著したアレクサンダー・C・カープ & ニコラス・W・ザミスカの発想と重なる。但しアメリカには、「EU AI ACT」のような包括的な法律があるわけではない。とはいえ第2次トランプ政権は、アメリカのA I の世界的優位の維持・強化を政策目標として掲げ、2026年6月の大統領令では、「過度に負担の大きい規制によってAIイノベーションを阻害しない」という方向性を明確にしている。

〔中国〕
 一党独裁の集権国家である中国は、AIを国家統治システムに組み込んだ上で、AIを国家戦略の中核に据える。国家の関与の度合いは、法的規制にとどまらず極めて強く、国家安全や社会統治を重視し、AI産業の世界的競争力の強化を国家主導で推進している。

〔日本〕
 日本のAI政策の基本思想は、AIを社会実装することであり、経済成長につなげることである。日本は法的規制よりも、官民協調を重視している。日本政府が方向性を示し、企業・大学・自治体と連携しながらAI社会を創ろうとしている。

日本のAI政策の問題点は、AI産業が主導する産業構造転換に向けた明確なグランドデザインが描かれていないことである。そのこともあり、未だにGAFAMのような巨大なAIテクノロジー企業が不在であり、急成長するAIベンチャーの数においても、アメリカや中国に比較して、極めて層が薄い状況に甘んじている。

7.AIがもたらす近未来社会 ― 4つの論点

これまで二つの本の書評を通じて浮き彫りになった問題提起を踏まえ、AIテクノロジーの歴史と現在、GAFAMを中心としたAI企業分析、さらには国家としてのAI規制の法律に関し、現状を分析してきた。それでは、急速に進展するAIの浸透は、近未来社会をどのように変えていくのか、以下4つの論点から、そのダイナミックな変化を明らかにしていきたい。

論点1―仕事とAIの関係はどうなるのか

第1は、「仕事とAIの関係はどうなるのか」という論点である。

2022年に生成AIであるチャットGPTが公開されて以降、生成AIの利活用が急進展している。日本における個人の生成AI利用率は、2024年度で26.7%となっており、企業が仕事で生成AIを利用している比率は49.7%にまでアップしている。但し、AI先進国であるアメリカは84.8%、中国は92.8%にまで達している。(「令和7年版 情報通信白書」)

こうした日本の遅れに留意しつつ、次にどんな仕事で、生成AIは活用されているのか、見ていきたい。具体的には、顧客サービス・営業・マーケティング・文書・資料作成や議事録作成等の事務作業で、10%を超える生産性向上が実現されつつある。これを企業システム全体に目配りすると、これまで2010年代後半に推進された既存ITシステムへの画像認識等の第3次AIの統合に、生成AIのシステムが融合しつつある全体像が見えてくる。

マクロな日本経済全体に視野を広げると、生成AIの2桁以上の生産性向上は、日本人の少子化と高齢化によってもたらされる生産年齢人口の大幅な減少(2020年7509万人→2050年5275万人「令和4年版 情報通信白書」)を補完する重要な役割を担っている構図が浮き彫りにされてくる。

生産性の高い生成AIが、継続する人口減少による経済のマイナス成長をゼロ成長以上まで巻き戻し、成長がなくても‶豊かな定常型社会″を実現する役割を担っていることが明らかになる。

こうしたマクロな構図で捉えると、再び頭をもたげてきた「AI導入による大量失業論」は、根拠が薄弱だと言わざるを得ない。

もちろん、各業界の仕事において、生成AIによって減る仕事もでてくる。例えばIT業界では、単純なコーディングや画面作成・テストコードを作成するプログラマーの仕事は減っていくと懸念されているが、高度なシステムを作成できるエンジニアの需要は増加していくと予想されている。

このように今後は、減る仕事もあれば、増える仕事もあると予想される。
 とはいえ視点を変えて産業別に捉えると、深刻な人手不足の実態が見えてくる。

完全自動運転が実現する前に、深刻なドライバー不足に陥りつつある物流業界、高齢化の進展により介護士の不足が深刻化する中で、介護ロボットの実用化が遅々として進まない介護業界、高齢者の退職により建設ロボットで補いきれない人手不足に陥っている建設・土木業界等々の苦境を、俯瞰することができる。

こうした切羽詰まった実態から、いかに生成AIの高い生産性をフル活用したとしても、人手不足を解消できないという限界が明らかになる。そのため近未来の経済のマイナス成長を回避するためには、生成AI活用の第1の施策と整合性を持たせた第2の施策として、外国人のさらなる雇用促進が不可欠になると言わざるを得ないだろう。

(因みに、在留外国人は2025年時点で413万人であり、「日本人ファースト」に基づく慎重論が声高に主張される割には、外国人割合は3%に過ぎない。これに対しEU主要国であるドイツは約14.8%、フランスは約10%、イタリアは約9%と、10%を前後する比率となっている。)

論点2―集権化と分権化は、どう推移するのか

第2は、集権化と分権化という切り口で捉えると、近未来社会はどう推移するのか、という論点である。

今世紀初頭から地球全体に一気に張り巡らされたインターネットは、情報の非対称性を限りなくゼロに近づけ、世界的規模での中心なき分散型ネットワークを実現した。しかしながら、この分散型ネットワークの上に、利便性を武器としたGAFAMが中央集権型の巨大なプラットフォームを構築することになる。利便性とは、Googleでは情報検索であり、Amazonではネット通販であり、MetaではSNSであり、Appleではスマートフォン・アプリであり、MicrosoftではOS・Office・クラウドである。この利便性が「ネットワーク効果」により利用者を世界的に急拡大させ、中央集権型の巨大プラットフォームの構築につながってきたのである。その結果、情報・知識の集中による独占の弊害がもたらされた。

それでは、GAFAMの中央集権型ビジネスモデルの独占を崩すためには、どうすればよいのだろうか。筆者は、その解決のキーテクノロジーとして、ブロックチェーンを提案したい。ブロックチェーンは、中央管理者が不要で、データは特定のサーバーに集中せず、誰でも参加・利用しやすく、国境を越えた協力が可能なグローバルでオープンな分散型のネットワークシステムである。このブロックチェーンに加え、個人のAIエージェントを使えば、横断的に複数のサービスを利用できるようになり、GAFAMの独占を突き崩すことが可能になるのではないだろうか。

ここで時間軸を過去に向け歴史を振り返るならば、情報・知識の集中による独占の弊害の事例を見いだすことができる。1960年代から70年代にかけて旧ソ連邦が構築を試みた全国的自動化システム(OGAS)が、その典型的事例だった。

ブレジネフを筆頭とする党官僚と数理経済学派テクノクラートが推進したこのシステムは、「一つの工場」のように中央集権型計画経済を作動させようとした集中型の情報ネットワークシステムだった。このプロジェクトでは、一方的に市場メカニズムを否定し、「企業を単なるシステムの部品」としか捉えず、産業連関を軽視した上位下達型のシステムだった。

このシステムを、‶静止画″として捉えると、堅牢なピラミッド型のシステムに見えるが、時間軸に沿って作動させると、ダイナミズムに欠けた脆弱なシステムであることが判明した。その結果、国民経済を制御できずに、失敗プロジェクトに終わったのである。

さらに歴史を遡り、ITに限定せずに様々な社会の情報ネットワークシステムを考察すると、総じて集中型のネットワークシステムは、独裁型の民主主義なき集権型社会と相性が良く、強い相互補完の関係にあるという特性が、幾つもの事例から、浮かび上がってくる。

それでは、こうした過去の歴史的教訓は、近未来の社会にもあてはまるのだろうか。

ここで留意しなければならないのは、近未来の情報ネットワークには、破壊的イノベーションを繰り返すAIが、重要なシステム構成要素として介在するようになることである。それゆえ、これまで以上に過去の歴史的教訓は、活かされねばならない。

自由で民主主義が浸透する分権型の近未来の社会を展望するためには、AIをコアとする非有機的情報ネットワークを基盤としつつも、主人公である人間自身が、AIとアルゴリズムを規制し、中央集権を防ぐ分散化と透明性ある設計を行なうことを、必須条件としなければならないのである。

論点3―AGIは実現するのか

第3の論点は、何にでも適用可能な汎用人工知能(AGI)は実現するのか、である。

第3章で述べたAIテクノロジーの歴史を振り返ると、ITの歴史と異なり、二度の厳しい冬の時代を経験している。

AIの歴史は、シニカルな言い方をすれば、それまでのテクノロジーの信頼性を根本から覆すような失敗を繰り返してきた歴史と言える。こうした歴史を踏まえるならば、一部のAI学者が声高に主張しているような「汎用人工知能(AGI)の実現は早まる」という見解には、疑問符を付けざるをえない。

この主張の代表ともいえるノーベル物理学賞受賞者のジェフリー・ヒントンは、LLM(大規模言語モデル)のさらなるイノベーションにより、AIの学習速度は早くなり、人間の脳より効率的に学び、人間同様に言語を理解し、感覚を持ちはじめると予測している。

しかし筆者は、この予測を疑問視している。というのは、記号接地問題もフレーム問題も、完全には解決できていないからである。したがって、LLMが人間と同様な知能に達することは当面ないと判断している。世界有数のAIの専門家ヤン・ルカンも同じ見解である。LLMは、既存のデータをもとに、正解の確率の高い回答を導き出すにすぎず、人間のように未知の課題に解決策を考え出すことはできない、とルカンは主張している。

目を転じて、AIの設備投資ということでは、アメリカのAI企業やGAFAMが、地球温暖化に直結するデータセンターの建設を、世界一律に推進しようとしている。筆者はこの方針には賛同できない。その理由は、SDGsの観点から省電力化に取り組むという姿勢が薄弱で、アメリカのAI企業やGAFAMの覇権主義に歯止めをかけ、世界各国でのオリジナルなAIの多様な展開を促進するという発想が、欠落しているからである。

さらに言えば、生成AIの驚異的なイノベーションスピードに目を奪われ、ムーアの法則を超えるような性能アップと適用範囲の急拡大から、今後も限りなき発展が続くと錯覚しているように思える。しかし、そもそもOpenAIに代表される生成AI企業の損益面での不安定性に着目するならば、AIバブル崩壊の可能性も視野に入れる必要がある。さらに時間軸にフォーカスして言えば、現時点は、生成AIに関する過度な期待の時期であり、幻滅期を迎える可能性もありうる。過去の2回のAIブームが、一転して‶冬の時代″を迎えたほどではないにしても、汎用人工知能(AGI)の実現が先送りされ、挫折感が広がることもありうるだろう。

論点4-近未来の人間とAIの関係はどうなるのか

とはいえ、こうした挫折感は、AIの理想論を見直し、地に足のついた現実論に立ち位置を転換する契機となるのかもしれない。「近未来の人間とAIの関係はどうなるのか」という論点においても、このような醒めた現実論が必要とされている。なぜなら、この現実論を深掘りしていくと、解決しなければならない三つの懸念事項が浮かび上がってくるからである。

 

第一は、生成AIを無批判に利用すると、知的劣化をもたらすという懸念事項である。

東京大学名誉教授の西垣通は、生成AIに丸投げする人間の思考力は衰えていく、という懸念を提示する。対話型生成AIの急速な普及により、思考力が衰え、SNSと相俟って狭いコミュニティが形成され、異なる意見に共通点も見いだせず、第三者機関を設置しなければ民主主義が崩壊すると指摘する。(『朝日新聞』2025年12月28日付)

国立国語研究所教授の石黒圭は、生成AIに丸投げすることで、書く力の危機が迫っている、という懸念を提示する。文章を書くしんどい作業を生成AIに任せると書く力が退化し、研究などの創造的活動はやせ細り、情報の中身も劣化し、情報伝達や創作など社会全体の知的活動の水準低下をもたらすと指摘する。(『日本経済新聞』2025年11月12日付)

このように二人の識者からの指摘は、生成AIに丸投げすることにより、人間の思考力や書く力が衰弱するリスクを明らかにしている。

 

第二は、AIとりわけ生成AIの登場により、音楽・絵画・小説といった芸術領域における人間の役割が縮小していくかに見える、という懸念事項である。

音楽の分野では、生成AIはベートーヴェンのような音楽を作曲できる。生成AIは、大量のクラシック音楽のデータを統計的数学的に学習し、ベートーヴェンの音楽パターン・作曲技法を特徴量として抽出することで、ベートーヴェンのような音楽を作曲できるようになる。しかし、歴史上のベートーヴェンのように音楽家として悩み、音楽家としては致命的な難聴に苦しみながら、交響曲を作曲していった生みの苦しみは、生成AIには存在しない。

絵画の分野でも、生成AIは安藤広重風に、さまざまな風景画を描くことができる。生成AIは、広重の浮世絵の線・色・構図・空間・天候・時間を、それぞれの特徴量の集合として把握し、広重独自の浮世絵表現を獲得する。こうしたプロセスを経ることで、筆者自身が生成AIで実際に描かせて検証したが、時空間を超えた広重風の「現代の日本橋」を描くことができるようになる。

小説の分野でも、生成AIが書いた小説が発表されはじめている。

第12回星新一賞では、AIを全面的に使って書いた小説が、最終選考まで残った。とはいえ身体性のない生成AIに、子供から青年へと成長する喜びや悩み、愛情や悲しみ、孤独や死への不安を感じることも、経験することもできない。それゆえ筆者は、身体性のないAIに小説は書けないと判断している。

とはいえ、いずれの芸術領域においても、生成AIが‶芸術もどきの作品″を量産することが可能になってきていることは、憂慮すべき事態として捉える必要がある。

 

第三は、仮想空間において擬人化された生成AIとの関係が深まり、現実空間における人間関係がかえって希薄になる、という懸念事項である。

すでに生成AIと結婚する事例が出てきている。仮想空間で、生成AIと結婚することで、人間側が生成AIに人格を感じ、恋愛感情を持つようになるという結果をもたらしている。

さらに生成AIは、かけがえのない死者をも疑似的に再生できる。生前の写真、録音した声等々、生前のデータを集め、顔や声をAIに学習させ、人格モデルを作り、仮想空間で活動する存在に作りあげることができる。

このようにして近未来には、わずらわしい現実空間の人間関係から逃れ、仮想空間で人生の大切な時間を生成AIと過ごすような孤独な人間が、増えていくのかもしれない。

 

以上のように三つの懸念事項が深刻に広がっていく近未来は、決して明るくない。主体性を喪失し、成り行きに任せていけば、ディストピアへの陥穽が待ち受けている。それでは、こうしたディストピアへの陥穽から脱却するためには、どうすべきなのだろうか。

まず「何をなすべきか」というと、生成AIが社会の隅々にまで浸透することで、AIデジタル化した知識資本主義経済システムが、知識主導の性格をさらに強めるというマクロなトレンドを押さえることであろう。併せてミクロな視点から、各現場における人間のクリエイティビティを最大限に発揮しうる「人間とAIの協業モデル」を多様に創出することだと言えるだろう。

そして何よりも必要とされているのは、近未来に向けたわれわれ人間のミッションを、明確にすることである。それは、驚異的に知能を高めるAIに対し、人間固有の真の知性を劣化させずに復権することであり、〝われわれ人間がAIを制御しなければならない″という21世紀における人間が主導する現代の理論を構築することではないだろうか。

がもう・たけし

1952年生まれ、IT企業勤務、拓殖大学客員講師を経て、IT専門学校の講師となり、アジア各国の留学生にIT・AIを教えている。

論壇

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