論壇

コロナ禍の日韓連帯―韓国サンケン労組の闘い

韓国では組合潰し目的の企業閉鎖、日本では静かな抗議行動を政治的意図で官憲が弾圧

朝鮮問題研究者 大畑 龍次

住宅街で行なわれる静かな抗議行動

東京のすぐ近く、閑静な住宅街にあるサンケン電気㈱(本社:埼玉県新座市)正門前、毎木曜日の出勤時間に幟旗、横断幕、プラカードを持った「韓国サンケン労組を支援する会」の仲間が駆けつける。地域の有力企業として門前の通りは「サンケン通り」と呼ばれている。支援者の訴えが終わると、オンラインで韓国語の訴えが流され、日本語に通訳される。コロナ禍で日本へ入国できない韓国組合員の訴えを伝えているのだ。本社前行動が終わると、最寄りの東武東上線志木駅頭、南池袋の東京事務所へと行動は続く。

志木駅前の街宣 韓国サンケン労組員の似顔絵パネルを掲げて

地元の「韓国サンケン労組と連帯する埼玉市民の会」は月曜日にも社前で抗議のスタンディングを行っている。サンケン電気㈱の百パーセント出資の子会社・韓国サンケン㈱の廃業と整理解雇に反対する行動が繰り広げられているのだ。

その発端は昨年7月9日に出された、日本の本社取締役会のホームページ上の通告だった。子会社・韓国サンケン㈱の韓国人社長さえあずかり知らぬ決定だったという。その数日前には労使協議があったばかりだった。累積赤字を理由にして今年1月20日をもって韓国サンケン㈱を廃業、従業員を整理解雇するというものだった。組合員16人は60か月分という破格の「慰労金」をエサにした退職の攻撃をはねのけ、社前にテント籠城して廃業・解雇反対に立ちあがった。日本本社は予定通り廃業・解雇を強行したが、韓国では組合員が闘い続けている。そのテント籠城闘争は7月13日でまる1年となり、新たな闘いの決意を示すべく、記者会見も行われた。

韓国サンケン労組への支援闘争は今回が初めてではない。2016年に組合員全員の整理解雇が行われ、日本に遠征闘争を繰り広げて原職復帰を勝ち取ったときにも、日本の市民・労働者の支援の闘いが行われた。翌年に職場に戻ったが、そのときには①「生産の再稼働の措置をとる」、②「重大な雇用問題は組合と合意して行う」という労使合意が成立した。今回の廃業・解雇攻撃はこの合意を無視したものだ。また、累積赤字も作られたものだと分かってきた。韓国サンケン㈱に発注されるべき仕事を、組合の合意もなく、外注企業に回したり、2018年に16億円を投資して別会社に生産させたりしていることが判明。コロナ禍をこれ幸いと、組合潰しを画策したことが明らかになった。

韓国サンケン労組の闘いに応えて支援の輪が広がった。日韓双方で支援する運動が広がり、韓国では慶尚南道知事・道議会、昌原市長・市議会、さらに13人の与党議員が日本の本社、外務省、厚労省、経産省に廃業撤回を求める書簡を送った。韓国内ではKBS(日本のNHKに相当)や新聞などで大きく取り上げられている。

1973年に各種の優遇措置を受けて馬山自由貿易地域に初めての海外進出をした日本のサンケン電気㈱は、韓国では、利益を日本に還流させ、組合弾圧を繰り返す「食い逃げ外資企業」との社会的指弾を受けている。もちろん、日本本社はこれらの書簡にダンマリを決め込んでいる。組合は行政機関、サンケン関連会社、日本大使館・領事館への要請闘争を展開中。韓国サンケン労組は、韓国の全国金属という産別組合の一員であり、最大のナショナルセンター民主労総に加盟している。今年2月には民主労総大会で福支会長の金恩享キムウニョンさんが複数の副委員長の一人に当選した。韓国では、韓国サンケン労組の闘いはいまや、産別労組と民主労総の闘いともなっている。

日本の支援運動は、この6月25日に開催される、日本本社の株主総会への取り組みを強化していた。主要株主に要請書を送付し、争議の解決に乗りだせと訴えてきた。この取り組みが行われていた5月10日、本社と埼玉県警は支援する会事務局次長尾澤孝司さんに刑事弾圧を加えた。日本の支援団体はもちろん、韓国の全国金属、民主労総、41人の与党議員の抗議・嘆願書が関係機関に送られたものの、5月31日に「暴行」「威力業務妨害」容疑で起訴され、3か月以上の勾留生活を強いている。この刑事弾圧は「軍事独裁政権時代の70~80年代を彷彿させる」と韓国からも驚きの声が上がる。闘いをつぶそうとする日本本社と警察の弾圧は「火に油を注ぐ」ことになっている。

韓国サンケン労組の歩み

韓国サンケン労組と支援の闘いの概要は以上の通りだが、一部繰り返しになるが、もう少し韓国サンケン労組の闘いを見てみたい。日本のサンケン電気㈱は1973年、初めての海外進出先として100パーセント出資の子会社・韓国サンケン㈱を馬山自由貿易地域に設立した。1961年軍事クーデターに成功した朴正熙軍事政権の時代だった。

馬山自由貿易地域は外資誘導、雇用拡大を目指した最初の自由貿易地域として1973年に設立され、サンケン電気㈱は真っ先に進出した。また、1970年1月には労組結成や活動の制限をする「外国人投資企業の労働組合及び労働争議に関する臨時特例法」が制定されたため、労働者は無権利状態に置かれた。

レイバーネット掲載の「チャムセサン」では、馬山自由貿易地域について、次のように紹介されている。

「輸出地域に入居した企業は所得税・法人税・財産税・取得税などの 租税免除・減免、安い賃貸料(坪当たり月60ウォン、標準工場坪当たり月580ウォン)、 輸出入営業税と関税・物品税全額免除などの恩恵を受けてきた。 彼らは電子・電気・機械金属・化学・工芸・繊維など労働集約的な工場に韓国の20代の女性労働者を低賃金(日本の場合、自国の6分の1水準)で雇用して莫大な利潤をあげた。

また、外国人投資企業の労働組合結成と労働争議を規制する国内法条項を利用して労働者の要求を抑圧し、資本撤収と解雇を武器に労働強度を高めた。日本では『韓国は企業活動の楽園』という言葉があるほどだった。韓国で1987年に労組結成制限法が廃止され、輸出地域に民主労組が生まれて労働者の闘争が活性化すると、外国資本の撤収が本格化する」。

韓国サンケン㈱は、さまざまな特恵、すなわち韓国国民の血税による恩恵を受け、最盛期には600人からの労働者を雇っていた。馬山自由貿易地域の売りは、①5年間税金なし、②輸出手続きの簡素化、③利益の送金可能、④工場の敷地タダ同然、⑤労働力の提供、なかでも安い労働力、とりわけ女性労働者の提供だった。

このような好条件のうえに労組結成制限法のあった1987年までは進出企業はやりたい放題の労働強化を行い、労働者は無権利状態だった。サンケン電気㈱は、その莫大な利益を日本本社に還流させ、今日の業界世界8位というグローバル企業へと成長した。

韓国では1987年6月に全国的な民主化抗争が起こり、大統領直選制などの民主化措置がとられ、全国的に労働組合が雨後の筍のように生まれていった。無権利状態だった馬山自由貿易地域にも労働組合が生まれるようになる。そのため、馬山自由貿易地域から撤退する日系企業も出てくる。1987年には韓国スミダ電気の争議が起こった。韓国スミダ電気労組は遠征団を日本に派遣し、日本の労働者・市民の支援を受けて闘った。

こうした日系企業の撤収と日本遠征はその後も繰り返された。筆者がかかわった支援闘争だけでも、シチズン、シチズン精密、韓国山本などがある。こうして韓国サンケン労組支援の闘いの原型が出来上がった。これらの企業は韓国では、恩恵措置のもとで利益をあげたものの、組合活動が盛んになると、より利益の上げやすい他国に流れていく「渡り鳥」企業といわれた。

韓国サンケン㈱に労働組合ができたのは1989年で、穏健なナショナルセンターである韓国労総に加盟した。しかし、1996年に韓国労総を脱退してより民主的かつ戦闘的なナショナルセンターである民主労総に加盟するや、日本本社・サンケン電気㈱の組合敵視攻撃が始まる。翌年の1997年にインドネシアへの移転攻撃が起こったが、組合の粘り強い闘いによって阻止される。その後、3回の事業部の廃止、7回のリストラ攻撃によって規模縮小を強いられた。

こうした経過を経て、2016年に前述した第一次韓国サンケン闘争が闘われた。それは生産部門廃止とその全員解雇だった。解雇対象者の全員が組合員だったことから、実質的には労働組合潰しにほかならなかった。韓国サンケン労組は、韓国国内はもちろん、日本へ遠征団を派遣して整理解雇に反対する闘いを展開した。韓国の地方労働委員会と中央労働委員会から不当解雇の裁定が出て、韓国サンケン労組は全面勝利して原職復帰を勝ち取った。しかし、闘いを始めた34人の組合員は16人になっていた。韓国スミダ電気労組などの闘いとは違って、韓国からの撤収ではなく、組合員に対する指名解雇であり組合潰しだった。原職復帰の勝利はかつてないものだった。

2017年の勝利から3年経った2020年7月9日の本社取締役会決定を起点として始まったのが第二次韓国サンケン闘争である。その決定は、翌2021年1月20日に子会社・韓国サンケン㈱を廃業・清算するというものだった。そして、そこで働く労働者の雇用関係はその日まで維持するものの、1月20日以降は整理解雇とするという内容だった。

「法令順守」を装うべく、解雇までに6か月の猶予が設定されたのは、労働法違反を犯した第一次韓国サンケン闘争の苦い「教訓」の結果であった。サンケン電気㈱の「教訓」はもうひとつある。それは韓国からの遠征闘争と日本の支援運動の広がりを苦々しく感じていたことだった。日本でのコロナ禍が始まったのは昨年2020年春からで、サンケン電気㈱が廃業・解雇の決定を下した7月は、韓国からの入国が不可能になっていたし、さらに長期化すると思われていた。人類の災禍であるコロナ感染を絶好のチャンスとばかり、遠征闘争が不可能なことを踏んだ上での決定であり、人倫に反する行為だった。

第二次韓国サンケン闘争の特徴

さて、この闘いの特徴をいくつか整理しておきたい。

第一に、韓国そのものからの撤退ではないこと。確かに、韓国サンケン㈱の整理・廃業ではあるが、別の形で韓国市場を狙っているのだ。廃業の理由は累積赤字だったが、次第にそれは「作られた赤字」であることが明らかになった。組合の合意もないまま、外注企業に仕事が出されていたし、2018年に韓国天安市の㈱チフンに16億円を投資して買収し、生産活動を行っていることが分かった。その後、同年12月18日に㈱EKEに社名変更を行った。

この買収は財閥LGとのタッグによるものだった。現在、韓国サンケン労組はLGへの抗議行動も展開しているという。ここから分かるのは、韓国内の生産・販売の必要性がなくなったのではなく、組合活動が活発な韓国サンケン㈱を廃業することによる組合潰しが狙いだったのだ。サンケン電気㈱にとって韓国市場は旨味のあるものだ。サンケン電気㈱の売り上げを国別に見ると、中国(423億円)、日本国内(522億円)に次いで韓国(220億円)となっている。米国やヨーロッパ市場よりも大きいのである。

それは韓国スミダ電気、シチズン、シチズン精密、韓国山本などとは全く違う構造である。LGとのタッグによる事業展開はこれからだと言われている。そうであるならば、1973年からの子会社・韓国サンケン㈱への再投資こそやるべきことだったし、それが2017年の労使合意にかなったことだった。徹底的な労組敵視、組合潰しだった。

第二に、日本における韓国サンケン労組支援には多くの市民が参加していること。労働争議の支援としては稀有なことだが、市民運動がこの闘いに合流している。昨年8月にまず、「韓国サンケン労組と連帯する埼玉市民の会」が組織された。本社のある新座市周辺の市民たちによって組織されている。翌9月には「韓国サンケン労組を支援する会」が組織されたが、ここにも労働組合とともに市民団体が参加している。いずれも第一次韓国サンケン闘争でも組織されたもので、再結成だった。

労働争議でありながら、そこには根深い日韓関係が背景になっていることから、長く日韓問題に携わってきた市民団体が合流しているのだ。この間日韓連帯を続けてきた市民団体には韓国語が堪能なメンバーもいて、それがオンライン遠征闘争を可能にしている。サンケン電気㈱大阪支店に対する抗議行動も組織されているが、そこでも労働組合中心の運動のほかに、市民運動中心の運動も作られている。

また、この間サンケン電気㈱の民族差別的な振る舞いが明らかになっており、それが日本の朝鮮侵略と植民地支配のあり様を思い起こさせ、日韓問題に携わる市民運動の参加に繋がっている。サンケン電気㈱はこの間、韓国サンケン㈱だけではなく、日本国内の統合・整理が行われた。営業部門・工場の売却や廃止だが、日本国内では労働組合とも協議し、雇用優先の措置がとられている。

7月13日 韓国サンケン㈱社前での「闘争文化祭」の様子

日本国内のそうした対応に比べると、韓国サンケン㈱への対応は民族差別的である。韓国からは「もう植民地ではない」「民族差別だ」の声がしきりに上がる。グローバル企業を自認するサンケン電気㈱は、韓国の法律と国民的情緒に配慮した企業活動をしなくてはならない。労働組合活動は法的に認められた権利であり、尊重されなくてはならない。サンケン電気㈱のやり方には日本社会に蔓延している嫌韓意識や見下す姿勢が見てとれる。

第三に、日本の韓国サンケン労組支援運動に刑事弾圧が加えられたこと。日本では非妥協的に闘う労働運動に対する民事・刑事弾圧が散見されるが、そのような攻撃がこの支援闘争にも加えられた。前述したように刑事弾圧は6月25日の株主総会への取り組みが行われていた5月10日、支援する会事務局次長・尾澤孝司さんに「暴行」「威力業務妨害」の逮捕・起訴が行われた。

その数日前に韓国の地方労働委員会が労使協議を勧める勧告を出していた。尾澤さんは韓国サンケン㈱の経営陣が所在不明なことから、日本本社の責任あるポストにその旨を伝えるべく、面会を要求した。ところが、門前の警備員は取り次ぐどころか、進入を阻止しようとし、起訴状によれば「接触」があった。警備室に待機していた本社の総務課職員が埼玉県警に通報し、駆けつけた警察官によって逮捕された。駆けつけた警察官が「あなたが尾澤孝司さんですね」と問いただしたところをみると、狙い撃ちの刑事弾圧だったことがわかる。

尾澤さんはサンケン電気㈱の株主資格を取得して株主総会で「ものいう株主」として韓国サンケン労組の争議について問い糺す予定だった。したがって、尾澤さんの株主総会出席を阻止したい本社と、拡大する日韓連帯闘争を快く思わない埼玉県警・公安の連携プレーというのが刑事弾圧の真相であろう。警察による労働争議への不介入は社会常識だが、それを踏みにじった刑事弾圧だった。

この刑事弾圧は異常だ。5月20日のさいたま地裁における勾留理由開示裁判では埼玉県警をも動員して厳戒体制を作り出した。裁判長は求釈明に一切答えることなく、2名の仲間を退廷させる法廷指揮をとった。その際、法廷に制服警察2名が入ってきて、腕をひねり、蹴りを入れながら、「公務執行妨害で逮捕するぞ」と脅したというから驚きだ。翌21日には、「支援する会」の連絡先になっている中小労組政策ネットワークと尾澤さんの自宅の2か所に家宅捜索を行った。尾澤さんの自宅には癌闘病中のお連れ合いが一人いたが、13人もの警察官を動員し、鍵穴2つを破壊して6時間にわたって捜索を行った。聞くところによると、警察は弁当持参でやってきたという。立っているのもやっとの癌患者を立ち合わせるなど、許し難い所業というしかない。

この刑事弾圧を知った韓国からは、韓国サンケン労組、全国金属、民主労総、与党「共に民主党」の国会議員41名の抗議・嘆願書が送られてきた。与党の国会議席は180人なので、23%の議員が名前を連ねたことになる。日韓双方から抗議・嘆願が出されたにもかかわらず、検察は5月31日、「暴行」と「威力業務妨害」容疑で不当起訴を行った。起訴状によると、「威力業務妨害」とは、警備業務を妨害したというもの。「暴行」だけでは裁判維持さえ難しいとの判断が見え隠れする。尾澤さんの警察留置所での勾留がひと月半を超えている。この刑事弾圧は、「西の関ナマ、東のサンケン」と言われているという。

親会社責任を問い、刑事弾圧をはね返す

韓国サンケン労組支援の闘いにはいま、ふたつの闘争課題がある。ひとつは、日本のサンケン電気㈱本社を社会的に包囲し、争議当事者として韓国サンケン労組との話し合いのテーブルに引っ張り出すことだ。本社は人事、発注を全的に支配していたし、争議の発端が本社取締役会の決定であったのだから、親会社としての責任は免れない。

もうひとつは、刑事弾圧を受けた尾澤さんの早期釈放を実現し、裁判闘争を通じて本社の悪辣さを明らかにするとともに、尾澤さんの無罪を闘い取ることである。ふたつの闘いをしっかり結びつけることが求められている。この株主総会において争議の張本人である和田節(たかし)社長は会長となり、新たに高橋広氏の社長就任が行われた。和田社長のもとで争議解決はできなかったが、取締役員会の決定に関与していた高橋広新社長の責任も免れない。争議は2年目に突入し、一層の支援の広がりが求められている。

おおはた・りゅうじ

1952年北海道生まれ。朝鮮半島や東アジアの研究に従事。朝鮮半島、中国に関するレポート、論考多数。韓国、中国でも居住経験。バンプ『朝鮮半島をめぐる情勢と私たち』(完全護憲の会)。共訳書として『鉄条網に咲いたツルバラ』(同時代社)、『オーマイニューの朝鮮』(太田出版)など。ブログ「ドラゴン・レポート」主宰。

論壇

第27号 記事一覧

ページの
トップへ