この一冊

『反日種族主義-日韓危機の根源』(李栄薫編著/文藝春秋/2019/1760円)

反・この1冊―「世界人」を自称する詐欺師にだまされてはいけない

出版コンサルタント・本誌編集委員 黒田 貴史

『反日種族主義-日韓危機の根源』

『反日種族主義-日韓危機の根源』(李栄薫編著/文藝春秋/2019/1760円)

ここは、本来ならおすすめの1冊を紹介する場だが、今回は趣がちがう。今回は、読んでも時間と小遣いの無駄にしかならない本を紹介する。

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『反日種族主義』日本語版(以下、本書)が刊行されたときには話題になったことを覚えているかたも多いだろう。文藝春秋社のウェブサイトでは2020年1月に40万部が売れたと公表している。日本語版は翻訳だが(とはいえ、だれが訳したのかは記載されていないという不思議な翻訳書)、オリジナルの韓国語版は11万部を売り上げたようだ。

私は、本書が出版されたときには、新手の嫌韓本のひとつと思い、そのまま過ごしていたが、自宅近くにできた区の中央図書館で目についたので、読んでみることにした(この文章を書くためにしかたなくその後購入)。思いつくまま、世に言われるままの韓国嫌いのことばや情報を並べた嫌韓本に比べれば、経済史を中心にした学者センセーたち6人が書いただけあって、それなりに研究成果を盛りこんだという体裁をとっている。

しかし、本書の冒頭を読んで、思わず笑ってしまった。

「韓国の嘘つき文化は国際的に広く知れ渡っています。2014年だけで偽証罪で起訴された人は1400人です。日本に比べ172倍だといいます。人口を考慮すれば、一人当たりの偽証罪は日本の430倍になります」(李栄薫・プロローグ嘘の国)。

こういった具合にいかに韓国人は嘘つきだらけかという記述が誣告やら保険詐欺などの数字をつかって並べたてられている。一国の総理大臣が堂々と国会で嘘や法律違反を公言しても何も裁かれない国と比べてもあまり意味がない数字ではないかと思ってしまうが……。それはさておき、冒頭から自己否定とは驚きだ。この文章をすなおに読めば、「韓国人は嘘つきだ。嘘つきのいうことを信じてはいけない。ということは、この本の著者たちも韓国人なので、この本の内容は嘘だらけだ」ということにならないか?

この問題には、後段でじつに見苦しい回答が用意されている。

「私は大衆の人気に神経を使わなければならない政治家ではありません。一人の知識人です。真の知識人は世界人です。世界人として自由人です。世界人の観点で自分の属する国家の利害関係をも公平に見つめなければなりません」(李栄薫・12独島、反日種族主義の最高象徴)。

この本の著者たちは知識人であり、世界人だから「嘘つき韓国人」とはちがうといいたいらしい。冒頭で「自己否定」かと思いきや、鼻もちならないエリート主義で自分たちだけは別だと開き直る。「みんな悪霊にとりつかれている嘘つきだらけだ。しかし、私だけは悪霊を見抜くことができた。だから、まっとうな人間になりたければ私を信じなさい」。かなり危険なカルトの臭いがしてこないだろうか。

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この本の著者・世界人たる知識人たちは、主に経済史の研究者たちだ。韓国の経済史と出てくれば、次に登場するキーワードは「植民地近代化論」となる。日本の植民地支配は、韓国の近代化に貢献していて、戦後韓国の経済発展の土台を築いたという。「日本帝国主義による朝鮮植民地支配」は、「国を奪い、ことば(文化)を奪い、人を奪い」とかつていわれた朝鮮植民地支配に対する理解を経済分析を軸に批判し、経済成長を促し、近代化を押しすすめたという。

この議論は本書でも登場する。「金洛年・4日本の植民地支配の方式」を見てみよう。

この章の著者は、はじめに次のように書く。「日本の植民地支配は同化主義を追求していました」。ただし、ここでいう「同化」は、朝鮮人に対する「皇民化」とはちがう意味で使っているようだ。「植民地に日本の制度を移植し、できるだけ二つの地域を同質化させ、究極的には日本の一つの地方として編入しようとしたのです。朝鮮を、完全に永久に日本の一部に造り上げようとしたのです。このような方針は当時、日本列島の西側にある二つの島の名前を取って、『朝鮮の四国・九州化』と表現されたりしました」。

つづいてこう書いている。「政治面から見ると、朝鮮人の政治的権利が認められず、朝鮮人に対する抑圧と差別が続いたため、このような同化主義は植民地支配を合理化するための掛け声に過ぎませんでした。しかし経済面から見ると、日本の制度がほとんどそのまま朝鮮に移植され、地域統合が成される段階まで進んだと言えます」。

政治的には不当だが、経済的には恩恵がもたらされたということか。折れ線グラフ(ここでは省略する)を使って「輸出と輸入が国民総所得(GNI)との対比で……植民地期に10パーセントから30パーセントまで急速度で高くなっているのが分かります。これは解放後の高度成長期の輸出依存度の上昇に匹敵するものでした。解放後は工業製品の輸出が高度成長を牽引する役割を果たしたことはよく知られています。解放前は農産物の輸出の比重が高かったという差はありますが、輸出の主導で経済成長が成されたというパターンは、解放後と違いません」と韓国経済の成長の基盤を植民地期の経済がつくっていると説明している。

たしかに植民地支配している側から見れば、植民地を経営するためには経済成長させなければ意味がない。商売がうまくいっているレストランが支店を開いたときに支店も儲けさせて上がりを上納させなければ業務を拡張する意味はない。経済合理主義を貫けば、植民地経済を拡大させることは当たり前のことだ。

ただ、経済をマクロからだけ見ればいいのか。日本が植民地朝鮮につくったインフラのひとつに鉄道の敷設がある。では、経済発展させるために鉄道をつくったからいいことなのか。ここで、歴史は空間的にも把握する必要があることがわかる。鉄道をつくり、駅を開く。さて駅前はだれが使うのか。朝鮮の鉄道駅の多くはその周辺の日本人街開発とセットだった。つまり「朝鮮人の政治的権利が認められ」ないから、新しく鉄道をつくってもそこからより多くの利益をあげる構造をつくりあげたのは日本(日本人のため)だった。

じつは、この章は本書のなかでは例外的に、経済(マクロ、本人はそういってはいないが)から見れば、という視点・抑制がきちんと利いている。

50~60年まえには、日本の植民地支配を断罪するために、「国を奪い……」のような暴露的な物言いによってその性格を表現しようとしたところもあっただろう。私が会った満洲国の鉱山技術者だった日本人は、よく言われる奴隷鉱山という表現に激しく反発していた。「鉱山は石炭を安全により効率よく掘らなければ経営できません。中国人を奴隷のように働かせて安全で効率よく石炭が掘れますか」。政治的な権利がなかったとはいっても、毎日が「関東大震災」や「南京虐殺」の日々だったわけではない。こうした過去の言説の行き過ぎについては実証的な研究が誤りを正していけばいい。

かつては「朝鮮人の名前を奪った」といわれた1939年の創氏改名についても、その後の実証的な研究によって「名前を奪った」だけのものではなかった実態が明らかになっている。徴兵のための地ならしであり、より言えば、天皇の朝鮮訪問を見こして自己の点数稼ぎのために朝鮮総督だった南次郎が導入したことも明らかになっている(宮田節子ほか『創氏改名』、水野直樹『創氏改名――日本の朝鮮支配の中で』)。逆に言えば、植民地支配にグランド・デザインがあったわけではなく、ときどきの総督の功績争いで実行された政策のひとつだった。総督の功績争いで名前を奪われた人びとの怒りは当然だ。「名前を奪った」というような掛け声の理解よりもひどい植民地支配の実態が明らかになっている。

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おそらく本書が4章のような文章・研究だけが並んだものだったら、たいして注目もされなかっただろうし、11万だ、40万だという売れ行きにはならなかっただろう。やはりなんといっても、本書の「売り」は「反日種族主義」という名づけにあるだろう。「反日種族主義」とはなにか。本書の中心人物に耳を傾けてみよう。

「人が嘘をつくのは、知的弁別力が低く、それに対する羞恥心がない社会では、嘘による利益が大きいためです。嘘をついても社会がそれに対し寛大であれば、嘘をつくことは集団の文化として広がって行きます。ある社会が嘘について寛大だと、その社会の底辺には、それに相応する集団の心性が長期にわたって流れるようになります。その流れているものは、一言で物質主義です」。金と地位こそがすべてという価値観、それが物質主義であり、韓国社会に浸透しているという。

「長期的かつ巨視的に物質主義の根本を追究していくと、韓国の歴史と共に長い歴史を持つシャーマニズムにぶつかります。シャーマニズムの世界には善と悪を審判する絶対者、神は存在しません。……シャーマニズムの集団は種族や部族です。種族は隣人を悪の種族とみなします。……ここでは嘘が善とし奨励されます。嘘は種族を結束させるトーテムの役割を果たします。韓国人の精神文化は、大きく言ってこのようなシャーマニズムに緊縛されています。より正確に表現すると、反日種族主義と言えます」(李栄薫・プロローグ嘘の国)。

冒頭の嘘つきの話は、最後にはとうとうシャーマニズムに行きつく。つまり韓国の反日はシャーマニズムの発露だという。シャーマニズムに支配されている韓国人、さぞかし嫌韓本大好きな日本の読者はそもありなんと思ったことだろう。それでは、本書の編者がいうとおりシャーマニズムであることの証明はどこにあるのか。

シャーマニズムともっとも関連が高い部分は、「金容三・13鉄杭神話の真実」だろう。「『植民地時代に日帝は朝鮮の地から人材が出るのを防ぐため、全国の名山にわざと鉄杭を打ち、風水を侵略した』。今まで我々社会では、このような話が伝説のように口伝されて来ました」という。そして、それ以前は民間の運動に過ぎなかった鉄杭除去が、金泳三大統領時代の1995年に「光復50周年記念力点推進事業」として各地の鉄杭除去事業が国策として実行されることになった。

しかし、1995年はいったいいつか。すでに四半世紀も前のことだ。しかも、韓国の国民全員がこぞって鉄杭除去の運動を推進してきたわけではない。たとえば、2000年に刊行された朴裕河の『誰が日本を歪曲するのか』(邦訳、『韓国ナショナリズムの起源』河出書房新社)で「『鉄杭』事件を考える」で「民族精気抹殺論」を批判している。

本書では、鉄杭とあわせて金泳三大統領時代の総督府建物の解体が取りあげられている。当時、金泳三大統領は1993年の政権発足と同時に、当時、国立博物館として使われていた総督府の建物を「日帝の蛮行」の遺物といって攻撃をはじめた。民族の精気を断ちきるようにしてつくられたという風水家たちの主張を借りることで「総督府の建物を撤去しようという世論を爆発させるきっかとなりました」という(金容三・14旧総督府庁舎の解体)。しかし、この問題も私が複数の韓国人(民主化運動に参加)に聞いたところでは、「爆発」するようないい方ではなく、「解体しても歴史がなくなるわけではないでしょう。むしろ負の遺産として場所を移して保管するほうがいいです」といっていた。

鉄杭や総督府建物の解体など、四半世紀も前の問題、しかもいずれも風水学に基づくものをなぜいまもちだすのか。「反日種族主義」とはシャーマニズムだという自分たちの主張に合うものを選んで並べているのではないか。往時の韓国国民のあいだでも鉄杭除去や総督府建物の解体に「爆発」するような同調があったとは思いがたい。ここで紹介したように異論もいくらでもあった。

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本書は、日本語版刊行にあたって産経新聞編集委員・久保田るり子の解説が付されている。本書の解説ではその語は使われていないが、産経新聞は「歴史戦」と称して「慰安婦問題」での朝日新聞の論調や国連のクマラスワミ報告をねつ造だとして、そうしたねつ造とどう戦うかについての論説を展開している。本書もそうした「歴史戦」の一角にたつものと考えられているのだろう。

「2003年3月1日の盧武鉉大統領の演説を李栄薫氏は決して忘れない。『我々の近現代史は先人たちの尊い犠牲のにもかかわらず、正義は敗北し、機会主義者だけがはびこった』と、大韓民国の建国史を全面的に否定するものだった。……李氏は、このときから憤然と活動を開始した。まず親日批判と左傾化偏向が目立っていた近現代史教科書を是正する運動『教科書フォーラム』を立ち上げた」(解説)。解説者は日本の「新しい歴史教科書をつくる会」を思い出しているのだろうか。

しかし、こうした「歴史戦」でくり出される議論は、はたして生産的な論争になっているのだろうか。「歴史戦」をしかける相手、主流の歴史理解に対して数字のまちがいのような断片的なことがらをとりあげることで、まるですべてがまちがっているという。

関東大震災の朝鮮人虐殺について書かれた『関東大震災朝鮮虐殺の真実』(工藤美代子)などは、その典型といえるだろう。虐殺された朝鮮人が6000人以上といわれてきた数字の疑問点をとりあげて、あたかも虐殺などない、あったとしてもごく少数にすぎなかったという。しかし、この数字については、創氏改名と同様に実証的にとりあげて数字を訂正しようとする研究がすでに行われている(『関東大震災時の朝鮮人虐殺とその後』山田昭次など)。

あるいは、工藤は、虐殺したことを正当化するかのように朴烈・金子文子裁判をもちだしているが、そもそもこの裁判は、歴史研究の成果で、当時の日本の官憲が朝鮮人虐殺を正当化するために皇太子暗殺の陰謀をでっち上げたものということが明らかになっている。つまり、虐殺を正当化しようとしてこの裁判をもちだすこと自体が本末転倒なのだ。ところが、この本をもちだして小池百合子都知事が「こういう説もある」といって朝鮮人犠牲者追悼式典への追悼文拒否という事態にまで至っている。

こうした「歴史戦」を見ていると、最近、新手の授業スタイルとしてもちあげられる「ディベート」を思い浮かべてしまう。オリンピックの是非などの争点を決めて、賛成・反対に別れて議論しあい、その場でどちらに説得力があるかを競いあう。ディベートが得意な学生たちは「相手の主張をつぶす」といういい方を好む。まさに「つぶす」ということばによく現れるように、ことの真偽が問題ではなく、その場にいる参加者に対して自分たちの主張を上手にアピールすることが眼目になる。それはオセロゲームのように白か黒かのゲームでしかない。議論を通してものごとを決めていくための訓練という点で意味のある授業スタイルではあるが、こうした方法を歴史にもちこむことには違和感しか覚えない。

歴史の探究とは、数字のまちがいや「性奴隷のはずだった慰安婦が買い物に出かけていた」などのやや例外的な記録をもちだして、すべてをひっくり返そうとするようなゲームに単純化することはできない。つまりは、本書もそうした都合よくかき集められた断片の集合にすぎない。

結論。「世界人」などと名のる詐欺師の嘘にだまされてはいけない!

〔なお、本書の個々の章の嘘については、『歴史否定とポスト真実の時代――日韓「合作」の「反日種族主義」現象』(康誠賢、大月書店)などを参照してください〕

くろだ・たかし

1962年千葉県生まれ。立教大学卒業。明石書店編集部長を経て、現在、出版・編集コンサルタント。この間、『談論風発 琉球独立を考える』(前川喜平・松島泰勝ほか、明石書店)、『智の涙 獄窓から生まれた思想』(矢島一夫、彩流社)、『「韓国からの通信」の時代』(池明観、影書房)、『トラ学のすすめ』(関啓子、三冬社)、『ピアノ、その左手の響き』(智内威雄、太郎次郎社エディタス)などを編集。本誌編集委員。

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