コラム/沖縄発
沖縄併合50年へ
詩人・批評家 高良 勉
1.今年から始まっている 沖縄併合50年へ
来年は、沖縄の施政権返還・日本復帰・沖縄処分・沖縄併合から50年目を迎える。もう半世紀も経ってしまったのだ。復帰の日の1972年5月15日は、朝から豪雨であった。人々は「沖縄の天も泣いている」と言っていた。
私は、その日の午後から那覇市の与儀公園で開かれた沖縄県祖国復帰協議会(復帰協)が主催する「沖縄処分抗議、佐藤内閣打倒、五・一五県民総決起大会」に参加し、国際通りを中心とするデモ行進をした。身も心も、ぐしょぐしょに濡れていた。
この72年沖縄返還を、日本政府や多くのマスコミは日本復帰、領土返還として祝賀していた。しかし、沖縄のマスコミや大部分の人々は「沖縄処分」、「沖縄併合」と捉え抗議していた。
あれから50年。沖縄では、マスコミによる特別番組や、諸団体による「日本復帰50年の総括、点検」のシンポジウム等が始まっている。私たちも、6月6日(日)に「11.10ゼネスト松永裁判50年&近田洋一・月桃の集い」を企画し、宜野湾市の佐喜真美術館でシンポジウム「ゼネスト50年 私の場合」を開こうとした。しかし、この催しはコロナウィルス禍の緊急事態宣言のため中止せざるをえなかった。それでも、集まった20名ぐらいで緊急の「討論集会」を持った。また、20名余で「私の場合」の原稿を集め冊子を編集している。その「討論集会」の内容も収録する予定である。
私たちは、72年沖縄返還を日米政府による沖縄住民の「即時無条件全面返還」要求や「沖縄返還協定反対・やり直し」という声を無視した「沖縄処分」、「沖縄併合」と捉えていた。それ故、71年5月19日と11月10日の二度の「沖縄返還協定粉砕」のゼネストを高く評価している。したがって、72年沖縄併合の「総括、点検」は、71年ゼネストを抜きにしてはあり得ないと思っている。
一方、私は8月22日に「命どぅ宝 琉球の自己決定権の会」主催の講演を依頼されている。その時の演題は「日本復帰50年・沖縄解放闘争の継承と克服」を予定している。この中で、日本復帰運動の中にあった沖縄解放闘争への偉大な成果の歴史を明らかにし、その継承を訴えると同時に、運動の誤りやその限界の克服の方向性を、共に考えようと思っている。
2.運動と文学を両輪にして
さて、沖縄併合から50年が経ってしまった。この50年も、予想していたとは言え、琉球弧と私にとって苦難・苦闘の連続であった。私は、76年に留学先の静岡大学を卒業して沖縄に帰るときに、住民運動、社会運動と詩と批評・文学文化活動を担うことを決心していた。
私は、78年に沖縄県立高校の理科教諭に採用された。と同時に沖縄県高等学校障害児学校教職員組合(高教組)に加入し労働運動に参加するようになった。高教組運動で、歴史的に大きな闘いは81年の「主任制反対」運動と、86年の「日の丸」「君が代」強制反対闘争であった。私は、学校の分会長や役員をやって闘いの先頭に立った。
また、住民運動、社会運動では76年からの金武湾反CTS闘争、80年からの琉球弧の住民運動交流合宿運動に参加した。そして、82年から一坪反戦地主運動、84年から「六・二三国際反戦沖縄集会」や「被差別少数者会議」を組織してきた。87年からは、八重山―白保の海と暮らしを守る会・新石垣空港反対運動に合流した。社会運動では、94年琉球アイルランド友好協会を結成し、95年アイヌ・モシリとウルマを結ぶ会を組織した。そして、2013年には琉球民族独立総合研究学会の結成に参加した。
さらに、97年からは名護市辺野古への新基地建設反対闘争が全琉的に本格化し、現在に至っている。その過程で、東村高江へのヘリパット建設反対運動や、普天間基地・沖縄へのオスプレイ配備反対運動にも関わってきた。かてて加えて、近年は奄美群島、宮古島、石垣島、与那国島への自衛隊基地新設・配備が強行され、各地の住民運動の反撃に遭っている。沖縄併合50年、琉球弧は正に日米両軍の軍事要塞、対中国・台湾への前線基地へ転化されようとしている。それらに抗う住民運動、社会運動から、私は離れるわけにはいかないし、離れようとは思わない。
他方、詩と批評・文学文化活動は、語っても語り尽くせない。まず、同人誌活動だけでも、72年に『芃乱』、77年に『ションガネー』を創刊してきた。また、84年には月刊誌『OKINAWA1984』を1カ年刊行した。そして、97年には『KANA』を創刊し現在27号に至っている。
その間には、85年に個人詩誌『海流』を発刊し、また93年に新沖縄フォーラム『けーし風』に参加し編集委員になった。さらに、2000年には『うるまネシア』を創刊し現在に至っている。21年現在、『けーし風』は第111号、『うるまネシア』は第23号まで発刊されている。72年から50年間、休むこと無く同人誌活動を継続している、と言っていい。
それらの中から、79年第一詩集『夢の起源』をはじめ、20年の第十詩集『群島から』まで10冊の詩集を上梓することができた。また、88年の第一評論集『琉球弧・詩・思想・状況』から、15年第五評論集『言振り』までを出版した。その他、『沖縄生活誌』(岩波新書)等3冊の単著を上梓した。さらに、共編、共著の本が多数ある。
3.日米の植民地からの解放
この50年間の苦闘から、確実に視えてきたことがある。それは、72年沖縄併合から琉球・沖縄は日米両国の植民地になった、ということだ。しかも、不断に軍事植民地として支配されようとしている。日本政府が、琉球を植民地にしていることは、基地問題や教科書問題等、諸問題で県知事や県議会が全会一致で反対しても全く聞く耳を持たず、県民大会や県民投票で大多数の反対の民意が表明されても、無視して強行してきた事実を見ても明らかである。琉球弧には日本の民主主義や国民主権、自己決定権は無く、植民地主義がまかり通っているのだ。
したがって、今後の琉球弧の闘いは明確に日米両国の軍事植民地化に焦点を絞って闘う必要がある。この住民運動、社会運動は、これからも苦闘を強いられるだろう。しかし、脱植民地、植民地解放、住民の自己決定権の行使、先住民族の自治、独立等は、押しも押されぬ現代世界の思想と政治の一大潮流である。そして、日米両政府による琉球弧の軍事植民地化に反対する勢力は、中国、朝鮮、韓国をはじめ、アジアでは多数派である。
沖縄併合50年間の日々は、苦しい闘いの連続であった。しかし、私は主に住民運動、社会運動と詩と批評・文学文化活動を両輪にして進んで来た。マルクスの「哲学者たちは世界をたださまざまに解釈してきただけである。肝腎なのはそれを変えることである」(フォイエルバッハに関するテーゼ)を心の支えにして。
私たちの一歩一歩の努力は、50年間に大きな実りをもたらしている。それはきっと、これから子々孫々に受け継がれて行くはずだ。
たから・べん
詩人・批評家。沖縄大学客員教授。1949年、沖縄島南城市玉城生まれ。日本現代詩人会会員。日本詩人クラブ会員。詩集『岬』で第7回山之口貘賞受賞。2012年、評論集『魂振り』で沖縄タイムス芸術選賞大賞・文学受賞。著書に、第7詩集『絶対零度の近く』、第8詩集『ガマ』、第10詩集『群島から』、NHK生活人新書『ウチナーグチ(沖縄語)練習帖』、岩波新書『沖縄生活誌』、第4評論集『魂振り―琉球文化・芸術論』、第5評論集『言振り―詩・文学論』など多数。
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