論壇

労働は時間と切り離しては成立しない

「成果主義」は労働者を「個人請負」につなぐ道筋だ

東京統一管理職ユニオン委員長 大野 隆

経団連が「働く場所・時間を本人に委ね、時間外割増しを払わない」労働時間制度を実現すると言っており、実際裁量労働制を大幅に拡大する法案が準備されている。要するに、彼らの目標としては、労働者の時間管理を完全に外し、請負で働くのと同じ効果を得ようとしているようだ。これまで労働時間規制がどんどん緩められてきたことの結果がそこに結びつく。ウーバーイーツなどが「個人事業主」として扱われるのも、労働時間管理を徹底して外したことの結果だと考えられる。

イタリアなどヨーロッパでは、配達員の「時間給」を「出来高払い」に変えようとしたのに対して、「大雪のストライキ」などでそうした動きに反対する運動が広がり、一定の歯止めがかかっているようだ。しかし、日本では逆にプラットフォーム企業が隆盛になり、「個人事業主」を増やす方向にある。今改めて、働き過ぎを認めないのはもちろんのこと、労働時間で労働者を評価することの重要性を考えたい。

「ウーバーイーツ」労災保険特別加入―本当の解決とは別方向だ

厚生労働省・労働政策審議会第98回労働条件分科会労災保険部会は、去る6月18日、個人事業主とされている宅配代行業「ウーバーイーツ」などの自転車配達員と、ITエンジニアを、新たに労災保険の特別加入の対象とする省令案を了承した。9月1日から運用を始める予定だという。

通常、雇用関係のない個人事業主は労災保険に加入できない。ただ、特別加入すれば、保険料を自己負担することによって、普通の労働者と同じように、業務上のけがなどについて補償を受けられる。

東京新聞が伝えるところによると、「自転車配達員は約9万人、ITエンジニアは17万~25万人程度いる。配達員は交通事故のリスクが高く、ITエンジニアは長時間のデスクワークで腰痛などが多いという報告がある。ただ特別加入の利用が増えるかは見通せない。特に自転車配達員が自己負担する保険料は、年間約1万5000~10万9000円と、ITエンジニアの4倍だ。部会では、労働者代表の委員が『掛け金がネックになり加入者が少なくなっては意味がない』と指摘。仕事を請け負う際の契約金額に保険料を上乗せするなど、配達員が負担をしなくてもよい仕組みの導入を訴えた」とのことだ。

ただ、ウーバーイーツの自転車配達員は、事故が多発し、かつ重大労災が多いので、通例の特別加入は保険料が一律だが、ウーバーイーツについては保険料を引上げるべきだと、逆の意見も出たそうで、これで問題解決といえる状況では、全くない。

この問題の根本は、ウーバーイーツの配達員が、ほぼ100%会社の指揮命令に従って働き、事故もその結果として起きているにもかかわらず、「個人事業主」と扱われて、普通に労災保険に加入できないところにある。言い換えれば、労災保険には当然のこととして使用者側の保険料負担もあるので、ウーバーイーツの会社はその負担を免れて利益を上げているということになる。

このように、労働者を「個人事業主」として扱い、資本・使用者が雇用にかかわる責任や負担から逃げる傾向がどんどん強まり、将来は労働者保護を極力取り外す方向へと進んでいるのではないかと、以前にも本誌に書いたことがある(本誌16号「高プロ・非雇用が「労働者」を駆逐する!」)。

労働は時間と切り離せない

働く者を「労働者」として扱わないことは、ウーバーイーツの例によるまでもなく、資本・使用者が労働者保護に伴う負担を免れることによって利益を得ることにつながる。しかし、正面から「お前は労働者ではない」と言えないので、「労働を成果で評価する」などと言って、時間をかけて行われる労働そのものとその結果を切り離す。そうすると、時間で測られる労働量が見えなくなり、結局長時間労働やサービス労働が当たり前のことになってしまう。だから、労働と時間のリンクを切り離すことは、労働者にとって致命的な問題になる。

実際、労働現場では、労働と時間を切り離す動きが急速に強まっており、「労働を時間ではなく成果で評価する」などと、したり顔で言う経営者がますます増えている。とりわけコロナ禍で「在宅勤務」が強調されたりして、その傾向があおられている。しかし、労働は時間と切り離しては評価できないし、一方で「エッセンシャルワーク」は時間管理こそが重要な課題である。

1990年代から始まった労働法制の改変(実態は改悪!)は、労働基準法にダブルスタンダードを持ち込み(企業規模によって労働条件の最低基準をいくつもつくったりした)、変形労働時間制を多様化して、さらに時間外労働規制を複雑にした。

たとえば、変形労働時間制では、一定の期間を過ぎないとそもそも残業をしたかどうかが分からない、あるいは週単位の規制が入ったために、すぐには残業になっているかどうかも分からない、などといったことが起こる。

こうした経過については、戦後5年に1回ずつ時間法制が改悪されてきたことを指摘したが(本誌20号、「働き方改革」は戦後労働法破壊の総仕げ」 )、その経過に従って労働と時間の関係が切り離され、今や「雇用によらない働き方」が推奨されることになっている。

一方、1990年代の同時期から、当時の日経連の「新時代の『日本的経営』」によって急速に非正規労働者が増加し、派遣法の度重なる改悪もあって、雇用の不安定化・非正規化が急速に進んだ。労働時間規制を緩めることによって「細切れ雇用」とも言うべき不安定な雇用が当たり前のものとなり、最近では「ちょっと空いた1時間で、今いる場所のすぐそばでアルバイト!」などとラジオコマーシャルが流される事態になっている。今や労働者全体の4割近くが非正規雇用であり、とりわけ女性ではその比率が6割を越えている。

こうしてみると、現在の大部分の非正規労働者の不安定・低賃金労働は、ここ30年間の政府・資本による政策によってもたらされたことが明らかだ。一方で、本来労働時間規制から始まったはずの労働運動自体が、その問題に対する関心を弱めているのではないか。メーデーは8時間の労働、8時間の睡眠、8時間の自由を求めて始まったというが、この100年以上で、むしろその実現は遠のいたと言えるかもしれない。

多くの(複数の)労働者が一緒に働くという契機がどんどん失われ、労働は個人が行ない、個人の成果で評価(カウント)されるという考え方が広まっている。それによって集団的な労使関係への関心が薄れてもいる。

そして、その結果でもあるが、労働時間を管理すること、長時間労働を規制する闘いが弱められている。高度プロフェッショナル制度がその極みだが、これは長時間労働を伴ってじわじわと広がっている。具体的に「企画業務型」として法案が準備されている裁量労働制の拡充も、資本・使用者側の意向に沿って、進められようとしている。長時間労働のみならず、サービス残業を無くすこともなかなかできないでいる。「過労死」が特別な言葉ではなくなっている異様な時代なのだが、制度で見ると「固定残業代」など、それに輪をかけるかのような資本の動きも強い。

裁量労働制の適用対象の拡大を許してはならない

この6月25日には裁量労働制について専門家検討会が調査結果を公開した。2018年の国会で、上西充子教授の指摘などから立法根拠となるデータに不正があったことが明らかになり、法案は撤回されたが、「調査やり直し」をしたとして、「企画業務型」とされる裁量労働制の拡張を狙っている。いつ労政審で議論が始められてもおかしくはない。

労働組合なども反対の準備をしており、「企画を提案する営業」などがその仕事の内容とされるが、これが認められると、労働時間管理をされない(つまりは長時間労働を強いられる)労働者の範囲が極端に広がる。ますます時間と切り離して管理される労働者が増えることになる。

日本経団連は21年1月発表の「経営労働委員会報告」で、「新しい労働時間法制」の採用を提起した。雇用共同アクションのまとめによると、一定の健康確保措置を条件に、業務遂行の手段・方法を労働者本人に委ねることを要件として、「働く場所・時間帯をすべて本人に委ね」「時間外労働に対する割増賃金支払い義務が免除される法的効果を付与する」労働時間制度を実現すると言っている。健康確保措置としてあげられているのは、四半期ごとの医師の面接指導、複数月で長時間労働になった場合の除外、労使委員会による就労状況のデータでの確認と改善の審議、健康や仕事の成果についての相談窓口の設置などに過ぎない。

しかも「高度プロフェッショナル制度」とは異なり、対象者の年収要件などはなく、「すべての働き手が適用対象となりうる」とされている。労働者の交渉力が最も弱い採用時に、この制度に合意する人だけ労働契約を結ぶというやり方で、労働時間規制の適用除外を半ば強要することが可能となってしまう。

さらに、数年前とは様変わりして資本側からも「兼業・副業」が推奨されている。言ってみれば、直接の雇用主が労働者の生活維持に責任を持たないということが公認されるということである。労働者は自律して一人で生きていけということであり、資本・使用者を免責することになる。私たちは、こうした動きを原理的に批判することを怠ってはならない。

結局、労働者は自分の責任で生きていけ、資本・使用者に責任はないということであれば、資本に対抗する労働組合は役に立たないし、不要になる。現在の労働者保護法制も要らないということになるだろう。労働を時間と切り離した究極の姿は、労働者が全てフリーランス(個人事業主扱い)ということになってしまうのではないか。そんな「労働者」は、どれだけ働いても、それは自己責任で生活せよということになってしまう。

現に、あっと言う間に兼業・副業が広がり(厚生労働省がガイドラインを作って「普及」させようとしている)、典型的には、冒頭に述べたように、(プラットフォーム型の労働の典型的な形で)「ウーバーイーツ」が「個人事業主」として急拡大している。

もう一方には「エッセンシャルワーク」が、実質的には長時間・低賃金労働としてはっきり見えてきている。労働組合の立場から言えば、ここでの運動を確立することが、労働時間管理をはずそうとする資本・経営に対する反撃のポイントになる。

労働と労働時間を切り離す事態という、今私たちが感じている「不安」は、将来それなりに保護された「労働者」が存在しないことになることにつながると見るのは、あながちあり得ない悲観的な将来予測ではあるまい。こうした観点から、労働時間問題に取組み、それを規制することが労働組合の大きな課題となっており、それを運動の中心にしなくてはならない。

アニメーターの働き方

以上のように、あらゆる労働者が「個人事業主」にされるのではないかと、悪夢を抱いてしまうが、実際フリーランスと呼ばれる人たちはどのように働いているのか、考えてみたい。ライター、校正者などのような、文字通り一匹狼のフリーランサーは実際にはそう多くはないと思われる。タレントだって事務所に所属して何らかの保護を受けつつ指揮・命令も受けるのだから、実際の現場ではどのような働き方が行なわれているのか、調べてみた。

『アニメーターはどう働いているのか』(副題・「集まって働くフリーランサーたちの労働社会学」、松永伸太朗著、2020年3月、ナカニシヤ出版)を読んだ。研究者による学問的な報告なので、理解が難しいところも多々あったが、「フリーランスでありながらもスタジオに集って働くということが特徴」とされるその働き方は、多くのフリーランスと呼ばれる人々に共通するものがあるだろうと考えられる。

この本の著者が、「労働者」をどう捉えているのかは定かではないが、本書には「労務管理」「人材育成」「アニメーターという労働者像」などという表現が出てくるので、広い意味での労働者にアニメーターも含まれると考えているようだ。

アニメーターの働き方の特徴は、スタジオの中で個々の作業空間をかなり厳格に区別し、それをお互いが経験や技量の差に関係なく尊重することを基本にしている。また、全体の職場空間が暗黙のうちに仕切られ、他の人たちとの接触の濃密さの程度がそれぞれの場所で異なっていることにもなっている。要するにそれぞれを独立した「働き手」として認めながら、若干違ったレベルで、仕事の紹介や人材の育成などが取り組まれている。

実際に事務所はその運営のために「マージン」を個々のアニメーターから取っており、私たちのセンスで言えば、スタジオ全体に「協同組合」的な秩序があるように思われた。個々の働き手の独立性が高いか、逆に組織からの指揮・命令が強いかによって、「労働者」に近いか遠いかが見えてくることになる。本書では労災などについての言及がないので、実際に「使用者責任」がどこまで問われるのか、などの問題は分からなかった。

こうして考えると、フリーランスが労働者かどうかという問題は、当たり前かもしれないが、結局いろんなレベルがあることになろう。だとすると、フリーランスを一律に労働者保護から外すことに問題があると考えるべきだ。現在の日本の制度のように、簡単に「(労基法上の)労働者ではない」と切り捨てるのではなく、原則労働者であるが、どの程度までの労働者性を有するか、個々のフリーランサーの意向を尊重しつつ、労働者としての保護を適用することを基本にすべきであろう。

この本のアニメーターの人たちの労働時間との関係で言うと、深夜に作業をすることが、個々人の仕事の仕方として広く認められているなど、業界特有の「流儀」もある。このアニメーターは、労働時間管理をされていないという意味では労働者らしからぬのだが、その他の面を考えると、やはり相当の保護を受けるべきだと思われる。

こうした現実を見ると、労働組合で一般的に語られる「労基法上の労働者」と「労組法上の労働者」の区分などは、実際の労働現場からは余り関心をもたれないだろうと思えてきた。必要なのは、最低賃金が保障されるのか、労災はどうなるか、健康保険はどうなるのか、などの具体的なテーマである。だとするとイギリスの最高裁判決にあるように、労働していれば個人が保護されるべきだという意味で、「労働者性」は労基法上の労働者だとはっきりさせた方がよいように思われる。

イタリアでの闘い―「大雪のストライキ」

ウーバーイーツで働く者は労働者だと、本紙前号でも述べた。そこで示したように、イギリス最高裁がウーバーの運転手が労働者であると判断した根拠は、BBCによって次のように説明されている。

 

(イギリス)最高裁は、自分たちはあくまでも仲介者だとするウーバー側の訴えを判事全員の一致で棄却。運転手は乗客を乗せている間だけでなく、アプリにログインしている間は勤務中とみなされるべきだと結論付けた。
最高裁が考慮した要素の一部は次の通り――。
•ウーバーが運賃を決め、運転手が稼げる金額を設定している。
•ウーバーが契約条件を設定し、運転手側に発言権がない。
•乗車リクエストはウーバーに制約されている。ウーバーは運転手があまりにも多く乗車拒否した場合にペナルティを課すことができる。
•ウーバーは5つ星評価を通して運転手のサービスを監視し、警告を繰り返しても改善されない場合は契約を終了する権限を持っている。
こうしたことなどを理由に、最高裁は運転手はウーバー社に従属する立場にあり、収入を増やすには長時間労働しかないと判断した。

 

アプリにログインしている時間は勤務中と見なされるという点が画期的だ。日本でもぜひ実現したい観点である。

ヨーロッパではすでにウーバーなどで働く者は「労働者」として保護されるべきだという判断が広がっている。そのような労働を「プラットフォーム労働」としてとりまとめ、特に個人事業主として取り扱われることが多いその働き手を、労働者として保護する運動が進み、制度もその方向に向かっている。

以下、この問題に詳しい脇田滋龍谷大学名誉教授が共同代表を務める「(NPO法人)働き方ASU-NET」のサイトにより、そのことを示したい。

イタリアでは2016年、「時給」から「出来高給」への変更に反対して配達ライダーの初めてのストライキが行なわれた。2017年11月の季節外れの大雪の時には、凍った道路での配達が労災や健康被害につながるとして、ライダーズ・ユニオン・ボローニャがストライキ、これに多くのライダーが参加した。そして、ボローニャ市が仲介して政労使の交渉が行なわれ、18年5月「ボローニャ市 デジタル労働権の基本原則に関する憲章」に合意した。

憲章は、①公正な報酬を固定時給で支給、②国内の同一・類似産業を代表する労働組合が結んだ団体協約の最低賃金以上を支給、③時間外、休日勤労などの手当支給、④差別禁止、⑤解雇の通知と事由提示、⑥労災保険適用、⑦移動手段 (二輪車など)の維持費用支給、⑧結社の自由とストライキ権の保障を定めた。2019年にはイタリア国会での「ライダー法」にその内容が取り入れられ、EU全体にもそうした規制が広がっている。

これも脇田名誉教授によると、今年2月「ミラノ検察庁は、食事を家庭に運ぶためにイタリアの多くの都市で駆け回っている、少なくとも6万人のライダーたち(二輪車配達員)は、労働者が安全保護などがない一方、低賃金で搾取されているとして、ディジタルプラットフォームであるGlovo, Uber Eats, Just Eat そして Deliverooの4社に、7億3300万ユーロの罰金(ammenda)を科し、全員を2021年2月24日から90日以内に、独立事業者から労働法や社会保障法上の保護がされる『準従属労働者』に移行させることを求め」たという。

ミラノ検察庁が、プラットフォーム企業の責任を問題にしたのは、「違法仲介と労働搾取」罪を定める刑法違反が根拠となっており、こうした「違法仲介と労働搾取」を独自の犯罪とする規定が制定された背景には、外国人の肉体労働者に対する不当な扱いが広がり、それに対して労働者とそれを支援する労働組合の闘いがあったとのことである(詳細は、「働き方ASU-NET」の記事を参照)。

日本の、技能実習生制度をはじめとした外国人労働者に対する不当な処遇が問題になっているが、イタリアでは外国人に対する差別的取り扱いとプラットフォーム労働が同様のものとして規制されたわけだ。日本の労働者保護の範囲の狭さとそれを放置している労働組合や社会のあり方が映し出される事態であろう。

日本では真逆の方向らしい

 「労働市場における雇用仲介の在り方に関する研究会 報告書」

厚生労働省の「労働市場における雇用仲介の在り方に関する研究会」が、7月13日に、「報告書」を出した(000805361.pdf (mhlw.go.jp))。そもそも「雇用仲介」という言い方はなじみのないものだが、言いたいのはプラットフォーム労働のことのようだ。しかし、イタリアのような労働者保護に触れることは全くなく、内容はきわめて抽象的で、むしろ「職業紹介」を民間の事業につなげて「竹中平蔵」を儲けさせてきた、その延長を考えているように見える。

基本的な問題意識として、報告書は

「IT技術等の発展やインターネットの普及により、多種多様なサービスを提供している求人メディアや新たな雇用仲介サービスが労働市場において果たす役割を積極的に評価し、労働市場において需給調整(マッチング)機能の一翼を担うものとして位置付けることが適当である。

少子高齢化による就業構造の変化、働き方や職業キャリアに対する意識の多様化、新型コロナウイルス感染症の影響による人材の移動の必要性等を踏まえ、職業安定機関は、労働市場全体の需給調整機能を高め、実効性のある雇用対策を講じることが重要であり、求人メディアや新たな雇用仲介サービスを行う者とも情報の共有や連携を進めていくことが適当である。」

として、要するに雇用仲介=プラットフォーム企業の役割を重視し、それを職業紹介の過程に組み込もうとしている。

そして、その法的位置づけとして、

「職業安定法に位置付けられている職業紹介事業及び募集情報等提供事業以外にも伝統的なイメージを超える多様な雇用仲介サービスが展開されていることを踏まえ、雇用仲介サービスを労働市場における需給調整機能の一翼を担うものとして位置づけるに当たって、仕事を探す者や企業等が安心して利用できるようにするとともに、利用者の安心とイノベーションを両立させる観点から、法的位置付けも明確にしていくべきである。」

と、政策的にもこれを具体的に利用しようとする。そしてさらに、その「重要性」を説いて、

「今般の新型コロナウイルス感染症の影響を受けて、労働市場における需給調整機能を迅速に発揮させる必要性の観点からも、職業安定機関が、公共職業安定所や職業紹介事業者だけでなく、雇用仲介サービスを行う者が把握している労働力需給の状況等を含め、労働市場全体の情報を把握できる仕組みを構築し、機動的・総合的な雇用対策を推進する役割を担っていくべきである。その基盤を整備するため、雇用仲介サービス等を職業安定機関と連携する主体として位置づけ、厚生労働大臣が労働市場に関する情報を収集する際に必要な協力を行うこととすることが適当である。」

と述べ、現在のプラットフォーム企業を、国と協力する雇用対策の中心にすえようとしているようだ。

最後に、取ってつけたように、「4雇用以外の仲介について」として、

「業務委託等の受発注者等、雇用以外の仕事を仲介するようなサービスについては、現時点において、職業安定法の射程を超えるものも存在すると考えられる。他方、態様として雇用仲介サービスと類似しているサービスが提供されていることや、非雇用者とされている人でも労働者性のある人や交渉力の低い人が存在することを踏まえ、雇用以外の仕事を仲介するサービスについても、雇用仲介サービスを行う者が守るべきルールに倣うことができるよう、周知を図るべきである。」

と述べる。

しかし、現下の問題のポイントは、この「雇用以外の仲介」にあるはずである。ウーバーイーツを持ち出すまでもなく、プラットフォーム企業を規制し、そこで行なわれるべきは雇用の仲介に限る(労働者としての雇用契約以外はわずかの例外として認めることができる程度である)べきなのに、その兆しも見えないのである。

脇田名誉教授は「とくに、注目する必要があるのは、(イタリアでは)インターネットを介した新たな働きとされる『プラットフォーム労働』についても、『違法雇用・労働搾取』罪の適用がされていることです。その点でもイタリアの最近の状況は労働の現実を直視した政策動向として大いに参考になると思います」と述べ、日本のありようを批判している。

 

図.1 経済産業省「『雇用関係によらない働き方』に関する研究会報告書」(2017年3月、p.8)

実際、上記の図は2017年3月の経済産業省「『雇用関係によらない働き方』に関する研究会報告書」に記載されているものだが(<4D6963726F736F667420506F776572506F696E74202D2081798E9197BF8745817A8CD997708AD68C5782C982E682E782C882A293AD82AB95FB82C98AD682B782E98CA48B8689EF95F18D908F91208A54977672322E70707478> (meti.go.jp))、ここでは「雇用関係によらない働き方」の説明として掲げられている。つまり経済産業省はプラットフォーム労働を「雇用関係によらない」ものとして準備している。今回、厚生労働省が「雇用仲介」としていることは、図の「マッチング」部分である。そのポイント部分について、厚労省は「雇用によらない」ことがテーマにならないように「雇用関係」を曖昧に扱っているということになる。その結果「雇用以外の仲介について」という部分を付け足して、実際の問題点をぼかしていると思われる。

仮に「雇用仲介」が中心テーマになるとしても、必ずフリーランスを企業に結びつける関係が中心になっていき、保護されない「労働者」を多く生み出すことにつながる。そのようなことにさせないように、今後を注視していきたい。

おおの・たかし

1947年富山県生まれ。東京大学法学部卒。1973年から当時の総評全国一般東京地方本部の組合活動に携わる。総評解散により全労協全国一般東京労働組合結成に参画、現在全国一般労働組合全国協議会副委員長。一方1993年に東京管理職ユニオンを結成、その後管理職ユニオンを離れていたが、2014年11月から現職。本誌編集委員。

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