コラム/ある視角

SNS上で煽られる政治批判の深層

世代間対立に矮小化させない連帯を

大学非常勤講師 須永 守

国民健康保険料=罰金の闇

日本の健康な労働者の払う罰金がまた値上がりするそうです。

匿名掲示板「2ちゃんねる」の創設者で、近年ワイドショーのコメンテーターやYouTuberとして注目されているひろゆき氏がTwitterで発信した上記コメントに、賛同の声が寄せられているという。それは、2022年度に上限額が3万円引き上げられた国民健康保険料について、2023年度にはさらに2万円引き上げられる方針が示されたことを批判するコメントであったが、問題はその批判の矛先が保険料増額を決めた厚労省や政府の政策決定についてではなく、保険料増額の原因となりながらその恩恵を存分に享受し続けていると見なされた高齢者へ向けられているという点にある。

確かに厚生労働省の統計(国民健康保険実態調査)でも明らかなとおり、国民健康保険は高年齢層の加入者が多く、その分加入者一人あたりにかかる医療費も他の健康保険(協会けんぽ、組合健保など)と比較してかなり高額になっている。その高額な医療費を、加入者の収入額に応じて負担させる仕組みになっているため、相対的に医療費負担の少ない若者世代の負担感は大きくなる。また、健康保険加入者と事業者(会社)の折半がなく、全額を加入者が負担しなければならない国民健康保険料は、さらにその不公平感が増幅してしまうことは間違いない。その結果、健康な若年層労働者にとって保険料は、一方的に収奪されるばかりの理不尽な「罰金」と評されているのである。

かくいう私自身、毎月なけなしの非常勤講師の手当から国民健康保険料を細々と納付してきた身であるが、正直なところ恩恵を享受しているとされる高齢者への不満より、自分自身が高齢者になった時点での健康保険制度や国民年金制度の行く末が不安で不安で仕方ない。そうはいっても、将来の社会保障制度に対する不安や不満を、現在の高齢者世代に対して吐き出したところで何の解決にもならないように感じるのであるが、当事者たちはそうでもないらしい。冒頭のひろゆき氏の発信に対しては共感するコメントが数多く寄せられており、自分たちの「罰金」を享受する高齢者を諸悪の根源とみなす意見も少なくないのである。

2020年以降一度も病院に行ってません。払うのが馬鹿馬鹿しいです。

保険料を安く払っていた高齢者が使っているんだよな 現役世代に負担を押し付けているし、子供の数も減っているから将来を考えると…

たかだか2年ばかりを病院に行かずに過ごせたことを理由に、もしかしたら将来享受することになるかもしれない制度を否定してしまうのは、なんとも浅はかな気がしないでもないがそれも若気の至りというべきか。それよりも、自分たちもいつかは高齢者になるという厳然たる事実からは目を背け、保険料の負担増のみならず年金問題や少子化、その他社会に蔓延するあらゆる閉塞感の元凶を高齢者に見出そうとする思考の先には何が待っているのだろうか。

「政治は高齢者のもの」が生み出すデストピア(暗黒郷)

その思考の行き着く先を感じさせるようなコメントも、ひろゆき氏のTwitterの発信の中から見出すことができる。氏は本年早々、2022年11月の実質賃金が前年同月比の3.8%減となり2014年以来の下げ幅であったというNHKの報道記事を取りあげながら、以下のような皮肉を込めた発信をおこなった。

働き続けても、物価が上がって給料が上がらないので、生活がどんどん苦しくなっていく国が先進国で一つだけあるそうです。

実効性の乏しい場当たり的な経済政策乱発の一方で、国際情勢の変化による物価高とそれにともなう実質賃金の低下は、現在の日本社会において極めて深刻な取り組むべき課題であることは間違いない。ただ、そのような深刻な状況下において警鐘を鳴らした氏のコメントには、以下のような続きがあった。

ほかの国は、働き続けると生活がよくなります。その国の労働者が悪いのかな? 政治家が悪いのかな?

働いても働いても労働者の生活は一向に改善されず、賃金は上がるどころか実質的に下がり続ける日本の現状に対して、それを生み出した元凶として労働者自身か政治家かの二者択一を迫っているのである。言うまでもなく、そこには低賃金で苦しむ労働者ではなく政治家こそが責任を問われるべきであるとの意図があることは明らかである。ただ、その政治家を選んでいるのは有権者であり、有権者たる労働者であることを考えれば、批判の矛先は労働者自身に向けられることになる、などといったような正論で一蹴することはいともたやすい。だがしかし、一見稚拙にも思えるひろゆき氏の発信に対して多くの賛同の声が寄せられる現状は、直面している経済状況そのもの以上に深刻な課題をあぶり出しているように思えてならない。

具体的には、若者世代に広がる「政治や政策は政治家の専権事項であり、自分たちではどうすることもできない隔絶された別世界の問題である」といったような諦めにも近い認識の蔓延である。そして、極言すれば政治家が高齢者を代表する存在であるように捉えられることによって、あらゆる政治家批判・政治批判が単なる高齢者批判へと矮小化される傾向にあるのではないかという危惧である。そのような思いに至った理由として、私の講義を受講している大学生から出された以下のような辛辣なコメントがあげられる。

先生は自らの問題として政治に関心を持つようにと話していましたが、政治は若者世代のものではありません。高齢者によって高齢者のためにおこなわれているのが政治の現状だと思います。それは与党も野党も全く変わらないと思います。だから、既成政党ではない、若者世代の政治をおこなうリーダーが登場して欲しいです。

そこには、将来に向けた改革が叫ばれる年金問題や社会保障制度のみならず、少子化問題への取り組みさえも、結局は高齢者が自分たちの老後を支えてもらうための対策としておこなわれているに過ぎないといった不信感が根強いように思われる。その結果として、私が第29号で紹介した与党・野党に関わらず保守勢力として同一視するような考え方が広がっているのではないだろうか。

その一方で、高齢者に占有された政治を自ら取り戻そうとするのではなく、あくまで政治は自分たちとは隔絶されたものであり手の届かないものであるとの思い込みから、既存の政治体制を打破して若者世代の利益となるような政策を実現してくれる、まだ見ぬリーダーの登場を待望するのである。そして、他力本願によって高齢者による高齢者のための政治の排除が実現したとき、それを求めた若者世代が高齢者となり排除の対象となるといったような、なんとも笑えないデストピア(暗黒郷)の到来も決して夢物語ではない。

それは政策の具体的な内容や違いに基づいた政権選択の試みなどとはほど遠い、醜悪な世代間対立に問題を矮小化させることで生じる危険であることは間違いない。そのような姥捨山的衆愚政治をもたらさないためには、無責任に対立を煽る言葉の応酬ではなく、小さくとも連帯を紡ぎ出す丁寧な言葉のやりとりが求められているのではないだろうか。

すなが・まもる

1976年生まれ。日本近・現代史研究者、大学非常勤講師。8歳になる一児の父。

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