論壇

ビルマ(ミャンマー)にはもう残された時間がほとんどない

『ビルマ 危機の本質』(タンミンウー著)が解き明かすもの

明治大学国際労働研究所客員研究員 山崎 精一

ミャンマー(注1)の軍部による「クーデター」(注2)から一年が経とうとしている。アウンサンスーチーの下で民主化と経済発展の道を進むかと思われていたミャンマーは歴史を逆戻り始めたかに見える。なぜこんなことになってしまったのか? 私たちの抱くこの疑問に答える好著が発刊された。『ビルマ危機の本質』タンミンウー著(河出書房新社)である。その本の帯にも「衝撃の事態! なぜこうなったのか?」とある。確かに、この本を読むと今回の事態が決して不意打ちでもなく、当然予想できたことが理解できる。

『ビルマ 危機の本質』

『ビルマ 危機の本質』(タンミンウー著、 中里京子訳/河出書房新社/2021.10/3520円)

しかし、この本は「クーデター」の原因を解明するために書かれた本ではない。原著は「クーデター」直前の2020年に発行されており、原題は『ビルマの秘められた歴史 人種と資本主義の危機』(注3)である。その最終章エピローグではCOVID19対応でアウンサンスーチーに対する国民の信頼と支持がさらに高まっていることが報告されている。しかし、エピローグは著者の危機感を伝える次のような言葉で締めくくられていた。「私たちはアジアの心臓部に破綻国家を抱える危機に瀕しているのだ。ビルマには時間がない。」一年も経たない内に著者のこの危惧は的中した。  

ミャンマーの歴史を観る視点

本書はミャンマーという国の成り立ちとその政治を描いた歴史書であるが、最近の「15年ほどに焦点を合わせている。」文献を元に書かれた本ではなく、民衆の視点から描かれた生き生きとした歴史である。例えば壊滅的な被害をもたらした2008年のサイクロン ナルギスを扱った第4章「テンペスト」はトゥアラウンという名の被災者した若者の経験を中心に書かれている。他の章も多くの庶民の体験に基づいており、それらは著者が直接知っている人たちから聴き取った物語ばかりである。

そして何よりも著者の体験を中心にこの15年の歴史が語られている。この本の著者はタンミンウー、1960年代に国連事務総長を務めたウ・タントの孫である。著者は1966年にニューヨークで生まれ、ミャンマーを初めて訪れたのは、1974年に祖父の遺体が帰国するのにつき添ってであった。その後、隣国タイのバンコクに引っ越しする。1988年の学生が中心となった軍部に対する民衆蜂起の際は、海外から学生運動に関わるようになったのがミャンマー政治との関りの最初である。その後は国連の職員を務めたり、PKOにも関り、国際政治経験を積んでいる。

その一方でミャンマーを継続的に訪問し、滞在し、ミャンマーと外の世界を結びつける活動を続けている。ミャンマーの政府高官と海外からのゲストの通訳を務めるなど、ミャンマーが軍事独裁の鎖国状態から次第に世界に向けて開放されていく過程を直接体験している。国民が未だに敬愛するウ・タントの孫として、アメリカで生まれ育ち、ミャンマーと世界をつなぐ活動をしてきた著者のユニークな立場から見ることができたミャンマーの政治の歴史書である。

ミャンマーの歴史を見る著者の視点のもう一つの特徴は常にロヒンギャを見つめていることである。歴史のどの段階、時点を描く時もいつもロヒンギャとその住んでいるアラカイン州の状態がどうであったか、触れられている。ロヒンギャ問題は単なる仏教徒とイスラム教徒の宗教対立の問題ではなく、ミャンマーの国の成り立ち、国民のアイデンティティーに関わる根深く、複雑な問題であることが良く理解できる叙述になっている。民主主義を求めるミャンマー国民でさえもほとんどの人がロヒンギャは外国人であるとして、その人権問題を否定していたが、「クーデター」後にようやく国内の問題として考える動きも出てきている。そのロヒンギャ問題の本質を理解するためにも本著を推薦したい。

著者の政治的ヴィジョン

さて、タンミンウーはミャンマーを国外から、国内から観察し、その歴史を研究してきただけの人ではない。著者は現実の国際政治とミャンマー政治との狭間で活動してきた人でもある。その時の彼の立場の特徴はどんなものであっただろうか?

その活動の出発点は軍事独裁に反対して民主主義を確立する闘いである。しかし、国際的には西欧諸国を中心とする国際社会から課せられていた経済制裁に反対する運動である。欧米は人権を重視し、アウンサンスーチーを救出し、民主主義をもたらすためとして厳しい経済制裁を科して、軍事政権に圧力を掛け続けていた。しかし、著者は経済制裁のマイナス点を説いて反対し、「民族紛争と経済的貧困をなくす変革プログラムを追求」するために軍事政権と関りを保つことを主張し、実践してきた。その根底にはミャンマーの国家の成り立ちについての著者の認識が存在している。

ミャンマーはイギリスの植民地として出発したが、直轄植民地ではなくインドの一部としてであった。しかも、三つの地域に分割統治され、国土の大部分を占める少数民族の支配地域は国家から放置されていた。独立後も国家としては十分に成立しておらず、「公衆の福祉を達成するための国家という概念がほぼ欠落している搾取的経済」であり、植民地支配の負の遺産を引きずっている。したがって問われているのは国民の自由投票による政権選択という民主主義だけではなく、「ビルマ国家を真に多民族、多文化の国にするヴィジョン」である。

2010年には新憲法に基づいた総選挙が行われ、軍服を脱いだテインセイン大統領が2011年に選出される。著者タンミンウーは政権との提携を強めて行く。それは一つには政府との対話路線を取るシンクタンク「イグレス」を通じてであった。国民民主連盟NLDが選挙をボイコットしている中で、イグレスは新憲法を了承して、軍事政権の政策に影響を及ぼす活動を展開していた。もっと直接的にはソーテインとアウンミンという二人の改革派の大臣を通じてであった。両大臣はイグレスとも協調しており、テインセイン大統領を改革の方向に説得していた。(私は最初にミャンマーを訪問した2013年3月に首都ネピドーでソーテイン大統領府上級大臣と会う機会があった。日本ILO協議会のミャンマー社会労働事情調査団の一員としてであった。その際に同大臣は、テインセイン大統領とともに改革を目指しているのは内閣の三分の一に過ぎないことを強調していた。)

著者も両大臣に対して、政治囚の解放、アウンサンスーチーとの話し合い、経済改革の継続、少数民族武装勢力との新たな和平交渉を説き続けた。著者の予想に反して、テインセイン大統領はほとんどの提案を受け入れ、2012年連邦議会の補欠選挙でのアウンサンスーチーの当選、2015年総選挙でのNLDの圧勝、翌年のアウンサンスーチー国家顧問への就任、と政治的激動に繋がっていく。

NLD政権と「クーデター」

今回の「クーデター」を理解する上で有益なのはアウンサンスーチーの率いるNLD政権に対する著者の評価である。「NLDは実権を握った時の準備をほとんどしておらず、遂行すべき政策もなく、将来の政府を運営する実際的な戦略も持ち合わせていなかった。」テインセイン大統領を下から支えていた改革派のスタッフを解雇してしまい、市民社会組織ともつながろうとしなかった。決定的だったのは軍部との関係である。「アウンサンスーチーの最重要目標は憲法改正だった。そのためには国軍最高司令官を味方に付けなければならない。」

著者によればNLD政権は「かつての独裁者タンシュエが作り上げ育てた旧体制に移植された」が「拒否反応は起きなかった。」アウンサンスーチーと軍部はナショナリスト的な価値観を共有しているからである。

本書が出版された後2021年2月1日に「クーデター」が発生した。2021年11月に発行された日本語版に著者は「最新情勢は何を語るのか」という緊急寄稿を書いている。そこには軍部の方がなぜNLDに対して「拒否反応」を起こしたかは分析されていない。総選挙後に悲願の大統領になるためにアウンサンスーチーがかつての独裁者タンシュエに助力を求めた、という事実を指摘しているだけである。アウンサンスーチー大統領を実現するために憲法改正するかどうかが、究極の政治課題であり、誰が真の政治権力を握っているのかを示したのが「クーデター」であつたことには間違いないと思われる。

著者の緊急寄稿はエピローグと同じ言葉で締めくくられている。「ビルマにはもう残された時間がほとんどない。これから数年間は政治状況が好転するとは考えにくい。奇跡もまた起こりうる。」

ミャンマーに迫っている人道的危機に私たちが日本で何が出来るのか、しなければならないのか? この問いに答えるためにも本書を読まれることを勧めたい。

 

(本文はJSPS科研費19K12485「ミャンマーにおけるSDGs推進と労使関係 サプライチェーンに焦点を当てて 研究代表者中嶋滋」の助成を受けたものです)

 

【注】

(注1)著者は国の名称について、「ミャンマー」ではなく「ビルマ」を使うと最初に断っている。したがって引用については「ビルマ」のままとし、それ以外は日本で通常使われている「ミャンマー」の表記を使う。

(注2)軍部はこの権力奪取は「憲法に規定された緊急事態の条項に沿った一時的な権力の移譲にすぎない」と主張しており、一面の真実を示しているのでクーデターを「」書きにした。

(注3)“The Hidden History of Burma - A Crisis of Race and Capitalism” Thant Myint-U. Atlantic Books, 2020

やまさき・せいいち

1949年生まれ。1973年東京都清掃局勤務、東京清掃労組組合員として活動。2010年定年退職。現在、明治大学国際労働研究所客員研究員。著作に『アメリカ労働運動のニューボイス』(戸塚秀夫・山崎精一監訳、彩流社)、『アメリカの労働社会を読む事典』(R・エメット・マレー著、小畑精武・山崎精一共訳、明石書店)、『職場を変える秘密のレシピ47』(アレクサンドラ・ブラッドベリー他著、菅俊治・山崎精一監訳、日本労働弁護団)など。

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