論壇

「國体の本義」はなぜ手ごわいのか(中)

研究ノート――人々のどんな精神構造に訴えかけようとしていたのか

高等学校元教員 稲浜 昇

「エモ文体」二種類の人間文部省思想局が着目した精神構造「國体の本義」が企画された当時の状況思想犯の転向と更生文部省思想局(以上本号、以下次号)
思想局が着目した人々の精神構造/「思想統制」から「全国民の思想動員」へ/現在では「過去の遺物」なのか/精神主義と貼り合わせ/やはり警戒が必要だ/終わりに

(以下は前号掲載)本稿の要旨/なぜ今「國体の本義」なのか/「國体の本義」の肝は「ニッポンすごい!」本/
様々な教科の教科書/「日本すごい!」本の元祖/どういう点が「日本すごい!」なのか/すべてを「皇国主義」
へと回収する仕組み

「エモ文体」

「『國体の本義』は手ごわい」と私が言うのは、その内容が優れているからとか、重要な問題を提起しているからというのではない。戦前この本が思想動員に大きな効果を発揮したのには二つの要因があった。一つは、この本が問題だらけのその内容を読者に疑問を抱かせたり、深く考えさせたりすることなく何となく読ませてしまう文体(「ムード」「雰囲気」と言ってもいい)を持っていたことであり、もう一つはその文体を受け入れて、青年団員、女子青年団員、町内会や婦人会の役員や会員、在郷軍人会・国防婦人会の会員などとして(強制されていやいやではなく)内発的・積極的に国家総動員体制への動員に応じた多くの人たちである。この二つの要因が敗戦後も多少見かけは変わりながらもほとんどそのまま日本社会の基部を形成し続けているからである。

本誌の読者で、インターネットや出版などの分野で使われている「エモ文体」とか「ポエム」とかいう用語になじみがあるという方はほとんどいらっしゃらないだろう。「エモ」とは “emotional” に由来する語(若者の間では「エモい」という形容詞として使われることが多い)で、「エモ文体」とは文字通りの意味だと「ある対象に対してなんとも言い表せないような感情の変化が起こったときに使われる文体」というような価値中立的な意味になるはずだが、実際には「読者が感動するように緻密に計算された表現・文体・リズムで書かれていて、それらの文章に触れたときの感動が生理現象に似たものとなるような文章、あるいはその文体・ムード・雰囲気」を指す。

本誌の読者が目にする機会はあまりないかもしれないが、エモ文体の文章が世の中には、インターネット上のブログ、「携帯小説」「スマホ小説」などのライトノベル(「ラノベ」という)、普通の記事を装った広告(「ステルスマーケッティング」略して「ステマ」)などの形であふれかえっている。哲学者風、詩人風、若者ブログ風など様々だ。ここでは具体的な例をひとつ挙げよう。東京オリンピック招致委員会が招致活動を始める際の国民へのアッピール(あちこちにポスターとなって貼られていた)の全文は次のようになっている。

「今、ニッポンにはこの夢の力が必要だ。オリンピック・パラリンピックは夢をくれる。夢は力をくれる。力は未来をつくる。私たちには今、この力が必要だ。ひとつになるために。強くなるために。ニッポンの強さを世界に伝えよう。それが世界の勇気になるはずだから。さあ、2020年オリンピック・パラリンピックをニッポンで!」

(普通の記事を装ったステルスマーケッティングで巧みに「エモ文体」を使った例として絶妙なのが、大阪市を発注元とする「ティファニーで朝食を。松のやで定食を」である。一読に値する)

「エモ文体」で書かれた文(少し前までこの手の文は「ポエム」と呼ばれていた)は、装飾や効果を狙った要素が多すぎて、内容を正確に正しく理解するためにはすべての装飾や効果をはがして整理してから内容の問題点を指摘しなければならない。装飾をすべてはがして裸にしてしまうと問題だらけだったり、突っ込みどころ満載だったりする内容や、何か言っているようで実は何も言っていない内容を、文章に雰囲気をまとわせて「ふわ~ぁ」と気持ちのいい読後感にさせて、読み手は書かれている内容を理解するに至らない、いわんや批判的に吟味するには至らないことが多い。

インターネットの登場で、一部の職業的書き手だけが文章を発表するのではなく、すべての人が文章を書いて発表できる社会となった。そのため、先にも述べたように「エモ文体」の文は世の中にあふれかえっている。ただその大部分はつたないもので、この文体が成功するためには、読者が感動するように緻密に計算された表現やリズムを駆使できるだけの力のある文章家を必要とする。電通のような組織は、発注者である省庁、自治体、企業、政党などの要望に応じた「エモ文体」の文を書くことのできる者を多数抱えている。「國体の本義」は後述するように文部省思想局という所が(そのころ現在の電通と同様な力量をもった企業はなかったので)目を付けた学者・文化人に発注して完成させた「エモ文体」の本である。

イデオローグがどんなに高らかにラッパを吹こうが、人々がその音を聞いて自らの行動エネルギー、エートスに変換しない限り意味を持たず、「なに訳の分かんないことを言ってるんだ」で終わりである。私が関心を持っているのは、「國体の本義」のような「エモ文体」を好み、或はやすやすと受け入れて、みずからのエートスとして総動員体制に積極的・内発的に献身した人たちはどんな人たちだったのだろうか、ということである。

東条首相の「死して以て悠久の大義に生きる」という言葉は、言った方も言われた方も具体的には何のことやらわからなかったであろうが、このよく分からない言葉に抵抗できず、出征する兵士やその家族に万歳を叫び、特攻に志願する人たちはどんなことを考えていたのだろうか。(この人たちは戦後になって「軍部に騙されていた」と言った人たちでもある。)

竹内好は多くの著作で、左翼・リベラルがそうした民衆を今の言葉で言う上から目線で批判し、内在的な理解をしようとしないことを繰り返し批判していた(例えば、民主主義文学連盟の松本新八郎への批判など。「日本イデオロギー」『竹内好全集』筑摩書房)。しかし、竹内自身もそれに成功したとは言えないし、他の誰もそうした民衆の内在的理解を深めた人は管見によれば見当たらない。しかし、その分析・考察が深まらないのは、誰かの怠慢などではなく、誰にもどう取り組んだらいいのかよく分からないからだ。

本稿は、「國体の本義」を受け入れて自らのエートスとして内発的に献身した人たち、そして現在も日本の社会の基部を形成するその直系の後継者を内在的に(しかし批判的に)理解するための準備作業の、そのまた第一歩である。

本稿では「國体の本義」の内容の理性的・論理的な批判は扱う余裕がない。「國体の本義」の批判的検討の本の中で私が一番良いと思ったのは 山本七平『現人神の創作者たち』(文藝春秋社 昭和58年)である。かなり重厚な内容であるが、表面的な批判ではなく深い所からの「國体の本義」の批判となっている。「あとがき」に「戦後二十余年、私は沈黙していた。… その間何をしてたかと問われれば『現人神の創作者』を捜索していたと言っていい。私は別にその『創作者』を“戦犯”とは思わないが、もし本当に“戦犯”なるものがあり得るとすれば、その人のはずである」とある。「現人神」というイデオロギーが意外なところに起源を持ち、江戸時代中期からの長い時間をかけて多くの人の共作物として練り上げられてきたイデオロギーであることの探求である。

もう一冊、橋爪大三郎『皇国日本とアメリカ大権──日本人の精神を何が縛っているのか』(筑摩選書)である。この本は「本義」本文の紹介・批判とともに、「エモ文体」の言説にいわば酔ってしまう体質を持った人たちの代表として磯部浅一、三島由紀夫を論じている。どちらの著者(山本、橋爪)も私とはいわば立ち位置を異にする人たちであり、私には首肯できない部分も多々あるが、多くの点で読むに値すると考えている。

二種類の人間

スピーチの冒頭に聴衆の注意を引き付けるためのいわゆる「つかみ」の定番の一つに「世の中には二種類の人間がいる。一つは・・・、もう一つは・・・」というのがある。その伝で言えば、世の中には二種類の人間がいる。その二つの種類の一つは論理的・理性的にものごとを見たり考えたりしようとしている人たち、もう一つは論理的・理性的にものごとを見たり考えたりするのが苦手どころか、そのようなものの見方・考え方に生理的嫌悪感さえ抱き、感覚的・情緒的・非論理的な言説を好む人たちである。

もちろんスピーチ冒頭のつかみはどれも、話を面白くするために人間をきっぱりと二種類に分けるのであるが、現実はもっと複雑である。まず、個々の人間が上記の二つのタイプのどちらかに明確に分類できるわけではない。理性的・論理的・科学的にものを見よう、考えようとする傾向が非常に強い人から、そのようなものの見方・考え方にほとんど生理的と言ってもいいような嫌悪感を持つ人までグラデーションをなしている。また個々の人間に関しても、論理的・理性的にものごとを見たり考えたりしようと努めている(場合によってはそれが努力と苦痛を伴う)時期や場合もあれば、感覚的・情緒的・非論理的にものごとを見たり考えたりする(そしてそれがなんだかほっとするような心地よいような感じがする)時期や場合もあるであろう。(戦前のいわゆる転向者の書いたものを読んでみるとこのことがよく分かる)。

また、各国においてそれぞれの国の後者のタイプの人々にその国独特の特徴があるであろう。アメリカ、フランス、ポーランド、ハンガリーではそれぞれ微妙な相違があると思われる。ロシアや中国やそのほかの国々にも、それらの国に特徴的な後者のタイプの人達がいるのであろう。もちろん、日本にも日本的な特徴を持つ、理性的・論理的・科学的なものの見方・考え方にほとんど生理的と言ってもいいような嫌悪感を持つ人を好む人たちがいる。

学問や科学研究は前者のタイプの人間が定めたパラダイムに従って行われているので、無意識のうちに研究者自身を「人間」のモデルとしてしまい、後者のタイプの人間は、心理学、倫理学、行動経済学、最近の学際的人間研究などの研究の際「ノイズ」「夾雑物」として扱われているため、まともに研究対象となりにくい。なぜなら、つい最近まで、「後者のタイプの人々は教育程度が低く、教養もないのでそのような状態になっているのであり、それ故十分な知識・教養・知的訓練を得ることさえできればそうした状態から脱却できる」と考えられているからである。「人間とは何か」に関しての様々な研究において、後者のようなタイプの人間の存在を前提とした研究は非常に少ない。(同じことがいろいろな分野で言える。たとえば、いわゆる自閉症の人の存在が知られ、そうした人たちの観察・研究がほんの少しだけ進んだが、それまでは哲学、心理学、教育学、言語学、あるいは「人間とは何か」の研究のモデルとして定型発達者をモデルとすることに何の疑問も持たなかった──というより、それ以外のモデルがありうると考えたこともなかった──のは、研究者自身が定型発達者であったためであろう)。

文部省思想局が着目した精神構造

私は前稿で、「國体の本義」は論理的な内容と見せかけているが、実のところは情緒に訴えかける元祖「ニッポンすごい!」本で、そのためこの本を論理的に要約してもこの本の紹介にはならない、と書いた。(この本を批判的に言及・紹介する人たちが論理的な要約をして言及・紹介・批判をするのに対して、安倍元首相の周辺の人々や日本会議系の人たちが必ず全文を掲載して解説したり、或はリライト・翻案したりして、その情緒的雰囲気を味あわせようとしていることに注目していただきたい。「エモ文体」で書かれていることをよく承知しているのである)。

こうした感覚的・情緒的・非論理的にものごとを見たり考えたりする(そしてそれがなんだかほっとするような、心地よいような感じがする)人々の存在に早くから注目していたのが、戦前日本の国家権力であった。「國体の本義」を企画・発行したのは「文部省思想局」という部局であった。この本は誰か特定の人(たち)が思い立って執筆・出版したようなものではなく、文部省の枠を超えた国全体のもっと大掛かりな経験の積み重ねと試行錯誤から得た教訓によって構想され、その線に沿って、実際に執筆する著名な学者・文化人を編纂委員として人選し、それらの学者・文化人の見解を基に国民精神文化研究所(この研究所については後述する)の国文学者・志田延義(編纂委員の久松潜一の弟子)が草稿を書き、思想局長・伊東延吉が最終的に手を入れ、出版された(1937年)ものである。(久保義三『新版昭和教育史』に詳しい。現在でも、各省庁や内閣官房の「〇〇審議会」等はその審議会の委員がゼロベースで議論するのではなく、あらかじめその省庁や内閣官房が事実上決定している結論に合うよう委員を人選し、委員はその結論に沿った答申をしている。当時もそれと同じことが行われた。というより日本の官庁の政策決定過程のお家芸である)。

その大掛かりな全体計画の大枠を順を追って説明しよう。

「國体の本義」が企画された当時の状況

「國体の本義」の最後に「結語」というかなり長い部分がある。そこに「嘗て流行した共産主義運動、或は最近に於ける天皇機関説の問題の如きが、往々にして一部の学者・知識階級の問題であつた如きは、よくこの間の消息(注:西洋思想の影響を受けた知識人と一般の人々の間には大きな思想的懸隔があること)を物語つてゐる。今や共産主義は衰頽し、機關説が打破せられたやうに・・」とあるように、この本が企画・出版された時にはすでに共産主義運動は完全に壊滅し、機関説を唱える学者も完全に沈黙させられていた。アカを壊滅させた今、残るは全国民が文字通り一丸となって、「個人」という西洋由来の観念を払拭し、天皇を父(=家長)とする大きな家としての国の家族として、「自我功利の思想を排し、國家奉仕を第一義とする皇國臣民の道を昂揚實践することこそ、當面の急務」(「臣民の道」文部省教学局)となったのであった。(注:文部省教学局は思想局を拡大改組した組織。「臣民の道」は多数出版された「國体の本義」の解説本の一つ。「本義」がかなり知的レベルの高い理論編だとすれば「道」は実践編とでも言える内容)

しかし、当時(1937・昭和12年)の国民が一丸となって「自我功利の思想を排し、國家奉仕を第一義とする皇國臣民の道を昂揚實践する」気構えであったわけではない。逆に言えば、だからこそ躍起にならなければいけなかったのである。(古川隆久『建国神話の社会史-虚偽と史実の境界 (中公選書)』、井上寿一『理想だらけの戦時下日本』(ちくま新書)に詳しい。また、戦前の教師用雑誌や教科書の教師用指導書[国立国会図書館のデジタル・コレクション]も参照のこと)。

こうした状況に全国家組織を挙げて挙国一致の総動員体制を築こうとしていくにはどうすればよいか。

思想犯の転向と更生  

総動員体制のうち、企画院などを中心とした経済関係の体制や、そこに集結した「革新官僚」と呼ばれる人たちについてはここでは触れず、教育、思想関係に絞って説明する。

まず司法省、内務省に関して言えば、明治時代の末から大正時代にかけて、当初司法当局(思想検事)や内務省(特高警察)は過酷な取り調べと極刑をもって共産主義運動に対処しようとした。しかし、経験を積む中で、一番有効な対処の仕方は思想犯を転向させること、さらにはそもそも思想犯を生み出さないことだと気付いた。

思想犯を転向させる方策に関しては、「思想的な罪を犯した犯罪人」に、家庭愛と「日本が天皇を親とする大きな家族である」と自覚させることを目標に、様々な制度を工夫した。かたくなな思想犯は家族の居住地からできるだけ離れたところに拘禁し、少しでも動揺を見せた思想犯は家族の居住地にできるだけ近いところに拘禁し、家族や小学校の恩師などに働きかけてできるだけ頻繁に接見に来させるように少しずつ制度を変えていった。文部省思想局編「左傾学生生徒の手記」という、思想犯として逮捕拘禁されていた学生生徒が仮釈放を認められた際に書いた手記をまとめた報告書を、国立国会図書館デジタル・コレクションで読むと、その手法がだんだん効を奏するようになったことがよくわかる。

最後の巻(昭和10年3月刊)になると急に「僕を一番可愛がって、僕が一番成功するだらうと樂しみにして居た父が、僕が共産運動をやる様では生き甲斐がないぞよと氣違ひのやうになり、父の言葉が亂れて居るのを聞いた時の僕の気持ちは胸がはりさける様でした」というような文が非常に多くの手記に現れてくる。

仮釈放、起訴猶予、保護観察、出所後の矯正施設、就職の斡旋や技術の指導などの制度を作り出し、少しでも動揺を見せた思想犯には検事が親身になって相談に乗ってやる。自分自身も転向者で、釈放後は「帝国更生会」で思想犯の出獄後の保護・矯正活動をしていた小林杜人は次のように書いている。「共産主義者の人々が警察官、檢事、判事、又は刑務所の職員を徹底的に憎み、本質的に対立することは出来なかったのである。それは何故であるか。[思想犯たちは]かつては此等の機關の人々は資本家・地主──いわゆる支配階級のために働く番犬であると規定していたのである。・・・此等の人々(警察官、検事、裁判官、刑務官:稲浜)が思想犯人に對する態度は人間味を以って臨み、同胞として相對したのであった。從って思想犯人の出所後の更生のために努力したのは、實にこうした思想犯人を檢擧し、刑罰を執行した人々であった。ここに私は日本國家の持つ特殊性──日本精神の如實の表現を見るのである。・・・「最も憎むべき敵」すらも転向すれば「わが暖かき懐に抱き」「我が子我が弟として家族に迎え、その更生を温かく抱く」ことこそ日本精神であると書いている。(「思想犯保護観察法の実施と転向者保護問題に就いて」『警察新報』 国会図書館デジタル・コレクション) 

司法省刑事局編「思想研究資料」に寄稿した内務省の特高警察のエース級高官は要旨次のようなことを書いている。ドイツでゲシュタポの長官ヒムラーと話し合ったとき、ヒムラーから「日本では共産党員は死刑になるのか」と問われたので、「法律上死刑は存在するが、日本の共産党員は刑務所という学校に入れて教育を与えたり、自ら反省せしめたりすると、大半転向してその非を悟るに至る」と答えた。ヒムラーは「ウンデンクバール(考えられない)。その原因は何か?」と問うので、「日本の国体観念が彼らの内心によみがえってくるからだ」と答えた。(国立国会図書館デジタル・コレクション) 同じ話が雑誌『現代の改造』や『防犯科学全集(思想犯編)』という本にも載っているところを見るとよほど当人たちには自慢だったのだろう。

このように、「思想的な罪を犯した犯罪人」に、家庭愛と「日本が天皇を親とする大きな家族である」と自覚させる際に大きな効果を発揮したのが「エモ文体」であった。(例えば、「転向後の輔導援護に就て」『保護時報』18巻 4号参照。 佐野学・鍋山貞親の有名な「共同被告の同志に告ぐる書」(いわゆる「転向声明」)はコミンテルンの指導が誤っているということの理由として日本の特殊性(日本が万世一系の天皇を親とする大きな家族であるとう他国に例のない国である)を挙げ、コミンテルンがそれを理解しないからには、コミンテルンの指導から離れ、日本独自でやっていく以外にないという骨子になっている。この二人を「落とした」敏腕思想検事は、二人にぴったりと寄り添い、長い時間をかけて少しずつ「エモ文体」の「ニッポンすごい!文」を読ませたと言われる。(思想の科学研究会編『共同研究 転向』改訂増補版 平凡社 参照)

文部省思想局

思想犯を転向・更生させるだけではなく、そもそも思想犯が出ないようにすること、さらには、一般国民が「自分は天皇を父(=家長)とする日本という大きな家の家族の一員である」という皇国主義を内面化し、総動員体制に主体的に参加するようにさせること──つまりこれまでの「思想取締・統制」から「思想動員」への転換──を推進するために、文部省思想局は具体的には次のようなことを行った。

① 大学・専門学校の教員・学生の思想指導と監督

② 青年団・女子青年団・修養団・実業補習学校などの社会教育団体の思想指導と監督

③ 「萬邦無比の」素晴らしい日本に生まれた幸せを全国民に納得させるための「ニッポンすごい!」論の材料を研究するため「国民精神文化研究所」を、全国各府県に「地方精神文化講習施設」を設立し、研究所から講師を派遣して教員・勤労青年・婦人会などへの講習や座談会を行い、その研究成果を伝える、などであった。

ここまでが「國体の本義」の構想が持ち上がるまでの前史である。

(続く、以下次号)

 

いなはま・のぼる

1943年生まれ。東京教育大学文学部卒業、元高等学校教員。

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