論壇

脱成長社会と脱植民地主義

死者を生きる世界の創造

大阪労働学校アソシエ学長・元大阪産業大学教授 斉藤 日出治

1.成長という豊かさの追求

経済成長はかならずしも豊かさと同義ではない、このことがひとびとの共通認識になって久しい。それでもなお、経済が低迷すると成長への活路を求める動きがたえず模索され、成長がはらむ弊害(格差・不平等・環境荒廃など)を新しいタイプの成長(たとえばグリーン・ニューディールや持続可能な発展)によってのりこえようとする道が追求される。

J・M・ケインズは、すでに一〇〇年近く前に成長それ自体が豊かさを実現するものではないこと、それは必要悪であって、真の豊かさは成長のかなたにある、と唱えていた(「わが孫たちの経済的可能性」[1930])。

ロバートとエドワードのスキデルスキー父子の著『じゅうぶん豊かで、貧しい社会』(村井章子訳、ちくま学芸文庫)は、飽くなき金銭欲望に突き動かされた成長が、ひとびとの物質的条件を改善する一方で、強欲・嫉妬・羨望という病的心理を文明の根っこに据えてしまった、そしてケインズは経済成長のこのような功罪を感得していた、と言う。

ケインズにとって重要なのは、成長そのものではなく、成長によって得られた自由時間をいかに過ごすか、であった。そして、孫の世代がそのような余暇を豊かさとして享受する世界に生きることを期待した。

なによりもケインズ自身が、ロンドンのブルームズベリー街区に当時のヴィクトリア精神に対抗する知的・文化的集団を組織して、共同で芸術・文学・歴史研究・政治批評・精神分析の諸実践に取り組むと同時に、生を享受する技法を創造する暮らしを求めた。

だがそれから一〇〇年に至ろうとするこんにち、富を手にした富裕層は強欲から脱して現在の自由時間を享受しようとするのではなく、さらに飽くなき貨幣の増殖活動に没頭する。そして、地球上では、グローバル・サウスにおいても、グローバル・ノースにおいても、おびただしい貧困層と失業者と難民が、生活苦と飢餓の日常を強いられている。

つまり、経済成長は、真の豊かさを実現するための必要悪であるどころか、少数の富裕層が富を独占し多くの貧者の生活難を生み出し、ひとびとを競争と敵対の渦に投げ込み、地球環境を生命体が生存不可能な状態に追いやる世界を招来するという結果を招いている。経済成長はそれ自身のうちに世界を破局へと導く暴力性をはらんでいる、このことが衆目にさらされているのだ。

そして、ケインズ自身が、まさしく成長がはらむそのような暴力性を察知していた。成長の駆動力となる黄金欲望は、生命活動を無機物(貨幣)に還元し、無機物の不断の増殖を通して生の享受を永遠に先送りする衝動をはらんでいる。フロイトはこの衝動を「死の欲動」と呼んだが、ケインズは成長がはらむこの「死の欲動」を看取していたのである(G・ドスタレール・B・マリス『資本主義と死の欲動』[斉藤日出治訳、藤原書店])。

つまりケインズは、成長の行き着く先に<生の享受>という真の豊かさへの道が自動的に開かれるという楽観的展望を受け入れてはいない。成長の世界から脱するためには「死の欲動」に立ち向かい、それを制御する営みが必要であることに気づいていたのである。

2.成長を可能にする諸条件―「制度化された社会秩序」

経済成長がその過程で「死の欲動」を増幅させていくのはなぜだろうか。経済成長は、あらゆる社会諸関係を物象(商品・貨幣・資本)の価値諸関係に変換し、物象の価値諸関係が組織される場である市場へと流し込む。近代の富とは、この市場で取引される財やサービスの価値の総量のことであり、その総量が増えることが経済成長である。マルクスはこの価値が増大していく過程とは、資本と賃労働という支配‐従属の社会的な関係が拡大再生産していく過程であることを洞察した。

成長とは、市場を介しておびただしい私的諸欲望と私的諸労働が相互依存の関係を形成し、見知らぬ他者同士の労働が社会的に結合する富の膨張過程であると同時に、その増殖した富を無償で領有する社会階級と他人のために労働を無償で提供する社会階級との敵対的関係が増幅していく過程である。

だが、この階級関係の再生産の過程は、それだけで自存して遂行されるのではない。この過程は、経済領域の外部におけるあらゆる社会的・自然的諸領域の独自な編成を不可避的に要請する。これらの社会諸集団および諸関係の組織化なしには経済成長過程における資本・賃労働関係の再生産は不可能だからである。

経済領域における資本・賃労働関係の組織化と非経済領域における社会的・自然的諸関係の組織化との密接不可分の関係について貴重な示唆をあたえているのが、ナンシー・フレイザー『資本主義はなぜわれわれを幸せにしないのか』(江口泰子訳、ちくま新書)である。

フレイザーは、資本主義システムを市場取引によって組織される純然たる経済システムに還元する経済学的思考を批判して、そのような経済システムが作動するためには経済領域を超えてあらゆる社会諸領域における固有の「制度化された社会秩序」の編成が必要であることを指摘する。

その第1は、人種・性・文化・地域にもとづく社会諸集団のあいだに優劣関係をもちこみ、劣位の社会集団を組織して、それらの社会集団を無償で、あるいは極度にわずかな報酬で労働に従事させる(移民、有色人種、被差別部落、障碍者、負債者など)。

産業資本主義の段階では、黒人の奴隷貿易によって、砂糖、コーヒー、綿花などの栽培が奴隷労働によって担われて資本主義経済を支えた。奴隷制が廃止されて以降も、レイシズムにもとづく「劣等人種」の生産により、有色人種が白人よりも安い賃金で、あるいは無償で収奪される。なによりも資本・賃労働関係自身が、奴隷制を内面化した制度であり、労働者の意思と身体を他者(資本)の隷属化に置く制度である。

第2に、賃金労働者を世代ごとに再生産するための妊娠・出産・育児・しつけといった過程は、女性によって無償で担われる。それらの再生産労働が産業活動として組織された場合でも、それらの労働は社会の再生産にとって不可欠なエッセンシャルワークであるにもかかわらず、きわめて低水準の報酬を強いられる。

第3に、経済成長の過程は、生産・流通・消費のいずれの過程においても自然環境(大気、河川、森林、土壌、海洋)や自然資源(水、各種の鉱物資源、化石燃料)を不可欠の条件としており、これらの条件を無償で、あるいは安価に領有し利用することに依拠している。そのために、資本の価値増殖を追求する運動は、際限のない自然環境への介入と自然資源の採掘を推し進め、そのために人間と自然の物質代謝がかく乱される。

経済成長は、これらの諸条件を組織することによって支えられると同時に、これらの諸条件に反作用しつつその諸条件を強固にうち固めていく。資本主義の経済成長が資本・賃労働関係を増幅するだけでなく、人種差別、人権侵害、性差別、環境危機を深化させていくのはそのためである。

3.成長の「制度化された社会秩序」としての植民地主義

われわれは植民地主義を、成長を可能にする「制度化された社会秩序」として再考する必要がある。植民地主義は、かつての帝国主義時代における資本主義の統治秩序であるだけでなく、現在の資本主義の成長を可能にする条件としてとらえかえさねばならない。

かつての植民地統治は、他国・他地域の政治的・経済的主権を奪い、帝国主義本国の経済成長のために他国・他地域の自然・経済・文化・社会生活などの総体を動員する「制度化された社会秩序」であった。

統治対象地域の土地・森林・海洋・動植物・鉱山などを無償であるいは低価格で領有し、その有用資源を際限なく利用する。統治対象地域の住民の労働力=自然力を無償であるいは低価格で動員して、軍事施設(飛行場、軍用道路、港湾、兵舎、軍用トンネルなど)の建設、鉱山労働、土地耕作に利用する。女性を性奴隷として組織し性的サービスを強要する、あるいは性暴力をほしいままにする。そして、この体制に抵抗する住民を無差別に殺害する。

帝国主義時代の経済成長は、このような「制度化された社会秩序」によって推進された。わたしは1939-45年における日本軍統治下の海南島でおこなわれたこれらの侵略犯罪の実態について、現地訪問を通して学ぶことができた(海南島近現代史研究会編さんの諸資料を参照されたい)。

だが、このような成長を可能にする条件としての植民地主義は、政治体制としての植民地統治が崩壊した事後においても作動し続けている。旧植民地の自然資源(漁業、森林、生物)や文化や歴史を開発という名目で安価に、あるいは無償で収奪する活動は姿を変えて継続されている。

日本軍と英米軍との激戦地で多くの住民が虐殺され強制労働にかりだされ性暴力を振るわれ食料・家畜を略奪されたミクロネシアの諸地域は、第二次大戦後、日本をはじめとする多くの林業・漁業の関連企業が森林の伐採、ユーカリの植林によって森林の破壊と大地の劣化を引き起こす、キハダマグロやカツオの乱獲によって漁業資源を破壊して、いまもなお、もうひとつの「激戦地」であり続けている(清水靖子『新版 森と魚と激戦地』三省堂書店/創英社)。

4.「制度化された歴史認識」-植民地主義的犯罪の否認

そして忘れてならないのは、そのようなかたちで現在的に進行している植民地主義は、過去の植民地主義のもとで遂行されたおびただしい犯罪の事実が忘却され否認されるという<制度化された歴史認識>によって正当化され強固にされている、ということである。

かつての植民地支配によっておこなわれたおびただしい犯罪行為―住民虐殺、戦時性暴力、鉱物資源・水産資源・森林資源の略奪、家屋・農産物・家畜などの盗み、土地収奪、各種の強制労働・強制連行、女性の性奴隷化、言語と文化のはく奪といった事実が十分に究明されないままに、その事実が帝国主義本国のひとびとの記憶から抹殺され否認され、さらにそれらの盗奪行為を謝罪し補償し、ひとびとの国民的記憶として記録し、後世に伝えるという加害者の責務の遂行が放棄されている。

現在を生きる自己がそのような歴史的責務を引き受けてかつての植民地主義と向き合う姿勢、つまり「過去への連累」(テッサ・モーリス=スズキ『過去は死なない』岩波書店、二〇一四年)を通して、はじめてわれわれは現在の植民地主義を自己認識することができると同時に、成長を支えている「制度化された社会秩序」の変革に着手することができる。

5.脱植民地主義の運動と「予示的政治」―死者と結びついた生の世界の創造

成長を通して豊かさを追求することは、植民地主義をふくめて成長を可能にする条件を強化することである。成長を脱してそれとは別の豊かさを追求するためには、成長を可能にする条件を解体する必要がある。過去と現在の植民地主義に向き合うことは、脱成長の豊かさを実現するために避けて通ることのできない課題である。

この国が日本の国内で、アジア太平洋諸地域で植民地体制下での侵略犯罪の事実を究明し、記録し、後代に伝えること、犠牲者の遺骨を収集し、死者を追悼し、謝罪と補償をおこなうこと、それは脱成長の世界へと至りつくための避けて通ることのできない道程である。

そのような取り組みを各地で自発的に地道に追求している諸団体があるが、これらの諸団体の運動は、過去の植民地主義の事実究明と歴史的責任追及を通して、現在の脱成長の社会へと向かう道程を拓くちからとなっていることを再認識する必要がある。これらの諸団体の運動は、植民地主義の歴史的責任を追及する運動を通して、成長を制度化する社会秩序から脱して、脱成長の世界のありかたを予示的に照らし出す実践を行為事実的に産み出している。

これらの取り組みは、ひととひとのつながりかた、人と自然のつながりかたについて成長を可能にする「制度化された社会秩序」のありようを超える世界像を浮き彫りにしつつある。それは成長のかなたにある世界のありようを予示し、脱成長の世界を現実に招来する潜在力をはらんでいる。

D・グレーバーの言う「予示的政治prefigurative politics」(D・グレーバー『ブルシット・ジョブ』酒井隆史訳、岩波書店)の運動が、行為事実的に創造されているのである(グレーバーは、運動するひとびとがその課題をじぶんたちがすでに実現しているかのように自由にふるまう行動をとらえて、それを「予示的政治」と呼ぶ)。植民地主義の歴史的責任を問う諸種の運動は、植民地主義の犠牲となった死者と現在生きている自己とのつながりを創造し、生者が死者を生きているという共通感覚を醸成している。

6.脱植民地主義運動の諸事例

以下に、その具体的な取り組みをいくつか紹介したい。

1.強制労働の犠牲者の遺骨を故郷に還す運動

北海道北部の朱鞠内の「雨竜ダム」・鉄道建設の工事(1930年代-敗戦)に駆り出され現地で亡くなった朝鮮人労働者の遺骨を日韓の若者のべ3000人が協働で発掘し、その犠牲者の遺骨をアイヌ民族の慰霊祭もふくめ、多様なかたちで追悼し、2015年には「70年ぶりの里帰り」と称して強制連行がたどった道を逆向きにたどりなおし、遺骨を北海道から母国ソウルの追悼墓地に埋葬する。

「長き眠り」と題するドキュメンタリー(「笹の墓標展示館」再生実行委員会ほか制作)は、若者が遺骨の木箱を抱いて北海道―東京―京都―大阪―広島―下関とたどる道筋を映像に収めている。

強制連行の道程とその道程を逆向きにたどるこの道程は、2つの相対立する世界観(「精神の生態系」とも呼べる)を表現している。前者の道程は、植民地主義の世界観であり、他者・自然を自己の利益のために利用し、死者を生者から切り離し、死者を廃棄物として処理する精神に立脚している。

後者の道程は、その反対に、遺骨の収集作業を通して生者が死者と出会うことによって死者が生者のうちによみがえり、生者は死者を生きることを自己の喜びとする脱植民地主義的(コミュニズム的)世界観に支えられている。

だから、遺骨が故郷へと還るこの旅は、たんなる空間の物理的移動ではない。それは脱植民地主義的、あるいはコミュニズム的な世界を創造する旅である。死者は故郷に回帰するこの旅を通して「長き眠り」から目を覚まし生者のなかによみがえるのだから。

2.長生炭鉱の朝鮮人の遺骨をとりもどす運動

山口県宇部の床波海岸に戦前長生炭鉱という海底炭鉱があった。1942年にその坑道が崩壊して海水が侵入し、当時日本の植民地下にあった朝鮮から連行された朝鮮人一三六人が犠牲となった。その遺骨はいまもなお海底に眠ったまま放置されている。長生炭鉱の水非常を歴史に刻む会は、日本人の犠牲者もふくむ一八三名の名前を刻んだ追悼碑を建立するとともに、遺骨の発掘・遺族への返還を政府に求めて交渉を続けている。刻む会は、総務省の遺骨調査事業対象のなかに、寺社に納骨されている遺骨だけでなく、海底に遺棄されて眠る水非常の犠牲者の遺骨の調査と収集の作業も含めるよう求めている。この運動においても、植民地主義の犯罪(この事故は人災であった)によって海中に遺棄されたままになっている遺骨と生者がつながり、生者が死者を生きる世界を創造しようとする共同の意志のあらわれを見ることができる。

3.琉球から盗まれた遺骨の返還を求める裁判

昭和の初期に旧京都帝国大学医学部の人類学者金関丈夫が沖縄県今帰仁村の百按司墓から遺骨を盗奪した。琉球民族の子孫がその遺骨を京都大学に返還するよう求めた琉球民族遺骨返還訴訟では、遺骨を学術研究の対象としてその盗奪を正当化する京都大学や学術研究機関(日本人類学会)に対して、先住民の遺骨を先住民に返還しその尊厳を守るべきことを主張している。

ここでも、遺骨を学術研究の対象としその知的所有権を承認する近代的世界観と、先住民族の自決権を基盤として生者と死者がつながる世界観とが衝突している。この裁判で、司法は原告の主張を退けたが、琉球民族に遺骨を返還することについて双方で協議すべき、という付言を加えている。

4.関東大震災で武装した日本の軍隊・警察・関東住民に命を奪われた朝鮮人・中国人とつながる運動―百年大芸能祭

関東大震災から100年の昨年は、この混乱時に殺害された数千人を超えるとみられる朝鮮人・中国人の犠牲の事実究明と日本政府の責任追及を求める運動が高揚した。だが日本政府は、100年後のいまもなお虐殺の事実を裏付ける資料がないことを理由にして、犠牲者への謝罪や補償はもとより、虐殺の事実認定そのものを拒み続けている。(このさなかに起きた埼玉県福田村の村民による四国香川の行商人一行の殺害事件「福田村事件」も、植民地主義による社会集団の分断を浮き彫りにしている)

だがこのような虐殺の事実究明と責任追及の動きと並行して、100年を契機にこのような運動のなかから、植民地主義にもとづくひととひととのつながりかたを刷新しそれにとって代わるもうひとつのつながりを創造しようとする胎動がみられた。

このアジアの隣人に対するジェノサイドは、かれらを「不逞なやから」とし殺されてもよい存在として虐殺を正当化する関係を基盤にして発生した。そのような他者との向き合い方は、成長を可能にする「制度化された社会秩序」のもとで醸成されたレイシズムの産物である。

これに対して、虐殺100年を契機に出現した「百年大芸能祭」を宣言する民衆運動は、日本の近代100年の歴史が、アジアの近隣のひとびとだけでなく、琉球、アイヌ、被差別部落、水俣病患者、ハンセン病患者、障碍者などの社会的弱者を劣位とみなし命を選別する世界観から出現したものとみなし、そのような100年の歴史を転換してこれからの100年を生きとし生けるものすべてが豊かにつながる歴史となるべく、そのようなつながりを創造する芸能活動を提唱している。

 *   *   * 

「花岡事件」をはじめとする4万人にのぼる中国人の日本への強制連行・強制労働の犠牲者の調査と追悼の運動に取り組んできた在日中国人の林伯耀さんは、自分の人生を<死者との出会いの歴史>として振り返る(『死者の恨・生者の恥辱―私と死者との出会う』)日中草の根交流会発行、2021年)。死者を生きる、とは、「不条理な死を強制された死者の苦悩と怒りに寄り添い、死者と共に歩むこと」(102頁)であり、死者を切り捨て成長の関数となった自己の生を拒絶して、脱成長というもうひとつの生の世界に足を踏み入れることである。

これに対して、成長を追求する世界の生は生かすちから=生権力(M・フーコー)によって構成される。この世界では死は生と分離された廃棄物処理の世界であり、映画『プラン75』が描くような合理的で効率的な無機質な世界を肥大化させていく。

あらゆる生命がつながりあい生と死が表裏一体に結びつく世界を集合意識として創造する運動を抜きにして、脱成長の世界を招来することはできない。

むすび──脱成長と精神の生態系の創造

近代世界は、私的諸個人が市場で自由で平等な関係を結ぶことによって存立する。だがこの関係は、自己の私的所有物を他者に譲渡し、他者の私的所有物を領有するという譲渡‐領有の関係に支えられ、他者の身体・意思を自己の隷属化に置く関係を醸成する。この交通形態は、自由で平等な関係が不自由で不平等な関係へと反転する弁証法を内包している。

市民的交通形態と呼ばれるこのような交通のありかたは、豊かさを物象の価値の多寡として表象し、その価値を増殖するために他者を、そして自然を自己の隷属化に置く「制度化された社会秩序」を不可避的に呼び起こす。市民的交通形態が資本・賃労働関係という支配・従属関係へと反転する過程は、その反転と連動して多様な社会集団と自然を支配・従属関係に組織する「制度化された社会秩序」の編成と不可避的に結びつく。

脱成長の世界を創造するためには、市民的交通形態を支配・従属の関係へと反転させるちからに抗して、多様な人種・性・文化・地域などの社会諸集団、あらゆる生命、自然環境が市民的交通形態の拘束から解き放たれて多様なかたちでたがいにつながる関係を創造することが必要であり、そのような関係を創造する自由を確保しなければならない。

市場取引の自由、企業の営利追求の自由が際限なく保証される新自由主義の世界では、自由の概念が支配・従属関係へと反転していく市民的交通形態の磁力に拘束されているために、社会諸関係や対自然諸関係を自由に組織する想像力が著しく衰弱していく。

これに対して、脱植民地主義の運動が行為事実的に創造した生者が死者と結びつく関係は、市民的交通形態と制度化された社会秩序の呪縛から解き放たれた世界を予示的に照らし出す。

ジェンダー、階級、セクシュアリティ、人種、障碍というカテゴリーでくくられる集団の形成と相互関係を支配・従属の関係から解き放って無限の多様性に向けて解き放つ美的・芸術的な実践が求められる。ひとびとの相互行為、動植物と人間との、自然環境と人間とのかかわりを市場取引と「制度化された社会秩序」に縛られた慣習的行動から解き放ち、相互交流や社会的協働をアートとして追求する「社会的協働のアート」が求められる。

成長へと誘導される定型化された生き方(「生活様式」と呼ばれている)の呪縛から自己を解き放つために、そのような社会介入芸術SEA(socially engaged art)がとりわけ重要な意味を帯びつつある(SEAについては『ソーシャリー・エンゲージド・アートの系譜』(アート&ソサイエティ研究センターSEA研究会編、フィルム・アート、2018年)を参照されたい)。

ケインズが追求したブルームズベリ―集団の芸術的実践は、たしかに当時の成長を志向するヴィクトリア精神(禁欲・勤勉のピューリタニズム、性的抑圧、厳格主義)に抗して脱成長の世界へと向かう集団的行動であった(ケインズはこの実践を「野の百合」に例えている)。だが、この運動は、成長へと向かう当時の日常の慣習的行動から隔絶した画家・小説家・政治評論家・美術評論家らの孤高の取り組みであった。

21世紀のこんにち求められているのは、成長へと向かうヘゲモニーが強力に作動している日常生活と日常意識の慣習的行動の内部に積極的に介入して、社会関係や自然関係を慣習的行動の呪縛から解き放つ社会的協働のアートである。植民地主義責任を問う社会運動が行為事実的に切り開いたこの地平を自覚的に追求することが、こんにち急務となっている。

  

(注)21世紀のコミュニズム像を、連帯を原理として人と人とが、人と自然とがつながる精神の生態系として位置づけた拙論「連帯の生態系を創造するー21世紀コミュニズム像の探究」(近畿大学日本文化研究所紀要7号、2024年3月刊行予定)を参照されたい

さいとう・ひではる

1945年生。1975年名古屋大学経済学研究科博士後期課程満期退学。1986-2014年大阪産業大学経済学部教員。著書に『物象化世界のオルタナティブ』(昭和堂, 1990年)、『グローバル化を超える市民社会』(新泉社、2010年)。『資本主義の暴力―現代世界の破局を読む』(藤原書店、2021年)など。訳書にG・ドスタレール・B・マリス『資本主義と死の欲動』(藤原書店)など。現在、大阪労働学校・アソシエ学長。

三重県熊野で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑建立、紀州鉱山に強制連行された朝鮮人労働者の追悼および真相究明など、日本の植民地主義の歴史的責任を問う運動に取り組む。

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