論壇

生命倫理は高校でどう教えられているのか(下)

高校の新科目「公共」教科書を読む

元河合塾講師 川本 和彦

当たり前であるが、すべての人は母親から産まれ、いずれ必ず死ぬ。「ひとでなし」、即ち言語上は人ではない「日本維新の会」議員も同様である。それは自然なことだ――とは断言できない状況を作り出したのが、生命工学(バイオテクノロジー)の発達である。人間の誕生や死という現象に対して、人為的な操作が部分的であれ可能となった。高校の新科目「公共」で、生命倫理を扱う意味もそこにある。

前々号・前号に続いて、「公共」の高校教科書が扱う生命倫理の問題点を取り上げる。人間の誕生に関わる生殖医療技術である人工授精・体外受精・代理出産、さらに着床前診断・出生前診断について考えたい。

1.生殖医療技術

WHO(世界保健機関)はカップルの不妊に関して、

・男性のみに原因がある:24%
・女性のみに原因がある:41%
・男女双方に原因がある:24%
・原因が不明である  :11%

とするレポートをまとめた。日本では、およそ7〜8組に1組が不妊であると言われている。国立社会保障・人口問題研究所の調査によれば、日本の20〜40代夫婦の6組に1組が不妊の検査や治療を受けている。

数研出版の高校教科書『公共』に、以下の記述がある。

「生殖医療の進歩は、子どもを授かることのできなかった人々に希望を与えた。不妊治療として、人工授精や体外受精が実施されるようになった。さらに、夫婦以外の女性(代理母)に妊娠・出産を代わってもらうこと(代理母)も技術的に可能となった。
 2020年には、不妊治療で第三者から精子や卵子の提供を受けて生まれた子どもの法的な親子関係を規定する法律が初めて制定された」

2020年制定の法律については後述する。

生殖医療の問題点を指摘する記述が、ここにはない。「人々に希望を与えた」という部分は、生殖医療に対してかなり好意的であるとも言えるだろう。

そこへ突っ込みを入れる前に、一言申し上げたい。

実況出版、東京書籍、第一学習社の教科書には、生殖医療に関する記述がない。一般にリベラルな教科書ほど、生殖医療にとどまらず生命倫理に関する扱いが小さいのだ。

伝統的な左翼・リベラルの皆様にとっては、憲法の平和主義や基本的人権に関する事項、あるいは国際政治のほうが重要なのだろうか。

それらが重要であることに異論はないが、高校生が切実に感じる性、あるいは将来のこととはいえ意識するようになる結婚に関することについては、もっと重視されていいのではないか。高校生なら当然ながら性体験者はいるし、18歳であれば法的に結婚できるのだから。

(1)人工授精

人工授精(Artificial Insemination:AI)は女性の排卵期にタイミングを合わせて、採取された男性の精子を処理して女性の子宮に注入する。処理とは雑菌を取り除き、運動が活発な精子を選別することを指す。

夫の精子を用いる配偶者間人工授精(Artificial Insemination by Husband:AIH)が多いが、不妊の原因が男性にある場合は、非配偶者間人工授精(Artificial Insemination by Doctor:AID )が適用される。AIDでは夫ではない男性ドナー(提供者)の精子を用いるわけだが、日本産婦人科学会はAIDで生まれた子どもの数を、累計2万人以上とみなしている。

(2)体外受精

女性の卵巣から卵子を採取して、体外で精子と人工的に受精させるのが体外受精(In Vitro Fertilization:IVF )である。これで、妻ではない女性の卵子を用いた妊娠・出産が可能になった。この場合はAIDと異なり、出産した女性と子どもに遺伝上のつながりがない。日本では年間25人に1人がIVFで生まれている。

(3)代理出産

妊娠・出産そのものを他の女性に行ってもらうのが、代理出産(代理懐胎)である。体外受精で得られた受精卵を、代理母(代理出産を行う女性)に移植し、出産してもらう。

日本産婦人科学会は会告で、代理出産を禁止している。そのため海外に渡航して、代理出産を海外の女性に依頼する例がしばしば報告されている。この場合、日本の民法では代理母が法律上の母になる(分娩した女性が母親になる)が、民法改正の動きもある。

(4)問題点

教科書が認めているように、生殖技術の進歩は子どもを望んで得られないカップルには朗報である。とくに代理出産は、手術による摘出などで子宮を持たない女性が子どもを持つことができる点で、画期的とも言えるだろう。

「子どもを産みたいという思いは、女性にとって自然なものだ」とは絶対に言いません。「産まない」「産めない」「産みたくない」という女性が不自然と見られる社会は、不健全・不健康である。

とはいえ「産みたい」という思いもまた、否定されるべきではない。産みたい女性にとっての選択肢が広がることは望ましいことだ。なんであれ、選択肢が広がるのはいいことである。

そのことを認めたうえで、教科書が触れていない問題点を指摘しなくてはならない。主な問題は、第三者の精子・卵子を活用することで生じると考えられる。

① 金銭面の問題

まず挙げたいのは、金銭面のことだ。精子・卵子のドナーや代理母は、一定の行動制限や身体への負担を強いられる。代理母なら妊娠・出産に伴う出費や休職による所得減少、場合によっては生命の危険さえある。そのためアメリカ合衆国やインドでは、代理母に報酬として金銭が支払われることを認めている。

現状の日本国内で代理出産が認められれば、新たな貧困ビジネスが生まれるであろう。例えば十分な賃金を得られないシングルマザーが、代理母という選択肢を選びたいと考えてもおかしくはない。そこへつけ込む仲介業者がいても、これまたおかしくない。いや、既に闇では存在すると私は確信している。

 

そのような闇を払拭するために代理出産を法制化するというのは、一つの選択肢ではある。だが、闇を払拭するための適切な措置をとらず、さらに出自による差別をなくす努力をしないままでの法制化は、極めて危ういと言わざるを得ない。

ちなみに金沢大学助教の日比野由利さん(生命倫理学)は、「既に海外のクリニックで卵子ドナーとなっている女性は多くいます。円安などの経済状況次第では、日本人女性が海外で代理母になることは十分あり得ます」と述べている。

金銭問題はまた、依頼する両親と依頼される代理母の対等性を損なう。アメリカで代理母が受け取る報酬は日本円にして、200〜300万円を超えることは少ない。ちなみにインドだと、アメリカの3分の1から5分の1となる。リスクを考えれば、その数倍から数十倍もらってもいいのではないか。もちろん、アメリカとインドの格差も大問題である。

一方で依頼者は、渡航費用や仲介業者への手数料で、最低でも1000万円は支払う。多くはそれより高額だ。代理母は「安価だ」と思うだろうし、依頼者は「高価だ」と考えてしまう。不幸なアンバランスである。

すべての「公共」教科書は、憲法に関する「法の下の平等」を取り上げているが、そこでは差別の撤廃に関する記述が中心である。もちろん差別はいかんのだが、同時に生命倫理に関する非対称の問題に触れないのは、これが平等という「人権の問題」だという意識が教科書執筆者に薄いからではないだろうか。

② 法律面の問題

次に挙げたいのは、法律上の問題である。具体的に言えば、生殖医療技術で生まれてきた子の親は誰になるのかということだ。

民法では父子関係を、「妻が婚姻中に妊娠した子は夫の子と推定する」としている。生殖医療で生まれた子の親子関係が争点となった裁判では、「産んだ女性が母親」とされた。だが、その後何度か改正されたとはいえ、明治時代に制定された民法は、当然ながら生殖医療技術を想定していない。

前述した数研出版の教科書にある「2020年の法律」とは、民法の特例法である。第9条・第10条から抜粋する。

❶ 女性が自己以外の卵子を用いた生殖補助医療により子を懐胎し、出産したときは、その出産した女性をその子の母とする。
❷ 妻が、夫の同意を得て、夫以外の男性の精子を用いた生殖補助医療により懐胎した子については、夫はその子が嫡出であることを否認することができない。

要するに生まれてくる子は、精子・卵子が誰のものであれ、法的な結婚をした夫婦の子になるわけで、従来の民法が堅持してきた内容を踏み出すものではない。

③ 出自を知る権利

AIDで生まれ、出自がわからないことに苦しんできた石塚幸子さんは、AIDで生まれた当事者とドナーを結ぶ社団法人・ドナーリンクジャパンを設立した。

「自分が精子というモノから生まれたのではなく、人が関わって生まれたのだと確認したい。団体を立ち上げたのはそのためです。私たちがドナーを知るためには、これしか方法がありません」という石塚さんの訴えは、重く受け止めなければならない。

ドナーリンクジャパン登録者の中に、AIDで生まれ40代で難病を発症した女性がいる。難病はドナーから遺伝した可能性が高い。女性は「もしもっと若い頃にドナーの病歴がわかっていれば、ある程度覚悟ができたかもしれません」と語っている。

これまたすべての「公共」教科書が、「知る権利」について触れているのだが、そこでの「知る権利」とは「公権力の持つ情報を国民が知る権利」に限定されている。

たしかにそれは重要な権利であり、情報公開請求しても黒塗りだらけ、海苔弁当のような文書しか出さない政府は間違っている。ただ、自分の出自を知る権利についても教科書はもっと踏み込むべきであろう。自分の遺伝子上の親が誰なのかを知る権利は、当事者にとっては外交文書の公開よりも切実なことなのだ。

2.着床前診断・出生前診断

最後に着床前診断・出生前診断について考える。

数研出版の教科書から引用する。

 「着床前診断(着床前の受精卵への遺伝学的検査)や出生前診断(出生前の胎児の状態の評価・診断)によって、誕生以前に性別や遺伝的疾病の有無を診断できるようになった。

 しかし、これによって、胎児の状態を見て人工妊娠中絶を選択することも可能となり、生命の選別という社会的・倫理的な問題が生じている」

(1)胎児異常を理由とした中絶

「社会的・倫理的問題」と言えば、読者諸賢は脳性麻痺者団体「青い芝の会」を連想されるであろう。胎児に障がいがあるとわかって中絶するのは、障がい者すべての生きる権利を否定するものだという主張、いや、叫びは心に深く刺さる。

 

日本産婦人科学会による5年単位の調査では、胎児異常を理由とした中絶が増えている。やや古いデータであるが、ダウン症や水頭症などを理由とした中絶は、1985〜89年は約800件だったが、1995〜1999年は約3000件、2005〜2009年は約6000件となっている。

良心的な教員であれば、授業で「出生前診断は中絶につながるからよくない」という話をするかもしれない。その「良心」には共感するものの、「よくない」という断定は、それこそ「よくない」と思う。

(2)「そんなのはきれいごとだ」

アルペンスキー元日本代表・須貝未里さんの長男はダウン症、次男には先天性の心疾患がある。次男を妊娠したとき、出生前診断を受けることは決めていたそうだ。須貝さんは語る。

 「出産を悩むことや検査に賛否があり、『生命の選別』と言われることも知っています。でも、そんなのはきれいごとだと思いました。軽い気持ちで検査すると決めたわけではありません。悩んで子育てして、悩んで検査をして。そして決めた。当事者にしかわからない思いがあります」

 「検査は私には必要でした。中絶するか決めるだけのものではありません。もし疾患があるとすれば出産前に準備できます。どんな症状で、どんな手術で、その後どうなるか。リスクも含めて教えてもらいました。それにより、その子にとって一番いい治療やケアを考えられます」

検査を法的に禁止しても、「知りたい」という気持ちは必ず存在する。そうすると生殖医療と同じことで非合法、闇の検査ビジネスが跋扈することになるだろう。事実、違法とまではいかないが、ビジネス重視の医療カウンセリングや、検査後のフォロー体制が不十分である医療機関の存在が報告されている。

3.おわりに

文部科学省検定に合格する教科書に対して過度に期待するのは、岸田首相に誠実さを求めるのと同じくらいの虚しさは承知である。それでも、これまで拙稿で述べたことの一端くらいは、ページの片隅にでも載せられないのだろうか。

まあ、無理ですかな。

現場の教員に期待します。

生命倫理に関する記述は、ひとまず終了する。だが中絶や再生医療(ES 細胞、iPS細胞)などの諸問題については、引き続き考えていきたい。

読者諸賢にも教えを乞いたいと思います。

かわもと・かずひこ

1964年、福岡県に生まれる。全国紙記者、予備校講師をへて、現在はフリーランス校正者。海洋生物保全に取り組むNPO「エバーラスティング・ネイチャー」会員。

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